2019年7月16日 (火)

追いつかない人事制度

7月になり夏の賞与の時期だ。
その前の6月は、その賞与の査定時期だ。部長職だったころは、その査定にも関わっていたが、最近は余剰予算がないので、個人差を付けるのに苦労しているようだ。20190708  
やっぱり企業としての成績が良くないということは、あらゆることにマイナスの影響が出るようだ。
と、他人事的に書いているが、再雇用の身分になっていると、ほとんど関係ない。
でも、これ以上企業の業績が悪くなると「再雇用」すら危なくなるから「関係ない」とは言っていられなくなる。

今各企業は「働き方改革」真っ盛りだ。
我が社も私が定年になった頃から、「働き方改革の波」が大きくなった。
その影響で我が社の人事制度も、どんどん変わったり追加されたりしている。
それはそれで、時代の変化に追随していくので良いことだと思う。
でも、制度を変更しても、実際の社員という人間の理解力が追いつかない。
おかげで、そこら中が綻びだらけになってきている気がする。

例えば「昇格や昇級」
我が社は今まで「上司の推薦」で上がっていくのだが、それが結構曖昧で、部署や人によって基準点が異なっている。
結局「経営陣、とくに会長・社長が納得するか」で決まってきたが、それもそろそろ厳しくなってきている。
もうちょっと、自分に近い話になると「再雇用」のことも曖昧な部分がある。

我が社は希望があれば「62歳」まで延長されるが、それ以上の延長は「その都度の判断」と曖昧だ。
実際に70歳になっても「延長」でやってみえる人もあるが、それは「必要だから」という何だか分かったような分からないような話で決まっている。
もっともその人は、会長の運転手で、土日・深夜もあるため「もうきついから、辞めたい」と最近はこぼしているが。

さすが、このような状態は不味いと思うようになったのは、それまで「正社員」しかやってなかった「目標設定」を、この春から「再雇用者」にも実施することになった。
それは悪いことじゃないけれど、正社員の場合は、上司と面談して評価していくのだが、再雇用者の場合は設定するだけのようで、何の意味があるのかちょっと分からない。
まぁ、そのうち正社員並みにやっていくための布石なんだろう。

我が社も、これからどんどん再雇用者が増える。
国は「70歳まで雇用する努力を」と言い始めているから、世間的にも増えるのだろう。
そして人事規則もどんどん変わっていくのだろう。
結局、「正社員」にしろ「再雇用者」にしろ「必要とされる存在」になってなくちゃいけないなぁと思うようになっている。

| | コメント (0)

2019年4月15日 (月)

便利なのか?不便なのか?

この「nobulog」も、早いもので、始めてから10年以上続けてきている。20190408
これはNiftyの「ココログ」というサービスを利用しているが、先日システム・リニューアルがあった。
事前に案内はあったので知っていたが、いきなりトラブルが発生した。
いつも、登録したあとに日時を設定してタイマーで公開されるようにしている。
ところが、その時間が過ぎても公開されていない。
「おかしいな」と思い、ログインして少し操作をしたら無事に公開された。

このようなトラブルが起きるたびに思うことがある。
30年前に初めて「ワープロ」に触ったが、今の世の中は「デジタルなし」の生活が難しくなっている。
スマホにPC、ガラケイと言われるものでもネット接続が可能になり、「ネット経由」というものが特別なことではなくなっている。

そしてより便利に、より安全に使えるようになるために「リニューアル」「アップデート」と言うものが行われるが、そのたびに「憂鬱」な気分になる。
今、一番頭が痛いのは会社で使っているWindowsだ。
現在のOSはWindows7なのだが、Microsoftのサポートが今年で終了することになっている。
これは「今後、安全性は保証しませんよ」と言っていることと同じなので、OSそのものをアップデートしなくてはいけない。

私のPCは、導入時に「Windows10」のアップデートサービス付きだった。
だからOSを入れれば良いだが、単純なOSアップデートではなく「初期化」したうえで、Windows10をインストールしなくてはいけない。
これが結構、手間がかかる。

