2009年10月23日 (金)

お行儀が悪くなっている

いつものように変なタイトルだが、これは個人のことじゃなくって「企業」のことだ。

「プレゼンに勝つには」の記事を書いたあと、ある大学の「大学案内」のプレゼンがあった。
ずいぶん長くこの商売をしているので、多少なりともプレゼンには自信があったが、この時は全く失敗した。

失敗は「内容」でなく「時間配分」
「プレゼンは説明25分、質疑応答5分」と聞いてはいたが、実際行ってみると「残り1分になったらベルを鳴らしますから、まとめて終わってください」とキッチリ時間を計られた。
Purezen10_23
だから、結構早口で話してしまい、しかも「時間切れ」という最悪の終わり方で凹んでしまったのだが、その後の「質疑応答」から個人的には嫌な感じを受け始めた。
それは顧客側の「審査してやる」的な態度だ。
確かにプレゼンには時間制限も必要だけれど、ベルを鳴らして切るほどキッチリやる意味が分からない。
「この業社は、どんなことを考えて来てくれたんだろう」と思って聞きたいものじゃないんだろうか?

プレゼンは、ある条件の中で検討し、企画し、提案するものだが「テストの審査」みたいは視線と態度で聞かれると
「受注後、この人たちと一緒に仕事できるんだろうか?」
と言う気持ちになってしまう。
幸いと言うべきか、このプレゼンは不採用だったのだが・・・・

このプレゼンは「大学」だったせいかもしれないが、最近は一般の企業でもそんな感じを受ける。
「プレゼンに勝つには」で書いたように「仕事の取り合い」になっている影響で、プレゼンを受ける側の企業は
「どんな提案してくれんだい?」
とエラく高飛車で上から目線でモノを言う事が増えている。

私たちから見ると「お客様がまずどうしたいのか?」という点が最も重要だと思うのだが、最近のクライアントは「何でも良いので提案してくれ」と言い、制作時点でも「そっちで考えてくれ」という。
その企業の「発行物」なのにである。

昔はそんなことは感じなかったのだが、どうも最近はお客である企業の「お行儀」が悪い事が多い気がする。
「制作データは使用権を全部放棄しろ」
「そっちの責任で処理しろ」

など、とてもパートナーという感覚ではない。

確かに制作側の質も低くなっている気がするが、客側のお行儀も悪くなっているから、どっちもどっちなのかもしれない。
私が若い時には
「企業担当者と、一緒に汗水たらして頑張る」
だったけれど、もうそんな時代じゃないのかもしれないな。

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2009年10月15日 (木)

鈍感力の必要性

このブログは2006年に始まっている。
ブログを書き始めて感じる事は数多いが、「感受性」という言葉が何度か登場し、私自身にとって重要な事柄なのだと認識するようになった。

「感受性」が強いと言う事は、通常仕事ではとても良い事だと思っている。
多くの仕事は、お客さんや上司や、何らかの形で「人」と関わり合う事で成立しており、その関係をスムーズに行うには「感受性」は大切だと思っている。
Donkan
ことに顧客に対する「感受性」は、ニーズと言うリクエストに、どれだけ「近づけて提供出来るか?」という使命に最重要な要素だと思っている。
30代の半ばを過ぎた頃、私自身「人より少し感受性が強いかも」と思い始めた(周辺の人は、若い頃から言ってくれていたが・・・・)。
このことについては、とても仕事に役立っているので「ありがたい」事だと思っているが、反面「人付き合い」に疲れるという部分もある。
意識しなくても「感受性」のアンテナを張ってしまうために、友人といても楽しいけれど疲れると言う困った出来事が起きる。
だから、私自身かなり限られた友人でないと、あまり気軽に会わない。

最近、この「感受性」が邪魔しているなと思う事がある。
それは「部下」への関心だ。
直属の部下の「やる気」「仕事の取り組み方」に対して敏感に反応しすぎる気がしている。
まして、課長が率いるデザイングループの中の、ぎくしゃくした感じまでも、課員同士の「愚痴」から感じてしまうと、困ってしまう。

だから、ちょっと口を出してしまう事があるのだが、「これって本当に良いことなのだろうか?」と最近は思い始めている。
「現場の悩みを分からない上司」
こういうのは、良く部下同士の「上司への不満」に出てくるのだが、「敏感に反応して口を出す上司」ってのはどうなんだろう?

思いかえせば、自分自身が若かった頃に、あまりに自分たちの感覚に敏感な上司なんてあった事がない。
そしてもしもそんな上司がいたら、却って気軽にいろいろ話せなくなってしまう気がする(根拠はないが)。

だから、最近は少し「鈍感力」を磨かないといけないと思い始めている。
「そうそう、自分たちで悩めばいいよ」
と見て見ぬ振りが出来る「鈍感力」っていうものも「管理職」には必要なのではないかと、思うのである。
とはいえ、クリエイターとしては「感受性」を保ちながら「鈍感力」を磨くと言うのは、これまた難しいものだと思っている。

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2009年10月 7日 (水)

プレゼンで勝つには

今、印刷業界はかなり辛い。
昨年、大手企業の不景気は大々的にニュースになり、今年になって少し持ち直した感があると言われている。
しかし、印刷業界は今年度が非常に辛い。
バブルの時にも「タイムラグ」があった印刷業界だが、今回も同じだ。
今、どの企業も「予算縮小」になっており、新しい印刷物は作らないし、作っても、ものすごい低予算でないとやらない。

Purezen

先日も、ある大学の「大学案内」のプレゼン説明会があった。
行ってみたら「一次書類審査」で、しかも参加業者が16社!
ながくこの仕事をしているが、こんなに業者が群がってくるのは初めて見た。
何とかこの書類審査はクリアし、残り3社にとして現在プレゼン制作中だ。

昨年度は「社内報」とか「社会環境報告書」などでの競合プレゼンでは結構勝てた。
なかには「なんで勝てたんだろう??」というのもあったが、とにかく勝てている事は良い事だ。
しかし、今年度になってから勝てていない。

春先にあった「社会環境報告書」は3社のガチンコだったが負けた。
プレゼンでの反応は、悪くはなかったが負けた。
原因としては「デザイン点」が低かったらしい。
私たちに説明してくれた顧客側担当者は「今のデザインは評判良いから」と言っていたので、同じテイストにしたのに「低い」評価だった。

また先日、先に挙げた大学とは違う大学の「大学案内」のプレゼンにも負けた。
ここは人脈があり、3年ほど前からアプローチし、やっとプレゼン参加出来たばかりだった。5社のプレゼンで最終2社にも残れず敗退した。

敗因を営業に聞いて来てもらったが「もっと方向転換したかった」のだそうだ。
その大学は「医療系」で「4年生」だ。
いくら「定員割れ」しそうだとは言え、あまり「専門学校風」に軽くなるのはやめ「もう少し高いレベル風を目指そうと言う戦略だったが、ニーズは真逆だった。

人脈というのは、この学校の事務長で、その人は「あまり低い偏差値にしたくない」と言っていたので、我が社は「上を目指す」戦略にしたが、やはり採点方式で他の職員は「目新しさ」を選んだようなのである。
「4年制の医療系大学が、専門学校みたいになって良いんだろうか?」
と個人的には疑問に思うが、負けた事に変わりなく「負け犬の遠吠え」になる。

他にも今年度はプレゼンに負けており、この苦しい中、辛い。
「こうすれば勝てる」
そんなプレゼンはない。よくプレゼンの時に「PCを使いますか?」と聞かれるが、私は「企画は考え方をどう伝えるか?」に重きを置きたいので、「PC」などの小手先のモノには依存しないことにしている。

でも、その方がプレゼンに勝てるのなら、「PC」を使うのも悪くない。
いずれにしても「絶対にプレゼンに勝てる」方法は、やはりないのである。

「他社より調べ、他社より優れ、他社にない提案が適正のコストで提供される。」
勝てるとしたら、これしかないのである。
先日の、オリンピック東京誘致で負けた時に言われた「必然性」
「なぜ、我が社の提案でなくてはならないのか?」
を説明し切った業者だけが勝てるのではないだろうか?

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2009年9月28日 (月)

この仕事の魅力 その3=能力のミックスアップ

今回の言葉「ミックスアップ」は、ある漫画からの流用だ。
その漫画のアニメ画像が掲載しているが、内容とは一切関係ない。

この漫画は「はじめの一歩」というボクシング漫画なのだが、要は強敵と戦って、戦ううちにお互いに力を高め合っている状態を「ミックスアップ」と言ってるわけだ。

こんな「激闘」じゃないけれど、このシリーズの最後に「これは楽しい」と思ったことが、まさに「ミックスアップ」だったために、こんなタイトルにした。
Mixup

前回の「今まで経験したお客様企業の種類」の中に「建材メーカー」というのがあった。
毎年数百ページのカタログを制作するのだが、新商品が出るために撮影しなくちゃいけない。
その商品が「内装建材」
玄関収納庫、ドア、リビングボード、床材などなど、家の中のもののラインナップがズラリとある。

こういうものの撮影だと、大きなスタジオに「リビング」とか「玄関」を造るわけ。

そうドラマの撮影みたいに。
でかいです。
セット組だけで1日。
ライティングで2時間。
朝から夜中までやっても20カットも撮影できない。

でも、この仕事をやるには、それぞれのスペシャリストが勢揃いしないと良い写真は撮影できない。

まず、家を予算内で組んでくれる業社。(大工さんも含めて)
カメラマン。これが普通のカメラマンじゃ出来ない。スタジオで大きなセットを撮影できるカメラマンが必要。
これはライティングの計算が出来ないとダメで、そういう分野は素人の我々は手伝えない。

それに、スタイリスト。小物をセンス良く配置したり、玄関マットをセットしたり、壁に絵画を飾ったり。
ほんのちょっとした位置の違いで、写真の内容が変わる。

そしてモデルを使うなら、良いモデル
いろんな表情、いろんなポーズ、こちらの意図している事を上手にキャッチして、自分からポージングをしてくれるような良いモデル。

他にも、ヘイメイクフェイスメイクや・・・・
とにかく予算さえ許せば、それぞれの分野の良いスタッフを揃えると、もう自分がイメージしていた以上の写真が出来る。

これを初めて経験した時には「すごいな〜〜〜、こんな良い写真になるんだぁ」と自分がディレクションしていながら、驚いたものだ。
ただ、今は予算も厳しいし、何でもデジタル合成になって安直になってしまっているので、私のような経験は出来ないかもしれない。

けれど、あの時の驚きはやっぱりこの仕事の大きな魅力です。

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2009年9月24日 (木)

この仕事の魅力 その2=異業種の話

前回の続きには違いないけれど、話の内容も、もの凄く関係している。
当たり前だけれど、私たちのお客様は、自分たちとは違う業界の企業だ。
印刷会社や制作会社が、カタログや広報物を競合会社に依頼するわけないからね。

例えば、私が経験したお客様の企業の種類はこんな感じである。
制作物がチラシの場合
◎クルマのディーラー(販売店)
◎人形販売店
◎スポーツ販売店
◎アパレル問屋
◎家電量販店
◎大手マンション販売代理店

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制作物がカタログや広報物の場合
◎クルマの製造メーカー
◎クルマの部品メーカー
◎建材メーカー
◎半導体製造企業
◎百貨店
◎塾企業や専門学校
◎建設企業
◎銀行系企業
◎ギフト系企業
◎その他多くの製造系企業

ざっと思い出しただけで、これだけある。
これは勤務した会社の客筋に左右されるのだが、とにかく多い。そして今の会社の客筋が、いわゆる「メーカー系企業」が多く、割と大手だ。

だから、かなりシークレットな話を聞いたり見たりする。
そんな中でも面白いのは、やっぱり技術系の社員の話。
若い時には「デザイナーなんて、何にも分からずに奇麗に並べているだけだろう!」と、お客様の技術系社員の方に罵倒された事もあった。
でも、「我々は、こういう考えで、計算して並べているんですよ」と話すと、元々は職人の延長上の人たちだから、ガラッと態度が変わる。
とても仲良くさせてもらったり、「おい、こんな話もあるぞ」と取材とは関係なく面白い話を聞かせてもらったりもする。

とにかく、これも普通の企業で普通の仕事に就いていたら経験できなかった楽しさである。
「人と仕事への好奇心」
異業種の人に会う度に、私の心の中のどこかが刺激されるのである。

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2009年9月18日 (金)

この仕事の魅力 その1=取材の楽しさ

前回の「サラリーマンとフリーランス」で、私が会社勤めを続けている理由を書いた。
もう一歩後に下がって「何で、この仕事を続けているのか?」ということについて、今回から3回に分けて書いてみようと思う。

私は、高校を出たとき今の言葉で言うと「フリーター」だった。
ちゃんと新卒で企業に就職しなかった(というか出来なかった)。
「自分がやりたい仕事」が分からずに、バイトを含め転職を繰り返し、やっと今の仕事に辿り着いた。
余談だが、その「ふらふら」していた時期に「揚巻さん」「額縁屋さん」と知り合った。
だから、彼らの前で「仕事とは」なんてエラそうに言うと、ちょっと恥ずかしい。
Syuzai
さて、本題に戻る。
やっと辿り着いてデザイナーになっても、やってもやっても自分自身に「100点満点」のデザインは出来なかった。
だから結構飽きっぽいのに、この仕事は続いた。
そしてアートディレクターとかプランナーとか、仕事のステージは少しずつ変わっていっても「100点満点」の仕事を味わっていない。
だから、今でも「今度こそは」と思いながら、仕事をしている。

そんな仕事だけれど、「苦しい」ばかりじゃない。
特に顧客側の要望や必要性に応じて「取材」があると、楽しい。
これは私自身がコピーライターじゃないので、気楽に「楽しい」と言っているのだが、とにかくこの仕事をしていないと、絶対会ったり聞いたりできない事に触れられるのは嬉しい(こばちさん、お気軽な事言ってゴメンネ)。

「へぇ〜〜〜」とか「ほぉ〜〜〜」とか、時には「そうそう!」とか。

本当はコピーライターの補佐として、上手に聞き出さなくっちゃいけないのに、ついつい脱線してしまう事が多い。

けれど、ただただ聞き役に回らずに、「ボクだとこんな風に感じますけれど」なんて合いの手を入れて、乗ってくれる人だと「もっともっと」話してくれる。
普通は1時間くらいの限られた時間なんだけれど、その短い時間の濃密さは普通じゃ考えられないくらい濃い。(事実、結構クタクタになるくらい集中している)

最後に取材で「ほぉ〜〜〜〜」と思った話を。
大阪のある「分析系企業」の会社案内を制作し、その社長にお話を聞いた。
分析の種類がいくつかあって、その中に「表面分析」とあったので、そのことを聞いた。
私たちは、普通の「表面の形状や様子」と言う意味かと思っていたら、次のような答えが返って来て、ぶっ飛んだ。

「いや、分析物の分子の一列目を解析するんです」

「分子の一列目って!」
こんな話を聞けるから、取材は面白い。

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2009年9月16日 (水)

サラリーマンとフリーランス

「サラリ〜〜マンは〜〜〜♫ 気楽な稼業ときたもんだ♪」

この唄が分かる人は、ものすごい「昭和!」の人間です。
Sarariman
何度も恐縮だが、私は印刷系企業でプランニングを中心に業務しているサラリーマンだ。
元はグラフィックデザイナーだったのだが、この種の職業の場合、途中で「フリーランス」になる人と、そのまま会社勤めの人と半々くらいに分かれる。
もちろん、私にも「フリーランス」になるタイミングの時があった。
30代の半ばだ。

しかし、ちょうどその時期に「離婚」というプライベートな事件と「デジタル化」という大きな業界変化の波が重なっていた。
だから、「フリーランス」でなく「転職」という手段でスキルアップを目指した。

冒頭の歌のようにサラリーマンは「気楽か?」と言えば、そうじゃない。
確かに収入はある程度確保されているが、今のような混沌とした時代では、「気楽」と言えるほど確保されていない。
時間に縛られ、会社からの要求もキツくなり、年々「気楽」から遠のいている気がする。

じゃ「フリーランス」の方がいいのか?
となると、これがまた問題なのである。
確かに収入の不安感は多いが、時間の自由度は遥かにあるし、何より企業内人間関係のストレスがない。
しかし、私は今のところ「フリーランス」に魅力を感じていない。

それは「市場変化の激しさ」が身に沁みているからだ。
サラリーマンだからこそISOやプライバシー、リスクマネジメント、知的財産権などなどビジネス的な局面に触れる事が出来、かる学ぶ事が出来ている。
しかし「フリーランス」にはその機会は極めて少ない。

以前、小さな制作会社の社長が「顧客から言われて個人情報管理体制を作らないと」と言って勉強していた。
ご本人は簡単そうに思っていたようだが「文書化」「記録管理」「社員教育」「トレーサビリティ」などなどの話をしたら、驚いていた。

そうやはり「フリーランス」の人では「情報収集力」「展開力」「吸収力」など、圧倒的に企業に対しては不利なのである。
だから、向いていないと分かっていながら、50代になってもサラリーマンを続けているのである。

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2009年9月14日 (月)

「分かっていない」ことが「分かっていない」 その3=見える化

今回の「見える化」は、実は私も自信がない。
よく大企業の人たちの話の中やビジネスセミナーなんかに「見える化」というワードが出て来る。
ここからは私なりの理解なので、違っているかもしれない・・・・

「問題」「要因」「結果」などをちゃんと「見える化」していないと真の解決方法が導きだせない。
Mieruka
そんな風に理解しているが、どうも顧客である企業の人と話していると「いかに見える化するか?」に苦労しているよう見える。
そんな人たちと話しながら
「見える化した後、どうするんだろう?」
なんて心の中で思っている。
これもよくある話で「目的」を見失って「手段」に一生懸命になる状態だ。

クリエイターなんてヨコ文字で言っているけれど、私たちの世界は「職人」と同じで、圧倒的に「経験値」がモノを言う。
そして「見える化」のようなビジネス解決展開は、とっても苦手な人間が多く、ある意味「カン」に頼って仕事をする事がある。

日本人ってのは「職人」に憧れる面があり(と私は思ってる)、「経験とコツ」を重要と思って来た。
その反動として「ビジネス展開」なんて言われると「ほぉ〜〜〜〜」とまた羨望の眼差しで聞き耳を立てる。

そしてその「手法」や「手段」がまた目新しくて「ほぉ〜〜〜」となり、本来の「目的」を見失いがちになる。
ほとんど勝手な思い込みだけれど、多くの人はこんな思考回路になっているんじゃないだろうか?

そして何となく「見える化」を理解した気分になっているのである。
そうでないと、昔から「見える化」が何度も何度もいろんな場面で話題にならない気がする。
やっぱり「分かっていない」ことが分かっていないのではないだろうか?

そう、今回3回のテーマは、かのソクラテスが言った「無知の知」なのだが、この古い言葉は今でも充分に「深いワード」と言えるだろう。

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2009年9月11日 (金)

「分かっていない」ことが「分かっていない」 その2=情報収集

今回の「情報収集」は部下の姿から感じる事。
7月に「が〜〜っかりの新人」で登場した2年目の社員。
彼が、またネタになるようなことをやってくれた。

相変わらず自主提案として「ノベルティ」をやらせているのだが、活動前に自分から担当営業に連絡して打ち合わせをしていた。
そこまでは、よい。
Jouhouyusyu
その後「こういうふうに打ち合わせして、こういう段取りで進めます」と私に報告に来た。
これも、まぁいい。
見せてもらったターゲット企業名を見たら「何やっている企業だろう?」と思った(企業名だけじゃ、何屋さんなのか分からない名前多いからね)。
そこで、彼に「これは、どんな企業なの?」と聞いたら「○○系企業の・・・」と説明しだした。
「そうじゃなくって、どんな事業してるの?」
と聞き返すと・・・・黙った。
よくよく聞いてみると自分で調べてないんだそうだ。
営業がくれた資料しか、知らないらしい。

マーケティングでも企画でも、何でもまずは「情報収集」なんじゃないのかな?
そして「情報収集」って、まず自分で調べる事が最初なんじゃないだろうか?

そういうと彼は黙っていた。
どうも彼らの「情報収集」「人に聞く」ことのようなのである。
彼は「企画」に興味があって大学に行き、そして我が社に入社して来た事は何度も書いた。
でも「情報収集」の本来の活動が分かっていない。

おかげで、そこから教えるはめになった。
しばらくすると教えた通りの「情報」を持って来たけれど、そこから「何が掴めた?」と聞くと、「これくらいの企業規模で、売上が・・」
それは「情報」として整理してあるから分かるけれど、「そこから何を感じた?」と聞くと、またモゴモゴ。

どうも「情報収集」の本来の活動とその目的を理解していないのである。
でも、彼は企画や提案には「情報収集」は必須と思っているのである。

「分かっていない」ことが分かっていないのである。

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2009年9月 7日 (月)

「分かっていない」ことが「分かっていない」 その1=改善と改革

今回から3回に分けて、同じテーマのネタにした。
タイトルはいつものように変なのだが、要は「分かっていない」ということが「分かっていない」(そのまんまじゃん!)状態の話だ。
「????」と言う方は、ちょっと気長に付き合ってください。そのうちに分かると思います。
Kaizenkaikaku
いつものようにこのネタのきっかけは、仕事と会社絡みだ。
その1回目として「改善と改革」を題材にした。
実は、同じようなテーマで、別々の会社の社内報で特集として組まれたために,今回ネタにさせてもらった。

市場の急激な変化のおかげで、あらゆる企業が苦しんでいる。
そんな時に、ある程度の規模の企業ってのは、よく「効率化」とか「改善」とか言う言葉が飛び交う(もちろんウチの会社も)。

ところが、意外と「言葉」の上っ面だけってことが多いのだ。
実は「改革」をテーマにある企業の社内報特集が検討され、編集会議に出た。
顧客側の担当者が一生懸命、その主旨を説明した後、上司である部長が「よく分からんけれど、具体的にどうなるんだ?」と質問した。
で、また担当者は一生懸命説明していたが、途中で部長が「君の言っているのは『改善』で『改革』じゃないんだよ」とバッサリ。

まさに担当者自体が「分かっていない」ことが分かっていなかったのである。
そして、最近同じような特集を検討している違う企業の相談にのった。
やっぱり「改善」と「改革」がキチンと社員に理解されているんだろうか?と感じながら話を聞いた。

「改善=現状を良しとして、より良くする事」
「改革=モノゴトの根本から見直す事」

と顧客担当者の資料には書かれているけれど、「実感」として掴めている人って、どれくらいいるんだろう。

世の中「分かっているつもり」で言葉を使っている事があるけれど、案外「分かっていない事」ってあるんじゃないかな?
こんなに混沌とした時代だからこそ、キチンと「つもり」じゃなく詰めていく事が大事なんじゃないんだろうか?

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2009年8月24日 (月)

「ゴール」の位置

常々思っていたことだが、いくつかの条件が重なって記事にすることにした。
実は良く言われる言葉なんだが、自分たちの周りことに置き換えて観察してみると「うんうん!」と思うことがある。

「ゴール」の位置

Golnoiti
例えば、政治家。
「当選」することが「ゴール」だと思っている政治家は、議員になっても特に目立った活動をしない気がする。
かなり前に「議員の感覚その2」で書いたように、近くの人が「次の選挙を勝つことしか考えていない」と思うんだから、少なくとも国会議員のほとんどは「当選すること」がゴールの位置になっているんだろう。

例えば、アスリート。
これは「レベル差」があるから、やじ馬的に書いてはいけないけれど「オリンピックに出場」することがゴールだと思っている人がいる。
「出場が目標でした」
こんなコメントをインタビューで言われると「じゃ、メダルは無理なんだな」と思ってしまう。
F1も同じ。「F1ドライバーになる」がゴールの日本人ドライバーは、やっぱりなかなか勝てない。

さて、ここからは身近な状況編。
「デザイナーになるのが夢でした」
「コピーライターになりたかったんです」
「プランニングの仕事に携わりたかった」

皆こう言って面接で話してくれる。
彼らのゴールは「制作会社に入社」することになっている。
そして名刺に「デザイナー」「コピーライター」「プランナー」と書いてあると「ゴール到着」になっている気がする。
実は、そこは「スタート地点」に立っているだけなのに。
そして、そこから本当に死にものぐるいで努力して、頑張らないと本当に「ゴール地点」には近づかないのに。

私は紆余曲折してデザイナーになったから、会社に入った時に「やっとスタート地点に辿り着いた」と思った。
そして50歳を過ぎたけれど「ゴール地点」は、まだまだ見えない。
というより、年々遠ざかっていく気がする。
20代や30代で「ゴール」に辿り着いた気持ちになるなんて、ずいぶん小さな夢を今の若者は持っているんだと思う。

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2009年8月 3日 (月)

「モノづくり」の裏側で

このブログは2006年1月に開設した。
すでに3年半以上、記事数は600を超えている。
こうなってくると「前もこの話題について書いたような?」と思うことがある。
だから作成の前に検索して確認するのだが、今回は確認できなかった。
ということで「えっ、何か前にも似たような話が」と思うかもしれませんが勘弁してください。

さて、私の住む地方は世界的な自動車メーカーが近くにある「モノづくりの地方」と言われている。
だから「モノを創る職人」と言う人を大切にする風潮が、多分他の地区より強いかもしれない。

そして私は「グラフィックデザイン」の世界で30年近く働いており、私自身は「モノづくり」の人間だと思っている。
が、しかし何故かこの国では「デザイン」とか「企画」「モノ」として捉えてくれない。
Monoura

若い頃に一番傷ついた顧客の言葉。
「考えるのはタダだろう?」
『じゃ、おめぇがやれよな!!』
そう心の中で呟いたし、ある年齢になったら、そのようなことを言って来る顧客には「これが私の商売ですから、タダには出来ませんよ」と毅然と言うようになった。
でも、未だに「案」とか「アイディア」とかを「モノづくり」と認識できない人間が多い。

例えばウチの兄貴は建築設計士だ。
やってることは、家を創っているのではなく、図面を書いているのだ。
これももちろん「モノづくり」でお金をもらないと出来ない。
そんな兄貴でも「企画に対するコスト」は理解が薄い。

「アイディア」をタダと言う人の理屈だと、ウチの兄貴は図面を書いても書いても収入を得られなくなる。
だから気軽に「ちょっと何か考えてくれない」とか「何かアイディアない?」と相談されても困るのである。
私たちは、それでお金をもらっているのだから。
顧客に言われて困る場合もあるが、親しい人に言われるのは、もっと困る。
だから、私は若い時の経験を話してあげる。

お互いに遠慮して頼んだり頼まれたりするのは嫌だから、小額でも良いので、ちゃんとお金のやり取りをして相談しよう・・・と。

これは若い時に、友人の店のロゴや袋のデザインを依頼された時に、友人から言い出してくれたことだ。
スゴくありがたかったし、嬉しかった。
だから、私は今でも友人の気軽な依頼には、この言葉を返すようにしている。

僕らも「モノづくり」のプロなのだから・・・・

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2009年7月13日 (月)

やれないままでいいのかな?

