2020年8月17日 (月)

会社に行かない生活を準備

本日、63歳になった。
そんなことより今年はあらゆることが「コロナ禍」の影響を受けている。
8月といえば「夏休み」なのだが、学生たちは「緊急事態宣言」の影響で学校を休みにしたために通常の夏季休暇などで調整していて、3世たちも可哀想に、とても短い夏休みらしい。20200803

それに、今年コロナ禍にならなかったら「東京オリンピック」が開催され、昨年の「ラグビーワールドカップ」以上の盛り上がりになっていただろう。
過ぎてしまったけれど、7月後半の4連休は確か「オリンピック開幕」にあわせて今年限りのカレンダーだった。
ちょっと話はズレるが、昨年の今頃「来年の夏は、東京出張は無理だね」と話していた記憶がある。
きっとビジネスホテル等は「皮算用」をしていただろうが「世の中何が起こるのか分からない」という言葉が、今年ほど当てはまる年はない気がする。

コロナ禍の影響といえば、今まで書いてきたように仕事絡みが一番なのだが、個人としても「休みを取って旅行」ということが出来なくなっていることも大きい。
それに何となく「外食」も控えて最近は(出来合いのもので済ませているけれど)簡単な自炊生活にもなっている。
そのため5月GWも、7月後半の4連休も、そして今月の夏季休暇も、旅行などには行けず「家籠もり」になることが多い。
旅行に出かけられないのは他にも原因があるにしろ、やっぱりコロナ禍が大きい。
なにせ、最近は「日帰り温泉」もちょっと躊躇してしまっていて、本当に「コロナ前とコロナ後」と生活は大きく変わってしまった。

そんな「家籠もり」の日々が続くと「再雇用を終えて、会社に行かなくなると、どんな生活になるのだろう」と思うことが増えた。
ずっと会社勤めを続けてきて、定年後も再雇用としてやっぱり毎日会社に行っている。
日曜の夜や連休最後の日など「あ~あ、明日また会社かぁ」と思うのだが、考えてみたらそんな生活も、もう長くは続かない。
今月63歳になる私は、社内規定的には「要望すれば無条件に再雇用」される年齢ではなくなる。
このコロナ禍の時代、世界中どんな企業も(ごく一部を除いて)経営状態はよろしくない。
出来れば65歳の年金支給が本格的に始まる年齢まで、お世話になりたいと思っているが、それにしても10年とかいう単位で、会社勤めを続けることはない立場になっている。

休みの日に家でそんなことを考えていると「会社に行かない生活」というものを、そろそろ真剣に考えて準備しておかないといけないなぁと思うようになった。
自分が定年になってから感じるのだが「周りから必要とされていること」が、実はとても大切なのだと思うようになった。
「必要」と思ってもらわないと再雇用で勤め続けられないし、周りからの相談も受けない。
今は「会社」というところにいるので、それなりに「必要」とされているけれど、これが「会社に行かない生活」になったら、どうなるのだろう?

年齢を重ねるうちに「知識欲」は高まる一方で、いろんな史跡を訪ねてみたいし、いろんな本を読んだり、博物館・美術館へも行ってもみたい。
でも、それは「周りから必要」とされるわけじゃないので自分が「面倒だな」と思ってしまうと「何もしなくなる」ような気がする。(生来、とても怠け者なので)
63歳になり「会社に行かない生活」の計画を立てておかないと思っているが、このコロナ禍では、なかなかアクティブな計画がイメージできない。

以前、同じマンションで隣にいた人は退職後「何もすることがなくて暇で」と話していたが、そろそろ私自身もそんなことを心配する年齢になったということだ。
管理職時代に覚えた週単位、月単位、そして年単位で「行ってみたいところ」「読んでおきたい本」などのロードマップの作成を、まずは今年の「やること」にして計画する準備を始めてみようと思う。

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2019年8月19日 (月)

還暦過ぎての手習い

先週、めでたく(?)62歳となった。
60歳を迎えた時には「還暦」とか「定年退職」とか節目めいたワードが周辺を飛び交って特別感があった。
だから再雇用となりこのブログにちょくちょく近況を書いているように、おかげさまで、多忙な日々を過ごしていて、最近では給料が減ったことや責任が小さくなったことにも慣れ、変わらぬ「日常」を過ごしている感じだ。20190819