データのバックアップはもちろん、インストール後もデータ互換性の確認やアプリの不具合、プリンタやサーバとの接続状態など、今までと同じように使用できるか確認することが盛り沢山だ。
そうなると日々の業務が忙しい時などは無理だ。
1~2日くらい少し空いた時期でないと、なかなか難しい。

こんなことは、デジタル機器を使わなかった時代にはなかった悩みだが、PCにしてもスマホにしても2~3年に1回くらいは大掛かりなアップデートがある。
そのたびに「憂鬱」な気分になる。
確かにデジタル機器が生活の中に溢れ、仕事も遊びもまったく行動が違ってきて、すごく便利なことが増えた。通販なんかは、その筆頭だ。
いろいろ問題はあるが、ネットで注文すれば当日もしくは翌日には届くし、単身住まいには嬉しい日時指定もできる。世界的に見ても、アマゾンなど通販企業が経済を席巻しているということは、それだけ世界中の人が「便利」と感じている証拠だろう。

けれど、このようなアップデートなどによりトラブルに見舞われると、いったい「本当に便利になっているのかなぁ」と疑問が頭を過ぎる。
とは言え、近々アップデートをしないといけないなぁとタメ息をつく毎日である。

| | コメント (0)

2019年3月18日 (月)

「デザイン」の範囲が違ってきた

仕事の関係で、デザイン系の専門学校の課外授業をすることがある。
最初にやったのは20年くらい前で、一時期その学校の「社会人向け講座」を受け持ったこともある。
20190318そんな流れから、3年くらい前から「ある検討会」に出席している。

詳しくは「守秘義務」があるので書けないが、学科の講師や他の企業の方も出席しての会合だ。
私はもちろん「企業側のスタッフ」として出席するのだが、私を含め他の企業の人達がまったく同じようなことを発言した。

それは「ただ絵を創るだけのデザイナーは、もう要らない」ということだ。
「グラフィックデザイン」は、昔は「図案」と呼ばれていて「ビジュアル制作の専門家」という位置付けだった。
 
私たちの若い時代、「グラフィックデザイン」「印刷物制作」にとても近い関係で、プロフェッショナルな領域だった。
しかし、デジタル化が進んだことにより「誰でも簡単に、それっぽいビジュアルができる時代」になった。この系統の話題は、このブログで何度も取り上げたが、ついに「デザインの定義」を見直す時期が来たことを、その会合では実感した。
 
ある企業の方は「とりあえず制作スタッフで入社してもらうけれど、ちゃんと考えることができる人材でないと必要ではない」と言っていた。
あるプロダクションの社長は「パッケージのデザインでも『売り方』とイメージできないと使えない」とも言っていた。
私は、常々会社の中で「ビジネスプランが理解できなければ、デザインとして使えない」と言ってきているが、他の人の発言を聞いていて「やっぱりどの企業も同じことを感じているんだ」と確信した。
 
この変化はとても重要だ。
私自身を振り返れば、学生時代に教科書のスミにマンガばかり描いていて、写真やイラストにも興味を持った。
今だって多くの若い子は「ビジュアル作りが好き」っていう子が多いだろう。
ところが社会は「ちゃんとビジネスが理解できて、考えられるデザイナーが必要」と言い出した。
そうなると「ビジュアル作りが好き」と言う子は、これからどうしたら良いのだろう?
 
グローバルな時代なので、英語がわかるデザイナーがいると良いが、そもそも英語に興味があれば「デザイナーになろう」と思わないだろう。
「デザイナーになりたい」という気持ちと社会から「こんな生徒を育ててほしい」は、大いなる矛盾を生む状態になりつつある。
 
私たちがいる企業も大きな変化にいち早く対応しなくてはいけない時代だが、学校もそうなのだと、そして今は、どの業界、どの分野、どの職業でも劇的変化が起きている真っ只中なのだと感じざるを得ない会合だった。

| | コメント (0)

2019年3月 4日 (月)

再雇用者にこんなに頼ってて大丈夫か?