いつもは「どんな記事だっけ?」と思ってバックナンバーを調べてから書くのだが、沢山あり過ぎたので辞めた。
何の話しかと言うと「会社」の話だ。

このブログには「会社」の話がよく出て来る。
その多くは中間管理職の私の愚痴だ。
読んでいる人には迷惑だろうが、会社で言えないし、酒が飲めないので飲んで憂さを晴らすことも出来ないので、せめてブログで愚痴ろうとしている。

今じゃ、昔からの友人や縁あって知り合った人が、このブログに訪れてくれるので「愚痴ばっかりじゃ」と思うこともある。
でも、あんまり心に貯めると「ロクなこと」にならないので、こうして相変わらずちょくちょく愚痴っている。
Yatte
今日の愚痴は次の世代に向けてだ。
言い方を変えると「最近の若いもんは」になるのだが、それじゃ本当に愚痴になってしまうので、ちょっとだけ変えた。

私はデザイナーとしては稀なのかもしれないが、「チラシ」「製品カタログ」「会社案内/学校案内」「社内報」も、とにかく結構幅広い仕事をして来た。

特に「チラシ」の世界とその他ツールの世界は、デザインも時間も品質も違っているので、「両方出来る」人は少ない(ように思う)。
いくつかの転職がそうさせているし、たまたま幅広い仕事が出来るところに勤めているというものある。
ただし、それなりの「努力」は必要になる。

しかしだ。
今のデザイン課の課長は「ギフトカタログ」は上手にこなすけれど、それ以外はからっきしだ。
私がデザイン課を離れる時に
「このままじゃ、対応できる範囲が狭すぎるから広げる努力をしろ」

と忠告したが、その後10年。
周りから良いように使われたこともあって、相変わらず「ギフト系」以外は無理な状態だ。
彼もすでに40代半ば。
とてもこれからのジャンプアップは望めないので、自然に「その次の世代」に焦点が当たる。

これがまた「がめつくデザインを学んでやるぞ!」ってのが居ない。
「なんでなんだろう」

ちょっと前に「モノづくりの代弁者」で発注者の熱意について書いたが、実は制作者にも熱意がない。

「やったことない」
「わかりません」
「知りません」

せっかく縁があって「デザイン」っていう世界に飛び込んだのに、会社来て、Macintoshの前に座っていれば力が作ってモンじゃないぞ!

そう叫びたいけれど、それも大人げない。
でも、このまま「出来ない」まま年齢を重ねていくことに不安はないんだろうか?
「最近の若い奴(!)」を見て、そう思うこの頃だ。

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2009年7月 1日 (水)

が〜〜っかりの新人

もう新人ではないのだが、昨年入社したかなり問題多き男性スタッフの話。

私の部下は、ちょくちょくこのブログに登場する。
(このブログのコンセプトの一部が、「私の愚痴」だからしょうがない)
最初は「頑張れ!新人君」、次は「男女の違い」、そして最後が「無知の知」

最近は登場していないので、順調かと言えば真逆である。
入社2年目となっても相変わらず進歩がない。
何度でも同じ注意を受けるし、1年に散々言われたことも出来ないし、また注意を受ける。

だから本当は「実務」をやらせられるレベルになっていないのだが、2年目になっても社内でコピー取りや研修モドキのことをやっていても仕様がない。
かと言って、まともに実務をやらせると、営業やお客さんに迷惑がかかる。
こう言う場合、我々の仕事は便利で「自主提案」という手段がある。
Gakkari
そこで会議資料から「ノベルティ提案」というものをピックアップし、営業と打合せし、自分で提案まで持っていくように指示した。

2〜3日黙々とやっているが、何の報告も何の相談もない。
打合せをしていた営業に聞くと
「ボクのアプローチしている業社に依頼してたので、それは注意しました」
と教えてくれた。

どうも傍から見てても「?」だな〜〜と思ったので、進捗状況を報告させた。
そうしたら
「要望を業社に連絡して、ノベルティ商品を選択してもらっています」
という。
「何!じゃ、自分で選んでないの?」
と聞くと
「いや、自分でも選んでいます」

う〜〜〜ん、かなりがっかりした。
確かに「業社に選んでもらう」というのは効率はいい。
それは、営業社員なんかはよくやる方法だ。

でも彼は「企画をやりたい」と言って、私の部下になった。
そんな人間が「自分で調べて、自分で考え、自分で商品を選ぶ」ことをしないなんて。

「企画案を考える上で、下調べなどの作業で手を抜くな」
と毎日のように言っているのに、これじゃあダメだ。
本人を目の前に
「かなりがっかりしたよ」
と伝えたけれど、分かっているんだろうか?

彼にとって「企画をやりたい」とは、どんなことだっただろうな。

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2009年6月26日 (金)

ソフトの数

ちょっとマーケティング的なモノの言い方だけれど
「ソフトの力が弱くなった」
と言われて久しい。

私なりの感じ方を一般的な人に伝えやすくするには「テレビ番組」が分かり易い。
「60チャンネルを超えるテレビって」で書いたように、私は昨年末に「スカパー!」を契約することになった。
Soft
これはかなり分かり易いが、もの凄いチャンネル数を誇っているけれど、ソフトとなる番組量が追いつかない。
追いつかないから古い番組を再放送する。
先日など「夜のヒットスタジオ」「ザ・ピーナッツ最後の出演」をやっていた(興味深く見ていたけれど・・・・)

普通の地上波チャンネルでも、同様なことが起きている。
平日の昼だけでなく最近は土日の昼でも、バラエティ系の「再放送」が多くなった。
これらは、いずれも「ソフト数不足」から起きていると私は思っている。
要は
「新しくオリジナル性の高い番組を作る力が無くなって来ている」
または
「メディアの多様化にソフトを作るスピードが追いつかない」
という現象なのである。

「漫画を原作としたドラマ」
「多人数の芸人をひな壇に配置したバラエティ」

最近の番組は、概ねこんな形のものになっている。

テレビ番組よりももっとはっきり分かるのは音楽である。
以前友人がCDショップをしていた頃に言っていた。
「すごくヒットしたアルバム以外は売れなくなった」

今は「すごくヒットした」というアルバム自体が無くなって来てしまった。
そして
「R=35」
に代表されるような「コンピテンシーアルバム」ばっかりになってしまった。

私のような地方の印刷会社に勤めるプランナーでも、この
「ソフト不足」
は悩みのタネである。

そして、たまに出て来る「新しいソフト」をシロアリのように「一瞬に食い尽くす」マスメディアの展開に、「ソフトの時代」が益々遠のくような気がしてならない。

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2009年6月22日 (月)

「モノづくり」の代弁者

この記事は、最近縁あって知り合うことが出来た「こばちさん(ブログはこばちの取材の寄り道)の中で「モノのカタチ」という記事を読んだ時に感じた感想だ。

本当は彼女のブログへのコメントにした方がいいのかもしれないが、かなり長くなりそうなので、記事にさせてもらった。
(こばちさん、「ネタきっかけ」ありがとう!)
Daibensya
私は20代半ばで、デザインと言う業界に入った。
その頃と今とではいったい何が違うのだろう。
それは「発注者の熱意」だと思う。

昔、企業の「広報」という部署は「社内で使えない奴」とか「ちょっと変人」みたいな人が多かった(印象ですが)。
だから我々制作者側が一生懸命面倒見たり、ちょっと変わった依頼があったりもした。
けれど「熱意」は、今の時代に比べると遥かにあった。

制作者もそうだけれど、発注者も「いいものを創りたい」と気持ちがあった。
しかし残念ながら、今の発注者には「熱意」はあまりない。

「上層部にどう報告しようか?」
「社内でどうやって決済してもらおうか?」

そんなことばっかり考えて打合せに参加して来る。
そして「どんなものを創りたいか?」という重要な部分を、我々外部の人間に「ぜ〜〜〜んぶ」任せてしまう。
これじゃ、「いいもの」は創れない。

「なぜか?」

我々クリエイターは、「発注者」「作り手」の代弁者だからだ。
「熱意のない発注者や作り手」では、代弁のしようがない。
だから、適当に手を抜く(抜かざるを得ない)。
そして「良いもの」は出来ないのである。

最初の話に戻ろう。
こばちさんの「モノのカタチ」の記事に掲載されている額縁や巾着は、私の友人の「額縁屋さん」「揚巻さん」の作品だ。

彼らの「モノを創る熱意」はスゴイ。
特に「揚巻さん」は不器用な人なので、作品作りが始まると、主婦業が停まるくらい一生懸命熱意を込めて制作する(らしい)。

そんな制作者の「熱意」があると我々のような代弁者は「その熱意に負けないように」一生懸命広告やパンフを制作する。
そして、とっても良い宣伝ツールが出来上がる。

想像ではあるが、こばちさんのコピーは「熱意」に反応して波紋のように拡がり、心地よい文章が生み出されるのではないだろうか?

我々クリエイターを活かすも殺すも、「発注者の熱意」によるものだ。
彼女のブログ記事を見て、この業界で25年以上やってきた50代のクリエイターが漠然と感じていた考えが、一瞬にして整理出来た気がする。

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2009年6月19日 (金)

「現場感」の難しさ その2

前回の続き。

今回登場の「専務」は現在の専務である。
先日、ある新規顧客に営業とその専務と同行訪問した。
実は専務とは言え、私と年齢も近いし、営業部長をしていた頃から知っているので、私は結構遠慮なしにモノを言う。

今回の顧客も前回同様「会長繋がり」なのである。
ちょっと詳しく書くと、イロイロ差し障りがあるので、説明しないが、商談後こんなことがあった。
Genba02
我が社の事例紹介をしたが、ちょっと反応が良くなかった。
途中から「キーマン」の方が参加され、ちょっとだけ盛り上がったが、いずれにしろ「良い」反応ではなかった。

玄関先で挨拶をして別れようとしたら、専務と営業がその「キーマン」に少し話をしていた(ように私には見えた)。
だから、違う担当者に、もう少し今の現状を聞いてみようと声を掛けて、少し話をしていた。

時間にして2〜3分だったが、営業から「もういいですか?」と声が掛かったので、慌てて挨拶して別れた。
そしてクルマまで歩いていると専務から
「終わったら、サッサと別れる。お客様が待っているだろう」

私だって小僧じゃないから「無駄話してたわけじゃないっすよ」と言ったら「いいんだよ、これは命令だ」と頭ごなしに言って来た。
これには、ちょっと「ムカっ」と来た。

先に書いたように、専務とは言え、結構長い付き合いの人だ。
ちょっと時間が過ぎてから、「で、何の話をしてたんだ?」と聞いて来たので
「私も小僧じゃないので、あんな風に言われるんだったら、言うつもりありません」
そう逆らってやった。

会社までのクルマの中、
「あ〜〜、この人も現場感がなくなっているんだろうな」
と思いながら帰って来た。

前回と今回は「現場感」の話をしているが、職制が上がると
「大所高所からの判断」
が必要となり、そして身に付いていく。

でも、それと比例して「現場感」は薄れるのである。
今、私は徐々に現場を部下に任せようとしている。

いったいいつまで私の中に「現場感」が残っているんだろうか?
きっとそのうち部下から
「もう、現場のこと分かっていないんだから」
と陰口を叩かれる時期が来るのだろうか。

「現場感」「大所高所判断」
この難しさを味わっている。

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2009年6月17日 (水)

「現場感」の難しさ その1

またまた会社絡みの話題。
「なんだかストレス溜まる会社に勤めているな」
私のブログを続けて読んでいる人は、そう思うかもしれない。
でも、どこの企業もそんなもんだと思います。

Genba01
「事件は現場で起きているんだ!」
あの有名な映画のセリフです。
一時期流行りましたね?

これ仕事でも同じだと最近つくづく思います。
私は副部長という「中間管理職」、これをカタカナで言うと「プレイング・マネージャー」です。
『現場やりながら管理もしろ!』
ま〜会社からすれば都合の良いポジションなわけです。

ウチの部長さんはもう現場を離れて2〜3年経ってしまったため、全く分からなくなってしまいました。
ただ、本人はまだ分かっていると思っているのが哀れですが。
要は、ここなんです。

「自分は現場感を失っていないか?」

これをいつも自問自答していないといけないと思うのです。
今回この話題に出て来るのは、両方とも我が社の「専務」です。
時期が違うので、今日出て来る専務は「現社長」です。

ある企業の社内報制作の件。
担当営業から「顧客からマンネリして来たし、対応が雑だからデザイナーを変えて欲しいと言われた」と相談を受けた。
それが顧客ニーズなら応えないとマズいので、外注のベテランデザイナーに「安い価格だけど、何とかお願いします」と依頼し、顧客側にも満足してもらった。
でも、ある日私は専務に呼ばれ
「お前、なんであんなフリーのデザイナーなんか紹介しているんだ!」
と営業の部屋のみんなの前で怒られた。

怒る理由が呆れた。
その顧客はウチの会長と太いパイプで繋がっており、超重要顧客だ。
だから「専務」としては我が社の子会社の「ちゃんとプロダクションで制作している」と報告していたらしい。

だから、「そんなフリーにやらせているなんて会長が知ったら、俺は何と言えばいいんだ!」と怒っているわけだ。
呆れるでしょ?
顧客は満足しているんだけれど、完全に現場感が無くなっている役員だと自分で告白しているようなもの。

人間って偉いモノで、あんまり呆れてしまうと怒る気にもならず
「すいません、配慮が足りませんでした」
と心にもない言葉で頭を下げたのだった。

続く

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2009年6月15日 (月)

上司の気持ち

本屋さんに行くと「上司と部下」に関する新書が多い。
一応これでも立派な(?)中間管理職なので、そういうことはちょっと気になるので「パラパラ」と見たりする事がある。
実際に「リダーシップ」系の本を2冊くらい購入して読んだ事もある。

しかしながら、こんな「ハウツー」系の本を読んで
「おー!なるほど、そうか!」
と思ったことはない。

かと思うと、ウチのような中小企業でも「管理職系のセミナー」なんかを受けさせてくれる事もあり、実際に参加した事もある。
この時も「おー!!」と目からウロコが落ちるような気持ちになった事がない。
Jousinonayamu_2
じゃあ、全然役に立たないかと言えば、部分的に役立っている。
まぁ、きっとこのような「ハウツー」ものは、そんなものなんだろう。

前置きが長くなったが、何の話しかと言えば中間管理職の気持ちの話だ。
最近では「見捨てる瞬間」という記事を書いたが、このブログではちょくちょく自分の部下や上司の話が出て来る。
(それだけ、会社中心の生活と言う事で悲しくはあるが)

上司の無茶な話。
自分の考えに囚われ過ぎて、感情的になる女性部下。
ちょっと安心して手抜きを覚え始めた4年目の部下。
亀の歩みのように鈍いアップ率の2年目の男の子。
なかなか本質が身に付かないデザイン系スタッフ。

などなど実は上司と言うのは、悩みは尽きないのである。
じゃ、自分だけがカリカリしているかと言えば、ちゃんと部下は部下で「考えたり感じたり」して変化を見せたり、頑張り方を変えたりする。

そんな部下の姿を見ると「おっ、いいぞいいぞ」と思うのだが、しばらくするとまた「カリカリ」するような出来事が待っている。

女性は繊細だし、飲み込みも速いし、上達力も高い。
それは早熟度の問題なのだが、「即戦力」には女性はありがたい。
けれど、地道に粘っていく底力は、少し薄い。

男性は、この女性の真逆だ。
ま〜20代なんて子供の延長的なやんちゃ坊主もしくは小僧だ。

最初に書いた「上司のハウツー」系の多くの本。
それだけ、上司も部下も悩んでいるんだけれど、結局自分たちで納得いくように「トライ&エラー」で一歩でも良くなるように動かしていくしかないのである。

「あいつはもうダメだ」
「オレには管理職は向いていない」
と諦めたら、それで終わってしまうのだと言う事だけは「キモ」に命じて、今日も中間管理職として日々悩み働いている・・・・

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2009年6月10日 (水)

上司のニーズ

引き続き4名の腐れ縁会合の話題から。

これは私が言った言葉だ。
「部下」にも悩むが「上司」にも悩む。
これもこのブログに話題として出て来るから、中間管理職の共通の悩みだろう。

実はこの言葉を思い付いたのは2〜3年前だ。
いろいろな周辺事情があって、当時私と我が部長とはとても険悪な関係になっていた。

必要以上の話をお互いにしない。
最低限の報告しかしない。

私は根っこの部分が、クリエイターなので、中間管理職でも
「別に部長のために働いているわけじゃないから」
と歩み寄ろうとも思わなかった。
Jousinizu
それでも、上司は上司。
人事的な評価はされるし、上層部への報告も「部長のフィルター」を通って伝えられる。

そんなある時、人事評価面談で部長と話している時に「顧客へのソリューション活動」の話題になった。
部長の熱弁を聞きながら、ふと
「こういう上司のニーズに応えることもソリューションなんだろうな」
と思った。

そうかそうか。
上司だとか部下だとか「同じ会社の人間」と思うから腹が立つのだ。
「顧客のワガママ的ニーズ」も腹が立つけれど、でも「ニーズに応える」ということで我慢も納得も出来るわけだ。

同じように上司のいろんな話を「ニーズ」と捉えれば、腹立つことも少なくなるんじゃないか?
そう思って実際にやってみたら、これが結構納得出来たのである。

「また無理難題言ってるけれど、ニーズだからやってみるか」

という気持ちになれるわけだ。
こんな話を4人にしたら、妙に感心されたけれど、どうなんでしょう?この考え方は?

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2009年6月 8日 (月)

知識と知恵

前回の4名の腐れ縁会合の話題から。

4名のうち2名は勤め人である。
私はいつも紹介するように「地方の印刷会社」に勤めている。
そしてもう1名は「地方公務員」だ(外見は、どうみても違うが)。

このブログにも「部下」の話題が出て来るが、勤め人でしかも50歳くらいになっていると、どうしても「部下」のことについて愚痴が出る。
そして、今回の名言はこの「地方公務員」である友人の言葉だ。

「今の若い連中は、『知識』はあるけれど『知恵』がない」
Tietotisiki
素晴らしい!
私もよく部下にも言うし、このブログに書くけれど、今の20代は「いろんなこと知っている」けれど、「知っている」だけなのだ。
その「知っている」ことを「どう活かす」かという「知恵」がないのである。

だから、私の仕事のステージでもある「デザイン」でもDTPアプリケーションは使えるけれど、良いデザインが出来ないなんてことがよく発生する。

なぜか?

「デザイン」は表現の「工夫」だからだ。
そして「工夫」は、マニュアルを読んでも攻略法を読んでも分からない。「知恵」がないと「工夫」出来ないからだ。

そして今は学校でも何でも「知識」を教えるけれど「知恵」を学ぶ時がないから、こうなっているのだろう。

私たちは今ほど「モノが豊か」じゃない時に子供時代を過ごしている。
だから、遊ぶにしても、友達と待ち合わせるにしても、そして欲しいものを買ってもらうにも「知恵」を使って「工夫」してきた。

「遊び道具」は揃っている。
友達との待ち合わせは「携帯で気軽に連絡」する。
「欲しいもの」は親に買ってもらえる。

これじゃあ、やっぱり「知恵」「工夫」も身に付かないね?

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2009年5月22日 (金)

結局、怒られないと

今回は、もう1人の女性。
と言っても、つい最近「常識・非常識の線引き」「次の壁を乗り越えられるか?」で登場した女性だ。

彼女に限らず制作する企画書や提案書は私がチェックする。
入社以来ずっと彼女は私の下にいるが、昨年の夏頃から企画書などの文章のケアレスミスが頻発した。

年頃の女の子だから「彼氏でも出来て、浮ついているかな〜〜」なんて思っていた。
そしてその都度「直さないとダメだよ」と言い、彼女も「はい」と言っていたが、一向に直らない。

で、先日の「次の壁を乗り越えられるか?」を意識している私としては、ついに「カミナリ」を落とした。

「オレに、文字の間違いまで見ろって言うつもりか!いつまで経ったら直るんだよ!」

Kaminari
さすがにショックだったのか、涙がポロリ。
でも私は、こう言う時はハッキリ言う事にしているので「次からは突っ返すから」と宣言した。

そして次の日。
全く別の問題で彼女から「相談が」と言って来た。
内容を聞くと、今受け持っている仕事の件だった。

ある企画提案で、「アンケート項目」の案を顧客に提出したのだが「一部使えない」と言われたらしい。
そこで彼女は「今は、まだ案で本番ではコピーライターが作るので」と説明したらしいが、当然顧客は「じゃ、最初からライターに書いてもらえばいい」と言ったとか。

彼女は、自分の言動からそう言われた事が分かっておらず、またまた私から「カミナリ」が落ちた。
「企画を担当している自分が、責任を持ってやるつもりがないことを見透かされているからだ!」

そうなのである。
彼女は「私はライターじゃないし」「デザイナーじゃないし」と言うのである。
じゃあ、企画と言う「中心的な役割」を仕事にしちゃいかんのである。
そんな「他人任せ」なプランナーなんて、いない方がいいのである。

「ちゃんとしたコピーやデザインしろと言ってるんじゃないんだよ」
と注意しまくりで、さすがにこの時は号泣していた。
社会人4年目である。
もう周辺から「まだ新人だから」「まだ若いから」と言われなくなる時期なのだ。

その時期に突入した歓迎の意味も含め、私の「大きなカミナリ」は彼女に向って落ちたのである。
さて、その「カミナリ」をエネルギーに代えられるか、シュンとしてしまうかは彼女次第なのである。

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2009年5月20日 (水)

見捨てる瞬間

ちょっと今回と次回は、会社の部下の話で愚痴っぽい内容になりそうなので、ご了承を・・・・・

私はある部署の副部長をやっているが、兼務して課長もやっている。
その課は全部で8〜9名いるがが、同じ企画の仕事でも専門性の違いから、直接管理している課員は4名(1人は課長職だが)いる。

そのうちの1名は昨年入った新人男性。
あとの2名が女性だが、この2名はちょくちょくこのブログに登場して来る。

今日の主人公は以前「自分で作る壁」「損するスタッフ」に登場したアラフォー女性だ。
Hisuteri
先に挙げた以前の記事を読んでもらえれば分かるが、元々この女性には問題が多い。
すごく勉強熱心だし、自分の興味ある事には一心不乱に取り組み姿勢はとても良い。
でも、周辺への配慮が人より明らかに少なく「自分の定規」で、他人をバッサバッサと切っていく。

例えば営業に対して。
「どうして、ああバカなんだろう」
なんて暴言を私の前で言う。愚痴なんだろうし、私には言っても良いと思っているようだが、聞いているこっちは決していい気分じゃないし「お前、人の事言えるほど優れてないよ」などと、心の中で呟いてしまう。

またアラフォーと言う年齢上、社歴は浅くとも、どうしても課の中では「リーダー」的な役割や振る舞いを期待される。
しかし、これがいわゆる「悪い見本」となってしまう。

先に挙げたように「自分が興味ある仕事への集中力」に唯一期待を抱いて来たので、これまでも営業や顧客や周辺スタッフのクレームに対応し、彼女にも遠回しにいろいろ指導もしてきた。
(大体この手の女性は、ストレートに注意してもふて腐れるだけだから)

しかし、先日ついに「もうダメだわ」と思う事が起きた。
予算がないし、とてもカンタンに2ページ分の本文フォーマットデザインがプレゼン上必要になったので、彼女に依頼した。
しかも、その仕事は彼女も一緒に受注活動として動いていた案件だった。

彼女の言葉
「私はデザイナーじゃないので、デザインはやりません」
彼女はデザイナー出身者であり、ディレクション経験も私の元に来てからなので、わずかな年月しかやっていない。
それなのに、この大口である。
しかも、デザインの腕もそんなにすごくない(本人は出来ると思っている)。

この一件で、私は彼女をあきらめた。
「ま、嫌ならやめてもらうしかないね」
と心の中で(口に出すと、いろいろと問題があるので)つぶやき、今は「彼女が辞めた後、どうするか」を日々考えるようになった。

顧客からも嫌がられ、営業からも好かれず、周りのスタッフからも疎まれる。
結局、彼女はあの歳になるまで、この仕事で最も大切な事は分からないまま生きて来た結果なのだろう。

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2009年5月18日 (月)

ポイント生活の副作用か?

