2017年8月21日 (月)

松山城と道後温泉への旅 その3

先週、めでたく(?)60歳になった。還暦だって!
この話題は次回にするとして、今日は前回からの続き。

「道後温泉」
からまた市電に乗って、ホテルへ。
ちょっと休憩して夕飯へ。
今回の宿泊先はビジネスホテルなので、朝食だけにして夕食は外。20170807_03
だから市内中心の「大街道」近くにホテルを取った。
ホテルにあるガイドやネットでお店を見て1件目に行ったら、「合い席なら」と言われて諦めた。
やっぱりネットで良い評価されていると混んでいる。けれど経験的に飛び込みで入っても美味しい店もある。
希望としては「鯛茶漬け」が食べられるところだったが、なかなか良さそうな所がなく、あまり高くなくリーズナブルそうなお店に入った。

これが結果として良くて、濃いしょうゆベースで食べる「鯛茶漬け」も付いていて、天ぷらもじゃこ天も、どれも美味しい定食で満腹になってしまった。
その後、「松山城」へ。
本当なら翌日の予定だったが、ちょうどその日から「光のおもてなしin松山城 2017」が始まり夜9時半まで天守閣以外は入場可能とのことで、行ってみた。

松山城は市内の小高い山の上にある城郭で、最初から歩くことは諦めてロープウエイに頼った。
近づくにつれライトアップされた天守閣が見えてきた。
お城好きとしては、さまざまな形をしたイルミネーションはちょっと邪魔だったけれど、暗闇に浮かぶ高い石垣や天守閣が幻想的で、さらに想像よりも城郭も大きく、夜のお城見物を堪能した。

そして翌日。
バイキングの朝食にも「じゃこ天」があり、前回にも書いたけれど「3食続けて」じゃこ天尽くしの松山滞在になってしまった。
13時半に松山を出発する列車なので、早めにチェックアウトして再度松山城へ。
やっぱり石垣が高い。
そして天守閣も良い。
さらに城郭としてコンパクトだけれど「升形」があちこちにあるし、「狭間」も多く、守りの堅そうな城なんだなぁと感じられた。
現存天守閣は、もう見学するだけで楽しい。歴史を読んだり、展示物を見たり、他の観光客がさっさと通り過ぎていくが、時間もあることなので、ゆっくり楽しんだ。
天守閣の窓に中国人らしい夫婦がどっかり座って動かないのには閉口したが、大きさも歴史もたっぷり楽しませてもらった。

これであとは「時間があれば」と思っていたところもあったが、あまりの暑さに高島屋に避難。
お土産もホテルで買ったし、時間まで涼んだ後に、市電でJR松山駅へ。
これ以上の場所はレンタカーが必要だと思ったが、これで松山・道後温泉としては十分に楽しんだ。
現存天守閣のうち、これで犬山城、彦根城、松本城、丸岡城、姫路城、高知城と合わせて7つ出かけた。
高知城は20代の時だったから、もう一度行きたいが、次の目標は松江城かな?

| | コメント (2)

2016年1月12日 (火)

本当の真実って・・・・

昨年末の出張で、少し時間が空いたので、本屋で時間を潰していた。20160112_waikyokuhoudou
普通は時代小説を中心に、うろうろ見て回るのだが、この時は「歪曲報道」という文庫本が目についた。

最初のところを流し読みすると「南京大虐殺はなかった」という作者の主張(というか、アメリカ人との喧嘩の話)が紹介され、日本のテレビや新聞を初めとする報道は、嘘ばかりを言っていると書いてあった。

ちょっと面白そうだと思って、買ってきて読んでみた。
が、先に言ってしまうと、半分ぐらい読んで止めた。止めた上に、作者には申し訳ないが、捨てた。
私は余程のことがないと本は捨てないが、この本は捨てた。

最初は「へぇ~~」と思いながら読んでいたが、途中から朝日新聞を代表として各新聞やテレビ局が、いかにダメなのかの羅列と誹謗中傷だらけになった。
私は「本当のことは、何だったのか?」と知りたくてこの本を手に取ったのであり、作家が発する誹謗中傷や批判を読みたいわけではないからだ。

