2017年9月19日 (火)

近場の美術館巡り

ちょっと時間が過ぎてしまったが、夏休みに近場の美術館を巡ってきた。
20170911_mistukan_2ニュースによると今年は「山の日」の曜日の関係があり、各企業の夏季休暇期間が重なり、どこも大渋滞・大混雑だったようだ。
そんなこともあり、どこにも出かけない予定にしていたが、何となくiPhoneを見ていて「チラシミュージアム」 というアプリを見つけた。

そのアプリは「全国の美術館・博物館・ギャラリーで開催されるアートイベントのチラシ」が見られるという私のような人間にはありがたい道具で、さっそくダウンロードして使ってみた。
すると「安城市歴史博物館」 と言う施設で「生誕220年広重 ‐雨、雪、夜 風景版画の魅力をひもとく」をやっていることを見つけた。
「これは行かねば!」と出かけたが、入場料は500円と格安だし、施設内は涼しいし(一部寒いくらいだったが)、そして予想していた以上に広重の作品が多く、しかもゆったりと見られて最高だった。

「広重」といえば「東海道五十三次」が有名だ。
もちろん展示の筆頭にずらりあったが、状態の良いのとそうでもないのと入り混じり、それでも全宿場+異版もあり、さらに違う版元のものや、国芳との合作版などバラエティに富んだ展示で、偶然見つけて思い付きで出かけたものとしては、とても「儲けもの」なものだった。

ここは今では「安城市」と言い、私の住む街の近郊だが、「安城市歴史博物館」 のある場所は、元々「安祥城」の城址だったとのこと。
施設を出て、少し周りを巡り、今はお寺となっているところに「安祥城址跡」の石碑を見つけた。
2015年4月に「近くの穴場~西尾城」 を書いたが、本当に私の地方は、このような城址がそこら中にある。
これは、定年後の楽しみの1つとして史跡巡りを考えている私には、とてもありがたい。

そして、同じ日ではなかったが、もう1ヶ所「この時期だから」という情報を聞きつけて出かけてきた。
それはミツカン酢でお馴染みの「ミツカンミュージアム」
通常は「予約」が必要な施設なのだが、お盆期間中は「無料・見学自由」とのことで、これも「ぜひ、行かねば!」と行って来た。
当然、企業の施設なので「酢の作り方」「歴史」がメインなのだが、これがかなりちゃんとしていて、驚いたのは復元した長さ約20メートルの「弁才船」

「夏休みの自由研究に」と子供や孫を連れてきている人も多かったが、それでもゆっくり説明文を読めるゆったりさで、「これで無料」と言うことなしだった。
さらに、このミュージアムの周りは、ほんの少しだけだが「歴史の散歩道」になっており、これもゆ~~ったりと見て周り堪能した。

こうやって近場でも十分楽しめることが最近感じることで、小牧城や岐阜城など、「鉄筋コンクリートの復元だから」と行っていない施設にも出かけなくちゃと、またまた「行きたいところ」が増えている60歳なのであった。

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2017年9月11日 (月)

60歳、そして定年へ(会社編)

前回は、プライベート中心の60歳報告。
今回は組織の中で生きてきた人間としての60歳の話。
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おそらくこの「60歳」「一区切り」と感じるのは、私のように会社勤めをしている人間の方が大きいのじゃないだろうか?兄貴のように自営業の場合は、また違う気がする。
当然、会社勤めだと一応「定年」となり、今までのような「正社員」ではなくなる。
でも「どうなるんかなぁ~~」と思っていたが、7月末になっても人事部から何も言ってこない。

私の会社は誕生月が「定年」になるので、新年度が始まる時には「再雇用希望」を出しておいた。
だから「7月には、なんか言ってくるんじゃない?」と思っていたが、何も言ってこない。
仕方なく人事部長に「どうなるの?」と聞いたら、慌てて本部長を通して条件提示がされた。

3月で正式に役職定年になり、部長職を退き、当然その時に収入は減った。
そして今回は定年・再雇用でまたもや条件変更。
1年に2回も収入が減っていくのは、痛い。でも、本来ならば2年前に役職定年だったから、ありがたいのだが、続けてくると、やっぱり痛い。