もう3月になった。
来月になると4月で新しい年度になる。20190304
さらにその次の月には新元号になる。その影響と関係ないだろうが、今年の1~2月は信じられないくらい忙しかった(正確には、昨年12月中旬くらいからだが)。
理由はいろいろあるが企業内の事なので、あまり詳しく書かない。

再雇用者になって、所属する部門のほかに経営部門(総務とか人事とか経営企画とかがある部門)の業務を手伝うようになった。
管理職だった頃も、年度末は忙しかった。
新年度の組織編制や予算、さらに部門や部下の目標設定など、いつも気がつくと3月末になっている状態だった。

役職定年になって、その業務はなくなったが、今度は経営部門を手伝っているので、やっぱり年度末はとても多忙になった。
経営部門の業務を手伝うと言っても、本格的に経営業務に携わるのではなく、必要となる資料やツールなどを作成することが主な業務だ。

現役時代に、お客様の広報的なツールを主軸に企画をやっていたので、そのノウハウが活かせるし、組織的にも多くヘルプできていると思っている。
それは、それで再雇用の必然性に繋がるので、個人的にはありがたいと思っている。
が、しかし……。
今年の年度末の忙しさを思うと「再雇用者にこんなに依存していて、良いのだろうか?」と感じてしまう。
経営部門の各部から2件ずつくらい依頼があって、それが3つの部署からあると、もう堪らない。
さらに、そのほとんどが「自分たちではどうしてよいか分からないので」と相談レベルからやってくる。

で、「こんな感じ」と説明してあげて、自分たちでやるのかなぁと思っていると、結局良く理解していなくて、全部私がやってあげることになる。
他の業務が満載でとても手が回らないのは分かる。
そして、難しいので私にヘルプが来るのも分かる。
でも、自分がやらないと次から困るのではないだろうか?と思いながらやっている。
結局「そのうち自分がやらなくっちゃ」と思っているわけでなく「やれる人に頼めば良い」「やれる人がいなくなったら、出来ませんって言えばいい」と思っている気がする。

私自身「分からないけれど、試しにやってみる」を繰り返して、いろいろなことが出来るようになったり、分かるようになったりしたが、「試しにやる」ことをしないのなら、きっとこれからもずっと「できない」ままで済ませていくのだろう。
私の会社には同じ世代の「再雇用世代」が結構な数いる。
でも、その世代が本当にリタイヤしていなくなったら、「これは当社ではできません」ということがどんどん増えていくのではないか?
再雇用者が要らぬ心配をした年度末であった。

| | コメント (0)

2019年2月25日 (月)

「働き方改革」は、大丈夫なのか?

先週、TV(具体的に言えば「ワイドなショー」)を見ていた「働き方改革」の影響について、とても身近な感じで話しているのを聞いた。
例えば、こんな感じだ。20190225

・長時間のロケ撮影だとマネージャーを交代しないといけない

・同じく長時間だと、制作や撮影スタッフが途中交代しないといけない
・アナウンサーも残業時間のチェックを頻繁にする

そもそも、長時間拘束されること自体が大きな問題で、それを「改善」しようというのが「働き方改革」の狙いだというのは、とても分かる。
「働き方改革」が声高に言われるようになったのは、例の「代理店の社員の自殺」が発端だ。
このことに関して思うことは、何度かブログで書いてきたので省くが、単に「長時間残業や勤務をやめましょう」って話じゃない。

さっき挙げたようにマネージャーやスタッフを交代しなくちゃいけないってことは、それだけ多くのコストが必要になるってことだ。
これは、実はどこの企業でも起きる問題だ。
ウチの会社でも、もう何年も前からこの問題に頭を抱えている。
仕事柄、やっぱり残業が多い。原因は、お客様からの原稿が遅れたとか大幅な修正が入ったとか、まぁお客様側の都合が多い。
それを「社内努力」と言う名の「長時間残業」「休日出勤」で何とかしているというのが現状だ。

これを「働き方改革」と言う名のもと、「長時間残業」「休日出勤」を禁止したら、どうなるか。
「そのような対応はできません」とお客様に断りを入れれば、二度と仕事をいただけなくなる。
だから、二交代・三交代シフトにして人員を増やすとなると、今度は「コスト高」になるから、これまた「企業の利益」が少なくなる。

