2019年7月22日 (月)

「ブログサービス改悪の見本」の悩ましさ

今年の4月に「便利なのか?不便なのか?」の中で、少し触れたがこのブログのサービス提供している「Nifty」が大規模なシステム改修をした。20190722  
いくつかの不具合があったとその時に書いたが、未だに不具合というか「前の方が良かったのに」と思うことが多々ある。
これは私だけなのかと思い、ヘルプページや質問コーナーを見ると私と同じような不満をぶつけている人たちが多いので、今回のシステム改修は「ユーザー目線」としては「改悪」の失敗なのだろう。

私のブログは次のようなステップで作っている
1=まず文章をWordで作成
2=関連する画像を決めて、大きさや解像度を整理
3=ブログ編集画面に文章をコピー&ペースト
4=関連する画像を配置
5=文字の大きさや太さ、色などを編集
6=公開する日時を決めて登録

今回の改修では、文字の大きさがそれまでの「5種類」から「ポイントサイズ指定」となり、よりキメ細かく設定できるようになった。
それは良いように見えるが、今までの「5種類」で困っていなかったので却って面倒になった。
そもそも今までの「標準」っていうもののポイントサイズが良くわからないので、探り探り設定した。
文字の設定は、そのうちに慣れたので良かったが、今度は画像の設置。

これまでは「前回と同じ設定を利用」を使えば、毎回位置の設定をすることがなかったの、毎回設定しないといけない。
さらに配置してみると文字と画像のスペースがほとんどなく、くっついて見える。
「どこかに、このスペースを設定する画面はないか?」と探しまくったが見つからない。
仕方ないので、画像側の上下に少しスペース足して、アップロードするようにした。

このような「編集してアップロード」の操作は、何度かやっているうちに少しずつ慣れてきたから、最初の時ほど戸惑わなくなった。
問題は「アルバム」である。
このブログの左にはどこかに出かけた時に撮影した写真を「アルバム」として掲載している。
以前のシステムだとあらかじめ用意されたデザインを利用して、それなりに「アルバム感」のある見え方で載せられた。
ところが今回の改修では、全く無味乾燥的なもので「単に写真が並んでいるだけ(今回掲載している画像がそのアルバム)」になってしまった。
私の場合「2006初夏_京都」から始まり34個ものアルバムを載せてきた。
これらすべてが「単に写真が並んでいるだけ」のアルバムになってしまい、13年にも渡って積み上げてきたものが、一瞬で崩れてしまった。

仕事柄「良くないシステム改修」の話を聞く機会は多いが、これはなかなか「改悪の見本」のような状態である。
とは言え、今さら他のブログサービスに移設するのも大変だろうし、悩ましい気持ちで続けている。
「2006年から続いたブログをやめる」
「もっと使いやすいブログサービスに移設」
「このまま我慢して使い続ける」
さて、どのような選択が良いのだろう?

| | コメント (0)

2019年7月16日 (火)

追いつかない人事制度

7月になり夏の賞与の時期だ。
その前の6月は、その賞与の査定時期だ。部長職だったころは、その査定にも関わっていたが、最近は余剰予算がないので、個人差を付けるのに苦労しているようだ。20190708  
やっぱり企業としての成績が良くないということは、あらゆることにマイナスの影響が出るようだ。
と、他人事的に書いているが、再雇用の身分になっていると、ほとんど関係ない。
でも、これ以上企業の業績が悪くなると「再雇用」すら危なくなるから「関係ない」とは言っていられなくなる。

今各企業は「働き方改革」真っ盛りだ。
我が社も私が定年になった頃から、「働き方改革の波」が大きくなった。
その影響で我が社の人事制度も、どんどん変わったり追加されたりしている。
それはそれで、時代の変化に追随していくので良いことだと思う。
でも、制度を変更しても、実際の社員という人間の理解力が追いつかない。
おかげで、そこら中が綻びだらけになってきている気がする。

例えば「昇格や昇級」
我が社は今まで「上司の推薦」で上がっていくのだが、それが結構曖昧で、部署や人によって基準点が異なっている。
結局「経営陣、とくに会長・社長が納得するか」で決まってきたが、それもそろそろ厳しくなってきている。
もうちょっと、自分に近い話になると「再雇用」のことも曖昧な部分がある。