でも、本当に「歴史の真実」はどこにあるのだろうか?
この本を買ったきっかけとなった「南京大虐殺」は、本当にあったのか?
「従軍慰安婦」と言う問題は、韓国の言い分が本当なのか?
例えば、東京裁判ではアメリカ人の弁護士が
「戦争での殺人を罪に問うことが出来ない。もしそうであるならば、広島・長崎に原爆を落とした者の名を、私たちは言うことが出来る」と発言したことは、本当なのか?
本当なら、なぜ、今、その論点について、もう一度議論しないのだろう。
靖国神社への参拝が良いとか悪いとかの前に、「戦争責任」は片方の人間や国だけに負わせて良いのか?という議論をしても良い気がする。

私は歴史物が好きだから、普通の人よりちょっと詳しいと思うが、知れば知るほど「歴史は勝者のもの」と思う。
昨年、会津に行ってその思いは強くなったが、本当の出来事なんて、その時にその場所にいて、自分の目と耳で見たり聞いたりしないと分からないなぁと思う。

例えば、このブログにしてもそうだ。
「人が読むことがあるかもしれない」
そんな前提で文章を書いている。
同じように歴史上の資料だってそうだ。
まして人に宛てた手紙なんて、どこまで本当のことが書いてあるか分からない。
さらに「自分はそう感じた」と思っても、違う角度から見れば、真実は違うのかも知れない。

そう考えると、本当の真実というのは、きっと永遠に分からないのだろう。

| | コメント (0)

2014年3月 3日 (月)

蜩の記

どうしようか迷って、しばらく眺めていた。
文庫本の帯には「感涙の傑作」とあり、さらに「直木賞」とある。Higurasinoki

時代小説は好きだけれど、あまり「直木賞」には興味がない。
それにあまり知らない名前の作家だったし、さらに言えば映画化になっていることも知らなかった。

ただやたら本屋に平積みしてあって、あらすじを読むと面白そうだし、あとがきが「ロバート・キャンベル」と、下手な日本人より日本の心を知っている人が書いているし、ということで結局買って読んでみた。

あらすじは、どこかに載っていると思うので、それを参考にしていただきたい。
読み終えて、いつも読んでいる江戸時代小説とは異なる感じを持った。

そんなに劇的でもなく、そして淡々と話は流れ、不条理の弾圧や死や、途方もない思いやりが溢れているけれど、涙が流れるほどでもなかった。

じゃ、つまらなかったかと言えば、面白かった。
主人公が見守る「戸田秋谷」には、「凛」とした日本人を大いに感じる。
そこが面白い。
時代小説には、今の日本じゃ少なくなった「凛」とした姿や言葉や振る舞いが出てきて、きっとそこが私の好きな部分なのだと思っているが、まさにこの話は日本人の「凛」とした姿を映し出している気がした。

後半のクライマックスでは「これって映画になりそうだなぁ」と思って読んでいたが、すでに今年の10月に公開が決まっているのだそうだ。
出演者は「役所広司」「岡田准一」「堀北真希」「原田美枝子」とあった。

ああ、あの人はこの役者がやるんだなぁと想像が付くキャスティングだ。
役所広司は嫌いじゃないけれど、ちょっと「またか」と言う感じ。
岡田准一は、いくつか時代劇に出てるのを見ているが、これが結構良くて好きだ。

公開が近づくと、もっと話題になるだろうけれど、ちょっと楽しみな気がする。
「矜持」とか「凛」とか「死生観」とか。
そんな大きなものを感じた小説だった。

| | コメント (0)

2013年10月21日 (月)

お気に入りの小説作家遍歴(記事数994件目)

自分では、そんなに意識しなかったが振返ってみると、若い時から文庫本の小説を読み続けている。Takadahassaku
ただ最近はあまり「ベストセラー」とか「今、話題の」というものに飛びつかない(東野圭吾や乃南アサは、少し読んだかな?)。
さらに私の癖として、気に入った作家を見つけると、しばらく同じ人を読み続ける。

高校生の頃はそんなブームだったことと兄貴の影響で、良く推理小説を読んだ。
最初は「松本清張」
今でも覚えているが「点と線」「砂の器」は好きだった。特に「点と線」はSL小僧(今風でいえば「鉄っちゃん」)だったので、時刻表から見つける「4分間の偶然」は、引き込まれた。
それに「横溝正史」。ちょうど「金田一ブーム」になり、これもかなりの作品数を読んだ。
ちなみに「アガサクリスティ」も読んだが、どうも外人の名前が覚えられず、しかも外人の場合は愛称で呼んだりするので、登場人物が整理できなくなり、今でも苦手としている(検視官ケイは読んだかな?)