で、再雇用の条件。
通常だと60%程度の収入条件らしいが、人事部長も本部長もそれなりに評価をしてくれて70%程度で社長に稟議を出してくれるのだそうだ。
それでも、それなりの金額は減る。今月末に、定年後の初の給料なのだが、きっと「減ったなぁ~~」と一段と感じるだろう。

さらに8月も残り10日となって、盛り沢山の書類が人事から来た。
「再雇用契約書」「退職金の明細」「企業年金の明細と受け取り方法」「税務署用書類」「ハローワーク用書類」などなど、人事課長はサラサラッと説明してくれたが、分かりにくいこともあり、ネットで調べながら確認して署名した。

さらに「持株会」にあった保有株を個人に移設する手続きも7月ぐらいからやっていたので、今年の夏は「書類記入」ばかりしていた気がする。
そして、こうして具体的に年金や退職金が分かってくると、若い時には「収入なんかよりも、やりがいがあって面白い仕事」と思ってきたが、やっぱりある程度の収入を得て、厚生年金を納めていないと「年金収入が全然少ないなぁ」というのも本音だ。

とこのように、今から年金生活を考えると、心配になることもあるが、その前に「再雇用」の身分になり、ますます「必要とされる努力」をしないといけない。
最長65歳までは、双方合意なら雇ってもらえると規程には書いてあるから、当面の目標は「65歳」まで「必要だからいてくれ」と言ってもらえるようにすることだ。

とは言えなんでも自分でやってしまっては、次世代にノウハウは渡せない。
今までずっと部下だった社員は、もう安心して任せていける(わけじゃないけれど、あまり口を挟まずに見ていられる)。でも、昨年から手伝うようになった総務・広報系は、いろいろ教えなくちゃいけないことや、時には怒れることもある。
「でも、あんまり怒っても65歳まで雇ってもらえなくなるしなぁ」
と、正社員や部長だった時とは違う感覚で勤めなくっちゃいけないなぁ~~と感じながら再雇用社員となっている。

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2017年9月 4日 (月)

60歳、そして定年へ(娘一家編)

前回の最後に少し書いたが、夏季休暇が終わったある土曜の昼に、娘から「一緒に昼ごはんを食べよう」と招待された。
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娘一家が中古住宅を購入し、初めて訪れた時だったかにすぐ近所にある「すし屋」さんが、とても印象が良かったので、「そこが良い」とリクエストしておいた。
「多分、食事代は娘一家が持つだろうから、そんな高いところは可哀想だしなぁ」との思いもあったし、そこは「すし屋」とは言え「手鞠寿司」を中心に、いろいろなお惣菜が少しずつ盛られているセットがあって、それがとても美味しかったこともリクエストの理由でもある。
「12時に予約したから」とLINEで連絡してきたので、20分くらい前に着くように行った。
インタホンを鳴らすと、上の男の子が無愛想に出て、玄関を開けてくれた。
最初は照れもあるのか、もじもじしながらタブレットをいじっていたので、ゲームでもしているのかと思ったら、塾のテキストだということで、びっくりした。
見せてもらったら、算数をやっていて婿によると今年からグンと難しくなったとか。
上の孫は今年でもう3年生。まだ英語は始まっていないが、これから勉強が大変になる時期みたいだった。
下の女の子は、着いた時にちょうどお昼寝に入ってしまい、先に予約先に向かい、あとから婿が下の子を連れてやってきた。
一緒にご飯を食べているうちに上の孫は慣れてきて、いつものようにちょっかいを出してきた。
自分のキッズ携帯から私の電話を鳴らしたり、家に帰ってからは、私のスマホを触ろうとしたり、ゲームを見ろと言ったり、我がままモードに突入した。
「こら、我がままくそ坊主」と笑いながら怒ったら娘が「どうも、くそ坊主とか言われると傷つくみたい」「じいじは、そうやって怒るから嫌だ」と言っていたと話してくれた。
「くそ坊主」くらいで傷つくんだぁ。どれだけ怒られずに来てるんだろう?と思ったが、それでも私がいるといつも以上に聞かん気になるようで、娘に「なんで、じいじがいるとそうなるの!」と怒られていた。
ま、下が出来てから「お兄ちゃん」でいなくちゃいけないから、その反動なのかもしれない。
その下の子は、ご飯の途中にやってきて、最初は不思議そうに私を見ていた。
そりゃそうだろう、お正月以来で、本人はまったく覚えていないだろう。
娘たちの家に戻って、少しすると段々慣れてきて、トコトコ歩きながら、「これ」と片言でしゃべる。
一番かわいい時期なんだろうな。
でもさすがに下の子。自分が遊びたいものは、大好きなお兄ちゃんと言えども譲らず、そして女の子なので、すぐに「うぇ~~~ん」と泣く。
途中からは上の子が左に座り「ねぇ見てて!」とゲームを見せられ、たまにやらされ、下の子は右から「ニコニコ」しながらやってくるし、左右の相手をするのにかなり疲れてしまった。
今回は「還暦」の誕生日祝いということで、特別にプレゼントをくれた。
婿のお姉さんの旦那さんが、器を作る仕事をしているとかで、そこに頼んで家族みんなで器を作ってくれた。
娘と上の子は、お皿やコップや絵付けをしてくれたようで、下の子は手形を押したり、指で押してへこんだ形で箸起きを作ってくれたりしたようだ。
作っている時の写真も添えて、木箱に入れて渡してくれた。
ありがたくて、とても使えないけれど、心のこもった、そして家族が楽しみながらプレゼントを用意してくれたことが一番うれしかった。
「これからも元気でいてね~~」とみんなが書いてくれたバースデーカードも一緒に箱に入っていて、大きな宝物をもらった還暦のお祝いだった。