我が社は希望があれば「62歳」まで延長されるが、それ以上の延長は「その都度の判断」と曖昧だ。
実際に70歳になっても「延長」でやってみえる人もあるが、それは「必要だから」という何だか分かったような分からないような話で決まっている。
もっともその人は、会長の運転手で、土日・深夜もあるため「もうきついから、辞めたい」と最近はこぼしているが。

さすが、このような状態は不味いと思うようになったのは、それまで「正社員」しかやってなかった「目標設定」を、この春から「再雇用者」にも実施することになった。
それは悪いことじゃないけれど、正社員の場合は、上司と面談して評価していくのだが、再雇用者の場合は設定するだけのようで、何の意味があるのかちょっと分からない。
まぁ、そのうち正社員並みにやっていくための布石なんだろう。

我が社も、これからどんどん再雇用者が増える。
国は「70歳まで雇用する努力を」と言い始めているから、世間的にも増えるのだろう。
そして人事規則もどんどん変わっていくのだろう。
結局、「正社員」にしろ「再雇用者」にしろ「必要とされる存在」になってなくちゃいけないなぁと思うようになっている。

| | コメント (0)

2019年7月 8日 (月)

山口百恵

令和になって2ヶ月以上経ったが、昭和の時代の話。
最近、ちょくちょくこのブログに出てくるインターネットラジオの「J-POP sakura」20190701   

懐かしいJ-POPが流れるので、仕事をしながら聞いている。
そこで「この曲良かったなぁ」と思い出されることが多いのだが、今回の「山口百恵」もその一人。

言わずと知れた「伝説の歌手」なのだが、どうしてもこの人の「代表曲」は後半のものが多い。
特に引退が近づいた頃の「秋桜」「いい日旅立ち」などが、彼女を紹介する時に使われるが、どうも個人的には違っている。

引退後、キルトの世界で有名になったし、息子たちが芸能人になったで、話題に事欠かなないが、なにせ本人は一度も公の場に出ていないので、余計に「伝説化」されてしまっている。
彼女が登場したのは、多分私が高校生の頃。
有名な「ひと夏の経験」は多感な年頃だった私たちには衝撃だった。
「あなたに女の子のいちばん大切なものをあげる」
こんな歌詞を中学生の女の子が唄っちゃっていいの?と思ったものだ。

その後、彼女はどんどんビッグになり、途中からは「宇崎竜童・阿木燿子」コンビの曲を立て続けにリリースし、不動の位置を確保した。
「宇崎竜童」という人には個人的に想いが強く、想い出もある。
「ダウンタウン・ブギウギ・バンド」で少し売れ始めた頃に、何回かライブに行った。
まだ駆け出しだった彼らは、ライブ後電車に乗って移動しており、偶然同じ電車に乗り合わせたこともある。

当時「宇崎竜童」は気に入っていたアーティストだったので、その曲を「山口百恵」が唄うというのはとても驚いた。
どうやら彼女自身の希望で、曲を書いてもらうようになったらしいが、それまでの歌手は「与えられたものを唄う」ものだったのに、この人の登場から「歌手からのリクエスト」で作曲者が決まるということが起きるようになった。

YouTubeなどで、彼女の初期の頃の曲を探してみた。
「禁じられた遊び」「青い果実」「ひと夏の経験」
「冬の色」「夏ひらく青春」「白い約束」
などなど「作詞:千家和也(つい先日、6月13日亡くなっていたとネットに発表されたが) 作曲:都倉俊一あるいは三木たかし」あたりの「ザ・歌謡曲」的な山口百恵が懐かしい。
山口百恵の声も10代で若々しいなぁと思ったが、芸能人ってのはある意味気の毒だ。
何年経っても、若い時の「声や歌や姿」がずっと残ってしまう。
これが自分だったら、とても恥ずかしくて見られない。
芸能人の場合は、そうでもないか?