20~30代は、このブログでも何度も紹介した「司馬遼太郎」
短編を除けば、ほとんどの作品を読んでいる。ちょうど、通勤時間が長い生活リズムの時でもあったため、列車の中の1つの楽しみだった。

「司馬遼太郎」を読み漁り、次の作家になかなか出会わない時期が続いたが、40代になり、これも何度かこのブログに書いた「あるきっかけ」「藤沢周平」を読み始めた。
映画で「たそがれ清兵衛」がヒットした後でもあり、文庫本がたくさん出ていたので、これもかなりの作品を読んだ。
ただ、この人は短編が多いので、まだまだ読んでいない作品もある。
ここで、今に繋がる「江戸時代小説」に出会い、その後は「平岩弓枝」「池波正太郎」とどっぷりと浸かった(これも、このブログに良く書いた)。

そして、これは兄貴から教えてもらったかな?佐伯泰英「居眠り磐音シリーズ」を読み始めた。これは今も続いているが、この人の特徴として1つのシリーズが長い。だから、シリーズものが好きな私としては嬉しいが、3つくらいのシリーズを読んで「ちょっとパターン化してるかな?」と思う部分もあり、あまり手を広げていない。
その後、これもブログで紹介したが「岡本さとる」も好きで読み続けているが、つい最近になってとても嬉しい出会いがあった。

高田郁さんの「みをつくし料理帖」
試しに一巻を買ったら面白くて、一気にシリーズを読んでいるし、他にも「出世花」「銀二貫」なども読んでいる。

こんな感じで、自分にとって「ワクワクする作家」に出会える時は、たまらなく嬉しい。
もちろん小説を読んでいる時も「ドキドキ」したり「ホロり」としたり、とても至福の時間を過ごすのだが、読みながらそんなことを感じさせてくれる作家に出会える喜びが、きっとずっと文庫本を読んできている理由なんだろう。

| | コメント (0)

2013年6月24日 (月)

久しぶりの司馬遼太郎で

前回、少し書いたけれど「八重の桜」の影響で、会津目線の幕末小説を探した。
ネットで調べると、意外に少なく司馬遼太郎の「王城の護衛者」がヒットした。

司馬遼太郎は、このブログでもしばしば登場するが、若い時から好きで、結構読んでいたが、この作品は短編と言うこともあってか、読んでいなかった。

Oujo「八重の桜」のイメージを持ったまま読んだ影響もあるだろう。
容保を中心に描かれているのは良いけれど、かなり「あっさり」した感じだった。
そこで思いだしたのが、今から7年前にこのブログに書いた(「平岩弓枝さんの本」)、佐高信が書いた「司馬遼太郎と藤沢周平~『歴史と人間』をどう読むか」のことだ。

この本の内容や感想は、いろいろあるが私の感覚に一番近い感想が「佐高信「司馬遼太郎と藤沢周平」を読んでみた」に書かれているが、とにかくこの本がきっかけで今の「時代小説の愛読」という趣味が生まれたのも事実だ。

この本に書かれていることで覚えていたのは
「司馬遼太郎=ビルの上から俯瞰でモノを書いているから、庶民感覚が伝わらない」
「藤沢周平=市井に生きる人々を丁寧に描き、時代の空気を感じさせる」

だった。

たしかに藤沢周平から始まった最近私の読む「江戸時代小説」は、藤沢周平的なものが多く、それにどっぷり浸かっていることを至福と感じている。
そして「八重の桜」も当然、ドラマなのだからフィクションも含めて、人にフィーチャーしながら進行している。