今年の初め「ポイント生活」という記事を書いた。
「買い物してポイントを貯める」のもあるけれど、この記事のきっかけは「アンケートに答えてポイントをもらう」というマーケティング調査に協力するものだ。

実はこれ「ポイント」で商品券がもらえることが一番嬉しいのだが、いつものように「半分仕事」にも関係してくる。
いつも書くように私は中部地区の中小規模の印刷会社に勤めている。
そこで一応「企画」を担当しているだが、こんな規模の会社でも時には大手印刷会社やシステム系企業の他、有名な広告代理店と「競合」になることもある。

そんな時に「いや〜〜ウチなんて小さいですから」と言うわけにもいかず、一応マーケティングの知識や設問なども知っておかないといけないと言うわけで「半分仕事」なのである。
もう一つ最近は社内報などで利用する社員への「設問事項」の参考にもしているので、やっぱり仕事の部分が大きいかもしれない。
Hukusayou
話が逸れてしまったが、「ポイント生活」を書いた頃と前後して、このマーケティング調査への会員登録を2〜3つ増やした。
おかげで、重なる時には1日に5〜6件の設問に答えなくてはいけないが、それは「ポイントが貯まるなら」と思ってやっている。

そして最近、ちょっと変なことに気がついた。
最近と言ってもこの2〜3週間のことだが、会社に「テレアポ」の電話が掛かって来るようになった。
そう、あの「投資について説明したい」とか「商品取引について」など言った種類の「電話での売り込み」である。

こういうのは、最初から相手にしないというのが私のモットーなので、電話の向こうで粘っていても途中で切る(たまに腹を立てて、掛け直してくる輩もいるが、ウチの会社の場合、若手が電話番なので、そこでシャットアウトしてしまう)。

この手の「売り込み」は、我が部署では特定のディレクターによく掛かって来ていた。
彼曰く「アンケートとか書いているから」と言っていたが、どうやら私もそうなのかもしれない。

もしもこれが頻繁になってくるなら、新しく始めたリサーチ会員は退会だな。
だって、昔からやっているところはそんな事は発生していないんだから、新しい所から個人情報が漏れていることは間違いないわけだから。

「ポイント生活」もなかなか慎重にしないといけないと言う事だ。

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2009年5月11日 (月)

Favorites50 誕生

ナンバーを書いてびっくりしたが、このシリーズが50回になった。
圧倒的に音楽が多いという事は、多分私の中に「音楽からの影響」が大いにあるということなんだろう。

今回、本当はこのシリーズのつもりじゃなかった。
この記事のきっかけは先の「清志郎-逝去」と深い関係がある。
古くからの友人で、このブログにコメントを付けてくれる「揚巻さん」(ご自身でも「made in じゃぱん」というブログを開設している)も清志郎の大ファンである。
なにせ、息子の名前に影響を与えているくらいだから。

彼女の清志郎を亡くした衝撃は大きく、個人的にもメールのやり取りでこの出来事に対する気持ちを交換していた。
そんな時「近親者じゃないのに、なんでこんなに悲しく空虚感があるんだろう」と思っていた。

そして「40歳過ぎてから、世話になった人が亡くなると泣けるようになったなぁ」と思い「年齢だけの問題なんだろうか?」と考えていた。

そんな時、ふっと違うことを思い出した。
昨年11月にNHKの「SONGS」工藤静香が出演していた。
「なんで?」と思っていたら、どうやら「中島みゆき」のカバーアルバムを出したとかで、彼女が「中島みゆき」の魅力を語っていた。
(途中、中島みゆきからコメントが入り、工藤静香が泣いていたのは印象的なシーンだった)

工藤静香によると、「中島みゆき」「言葉の魔術師」なのだそうだ。
そう言えば、そうなのである。
今回のテーマにした「誕生」に書かれている詩には、「大切なものへの気持ち」を実に素敵に表現している気がする。

年齢を重ねて、失う事を繰り返して来て、だからこそ「近親者じゃないのに、こんなに悲しい」のじゃないかと感じている。

今回は、いつものようにyoutubeのリンクとは別に詞も掲載してみた。
「恋愛感情」になぞらえているけれど、「人としての出会いと別れ」として聴くと、この曲の奥深さを感じられると思ったからだ。

ひとりでも私は 生きられるけど でもだれかとならば 人生ははるかに違う
強気で強気で 生きてる人ほど 些細な寂しさで つまづくものよ

呼んでも呼んでも とどかぬ恋でも むなしい恋なんて ある筈がないと言ってよ
待っても待っても 戻らぬ恋でも 無駄な月日なんてないと言ってよ

 めぐり来る季節をかぞえながら めぐり逢う命をかぞえながら
 畏(おそ)れながら憎みながら いつか愛を知ってゆく
 泣きながら生まれる子供のように もいちど生きるため泣いて来たのね

Remember 生まれた時 だれでも言われた筈
耳をすまして思い出して 最初に聞いた Welcome
Remember 生まれたこと Remember 出逢ったこと Remember 一緒に生きてたこと
そして覚えていること


ふりかえるひまもなく 時は流れて 帰りたい場所がまたひとつずつ消えてゆく
すがりたいだれかを失うたびに だれかを守りたい私になるの

 わかれゆく季節をかぞえながら わかれゆく命をかぞえながら
 祈りながら嘆きながら とうに愛を知っている
 忘れない言葉はだれでもひとつ たとえサヨナラでも愛してる意味

Remember 生まれた時 だれでも言われた筈
耳をすまして思い出して 最初に聞いた Welcome
Remember けれど もしも思い出せないなら 私いつでもあなたに言う
生まれてくれて Welcome

Remember 生まれたこと Remember 出逢ったこと Remember 一緒に生きてたこと
そして覚えていること

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2009年4月30日 (木)

常識・非常識の線引き

「次の壁を乗り越えられるか?」で書いた有能な女性スタッフの話。

その時の記事に書いたように、「社内報プレゼン3件連続受注」は、素晴らしい出来事であり、年度末に私から提出した推薦シートにより彼女は入社4年目で「特別賞」を受賞した(現金5万円付き!)。

そして当然、今は受注した社内報に制作フェーズに関わっているわけだ。
ここの部分の苦労も「次の壁を乗り越えられるか?」で書いた。
Photo_2
さて、今回ある企業の特集として「会社の常識/非常識」といったテーマで企画を考えた。
いつものように右往左往しながら、それでも私のアドバイスで、形にはなった。
その企画の中で「一般的な目線で常識を語れる人」が必要になり「有識者にコメント」をもらう展開にした(彼女のアイディア)。

こう言った場合「有識者」を誰が探すのか?
それには2つあって、社内報を発行している企業担当者が探す場合と、我々のような制作業者から推薦する場合がある。

今回は、こちらから「有識者」を使う事を提案しているので、企業側が探すにしても、こちらとしてはある程度「人材」を探っておかなくていけない。
そこで彼女に、私が懇意にしている他の部署の室長に「尋ねてみろ」と言っておいた。

その室長は元コンサル会社に勤めていたため、その系統の人脈はある。
その後彼女から「可能性のある人に、もうアポイントを取ったって言われましたけれど・・・」と報告があった。

「ま〜〜、急ぎ過ぎだよね」
なんて彼女と笑って話した後、たまたま食堂でその室長にあったので、話してみたらびっくり!
彼女は、その依頼を「メール」でして来たと言うのだ。

そこで、私の逆鱗に触れ、昼休み中に彼女を呼びつけ注意した。
我々は3階、室長は2階。そんなに大きくもない会社で、内線もせずにメールだけで依頼するなんて、どれだけ手抜きなのか!(そんな気じゃないらしいが)。
当然、企画骨子を書いた文書も見せていない。

そりじゃ、その室長も詳しく分からなくて「すぐにそういう人材が必要なのかも」と思うだろう。
大体「会社の常識/非常識」ってテーマなのに、企画やってる本人がそんな非常識な依頼の仕方をするなんて!

女の子だし、頭のいい子なのでクドクド怒らずに
「そんなことやってちゃ、ダメだ!」
の一言で終わらせたが、これって、私がうるさいだけで、若い子にとっては「失礼にあたる」と思わない事だろうか。

どうやら「常識/非常識」にも世代間の格差があるようで、その線引きが難しい。

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2009年4月27日 (月)

次の壁を乗り越えられるか?

この社員のことを記事にするのはかなり久しぶりだ。
このブログは3年以上前に始まったが、その年に入社した女性だ。
彼女が入社したときの事は「今の新人」として紹介したが、実はなかなかの活躍なのである。

この4月で彼女は4年目。
そろそろ「一人前」として少しだけ扱ってもらえるキャリアになってきた。
先ほど「なかなかの活躍」と書いたが、一部策略もあるが、それなりの成果を挙げている。

特に昨年末から連続して対応した「社内報プレゼン」3件は、彼女に企画書を書かせて、見事に3件すべてを受注した。
もちろんかなりの部分をサポートした。
先ほど「策略」と書いたが、私がサポートしても、担当したのは「彼女」であり、そして受注に結びつけた「功労者」であることは間違いないし、そう社内にもアピールした。
Carria
彼女は「基本的に頭がいい」
単に「勉強頭」でなく「理解する頭」が良い。
だから、上手にモノ事を吸収してくれる。

しかし、今は「カベ」にあたっている。
その「カベ」は、今までのように上司から学ぶだけでは「乗り越えられない」カベなのである。

今まではどちらかというと「企画の骨子」を組み立てるだけで私は「ヨシ」としていた。
これだって入社3年で、なかなか出来ないからだ。
そして今は「企画の具体性」を要求している。
しかもかなり「顧客のニーズにマッチ」する具体性だから、かなり難しい。

「骨子」を組み立てる思考と「具体性」を思い浮かべるアイディア脳は、実はまったく別の回路だと思っている。
「具体性」には「経験則」がないとなかなかスイッチが入らない。
そして彼女の弱点は、その「経験則」のなさだ。

デザイナーでもコピーライターでもなく、いきなり「企画屋」としてスタートした。
だから、顧客の「細かくて具体的な要求」に応える術を知らない。

ここ2ヶ月、私は彼女のこの弱点を念頭に置きつつ、企画書のチェックをしている。
当然、彼女はそのことに気づいておらず、新たなカベを乗り越えられない彼女には「厳しい」言葉が飛ぶ。
前回の個人面談では
「前回は良かったのにと思う事がある」
と言っていたが、「なぜ、今はダメなのか?」を彼女自身が早く掴まないと辛いはずだ。

このカベを乗り越えると初めて本当に「一人前」となれるのだけれど、果たして乗り越えられるのか?
誰も手伝って上げられない。
このカベは、自分だけで乗り越えないと、「プロ」にはなれないと私は思っている。

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2009年4月 3日 (金)

惜しい管理職

3月から4月は、ニュースや新聞で「新入社員」の話題で賑わう。
今年は、いつもにも増して「景気の不安感」から内定取り消しや採用減など話題が豊富だ。

しかし、会社に勤めている「中間管理職」は、実はもっともっとドタバタしている。
その理由は2つある。

まず1つめは「組織変更」
これって組織図を見ているだけだと「ふ〜〜〜〜ん」と言う感じなのだが、実際に管理をしている我々はたまらない。
Kanzinnatokini
例えば管理する組織が変わったり、それに伴ってスタッフも変更される。
しかも、役員会の承認が出て、オーソライズされるまでは内々で動こうと思っても動けない。
仕方ないので大概は4月になってから、ドタバタ動く。

もう1つは、人事だ。
先の「組織変更」と深い関係があるけれど、「昇進」なんかが絡むとこれも大変な事になるし、部門異動があるとまたその処理で大変だ。
これも水面下では1ヶ月前くらいから動くが、本格的には無理なので、どうしても4月にずれ込む。

このように3月の終わりから4月に掛けてと言うのは、私の会社のように中小企業でもなかなかドタバタする。
そんな時期に、私の部下である課長が「有休」を取った。

届けは1ヶ月前に出してあったから、判子は押したけれど、それにしてもだ。
その課長、1年前の3月に「忙しい3月=管理職編」に出てくる人物なのだが、実は非常に頑張ったのである。

最近は、あまり記事にしていなかったのだが、昨年度は大幅に黒字を計上してくれた。
部内の中ではトップクラスの黒字額で、しかもおそらく我が部設立以来初めての桁違いの黒字だったのである。

もちろん、副部長としてアシストはした。
毎日ミーティングに出席し、売上をチェックし、スタッフにも激を飛ばした。

1年前には毎月数百万の赤字を垂れ流していたのに、よく頑張ったと思った。
が、しかしである。

一番組織的にドタバタする時に連続して有休取得。
子供の入学式とかイロイロ重なったのは理解する。
けれど・・・である。

知らない顔は出来ないので、部長に報告すると、やはり逆鱗に触れた。
「せっかく1年頑張ったのに、もうこれで信頼は失墜だ!」

そうなのである。
過去最高の黒字を出しても、肝心なところでやってしまう。
その課長は、「惜しい管理職」なのである。

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2009年3月13日 (金)

企業のDNAを実感する毎日

昨年末から今年始めにかけて、社内報のプレゼンが連続であった。
元々「社内報」は、定期発行なので印刷会社にとって「嬉しいツール」である。
しかし、顧客企業側に振り回される「危険なツール」でもある。

景気が激変しているからか、自主的なプレゼンを皮切りに、割と大きな企業からも声が掛かりプレゼンした。
しかも、ありがたいことにプレゼンを実施した3社すべてを受注出来た。
Kigyoudna
以前「たこ壷的発想」の記事は、その中の1社だが、今回受注した3社は、それぞれ制作進行が異なっている。

同じツールが同時に業者を変更してスタートしても、こんなに違うのは何故かと考えさせられてしまうが、もうこれは
「企業のDNA」
が成せる技としか言いようがない気がする。

いつものように詳しく書くと社名は明らかになってしまうが、どう違うのかを分かってもらうために、ちょっとだけ違いを書いてみよう。

1社目
自分たちから「プレゼンさせてください」とお願い、それまでの業者から奪回した案件。
全国レベルで活躍している「建設系」の企業だが、担当部署の部長と担当者の女性が非常に良い。
部長も「即判断」をモットーにどんどん打合せが進行するし、担当女性も割と自分で仕切って決めていく。
確かに制作費は高くないが、約束よりも原稿入稿を早くしてくれたりして、コストに見合った仕事となっている。

2社目
先の「たこ壷的発想」である。
たくさんの担当者がいるが、まるでお役所のように縦割り。「自分の担当以外は知りません」的な対応である。
そして最も困っているのが、そこのある担当者。
私たちは「特集記事の相談」という立場で打合せするが、それだけでもかなり振り回される。
なにせ、今まで受注していた会社の制作者たちは「受注出来なくて喜んだ」という話が聞こえて来たくらい、すごい人なのだ。
そして、この人だけでなく、担当者の多くは「中途半端な依頼」が多く、これも振り回されている原因でもある。

3社目
とある巨大自動車会社のトップグループ企業。
元々、私の会社はプレゼンに参加する事を拒まれて来た。
「それなりの印刷会社では細やかな対応が出来ない」
という思い込みがあったようで、私たちスタッフがヒアリングと称して訪問。
ま〜〜、それなりのテクニックで印象を良くしておいたため、後日「ぜひプレゼンに参加してください」と言われた。
最初は参加も拒否されていたのに、受注にこぎ着けたため、個人的にはこのプレゼン勝利が一番嬉しかった。

そして、この3社目の担当者はスゴい。
専任担当は2名で女性なのだが、プロの企画者も顔負けなくらいキチンとアイディアを構築していく。
だから我が社としては、それを上回るパフォーマンスを提供しなくちゃ行けないが、これはこれで嬉しい悲鳴だ。

こんな感じに、同じ「企業社内報」なのに、対応や制作の方法が異なり、担当社員のスキルも雲泥の差がある。
おそらくそんな担当者たちも入社した時には、そんなに違わないはずだ。
けれど、それだけ差が出来てしまうのは、やっぱり「企業のDNA」がそうさせるのだろう。
面白い・・・・

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2009年2月 9日 (月)

立って半畳、寝て一畳

このタイトルを付けたので、改めてネットで調べたら、この後に続く文章がある事を初めて知った。
そして、それが2種類ある事も。

「起きて半畳 寝て一畳 天下取っても 二合半」
これは信長が言ったと伝えられているんだそうだ。

「立って半畳、寝て一畳、天下取っても四畳半」
どうもこっちの方が、バリエーションって感じですかね?

いずれにしろ「人の欲求なんて所詮、この程度で満たされるんだよな〜。」という非常に味わい深く、そして意味深い言葉だ。
Tatehanjo
さて、なんでこの言葉をタイトルにしたかというと、最近の仕事の話題からだ。
とにかく「ヨロシクない」というより「悪い」
しかも「かなり悪い」

会社で話していても、「トヨタ」とか「ソニー」とか、ビッグカンパニーが赤字になる事と人員削減の話が中心だ。
そして話していて思うのは、「たった半年で」という感想だ。

年明け早々に「「安泰」なものなんてないのだ!」と言う記事を書いた。
あれからまだ1ヶ月も経ってないのに、また悪い話が出てきて
「本当に、一体どうなるんだ」
という思いと
「なんで、こんなに急激なんだ」
の思いが交差する。

ニュースを賑わすビッグカンパニーが、ここまで悪くなるのは「輸出頼り」が原因と言われているが、裏を返せば
「国内需要では、成長できない」
ということの証明なのだろう。

そこで今回のタイトルになるわけなんだが、結局日本の中での「内需」以上の成長を進めると、とんでもないしっぺ返しに合うと言う事だ。
これは傍観者として、それらのビッグカンパニーを批判している場合じゃない。
私たちだって「贅沢三昧」をしてきたわけだ。
「国内需要」での利益から考えたら、もらい過ぎの給料をもらって、海外旅行やブランドやクルマや家や・・・・とにかく世界的に見れば「裕福な」生活をしてきたんだと思う。

もしかすると「日本」という国の「成立条件」をもう1回見直して
「立って半畳、寝て一畳」
の気持ちで国の成長を考えないといけないんじゃないか?
今回の急激な不況感は、そんなことさえ考えさせてくれる。

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2009年2月 6日 (金)

たこ壷的発想

最近「ある言葉」をきっかけにブログで展開することが多くなり、その度その言葉の意味をネットで調べたりする。
今回もその種類だ。

たこ壷=海底に沈め、蛸が入るのを待って引き上げる素焼きの壺。

これは「物品」の意味を説いたものだが、これに「発想」という名詞が付くと意味が変わるのだが、こうなるとあまり辞書では解説していない。

たこ壷的発想=独りよがりな考え方

こんな意味になるんだろうか?

「なんの話題?」
と思って読んでいる人がいるだろうが、実はこれは仕事の話題だ。
Takotudo
昨年末から何故か「社内報」のプレゼンが続き、幸いなことに受注に結びついている。
その受注した企業の中に、私たちの住む地方の「公共的企業」がある。

そこは「もう何年も同じ業者」に制作させており、昨年久しぶりに「競合プレゼン」になった。
その時に挨拶した新任の「広報部長」が、「たこ壷的発想」の話をだしていたのである。

受注が決まり、先日初めて「編集会議」に出させてもらった。
こちらはまだまだ顧客側企業の内情に詳しくないために、もっぱら「聞き役」になるのだが、随所に
「やっぱりたこ壷だよね〜〜〜」
と感じる部分があった。

仕事の関係の話題の場合はいつもだけれど、これ以上詳しく書いていくと「どの企業の話」と分かっていくので、辞めておくが、会議の後に改めて思った。
「人間と言うのは、やはり習慣性に左右されるんだな〜〜」と。
いろんな言葉で「改革」「変化」と言っても発想の根っこを変えないと変わらないのだが、実はそれが一番難しい。

そして「柔軟な発想」というのは何故かあまり若い人は得意じゃない。
私自身の経験から言って「若い時」の方が、「発想の枝」が伸びていかないのである。

私たちのような「企画」ばかり考えている職業でも「いつもの思考の罠」に陥りやすいのだ。
だから大手企業の社員とは言え、部長の言うようにカンタンに
「たこ壷的発想からの脱却」
は出来そうにない。
また辛抱強く付き合う顧客が一件増えた・・・・。

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2009年2月 4日 (水)

階段成長

唐突な話だが、子どもを育てたことのある人には「なるほど」と思う話を。

子どもに限らないけれど、何事においても「成長する過程」というのは「緩やかな上りカーブ」を描かない。
どちらかと言うと「階段型」に、ある時突然「ジャンプアップ」成長する。

子どもの成長で言えば「昨日まで立てなかったのに、急に立った」とか「急にしゃべった」という経験があるはずだ。
また自分で何か習い事をする時も同じだ。
私の場合、ギターを少しだけ弾いたりするが「昨日まで弾けなかったけれど、急に出来る日」が来たりする。
Bakuhatugurahu
これはどうやら「成長とは、緩やかでなくある時点で爆発する」という何らかの法則があるのかもしれない(全く詳しくなく、想像で言っているので、もしも知っている人がいたら、教えてください。

何で、こんな「哲学的?」な話題になっているかと言うと、友人のブログのことである。
「昔ながらの額縁屋さん」が私の30年来の友人であることは、このブログで何度か話題にした。

つい最近、彼のブログが「累計20,000アクセス」を突破した。
彼のブログの説明に寄れば「10,000アクセス」まで1年4ヶ月、その後半年で「20,000突破」という急成長なのである。

彼のブログは私のような「お遊び的趣味」ではない。
ちゃんと「仕事」に結びつくようにメッセージを発信している。
最初は、そんなにはっきり方向が見えてなかった気がするが、やっぱりアクセスが伸びた半年は、かなり発信の方向が見えている気がする。

ブログを通して「訪ねてくる人」が増えたり、「製品注文する人」も増えたりしているようだ。
そして私は傍から見ていて、一番良いな〜〜〜と思うのは「相談する人」が増えていることだ。

彼の工房は奥さんと「二人だけ」の小さな小さな工房だ。
だからこそ「いろんな人の相談にのって作る」というのは、大きな武器になると思っている。

今の商品販売の傾向は
「どこでも購入出来るものは、出来るだけ安価に」
「一品ものなど、良いものはこだわって出来るだけ満足いく商品を」
と二極化されている。

だから彼のような「小回りの効く」工房は、「一品もので高付加価値を」といった商売が良いんじゃないかと思っている。

話が逸れたけれど、彼のブログを読む限り「ブログつながり」や「WEBからの受注」が少しずつ増えつつあるようである。
これが「ビッグバン」の前兆であれば良いな〜〜と陰ながら応援している。

「ブログアクセス数の伸び」から「商売繁盛へ」
決して絵空事でなく、ちゃんと「現代」に合致した展開だからこそ、これからも「階段成長」を期待したい。

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2009年1月15日 (木)

淘汰の時代

「淘汰=水で洗ってより分けること。転じて、不必要なもの、不適当なものを除き去ること。」

Yahoo!辞書で検索すると、こんな説明がしてある。
つい昨年までは、この言葉を「企業単位」「サービス商品単位」「業界単位」で使っていた気がする。
Touta
例えば
「不良企業は淘汰される」
「淘汰されない商品とは?」

などなど。

しかしこの数ヶ月間の自分の周辺を眺めていると、「個人レベル」の時代になっていると感じる。

たまたま「イシダ。さん」の今年になって始まった「裏イシ」の中にも「やりきれない」と言う記事があるが、ここに書かれているスタッフも「淘汰される候補」なのだろう。

先に掲げた私の周辺には、こんな「淘汰候補生」がいる。

1名は「年末に退職した35歳の係長デザイナー」
きちんと引継ぎもやれないし、有休消化に入る日程もグズグズで、直前になって1週間延長したりする。
そして、上司への挨拶もないまま有休消化しようとして課長に咎められ、仕事納めの日に出勤してきた。

そんな「こいつは、ダメだな〜〜」と思われているにも関わらず、退職の日にスタッフには「まだデザイナーを続けるので、これからもよろしく」と言っているような感度の低さ。

この係長は少なくとも私の中で「淘汰」してしまった。

もう一例は、お客側にいる。
例の自動車関連の超大企業グループの担当者。
「自分で決められない」
「隅っこの小さなことばかりにこだわる」
「広報のことを何も知らない」
「上司に怒られたくない」
「社内の情報を把握していない」

本当はもっともっとあるんだけれど、私のような外部の人間から見ていると
「この人って、本当に必要な人材なんだろうか?」
と思えて来ることがたくさんある。

こちらは業者でビジネスなので、根気強くつきあうが「人」としての関係はご遠慮したい人だ。
そこにこの大不況の波だ。
しかもかつてない急激な大きな波だ。
その人の会社も、グループ企業も軒並み「派遣切り」してニュースになっている。
このままだと、「正社員」だって危ない。
そんな時、この人は「淘汰」されないだろうか?

きっとされるだろう。
そして、無能力のまま大企業にいることだけで、存在感を示していた人は、一旦「淘汰」されると、おそらく浮かんで来れないだろう。

「個人も淘汰される時代」
「淘汰候補生」ほど、その現実に気づいてない気がする。

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2009年1月13日 (火)

裕福なのか危機なのか?

前回に続いて、ごろ寝正月にニュースを見た感想。

今年は5日が「仕事始め」で各企業が揃っていたせいか「Uターンラッシュ」がスゴかったような気がした。
(だから、こちらはごろ寝正月なのだが)
Utan
この「Uターンラッシュ」のニュース画面を見ていると、この国はまだまだ裕福なのではないかと思えてくる。
確かに「たまの休み」に故郷に帰ったり、海外に旅行に行ったりってのは、とっても有意義だし、必要な行事なのはわかる。

けれど、家族4人が移動すると、その交通費は安いもんじゃない。
まして「海外」ともなると「円高差益」と言いながら、基本はやっぱり高いものだ。

前回記事で取り上げた「派遣村」のように「寝る場所」もない人も居れば「海外旅行」にいく家族もいる。
そして私のように「ごろ寝正月」でグ〜〜タラしっぱなしの人間もいる。
そんな視点で日本と言う国を見ていると、まだまだ裕福なんだと思えてしまう。

若い頃の知り合いで、今は九州(多分)にいる「海外貧乏旅行」のスペシャリストに寄れば
「世界中で、こんなに恵まれて裕福な国はない」
とのことだ。

それは「100年に一度の経済危機」だとテレビやニュースで言われているけれど、ちゃんと帰省したり海外に出掛けている現状を見れば分かる。
そして、私の身の回りの「経営陣」も「20代30代社員」も、どうも実感として「危機感」を感じていないような気がして仕方ないのである。

「そのうちよくなるんじゃない?」
で本当に回復すれば良いのだけれど、気がついた時には「手遅れ」となっていないように、50代社員としては、ちょっと心配しているのである。

日本は裕福なのか危機なのか?
後から分かってからでは遅い気がするのである。

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2009年1月 5日 (月)

「安泰」なものなんてないのだ!

どうも年明けから、楽しくない話題なのだが、景気の話だ。
年賀状にも書いてあるが、昨年の終わりには「急激な不景気」に振り回された。
というか、未だに振り回されている。

ほぼ1ヶ月前に「トヨタは砂上の楼閣なのか」という記事を書いたが、あの時よりももっと悪い状況になっている。

その代表格は、トヨタ自動車だ。
あの記事を書いた時には、まだ「赤字」という話しは出ていなかったが、その後「1500億円の赤字予想」と報道された。
Toyotakouzou
当然、そのグループ会社も「赤字予想」を億円単位で発表しているが、そんなニュースに触れるにつけ、我が社のようなローカルで小さな会社では、毎日こんな話をしている。

「二兆円の利益って言ってたのに、1500億円の赤字って、いったいどうなっているんだろう?」
「グローバル展開の大きなリスク部分が出た」
「ここまで予想外に悪くなるなんて、なんて脆弱な構造なんだろう?」

そして私の住んでいる地域は、その「トヨタ自動車」のお膝元なので、かなりリアルに種々の問題が日に日に感じられるのだが、肝心のトヨタグループ企業の社員の中には、未だに「実感」していない人もいる。

事実、仕事の関係で、あるグループ会社の人を打合せするのだが、その会社のトップが
「今までの慣習に囚われず、常にゼロベースで工夫しろ」
と通達してきているのに、慣習通りにやろうとしてくる。

はっきり言って私は顧客の要求通り対応するのだが、そんな意識の社員がいる企業は、今後大丈夫なんだろうか?