昭和の伝説的歌手・山口百恵。やっぱり今でも輝いている気がした。

 

| | コメント (0)

2019年7月 1日 (月)

消費税アップのこと

昨年後半からニュースでは「ダブル選挙か?」と騒いでいたが、結局7月4日公示となった参議院選挙が始まる。
今回の選挙の争点は「年金と消費税(増税)」と言われている。20190701_20190627160301

この「消費税増税」の問題、いろいろ紆余曲折あって「軽減税率」を導入することになっている。
ある時「なんで、こんな軽減税率なんて面倒なことをするの?」と聞かれたことがある。

かなり不確かな記憶だが、もともとは「先進国が導入している(真偽はわからないが)」と言われている「生活必需品に対しての税率を低くする」という仕組みだったと思う。
「贅沢品の税金は高く、生活必需品は低く」というが、このモデルとなっている国々の消費税の平均は日本なんかより遥かに高い。

2002年に仕事の関係でヨーロッパの環境ツアーに参加したことがある。
その時にスウェーデンでは、消費税が26%+環境税と聞いて、びっくりしたという話は、このブログで何度か紹介した。
そういう国と単純に比較できないと思うが、先進国の中では日本の消費税は高い方ではないのは確かなようだ。

そんな状態なのになかなか消費税を上げずに「赤字国債」で賄っていると言われているが、なぜか選挙が近くなると「消費税アップ反対」という声が(国会議員も含めて)大きくなる。
そういう声に対抗するために、今回「軽減税率」を導入した感じだが、今度は冒頭に書いたように「なんで、こんな軽減税率なんて面倒なことをするの?」という声も出てくる。
そんな状況を見ていると
「めちゃくちゃ大赤字なのに、収入増やすために消費税上げようとしたら反対するので、こんな面倒な仕組みにしたんだよ!」と叫びたくなる。

「企業優遇をやめよ」という政党もいるが、そんなことしたら企業をコストカットのために「人件費」を削る。そして「人件費を上げよ」という政治家もいるが、そんなことしたら企業は立ち行かなくなって「働く場所」を無くしていくだろう。
「人件費を上げよ」「消費税アップは反対」「赤字は無駄遣いをやめれば無くなる」
60歳すぎるまで、ずっと同じ言葉を聞いてきたけれど、結局解決していない。
「反対のための反対」みたいな雰囲気に流されずに、きちんとした議論をすべきと思うのだが、現代のようにSNSで「表面的な言葉」だけで流される風潮だと、それも難しいと思える。
今のところ、とりあえず秋の消費税アップで、世の中がどうなっていくのか、見ていくしかないのかなぁ。
もうちょっと国の「収入と使い方」を真剣に考える人たちが増えても良いのじゃないかと思って7月を迎えた。

| | コメント (0)

2019年6月24日 (月)

「安江靜二」という人のこと

ある時、ちょっとしたきっかけで自分の故郷の街を検索した。
なかなか目的としていた情報はなかったが、突然「安江靜二」という人を紹介しているWEB「中津川の画家 安江静二心の記念館」に行き着いた。
この「安江靜二」という人、私の故郷では有名な人だが、一般的にはあまり知られていない(と思う)。20190624_1

詳しくは、先ほど紹介したWEBに書いているが、この人は幼い時に「小児麻痺」となり身体が不自由になった。
当然、歩行も普通にできず、一人で歩けるがかなり困難な状態の方だった。
ただ私が物心つく頃には、街なかを歩いていても、みんなが先生のことを知っていて、好奇な目で見たりすることはなかったと思う。

この人のWEBを見たら「1913 (大正2年)生まれ」となっていたので、本当のところはわからないが、私の親父とは学生の頃からの知り合いだったらしい。
私の記憶では「親父と同級生」と思っていたが、親父は「明治44年生まれ」なので、少し違う。
ただ年齢が近いので、学校時代の友人だったことは、間違いないようだ。

私の実家は、私の故郷の商店街でおもちゃ屋をやっていた。
以前「十日市の想ひ出」にその頃の写真を載せた。
このおもちゃ屋は、私が中学生の頃までやっていたが、閉めた年に親父は亡くなった。
その店に、年に1~2回安江先生は訪ねてきて、居間に上がってお茶を飲みおしゃべりしていった。