そんな60歳を2年超える頃に、少し新しいことを始めた。
それは「鍵盤楽器」を購入して弾き始めたことだ。
突然に見えるかもしれないが、そうではなくて、ずいぶん以前から「少しは弾けるんじゃないかなぁ」とぼんやり思っていた。
このブログでも書いたかもしれないが、私はアコースティック・ギターを少し弾く。
ギター歴は兄貴の影響で、初めてギターに触ったのが小学性の頃とかなり長い。
けれど、本格的に習ったわけでもなく我流だし、どちらと言えば「弾きながら唄う」ことが好きで、それも「人前でやりたい」と思う方でもないので、年数の割には「そこそこ」の腕前だ。

昔々だと吉田拓郎やかぐや姫など、みんな「ギター」を抱えて唄うのが基本形だったが、オフコースなんか出始めてきたらピアノなどの「キーボード」の弾き語りというスタイルを見るようになった。
元々クラシックな感じの「ピアノ」には興味がないが、鍵盤を「コード」で弾くことには「どうやるんだろう?」と思 っていた。
中学校の音楽の授業で「ドミソ」の和音「C」というコードだと習ったことは覚えていたので、鍵盤でも「コードが判れば、それっぽく弾けるんじゃないのか?」と思うようになった。

いろいろネットで調べたり楽譜なんかも見たりしたが「結局楽器がないと分からないなぁ」となり、通販で検索してみた。
そうしたら、意外と安価で多機能な「キーボード」が数多く販売されているのを知った。
プロやバンドの人が使う「ローランド」のような本格的なものじゃなければ、「カシオ」「ヤマハ」でそれなりの鍵盤数と機能のモノを発見。最後は「やっぱり楽器メーカーだよね?」「ヤマハ」のものを選んで購入してみた。

頼んですぐに届き、セットして鳴らしてみた。
全く説明書を読まずに、いろいろボタンを押すと、様々な楽器音はするし、リズムも刻むし、コードもサポートしたり、本当に多機能だ。
性格的には「まずは触ってみよう」と、ネットで「鍵盤コード」の一覧表を見つけて、今までギター用のコード楽譜を使って弾いてみた。

ちょっと難しいコードになると「コード表」を見ながらでないとお手上げだが、左手でベースを弾きながら、右手てコードを押さえることは何とか出来そうだ。
試しに吉田拓郎の古い名曲「どうしてこんなに悲しいんだろう」を弾いてみたら最初の4小節が「おお!レコード(違うかCD?)と同じ音だ!!」と1人で感動してしまった。

キーボード特有の右手と左手の違いに戸惑ったり、ギターだとカポタストを使うことで音の高さを調整出来るが、キーボードはそれが出来ないので、コード変更しなくちゃいけないなど、戸惑うことも多い。
でも60歳過ぎても、新しいことが出来るようになるとは、ちょっと嬉しい。
キーボードはギターと違って、「ヘッドホン」をすれば、音が出ないので、夜弾いても近所迷惑にならない。
おかげで今は、思いつくとキーボードの前に座っている。

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2019年6月17日 (月)

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

一部のコアなファンの中では、昨年から「どんなのだろう?」と話題になっていた。
ハリウッド版「ゴジラ」の第2弾だ。20190617
このブログでは、たまに「ゴジラ」関連のことを書く。
2014年7月に「ゴジラを考える」、2012年9月「特撮博物館に行ってきた!」、2007年11月「FavoritesNo.21 ゴジラ伝説」、そして2006年2月「伊福部昭さん」などなどだ。
ここから先は、かなりディープな話になり、「ゴジラ」「ガメラ」「怪獣映画などの基礎的な知識がないと分からないと思います。ごめんなさい。