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2017年8月28日 (月)

60歳、そして定年へ(プライベート編)

今月でついに60歳になった。
母親は52歳、そして父親は60歳で亡くなっている。
今回改めて墓石を確認したら、数え年になっているので、それぞれ53歳、61歳と記してあった。
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そういうこともあり「これで、両親より長生きになるのだなぁ」との思いと「今月で無事に定年を迎える」と2つの思いから、今月初めに墓参りに行ってきた。
昔はやぶ蚊がすごくて、必ず蚊に刺されたものだが、何年か前に敷地にあった大きな木を取り除いたために、燦々と陽が入り、蚊はいなかった。ただし直射日光に汗が流れたが・・・・。

小さい頃に今で言えば、アトピーなのだが、当時はそんなことも分からず、赤ん坊の頃は頭におできがすごく(と兄たちが言っていた)、小学校になってからはアレルギー性気管支炎になり、一日置きに掛かりつけの小児科に、そして毎週県病院へ、月に1回は名大病院に行っていた。
親は自宅で商売をしていたが、毎回お袋が連れて行ってくれたが、今思えば、どれだけ大変だったのだろう・・・
特に名大病院は、まだ蒸気機関車で行く時代で、とても朝早く行っていた記憶がある。
やっと人並みの体力になったのは、中学校の後半くらいで、本当に親には心配をかけた子供だったと思う。

なので、「無事に60歳を迎えるよ」と報告がてら墓に手を合わせてきた。
故郷を出てしまい、クルマでわずか1時間半くらい離れている大都市に住むようになってから、ほとんど墓に行くことはなかったが、自分の子供が結婚して孫が生まれてから、何だか「ちゃんと報告しようかな」と思うことが増え、ここのところは毎年なんだかんだと墓参りに行っている。

話は変わるが、昨年「姪っ子の結婚式」 で結婚した兄貴の2番目の娘に、7月に子供が生まれたと連絡があった。
生まれたのは女の子で、兄貴たちには、初めての「女の子の孫」となった。
墓参りの帰りに兄貴の家に寄ると、生まれたばかりの赤ちゃんと、長女の2人の男の子に囲まれ、兄貴と義姉さんは、すっかり「ジイジとバアバ」となり孫の世話に追われていた。

長女の2人目は、今年の正月に生まれており、こちらも初めて会った。
その子は「最近人見知りが始まった」と言っていたが、なぜか私は小さい頃から子供には好かれる方で、抱っこしても泣かずに、ずっと不思議そうに見つめていた。たまに髭やメガネに触ろうとしてきたが・・・・