先生は、歩きはもちろん、話す方も決して健常者のようではなく、若干聞き取りにくかったことを覚えている。
ただいつも訪ねてくる先生を親父もお袋も普通のお客さんと同じように話して、特別扱いもしていなかった影響か、私自身も「よく訪ねてくる絵かきのオジサン」と思って、怖がることもなかった。
確か兄貴は、1年間くらい先生に絵を習っていたようだが、本人は「ああしろ、こうしろ」と言われて、ちっとも好きなように描かせてくれなかったので、つまらなかったと言っていた。
まぁ、子供に絵を習わせるくらいウチの親と先生の距離は近かったのだろう。

先生自身がおっしゃっていたのか、お袋が話してくれたのかはっきりしないが、とても覚えている言葉がある。
それは先生が小児麻痺になって、身体が不自由になってからも、ウチの親父はそれまでと何も変わらずに友達でいてくれたということだ。
そのことが先生はとても「嬉しかった」と言ってくれて、だから今でもこうやって訪ねてくるのだと……。
先生のWEBによると13歳の時に小児麻痺になったとある。
時代的には大正の終わりか昭和の初めなので、今よりもはるかに差別的な時代だっただろう。
実際に先生は一時期隔離された生活を送られていたようで、そんな時代に「変わらずにつきあった」親父は、息子として誇らしいことだったので、とても覚えている。

もう2人共亡くなっているので、その真偽はわからないけれど、思いがけなく「安江先生」を思い出すことができたWEBの出会いだった。
毎月第3日曜だけ記念館は開館しているらしいので、一度出かけてみようと思っている。

| | コメント (0)

2019年6月17日 (月)

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

一部のコアなファンの中では、昨年から「どんなのだろう?」と話題になっていた。
ハリウッド版「ゴジラ」の第2弾だ。20190617
このブログでは、たまに「ゴジラ」関連のことを書く。
2014年7月に「ゴジラを考える」、2012年9月「特撮博物館に行ってきた!」、2007年11月「FavoritesNo.21 ゴジラ伝説」、そして2006年2月「伊福部昭さん」などなどだ。
ここから先は、かなりディープな話になり、「ゴジラ」「ガメラ」「怪獣映画などの基礎的な知識がないと分からないと思います。ごめんなさい。

今回特に楽しみにした理由は「キングギドラ」「ラドン」「モスラ」といった東宝怪獣系の王様クラスが出るということだった。
「ゴジラ」を含めて、この4大怪獣が激突したのは「三大怪獣 地球最大の決戦」。ちなみに4つの怪獣が出るのに「三大怪獣」というのは、地球の三大怪獣であり「キングギドラ」は宇宙怪獣なので、外れいているそうだ。
この「キングギドラは宇宙怪獣」という設定は、今作にも踏襲されていた。
事前に今回の監督は、かなりの「ゴジラおたく」であるとも聞いていて、それも期待度を高めていた。

●映画における音楽の力を思い知った
これも事前に「一部で伊福部昭氏の音楽が使われる」と聞いていたが、実際に映画としてのシーンの中に「伊福部昭氏」の音楽が流れると、格段に「ワクワク度」が上がった。
「映画の中の音楽の力って、こんなにスゴイんだ」と感心しきりで、特に「モスラ」登場のシーンでの「モスラ」の音楽は、鳥肌がたった。
また「ゴジラ復活」のシーンでの「ゴジラのテーマ」も、もう拍手したい気持ちになってしまった。
しかし、いかに「伊福部昭」という人が「映画音楽」というものを熟知して作曲していたかを、ゴジラ誕生後65年も経ってから、改めて思い知らされた感じである。

●エンドロールの最後に感涙
エンドロールの最後にゴジラの着ぐるみに入っていた「中島春雄さん」の写真を載せ、彼へのリスペクトを表していた。
思わず「おっ」と言ってしまい、そしてちょっと泣きそうになった。
ちょうど、この映画公開にあわせ缶コーヒーのBOSSが「顔の映らない主役」という特別なCMを作ったが、まさに彼のことだ。
日本では、かなりコアなファンしか「中島春雄」のことを知らないが、アメリカでは「スーツアクター」として、とても尊敬されていたと聞いたことがある。今回のエンドロールは、そのことを十分に分かる演出だった。