「おごれるもの久しからず」
という諺があり、決して自動車業界全体が油断していたわけじゃないだろうが、とにかく「永遠に安泰なものはない」と改めて証明している年明けなんだろうと思う。

心を締めて1年を送らねば・・・・・

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2008年12月30日 (火)

嫌がらせか?年末年始のカレンダー

昨日で仕事納めだったが、やっぱり怒りが収まらないので、記事にした。

今年最初の記事「謹賀新年」にあるように、昨年の年末から今年にかけての休みは長かった。

それについては「カレンダー」の関係で良い思いをさせてもらったと思っているが、今年は最悪だ。
しかもこの最悪は「わが社」だけだから、嫌になる。
Karennda
まず年末。
普通は28日が御用納めだが、今年は日曜だ。
となると普通は、金曜(26日)もしくは土曜(27日)で終わるだろう!
ところが、我が社は月曜の29日まで仕事があった。
しかもしかもその前の週の土曜(27日)も出勤日だった。
これは、どう見ても嫌がらせだ。

まだ良い。
仕事始めは5日なのは例年通り。
ただし今年は月曜始まりだから、いきなり一週間勤務はちょっときつい。
と、まぁ、ここまでは普通の会社も同じだろう。

ところが我が社は、その始まりの週の土曜(10日)も出勤日にしてくる。
もう皆は有休取り合戦になってしまった。
私は、また2月くらいに「温泉に行こうか?」と考えているため、その時の有休を見越して、出勤するつもりだ。
しかし、いきなり6勤は辛い。

くそ〜〜〜従業員満足度の低い会社だよ!
と怒りも感じるが、一応冬のボーナスも出たし、今は仕事があるだけで有り難い時代なので、我慢するしかないですな。
今年最後の会社に対するボヤキでした。

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2008年12月27日 (土)

「悔しい」ことは成長の証

なぜか画像はザブングルの
「悔しいです!」
だが、内容は関係ない。

会社のことで「デザイン課の立て直し」ってのは、何度かこのブログで話題にした。
最近は、売上も伸びているし、課員の作業力も出てきて、それなりの結果が出ている。
Kuyasi
その中で10年目のデザイナーがいる。
あまり作業量を経験しておらず、今までは「外注」に頼って対応していた。
当然、そんな状態を私が許すわけがないために、この1年間はチャレンジの連続で叱咤激励されていた。
ある時は悩み、辞めようかと考え相談している姿も見た。
そして「確実」と言われていたプレゼンに連敗もしている。

先日、その「確実」なのに負けたプレゼン案件の印刷物が上がってきたと言って私に見せにきた。

「どう?悔しいか?」
「このカタログを見て、どこに自分の足らなさがあるか見てみると良い」

と話していたら、彼は本当に悔しそうな顔をした。

そこで
「入社して初めて、こんなに悩んで、こんなに苦しんで、こんなに悔しかった1年はなかったことないか?」
と聞いてみると
「本当に、その通りです」
と答えてきた。

彼はそれだけ成長したのだ。
「悩んで」「苦しんで」「悔しくて」
その数だけ成長してきている。

今はまだ結果が出てないけれど、自分の経験上、そういう思いがある奴は必ず成長する。
1年の終わりだったけれど、彼にその言葉を送ってやったけれど、結果が出てくると、この意味が分かるんだよね。

がんばれ、成長過程の証しとしての悔しさに負けるな!
逃げずに頑張った奴には「成長」というご褒美がくるのだ!!!

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2008年12月15日 (月)

「発した言葉」の責任(個人編)

これまた、少々昨日の続きを。

昨日は対象が「企業」だったけれど、今日の話題は「個人」
最近はあまり話題に出てこないが「忙しい3月=管理職編」に書いたように、デザイン課の立て直しを昨年の秋、命じられた。

それ以来「鬼の副部長」として毎日ミーティングに、叱咤激励し、最近は少し売上もあがり、対応出来る仕事も増えてきている。
それは管理職として、とても嬉しいし、頑張っている課員スタッフを褒めてあげたい。
Kozinsekinin
けれど・・・・。
今はほぼ毎日「今日の作業」を朝ミーティングで報告させる。
10名ほどのスタッフが順番に2〜3分で報告するのだが、その中に小声で「聞こえない」スタッフもいる。

ずっと気になっていたけれど、つい先日我慢出来なくてコメントした。
昨秋、初めてデザイン課を面倒見るようになった時に、各スタッフの一人一人と面談した(エラく大変だったが)。
その時に数名が「情報の共有が出来ておらず、知らないことがある」と言っていた。

そんなことを言っているスタッフが、じゃあミーティングの場で「情報の共有化」を意識して報告しているかと言えば、そうではない。
「まぁ、報告しろと言われるからしてる」
という態度なのである。
そして、自分の報告が終われば「黙って聞いている」だけ。

そんなスタッフがよく「情報の共有化が出来ていない」なんて言ったな〜〜と思うのである。
昨日の企業編でも書いたけれど「発した言葉」は責任持ちたいよね。

そりゃ「時と場合」で、「発する情報」はどんどん変わるけれど、責任だけは取る覚悟で、話したい。
これは企業だけでなく、「政治家」はもちろん、私たち一般の一人一人すべてそうあるべきだと思いたい(かなり難しいけれどね?)

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2008年12月12日 (金)

「発した言葉」の責任(企業編)

昨日の『こう言う時こそ「CSR」を』の続きを。

私の今のメインの仕事が「CSR報告書制作ディレクション」だというのは昨日書いた。
おそらく私のブログを読んでいる人で、企業の発行するこの系統の報告書を読まれた方は少ないだろう。
(興味持たれたら、読んでみてください。WEBからも依頼出来るし、電話でも頼めます。もちろん無料でもらえます。)
Kigyousekinin
そこには「従業員に対する手厚い対応」を大きな企業になればなるほど多くのページを割いて書いている。
そして、最近の企業動向としては
「きちんと従業員に情報開示し、従業員満足度を向上させることが企業ブランド構築に繋がる」
と考え、重要ポイントとして捉えている。

ところがだ。
昨日の記事のように「大量リストラ」の場面では、そのような行為をしている企業は、あまり無いように見受けられる。
ここで、理解して欲しいのは「従業員=正社員」のことではないのだ。
派遣もアルバイトも、契約社員も、その企業の業務に従事している人をすべてのことなのだ。

報告書には「従業員は人財です」と言いながら、詳しい説明もなく「大量リストラ」を行なう。
トヨタ自動車やキャノン、ソニーなど、グローバルに活躍する「超巨大企業」がこんな状態だ。
これでは、大きなコストと労力を使って「報告書」を作っても、
「あれは、報告書だけ。実際は違うんです」
と世間に言いふらしているようなもんだ。

大きな企業になればなるほど
「発信した情報」には、ちゃんと責任を持つべきだ。
中部地区の中小企業の印刷会社に勤める50代のディレクターだけれど、この企業に厚顔無恥な状況には、少々呆れている。

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2008年12月11日 (木)

こう言う時こそ「CSR」を

毎日毎日、大企業の「大量リストラ」のニュースが目につくようになった。
アメリカ発の金融危機が、実体経済に追いついてきたと新聞やテレビで言っている。
実際に「トヨタは砂上の楼閣なのか」で書いたように、私たちの仕事にも大きく影響が出始めている。

ところで、「社会的責任=CSR」にあるように、今の私の大きな仕事として企業の「CSR報告書制作ディレクション」がある。

そこには企業にとっての利害関係者(ステークホルダー)として、お客様や取引企業、株主の他に「従業員」に対する企業活動を報告するページがある。
Kigyoucsrwo
例えば「育児支援」「資格取得サポート」、最近では「メンタルヘルス対策」など、要は「ウチの会社は、こんなに従業員に対して、手厚く対応していますよ〜〜」と報告しているページだ。

ところが、ここ数日見る「大量リストラ」の映像には、全く経営者の姿が映ってこない。
おそらく「ニュースリリース」として、報道関係者に「紙ペラ一枚」で報告しているのだろう。

これで「CSR=社会的責任」を果たしていると言えるのだろうか?
もちろん私は企業に勤める人間なので、経営的に苦しくても雇用を絶対確保しろとは言わない。
そんなことして、企業が倒産したら「元も子もない」ことは分かっている。
そして「有能な社員」を確保し、「そうでもない」社員を放出する企業の考え方も理解している。
でないと、一生懸命やっている社員は「バカバカしく」なるからだ。

そんなことは、ぜ〜〜〜〜んぶ分かっていても、この「大量リストラ」のニュースを見ていると
「結局、日本の企業は都合が悪い時には、トップは出てこないんだな〜〜」
と感じざるを得ない。

とてもとても「CSR=社会的責任」を果たしている企業の姿には見えないのである。

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2008年12月 9日 (火)

トヨタは砂上の楼閣なのか

昨日の「ホンダF1撤退のニュース」の続編的記事を。

昨日の記事にも書いたように私の住んでいる地域は「トヨタ自動車」の影響を直接受ける。
この世界的にも「超巨大企業」はここ数年「営業利益だけで1兆5千万円」と言われて、毎回毎回「過去最高益」と騒がれていた。

そんな超優良企業から少なからず仕事を受注している私の感想はどうかと言えば、結構「苦々しい」気持ちで見ていた。
Toyotanosyotai
なぜか?

あの企業のやっていることは「皆で喜びを分け合う」気持ちが少ないからだ。
私のブログの最初の頃、このグループ企業の仕事をメインに担当していたので、結構愚痴を書いた。

そんなんでいいのか!
トヨタは大丈夫なのか?

この辺りは「愚痴」というか「批判」に近いのだが、実際に今のようにトヨタ自動車がつまづくと「スゴイ驚き」を感じる。

だって考えてみてください。
「営業利益だけで1兆5千万円」と言われていた企業です。
確かに今年度の始まりには「3割減」と言われていたけれど、ほんの2〜3ヶ月で「生産調整」や「派遣大量削減」になるなんて言うのは、ちょっと信じられない。

「これをきっかけに本当は経費節減しようとしてんじゃないのぉ?」
なんて邪推をしてしまうが(この企業に対する私の感情が入ってますが)、
いずれにしろ、世界的大企業の収益の構造って、こんなに脆いのかと思ってしまう。

しかも「ホンダ」のように「F1撤退」はせず、「生産調整」とか「派遣削減」とかしているって聞くと「イメージ」としては、よろしくないよね?

こんなふうに個人的にこの企業に対して「良い感情」は持っていないけれど、大きな影響力を持つ大企業の収益構造が「砂上の楼閣」でないことを祈らずにはいられない。

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2008年12月 8日 (月)

ホンダF1撤退のニュース

先週末にモータースポーツファンには大きなニュースが流れた。
しかもかなり突然に・・・・・。

その夜のテレビや翌日の新聞には、一般のニュースと同様に大きく扱われていた。
確かに「ビックリ」である。

「トヨタ自動車」はかなり業績が悪化している。

このニュースは秋以降、報道でもそうだし、仕事関係でもよく耳にする。
特に私の住んでいる地域は、この「トヨタ自動車」という企業の影響が大きいために、かなり近い感覚で見聞きしている。
(この件に関しては明日記事にする)
Hondatetai
しかし、「ホンダは違うかな」と思っていた。
そしていろんなニュースで言われたようにホンダにとって「レース」とは、一般の自動車産業企業とは別の次元で大切なものだと思っていた。

このビッグニュースについて、スポーツジャーナリストの二宮清純氏がテレビでちょっと面白いことを言っていた。
記憶に頼りにすれば、多分以下のようなことを言っていたと思う。

この撤退には2つの意味がある。

1つは「従業員をリストラしなくちゃいけない時に、レースへの資金投入を企業としてどう考えるか」という点だ。
これは、いろんなニュースで言われている。
「レース」は良く言われるように、自動車産業にとって「研究開発」の場でもある。
特に最近では「安全性」に関する研究では大きく貢献していると言われている。

そしてもう1つの視点が二宮清純としての面白い意見だった。
「レースとしてスピードを競う時代が終わったのではないか。これから自動車産業は『スピード』以外の『環境』や『安全』で他社と競う時代が始まるエポックなのではないか?」

もしも二宮氏のこの視点が、将来を見据えているものだとしたら、「ホンダ」という企業の先見性に脱帽せざるを得ない。
そして個人的には本田宗一郎の残した「ホンダスピリッツ」は、今でも脈々と受け継がれ「新しいステージ」への「チャレンジ」のための「撤退」なのだと思いたいのである。

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2008年12月 5日 (金)

「水売り」から「ブログネタ提供サービス」まで

Mizuuri_2

江戸話が好きで、小説を良く読んでいるのは、このブログにも何度か紹介した。
江戸話が好きな理由はいくつかあるが、読んでいて
「こんな商売があったんだ」
と思うことがある。

その中の1つに「水売り」というのがある(らしい)。
「ひゃっこい、ひゃっこい」と冷たい井戸水を桶に汲んで、町に売り歩くんだそうだ。
江戸時代でも夏は暑い。
風鈴とか冷や奴とか、音や食べ物で涼感を味わおうとしているが、それじゃ物足りない。
まして、今のように冷房や冷蔵庫なんてものはない時代だ。
だから「水売り」は、夏の間の期間限定商売として成立していたようだ。

そんな「売り歩き」商売の人は、秋には「虫売り」になったり、春には「花売り」になったりしながら、季節に合わせて商売をしていたようである。

「水」
もそうだが、「虫」や「花」は今でも売っているが「売り歩く」ことはなくなった。
これは時代の流れでそうなったんだろう。

商売と言うのは「時代の流れ」と密接に関係している。
現代のようにネットが当たり前になり、私のようなものでも普通に「ブログ」をやる時代になると、今度は「ブログパーツ」などが商売として出てくる。

もちろん、私たちはほぼ無料で「ブログパーツ」を利用するけれど、制作するのは無料じゃない。結構高い制作費がかかる。
そして時代が進んで、「ブロガー」がどんどん増えると今度は「ブログネタ提供サービス」なんてものまで出てくる。

Buroguneta_2

確かに、私を含め「ブログ」を書く人にとって「ネタ」は苦しい部分である。
だからだろう、私の利用しているNiftyではそんな「ブログネタ提供サービス」を始め、そのネタでブログを書いている人を紹介までしている。

これからもっともっとネットやバーチャルの時代は進んでいくだろう。
そうすると、全く創造できないような新しい商売が登場して来ることだろう。
江戸時代に、今のような「ブログネタ提供サービス」なんかは思考のまったく外だったように・・・・・・。

しかし、新しい商売が生まれても、
「ひゃっこい、ひゃっこい」
とか
「きんぎょ〜〜〜〜〜え、きんぎょ」
のような情緒ある音を奏でる商売は、確実に減っているのは、淋しい限りだ。

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2008年11月28日 (金)

いのちと触れあう仕事

この人のことを取り上げるのは、3回目になる。
1回目は「ブログにも表れるのか?」で、2回目は「イシダ。さんに学ぶ」だった。

今回で3回目だが、どうも最近は「イシダ。さんち」のブログが気になるので、よく訪問をする。

彼女は「1日に2〜3回」とか、割と定期的に更新される。
それが11月になってから、2週間くらい更新されなかった。
「どうしたんだろう?」
と思っていたら再開されて、ちょっと安心した。

どうやらお仕事がいそがしかったようなのだが、彼女の仕事は「非常勤のヘルパーさん」とのことだ。
しばらく更新されなかった直前に「苦しい状況」という記事があった。
危篤状態のおばあさんがいるけれど、医療行為はできないという「ヘルパーさん達のジレンマ」が伝わり、ちょっと切なかった。
Inoti
さらに「天に召された日」では、そのおばあさんが亡くなった時の心情を書いてくれて、「すごいな〜〜」と素直に感動した。

私の仕事には、リアルに「いのちと触れあう」という場面はない。
病院やヘルパー養成学校のパンフレットなどの制作に携わることがあっても、「いのち」そのものに触れあうことはない。

若い頃からの友人で「昔ながらの額縁屋さん」と知り合った頃、彼の友人の彼女(ちょっとややこしいですが)が看護婦をしていると言う話を聞いたことがあった。

その時に「患者さんの死」をどう受け止めるかということについて
「ある程度、ドライに受け取らないと、心が持たない」
と聞いた記憶がある。

イシダ。さんの話も、その看護婦をしていた彼女の話も、私には多分出来ない気がする。
ましてイシダ。さんのように「応援したり」「謝ったり」「自己嫌悪になったり」しながら、それでもヘルパーを続け、しかもその仕事に誇りを持ってみえる姿は、とても眩しい。

職業には、それぞれの分野で難しさがある。
それが「普通」に出来るようになることがきっとその道の「プロ」なんだろう。
だから、他人から見れば私の仕事は「すごいな〜」と見えるかもしれない。
けれど、やっぱり「いのちと触れあう仕事」の崇高さには、適わない気がする。

今の自分の仕事に誇りもやりがいも持っているけれど、どんな仕事でも「プロ=職人」になっている人の姿は、やっぱり眩しいと感じる。

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2008年11月27日 (木)

いろんな意味で学ばせてくれる人(その2)

続きを・・・・。

さて、この「A」氏は、前回書いた他にも、私にとって「学ぶべき点」が多い。
例えば「銭勘定」を前提とした「営業との駆け引き」
これなんか、どうしても「職人肌」の私には欠ける部分だ。
Tengu
「まぁ〜〜、しょうがないからやってあげるわ」
というのは、私一人だったら会社的に問題はない。
しかし部下を持ってくると、そうはいかない。
「部下の成果は何か?」
と問われた時に「営業の感謝の気持ち」じゃ、企業は成立しない。
だから「がめつく」見られても、ちゃんと「銭勘定」して、「売上げ」という成果を出さないと、頑張った部下には、何の見返りもなくなってしまう。

それから、上層部の使い方。
これなんかも、やっぱり「職人肌」の私は苦手だ。
というか「あんまりやりたくない」世界だ。
「上層部への根回し」「上層部が承諾する稟議」なんてのは、この「A」氏は、実に上手い。
「こんなことばっかり考えているんだろうか?」
と思えるくらい私の思考回路にない理論で上層部に話していく。

じゃ、この「A」氏は、本当に私にとって「学ぶべき点」だけかと言うとそうでもない。
私の部下曰く「すごい嫌な奴になるギリギリの線」なのだそうだ。

今まで挙げた「学ぶべき点」を実行するためには、とことん「人や仕事」を利用する。
けれどギリギリで人から「憎めない」キャラで逃げ切っている。
Kozyuuto
そして、最近目につくのは「ある1面だけ」を見て「ああだこうだ」と意見を言う点だ。
「ちょっと自信過剰になっているかな??」
と思えるくらい他部署のことを平気でイロイロ言ってくる。

この記事を書くために「上司」というワードで検索したら
「Let's とんでもバカ上司」というサイトに行き当たったが、そこに最近の「A」氏に当てはまるものが2つあった。

「天狗型とんでもバカ上司」

「小姑型とんでもバカ上司」
の2つだが(詳しくはリンク先で見てください)、これもある意味「A」氏に学ばさせてもらったわけだ。

「いい気になって、こういう上司になってはいけない」と・・・・・

「A」氏は、私にとって「新しい側面」「反面教師」のプラスマイナスの両面を学ばさせてくれる「いろんな意味で」貴重な人間だ。

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2008年11月26日 (水)

いろんな意味で学ばせてくれる人(その1)

最近このブログは、コメントを定期的に寄せてくれる奇特な人がいるため、ちょっとだけその人たちを意識したりして記事を書くときがある。

しかし、このブログを始めた最初の動機は
「どんなもんかな〜〜〜」
という興味と
「仕事の知識」
としての必要性という2つだった。
Zeni_2
まぁ3年もやっているとかなり詳しくなってきて、それはそれで良いのだが「秘匿性」という点を悪用して「会社の愚痴」なんかも書くようになった。
振り返ってみると、初期の頃は「クライアントの愚痴」も多かったが、「愚痴っている自分」も、あんまりカッコ良くないかな〜〜」とも思いながら、それでもストレスのはけ口として「愚痴」は書いている。

前段が長くなったが、今日の話題も社内の愚痴だ。
主人公は「自分の目線と他人の目線」「時代は変わっても活きることわざ」に登場してくる

A=たまにこのブログに出てくる、同じ部署で昨秋同じに副部長になったシステム系の人間

である。

彼はシステム系の出身なのだが、いわゆるPCが得意な系列でなく、どちらかというと「銭勘定」が得意なタイプだ。
私よりちょうど10歳年齢が下だが、私のように「職人肌」が好きな人間にとっては「銭勘定」の話の進め方は、とても勉強になる。

昨年の秋から副部長になり、売上げを含めた「課員」の立て直しや、チーム編成など課長と一緒に検討する時に、この「A」氏「銭勘定」の思考回路を使わしてもらった。
その時にはちょっと意識しないと使えなかったけれど、最近は「少し上の目線」が理解できるようになり、その「銭勘定」は自分の中に、うまく収まりつつある。

「銭」で物事を判断することってのは、自分の「仕事」に関する信条とは違う道なのだが、「会社と言う世界は全員が同じ価値観」で勤めていない。
だから「同じ価値観」になる「銭勘定」が最も使いやすいと言うことが50歳を超えて、学ばしてもらった。

ところが・・・・・
この続きは次回へ。

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2008年11月17日 (月)

無形なものの難しさ

あんまり身近な話じゃなかったから、ブログには載せなかった。
けれど、芸能的にはトップバリューのせいか、連日テレビで放送されているうちに「ふっ」と自分の周辺に関係ある事に気づいた。

なんの話かと言えば「小室哲哉逮捕」の話だ。
詳しくは知らないけれど、罪状は「著作権譲渡に絡む詐欺」と言う事らしい。
この「著作権」というものが実は私の仕事と関係してくる。

2年ほど前に「58000円の価値」というタイトルで記事を書いたが、これは「知的財産権」に関するセミナーだった。
Komuro
私は、法律家でもないし、弁護士でもない。
単に中部地区の中小の印刷会社に勤めるサラリーマンのプランナーだから、本格的に法律の事は分からない。

なかでもこの「知的財産権」というものは難しい。
さらに難しくしているのは、これは先日受けたセミナーで聞いたのだが「知的財産権を行使しすぎると、今度は独占禁止法に引っかかる」という点だ。
今回は関係ないので、この話は省くは、とにかくこの「知的財産」という「無形の財産」はやっかいなものだ。

特に、今回は「著作権」の話でテレビでちょっと詳しい人が「登録している」云々と言っているが、ここでもまた難しい事になっている。
というのは、実は「著作権」は、創作したその「瞬間」から生まれており、特別「登録」したり「CopyRight」などの表示をしなくても、権利はあるのだそうだ。

例えば、このブログだってそうだ。
そして厳密に言うと、私がこのブログで掲載する他から引用する「文章」や「画像」だって著作権違反になる恐れがある。
実際は、私はこのブログで「金銭の授受」を行っていないから、多分大丈夫だと思っているが、それくらい著作権と言うのは身近にあるものなのだ。

私はこのブログに敢えてコメントは載せていないけれど、「気になるサイト」の中の「この日から」のトップページにはこんなコメントが掲載されている。

*当ブログ内の創作物語の著作権は筆者にあります。無断での転載をお断りしますね。

現代は特にデジタル化がスタンダードになり、「劣化なく複製」出来ることが、「知的財産権」の取り締まりを厳しくしている背景のようだけれど、今回の「小室哲哉」の逮捕で、本当はこういう「無形の財産」について、きちんと論議をして欲しい気がした。

どうも逮捕した側には、そんな狙いも見受けられた気もするが、世間の注目は「豪華な生活からの転落」ばかりに行ってしまったのは、計算違いだったのかも・・・・。

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2008年10月20日 (月)

1つ上の目線を

ひと月ほど前に書いた「無知の知」の続編。
というか、このネタは今年の新人がらみなので、ある意味断続的なものになっている。

あの時取り上げていた題材の「紹介書」は終わったのが、二人の女性スタッフに面倒見させている「社内報企画(練習)」が苦労している。
苦労しているのは、もちろん新人もそうなのだが、面倒見ている女性二人も苦労している。

「どうしたら、伝わるのだろう?」
「どうしたら、出来るようになるのだろう?」
「なぜ、そう思ったり言ったり出来るんだろう?」

と日々感じているようだ。
先日も、当初の工程で出来そうもないと思ったスタッフが、私が「紹介書」の時にやった方法を真似て、細かな工程を組み立てた。
それでも、思うようにならないので、今度は毎日を「時間」で区切るようにしてきた。
Koting
もちろん、それは年上の女性スタッフがリードして二人で相談し、なおかつ私に相談しながら進めているのだが、私自身も予想以上の効果にちょっと驚いている。

彼女たちに指導を任せたのは、新人のためと言うより、「人を指導する事で学ぶ事」という「1つ上の目線」を経験させたいというつもりだったので、女性スタッフ二人のための方が大きい。
それが、私が思っていたよりも一生懸命考えているし、相談している。
そして、その二人がまた私に相談する事で、私自身ももう1つ「上の目線」を感じさせてくれる。

例えばこんなことだ。

企画アイディアのチェック時に新人と女性スタッフとで話した事を、女性達は私に一生懸命話してくれる。
そして

「なんで、あんなふうの思考になるんだろう?」
「なんで何の根拠もなく『出来ます』って言えるんだろう?」

と言ってくる。

この女性二人、一人はこのブログが始まった頃には新人だったから今年3年目。
もう一人は昨年からこのブログの登場してきた40歳少し手前の派遣から社員になった女性。
3年目はもちろんもう一人も本格的に後輩の指導は初めてなので、感じた事を話してくれるのだが、そこで私自身が気づくのは、こんなことだ。

「多分、彼はこう考えるから、そんなコメント言うんだよ」
「それは、君たちが話している事を、こう捉えているからで伝わっていないんだ」

など「コーチングのコーチング」として意見が言える。

話している相手が「何を感じ、何を考えているか?」
これは私たちプレゼンを実施するスタッフには必要な能力だが、後輩の指導にも役に立つのだと、「1つ上の目線」に立って、また学ばせてもらった。

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2008年10月 8日 (水)

本物のトップはどこに?