義姉さんも私と同じ年で、兄貴たちが結婚した当初3人で生活していた頃をふっと思い出したが、ありがたいことに、私にもそして兄貴にも、男女の孫が健康で、そして五体満足でいてくれていることに、本当は大きな感謝を感じなければいけないなぁと、ちびっ子ギャングに囲まれながら思った。

60歳。「還暦」とは
干支が一巡し再び生まれた年の干支に戻ること。干支は、十二支の〝支〟と、十千の〝千〟からなる言葉で、十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥、十千は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類があり、干支は十二支と十千の組み合わせによって決められる。
この十二支と十千の組み合わせには60種類あることから、干支が一巡するには60年掛かり、生まれてから干支を一巡し再び生まれ年に還る、という意味がある。

いろいろあったけれど、一応二人の孫に恵まれている。
夏季休暇明けには、娘夫婦からも一区切りの昼食会に招待してくれたが、これは次回に譲るとして、まずまずの人生を送れたのではないだろうか?
これからは「おまけ」の時間。どうやって生きていこうかな・・・・。

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2017年8月21日 (月)

松山城と道後温泉への旅 その3

先週、めでたく(?)60歳になった。還暦だって!
この話題は次回にするとして、今日は前回からの続き。

「道後温泉」
からまた市電に乗って、ホテルへ。
ちょっと休憩して夕飯へ。
今回の宿泊先はビジネスホテルなので、朝食だけにして夕食は外。20170807_03
だから市内中心の「大街道」近くにホテルを取った。
ホテルにあるガイドやネットでお店を見て1件目に行ったら、「合い席なら」と言われて諦めた。
やっぱりネットで良い評価されていると混んでいる。けれど経験的に飛び込みで入っても美味しい店もある。
希望としては「鯛茶漬け」が食べられるところだったが、なかなか良さそうな所がなく、あまり高くなくリーズナブルそうなお店に入った。

これが結果として良くて、濃いしょうゆベースで食べる「鯛茶漬け」も付いていて、天ぷらもじゃこ天も、どれも美味しい定食で満腹になってしまった。
その後、「松山城」へ。
本当なら翌日の予定だったが、ちょうどその日から「光のおもてなしin松山城 2017」が始まり夜9時半まで天守閣以外は入場可能とのことで、行ってみた。

松山城は市内の小高い山の上にある城郭で、最初から歩くことは諦めてロープウエイに頼った。
近づくにつれライトアップされた天守閣が見えてきた。
お城好きとしては、さまざまな形をしたイルミネーションはちょっと邪魔だったけれど、暗闇に浮かぶ高い石垣や天守閣が幻想的で、さらに想像よりも城郭も大きく、夜のお城見物を堪能した。

そして翌日。
バイキングの朝食にも「じゃこ天」があり、前回にも書いたけれど「3食続けて」じゃこ天尽くしの松山滞在になってしまった。
13時半に松山を出発する列車なので、早めにチェックアウトして再度松山城へ。
やっぱり石垣が高い。
そして天守閣も良い。
さらに城郭としてコンパクトだけれど「升形」があちこちにあるし、「狭間」も多く、守りの堅そうな城なんだなぁと感じられた。
現存天守閣は、もう見学するだけで楽しい。歴史を読んだり、展示物を見たり、他の観光客がさっさと通り過ぎていくが、時間もあることなので、ゆっくり楽しんだ。
天守閣の窓に中国人らしい夫婦がどっかり座って動かないのには閉口したが、大きさも歴史もたっぷり楽しませてもらった。

これであとは「時間があれば」と思っていたところもあったが、あまりの暑さに高島屋に避難。
お土産もホテルで買ったし、時間まで涼んだ後に、市電でJR松山駅へ。
これ以上の場所はレンタカーが必要だと思ったが、これで松山・道後温泉としては十分に楽しんだ。
現存天守閣のうち、これで犬山城、彦根城、松本城、丸岡城、姫路城、高知城と合わせて7つ出かけた。
高知城は20代の時だったから、もう一度行きたいが、次の目標は松江城かな?