●怪獣登場の脚本力の違い
映画としては全体的にとても面白かった。
でも、なにかが足りない気がして気になったのだが、映画館を出て思った。
「荒唐無稽」な怪獣映画だけれど、私が見てきた初期の怪獣映画や、平成ガメラシリーズと圧倒的に違うのは、脚本なんじゃないか?と。
日本の場合、日常的な出来事の積み重ねがあって、全く歯が立たないと分かっていても自衛隊は攻撃するし、住民が避難するシーンは、必須である。
「シン・ゴジラ」が評価されたのも、人命に対する考えや日常的な生活を積み重ねていて、最後の怪獣部分だけが「荒唐無稽」な物語にしている。
この実際にある「現実感」の積み重ねが、この映画は希薄な気がする。
ま、そんなことをすれば、3時間以上の長時間映画になってしまうから、仕方ないのかもしれないが。
「モナーク」はともかく「オキジェンデストロイヤー」なんて、コアなファンしか分からないのが突然出てくる辺り「ゴジラファンのためのゴジラ映画」と言えなくもないが。

次には「キングコング対ゴジラ」のハリウッド版が予定されている。
生まれて初めてみたゴジラ映画が東宝の「キングコング対ゴジラ」だった思い入れの高い作品なので、今回以上に期待が膨らんでしまっている。

 

 

 

| | コメント (0)

2019年6月10日 (月)

近場の美術館~立川美術館

GWに出かけた近場の話、第2弾。20190610
「立川美術館」と言っても誰も知らないだろう。 
全く有名でないし、規模も小っちゃい。「小さい」というより「小っちゃい」という言い方が当てはまる感じのところだ。
入場料が「200円」と聞けば、その規模が分かるだろう。
何の美術館かと言えば、「山車の彫刻」とかなりニッチな分野だが、逆になかなか気軽に見ることが出来ないものだ。

私の住む中部地方は、あちこちに「山車」がたくさんある。
有名なのは「高山」で多くの観光客が訪れるが、名古屋を中心に30~40kmくらいところに、いくつでもある。
この「山車」は、2016年に「山・鉾・屋台行事 ユネスコ無形文化遺産」に登録されて盛り上がった。
あるきっかけがあって、私はここ2~3年名古屋近郊の半田市で行われる「潮干祭(しおひさい)」というものを見に行く。
この半田市、以前「彼岸花の土手歩き」「彼岸花の花嫁行列」で紹介した地域だ。
ちなみに、美智子上皇后の話題で出てきた「でんでんむしのかなしみ」の作者である新美南吉も、この地域の出身だ。

この地域、3月後半から5月GWにかけて、毎週末どこかで「山車」が出るお祭りがある。
なので、5年毎に「はんだ山車まつり」として30台以上の山車を勢揃いさせる。これは何十万人と集まるので、敬遠して行っていないが……。
とにかくやたらと「山車」がたくさんある地域だ。
この「山車」には、「からくり人形」もあるが装飾の彫刻が見事で、また「山車」ごとに違う彫刻が創り込まれている。
その彫刻の技術伝承という意味でこの「立川美術館」があるらしい。

小さなところなので、当然ほとんど人がいなくて、その施設の人が横について説明しくれたのだが、一度「立川流」は途絶えたが、子孫の許可を得て再興させたとのことだった。
詳しくは「立川美術館http://www.tatekawa.org/index.html)」を見てほしいが、なかなかこう言った彫刻を、説明を聞きながら、しかも写真撮影もOKで、間近で見られるなんて、なかなかない。
これが京都の祇園祭の山鉾のように「超有名」な装飾に関する美術館などがあったら、ものすごく観光客が集まる気がする。
まぁ、そうなると撮影はできないし、気軽に行けないし、混雑するから嫌だけれど。

せっかくの長い休みだったが、かえってどこも混雑することになったが、おかげで近場の面白いところに行けたこと、そしてまだまだ近くに「おっ」と感じるところがあるなぁって思えたGWだった。

| | コメント (0)

2019年6月 3日 (月)

近場の史跡巡り~華蔵寺(吉良家菩提寺)