「アメリカ主導型の世界経済が崩れて、混乱している。」

こんなグローバルな話題は、私たちに関係ないかと言えば、モロに関係してくるのが現代だ。
そして不思議な事に、景気が良い話は我々のような中小企業に影響を与えるには時間がかかるのに、悪い話はすぐに影響が出る。
そういう経済構造なんだなと、しみじみと思える。

冒頭に書いたアメリカ発の混乱は、輸出に影響が出て、連鎖反応で各企業にダメージが出ている。
私の住んでいる地域は「モノ作り」で有名で製造企業が多いが、今回のダメージは直撃している。
「昨年対比30%以上ダウン」
こんな数字が現実的に見せられている毎日なのだが、そんな時に10月の全体朝礼があった。
Top
我が社は毎月1日に全社員の朝礼があり、4月と10月には会長が登壇してしゃべる。
当然、この景気低迷の話題になり、
「倒産する事はないけれど、役員報酬カット、そして冬の賞与も少し遠慮してください」
と話していた。

この会長は、この地域の財界でもトップクラスだし、その人脈もすごいし今までの貢献度もすごい。
ただ「中身の変換期」に書いたように、昭和の時代の経営者だ。

だから、会長のことを「どうこう」とは思わない。
肝心の社長、専務、常務という「平成時代の経営者」には失望させられる。

特に新しい方針を打ち出すわけもなく、この危機を乗り切るための手段を講じるわけでもない。
専務などは細かい事には気づく。

「残業が多すぎないか?」
「ちゃんとスキルアップしているか?」
「あいつはタバコばっかり吸っていないか?」

まあ、こんなことばかり私たちを呼びつけて言ってくる。
一部、反省部分もあるので、「そうですね」と頷く。
でも、この程度のことって経営陣じゃなくって、課長/部長クラスの言う事だ。

業績のいい時はそんな経営者でも良い。
今のように「先行きが不透明」な時こそ、舵取りとして進むべき方向を示すのが経営陣が必要なのに、出来ない。

きっと、こんな感想はウチの会社だけじゃないだろう。
もしかするとかなり大手の企業でも、そんな経営陣を見て「うんざり」している人が多いのかもしれない。
だって「政治家が必要の無い国」に書いたように、国のトップがあのレベルだもん。
ウチのような中小企業のトップなんて、あんなもんで仕方ないのかも。

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2008年9月30日 (火)

時代は変わっても活きる「ことわざ」

「ブログにも表れるのか?」に書いたように、どんどんデジタル化が進化し、昔だったら「ありえない」ことが毎年可能になっているのに、人間同士の営みの部分は、あまり変化しないことがある。

もちろん「秋葉原」の事件のように「信じられない」ことが起きることも増えているが、私の周辺にある「人間像」は、基本的に変わらない気がしている。

それは、昔ながらの「ことわざ」が今もそのまま当てはまることで、より一層感じる。
というか、長い年月を掛けて言い伝えられた「ことわざ」は、人間の「本質的な部分」を取り入れているからこそ、今も当てはまるのだろう。

なんの話しかと言えば、またまたあまり話題にしたくないけれど社内の話だ。
発端は「自分の目線と他人の目線」に登場する

A=たまにこのブログに出てくる、同じ部署で昨秋同じに副部長になったシステム系の人間

だった。
Kotowaza
何だか突然、私の主担当している課の活動を
「あまりアクティブじゃないから、考え直した方が良い」
と言って来た(本当はもっとストレートな物言いだった)。

私はいちいち彼のように「思い付いたことを話したり」していない。
特に自部署の活動に関しては。
そして、売上げで苦しんでいる会社の状況も、そして課のスタッフの「専門性」も、これはこれで「悩んでいる」わけだ。

そんなことも知らずに、外から「チラリ」と見ただけで、イロイロ「分かったように」発言して来たから、「キレた」
さすがの剣幕に
「言い方が上手くなくて、ごめんなさい」
と謝って来たが、まさにこの副部長には

『井の中の蛙、大海を知らず』

という言葉を贈ってあげたい。
他にも彼は、あまり自分と関係ない部署のことまで、「裏」でイロイロ動いていたりする。
本人は「裏でコソコソ言うのが嫌いだから」というが、実は「言いまくる」

最近は特にそれが目立って来ており、いろんな所で障害が起きている。
彼のことを「ことわざ」で言い当てるとしたら、他にどんなのがあるだろうと調べてみた。

『群盲象を評す』 
多くの盲人が象を撫でてみて、その手に触れた範疇(はんちゅう)内で象のことを云々(うんぬん)するということで、凡人には大人物や大事業の一部分しか掴めず、大局からの見方はできないということ。

『驕る者久しからず』
栄華を窮(きわ)め、勝手な振舞いをする者は、いつまでもその地位にいることはできない。

なんてところだろうか?
ま、それにしても

『他山の石』
自分の石を研(みが)くのに役に立つ他の山の石という意味から転じて、自分の人格を磨(みが)く助けとなる他人の言行。自分にとって戒(いまし)めとなる他人の誤まった言行。

にならないように気をつけたいものだ。
やっぱり昔の人の言葉は重いのである。

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2008年9月25日 (木)

中身の変換期

中国の「食の安全」を話題にしていたら、足元の「日本」にもあった。
しかも最も日本食の基本となる「米」に問題があった。

こんな企業や政府機関の不祥事は、私のこのブログでも何度も何度も話題にした。
だから、ニュースで騒いでいるほど、インパクトが強く耳に入ってこなかった。(それはそれで、恐ろしい話だが・・・・)

ここ数年「他山の石」と思っていたら「自分の企業が」と思った人は多いはず。
「その点、ウチみたいな中小企業は」
なんて思っていると、やっぱり「足下」で起きる。
Henkan
前置きが長かったが、わが社でも不祥事と言うか「経営者の使い込み」事件が明らかになった。
これは一部の人しかディスクロージャーされていない情報だが、関東事業部の前の社長が中心となった不祥事だ。
(我が部長は執行役員でもあるので、ちょっとだけ情報を漏らしてくれた)

これも実は全部解明できたわけでなく、一部解明された段階で
「前社長は取締役を降りてもらう」
「社内監査役は子会社に左遷」

という一般社員には「なんだろう??」という人事異動で幕を降ろすようだ。

しかしこれで「やれやれ」じゃない。
ウチには大総帥の「会長」がいらっしゃる。
この人確かに、ウチの会社を大きくした最大の貢献者であり、経営的なカリスマ性のある人だ。

けれどだ。
そろそろ時代に合わなくなって来ている。
昔のような「不明瞭な使途金」が許されなくなって来ているのだが、本人は「納得していない」
もっともいろんなうわさ話で聴くだけで、本当はどれほどのことか分からない。

しょうがないのである。
「印刷工場の親分」
だった気分のままで気持ちはまだ「昭和」なのだから。

きっと今、次々起きる企業の不祥事の「本当の根っこ」ってこんなところが原因なんじゃないかと思っている。

東京を初めとして、街は奇麗に、そしてスタイリッシュに変化していっている。
しかし、企業の中身の「経営者の感覚」は、これからやっと「変換期」なのである。

まだまだ「昭和」の膿は出続けるのかもしれない。

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2008年9月19日 (金)

無知の知

過去に「頑張れ!新人君」「男と女の違い」で登場した今年の新人君の話題再び。

どうも思ったようにステップアップ出来ない。
ついには、面倒を見させていた「入社3年目」の女性スタッフから相談されてしまった。
彼女1人の話では判断できなかったので、もう1人、これもちょくちょくこのブログに登場する40歳少し手前の女性スタッフにも話を聞かせてもらった。

二人の感じ方は概ね同じ。
「これはまた最初から、仕込み直しかな〜〜〜」
と判断した。
Muti
幸い実務をやらせていない。
練習で「社内報企画」ともう一つ展示会で見つけて来たツールの「紹介書」の2つをやらせているのだが、とても「同時進行」が出来ない。
本当の仕事の場合、複数の仕事を「同時進行」するのが当たり前だし、その上で「自分でスケジュール構築」するかが1年生の課題だと思っていた。
が、しかしもっともっと手前からやり直すことにした。

「毎日のチェック時間とどの部分をどんな形で提出するか」まで細かく設定したスケジュールを作成し、まずは「紹介書」を完成。
その後「社内報企画」は二人の女性とブレストしながら構築することした。

なんでこんなにステップアップできないのか?
入社3年目の女性が新人の時と、どう違うのか?

「男と女の違い」にあるように性別の差はある。
しかし決定的に違うのは3年目の女性は
「自分は何も分かっていない」
ということを「知っていた」からだ。

今年の新人は違う。
大学で「企画系」を学んで来ている。
この件に関しては「頑張れ!新人君」に書いたように、本人には
「そんなにすぐに出来るわけないんだ」
と言ってあるが、きっと気持ちの上で「納得」出来ていない。

まさに「無知」であることを認めたくないのだ。
そしてそれを「プライド」と呼ばれ「そんなものがある間は、成長しないよ」と話してあげている。

入社当時のレベルに戻して、やり直し始めたけれど、さてさて彼の「プライド」はいつになったら氷解していくんだろう。
「もっと出来るはずだったのに」
こう思うこと自体に「プライド」があることに気づいて欲しいものだ。

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2008年9月18日 (木)

上司の役割

上司の役割って何だろう?

私は今「副部長」という微妙なポジションの管理職だ。
関東と中部の2つの事業所を合わせて500人の企業の「副部長」だから、そんなに偉い役職じゃない。

というより、このブログで何度も書いたように私自身は「デザイナーを出発点としたクリエイター」だから、こういう「管理職名」はピンと来ていない。
「AD(アートディレクター)」とか「CD(クリエイティブディレクター)」とか「C(コピーライター)」「Ca(カメラマン)」とか言う職業名の方が感覚としてフィットしている。
Jousinoyakuwari
それは置いておいて、会社の中の「上司の役割」とは何だろう?
よくあるのは部下の相談に乗ったり、書類に目を通してアドバイスしたり、もしくは判子を押したりする。

「上司の役割は責任を取ることだ」
そんなふうに「モノの本」には書いてあるが、これも微妙だ。
「責任を取る」
って言っても、金銭的にフォローできるわけじゃなく、よくあるのは始末書や会議で頭下げるくらいが目に見える「責任」だ。

何でこんなことを思ったか?
過去に何度もこのブログに出てくる我が部長が先日、私にこんなことを指示した。

ある課の入社4年目の子が「辞表」を出して来た。
これもカンタンに出したわけじゃなく、本人も悩み、私もその課の課長も話を聞き、そういう結果になったことだから、「辞めること」に問題があったわけじゃない。

で、一応会社の用紙に記入された「辞表」回って来たので、捺印し、部長に提出した。そうしたら
「じゃ、これ専務に持って行って」
と言って来た。

出張旅費の清算だったり、休暇届なんかでは、私も捺印するだけで、本人が関係部署に持って行く。
でも「辞表」はちょっと違う(と思っている)。

そして我が部長はこうも言った。
「専務に辞める理由を聞かれたら、説明しておいて」
確かに、部長よりも内情は分かっている。
けれど、それを全部任せるかな〜〜〜。

本人は、その理不尽さに気づいていないが、先日この話を別の課の課長に話したら、エラく憤慨していた。
「『俺に人事権がある』と言っていたのに、何だそれ!」
と我がことにように怒っていたが、なぜか私は冷静だった。
「もういいや、この部長のことで怒ったりがっかりしたりするのはヤメにした」
これが、私の上司に対する正直な感覚なのである。

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2008年9月17日 (水)

満足度の高い対応

今日のブログは「秋刀魚」の写真を載せているけれど、直接関係がない。
この「秋刀魚」を食べている所で経験した事が、ステキだったので、記事にした。

6月頃に「わけぎのぬたあえ」で紹介した「ザ・めしや」には、最近1日おきに行く。
コレステロールの薬のために病院に行くと先生から
「満腹に食べていいのは20代まで」
と言われて、ちょっと食事の事を気にしだすと、やっぱり「ザ・めしや」みたいなところが良いからだ。
最近は自炊は冷や麦くらいのもので、あとは全部外食になってしまったから、特にこういう店が便利なのだ。
夜遅くても大丈夫だし・・・・・。
Sanma
さて、そこでこの写真にある「秋刀魚」のポスターを見て、その日は「秋刀魚」にした。
こういうお店を知っている人は分かるが、自分でトレイを取って、好きなおかずを取り、ご飯とみそ汁を頼んで、会計に回る。
会計まで、ずっとトレイを持たなくても、カウンターに置いて、引っ張りながら進めるから、これも便利だ。

ところが、ここで事件(?)は起きた。
そんなに大げさじゃないけれど、お味噌汁が結構たくさん装ってくれたのはありがたいが、トレイを移動したらこぼれてしまった。
こぼれたのは、トレイの中だから「まぁしょうがないな」と思って、レジへ行くと、その係のお姉さんが
「ちょっとお待ちください」
と新しいトレイを取りにいって交換してくれた。

そのお姉さんは、前の客の対応をしていて、私がお味噌汁をこぼしたのに気づいているとは思っていなかったので、却ってびっくりしてしまった。
思わず
「ありがとう」
とお礼を言って、席に移って食事を始めたが、とても嬉しい気持ちだった。
「お客様アンケート」があれば、書いてあげたいくらいの気持ちだった。

以前に「顧客満足」で書いたように、言葉ばかり「顧客満足」って言って、実際は全然出来ていないお店が多い中、こういう対応はとても印象深かった。

お店の教育が良いのか、そのお姉さんの気配りが良かったか、それは分からない。
でも確実なのは、その「ちょっとした気遣い」が、私の満足度を
「ものすごくアップ」
したことだ。

セミナーやコンサルが「CS(顧客満足)」とか偉そうに言っているけれど、肝心要な事は、こういうちょっとした「気配り」であることを、改めて感じさせてもらった。

最後に、目当ての「秋刀魚」は、それほど美味しくなかったのは、残念だったな・・・・。

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2008年9月 9日 (火)

船頭のパニック

まもなく収束しそうだが、この1〜2週間アラシが吹き荒れている。
いつものように細かく説明するとスゴく長くなるので、省くが「骨子がない企画」でのプレゼンテーションに巻き込まれている。

「骨子」
とは辞書で調べると「全体を構成するうえでの重要な部分。要点。眼目。」と載っている。
プランニング的な用語に言い換えると「コンセプト」とも言う。

この話を分かりやすく説明するには「制作物とは」とか「プレゼンとは」などなど、エラく専門的な話になるので、これまた省くが、要は「提案するには絶対なくてはならないもの」だと思ってください。
Panikku
今回、わが社のビッグクライアントの「年間販促プロモーション」と言う億単位の業務プレゼンがあった。
中心になって進めているのは、昔、私も在席していた子会社のプロダクションだ。

その40歳のディレクター(?)もしくはプランナー(?)が主担当で取り組むことになった。
が、しかし、このスタッフが、とんでもなくダメな人で、アラシが始まった。

とにかく提案のキーとなる「コンセプト」がない。
だから、わが社のデザイン課がポスターやPOPなどのデザインを制作するにも、「頼るべきコンセプト」がないわけで、それで振り回され始めた。

元々、わが社のデザイン課は「クリエイティブ力」が弱いので、外注スタッフに依頼したのだが、その外注もアラシに巻き込まれた。
A案とB案を作ると言っても、その2つの「コンセプト」の違いが明確じゃないから、デザインがブレまくる。
ブレまくっている証拠に、見たものに対しての修正意見がバンバン来る。

しかもウチの会社で、そういう状況をクリエイティブ的に仕切れるのは、私以外には派遣のベテランディレクターしかいない。
その派遣だから何とかこなしてくれているが、とにかく「めちゃくちゃ」な状態になってしまったわけだ。

実はその子会社の他のディレクターからこっそり教えられたのは、今回の担当ディレクターは、いつもこうなってしまうのだそうだ。
ついでに、わが社の営業にも「彼ってどうなの?」と聞いたら、「デザイナーのちょっと上で、とてもディレクションは出来ない」との返事。

これで納得
自分の実力が分かっていないのに「船を出して」、大海原で「パニック」になっている「船頭」なのである。
人の上に立って仕事をする場合、「自分の実力」をちゃんと理解していないと周りはもちろん本人も不幸だ。

「自分の力を見極めていること」
これも「船頭」には必要なスキルなのである。

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2008年8月20日 (水)

やっとれんな〜〜〜

夏休みが終わったばかりなのに、もう会社ストレスで苛つくことがあった。

いつものことではあるが、それは我が部の部長のことである。
ちなみに断わっておくが、その部長の容姿は、ここに載せたイラストとはまったく違っていて、こんな年寄りではない。
Yatorenjousi
さて「自分の目線と他人の目線」に出てくるA〜Gは相変わらずなのだが、今回の我が部長は、ここで言うBの人だ。

この人、春先に製造系の常務に
「役員のなかでのBへのバッシングはあるよ」
と聞かされて悔しかったのだそうだ。

その愚痴を散々聞かされたのが、こっちは
「外様なのに、あれだけ会議で、他の部署を攻撃してればバッシングはあるに決まってるわな」
と思っているのだが、本人はもっと周りは分かってくれているつもりだったらしい。

それは良いのだが、その後のことが部下としては困っている。
もうビジョンとか目標とか関係無しに、他の役員への「意地」だけでいろんなことを言ってくる。

原価部門をとにかく黒字にしろ
出来るだけ仕事を取り入れろ
営業から外注に流れていく仕事を把握しろ

本人は私ともう1人の副部長に、そう命令するだけで、営業部と折衝することもせず、専務・常務と打開策を検討するでもない。

元々は、そんな人ではなかったのだが、ここ数年すっかり「いじけ虫」になっているのか「やる気無し」になっているのか分からないが、「社内引きこもり」状態なのである。

で、先ほどの「営業から外注に流れていく仕事を把握しろ」の件で、私に「なぜなんだ!」みたいなことを言って来た。

「もう、やっとれんぞ」
と思いながらも周りに部下もいるので、その場は抑えたが、その後、もう1人の副部長と愚痴を言いまくり。

ただ、何もしないわけにいかないので、仕事が流れている外注(と言っても、私が元々いた子会社のプロダクションなのだが)のディレクターに来てもらって話をした。

そうしたらそのディレクターも、散々我が部長のこき下ろし始めた。
2年くらい前には、我が部長とそのディレクターは仲が良かったのだが、どうやら今は違うらしい。

そのディレクターは子会社の役員でもあるので、我が部長の出席する会議にも出るのだが
「そんなことを思うんだったら、なぜ会議で言わないんだ!」
と怒っていた。

どんなに優秀な人でも、ディスクにかじり付いて「社内引きこもり」で、部下に命令だけしている人は、あっという間に周りから見放されてしまうものなんだな〜〜と改めて感じた。

私の場合は、4年くらい前から「こりゃダメだ」と思うようになったが、最近は周辺の人みんながそう思うようになっている。
いよいよダメなんだろうな〜〜この人。
「パワーゲームもずれていく」にも書いたけれど、哀れだ・・・・。

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2008年8月 7日 (木)

みんな言っている

変な題名だ。
同じ場面を同じ時期に見ているのに、別々の二人は違う見解で報告してくる。
そして、こう言うのである。
「みんな言っている」
そんなことがあったので、ちょっとブログに載せてみた。

具体的にどんな話しかと言うと会社のことである。
会社のことは、できればあまりブログに載せたくない。
なぜなら書く時は、概ね愚痴になっているからだ。
だから、今回もそんな「ぐしゃぐしゃ」した社内状況の愚痴みたいなものだ。

私と同じ時期に副部長になったA君がいる。
彼の担当している顧客の本体は、東京にある。
だから、元々よく東京に出張に行っていた。

今年になってから、我が部長が「お前、東京の部署を面倒見ろ」と言って、毎週のように行くようになった。
詳しく書くと、長くなるしややこしいので省くが、とにかく毎週2〜3日は東京に行っている。
Mina_2
私の部下にBという係長がいる。
彼は、2年くらい前に自分で「東京拠点で活動したい」と言って、ほぼ1年半ウイークリーマンション生活で、東京にいた。
昨年の秋に、私の部下に配属(それも思いつきで!)になった。
Bは今でも東京にパイプがあるため、ちょくちょく東京に行ってくる。

まずはBの私への報告。
「Aが東京に行っても、自分の顧客の仕事しているだけ」
「全然、言われた部署の面倒なんか見ていない」
「何をするために、東京に来るんだ」
「そう、みんなが言っているよ」

で、先日別件でA副部長と話した時に、たまたまBの話になった。
そして、A副部長はBのことをこういった。
「東京に行っても何もしていないよ」
「外注さんも迷惑しているみたい」
「みんな言っているよ」

A副部長からも部下のBからも
「みんな言っている」
と同じ言葉を聞いた私は思った。

「みんな」って誰なんだろう?

こういうことって、よくありますよね?
だから、私は思ったのです。

「人を通しての報告はアテにならんな〜〜〜」

誰もが自分が一番やっていると思う。
誰もが自分のことを正当化したい。
そんなことを前提として聞いておかないと、ちゃんと正確な情報にならないんだよね?

「みんなそう言っているよ」

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2008年8月 1日 (金)

昔から日本にあった現代カタカナ語その2

1回飛んでしまいましたが、続きを・・・・
前回のこのテーマの終わりに「世間」という言葉が出て来た。
「社会的責任=CSR」にも同じようなことを書いたが、この「世間さま」は、日本人にとって、非常に大きいものだと最近思う。

「世間さま」という言葉は、私の小さい頃には、よく言われた言葉だと思う。そのものの言葉じゃなかったかもしれないが、やっぱり私のDNAの中にある。
若い時には、この「世間さま」は嫌いだった。
田舎育ちなので、この「世間さま」「近所の目」と同じ意味になり、若者にとっては、とてもうっとうしいものだった。

しかし今になると、ちょっと違ってくる。

1年前に「八百万の神々」という記事を書いたけれど、振り返ってみれば、「八百万の神々」「世間さま」は同じような意味になる気がする。
Seken
ちょっと話は変わるが、これも今回のセミナーで聞いた話。
「コンプライアンス」という言葉がある。直訳すると「法令順守」となるんだそうだが、そのセミナーの講師は、外資系証券会社にいた経験があって、英語に詳しかった。

この「法令順守」だと、違う見方をすれば「法律さえ破らなければ良い」ということになる。ま、この考え方だと「堀江モン」になる。
そうではなくて「願いを叶える」という意味があるのだそうだ。

残念ながら本当にそんな意味があるのかは、調べても分からなかったが、この考え方は面白かった。
そして「誰の願いを叶えるのか?」となると、それはもう「世間さま」になるわけである。

日本にはキリストやアッラーのような「絶対神」の感覚がない。
その代わりに「八百万の神」「世間さま」があるわけだが、「絶対神」じゃないだけに、その定規は「みんな違う」。

そんな違う定規の中で、ちゃんとモラルがあり自己規律が成立していた「江戸時代」は、やっぱり「高いレベル」の成熟した社会だったと思える。
侍には侍の定規、町人には町人の定規、そして百姓には百姓の定規がちゃんとあって、矛盾なく社会として成立していた。

そんな日本だったのに、見事に崩れつつある今だけれど、それもここ10年くらいのような気もする。
こんなことを知っていくと、日本人であることを「誇らしく」思うし、「ちゃんとしないといけないな〜〜」とも思うのである。

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2008年7月30日 (水)

昔から日本にあった現代カタカナ語その1

先日、久しぶりにセミナーに出かけた。
会場は東京の青山で、内容的にもちょっと「微妙」なものだったが、ここのところ部下への指導や、組織運営といった「サラリーマン的業務」ばかりで、自分の「引き出し」が目減りして行く感じがしたので、スキルの栄養補給として行って来た。

余談だが、このセミナーの主催は20代前半に、わずか2年勤めた会社の本社だった。
その会社は、法律系の出版社なのだが、今回のセミナーは参加すると、その本がもらえるというわけ。
ま、言ってみれば「セミナー」の名を借りて、「販売」している感じのものだった。

内容的なことは、説明すると難しいことなので省くことにするが、テーマとしては「CSR」っちゅうものなのです。
この「CSR」という言葉に関して、今回と同じようなことを2年近く前に「社会的責任=CSR」に書いた。

今回のセミナーでも、そのとき書いたようなことを講師が話していて、ちょっと面白かったので、2回に分けて紹介したい。

1回目は「近江商人」の話。
恥ずかしいことに、私はたまたま今年の6月に彦根に出かけた時に知った言葉だ。
この時の写真は、左の「マイフォト」「彦根の旅」として掲載したので、見てみてください。

そんなことは、どうでもいいのだが、この「近江商人」は、「三方よし」という商法だったと言われる。

とあるWEBからの索引だが、以下のように解説してある。
Oumi
近江商人の行商は、他国で商売をし、やがて開店することが本務であり、旅先の人々の信頼を得ることが何より大切であった。そのための心得として説かれたのが、売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」である。取引は、当事者だけでなく、世間の為にもなるものでなければならないことを強調した「三方よし」の原典。

「CSR」とは、その視点によって、いろんな取り方があるけれど、企業視点から見た場合、この「三方よし」と同じことを言っているわけである。

もっと、皆の身近な言葉で「エコ」がある。
これだって「持続可能な社会」とか「次世代のために」とか、カタカナだと「サスティナビリティ」なんて、今の言葉だと、ちょっと実感が湧かない。

「えらく道徳的だよね〜〜」と言う感じになるが、この「三方よし」だと、「うんうん」と思える。
そう「エコ」なんて言うのは、「世間よし」のことなのである。

昔の日本には、この「世間」という実体のないけれど、絶対的な目線が存在していたことが、この「三方よし」でよく分かる。

江戸文化や江戸話が好きなのは、単に年齢的なものだけでなく、非常に高いレベルでの「国民性」を持っていたことが、嬉しく思えるからだと、最近は感じるのである。

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2008年7月28日 (月)

男と女の違い

今年配属された新人は男である。
一昨年配属された新人は女性で、彼女の事はこのブログでたまに話題にしていた。

今年の新人も「頑張れ!新人君」で一度話題にしたが、やっぱり男性は違う。

彼の歓迎会の後、もう1人の副部長と話したが、「男性はどんくさい」のである。
そのもう1人の副部長は、そういう「人間観察」が感覚として出来ていて、結構鋭い事を言うのだが、この新人に関してもそうだった。
Danjo
一昨年の女性の方は、概ね1回の指示で覚えていったし、あまり細かく指導しなくても、うまくやっていった。
けれど、今年の新人男性はダメだ。
同じ事を何度も注意される。
場面は違っているのだが、同じ事をやってしまう。

例えて言えば、こんな感じだ。
練習でやらせている企画書がある。
一番最初から指導するのでなく、一昨年入社した女性新人の勉強のためにも、事前チェックを彼女にしてもらっている。

そうすると、1回してもらっただけで、修正してそのまま私のところに持ってくる。
彼女に聞くと「私は修正されたのを見せてもらっていない」という。
だから
「彼女のオッケーをもらってから、見せに来い」
と言っておいた。

そして、先日は別の女性スタッフと顧客先に同行し、その訪問記録を書いて来た。
その時も、女性スタッフが1度チェックした後、そのまま私に持って来て注意された。

さらに、今回は伝票で起きた。
そろそろ外に連れ出そうと、先日東京へ展示会見学に連れて行った。
会社の場合、出張後の伝票処理はややこしい。

先日、事前にレクチャーしておいたから、そこそこは出来ていたけれど、不備な点もあったので、修正を命じた。
その後、私に見せずにそのまま部長印をもらおうとして、また注意された。
大体すべての伝票は、私の承認印をもらうことになっているのに、もう忘れてしまっている。

1回1回、場面が違うごとに説明しないと理解出来ない。
本当に「どんくさい」のである。

一時期「話を聞かない男、地図が読めない女」という本が流行したが、やっぱり男性と女性は、思考回路と言うか、理解回路が違っているらしく
「こいつ、モノになるんだろうか?」
なんて事まで、思ってしまうくらいにぶい。

それなりの大学を出ているので、決して頭は悪くない(はず)。
やっぱり男性と女性の「構造的な違い」なのであろうか?