そんな感覚を持ったまま「王城の護衛者」を読み、そして久しぶりの司馬小説を読んだ時に
「今、自分が感じたいことは、こういうことじゃないんだよなぁ」
と思ってしまった。

司馬遼太郎が、佐高氏の評するように「庶民感覚が伝わらない」小説家かと言えば、ちょっと違うと思っている。
だって「竜馬がゆく」に出てくる土佐郷士の苦しみと悲しみは、ずいぶん伝わったし、あの感情を理解せずに土佐藩のことは見えないと司馬さん本人も言っている。

じゃ、なぜ「王城の護衛者」には、会津藩の、容保の無念さはあまり表現されていないんだろう?
司馬さんは書いている。
「容保の記録はあまり多く残っていない」
やはり敗者の記録は残されないのが歴史の常なのだろうか?

会津戦争で亡くなった骸を、新政府は埋葬することを禁じたという悲しい出来事を、私はつい最近知った。
司馬さんは「歴史を振り返るには、時期がある。感情や悲しみが浄化されてカラカラに乾燥してからでないと、歴史の真実は見えない」というようなことを述べている。

「王城の護衛者」を書かれた時には、まだまだ会津の悲しみは終わっていなかったから詳細には書かなかったのだろうか?
いずれにしても、もう少し会津目線の幕末小説を読んでみたいものである。

| | コメント (4)

2013年4月15日 (月)

行間を描く作家

今から7年も前に「鬼平犯科帳」というタイトルの記事を書いた。
池波正太郎の作品をいくつか読んでいることは、何度か書いたが、7年前の記事を読み返すと、原作を読んで、なおかつTVシリーズも良いと書いている。
だから、この時点ですでに原作は読んでいることになる。
Ikenami_gyokan
実は最近、また読み返している。
最近読み返している理由は種々あるのだが、読んでいて改めて「池波正太郎」の筆のすごさを感じている。

「鬼平犯科帳」はスカパーで「ハイビジョン・リマスター化」して放送している影響で、最近の「鬼平」の印象は中村吉右衛門のTVシリーズが強くなっていた。
そのためか原作を読み返してみると「あれ?こんな結末だっけ?」と思う話に出会う。

そんな中、数巻読み返しているうちのあるあとがきに
「池波正太郎の文章は行間に描きがある」とあったが、最初ちょっと分からなかった。
仕事柄、コピーライターと「行間に意味がないね?」なんて会話を若い頃はしたものだが、池波さんの場合は、小説なのでちょっと意味が違う気がしていた。

そんなことを思いながら読み進めていくうちに、TVシリーズは、やはり限られた時間で分かり易く伝えるために、とても説明的で、さらに情緒的な脚本になっていることに気付いた。

そうなのだ。
原作の鬼平は、中村吉右衛門さんの鬼平のように、やさしかったり人情たっぷりの采配を振るったりすることは多くない。
むしろ、もっと怖いし激烈だし、年よりくさく書かれている。

でも、小説を読んでいると「ぐっ」とくるひと言がある。
これがすごい。
平蔵がしゃべっている空気感や情感や音や温度まで伝わる一瞬がある。
細かく書いてないけれど、伝わってくる。

これがおそらく「行間を描いている」ことなのだろう。
それを感じた時に、池波正太郎のすごさを改めて知り、ますますのめり込んで原作の読み返しをしている。

| | コメント (0)

2013年3月18日 (月)

長寿命マンガがなぜ多い

いつの頃からかマンガを全く読まなくなった。Tyojuanime_2
理由は、江戸時代小説の文庫本ばかりを読むようになったことが大きい。
以前は結構読んでいたし、シリーズとして買い揃えていたりもした。

私が小学校の頃、楽しみにしていたマンガで今でも有名なものはたくさんある。
「巨人の星」
「あしたのジョー」
「天才バカボン」

などなど。

その中の「巨人の星」「あしたのジョー」がコミックで全巻持っていた時がある。
度重なる引っ越しなどで傷んで、最後は捨ててしまったが、TVアニメにもなったこの超有名な2作品は、コミックで何巻だったか?
実は20巻前後なのだ。