6月になったが、今年のGWは10日間もあったので、その時の話題を……。
とは言え、「この長期休みを利用して、どこか遠くへ」ということではない。
いろいろ事情はあるが、主な原因として「どこに行っても混雑するよね」と思っていたので「泊りがけでどこかへ行く」なんてことはしなかった。20190603_1  
話はちょっと逸れるが、最近はどこへ行っても観光客が多い。
それも外国の人が、とんでもなく多い。
「日本人もあまり知らないようなところなのに」と思うところでも、外国人の観光客を見かける。
人種偏見はないように気をつけているが、ワケも分からず大きな声で喋られたり、日本的にきちんと順番を守るというルールに従えない団体に会うと、腹立たしくなるし、うんざりする。
だから、最近は「行ってみたいなあ」と思っても「混雑してるだろうな」と危惧することが多い。

でもせっかくの長い長いGW、どこにも行かないのも勿体無いので、ちょこちょこと近場に出かけてきた。
その中で、たまたま寄ったところが、今回の「華蔵寺」
ここは、ネットで見つけていて近かったので「いつかは行こう」と思っていたところだ。
場所は愛知県西尾市。
ここはちょうど4年前に「近くの穴場~西尾城」で紹介したところだ。
その頃から徐々に分かり始めたが、この西尾市は江戸時代には「西尾藩」といい、歴史的に有名でないが、史跡を巡るとたびたび「えっ、ここも西尾藩の関連なんだ」と知る重要な藩だ。

●華蔵寺
愛知県西尾市にある臨済宗妙心寺派の寺院。高家吉良家の菩提寺。
吉良義央の曾祖父である吉良義定が旗本として吉良家を再興した際に、父義安の菩提を弔うために創建した。吉良家墓所には、義安から義央の継嗣義周まで6代の墓がある。そのほか、義央50歳の時の木像や義央寄進の経蔵などがある。(ウィキペディアより)

この「吉良義央(よしひさ)公」が、かの有名な「吉良上野介」のことだ。
この人は、全国的に「赤穂浪士の敵」として憎まれているが、地元では数々の善政を敷いた名君として愛されている。
それは以前から聞いていたのだが、ナビに案内されながら向かう途中に「赤馬ロード」との看板を見て、「これ何だろう?」と思ったが、寺に着いて分かった。

寺で見た資料によると、義央公は水害を防ぐために堤を築いたり、領民の状況を調べるために「愛馬赤馬」に乗り巡視して周り、とても領民から人気があったとのこと。
この「愛馬赤馬」は寺の資料では「農耕馬のような」となっていたが、ネットで見てみるとそのような説明はない。
いずれにしろ、地元ではとても愛されており、吉良家もあちらこちらに寄進していて、すこぶる良い関係だったことがわかる。

さすがにここには外人の観光客はいなかったが、他に2組くらいの観光の人が訪れていた。
しかし以前、赤穂浪士の墓のある「泉岳寺」を訪ねたことがあるが、そこは煙いくらいに線香が炊かれていたのに比べ、この華蔵寺はひっそりとして、あまり整備もされていなかった。
この人気の違いに、ちょっと残念な想いだったが、5月の良い天気の中、静かな史跡を巡り、新緑に囲まれてウグイスの声を聴く空間は、至福のものだった。

| | コメント (0)

2019年5月27日 (月)

3世の姫、急成長する

新年度から長いGW、そして令和時代の始まりと変化が目白押しの春だ。20190520
今年の春は、桜が開花した途端、なかなか暖かくならず、なんと3週間も桜を愛でることができた。6~7分咲きからなかなか満開にならず、会社である人が「終業式から入学、新学期まで桜が咲いていた」と話していた。

そんないろいろ変化があった4~5月だが、身内にも大きな変化があった。
3世の下の姫が、4月から幼稚園に行きだしたという話は4月の終わりに少し書いた。
その後、娘が入園式の模様を中心に、大量の写真をクラウドにアップしてくれた。
園長先生らしき人に抱っこされて紹介されているところは、ちょっと半べその表情だったが、それ以外は小さな手で「ピースサイン」をしてご機嫌のようだった。

会社で婿にあった時に、少し聞いたのだが、入園した幼稚園は「おしめ禁止」らしく、便秘で薬を飲んでいる姫3世は、失敗することもあって、なかなかオシメが取れなかったらしい。
ところが、幼稚園に行きだして3日目くらいから、家でもちゃんとトイレに行けるようになって、婿も娘も「びっくり!」したそうだ。
娘にラインで確認したら、「そう!他の子がちゃんとするから、自分もって思ったのかなぁ」と返してきた。