今回特に楽しみにした理由は「キングギドラ」「ラドン」「モスラ」といった東宝怪獣系の王様クラスが出るということだった。
「ゴジラ」を含めて、この4大怪獣が激突したのは「三大怪獣 地球最大の決戦」。ちなみに4つの怪獣が出るのに「三大怪獣」というのは、地球の三大怪獣であり「キングギドラ」は宇宙怪獣なので、外れいているそうだ。
この「キングギドラは宇宙怪獣」という設定は、今作にも踏襲されていた。
事前に今回の監督は、かなりの「ゴジラおたく」であるとも聞いていて、それも期待度を高めていた。

●映画における音楽の力を思い知った
これも事前に「一部で伊福部昭氏の音楽が使われる」と聞いていたが、実際に映画としてのシーンの中に「伊福部昭氏」の音楽が流れると、格段に「ワクワク度」が上がった。
「映画の中の音楽の力って、こんなにスゴイんだ」と感心しきりで、特に「モスラ」登場のシーンでの「モスラ」の音楽は、鳥肌がたった。
また「ゴジラ復活」のシーンでの「ゴジラのテーマ」も、もう拍手したい気持ちになってしまった。
しかし、いかに「伊福部昭」という人が「映画音楽」というものを熟知して作曲していたかを、ゴジラ誕生後65年も経ってから、改めて思い知らされた感じである。

●エンドロールの最後に感涙
エンドロールの最後にゴジラの着ぐるみに入っていた「中島春雄さん」の写真を載せ、彼へのリスペクトを表していた。
思わず「おっ」と言ってしまい、そしてちょっと泣きそうになった。
ちょうど、この映画公開にあわせ缶コーヒーのBOSSが「顔の映らない主役」という特別なCMを作ったが、まさに彼のことだ。
日本では、かなりコアなファンしか「中島春雄」のことを知らないが、アメリカでは「スーツアクター」として、とても尊敬されていたと聞いたことがある。今回のエンドロールは、そのことを十分に分かる演出だった。

●怪獣登場の脚本力の違い
映画としては全体的にとても面白かった。
でも、なにかが足りない気がして気になったのだが、映画館を出て思った。
「荒唐無稽」な怪獣映画だけれど、私が見てきた初期の怪獣映画や、平成ガメラシリーズと圧倒的に違うのは、脚本なんじゃないか?と。
日本の場合、日常的な出来事の積み重ねがあって、全く歯が立たないと分かっていても自衛隊は攻撃するし、住民が避難するシーンは、必須である。
「シン・ゴジラ」が評価されたのも、人命に対する考えや日常的な生活を積み重ねていて、最後の怪獣部分だけが「荒唐無稽」な物語にしている。
この実際にある「現実感」の積み重ねが、この映画は希薄な気がする。
ま、そんなことをすれば、3時間以上の長時間映画になってしまうから、仕方ないのかもしれないが。
「モナーク」はともかく「オキジェンデストロイヤー」なんて、コアなファンしか分からないのが突然出てくる辺り「ゴジラファンのためのゴジラ映画」と言えなくもないが。

次には「キングコング対ゴジラ」のハリウッド版が予定されている。
生まれて初めてみたゴジラ映画が東宝の「キングコング対ゴジラ」だった思い入れの高い作品なので、今回以上に期待が膨らんでしまっている。

 

 

 

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2019年6月10日 (月)

近場の美術館~立川美術館

GWに出かけた近場の話、第2弾。20190610
「立川美術館」と言っても誰も知らないだろう。 
全く有名でないし、規模も小っちゃい。「小さい」というより「小っちゃい」という言い方が当てはまる感じのところだ。
入場料が「200円」と聞けば、その規模が分かるだろう。
何の美術館かと言えば、「山車の彫刻」とかなりニッチな分野だが、逆になかなか気軽に見ることが出来ないものだ。

私の住む中部地方は、あちこちに「山車」がたくさんある。
有名なのは「高山」で多くの観光客が訪れるが、名古屋を中心に30~40kmくらいところに、いくつでもある。
この「山車」は、2016年に「山・鉾・屋台行事 ユネスコ無形文化遺産」に登録されて盛り上がった。
あるきっかけがあって、私はここ2~3年名古屋近郊の半田市で行われる「潮干祭(しおひさい)」というものを見に行く。
この半田市、以前「彼岸花の土手歩き」「彼岸花の花嫁行列」で紹介した地域だ。
ちなみに、美智子上皇后の話題で出てきた「でんでんむしのかなしみ」の作者である新美南吉も、この地域の出身だ。