「企業の利益」
が少なくなると、「企業の継続が難しくなる」「社員の給料を下げる」しか方法がない。どっちにしても企業で働いている人には、「うれしくない」話になりそうだ。
今の「働き方改革」の論調は「長時間労働させる企業が悪者」的な感じだけれど、じゃあ多くの人員を抱えて、日本の企業全体が「コスト高」になり、世界マーケットに対して「競争力の無い企業」になってしまうってことになるのは、想像に難しくない感じがする。

他にも「女性活躍推進」のために「産休・育休制度の充実」「時短勤務の充実」などなど、制度の充実化が進んでいるが、これも「人件費が膨らむ」要因になる。
今までのように月に「100時間以上の残業」とか「何日も休みなく働く」ことが良いこととは思わない。
でも、この「働き方改革」も行き過ぎてしまうと、「企業の競争力」減少という元も子もなくなる結果になるんじゃないだろうか?

若い頃のように「ああ、休みが欲しいなぁ」とか「早く帰りたいなぁ」と単純な一面的な見方だけでなく多面的に企業を見られる年齢になったからこそ、感じる根本的な課題だと思う。

| | コメント (0)

2019年1月21日 (月)

ついて来る世代を見て想う

20190121

再雇用となって、1年半を超えようとしている。
おかげさまで、それなりに会社からは必要な人材と思われているようで、いろいろな相談や作業を頼まれるし、現役の頃から続いている仕事もまだ携わっている。

 
ただし、もう役職者でもないし、いわゆる上司や部下がいる組織的なポジションでもない。
「本部付け」で本部長直轄(というか本部長の愚痴聞き)という気楽な場所にいる。
とは言え、業務している部屋には、ある組織が中心となって活動しているため、そのミーティングの模様を見聞きする。
 
その模様を見るとも聞くともなくしていたら、ある時吉田拓郎の「ローリング30」を思い出した。
この曲は、このブログの初期の頃、今から11年前に「Favoritesなもの No.2」 で紹介したガ、その時よりも歌詞の意味が実感として感じられている。
Rolling30 動けない花になるな Rolling30 転がる石になれ
過ぎ去った過去は断ち切ってしまえ 青春の長さ測るものはない
身体より老けた心など持つな 流れ行く時にさからって泳げ
自分のカラを突き破り 愚かな笑顔など見せるな
 
振り向いた昨日に恥じないように 仰ぎ見る明日に恥じないように
Rolling30 動けない花になるな Rolling30 夢吹く風になれ
Rolling30 Rolling30
なまぬるい日々に流される者よ 俺だけは違う身を切って生きる
三叉路があれば石ころの道を 躓いた痛みバネにして歩け
心の汗も流さずに やさしさなどとお笑いぐささ
 
ついて来る世代に恥じないように 届かない世代に恥じないように
Rolling30 動けない花になるな Rolling30 飛び立つ鳥になれ
Rolling30 Rolling30
 
この歌詞を噛み締めながら「次の世代」には「一言だけ」のアドバイスを、そして「次の次の世代」に対しては「黙って見守る」ように、さらに「その先の世代」には「おじいさんの昔話」と分けながら、「ついて来る世代に恥じないよう」に60代を生きていこうと思っている。

| | コメント (0)

2018年12月10日 (月)

文章能力は大丈夫か?

昨年、夏に無事に定年となり「再雇用」になっていることは、今まで何度か書いてきている。
そんなふうに社員としての立場が変わったことと、上司である本部長、そして総務部門の思惑もあり、「お客様向けの活動」から「社員向けの広報活動」に業務がシフトしつつある。

20181203
その中でも一番負荷が大きいのは「社内報」という社員向けに情報を伝えるツールの制作がある。
いろんな部門の情報を掲載して、社員全体の共有感や啓蒙などに役立てるツールだが、その特性上、社員が作った文字原稿が送られてくることが多い。
その中には、かなり文章が怪しいものが見受けられる。
 