50歳になっても「男女の違い」は分からないけれど、「俺もこんなふうに理解力がなかったかなぁ〜〜」と思う今日この頃なのである。

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2008年7月17日 (木)

カッコ悪いぞ、大学生!

先日の「恥ずかしくない50歳になっているかな?」と正反対の話題。

私は中部地区の中堅印刷会社に勤めていることは、このブログで何度も書いた。
クライアントの中には、大学や専門学校などの教育機関もある。
そんな教育機関から、たまに「課外授業」というサービスを頼まれる。
ま、「実際の社会の仕事はこんな感じだよ?」と言った軽い紹介もあれば、実際の授業として行うこともある。
Daigaku
わが部は、そんな時に対応するのも仕事なのだが、デザイン系の話になると、私が指名されることが多く、そのうちに「課外授業」の話が来ると、ほとんど私が対応することになってしまった。

1年に1〜2回はあるので、ある程度使い回しの資料も作ってしまったし、90分くらいしゃべるのもまったく平気になってしまった。
今回、また同じようなことがあった。

違うのは大学からの依頼ではなく、「商工会議所」からの依頼だった。
何でも「産学共同」での講座ということで、「経済産業省」の他、かなり有名な「グローバル企業」が講座を担当することになった。

巡り合わせなんだろうが、全部で10回の講座の「大トリ」になってしまい、先日出かけて来た。

さっき書いたように、何度も経験しているので、結構慣れているのだが、今回はちょっと憤慨した。

まず事務局の対応。
ちょっと早めに着いたので事務所に行くと、担当者はおらず、窓口の人は学生と話していて、こちらが待っていても知らん顔。
しばらく待っていて、ようやく話せたら、「ウチに来たことありますか?」だって。
あるわけないだろう?
要は、講座をやっている会議場に勝手に行って欲しかったみたいなのだが、場所が分からないので、別室で待っていた。

しばらくしたら担当者が来たので、そのまま会場に案内してもらった。
まだ前の講座が続いていたけれど、一番後に座らせてもらい見学していた。
そして、今度は学生にびっくり。

結構有名な食器メーカーのデザイン室の方がしゃべっているので、半数が大口開いて寝ている。
他にも携帯見てたりして、百数十人の学生のほとんどが聞いていない。
それどころか、勝手に席を立って、会場を出たり入ったりしている。

これは、私の講座になっても一緒で、服装がヒドいのなんて可愛いもので、
「あんたら、何しに来ているわけ?」
と思わず言いたくなるような有様。

「こっちは仕事の段取りを付けて『わざわざ」来ているのに」
とまぁ、学生には分からないけれど、怒れて来るわけです。

最後の質疑応答も、特になく
「まぁ、社会に出ると毎日毎日、勉強して行かないと、あっという間に仕事できない奴になるから、頑張ってください」
と言っても無反応。

今まで、いろんな大学や専門学校で話して来たけれど、今回のところは最低でした。
しかも「公立」の大学なんですよね、ここ。

最後に会場を出たら、他の大学から来た女の子が、
「すいません、就職活動のことで、ちょっと聞きたいんですが」
と声をかけてくれたのが、せめてもの救いだったです。

ダラダラしてて、何だか一番カッコ悪い大学生を見させてもらいました。

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2008年7月 9日 (水)

50歳代に頼るなんて

久しぶりに会社の話題。

昨年の秋から「デザイン課」を指導する事になった。
それまでの経緯などは長いし、ややこしいので細かく説明しないが、このブログでは昨年の秋から、ちょくちょく話題にしている。

デザイン業務というのは、実は非常に「お金に換算」しにくい。
普通の編集ならA4を1ページ数千円単位での制作費になるが、デザインだとページ2〜3万円になる。
Reiautojpg
そりゃ「創造性」が付加価値としてあるから、それだけ高いものなのだが、1回で顧客側のチェックがOKになるわけじゃないので、結構手間ひまが掛かる。
そうなると必然的に「売上の伸び悩み」が出てくる。

我が部の「デザイン課」はまさにその通りで、昨年度などは毎月数百万円単位の赤字を出している。
その都度、厳しく指導し、チーム編成も変更し、最終的には今年度から個人的に「ノルマ」を与えた。

それでも4〜6月は「赤字」なのである。
もちろん、少しずつ効果は出てきており、さすがに数百万円単位の赤字ではなくなってきているが、「黒字」にはならない。

原因はいろいろある。
いっぱしのデザイナーがいないのが一番の原因。

一般の人は「デザインは感性で創るもの」と思っているが、実は違う。
例えば冊子の表紙デザインなんかは「感覚」が占める部分が非常に多いが、「本文」という中の文章や写真なんかが配置してあるデザインは「組版ルール」という知識に基づいた「創作性」が必要となる。

この初歩的な感覚が身に付いていないデザイナーばかりが10人もいるのが今の我が部の「デザイン課」なのである。
50歳代の私から見れば、「見習い」ばっかりの集団のわけだ。

もちろんその10人の中には40歳代の課長も、30代半ばの係長もいる。
それでも、デザインスピリッツは盛り上がってこない。
この「赤字状態」についに、我が部長が
「お前が毎朝行って、1日の作業スケジュールを確認しろ」
と言い出した。

また「負荷が増える」とは思ったが、とにかく「赤字」では何も言えない。
で、先週からやり始めた。

やって思ったが、まったく自分たちで「時間コントロール」出来ていないかが分かる。
そして「課長」が管理出来ていないかも分かる。
いちいち「これは、こうして準備して、午後から作業をこうしろ」と指示しなくちゃいけない。

そんなことは、私は先輩から言われなくて、自分で考えてしたものだが、それにしても「見ていない課長」にも飽きれてしまった。
まもなく私は51歳。

30〜40代の私だったら「50歳超えて、現役じゃない人に何がわかるもんか!」と思うのだが、今の課員はすごく素直に聞いている。
情けないやら、悲しいやら。

副部長という管理職になっている50代に頼るデザイナーなんて、見込みない集団だなぁ〜〜〜と思いながら毎朝ミーティングに出ている。

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2008年6月25日 (水)

飛騨牛偽装=日頃の信頼関係

よくも毎年毎年、こんな偽装事件ニュースが出るもんだ。
ついこの前「船場吉兆」が「倒産」という形で決着がついたというのに、またまた出ましたと言う感じである。

今回のゴタゴタを見ていると、テレビでも言っているが、ちょうど1年前の「ミートホープ社」に似ている(というか、全く同じだ)。
この事件の時にも「企業の社会的責任の範囲」というタイトルで記事を書いたけれど、その日付を見ると、6月25日だから、本当に1年前と言うのが分かる。
Maruaki
今回の事件は、私の住んでいる地域に近いと言うこともあり、全国ニュースの他に、ローカルニュースでも取り上げられる。
顔は隠されて見えないが「従業員」という人たちがマイクを向けられて、喋る言葉が、私の生まれた地方の方言なのが、恥ずかしいような懐かしいような複雑な感じで、テレビを見ている。

このブログを書いている時点では、社長はオフィシャルの場では「従業員がやった」と言っていて、自分の非を認めていない。
だから、今の時点では「どちらかが嘘をついている」としか言いようがない。
(捜査員には『指示した』という報道もあるので、多分社長が嘘ついていたんだろう)

ただ、最近起きた「企業不祥事」の「内部告発」の場合、100%「経営者側の指示」だったことが、後になって明白になる。
この飛騨牛の話も、テレビを見る感じでは「あの社長が嘘ついてるよね〜〜」という感覚で見ているし、もしかすると報道する側でも、そう思っているのかもしれない。

話は逸れるが、日曜にNHK-BSで「ザ・ベストテレビ“全部”見せます グランプリ作品」という番組があり、テレビ各局のドキュメンタリーで賞を取った番組を流していた。
その中で、森達也というドキュメンタリー番組のディレクターが次のようなことを言った。

「フレームの中に表現されていると言うことは、フレームの外で表現されなかった部分があることを認識しないといけない」

さすが、ドキュメンタリー番組ディレクターの巨匠の言葉だ。
今回の飛騨牛偽装事件でも、「フレームの外」に何があるのかを考えながら見ていないと、単に「あの社長が悪い!」という在り来たりな結論に落ち着いてしまう。

ただ、今、明らかに「フレームの外」として分かるのは、
「この会社の日頃には、経営者と従業員の間で信頼関係は築けていなかった」
と言うことである。

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2008年6月 6日 (金)

自分の足元

私が中部地方の中堅印刷会社で、プランナー兼ディレクターをやっていることは、このブログでは何度か書いた。
(そう言えば、最近は書いてないかな〜〜〜)

そして仕事柄「宣伝会議」とか「販促会議」とか、まあそっち方向では有名で、しかもスタンダードな雑誌を会社で定期購読している。

「企画」というものを仕事で本格的にやるようになった時には、この系統の雑誌は非常に一生懸命読んだ。
わからない言葉が多いと「眠く」なるのだが、それでも読んだ。
時には、「!」と思って、プレゼンの企画書に「引用」したり、「企画」の根っこの部分として利用もさせてもらった。
Asimoto
これらの雑誌も(というか、こう言う系統だからこそかも)時代の流れによって内容は大きく動く。
いつも一緒じゃないけれど、最近多いのはやはり「モバイル系」企画かクロスメディアの話。

これはこれでとても役に立っている。
「今のマーケットの現状は、モバイル系なしでは語れない」
その通りだな〜〜〜と感じているし、現にわが社でも、モバイル企画を担当(本当はそうじゃないけれど、彼の企画は全部モバイルになってしまった)している課長もいる。

ところが、だ。
最初に書いたようにわが社は「印刷会社」なのである。
しかも「中堅」という実に「中途半端な」ポジションにいる。

私は40代になってから本格的にプラン系を仕事とし始めた。
その経験から言って、このような雑誌に書いてある情報を、このグレードのままで提案しても、まず採用されない。

じゃあ、何が採用されるのか?
実は、ものすごく「ベタ」な部分の方が、企業には受け入れられる。
不思議なのだが、事実そうなのだ。

例えば「ブランディング戦略」なんて言葉もそうだ。
この言葉をそのまま使った企画書は、世の中に「吐いて捨てる」ほどある。
ないのは「その行動や活動がイメージできる」具体的な「言葉」なのである。

10年近くプラン系をやって来て、やっと昨年くらいから「これ」が分かって来たのである。
だから、今、部下にはこういう。
「かっこいい言葉でごまかすな。自分の足元にある言葉に言い換えよう」

我々の仕事は
「カッコいい言葉を並べることではなく、目の前の顧客にどう満足してもらう提案が出来るか?」
なのである。

分かっていても、なかなか出来ない。
だから、プランは難しいのである

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2008年6月 2日 (月)

自分の目線と他人の目線

ちょっと理屈っぽい話。

最近はあまり会社のことを話題にしないが、決して平穏なわけじゃない。
忙しい3月=組織編の話は、未だに続いており、会社の組織的な話は、どんどんこんがらがっている(みたいだ)。

今日の本題は、そのことじゃない。
そのことが根っこの原因でいろんな不都合な出来事について、いろんな人がいろんなことを言う。
もちろん「いろんな」の中に、私自身もいる。

他の「いろんな」にはこんな人がいる。

A=たまにこのブログに出てくる、同じ部署で昨秋同じに副部長になったシステム系の人間
B=我が部署の部長兼執行役員
C=同じ部署の、ちょっと孤立した課長
D=よくコンビを組んでいた営業で、この春部長になった人
E=Aとコンビを組んでいる営業で、同じくこの春部長になったが、関東事業部に転勤になった人
F=この2年間、東京を中心に活動し、わが社の営業のスキルのなさを小馬鹿にして、自分は出来るとおもっている昨秋から私の課に配属された係長
G=DやEを「出来る営業」と思っていてこの春専務になった人

Mesen
この人たちはいろんな局面でいろんなことを言う。
時に「間違っているな〜〜〜」と思ったり、「それはそれで正論だわな」等と思ったりする。
私は結構しゃべるのは得意だし、議論も好きだ。
議論が出来る奴は、概ね「自分は正しい」と思っている。そうでないと、主張できないからだ。

ただ最近は年のせいか「本当に自分の目線は正しいのだろうか?」と思うようになった。
そう思うようになって、先のさまざまな人と意見を交わすと
「結局、自分の主張を通したいか、自分に有利な状況にしたいだけ」
なのではないかと思う意見が多いことに気づく。

「人の気持ちになって考える」

この言葉は、小さい時からよく聞いて来たけれど、それは実はとてもとても難しいことなんじゃないんだろうか?

私の勤める中小企業だって、こんなふうに「自分目線」でしか議論できないひとばかりなんだから。
しかも、「人に言わせよう」とか「わざと喧嘩に持っていく」とか、そんなことばかり渦巻く議論は、突き詰めれば結局「自分目線」でしかないんだな〜〜としみじみ思うのである。

「他人の目線」を理解しながら議論するなんて、年を取れば取るほど難しいことに気づいている今日この頃なのである。

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2008年5月29日 (木)

気持ちは滲み出るもの

船場吉兆がついに廃業!
そんなニュースが流れた。

「船場吉兆」と言えば、例のあの「ささやき女将」が有名だ。
今回の廃業記者会見でも、「社長」として登場していた。

この「廃業」は、どっからどう見ても「身から出たサビ」なので、これっぽちの同情もない。
でも、その「同情の気持ちがない」のは、「女将」本人から感じる「何か」も原因している(ような気がする)。

以前「滲み出る何か……長崎市長選挙の話」でも実は同じような気持ちになった。
この記事も、今回の感想も私の勝手な「思い過ごし」なので、まったく事実無根かもしれない。
だから、その前提で読んでください。
Senba
あの「女将」
何回か開かれた記者会見では、ずっと下を見ている。
今回も同じだ。
でもそれは「反省の態度」ではなく
「下見てうつむいていれば、反省しているように見える」
という感じなのである。

そして女将の「日常」は、従業員や子供たちを叱り飛ばし、アゴで使い、ふんぞり返っている姿が浮かぶ。
そんな女将は「のれんにあぐらをかいていた」
と言ったけれど、きっと今だって
「運が悪かった」
として、心の底から反省なんかしていないのではないかと、勘ぐってしまうのである。

人間は面白いことに、「言葉」だけで理解しない。
態度や声色や目線や、いろ〜〜んなものを総合的に判断して「感じる」
この「女将」は、これが分からず他人を「甘く」見ていたのである。
これが「廃業」の本当の原因のように思われてならない。

「損するスタッフ」で書いたクライアントのクレーム。
仕事をしていればそんな壁はいつでも発生する。
大切なのはその「リカバリー」だ。

幸いあのクライアントのクレームに関するリカバリーは出来ているようだが、船場吉兆は「リカバリーに失敗」したのである。

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2008年5月28日 (水)

頑張れ!新人君

ちょっと個人的な連絡を・・・・

リーフさん、もし良かったら「ブログ」のURL教えてください。
「気になるサイト」でリンク貼らせて欲しいので・・・・・・
お願いしますhappy02

さて、このブログでは、特に取り上げてこなかったが、実はこの春にも、1人新人が配属された。
この新人は、当社のクライアント担当者の息子で、いわゆる「縁故」だ。
ただし、「縁故」でも、それは面談までで、「採用・不採用」が現場側の判断に任せると言う「きっかけ縁故(なんて言葉があるのか知らないけれど)」である。
Sinnyu
昨年、部長と一緒に面接し、ちょうど男性新人が欲しかったことと、大学で、「企画系」を学んでいると言うことで採用した。
ちょうど2年前にも大卒の女の子を採用したが、この子はまったく「企画系」を学んで来ていなかったし、当時は私の直属の部下は彼女一人だったこともあり、ちょくちょくこのブログでも話題に出た

さて、今年配属された新人。
まもなく2ヶ月になるのだが、先日帰りがけに「相談があるのですが・・・」と声を掛けて来た。
「そろそろかな〜〜」と思っていたのが、やっぱり予想していた内容の相談だった。
要は「不安感」なのである。

2年前の新人もそうしたのだが、まだ本格的な仕事を任せていない。
企画を考える「練習」段階である。
ただし、練習と言っても本当の仕事と同じくらい「厳しい」チェックをしている。

本人曰く「2ヶ月経っても、1つも企画案が出来ていない」のが情けないのだそうだ。
これが面白い。

本人は「もう少し出来るかと思っていたが、全く社会では通用しない」ショックを毎日味わっているだろう。
そう思いながら「でも、少しは何かお役に立てるだろう」と思ってもいる。
だから「不安」になるし、「情けなく」もなる。

実際、2年前に入社した女性もそうだった。
だから、今年の新人にも言ってあげた。
「出来ると思っていないし、そんなに期待していないよ」
彼は、親父にも同じことを言われたそうである。

「企画系」の仕事は少なくとも2〜3年は「ひよっこ」である。
それがまだ2ヶ月。
「企画が考えられる」なんて期待なんかしていないのである。

今、彼に求めているのは「スケジュール」を考えながら作業することと、「企画を考える」思考法を味わってもらっているだけなのである。
だから、「1つも企画ができない」なんて悩む必要はないのである。
本人にその話をしたら「憑き物が落ちた」ような顔をしていた。

頑張れ新人!
1つずつ1つずつ言われたことを確実にやっていれば良いんだよ。
不安に思うことはないけれど、慢心せず日々の努力を自ら進んで行えば、必ずいつかステップアップするんだ。
今は「出来ない」「わからなくて」当たり前なのである。

・・・・彼は親父に私と全く同じことを言われたのだそうだ・・・・

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2008年5月15日 (木)

損するスタッフ

今日の話は、以前「自分で作る壁」に登場したスタッフの近日談だ。
このスタッフは、女性である。

派遣から社員に登用したのは、その時の記事に書いた。
その後、仕事の内容を見ていて、どうやら彼女には「ディレクション」の経験が少ないことに気づいた。
と言うよりも「デザイナー」としても、デスクワークが多くクライアントとの接触が少ないのではないかと思った。

そう思ったのは、自分の企画やデザインを、クライアントの要望に合わせて「カスタマイズ(かっこいい言い方だが)」出来ないからだ。
「私は、これが良いと思います」
そう言いきって、そのまま採用されれば、この商売は楽だ。
Sonjosei
現実は、そうじゃない。
予算や納期や、もっと言えば、その会社の目に見えない変な趣向や、上層部への遠慮などによって、かなり大幅に譲歩しないと商売にならない。

彼女にはこれが出来ない。
そしてクライアントにも、担当営業にも「ちょっと困った奴」と映ってしまう。
これは、彼女のこれからのクリエイター人生に関わる。

デザイナーで、自分でデザインしている時は良い。
我を張る影響は自分自身に降り掛かるだけだから。
しかし、ディレクターやプランナーは違う。
関わるスタッフすべてに影響する。
そう思ったから、彼女には、「経験のためディレクションをしろ」と昨年末に言い、立て続けに3本受け持たせた。

2本は何とかこなせた。
というより、内1本はとても恵まれたクライアントで、もう1本は担当営業の対応で何とかなった。
しかし、最後の1番大物のディレクションで、ついにつまづいた。
クライアントからクレームが来た

この話を詳しく書くと長くなるので、割愛するが、結局私が前面に出て、リカバリーすることになった。

問題はここからだ。
いろいろ彼女にもクライアントにも言い分がある。当たり前だ。
そして、元凶は、彼女にある。それは、彼女も認めている。

しかし、それを心情的に受け止められないのが問題だ。
「自分も悪かったけれど、担当営業もクライアントも悪い」
彼女はそう思っている。
そして、その感情が態度や言葉に出る。

上司としては惜しいと思う。
やれるスキルとその可能性があるのに、自分で潰しているからだ。
そして彼女は社員化する時に「長く在席するつもりがない」ことを宣言している。

だから、私も一から教え直そうとも思わない。
これも惜しいのである。

結局、一番損しているのは彼女なのだ。
この世界、女性は大変だ。
一生懸命やってもなかなか認められないし、感情的になれば「だから女は」と言われる。
彼女は、その典型的なタイプだが、これも損をしている。

彼女はまもなく40歳になる。
もう「他人」が話して修正する年齢ではないからだ。
結局、自分自身が真摯に自分の姿を受け止められないうちは、損をすることになる。

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2008年5月 7日 (水)

迷惑メールの件

みなさん「迷惑メール」来ていませんか?
私たちのように会社勤めの人間は、メールアドレスを複数持っている。
「会社用」「個人用」だ。

「個人用」は、プロパイダーと契約していて、多くのプロパイダーが「迷惑メール」対策を取っているので、実際に受信する「迷惑メール」の数は非常に少ない。
Meiwakumail
ところが「会社用」は違う。
会社が契約している接続サービス会社の方は、その対策が取られていない。
というか、対策の契約をしていないと言った方が、正確なのかもしれない。

だから、やたらと「迷惑メール」がくる。
昔は「アダルト系」や「出会い系」が多かった。
まぁ、これは自分がアクセスしたりすると、そのログからこちらのアドレスを盗まれてしまったりしたので、自分の罪でもある。

しかし最近は違う。
外国のメールが大量に届く
全部英語なので分からないが、どうも(不正)アプリケーションの売り込みだったり、やっぱりアダルトだったりするようだ。
(一部写真があると、どんな趣旨のメールなのかは想像がつく)

昔の「アダルト系」や「出会い系」のメールは分かる。
ついつい「ふらっ」とアクセスしてしまうことがあれば、発信した業者からは「儲け物」なのだから。

でも外国からのメールは分からない。
まったく内容が分からないので、アクセスすることも返信することもない。
そしてもちろん読まない。
ただただ削除している。

以前、ウチのシステムエンジニアが言っていた。
10000人に送って1人でも反応があれば「OK」なんだ。……と。
そうすると、この英語のメールは、そういったもので、世界中に配信しているんだろうか?

確か日本の法律では、最近「迷惑メール発信者」には多額の罰金が課せられた記憶があるが、これが外国からじゃ手の打ちようがないだろう。
想像するに、世界中にゴミのような「迷惑メール」が、とんでもない数送信されて、世界中で「ゴミ箱」に捨てられているんだろう。

ちょっとした「デジタルの環境問題」みたいなもんだ。

追伸
さすがに会社内でも、この大量の迷惑メールは問題になったらしく5月から「迷惑メールフィルター」がかかるようになった。

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2008年4月15日 (火)

「見えない」ことは「無い事」

久しぶりに「そこまで言って委員会」がきっかけの話題。
といっても、その番組での話題の話じゃない。

例の三宅先生がある話題の時に、こんな発言をされた。

「今のように情報が溢れている時代には、公の場でその情報に触れられないと『無かったこと』になってしまう」

まさにその通りだと思った。
ネットどころかケータイというものが、ありふれた日常生活の道具になってから「情報」の定義や在り方は大きく変革された気がする。
Naikoto
ネットやケータイが無かった時代にと比較して、世間に発信される情報量はどれだけ増えたのだろう?
何倍とかはわからない。とにかくもの凄い量に増えたことは間違いない。

だから、よほどアピールしないと情報はその量の中に埋もれてしまう。
埋もれてしまうと、時代の流れが速い今は、「無かった事」になってしまう。

そんなことを考えさせる三宅先生の発言だったが、実はもう1つ違う事を頭の中で考えていた。
私の仕事はプランニング・ディレクターという名前にしてある。
本当はプランニングだけにしたいのだが、会社の人材育成の遅れでディレクションもやらないといけないことが起きるからだ。

だから、自分で打ち合わせにいき、プランし、プレゼンし、受注になり、そのまま制作ディレクションする事が多い。
でもたまには、顧客の前に全面的に出て行くディレクションを部下や外注に任せる場合がある。

こういうスタイルの時に、ちょっとした問題が起きる。
うまく仕事が回っている時は良い。
でも、たまには「意思の疎通」がうまくなかったり、ちょっとした誤解で仕事がこじれる事がある。
そうなると必ず言われるのは、「○○さん(私の名前)はいったいどんなポジションで、何をやっているのか?」という文句だ。

実はつい先頃も言われた。
今回は、部下と一緒にプレゼンし、中心的ディレクションは部下だとも顧客に言ってある。
それに、取材も原稿もデザインもすべて私のチェックは通っているし、ちゃんと監修している。
けれど、ちょっとした事が起きて「ちゃんと見ているのか?」と言われた。

結局、ちゃんと見ていても「目の前に」来ていないと「いない」と思ってしまわれるわけだ。
概ね文句を言ってくる顧客は、顧客側に問題が多い。
だから、部下のディレクターよりも年長者の「私」に来てもらって「安心」したいのだろうが、それは実は顧客側の怠慢なのである。

結局、私がチェックしているのだから、私が顔を出そうと部下が全面に出ようと、結果は同じなのだが、「責任者」を出しておきたいから、そういう文句が来る。

こうやって「顔」を出していないと「いない」と思われているような顧客なら、いっその事最初から「いない」事にした方が良いのではないか?とも思えてくる。

多くの中に埋もれて「無かった事」になる情報。
「顔」を見せないと「やってない事」にしようとする顧客。
どちらも、今風の現象だけれど、何だかわびしい気持ちになる感覚だ。

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2008年4月 4日 (金)

昭和と言う時代の意味

この記事を書こうと思って、「昭和」というワードで自分自身のブログを検索したら、結構な数ヒットした。
やっぱり私の中には「昭和」の空気が流れているのだと、改めて思った。

さて何故この記事を書こうと思ったか?
理由は2つある。

1つめは身近でのこと。

4月は新年度の始まりである。
そして新入社員も入るし組織変更もある。
我が社は月初めの朝は、全体朝礼と言う儀式がある。

いつもは社長が15分くらい喋るのだが、半年に1回、会長が喋る。
この会長、間もなく80代
普通なら引退なんだが、やっぱり実力があるし財界ではそれなりのポジションの方だ。

先に言っておくが、決して惚けてなどいない(はず)。
しかし、組織変更に伴う辞令公布の時に
「昭和20年」
と言ってしまった。
それも何度か・・・・・・。

もちろん我が社の社員は皆りっぱなので、笑わないし、突っ込まない。
私なんか優しいから
「あの年代の方にとっても『昭和』は、絶対的な印象なんだろう」
と思いやってしまった。

2つめはの理由はネットだ。
私はポータルを「Yahoo」にしているし、一応会員でもある。
そこで
「昭和レトロ地図」
というサイトが公開されだした。
Syouwa
さすがに東京に限定されているけれど、ちょっと面白い。
地図だけでなく航空写真を見ると、これまた面白い。

その他にも「昭和レトロ写真館」「昭和を歩こう東京散歩道」などなど、いろんな昭和が満載のようだ。

そう言えば最近TVの番組でも、少々懐古的ものがある。
これらは、ある周期で必ず流行するけれど、そんな中でもやっぱり「昭和」は特別だ。

平成になって20年。
「昭和」という時代の持つ意味を、今また大切に考えようとしているのか?
それともただの懐古趣味か?