この地域、3月後半から5月GWにかけて、毎週末どこかで「山車」が出るお祭りがある。
なので、5年毎に「はんだ山車まつり」として30台以上の山車を勢揃いさせる。これは何十万人と集まるので、敬遠して行っていないが……。
とにかくやたらと「山車」がたくさんある地域だ。
この「山車」には、「からくり人形」もあるが装飾の彫刻が見事で、また「山車」ごとに違う彫刻が創り込まれている。
その彫刻の技術伝承という意味でこの「立川美術館」があるらしい。

小さなところなので、当然ほとんど人がいなくて、その施設の人が横について説明しくれたのだが、一度「立川流」は途絶えたが、子孫の許可を得て再興させたとのことだった。
詳しくは「立川美術館http://www.tatekawa.org/index.html)」を見てほしいが、なかなかこう言った彫刻を、説明を聞きながら、しかも写真撮影もOKで、間近で見られるなんて、なかなかない。
これが京都の祇園祭の山鉾のように「超有名」な装飾に関する美術館などがあったら、ものすごく観光客が集まる気がする。
まぁ、そうなると撮影はできないし、気軽に行けないし、混雑するから嫌だけれど。

せっかくの長い休みだったが、かえってどこも混雑することになったが、おかげで近場の面白いところに行けたこと、そしてまだまだ近くに「おっ」と感じるところがあるなぁって思えたGWだった。

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2019年6月 3日 (月)

近場の史跡巡り~華蔵寺(吉良家菩提寺)

6月になったが、今年のGWは10日間もあったので、その時の話題を……。
とは言え、「この長期休みを利用して、どこか遠くへ」ということではない。
いろいろ事情はあるが、主な原因として「どこに行っても混雑するよね」と思っていたので「泊りがけでどこかへ行く」なんてことはしなかった。20190603_1  
話はちょっと逸れるが、最近はどこへ行っても観光客が多い。
それも外国の人が、とんでもなく多い。
「日本人もあまり知らないようなところなのに」と思うところでも、外国人の観光客を見かける。
人種偏見はないように気をつけているが、ワケも分からず大きな声で喋られたり、日本的にきちんと順番を守るというルールに従えない団体に会うと、腹立たしくなるし、うんざりする。
だから、最近は「行ってみたいなあ」と思っても「混雑してるだろうな」と危惧することが多い。

でもせっかくの長い長いGW、どこにも行かないのも勿体無いので、ちょこちょこと近場に出かけてきた。
その中で、たまたま寄ったところが、今回の「華蔵寺」
ここは、ネットで見つけていて近かったので「いつかは行こう」と思っていたところだ。
場所は愛知県西尾市。
ここはちょうど4年前に「近くの穴場~西尾城」で紹介したところだ。
その頃から徐々に分かり始めたが、この西尾市は江戸時代には「西尾藩」といい、歴史的に有名でないが、史跡を巡るとたびたび「えっ、ここも西尾藩の関連なんだ」と知る重要な藩だ。

●華蔵寺
愛知県西尾市にある臨済宗妙心寺派の寺院。高家吉良家の菩提寺。
吉良義央の曾祖父である吉良義定が旗本として吉良家を再興した際に、父義安の菩提を弔うために創建した。吉良家墓所には、義安から義央の継嗣義周まで6代の墓がある。そのほか、義央50歳の時の木像や義央寄進の経蔵などがある。(ウィキペディアより)

この「吉良義央(よしひさ)公」が、かの有名な「吉良上野介」のことだ。
この人は、全国的に「赤穂浪士の敵」として憎まれているが、地元では数々の善政を敷いた名君として愛されている。
それは以前から聞いていたのだが、ナビに案内されながら向かう途中に「赤馬ロード」との看板を見て、「これ何だろう?」と思ったが、寺に着いて分かった。