怪しい文章で多いのは営業部門からの原稿だ。
我が社の営業部門のスタッフは、基本「大卒」が入社している。学校のレベル差はあるにしても「大学」と言えば、一応「最高学府」なのだが、とてもそういう学校を卒業してきたと思えないような文章を書いてくる。
 
よく言われる「ら」抜き言葉は、当たり前と言うか時代の流れで「仕方ないかなぁ」と思う。
なかには全く「何を書いているか分からない」という文章もある。
ツール制作する時に、一生懸命文章を読んで、何とか語彙を汲み取って、添削して組みなおしてあげることもある。
しかし、全く「何を言おうとしているのか?」分からない文章の場合は、修正すらできないので「何を書いてあるのか分からないので、書き直してください」とコメントを付けて返す。
 
30代中版から下の若い世代は、送られてくるメールを読んでも「文章力」の無さを感じることがある。
LINEのような短い文章でやり取りするSNNが普及した影響なのか、短文ならすごく速く返してくるが、ちょっと説明的な文章になると、途端に「?」となる文章になる。
 
私も経験したから分かるが、今後、年齢や役職が上がると、どんどん「文章で報告」することが増えてくる。
そういう意味では、今の私の上司も苦しんでいて、以前はよく私に「ちょっと文章チェックして」と頼んできたが、最近は少し慣れたみたいだ。
結局、自分で努力して解決するしかないけれど、今のような文章能力だと「大丈夫か?」と思わざるを得ない。
 
と、ここまで、偉そうに書いてきたが、いつも思うことだが、「今の人たちは」という話題の時には「私たちもそう思われていたのかも」と感じる。
それでも何とかなってきているので、次の世代は次の世代なりに、何とかなっていくのだろう。
逆にそれだけ、私たちの世代は終わりつつあるのだと思うようにしている。

| | コメント (0)

2018年11月26日 (月)

今日は昨日の続きでなく、明日は今日の続きじゃない

久しぶりにTVニュースを見て、ひっくり返った。
NHKの9時のニュースを見るまで、知らなかったので、最初は「何のニュース?」と思って見ていた。
そのまま夜10時に行われた「日産社長の会見」も見た。
20181126
 
その後、ネットや新聞で詳しく報じられていた。
今回、日産と言う企業にも「有価証券報告書の虚偽報告」という罪もあるわけだが、日本でも行われるようになっ「司法取引」により、検察に協力したとの事。
「50億円」なんて数字を言われても、ピンと来ないけれど、日本の基幹事業の1つである自動車産業に、大きな激震が走っていくことに間違いない。
 
このニュースを見て、最初に浮かんだ言葉は「驕れる者久しからず」
もっと短い言葉だと「驕る平家」ともいうが、ことわざってのは面白くて、いろんな場面に当て嵌まるものがある。
江戸時代小説を読んでいて覚えた言葉に「天網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)」があるが、今回、まさにそれだった。
 
ゴーン氏の話は金額も巨額だし、立場が雲上人なのだが、もっとスケールが小さい話になると、自分たちの周りに同じような話がゴロゴロある。
 
長くいろいろなところで働いていると、いろんな事件に出会う。
個人的な感覚としては、企業内の小さな不正は営業系、経理系が多い気がする。
私の身の回りで起きたのは、営業系が多い。
 
●大きなお客様を獲得していた担当が、伝票不正発覚し、退職した。
 
●何度も社内表彰された営業部長が、経費不正発覚し、子会社への出向になった。
 
●お客様の販促物の管理を、伝票不正により長年隠蔽。部長は退職した。
 
●在庫管理ずさんなことが発覚し、降格の上、別部署への移動となった。
 
こんなふうなことがここ数年の間で、どんどん出てくる。
なので、定年になった時に、今の私の上司である(年下だけれど)本部長は「そういうこともなく、無事に部長を終えて、定年を迎えたことは目出たいと思うよ」と言ってくれた。
ただ、こんなに次々いろいろなことが発覚したのを近くで見ていると、冒頭に挙げた「驕る者久しからず」という言葉と、「明日も今日の続きのまま、バレずに済むと思うな」という言葉が頭を過ぎる。
やっぱり「お天道様に顔向けできないような」人生を送らないことが大切だと、このビッグニュースを見て、わが身を振り返った。

| | コメント (0)