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2017年8月 7日 (月)

松山城と道後温泉への旅 その2

新幹線での岡山までは本当に「あっ」と言う間だったが、「岡山」から「松山」までは、2時間40分と少し掛かる。20170731_02

「本州四国連絡橋」を渡る時は、ちょっと盛り上がったが、島影や瀬戸内海を見ているうちに終わってしまい、四国上陸後は延々と沿線風景を眺めるだけとなった。

松山に近づくと、遠くに「松山城」を発見!そして1時過ぎに松山に到着。
到着して驚いたのが、未だに「自動改札」でない!
久しぶりに駅員に切符を手渡したが、どうやら伊予鉄道の「松山市駅」の方が中心なのだろうか?
お腹も空いていたので、駅にあるうどん屋さんで「ぶっかけ」+「じゃこ天」を食べた。
これを始めに、夕食~次の日の朝食と続けざまに「じゃこ天」を食べたが、みんな少しずつ味が違って面白かった。

予定では3~4回くらい乗るので、1日券が良いかと市電の1dayチケットを購入して市電に乗り込んだ。
ホテルは市内の中心の「大街道」なので、そこに行く市電に乗ったつもりが、その手前の「松山市駅」で電車は終着で、また乗り換えて「大街道」へ。1dayチケットにしておいて良かった!
駅からすぐにホテルがあり、チェックイン時刻より1時間も早かったが、部屋の準備が出来ており、チェックインさせてもらえた。

さっそく荷物を置いて最初の目的地の「道後温泉」へ。
しかし、今年はどこに行っても暑い。この暑いのに「温泉」と思いながらも、市電に乗って行って来た。
「道後温泉駅」に到着して、お土産通りを通って到着。
「個室は空いてますか?」と聞くと15時と中途半端な時間のせいか「今なら、すぐ良いですよ」と言われ即決。

各階に案内の人がいて、個室へ。
浴衣に着替え、最初は「霊の湯(たまのゆ)」。ほんのり温泉の匂いだけれど、肌にやさしく少し熱めで、深めの浴槽に入浴。気持ちよい~~~。
「ついに道後温泉に来たなぁ~~」と一人ニヤニヤしてしまった。
その後、「神の湯」。男性は2つあるのだが、もう暑くて片方に入っただけで、出てしまった。

この「個室コース」「坊ちゃんの間」を見られたり、「又新殿」の見学が可能で、特に「又新殿」が面白かった。ここは、昭和天皇の時代まで皇室専用のお部屋だということで、部屋の作りや武者隠しなど、興味深かった。
たまたま外人の人に通訳が案内していたが、私が道後温泉の案内にいろいろ聞くと、その答えを通訳すると言う不思議な関係で見学していたが、一番外人が食いついていたのはトイレだった。
やはり外国の人には「エンペラー」というのは、とっても厳かな感じがするものなのだろう。

最後に「道後温泉本館」を1周回って写真を撮り、お土産通りでカキ氷を食べて汗を引かせ、道後温泉公園に寄ったが、そこで出会った猫は呼んだら寄って来て、さらに私の座っているベンチに来て、ぴったりくっついて座ってきた。妙に慣れていたが、いったい野良なのか?観光客に慣れているのか?
あまりの不思議経験で、写真を撮ることも忘れてしまったが、こんな出来事も旅の面白さだ(つづく)

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2017年7月31日 (月)

松山城と道後温泉への旅 その1

お城と温泉。
1月の終わりにも「城と温泉とパンダの旅」 として出かけてきたが、この時の本当の中心は昨年生まれた「パンダ」だった。
宿泊ホテルの温泉と和歌山城も確かに「温泉とお城」だったが、「せっかく行くなら」として温泉とお城を付け加えての旅行だった。
20170724_01
でも今回は違う。
「松山城と道後温泉」にした理由はいくつかある。
理由その1
「ブラタモリ」で2回に渡って放送され、意外と距離が近いと分かったこと。
理由その2
松山城が「現存天守12城」であること。
理由その3
道後温泉が耐震のため「今年秋から工事」になること。
特にこの「その3」があったので、今年行くことを決めた。