寺で見た資料によると、義央公は水害を防ぐために堤を築いたり、領民の状況を調べるために「愛馬赤馬」に乗り巡視して周り、とても領民から人気があったとのこと。
この「愛馬赤馬」は寺の資料では「農耕馬のような」となっていたが、ネットで見てみるとそのような説明はない。
いずれにしろ、地元ではとても愛されており、吉良家もあちらこちらに寄進していて、すこぶる良い関係だったことがわかる。

さすがにここには外人の観光客はいなかったが、他に2組くらいの観光の人が訪れていた。
しかし以前、赤穂浪士の墓のある「泉岳寺」を訪ねたことがあるが、そこは煙いくらいに線香が炊かれていたのに比べ、この華蔵寺はひっそりとして、あまり整備もされていなかった。
この人気の違いに、ちょっと残念な想いだったが、5月の良い天気の中、静かな史跡を巡り、新緑に囲まれてウグイスの声を聴く空間は、至福のものだった。

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2019年3月25日 (月)

撮影できる浮世絵展に行ってきた

先日「特別展 挑む浮世絵 国芳から芳年へ」に行ってきた。
20190325
このような展覧会は、普通なら土日に出かけるが、ちょうどマンションの電器検査立会いもあり、平日に有休を取って行ってきた。
事前にHPで確認したら、この展覧会なんと「撮影可能!」
ただし以下のような注意書きが掲載されていた。
 
◎展示作品はすべて撮影OK!
本展の展示作品はすべて撮影いただけます。撮影にあたっては以下の条項をお守りください。
他の来館者の鑑賞の妨げにならないよう、ご注意ください。
他の来館者が映りこまないよう、ご注意ください。
シャッター音や周囲にご配慮の上、長時間の撮影はご遠慮ください。
会場の状況によっては撮影をご遠慮いただく場合がありますので、ご了承ください。
本展の展示作品は額装されているため、ガラスによる反射・映りこみがあります。
フラッシュ、ライトの使用は禁止。
動画の撮影は禁止。
三脚や一脚、自撮り棒等の使用は禁止。
その他、作品の保護・安全のため、当館の指示に従ってください。
 
◎撮影した画像の使用について
画像の使用は私的なものに限ります。それ以外の用途での使用は固く禁じます。
Webサイト・ブログ・SNS・電子メール等での掲載は個人での使用に限ります。
営利目的での使用は固く禁じます。
投稿や公開等の際、来館者の肖像権に触れる場合があります。ご注意ください。
画像掲載による第三者とのトラブルに関して当館では責任を負いかねます。画像の取り扱いにくれぐれもご注意ください。
 
まぁ、仕事柄、知的財産権のことは普通より詳しいので、「至極当然の注意点」と言えるのだが、普通は「撮影不可」が当たり前なので、楽しみにして行ってきた。
 
国芳は何度も見ているが、「撮影可能」は初めてで、前述のように行ったのは平日。なのに結構混んでいる。どうも最近は「江戸絵画」は人気が高く、なかでも有名な作家による「浮世絵」は大人気だ。
「北斎」「若冲」なんてビッグネームの展覧会、ものすごい入場者数になる。
 
会場に入るとさっそく「カシャ」というシャッター音が聞こえる。
これが通常だったら「なんて非常識な!」と思うのだが、今回は違う。
「じゃ、こちらも」なんて思って、スマホを手に持ったが、なにせ慣れていない。
会場係員の人の姿が気になって「そこはダメです」って怒られるのでないかと、最初はドキドキしてしまった。
 
最初に撮影したのは「吉野山合戦」という超縦長のもの。
(ここに掲載したので見てください。クリックすると大きく見えるはずです)
国芳の大判3枚連作のワイドなものはたくさん見てきたけれど、縦に長いのは初めて。
「やっぱり国芳は面白いなぁ」と思いつつ、段々撮影にも慣れてきて「おっ!」と思う作品は、出来るだけ解説付きで撮影した。
 