2018年9月25日 (火)

能力に関する雑感

ちょっと今回はタイトルで迷った。
いきなり話は外れるが、正社員時代の最後はプランナーだったので、良く企画書を書いた。
企画書を書くとき、やっぱり「タイトル」は大切で、それを見るだけで、これから言うことが想像できるとか逆に、どういうことを言うのか?と興味を持ってもらうとか、とても大切なものだ。
そんな癖があるので、このブログの時もタイトルに悩むことがあるが、今回はまとまらなかったので、「雑感」として逃げたタイトルにした。

さて、本題。
今まで「能力」というキーワードで何度か話題にした。
例えば「スタッフと指揮官は違う能力」みたいな話だ。
スポーツでも、昔から「名選手=名監督でない」という言葉があるくらいだから、この「能力の違い」ってのは、昔から分かっていることなのだろう。
20180925
今年大きく話題になっている各スポーツ界で起きているパワハラ的問題の根源の一部にも「能力の違い」があるのでないだろうか?
組織が大きくなればなるほど「選手として実績がある」というだけの能力では適切な管理が難しくなる。

そしてこの話は企業にもつながる。
日本の企業の大部分を占める「中小企業」の経営者の多くは「血縁で経営者になる」「社員としての実績から経営者になる」のどちらかだと思う。
わが社の場合、先代は前者の「血縁」で、今は後者の「社員実績」からトップになっている。

話は変わる。
一般の人は知らないだろうが、今、企業は「責任の明確性」を法的に突き付けられている。
「企業レポートのガイドライン」や企業経営に関する法規制である「ガバナンス・コード」など、どんどん企業が「責任」という名の鎖にがんじがらめになっている。
具体的には「この役員は、なぜ役員となる経緯と理由を述べよ」とか「最高執行機関(一般には役員会)に参加する人の情報を公開せよ」などがある。
これは例のスポーツ団体も同じことで、そういう時代になっている。
TVの芸能人コメンテーターは、そんなことも知らずに「昔は通用したが今は時代が違う」と言うが、明確に取り巻く状況が変わっていることは確かだ。

仕事の関係である興味深いレポートを読んだ。
「欧米には経営のプロがいるが、日本にはいない」
欧米の場合、経営のプロが経営層になり「企業価値を向上」させ、企業を売却し利益を得る。
だから経営層は「価値」を上げるために、経営ノウハウを駆使するし、その分野の知識を学びスキル向上をする。そして「価値」下がれば、その全責任は経営層にあると明確にされる。
だからこそ欧米の経営層のギャラは高額だ。

ところが日本は「社長」になるのが、多くの場合「ゴール」になってしまっている。
そして日本の経営層のギャラは低い。そりゃそうだ。「責任」が明確になっていないから。
ここに「欧米の企業と日本企業との大きな違いがある」とのことだった。

これを読んで、とても腑に落ちた。
「ゴール」に着いてしまった人に「これからの展望」など望めるはずもない。
なのに社員は「トップの方針を知りたい」と言う。
それに「社員としては優秀」な人が「経営として優秀」とは限らない。
そう求められる「能力」が違うから。

今までは何とか誤魔化せてきたけれど、「責任」ということを明確にしようとしてきた時代には、もう誤魔化せない。
「能力」が違うから、もう無理だというのが正しいのだろう。

最近のわが社を含めた中小企業やスポーツ団体の右往左往の状況を見ていると、表面のゴシップ的な話題より、こんな根源的な課題に気づくようになったのは、年のせいか仕事のせいか?
こういう状態を「時代が変わってきた」と感じるのは、やっぱり60歳という年齢がそうさせるのだろうか?
今までの人も、これくらいの年齢になると「時代が変わってきた」と感じてきたのだろうか?
いずれにしても「能力」がないものが、異なる能力の実績で上にいると不幸な状態になる時代だということは、確かなようだ。

| | コメント (0)

2018年4月23日 (月)