このブログを始めて10年以上になり、いくつかの定番記事があるが「旅の記録」も大きな定番記事になっている。
「旅行に行こうかな~~」と思ってから最初に悩むのは「行き方」だが、今回は最初から「クルマ」はあきらめた。
若い時には一人の運転で高知に行ったりもしたが、もうちょっと無理になった。
疲れるし、眠くなる。
だから今回は「JR+ホテル」のセットで申し込んだ。

これにもかなり慣れてきたので、ネットで申し込んだ。
で、1ヶ月前を切る頃にJRのチケットが届いた。7月の3連休の1日前を有給にして1泊2日、さらに出かけるところが「道後温泉」「松山城」。あとは現地で判断と、あまりガッツリ予定を立てずに出かけた。

私の住む街の駅を8時過ぎに出発する新幹線に乗り、まずは岡山へ。
岡山に近づく頃から何度かスマホに「災害情報」が流れ、局地的な豪雨が私の住む地方で発生したようだったが、新幹線は時刻通り運行してくれた。
ちなみに豪雨は本当に局地的らしく私の住む地区は大丈夫だった。

チケットを依頼したのはJR系の旅行代理店なので、乗り継ぎも少し余裕のある列車にしてくれる。
以前、鹿児島に行った時には、観光客の乗降に時間が取られ、博多に到着した時には10分ほど遅れた(この時も乗り継ぎに余裕があったから、大丈夫だったけれど)。
岡山での乗り継ぎは40分くらい。なので、乗り継ぎホームの確認も、トイレも、お土産売り場も余裕で周り、列車に乗り込んだ。
列車名は「しおかぜ7号」
岡山を出るとすぐに「本州四国連絡橋」「児島・坂出ルート(通称:瀬戸大橋)」を渡る。
四国には2回行ったことがあるが、この「本州四国連絡橋」が掛かる前で、初めての陸路だけでの四国上陸となった。そして愛媛にも初めての訪問となった(つづく)。

左にアルバムを作成したので、興味ある人は見てください。

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2017年7月24日 (月)

あの時の気持ちを思い出す曲~深夜高速

前回の「若い頃と今の音楽」 で書いたように、YouTubeというのは自分自身が予想もしない出会いをさせてくれる。(と言っても、音楽的な話だけれど)
前回紹介した「竹原ピストル」は、CMで耳にしていたので、最初に聴いた時には「ああ、この曲かぁ」と思ったが、今回は、初めて耳にした。
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この曲に興味を持ったのは「斉藤和義」が唄っているのをやはりYouTubeで見たこと、そしてどうやら多くのミュージシャンに支持されていることを知ったからだ。
そしてこの曲を歌っている「フラワーカンパニーズ」というバンドの結成20周年記念で、「深夜高速」1曲のみを13組のアーティストがカバーしたトリビュートアルバム「深夜高速 -生きててよかったの集い-」というものがあり、先の「斉藤和義」の唄は、このアルバムかららしいと分かったからだ。

これまで「フラワーカンパニーズ」というバンド名は耳にしたことがあったが、どんなバンドでどんな曲をやっているのか知らなかった。どうやら出身は、私の今住む街だということ、そして一度もメンバーチェンジをしていないことなどをネットで知った。

一度聴いた時は「ああ、青春時代の曲ね」と単純に思ったが、何度か聴いているうちに多くのファンやミュージシャンに指示されていることが分かり始めた。
同じフレーズのコード進行で、繰り返される分かりやすさと、胸にキュンキュン来る歌詞。
なんだか20代の頃を思い出してしまったし、どうも感受性が強いのか、その頃のことを夢にも見てしまった・・・・。

いろいろあって働いたあとにデザインの学校に入り直したこと。
本当にデザイナーとしてやっていけるか分からなかったこと。
彼女が出来ても、一緒にやっていける自信なんてなかったこと。
これからどんな未来になっていくのだろうと思っていたこと。
お金がなくて、皆と同じように国内国外に遊びに行けなかったこと。

こうして具体的に書くといくらでも出てくるが、こんな「不安」とか「モヤモヤ」とか「あせり」とかいろんな気持ちをこの曲はうまく言い表している。
と、60歳が近くなった今、冷静に感じられていること自体、この曲のサビにあるように「生きていてよかった」なのだろう。

~深夜高速~


青春ごっこを今も 続けながら旅の途中 ヘッドライトの光は 手前しか照らさない
真暗な道を走る 胸を高ぶらせ走る 目的地はないんだ 帰り道も忘れたよ

壊れたいわけじゃないし 壊したいものもない だからといって全てに 満足してるわけがない
夢の中で暮らしてる 夢の中で生きていく 心の中の漂流者 明日はどこにある?