あれは子供だったからだろうか?
それらの「最終回」を迎えると、長い長い物語を読み終えた感が強かったことを覚えている。

じゃ、今のマンガはどうか?
読んでないけれど知っていたり、途中まで読んでいるものを挙げてみる。
「こちら葛飾区亀有公園前派出所(通称:こち亀)」
「美味しんぼ」
「はじめの一歩」
「名探偵コナン」
「ワンピース」

多くは170巻、少ないモノでも70巻程度発刊されている。

いったいいつからこんなに長寿なマンガが増えたのだろう?
アニメ化やキャラクター販売や、きっといろんなものが絡んでいるんだろう。

長寿マンガが増えたから、新しいマンガが誕生していないか?と言えば、そうでもないようだ。
今のドラマの原作は、マンガから来ていることは有名だ。
じゃ、なんだろう?
やっぱりビジネスとか、いろんな権利とかあるんだろうか?
マンガ家本人は嫌になっていないんだろうか?

かなりどうでも良い話だが、今回挙げた長寿マンガのタイトルを聞くたびに思う疑問だ。

| | コメント (0)

2013年2月12日 (火)

作家の読み頃

前回の話に少し関連している。
どこが関連しているかと言うと「フィットする時」という点だ。
Eiza
どうも私は「世間で売れているから」とか「話題になっているから」といった理由で音楽を聞いたり、本を読んだりしない傾向がある。
若い頃はそうでもなく「新しい音楽」なんてものに飛びついていた時期があるが、今はすっかり「自分のフィット感」を最優先するようになっている。

このブログの最初の頃には、「読んでいる本」とか「好きな作家」の話題を紹介していた。
最近はすっかり話題にしていないが、相変わらず江戸時代小説を中心に読み漁っている。

最近お気に入りなのは「岡本さとる」という人だ。
プロフィールを読むと、いくつかの時代劇の脚本家を経て、作家になったようで、私より少し若い。
今のところ「取次屋栄三」「剣客太平記」の2本しか文庫として出ていないようだが、新刊を結構楽しみにしている。

脚本家だったせいか江戸時代小説のツボを心得ていて、主人公とその周辺の心優しいレギュラーたちを中心に話をすすめ、時に「ほろり」とする場面に出会う。

そんな中「作家の読み頃」と言うことを最近感じる。
名前を出すのはいけないのかわからないけれど、最近の「宮部みゆき」「平岩弓枝」あたりは、読めなくなっている。
これはこの人たちの作品の質が悪くなっているというより、私が求めている感覚とのズレが出てきているのだろう。

「藤沢周平」もそうだ。
彼の作品はあまりたくさん読んでいないけれど、それでも「ワクワクしながら」読める作品と「ちょっと辛かったなぁ」という作品がある。
面白いことに長編シリーズ、例えば「鬼平犯科帳」「御宿かわせみ」「剣客商売」などは、その作家が乗っているせいか、とても躍動感ある内容が多い。

同じシリーズでも「新・御宿かわせみ」は、ちょっと辛くなってきている(これは、設定の問題もあるけれど)。
いずれにせよ自分にとっての「読み頃の作家」に出会うことも本を読む楽しみともいえる。

| | コメント (0)

2011年12月19日 (月)

Favorites63 今昔散歩

今年の秋に出かけた「江戸の旅」「再び鬼平ロケ地巡り」などで、ちょくちょくiPhoneの便利さを書いているが、実は最近までブログに書かなかった新しい江戸時代小説の楽しみ方をiPhoneで行っている。Konjaku

「今昔散歩」というiPhoneアプリがある。
東京限定の地図なのだが、「現代」「明治」「江戸」の3時代が分かるアプリだ。
調べてみたら2007年の2月に「古地図の楽しさ」で書いてあるが、あの時はPCがないとダメなのが、今回はiPhoneで持ち歩けることが素晴らしい。
余談だが、こうやって過去に書いたことを調べられるのもブログのメリットだなぁ。