今年の新人たち

昨年めでたく(?)再雇用となった私だが、それと入れ違いに世の中は「人材育成が最も重要」と言われるようになった。

20180423

その背景には、まず「働き方改革」がある。私たちの若い時のように「見て覚えろ」とか「仕事や技術は盗むものだ」的な対応では、今は通用しない。受け取る新人たちもそうだが、それより「そんな教え方はパワハラだ」と言われるからだ。

まぁ時代も違うし、人によって賛否あるから、一概に決め付けるわけには行かないが、私は昔のやり方で、徐々に周りが認めてくれる「充実感」が自己の成長と感じられたので良かったのではないかと思っている。

ただ「がむしゃらに上下関係が厳しく働く」時代ではなく「有意義な人生を送るために働く」という改革の真っ最中だから、私の感覚は「時代錯誤」なのだろう。

もう1つの背景はAI化の躍進」だ。
単純労働は、遅からず「コンピュータ」が対応し、さらにもうちょっと複雑な業務も「AI機能」が代理で行う時代がやってくる。
そうなると企業は「優秀な人材」が最も重要で必要となるわけで、今やどの企業も「人材育成」に投資するようになった。

そんな流れの中、わが社も昨年から「新人研修」にチカラを入れ始めた。
それまでは10日前後のビジネス研修のあと、配属先の任せるOJT教育」で長くやっていた。
私はひそかにOJTと言う名の、ほったらかしな教育」と思っていたが、やっと「これじゃダメだ」となり、営業職を中心に4月末までの約1ヶ月間、研修を行うことになった。 

その研修の「クリエイティブな部分」を人事部から「ぜひ」と頼まれ、昨年から面倒見ることになった。
まぁお世話になった恩返しだし、その業務を引き受けることで、会社としては「必要な人材」と思ってもらえるという損得勘定も少しある。

しかし、最近は就活生の「売り手市場」の影響で、内定を出しても断るし、入社しても「ワイワイガヤガヤ」と学生気分のままだ。
今までもそうだったが、ここ12年は特にそう感じる。

会社と学校の区別がつかず「言われたこと」は素直にやるが「言われない」と気づかない。
今年の新入社員は、さらにすごく研修期間中の朝や帰社時刻に社員とすれ違っても挨拶しない。
我々だけじゃなく常務など役員にもしない。
さすがに気になったので、注意すると「とても素直に」言うことを聞く。

さらに早朝会議をやっている横の食堂で待機している時も「ワイワイガヤガヤ」
一度注意すると静かになるが、23日するとまた元に戻る。

ミーティングしてプレゼンさせると、すごく上手い。
きっと学校で習ってきたからなのだろう。
すらすらと難しい言葉を使って「さもわかったように説明」する。

でも、ちょっと深い突っ込みの質問をすると、途端に下を向く。
良い例が「顧客の要望を聞いて提案する」と言ったので、「その要望はいったい何?コスト?納期?品質?対応?」と聞いたら、何も言わなくなってしまった。

さらに時間を決めてミーティングさせても、時間が足りなくなって「あと5分延長できませんか」と平気で言って来る。
もちろん「学校じゃないんだよ。時間通り出来ないのは、計画性がなくスキルがないからだ」と突っぱねてしまったが・・・・・・

いったいこの子達は「社会人となる覚悟」があるんだろうか?
と偉そうにいうが、私もそんなに立派な若者じゃなかった。
そして、今の子のように素直じゃなくって、世の中を斜めから見ていたので「へん、うるさいよ」という態度を取っていた。

そんな意地っ張りでもなく、注意するととても素直。
そして、昨年入社したうちで、すでに1名退社し、1名はちょっとメンタルを(軽く)痛めてしまった。
よく言えば、とっても純粋培養。だから耐性がないから、すぐに挫けてしまう。

手前味噌だけれど、私たちのように厳しく教えられ、さらにそれに反発するような若い奴の方が、しっかりした社会人になっていくのではないだろうか?

ただ彼らと私の年齢の差は
40年。
分かり合えるはずもないけれど、研修をやるたびに「こいつら小学生か?」と思う今日この頃だ。 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