生きててよかった 生きててよかった 生きててよかった そんな夜を探してる

年をとったらとるだけ 増えていくものは何? 年をとったらとるだけ 透き通る場所はどこ?
十代はいつか終わる 生きていればすぐ終わる 若さはいつも素裸 見苦しい程ひとりぼっち

生きててよかった 生きててよかった 生きててよかった そんな夜を探してる
生きててよかった 生きててよかった 生きててよかった そんな夜はどこだ

僕が今までやってきた たくさんのひどい事 僕が今まで言ってきた たくさんのひどい言葉
涙なんかじゃ終わらない 忘れられない出来事 ひとつ残らず持ってけ どこまでも持ってけよ

生きててよかった 生きててよかった 生きててよかった そんな夜を探してる
生きててよかった 生きててよかった 生きててよかった そんな夜はどこだ
いこうぜ いこうぜ 全開の胸で いこうぜ いこうぜ 震わせていこうぜ
もっともっと もっともっと見たことない場所へ ずっとずっと ずっとずっと種をまいていく
全開の胸 全開の声 全開の素手で 感じることだけが全て 感じたことが全て

生きててよかった 生きててよかった 生きててよかった
生きててよかった 生きててよかった 生きててよかった 生きててよかった

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2017年7月18日 (火)

若い頃と今の音楽

ちょっと前回の続き的な内容。20170718_yowakaino

YouTubeで古い唄、と言っても吉田拓郎とか中島みゆきとかジャンルはある程度絞られるが、聴いているうちに前回も書いたように、忘れていた曲や未発表の曲や、別バージョンなど新たな出会いにぶつかることがある。

そんな今から45年くらい前に聴いていた音楽を今聞くと「な~~んて理屈っぽい詩だったんだろう」と思う。
吉田拓郎なんて人は、その典型で「マークⅡ」には

♪年老いた男が 川面をみつめて 時の流れを知る日が 来るだろうか♪

なんて、妙に老成というか達観したような「世の中を斜めに見ている」ような詩だ。
私自身、「世の中を斜に見ている」と言われたことがあったが、そんな音楽ばかり聴いていたからかもしれない。

他にも「イメージの詩」なんかは、

♪これこそはと信じれるものがこの世にあるだろうか
  信じるものがあったとしても信じないそぶり
  悲しい涙を流している人はきれいなものでしょうネ
  涙をこらえて笑っている人はきれいなものでしょうネ♪


とか

♪古い船には新しい水夫が乗り込んで行くだろう
  古い船をいま動かせるのは 古い水夫じゃないだろう
  なぜなら古い船も新しい船のように新しい海へ出る
  古い水夫は知っているのサ新しい海のこわさを♪


なんて感じで、もうグダグダと「理屈っぽい」
まぁ、この曲は拓郎が準ちゃんとの恋にやぶれた失恋の唄で、本人も「グダグダ言ってる曲」と話しているが、当時は聴く側が勝手に偶像として聴き「反体制的な」イメージとして聴いていた。

じゃ、最近の音楽は?
YouTubeを巡っていくうちに「竹原ピストル」という名前に行き着いた。
「ピストル」ってと思っていて聴いてみたら、CMで聴いたことがある曲だった。
それは「よー、そこの若いの」。

♪とかく忘れてしまいがちだけど とかく錯覚してしまいがちだけど
  例えば桜やらひまわりやらが特別あからさまなだけで
  季節を報せない花なんてないのさ
  よー、そこの若いの 俺の言うことをきいてくれ
  「俺を含め、誰の言うことも聞くなよ。」 
  よー、そこの若いの 君だけの花の咲かせ方で
  君だけの花を咲かせたらいいさ