この展覧会は国芳だけでなく、その弟子たちのものも多く、明治以後のいわゆる「ちょっとグロ」的な作品もあった。
「怖いものは見たくない人は、飛ばしてください」とコースが分かれていたが、「せっかくだから」とそちらのコースもしっかり見てきた。
最近では残虐性の高い事件をネットやニュースで見聞きするせいか、それほど残虐とは思わなかったが、まだ写真や映像の無い時代に、血しぶきが飛び散るような浮世絵は衝撃的だったのだろう。
 
ずんずん作品を見ていき有名な「里すずめねぐらの仮宿」では、一部をズームして撮影してみた。
これは「吉原」の仮宿に冷やかしに訪れる男衆や大籬(おおまがき)越しに見える花魁たちが全部「スズメ」で描いている国芳得意の擬人画だが、いろんなポーズや表情のスズメたちが画面いっぱいに描かれているので、ズームして見るのも楽しかった。
 
気に入った展覧会では、図録集を購入することにしているが、この展覧会のお土産コーナーでは図録だけでなく、手ぬぐいなど多くのグッズが販売されていた。
怪奇ものや洒落ものは部屋に飾るかんじではないが、いかにも国芳らしい「宮本武蔵の鯨退治」の手ぬぐいを買ってきた。
久しぶりに「浮世絵展」を見たが、再雇用の身でもあるので、これからは有休を取って平日にゆっくり鑑賞するのも良いなぁとウキウキしながら帰ってきた。

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2018年10月 1日 (月)

近場の史跡巡り~有松宿

なんだか最近は「近場の史跡巡り」がシリーズになりつつある。
それだけ、私の住んでいる地方は史跡が多いということだろう。
東海地区という場所は関西と関東と北陸と伊勢の4つの方向のクロスする重要な拠点だ。
だから戦国武将は、その拠点を抑えたかったし、徳川幕府を起こした家康も、西からの勢力に備えて、名古屋城という巨城を築いたと言われている。
20181001
若い頃は、やっぱり京都や奈良と言った観光的に有名な地域にしか史跡なんてないと思っていた。
ところが近年の歴史ブームとか、ネットの紹介などで実はとても身近なところにもあると分かってきたし、史跡巡りも回を重ねると、徐々に詳しくなって「ここも行ってみたい」と次への興味も沸く。
東京なんてその良い例で、もうそこら中に史跡があり、以前3日間ひたすら巡ってみたが、まだまだ行ってみたい所がある。

さて今回行ったのは「有松宿」
正式な宿場町ではなく、「有松」の名前で有名なのは「絞り」だ。

有松宿は五十三次の宿場ではなく 「間の宿」 であるが、特産品の有松絞りを郷土の土産にと、きそって買い求める旅人が多かったことから大繁盛した宿場であった。
 広重の「五十三次鳴海宿」はここ有松を描いたもので、絵の中の店先には有松絞りの暖簾が下がっている。(Wikipediaより)

場所は名古屋市の外れ。
だから自宅からクルマで1時間くらいの場所。
もちろん場所も名前も昔から知っていたし、近くは何度も通っている。
離婚したばかりの頃、子どもは近くに住んでいたし、一時期良く遊んだ友人もこの近くだ。
なのに、一度も行っていなかった。
最近、私の住む地方のローカルTV局で、たまたま「有松絞り」を紹介する番組を見て、「行ってみるか」と出かけてきた。

ネットで簡単なMapを手に入れ、駅近くにあったイオンにクルマを停めた。
街並みとしては、ほんのわずかしかないが、一応Mapをもらうために「観光案内所」に入った。
「どこから、お見えですか?」と聞かれ「いや、地元です」と答えると、「そういう人多いですよ。」と言われた。意外と近くからの人が多いようだ。

そして有り難いことに、天気が悪かったせいもあり、観光客も多くなく、ゆっくりと街並みを歩くことができた。
小さな街並みだけれど、「有松絞り」を扱った豪商屋敷を思わせる家がいくつかある。
その中には「うだつ」がある家もチラホラ。