初日は大号泣で登園したらしいけれど、その後は機嫌よくバスに乗って通っているらしく、娘は「家で親が見ているだけでは成長しないんだ」と思ったそうだ。
娘も2人の3世も、3月生まれ。
娘もそうだったが、早生まれで3月生まれ、そして女の子ってなると入園時には本当に小さい。
4月生まれの子とは丸1年違うから、親から見れば「まだまだ赤ちゃん」って思える。
けれど、周りの環境が変わると「どんどん成長」していくのだろう。

ただし、ラインした日は熱が出て、休んだらしい。
元気はあるので、風邪ではないようで「知恵熱かな?」と娘が言っていた。
姫3世もどんどん成長していく。
令和になり、3世たちも成長し、上の3世は再来年には中学生になる。
それだけこちらが年を取っていってるってことだ。

| | コメント (0)

2019年5月20日 (月)

祝意に満ちた令和の幕開け

「令和」になって3週間近くなる。
前回もこの話題を書いたけれど、その時の空気感を備忘録にしておきたくて、もう一度同じ話題を続けることにした。
昨年の後半から徐々に話題になっていた「元号の切り替え」は、4月後半になってあらゆるメディアが話題に取り上げ、4月30日から5月1日には、まるで大晦日と元旦を迎えるような異様な雰囲気になった。
20190520_1

今振り返ると、私の子供の頃はまだまだ戦争の記憶も生々しい時代だった。
だから「天皇陛下バンザイ」と言って亡くなった兵士への想いも強く「天皇制は果たして必要か?」といった議論も子供なのによく耳にした。
平成時代の皇室を紹介するいくつかの番組を見ていると、そのイメージがこの30年で随分違ってきたことを改めて感じた。
それは、平成天皇皇后陛下の考え方や行動の賜物なのだろう。
ある番組で美智子皇后が旧体制にイジメられるドラマみたいのをやっていたが、あまりに「美智子さま=善、旧体制=悪」の構図が強すぎて、同時にネットを見たら「酷すぎる」のコメントが多く見られたのは、ある意味「狂騒」をよく表しているとも言える。
そんなテレビを見ていて、「新元号を迎えるカウントダウン」も何だかバカバカしくなってきて、GW10連休の最中だったが、さっさと寝てしまった。

次の日も「新元号、新天皇」の盛り上がりは続いており、こちらもついついテレビを見てしまっていた。
新しく皇后になられる雅子さまの、とても輝くような笑顔が映されたり、悠仁さまが緊張された表情だったりを「なんだかんだ」と言いながら見ていた。
そして5月4日の新天皇即位後初の一般参賀も各テレビで流されて、「新元号、新天皇」の一大イベントはピークに達した感じはあった。

そんな騒動を見ながら、自身二度目の「元号切り替え」の体験としては「昭和から平成」の時とは随分違うものに感じられた。
その理由の一番大きいのは「先の天皇崩御」だろう。
昭和天皇は崩御前から、毎日のように「下血」などの情報が流されて、世間的にも「歌舞音曲」を控える雰囲気になった。(下血とか歌舞音曲という言葉もその時に知った)
だから「平成になった」というより「天皇陛下が崩御された」というイメージが強かった。
さらに「昭和」という時代が、どうしても「天皇の名のもとでの戦争」があるため、振り返る話題も重かった。

ところが今回は「生前退位」でもあり、さらに平成天皇皇后陛下の行動により、皇室をとても身近に感じられるようになり、国民の多くが「祝意」を示した。
これから「令和」がどんな時代になるか分からない。
私の生きてきた「昭和」「平成」はもちろん、「昭和」でも「戦前」「戦後」は大きく違ったように、今までとは全く違う時代になるかもしれない。
ただ、それは急に変わるわけではない。
「江戸」から「明治」になった時でも、「西南戦争」までの10年間は試行錯誤の時期だった。
今回も、そんなふうに徐々に「令和」という時代に変化していくだろうが、こんなに「多くの国民が祝意に満ちた退位と即位、新元号の切り替え」を体験できたことは、とても有り難いことだったと思う。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