  とかく忘れてしまいがちだけど とかく錯覚してしまいがちだけど
  例えば芸能人やらスポーツ選手やらが 特別あからさまなだけで
  必死じゃない大人なんていないのさ
  よー、そこの若いの こんな自分のままじゃいけないって
  頭を抱えてるそんな自分のままで行けよ
  よー、そこの若いの 君だけの汗のかき方で
  君だけの汗をかいたらいいさ♪

良い詩だ。
若い時の「もやもや」だったり、「劣等感」だったり、「焦り」だったり、この曲を聴くと、「いつの時代でも若い奴は、何かのモヤモヤを胸に抱えているんだ」と共感したりした。
どうもこの人の詩は、こんな内容の詩が多いようで、とっても皆に支持されているようだった。
他にもメジャーやインディーズに関わらず「良い詩」を書いているミュージシャンはいるようだ。

私たちの時代には、若い人の「モヤモヤ」を表現してくれるのは吉田拓郎のような「フォーク」分野の人しかいなかったが、今は違う。
メジャーでもちゃんと歌ってくれるし(多少キレイ事としてアレンジしてあるけれど)、インディーズになれば、もっともっとストレートに心の中をぶつけてくる。

音楽の聴き方も、表現するアーチストも50年前とは違っているけれど、10代の「モヤモヤ」した表現しがたい気持ちを胸に抱えるのは、同じなんだなぁと思ってしまった。

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2017年7月10日 (月)

YouTubeの楽しみ方

会社から「持て」と言われてスマホを持つようになって、何年か過ぎた。
今さらなのだが、このスマホと言うやつは、ライフスタイルを大きく変えた。
60年も生きていると「ライフスタイルを大きく変えた」ものに結構出会っている。
古くは、テレビとか冷蔵庫とか洗濯機とか私が生まれた頃に言われた「3種の神器」の家電たちがあるが、ソニーの「ウォークマン」もそうだ。
Youtube
現在30歳くらいの女性社員と話していたら「ウォークマン」以前の音楽の聴き方を尋ねられた。
「どうやって、音楽を聞いていたのですか?」
私たちの世代は、音楽は家の中もしくはクルマの中で聴くもので、日常生活の中で何かをしながら聴くことはあまりなかった。
その意味で「音楽を外に持ち出した」と言われる「ウォークマン」は、大きくライフスタイルを変えたものだと以前何かで読んだ。

そして同じようにスマホの登場も、大きく変えた。
ゲームもネットも動画も、全部を「いつでもどこでも楽しめる」ものに変えてしまった。
私自身、暇な時間にはゲームをするし、仕事中でも気になればネット検索する。
そして、それまで「わざわざアクセス」するものだったYouTubeも、身近になった。
アプリを立ち上げれば、すぐにアクセスできる。

ニュースやスポーツで気になることがあるとYouTubeを見ると、動画がアップされていて見逃した場面でも見ることができる。
何度かアクセスすると、ログを捕られていて私の興味のある傾向のものが表示される。
「前略おふくろ様」という私たちが高校生の頃に夢中になった人気ドラマが、全話アップされていたりする(これは違法なのだろうが・・・・)。

特に音楽系では、YouTubeは活躍してくれる。
以前このブログにも載せたが、懐かしい音楽やアニメ主題歌なんかもあるし、忘れてしまっていたような音楽に再会することもある。
先の「前略おふくろ様」から音楽を担当していた「井上堯之バンド」に繋がって、「傷だらけの天使」「太陽にほえろ」などのテーマ音楽に再会するなどのようなパターンもある。

ドラマやニュースや音楽だけでなく、CMもある。
再生中に流れるCMは辟易するが、昔のCM集だったり、TVで見て「良いなぁ~~」と思うようなCMなんかがアップすると見てしまう。
「カロリーメイト」は満島ひかりが校庭に一人立って「ファイト!」をアカペラで熱唱するCMから、毎年「心に響く」パターンが続いている。それを一度に見られるのもYouTubeの楽しみだ。

そして、音楽も最近はまったく新しいものを聴こうとは思っていないが、YouTubeで見つけて「へぇ~~」と思う曲に出会ったりしている。
この辺の話は、次回に続く話題だが、YouTubeのような動画を見ることができるコンテンツは、今までとはまた違う楽しみの見つけ方を教えてくれるものだ。

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