テクテク歩いて「有松・鳴海絞会館」へ。
1階は「有松絞り」のお土産売り場だったが、有料となる(といっても300円だけど)2階へ。
そこはビデオ紹介に始まり、いろいろな絞りの種類や、道具、そして実演しているお婆ちゃんがいて、直接話を聞いたり出来て楽しかった。
お話を伺ったお婆ちゃんは「60歳過ぎて覚えた」と言っていて、ちょうど私の歳から始めたのかと話が盛り上がってしまった。

「絞り教室」には外人の観光客が熱心に習っていた。
「体験型の観光が増えた」と聞いていたが、教室はまさに「体験型」で、欧米の外国の人の方が、こういう日本の伝統技に詳しくなってきているかもしれない(笑)。

「有松・鳴海絞会館」を出て「有松山車会館」でお祭りに使う山車を見学。
この地方には、あちらこちらに「山車」があるが、これもこの地区の特徴でもある。
その後、遅いお昼を近くのうどん屋さんで食べて帰ってきた。
ちょっと出かけて楽しめる史跡は、まだまだある。
関ヶ原も行ってみたいし、実家近くの苗木城址にも行きたい。
年齢相応に行ってみたいところが近くにあるというのは、幸せなことだと思う今日この頃だ。

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2018年9月 3日 (月)

星空鑑賞、再び。でも……

今まで、ほんの「チラッ」としか書かなかったが大昔、星の写真を撮影することを趣味にしていた時期があった。
その時のきっかけは「ハレー彗星」の大接近がとても話題になったことだったような記憶がある。
元々、田舎の育ちなので、冬には「オリオン座」がとても綺麗に見え、夜空には興味がある方だった。
20180903
熱しにくいが、やり始めると凝る性質である。
ただし、裕福な家でもないし、高収入者でもないので「出来るだけお金を掛けずに」やるタイプだ。
今のようにネットが発達していない時代なので、星の動きを追尾しながら撮影する「赤道儀」を求めて、いろいろな店に行ったり、何とか自作できないかと考えたりしていた。

毎月のように雑誌を購入して、綺麗な星の写真をうっとりと眺めたり、望遠鏡をガイドに一眼レフで追尾撮影出来るようにして、撮影に出かけていったりした。
しかし、都会に住んでいると「星空が見える場所」を探すのがとても大変だ。

会社勤めしているので、出来れば次の日が休みの日に撮影に行きたい。
でも、その日にうまく晴れるとは限らない。
通常の晴れと違い「雲」が流れてくると上手く撮影できないので、かなりの好天に限られる。
さらに、「月」の明かりのない日でないと行けない。
「月」というのは意外と明るく、一度月夜を撮影したら、夜空が青空のように明るくなったことがある。

そして、やっとタイミングがあって撮影に出かけても、カップルがクルマに乗ってデートに来たりする。
こちらも機材があるので、クルマを停められるところを探していくのだが、目的は違ってもカップルが望む場所も同じような条件となる。
そこに「ヘッドライト」を点けたクルマが来たりすると、何十分も掛けて撮影していたのに、ライトが入って「撮影失敗」になる。
綺麗に星空を映すには1回30分とかシャッターを開けっ放しにする必要があるから、その苦労は並大抵じゃない。
そして、フィルムの時代なので、現像してみたら失敗写真が多くがっかりしたことも数多い。

そんなことを繰り返すうちに、何となく足が遠くなってやめてしまったが、「流星群」とか「○○彗星」などの話題が出ると気にするし、見に行ける条件の場合は行くこともあった。
しかし、夏休みの時期には毎年「ペルセウス座流星群」が見ごろとなることは知っている。
調べてみたら、今年は新月で月の明かりもなく見やすいらしく「久しぶりに行って見るか」と思ったが、「せっかく行くなら撮影したいな」と思い付いてしまった。

赤道儀を使用しての星の動きを追尾しての撮影は無理としても、スマホで気軽に撮れないか?と考えネットで調べてみる。
以前と違って、とても簡単に調べられることは、とても有り難い。
「そうそう星座早見表がいるなあぁ」とアプリで星座表を探すと、AR機能付で、その方角を向けるだけで、星座がわかる便利なものを発見。
次は撮影アプリ。スマホにあるカメラではシャッターを開放に出来ないが、30秒くらいのバルブ撮影ができるアプリを発見。
経験上「30秒」あれば星が綺麗な場所で撮影すれば、それなりに映る。