例えば東京に出張に行く。
そして現代の地図で位置を確認してから、江戸時代に切り替える。
そうすると
「おお、江戸時代からこの道はあったのか」とか「この辺りは武家屋敷だったんだな」なんて、一人で悦にいって歩くことが出来る。

本来は、この楽しみ方が開発者の狙いなのだろうが、最近私は、もう1つ違う楽しみ方をしている。
江戸時代小説を読みながら、地名や道順が出てくる。
それをこのアプリで江戸時代地図を見ながら、位置や道順を確認する。
ありがたいことに、現代の地図に切り替えられるので、かなりリアルに距離感が分かる。

例えば「芝七軒町から大門通りを東海道に向かい、そこから露月町、源助橋を渡り、芝口まで一気に走る」なんて文章を地図を見ながら読む。
そして現代の地図に切り替えると「あら、東京メトロの駅がある」「今は、新橋駅なのか」などと思いながら、また本を読む。

世の中が進んでデジタル化されることで、クリエイターの質が下がることをこのブログでは良く書くが、これは進化して生み出された新しい楽しみ方だ。
そして、このアプリ。iPhone版は無料だということが一番うれしい。

| | コメント (0)

2010年4月 2日 (金)

時代小説に埋もれて

このブログの2008年では、時々「時代小説」の話題を出していた。
一番最後が「Favorites44 居眠り磐音 江戸双紙」だった(気がする)。
じゃ、今は何読んでいるか?

相変わらず「時代小説」なのである。
しかも、「Favorites44 居眠り磐音 江戸双紙」に書いたように、ウチの兄貴も「時代小説」を読むようになり、「これ面白かったぞ」などの情報交換するので、益々イロイロ読むようになった。

Tumakunoiti

兄貴に教えられて、一気に読んだのは先に挙げた「佐伯泰英」の「居眠り磐音 江戸双紙」
続いて、これも兄貴が「面白かった」と言われて読み始めたのは、同じ作者の「鎌倉河岸捕物控」
2作品ともまだまだ終わっていないので、新刊が出るたびに読んでいる。

以前紹介した「Favorites43 梟与力吟味帳」の最近作は、現代の事件とリンクしているような話が出て来て、ちょっと疲れてしまって来ている。

最近面白いと思っているのは「風野真知雄」の作品だ。
彼の作品は以前「耳袋秘帖」を1巻だけ読んだが、ちょっとピンと来なかった(最近読み返したら、面白かったのだが・・・)。
だから、しばらく手にしてなかったのだが、ある時「若さま同心徳川竜之助」を読んだら面白かった。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると「田安徳川家の十一男坊の徳川竜之助が、突然、南町奉行所の同心になりたいと言い出し、名前を福川と名を変え奉行所の同心見習いとしてさまざまな事件を解決する。」というあり得ない設定。
あり得ないのだが、これくらい荒唐無稽だと面白い。

そして一番最近面白がって読んでいるのは、同じく「風野真知雄」「妻は、くノ一」だ。
Amazonでの本の紹介では「平戸藩の御船手方書物天文係の雙星彦馬は、三度の飯より星が好きという藩きっての変わり者。そんな彦馬のもとに上司の紹介で美しい嫁・織江がやってきた。 彦馬は生涯大切にすることを心に誓うが、わずかひと月で新妻は失踪してしまう。じつは織江は、平戸藩の密貿易を怪しんだ幕府が送り込んだくノ一だった。そ うとは知らず妻を捜しに江戸へ赴く彦馬だったが…。」となって、もう「何でもあり」状態。
でも、面白い。
なんて言ったって、主人公の名前が「彦馬と織江」。そして「天文係」
そう「彦星と織り姫星」の江戸時代小説だ。
ある書評では「くノ一たちの生活が、OLみたいで面白い」とあるが、確かに仲の良い「くノ一」同士で、居酒屋で「今度のお役目は、どうだった?」なんて話すシーンがある。

昔は司馬遼太郎氏の大ファンで、あまりに荒唐無稽の時代小説は毛嫌いしていたが、今じゃ正反対。
「いろんな方角から「江戸時代」を感じられればいいんじゃない?」
と適当に正当化して思っているこの頃だ。

| | コメント (0)