そして江戸、明治、大正と時代が変わるたびに起きる現象なのか?
とにかく「昭和と言う意味」を考えてしまう出来事だった。

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2008年3月27日 (木)

スピリッツを受け継ぐ難しさ

本田宗一郎と言う人がいる。
私のようにモータースポーツが好きな人間には、特別な人だ。

「HONDA」という自動車メーカーの創始者で、名物社長だ。
この人は一時期ブームになった「プロジェクトX〜世界を驚かせた一台の車~名社長と闘った若手社員たち~」にも登場したくらい個性豊かな人だ。
そして今もなおファンの多い「アイルトン・セナ」が愛したチーム・オーナーでもある。

「HONDA」
という自動車メーカーには、日本のどの自動車メーカーにはない表現がある。

「ホンダ・スピリット」

Hondajpg
あの名物社長が会社に残した最も大切なものだ。
「人まねをするな」
「やるなら1番になれ」

だから、クルマのデザインも機能も独自性が強かったり、いち早くレース参戦したりする。
まさに「本田宗一郎」のスピリッツが、企業に染み込んでいるのが、分かる気がするのである。

そんな偉大な人と比べてはいけないけれど、我が部は我が部長が創設者であり、その立ち上げからの私はメンバーだ。

「自分たちで組織を作り、運営していこう」

これは私たちの部署の「スピリッツ」である。
しかし、我が部長も私も50歳を超えた。

社員や派遣等、部署スタッフの大半は「組織が出来てから入社」した人たちが過半数を超えた。
こうなると、すっかり「スピリッツ」は薄くなり、他の部署との差異は年ごとに無くなっていっている。

ことに昨年後半から面倒を見ることになったデザイン課は顕著だ。
「売上があがらない」
「デザインクオリティは低い」
「ディレクション能力がない」

どの部分を見ても、ライバルと戦えるだけのスキルがないのである。
この半年、厳しいことも行ない、言い続け、1人1人と話をしても、反応がない。
わずかに反応があるのは、派遣社員と言う悲しさだ。

もうこれは「デザイナー」としての「スピリッツ」の問題だと思うようになった。
彼らは、要は「給料を貰えれば良い」のである。
「会社に勤めていられれば、良い」のである。

我が部が出来て10年。
たった10年で、最初のスピリッツは、こうまで薄れてしまうのである。
そのすべての原因が彼らスタッフにあるとは思わない。
牽引する側の部長を始め、私たちの言動は大きいのだろう。

けれど、そのまま陰口だけを言いながら勤めているスタッフにも大いなる原因はある。
「スピリッツ」をなくしたものには、どんな励ましも、どんな注意も、どんなアドバイスも効かないのである。

そんなことを間近で見ていると、改めて「HONDA」の偉大さが分かるのである。

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2008年3月26日 (水)

パワーゲームへの違和感

「パワーゲーム」というワードを使った記事は2回ほど書いている。
1回目は「パワーゲームの空しさ」であり、2回目は「パワーゲームもずれていく」だ。

そしてこの時期には、我が部長がイキイキすることを「上司のイキイキする季節」にも書いた。

今年は、すでに書いたように「会社全体」が大きな変革の波の中にあり、我が部長は、少しだけ孤立状態になっていた。
ところが、まもなく4月を迎えようとするこの1週間で、情勢が動いた。
Iwakan
我が部と同じ目的を持った部署は関東/関西の両事業部にある。
我が部長は1〜2年前から、これらを統合管理し「本部化」しようとしていた。
しかし、悲しいかな外様であり、跳ねっ返りの爆弾小僧という性格が災いし、役員連中からは浮いてしまい、この「本部構想」も聞き流されていた。

その「本部構想」が、急に実現化してきたから、我が部長は元気になった。
関西事業部を私が、関東事業部をもう1人の副部長が中心となって協同活動するというのは、この2年くらい続けているのだが、これをもっと強化すると言うのだ。

考えはわかる。
やることもわかる。
今の業務の延長であり、ステップアップに繋がることもわかる。

けれど、心の中には違和感がある。

私はサラリーマンだ。
だから、会社の「業務命令」の中で暮らしている。
30年以上も社会人をやっているから、そんなことは当たり前だと思っている。

けれど、私個人のアイデンティティとしては「クリエイター」でありたいと思っている。
だから、「組織改革」とか「本部構想」とか「会社のために」とかという言葉は、頭では分かっても、本能的に「違和感」を感じる。

「こんなもののために、汗水流すなんて、楽しいのか?」

そんな言葉が、頭の中でグルグル回る。
急にイキイキしてきた我が部長のしゃべる姿を見ていて、そんなことを考えているけれど、そこは「中間管理職」の悲しさ。
取りあえず上辺だけは「理解し」「賛同」していないとまずいわけで、益々違和感を覚えるのである。

このブログを読んでいる人の中で、もしも旦那さんが会社勤めをしている方がいたら、同じような違和感を持っているかもしれません。
今晩あたり聞いてみてください。

世の中のお父さんは「我慢」と「妥協」を繰り返しながら会社勤めしているのです。

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2008年3月24日 (月)

新聞を変えると言う事

私は中部地方の中堅印刷会社に勤務している事は、このブログで何度か書いた。
私の住んでいる地方の新聞事情は、一種独特の物がある。
それは、ローカル紙のシェアが異常に高いのだ。

一般の人が購読している新聞は「朝日」でも「毎日」でも「読売」でもない。
昨年、50数年ぶりに野球で日本一になった「ドラゴンズ」の親会社が発行している新聞が、圧倒的に購読されている。

だから以前、代理店に勤めていた時に、チラシの折込みがあると困った。
全国紙では、まったく部数が伸びない。
というか、皆が購読しているローカル紙以外は、「チラシが入らない」と言う状態なのだ。
Sinbun
ネットが一般化して、このチラシが要らなくなったかと言えば違う。
相変わらず普通の家庭の奥さまたちは、チラシを重要な情報源として買い物をしているようだ。
だから、チラシが入ってこない全国紙は、益々見向きされなくなる。

そんな私もずっと、このローカル紙の購読者だ。
若い時には「チラシはデザインの勉強材料」と思っていたし、やっぱり「ローカル情報」が欲しいし、何よりも「見慣れている」からだ。

ところがである。
何を血迷ったか、我が社はこの春から「読売新聞」の一部を印刷する事になった。
もちろん、読売との共同出資で、別会社を設立しての操業なのだが、これが自分の周辺に微妙な変化をもたらしている。

先ほどの「ローカル紙」と「読売新聞」は、もの凄く仲が悪い。
代理店の頃に、その影響でチラシを折り込む事が出来ないという経験もあり、何度か「独占禁止法」で、ローカル紙は勧告されている。

この争いは新聞に留まらず、プロ野球にも反映している。
とにかく「ジャイアンツ」には負けてはいけないのだ。

そんな土地柄なのだが、我が社が読売との共同出資で印刷を始めたために、会社から「読売新聞を購読してくれ」というお願いがされた。
当然、新聞購読料の一部を会社が負担するし、1年間は別途で1万円支給するという「特別扱い」ものの連絡だった。

前述したように、新聞を変えるのってなかなか「必然性」がないと出来ない。
だから、「ま、いいか」と思って申し込まなかった。
そうしたら、2回目の連絡があって「購読料のほとんどを1年間は会社負担」とさらに特別条件を出して来た。

これって、逆にそれだけ購読申込者がいない証拠なのだろう。
さすがにこれはまずいと思って、申し込みにサインした。
こっちは独り者だから、奥さんに「ダメ」と言われるわけでもなく、自分が我慢すれば良いかと思ったわけだ。

ただし、アンチジャイアンツとしては、ジャイアンツの勝った記事が大きく紙面に掲載されるのは「感情的」許せないけれど、ここはひとつ大人にならないといけないと50歳になって思ったわけです。

私って偉いな〜〜。
大人だし、愛社精神もあって・・・・・

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2008年3月17日 (月)

便利を求めて不便に

先日、「CSRレポート」制作のためにヒアリングをしていると書いた。
今日は、そこで、聞いた話を1つ。

「リスクマネジメント」
というビジネス用語がある。
企業にはいろんな「リスク=危険要因」があるけれど、その中で最も厄介なのが「IT系リスク」なのである。
2008_03_17benri
このブログもそうだけれど、今やPCは生活や仕事で、不可欠な道具になった。
文字だけでなく画像や動画の他、とにかくいろんな情報が得られるし、加工も出来るし、発信も出来る。

ところが、この便利なものにはとっても怖いものが付いてくる。
有名なものはPCウィルス
最近では、不正アクセス

私たちのような個人レベルだと、そんなに重要な情報は無い。
そうはいっても「通販」なんかの利用者は「ID・パスワード」や「カード番号」などは、かなり重要な情報だけれど。
企業の重要度はこんなもんじゃないし、その数も半端じゃない。

そこで、各企業はその自衛手段のために、さまざまなことを行っている。
まず、PC管理。
ID・パスワード管理は当たり前。
部屋への入退室もカードや番号が必要。
これくらいのことなら、我が社のような中小企業でも今は、行っている。

ヒアリングで聞いた企業は、もっと大きくグローバルな企業だから、凄い。
まずPCの台数が5000台以上だけれど、それでもすべてを掌握しきれていないとか。
そしてその管理が凄い。

サーバーからのログ管理では、単純にアクセスを監視するだけでなく、どんなソフトを何時から何時まで起動して、どんな作業を行っているかまで監視するんだそうだ。

そして、会社で認定した以外アプリケーションがPCにインストールしてあると、ネットに繋がらない仕組みに使用としているとか・・・・・・。
まだある。
プリンタに出力する時に、放置出力紙をなくすために、IDカードで認証しないとプリントされないようにするとか。

その担当者には、究極のPCスタイルを教えてもらった。
要はPCは起動出来るだけ。
アプリケーションはなにもなくサーバーにアクセスしてAPSで作業する。
サーバー側のアプリケーションで作業するというわけなのである。

これならPCが盗難に遭ってもデータは、何も入っていない。
ID・パスワードが無ければサーバーにもアクセス出来ない。
PCは、サーバーに繋げるための単純な「道具」になるわけだ。

このヒアリングで、その担当者は
「本来、便利で効率を良くするための道具なのに、還って不便で効率が悪くなっている。でも、やめるわけにいかないんだよね?」
と本音を漏らしてくれた。
そのための費用だって莫大なんだそうだ。

自動車も便利を求めたけれど、交通死亡事故を発生させたし、古くは産業革命で飛躍的に文明は発達したけれど、CO2を凄い勢いで生産しているし。
まさに、便利さを求めた結果、不便に直面しているという皮肉な話だった。

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2008年3月14日 (金)

忙しい3月=組織編

忙しい理由の3つめ。
3月は年度末とともに新年度に向けた「新組織体制」の準備時期でもある。
今年、我が社は大激震の年度替わりなのである。
303
我が社の本社は中部地区にある。
しかし、関東にも約1/3を占める従業員がいる事業部がある。
ここの「チラシ印刷」が中心の事業部なのだが、近年思わしい結果が出ていない。

そこで中部事業部の専務が「副社長」となって関東に行く事になった。
ただし、この専務はそんなにキレモノではない。
たまたま担当した顧客がよく、後は接待で売上を伸ばしたとの噂で、日常の言動を見ていても
「経営的手腕やイメージ」
がある人でない事は、私のようなものにでも分かる。

そんな人だけ異動になっても、経営的な立て直しが出来るわけが無い。
当然、自分の子飼の部長・副部長も連れて行く。
じゃ、その人達の売上はどうなるかというと、そりゃ売上も関東に持っていくし、残った中部側の営業組織も見直しとなる。

3月の中旬のこの時期になっても、未だに来期どうなるか私たちには知らされていない。
私たちの部署は、その業務の特性上、関東は関西にも行く。
私は関西が多いけれど、こちらは制作部門があり、それはそれで問題だけれど、とりあえず私たちは巻き込まれていない。

問題は関東だ。
専務と一緒に関東に行く事になったある副部長が居る。
彼の仕事は大口案件があり、私と一緒に副部長になった「出世志向」の人とコンビのように日本中飛び回っている。

コンビになっている両副部長はこれからも、同じ動きをしたいけれど、違う事業部になってしまい、しかも関東にはまともな「制作部門」がない。
こういう時には、面白いもので
「会社のため」とか「我が部の成長のため」という飾り言葉を使いながら
「自分の動きやすい案」
を言ってくる事が多い。

この問題、私は蚊帳の外なので、いいけれど、先日も営業の部長・副部長と我が部の部長・副部長の4名で長時間打ち合わせをしていた。
ウチの部長に嫌気がさしている我が部のもう1人の副部長は、「何とかうまく離れたい」感じの言動が見え隠れするし、蚊帳の外で見ている分には面白い。

ただし、少しだけ私自身にも影響が出ている。
もう1人の副部長はシステム系の人間で、そちらを専門に活動しているのだが、企画書が書けない。
それは何年も前から部長から言われていたけれど、結局自分では書かず、私などに依頼して企画書を制作してもらっていた。

他にもシステム系のスタッフはいるけれど、副部長が書けないから、当然部下も書けない。
さすがに、これではダメだと我が部の部長は、3名のシステム系のスタッフを私の課に配属してしまった。

これでますます部長から離れたくなっているもう1人の副部長。
組織変更の大きな渦の中で、翻弄されていく人たちがいる。
けれど、とりあえず目指すべき方向が見えている私は、幸いにして「翻弄」されないところにいるようだ。

仕事と人事評価と組織変更と。
とにかく慌ただしい3月なのである。

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2008年3月13日 (木)

忙しい3月=管理職編

忙しい3月の理由の2つ目。
管理職としての年度末だからだ。

一昨年から導入された「人事評価制度」は半年に1回、課員との面談がある。
昨年の9月までは課長だったので、自分の課の課員だけだった。
しかも人数も2名なので、そんなに負荷は掛からないし、毎日業務も見ているし、相談も指示もしているので、まったく問題はなかった。
302
ところが今回からは副部長となり、他の課の評価もしなくてはいけない。
私が担当するのは、自分の課の他に2課ある。
そのうちの1課は、特に問題にしていないのだが、残り1課が問題だ。

その名は「デザイン課」と言うのだが、まず「デザイン」レベルが低い。
そしてその課長は、元私の部下だったけれど、管理も教育も出来ておらず、仕事の幅も広がっていない。

だから、私に「面倒を見ろ」と副部長にさせられた(昇進したという気持ちは微塵も無い)のだが、問題なのは課長だ。
管理も教育も出来ていないのは、この半年見てきてよく分かった。
だから
「自分の思うようにやってみろ」
なんて、そんな無責任なことは決して言えない。

それどころか、
「課員が見えるように、机の向き」
まで指示を出さなくちゃ行けないし、課員の日常の勤務態度にもわざわざ注意しなくちゃいけない。

さらによくないのは、この課長は完全に自信を失い、そして私と派遣のリーダーに頼り切ってしまった点だ。
だから、本来「人事評価」は課員の場合、課長が行えば良いのだが、任せられない状態になっている。

そこで、お人好しというか、仕方なしと言うか、デザイン課の課員や派遣の面談まで課長と一緒に行う羽目になった。
それは直接課員と話す事が出来て良いのだが、問題は時間である。

デザイン課には10名を超える課員がいる。
それらに1時間程度時間を割いて、最後には来期の目標も設定してあげる。
自分の仕事だけでも一杯なのに、いくら自分の傘下の課と言え、課長に任せられずに面談しているなんて、とんでもない労力だ。

まったく割に合わないと思いながら、「なんとかしないといけないもんな〜〜」と思って、対応している自分。
これじゃ、過労死しちゃうよ〜〜〜と勝手に思っているけれど、そんな冗談めいた感情を持てると言う事は、まだ余裕がある証拠なんだろう。

ただ、普通ならあの課長は「減棒」もしくは「降格」ものの管理職なのは間違いない。

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2008年3月11日 (火)

忙しい3月=仕事編

久しぶりに長い期間更新出来なかった。
理由は「忙しい」のである。
しかもここ数年になく忙しい。
その理由は、3つある。

1つめは純粋に「仕事」としての忙しさだ。
私が中部地区の中堅印刷会社のプランナー兼ディレクターと言うのは、このブログで何度も述べた。
301
こう見えても「チラシ」「不動産広告」「会社案内」「製品カタログ」「学校案内」「DM」など、かなり幅広い経験がある。
そして最近は「CSRレポート」の仕事を中心にやっている。

この系統の仕事は、先にあげた様々な制作物に比べ、遥かに専門的な知識が必要だ。
「ステークホルダー」「コーポレート・ガバナンス」「リスクマネジメント」「内部統制」「J-SOX法」「RoHS」「PRTR」などなど、社会的・環境的な言葉や知識がものすごくいる。

幸いここ数年、この仕事を中心に準備しているので、普通のディレクターよりは詳しい。
おかげで、1〜2年前からこの系統の仕事が受注出来ている。
今は、その制作の真っ最中なのだ。

これらの制作物の特徴は、制作期間とその制作方法だ。
まず期間。
多くの企業は年明けから始めるが、発行されるのは早い企業で6月。
それは株主総会に合わせてだったけれど、最近は「内容」が重視されているので、7〜8月もしくは9月10月なんて企業もある。

それから、制作方法も普通じゃない。
内容が企業活動全般に渡り、しかも「年次」報告なので、細かい。
よほど力を入れている大企業だと、複数人の専門スタッフを配置して原稿を作成するが、多くの企業が私たちのような外部の制作スタッフに依頼する。

その依頼にも2種類あって、「資料」が提供されて作る場合と、「取材」を通じて作る場合がある。

今、私は3つのレポート制作に携わっているが、まさに「原稿制作」する企業、「資料提供」する企業、「取材依頼」企業と3つのパターンで制作進行している。

そしてこの3月は、その原稿や情報収集時期なのである。
「取材依頼」企業は、5〜6日間その企業に「缶詰」になってヒアリングする。
さすがに私の立場では全部対応出来ないので、半分は部下にやってもらっているが、それでも対応は大変だ。

そういうわけで、3月の前半はあまり会社に居ない状態だ。
ヒアリングは企業のいろんな情報や姿が見られて楽しい。
けれど、集中力が必要とされる作業なので、非常に疲れる。

50歳の3月。
疲れるな〜〜〜〜。

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2008年3月 4日 (火)

ちゃんとしようよ〜〜(悲)

先週、「国や法律のコンサルタント」という記事を掲載した。
その中に、「企業はコンサルタントを使って、市場の変化に対応している」みたいなことを書いたけれど、全部の企業がそうなっているわけじゃない。
というか、大多数の企業はコンサルタントを雇えないし、雇ったとしても進言通り経営しない。
「経営しない」というより「出来ない」と言った方が正確だ。
080304tynato
その理由が、「企業風土」というカッコいい言葉でいう「昔からの何となくのしきたり」がある。
ウチのような地方の中小企業もまったくこの通りである。

3月になって期末になり、人事評価が行なわれている。
同時に来年度の「目標設定」も行なうのだが、4月の組織変更や人事異動がまだ不明確な状態だ。
「目標」は、半年ごとに面談があり、その進捗状況を確認されるのだが、今の運営の方法だと期初の目標立案後、人事異動や組織変更で変化があった場合、大きくズレた目標になる。

実際に、昨年の9月の組織変更には大きな変更があり、私はその当事者となった。
「目標修正」を実施したけれど、課員すべての状況を把握してない局面では、その目標が適正かどうか分からなかった。

そして今年もありそうだ。
いろんな問題が絡み、今の部署の中での「課」の数を勝手に増やせない。
けれど、実情と合わなくなっているので、「課数」だけ合わせて人員配置を予定している。

最初は「これしかないかな〜〜」と部長ともう1人の副部長と話して決めたのだが、後日歪みがある事に気づいた。
私が兼務している「課」に、もう1人の副部長の仕事をメインでやっているスタッフが3名配属される。

業務そのものは今まで通り、その副部長から手配されるのだが、組織上の管理者は私になる。
ということは、勤怠管理から人事評価まで、直接仕事を管理していない私が行なう事になる。

「人事評価」は、ある意味「給料」や「賞与」に影響を与えるので、軽々にやってあげられない。
ウチのようなレベルの会社は、こんな歪み状態は日常茶飯事だ。

先日も部下が顧客先直行の早朝出勤があった。
社内規定には「時間外」としか表記されておらず、総務の女性に聞いてみた。
すると、『慣習として「早朝出社」を「時間外労働」と見ていない』との事だった。

「じゃあ、管理者はどう判断したら良いの?」
と聞くと
「総務部長か、人事担当者に聞くしかない」
と言い、さらに
「でも、二人の見解は違っている」
とも言う。

なんだそれ?

結局、自分の判断で勤怠表をチェックし、部下に修正させた。

どこの会社もある事だろうけれど「社内規定」にないことが多すぎて、まるで小さな町工場の状態で管理している。

今はネットでいろんな情報が集められる。
ということは、いくら社内規定にあっても「これ矛盾している」と誰もが調べられる時代なのだ。

やはり企業も市場の変化の流れについていっていない。
私は、今、そのまっただ中にいる。

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2008年2月29日 (金)

国や法律のコンサルタント

私の仕事は印刷系を主とした企画屋だ。
と、本人は思っているが、実はそんなにきっちり業務が分かれているわけじゃない。
03konsaru
今でも決して得意じゃないけれど、例えばデータベースの話から、業務管理、果ては「制作ノウハウ」の伝授まで、非常に幅広い知識と経験が必要な分野で仕事をしている。


これは1つには時代背景がある。
Macintoshの登場は、デザイナーとしては「革命的」だった。
ただ、あの時はこんなにすべてがデジタルになってしまうとは夢にも思わなかった。

デザインにデジタルが応用されることで、印刷データはデータベースと直結するようになり、私のような人間まで「データベース」的提案をしないと競合では勝ち抜けない時代になった。

そしてもう1つ。
先ほど「制作ノウハウ」と書いたが、かっこ良い言葉を使うと制作物に関する「コンサルティング」的なアプローチが必要になったと言うことだ。

私が若い頃には、企業側の担当者もある意味「変わり者」が多く、制作物についての知識は十分あり、ずいぶん学ばせてもらった。
ところが今の担当者は、ど素人になってしまい
「分からないので、教えてください」
なんて人が次々表れる。

実はこんなことは仕事だけじゃない。
身の回りの生活ももちろん、企業の在り方や考え方、そして最後には国は法律まで、大きく速く変化している。

企業には「コンサルタント」という職業の人がいる。
ものすごい金額を払って企業は、この「コンサルタント」に自企業分析や市場分析を頼んでいる。
だから、変化する市場に企業は何とか付いていっている。

じゃあ、国や法律はどうか?
これが一番遅れている。というかまったく対応できていない。

そりゃそうだろう。
政治家はもちろん法律家なんて者は、まず一般的な感覚とは別の世界で生きているからだ。

だから、市場の変化に付いていけない。もしくはズレていることに気づかない。
顕著な例がいくつかある。

新しい所で言えば、「薬害肝炎訴訟」
ちょっと古いけれど「ライブドア粉飾決算」

もう法律が追いつかないので、犯罪なのかどうかも判断できなくなっている。
例の「年金問題」だって、本当は「誰かたち」を罰しないとおかしいような国家的犯罪だ。

そのうち表れるかもしれない。
「私、あなたの国のコンサルティングしますよ!」

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2008年2月21日 (木)

メディア感覚と一般感覚

再生紙偽装の問題の続き。
この問題が表面化した時期に、「消費者側はいつも正しいのか?」で、印刷会社に勤める人間としての立場でコメントした。

080221saiseisigisou
その後、各製紙会社は、それぞれ調査を進めていたようで、昨日(2月20日)に調査発表があった。
当然、各メディアは取り上げ、
「トップの引責辞任」
「80年代から偽装」
「ずさんな体質」

など、いつもながら「幻想の正義感」を振りかざしてコメントしている。

せっかく「印刷会社」という渦中の業界に勤めているので、実際はどうなのかを今回はお知らせしたい。

我が社は「ISO14001」というグローバル認証資格を得ており、その運営上毎月委員会が開かれる。
私も今は、その委員であり、「ISO」の仕組みや会社の運営にいろんな問題を感じているけれど、取りあえず仕事の役にも立ってる。

ちょうど昨日(2月20日)に委員会があり、各営業から「再生紙問題」についての顧客の反応の報告があった。

面白い事に、ほとんど「静観」なのである。
当然と言えば当然で、印刷会社はある意味「製紙会社」に騙された側の被害者だからだが、それにしても顧客から「どうするんだ!」という声はあまり聞こえない。

そりゃ、中には少しだけ言っている顧客もいる。
「御社を通じて、製紙会社に損害賠償を求めても良い」
なんて強硬派もいる。

けれど、本当にほとんどの顧客は「静観」なのだ。
例の「トヨタ自動車」でも、再生紙マークを排除し
「古紙配合用紙を使用しています」
と言うコメントにすると言った程度の反応だ。

面白いのはお役所。
それまで入札には「古紙配合70%以上、白色度80%以上」と条件があったのに、「古紙を含む事」とエラくトーンダウンしたとか・・・・

いずれにしろ、メディアが騒いでいる程、大変な事にはなっていない。
もちろん大変な部分はあるけれど、よく聞く「メディアの過剰反応」というものを今回身近かで感じさせてもらった。

「農薬入り冷凍餃子」
も大騒ぎしているが、これは「命や健康に関わる」問題だから、「再生紙偽装」とは、問題の重要度が異なる。
メディアの情報を見る側にも、そんな「問題点の違い」を理解しなくちゃ行けないんだと、今回「当事者側」になって感じた。

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2008年2月 1日 (金)

専門教育を受けてきた者達

先日、ウチの部下達と少し無駄話をしていた。
問題は、私の抱える悩みが発端だった。

昨年の秋から、社内のいろんな組織的な問題でドタバタしている事は、このブログでも何度も話題にしている。
今回の話は、以前「言葉に踊らされるな」にも書いたけれど、戦力になっていない「デザイナー」達の話だった。

10年やっても1人前のディレクションが出来ない。
「ディレクション」をただの作業手配だと思っている。
デザイン案を考えるプロセスも身に付いていない。

ウチの会社のデザイン課の人たちは、こんな状況だ。
しかも正社員の方が、この傾向は強い。
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派遣社員ばかりが優秀かと言えば、そうでもない。
レイアウターにちょっと毛が生えた程度の実力だったり、イロイロ批判的なコメントはするけれど、やらせてみたら全然ダメなライターもいる。

けれど、派遣社員は使えなければ、経費の無駄遣いになるので、契約更新しなければ良い。
すでに1名は他のセクションへ、もう1名は来月早々で契約を切る事にし、さらに1名を3月で終了させる計画になっている。

問題なのは、正社員。
しかも3年くらいの経験者。

この辺りが「どうしてなんだろう?」というのが始まりで、ウチの課の部下二人がイロイロ話してくれた。
デザイナー出身で、昨年派遣から、「企画をやりたい」と自ら申し出て私の部下になった女性は、
「要はその人の仕事に関する考え方だと思う」
と言っていた。

彼女は今、ディレクション経験の少なさを私に指摘され、辛いながらも一生懸命付いてきている感じで頑張っている。
一応、そこを見越して、昨年秋に派遣から正社員にした。

次にもう1人、私の部下に聞いてみた。
この子も女性で、このブログには新入社員の頃、話題にしたりもした。

まったく普通の4大を卒業し就職した彼女は、自ら望んだとはいえ「企画系」の仕事の難しさに悩み、自信もなくし、でも昨年には初受注にも結びつき、私の目からは「着実に、思ったよりスキルアップしている」状態だ。

この普通の4大を出た新人と、デザイン課にいる3年くらいの子達の決定的な違いは何だろう?

4大を出た新人は就職活動中に
「自分は何も知らないし、何も出来ない」
ということを思い知らされ
「会社に入ってから、本当のスタート」
という意識を持ったと話してくれた。

それに反し、デザインなどの専門系の教育を受けた子達が、学校でMacが操作出来るようになり、
「会社に入って、デザイナーというゴールに近づいた」
と感じているのかもしれない。

そんな感想を部下二人に話したら、妙に納得していた。
そう考えないと分からないほど、今の若いデザイン系の学校を出てきた子達は、
「焦らない」
「分からなくても、平気」

な感じだし、
「それは出来ません」
「やったことありません」

と平気で言ってしまうことがある。

今、デザイン課の若者は、新しくリーダーになってもらった派遣の女性と私の厳しい指導に
「自分の未熟さ」
を痛感しているようでもある。

3年経って初めて痛感するなんて、ある意味それまでの課長の罪の重さもあるけれど、そんな鈍い感受性で、プロのクリエイターになろうなんて、良く思ってきたもんだと、改めて飽きれてしまう毎日である。

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2008年1月24日 (木)

パワーゲームもずれていく

昨日の続き。

あの話は、実際に関東に移る「営業部長(執行役員)」「営業副部長」「常務兼営業本部長」と、我が部の「部長」と私を含めた「副部長」2名の計6名での話し合いだった。

翌日、我が部の「部長」「副部長」2名の3人で、付随事項の話を行い、ついでに今後の部の体制についても話が及んだ。
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私はいつも前もってやっておく方なので、私案を作っていた。
面白い事に、そういう私案という「書類」があると、それが起点となった話し合いになっていく。
そこに私は気づいているので、いつも作るのだが、他の二人はそういうものは作ってこない。

もう一人の副部長は、少々自分の頭の中で、体制というか今後の自分自身の位置づけを模索をしているので、私の案に同意を示していた。

面白かったのは部長だ。
今回の案は、昨年にもたたき台が出ているので、目新しくない。
でも、さっきのように「起点」としての思考回路が働いて、イロイロ意見を言い始めた。

しかし、悲しい事に「現場のレベルを皮膚感覚」で分からなくなっているため、「そんなにすぐには無理」とか「なんで、そうなるかな?」という意見を言う。

それを真っ向から言うと、またまた怒って収拾がつかなくなる事を、副部長の私たち二人は知っているため、適当に流して話している。
そのうちに、
「とりあえず、今決めるのは、やめよう。情報が少なすぎる」
と言って打ち切ってしまった。

社員の状況やレベルも分からない。
上層部の意向や流れも分からない。

両方ともに「部長本人」が招いた事ではあるけれど、一番大好きな「パワーゲーム」にも参加出来なくなってしまいそうなのである。

やっぱり哀れだ。

「上層部には喧嘩を売り」「部下は叱咤激励し」それでも何とかなってきた時代は終わってしまった事に気づけないのは、ある意味寂しすぎるなぁ。

どんなに優秀な人でも、仕事への熱中度がなくなるとその人本人も、周りも期待度も、どんどんダメになっていくものだと見本を見ながら勉強させてもらっている。
そんな50代にならないように頑張ろうっと!

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2008年1月23日 (水)

パワーゲームの空しさ

1年程前に「上司のイキイキする季節」という記事を書いた。

またも、その季節がやってきた。
今年はいつもとちょっと違う。
昨年に何度か「欲望渦巻く社内」をシリーズで書いた(その1その2その3その後経験値)が、その流れは止まっているわけでなく、どんどん加速している。

そして、ここ数年の中で最もエキサイティングな状況に、現在はなっている。
我が社は、本社が中部地区にあり、東京には関東事業部がある。
基本はどちらも一緒で印刷が主体なのだが、受注する印刷物の種類が違う。
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私が所属する中部地区は、メーカーと直結してカタログやツールを作っている。
だから、私のような企画系のスタッフが必要になっている。
反して関東は、代理店から受注するチラシが主力になっている。

話は少し変わるが、印刷業界の未来は少し暗い。
WEBを始めとした新しい媒体が大きな情報体系の変革が原因なのだが、業界全体の受注金額は、年々下がっている。

もちろん我が社も、その流れの中にいるのだが、おかげさまで私の所属する中部地区では、何とか耐えている。
ところが、関東事業部は、悪い。
かなり悪く、しかも回復の兆しすら見えない。

そして企業として打った手段が、「中部地区の専務が関東事業部の副社長になって立て直しにいく」と言うものだ。
この「専務」にもいろいろ問題があるけれど、その話は今回は置いておこう。

とにかくこの波及力は大きく、全部署を巻き込んで
「4月以降、どうなるの?」
という空気が会社中に充満している。

そして先週末に、ウチの部にもその波及話があった。

そうなると、いつも登場する我が部の部長と秋に一緒に副部長になった人は、打合せで、イキイキと話す。
一応私も、そういうディスカッションは得意な方だから、ちゃんと話に参加するが、感情の奥の方で、違和感を感じている。

この方面の話題で何度か書いているが、話しているメンバーの感覚が
「パワーゲーム」
なのである。

「会社のため」
「グループ全体を考えて」

と常務辺りが奇麗な語句を並べるけれど、実際はもっとドロドロだ。
誰もが貧乏くじを引きたくない。
我が部の、さっきの二人はこの機会を逃さず
「勢力の拡大」
を狙う。

まさに「パワーゲーム」状態になっている。

私はやっぱりサラリーマンに向いていない。
大きな企業になればなるほど、この「パワーゲーム」は頻繁にあるのだろうし、世に言う「出世争い」になるんだろうが、そんなことに汗水流すなんて、私自身は悲しいと思ってしまう。

大きな企業でしか味わえない経験は魅力的だけれど、
「人としての大切な核」
を失うような生き方をしなくちゃいけないとしたら、あまり人には勧められない。

50歳を超えて、未だ悩み多きサラリーマン・クリエイターの愚痴だったが、またしても、そんな季節がやって来たと言うことだ。

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2008年1月21日 (月)

消費者側はいつも正しいのか?

「再生紙の偽装表示」が先週から頻繁にニュースに流れてきた。
最初1社だけだったが、次々と他の企業もやっていた事が明らかになった。
何だかこの流れは、昨年の「赤福」を代表に、「スタンダード」な流れになっていて、あまり衝撃的でない。
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この事件は私にはかなり深い関係がある。
何度も紹介しているが、私は中部地区の中堅の印刷会社に勤務している。

だから仕事柄、最近ニュースに流れる「製紙会社名」は結構身近な存在だ。
そして、「環境系」をテーマに仕事をしてきたために「再生紙」も、かなり身近な製品だ。

この問題の発端は「年賀はがき」だったが、印刷用紙すべてに拡大した。
「再生紙使用率」を誤摩化していたというものだ。

誤摩化していた事は確かに悪い。
どの製紙企業も言い訳出来ない。

製紙業界ってのは不思議な所で、「原材料とエネルギー高騰で、紙の値段を上げざるを得ない」と言って、昨年価格を上げた。
しかし、印刷会社がこの理由をクライアントに言っても「印刷料金を上げて良い」ということにはならず、私たちのような印刷会社は苦しんでいる。

こんな製紙業界なので、全然弁解する気もないし、同情する気もない。
けれど、今回のニュースを聞くたびに「ミートホープ」の社長が言った「消費者にも問題がある」発言を思い出す。

あの社長の発言については、何度かブログに感想を載せた(社会正義と消費者ニーズ尖っている50歳に企業の社会的責任の範囲)
批判的な見方だったけれど、実はあの社長の発言には一理ある。

「安くしろ!、でも品質はちゃんとしろ!」
「原価高は、企業努力でなんとかしろ!」

この台詞は、別に珍しくもなく、いつでもどこの顧客でも言われる。
きっとあの社長だって、そうだったんだろう。
そして、他の肉の混在に手を出してしまった。

今回の再生紙だって同じだ。
私はかなり初期から再生紙を顧客に提案していた。
しかし、当初の顧客の反応は
「価格が高い」
「印刷の色が悪くなる」

だった。

そんなの「バージンパルプ」の方が優れているに決まっているのに、顧客は無理難題を言う。
しかも、環境に詳しい人には有名なのだが、再生紙は脱墨(インキを除く作業)のために、ものすごい薬品とエネルギーを使うため、総体的にみると「環境には優しくない」ものだ。

再生紙の配合率だって50%位なら、それなりの発色なのだが
「100%でないと、環境的なイメージが悪い」
と勝手な理屈を言う。

もっとも悪いのがお役所だ。
「再生紙100%でないと、認めない」
と身勝手な見解とルールを押し付けてきた。

これらの情報は印刷会社を通じて、製紙企業に流れて行く。
そして、あとは「ミートホープ」と同じように、「偽装」に行ってしまったのではないだろうか?

今はネットの時代だ。
ちょっと勉強すれば「再生紙100%」がいかに環境に良くなくて、印刷の発色には向いてないか調べられる。

でも、そういうことはしないで、「企業を信じていたのに」という消費者はいつも正しいのだろうか?
今回、私は近い業界にいたから、実感として「ニーズの矛盾」を感じたけれど、きっとこんな事は、どの業界でもあり、そして大なり小なり「誤摩化している」企業はたくさんあるんじゃないだろうか?

「企業努力」や「技術革新」で、すべてが解決してきた時代は終わったのだと、消費者側にもちゃんとした知識を持つ責任があると感じなくちゃいけない時代なのかもしれない。

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2007年12月25日 (火)

ご用聞き営業の未来

少し前に「企業内格差」という話を書いた。

この時に話題にあげた同じ営業のことだが、今こんな事が起きている。
彼の担当の企業のある広報ツールのプレゼンがあった。
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いろんな事情で負けられないプレゼンで、しかも企業担当者側も、ウチの会社の味方なので、いろいろと便宜を図ってもらっている。
先日も、プレゼン資料を担当者に確認してもらい、ウィークポイントなどを指摘してもらった。

その後、企画書やデザイン案などを創っているわけだが、当の営業はプレゼンする中味にまったく興味を示さない。
というか、「示せない」のかもしれない。

そこで、彼のやる事はプレゼンの前日になって
「カンプを貼るブラックボートを買って来ましょうか?」
とか
「趣意書を入れるファイルケースを用意しましょうか?」
と、見た目のことしか言ってこない。

ウチの部下も少し呆れた状態なのだが、こんなスキルの営業はプレゼンテーションに参加してはいかんのじゃないか?と思ってしまう。

「ご用聞き営業」で40代を迎えた人は、どんなに時代のニーズが変化していっても「ご用聞き営業」でやるしかないんだろうと痛切に感じてしまう。
ただ、「ご用聞き営業」のスペシャリストになれば、それはそれで素晴らしい事なんだけれど。

結局は、どんな業種でもどんな立場でも
「自分で何とかしないと」
と強く思うかどうかが、最後には大きな格差になってしまう照明みたいなもんだ。

我が社にはたくさんの「ご用聞き営業」がいる。
それなりに受注・利益を出しているけれど、彼らの未来はどこへ向かっていくんだろう?

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2007年12月11日 (火)

企業内格差

先日の考えることを預ける職種の延長話題。

このブログで何度も触れているように、私が勤めているのは中部地区の中堅クラスの印刷会社だ。
印刷業界は、一部では「斜陽産業」と言われなかなか厳しい。
当然、我が社も同じで、特に今年度はかなり苦しんでいる。
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そこで、先日にも取り上げたように
「ソリューション活動」
と言う名の下、提案営業展開を活発にしようとしている。

しかしなのである。

悲しいかな、やっぱり自分たちで「考える思考回路」を育てていないので、私たちがいろいろ「営業としてプロデュースすべきこと」を要求しても、ズレた答えが返って来る。

今の会社に入って10年になるが、私は10年前とまったく異なるステージで仕事をしているし、市場ニーズも大きく変化している。
けれど、やっぱり営業は「印刷のご用聞き」から抜け出せていない。

10年前は、ほんの少しのスキル差だったのが、毎年どんどん格差は広がり、今では「こちらが言っている意味が理解できない」大きな格差になっていることを、実感している。

かなり譲歩して、私たちの世代は良い。
営業のスキルが低いことを理解もしてあげるし、歩み寄ってあげる。
けれど、若い世代にはそんなことができないし、逆に営業が引っ張っていかないと進行しない。

だから、最近は部下も増えたことなので、その辺りを意識して突っぱねるようにしているが、もうそうなると「怖がる」もしくは「困ってしまう」状態になる。
彼らは、私たちの世代がいなくなったら、どうするつもりなのだろう?

つい先日も、こんなことがあった。
私が今までディクション担当していた社内報の来年度体制について、顧客先で制作スタッフが揃って打合せをした。
私はいなくなるスタッフなので、出席せずに、部下だけ出席したのだが、肝心の営業が、来年度から私が参加しないことを告げなかったのだそうだ。

それで私の部下が報告と、自分のポジショニングについて相談してきた。
あまりバカバカしい話だったので
「それは営業が判断し、行動することだから、営業に全部預けろ」
と指示しておいた。

部下は、まだ入社2年目の女性だ。
営業は40歳を超えたベテランだが、日常私の言動を見ている私の部下は、その営業の情けなさに呆れている様子だった。

こうして年齢は関係なくスキルの企業内格差は広がり続けていくのだろう。
大丈夫か?これからの日本の企業は?

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2007年12月10日 (月)

経験値の違い

一時期「欲望渦巻く社内」シリーズ(?)を掲載した。
その1からその3まで書いて、最後は「その後」で終わっている。

実は、それで沈静化したわけでなく、好むと好まざるとに関わらず私は巻き込まれた。
というよりも「副部長」という肩書きを持たされて、当事者になっている。
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正式に人事発表が10月にあった後、毎週のように常務に呼ばれ、ウチの部長のいない場所で、いろいろヒアリングや話し合いをする。
それが頻繁になり、ついにウチの部長と常務が衝突した。

これで一時期、常務から声が掛からなくなったが、先日久しぶりにまた「ちょっと話したい」と言ってきた。
常務と言っても営業部長をやっていた頃からの付き合いだし、年齢も近いので、緊張もしないし、性格も良く知っている。
要は、この常務は「コミュニケーション」を取りたいのだし、情報収集をウチの部長と言うフィルターを通さずに知りたいのだ。

今回も、同じような話で
「部下が10年後、20年度どんなポジションで活躍するかイメージさせてやってくれ」
と言っていた。

その直後に、ある課員と話をした。
この背景は長くなるので省くが、彼は「今年度で会社辞めるつもり」と話していた。

常務も、その課員も我が社の生え抜きだ。
そして私は片手では収まらないくらいの転職を繰り返してきた人間だ。

だから、課員の「会社を辞める」選択肢は理解できるし、その決断できる年齢だと言うのもわかる。
振り返って常務はどうかというと「会社を辞める」という選択肢は存在していない。
きっと彼のサラリーマン人生で、そんな選択肢を持ったこともないんじゃないかと思える。

人間のイマジネーションは、経験値によって変化する。
良いか悪いかの問題でなく、実際にそうだと思う。

だから、「会社一筋」で頑張ってきた常務には「転職」の選択肢はなく、「いつでも会社を選べる世代」の若者には「転職」の選択肢が普通に存在する。

きっとこれはジェネレーションでもあり、育った時代の違いなのだろう。
真面目に「愛社精神」と言える常務と、恥ずかしさと後ろめたさを持ちながら「社訓」をいう一般社員。

私は「転職繰り返し人生」だったので、遥かに一般社員の感覚に近い。
カッコ良く言えば「会社」には興味がなく、クリエイターのスキルにしか好奇心が湧かなかった。

このギャップは絶対に埋まらない。
埋めるには「経験値」という潤滑油がいるからだが、片方がなければ埋まりようがない。

ここに気付かず一生懸命に熱弁を振るう常務が少し哀れだった。

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2007年12月 5日 (水)

考えることを預ける職種

今朝のニュースで、「学力低下」が話題になっていたが、それをキーに思いついたことを。
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私の勤める会社が印刷会社であることは、このブログで何度か紹介した。
そして、私個人はグラフィックデザイナーからディレクターになり、今はプランを主にやっていることも折りにふれ書いている。

私がデザイナーの頃からそうなのだが、営業と言う職種というか人種はあまり「自ら考えること」をしない。
例えば制作物の打合せをしても
「これはクリエイターの話」
という態度で、横に座っている。

もちろん、そんな営業ばかりでなく、ちゃんと一緒に考え、一緒に悩む営業もいるが、多くは横に「座っているだけ」の営業が多い。
代理店の営業もそうだが、印刷会社の営業はもっとその傾向が強い。

製版とか印刷の段階になるまでは
「クリエイターの仕事」
と思っている。
だから原稿内容も把握していないし、顧客企業の特性も知らないこともある。

近年「ソリューションビジネス」という言葉が使われる。
「お客様の困っていることをソリューション(解決)しますよ」という営業スタイルだ。

こういう考え方は、当然我が社にもやってくる。
しかし、今まで「考えること」を人にやってもらってきた営業に急に
「ソリューションビジネス」
を展開しろと言っても無理なことだ。

だから、今まで通り「ソリューションの仕方」を私たちに聞きに来る。
もしくは、そのまま顧客先に連れて行く。

ここ数年は、それでも良かったけれど、直近の事例では、顧客先から
「体制」や「戦略」をニーズとして挙げられて来る。

もうこうなると「営業が中心」で対応しなくてはいけないのだが、悲しいかな「経験」がない。
そして、その点を私なんかが文句を言っても
「どうして良いか分からない」
のである。

企画も、デザインも、コンセプトも、体制も、営業戦略も
ぜ〜〜〜〜〜〜んぶクリエイターに考えてもらっている。
これで営業って言えるんだろうか?

「自分で考えるくせ。」
「考える力」

「学力低下」の本当の問題点は、こっちであり、決して「ゆとり教育」の影響ではないと思う。
このままじゃ日本人は
「誰かに考えてもらわないと生きていけない」
悲しい人種になりそうだ。

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2007年11月29日 (木)

専門性とシェアと安定と

変なタイトルである。
しかもいつも関連した写真を掲載するのだが、今回は完全に「イメージ写真」である。
この「イメージ写真」は仕事柄入手しやすいから出来る手段なのだが、これもある意味「専門性」なのである。
Sennmon
さて、今回の話題のきっかけは部下との会話からである。
我が部署には「デザイン課」というグラフィックデザイナーを中心とした部署があり、一応私の管轄下になっている。
そこの課長と話したことだ。

かなり以前、企業が「考えることまでアウトソーシングする」という記事を書いたことがある。
この場合、アウトソーシングと言うカタカナの言語を使用した「丸投げ」なのである。

実はこの話、特別な状況でなく多くの企業は、同じ傾向にある。
そしてその延長上のニーズとして
「ウチの企業の業界に詳しい人材を確保して欲しい」
になってくる。

経験上、ディレクションをやってきているので、ある企業の仕事に数年携わると「ある程度詳しく」なることは分かる。
だから、これらの企業のニーズはある程度理解できるが、私の時代と違うのは、クリエイター本人の意識がちょっと違う。
1年経過しても、顧客から細かな指示をもらわないと判断できない。
これは「教えられること」に慣れてしまって「自分で考える思考回路」が育っていないのだと思う。

ただし私たちのように、その業界の専門性を身に付けると重宝されるが逆に「長く同じ顧客の仕事」をすることになる。
私はそれが嫌だったこともありいくつかの会社を変わったが、そうでない人は「抜き出た専門性」と「その他は未経験」という、両極端のメリットとデメリットを抱えてしまう。

先のデザイン課の課長はまさにそのタイプであり、「抜き出た専門性」の仕事がなくなったら、「困ってしまう」状態なのである。

この話は、個人の問題でもあるが、実は企業の問題でもある。
ある特定の顧客に対する売上が、会社全体の売上のシェアを大きく占めている場合、「健全な経営状態」とは言えない。

ニーズは「専門性」を求めている。
けれど、1つの「専門性」だけでは、「健全なスキル」と言えなくなる。
しかも市場は「早急に」解決策を欲しがる。

このような環境の中で、これからの若い世代は私のように「いろんな経験」を「専門的」に学ぶことが出来るのだろうか?
今の時代だったら、私には多分出来ない。

ニーズとシーズにプラス、タイムリー性。
矛盾だらけの現代なのである。

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2007年11月13日 (火)

自分で作る壁

最近、困っている事がある。

4月から派遣でデザイナーをしていた女性が
「プランニングを学びたい」
と言ってきたので、配置転換し、配下に置いた。

まぁ真面目に取り組むし、それなりの年齢でもあるし、派遣のままでは都合が悪いので、秋に正社員になってもらった。

彼女は40歳に3〜4つ手前の年齢で、それなりのデザインキャリアがある。
そして今「企画の思考回路」への転換で苦しんでいる。
その苦しんでいる事は、特に問題視していない。
私自身も同じ道を歩んでいるので、その苦しみは分かるし、結局自分で乗り越えなければならない事だと思っている。
Gurafiku
問題なのは「企画書の表現力」なのである。
下手をすると昨年入った新人の方が「伝わりやすい」企画書として作成出来る。

私にはこれが分からない。
本人曰く
「企画をやりだしたら、デザインの思考回路でなくなった」
らしいのだが、それにしてもお粗末な表現なのだ。

あれでは過去に「デザインをやっていた」経験は全く生きていないのである。
これってどういうことなんだろう?

クライアントの意向を、表現能力を持って「視覚的」に代弁する。

難しい言い方だけれど、グラフックデザインとはそういう一面があると思っている。
その「表現能力」をサポートする意味で、いろんなアプリケーションやデザイン雑誌等がたくさんある。
今度は自分が考えた企画なのである。
代弁者でなく、本人の意向を本人の表現能力で、表現すれば良いはずである。

なぜ、ここが本人には分からないのか?
理由はいくつか考えられる。

1つめは、元々デザイナーとして大した能力がなかった。
2つめは、誰かの意向がないと、表現能力を活かせない。
3つめは、企画書にデザイン的センスはいらないと思っている。

想像するに、この2つめと3つめの状態なのであろう。
言って聞かせてあげるけれど、実際にこの壁を乗り越えるのは本人次第なのである。

スキルをアップして行く時の壁は、実は乗り越えやすい。
頑張れば良いからだ。
しかし、彼女のように自分で壁を作っている場合、乗り越えるのは難しい。
なぜなら、それが壁だと気づいていないからだ。

さて、彼女はその壁を乗り越えられるだろうか?

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2007年10月31日 (水)

認定だっていい加減

普通1日に2回もブログを更新しないけれど、今日は特別に。
Nitiasu
「ニチアス」の耐火建材性能試験、不正取得のことだ。
このニュースを聞きながら、遥か昔のことを思い出した。

当時私は、ある広告代理店に勤務しており、そこで、軽自動車系のディーラーの仕事をしていた。
当時、その軽自動車系のメーカーは、軽とコンパクトカーが主力で販売していたが、ある時勝負に出た。
1600cc(だったと思う)の新しい乗用車を市場に登場させた。

ところが、販売し始めて次々に故障の問題が起きた。
一番大問題になったのは、エンジンルームから火が出て、クルマが全焼してしまったニュースだった。
ちなみにこれは、三菱自動車問題の遥か前のことだ。

仕事の関係で、ディーラーに出入りしていたので、イロイロ聞くと面白いことを教えてもらった。
「運輸省で認可をもらうための走行テストの距離が満たされていなかった」とか「電気配線テストをしていなかった」などなど、ちょっと信じられないことばかりだった。

その時にディーラーの担当者と話したのは「それで認可するなんて、お役人のやることだね〜〜」だった。
もう20数年前のことなので、今はそんなことはないだろう(と思いたい)。

でも、最近忘れかけている「耐震偽装マンション」や、今回の「ニチアス」もそうだけれど、「認めた」側の責任はないんだろうか?

「偽装」したり「不正」したりする企業の責任はもちろん重いけれど、それを見抜けない「機関」の責任も重いはずだ。
そうじゃなかったら「認可」なんてしちゃいけない。
「専門的なことで見抜けない」とか
「組織的にやられたら分からない」とか
「人数的に対処出来ない」

なんて言い訳は効かない。
なにせ「認める」機関なのだから・・・・・

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