あとは赤い懐中電灯。
通常の懐中電灯だと明るすぎて、目が暗さに慣れるまでに時間が掛かる。
だから赤い光の懐中電灯が必要なのだが、これは自転車の後部灯用のLED電灯を100円ショップで発見してゲット。

さらに、星空を見るのには、双眼鏡が良い。
昔使っていた双眼鏡を出してみたら、グリップがぬるぬるになってしまって使い物にならない。仕方ないので、1000円位のモノを買い直した。
カメラ用の三脚は小さいのはあるから、スマホを固定できるツールをこれもネットで探して取り寄せた。

これで撮影準備は整い、あとは夏季休暇を待つばかり。
ところが休みに入った途端、大気は不安定になり、それまで連日の晴天が嘘のように、雲が出たり、雷が鳴ったりとなってしまった。
目当ての「ペルセウス座流星群」の極大日(一番良く見える日)は、見渡す限り一面の雲という天気。
残念ながら今回は見ることが出来なかった。
でも、手軽に鑑賞に出かけたり撮影するグッズは揃えたので、これからまた少し星空鑑賞に出かけてみようかなと思っている。

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2017年12月18日 (月)

樹木は生えていた方向で使用しろ

今私が業務している社屋は昭和30年代の半ばに建てられた。
ここ数年「そろそろ耐久年数が」と言われているが、私の好きな趣味の世界で言えば、戦後に復元された城(天守閣)も同じような状況にある。
20171218
最近話題になっている「名古屋城天守閣」も同じ耐久年数の関係で、「入場禁止」の動きもある。
鉄筋コンクリートの建物の耐久年数は5~60年らしい。
ところが「現存12天守」「法隆寺」「東大寺」など木造建築の方が今も建っている。
もちろん姫路城のように解体して修復して再組み立てすることができるのは木造建築の特徴でありメリットのようだが、それにしても木造建築のほうが鉄筋コンクリートよりも遥かに耐用年数が長いというのは面白い。

だから名古屋城の天守閣木造建築復元には基本的に賛成だ。
「そんな予算は高すぎる」とか「今、その必要があるのか?」など反対意見があるようだが、きちんと復元すれば、鉄筋コンクリートなんかよりも長く保てるのであれば、却って安いのではないかと思う。そして木造建築の技術も後世に残すこともできると思う。

11月のある休日にNHKアーカイブ「あの日 あのとき あの番組」という番組で「よみがえる大伽藍~薬師寺 復興事業50年~」を放送していた。
放送は1976年だから今から40年以上前の番組だが、この時の棟梁「西岡常一」が唯一弟子に教えた言葉を聞いて「なるほど」と感心した。
「樹木は生えていた方向で使用しろ」

これは、自然の材料は建物になってからも生きているということを、十二分に知っているからこそ言った言葉だろうと思うが、この言葉の中に、自然から得た材料の素晴らしさを言い表しているのだと思う。
実際には、自然の材料それも状態の良いものを使用して建築するのは、本当に高額で一般には手に届かない。
日本の気候に合う建物は、床下の通気を良くして、湿気が滞らないようにして、そして障子やふすま(木や紙)で呼吸し、土壁で乾燥や湿度を調整できるものが一番良いのだそうだ。
実際、土壁で家を作るとしたら、塗って乾燥させてととんでもなく時間を掛けないといけないから、お金も期間もどっちも超贅沢な状態でないと実現不可能だ。

ただ、何でもデジタルでお気軽に、そして低コストで創作できるようになった分、大事な「すごさ」を失っている気がする。
これは建物だけでなく、職人という人たちが携わってきた仕事のすべてに言えるのではないだろうか?
私の出身である「デザイン」も、時間とお金の掛かるものは出来なくなってきて、そういう意味でちゃんと考えるデザイナーが少なくなっている状態だ。

「樹木は生えていた方向で使用しろ」
今こそ、この言葉の意味を、しっかりと考えて捉えておく必要があると思うのは、私だけなのだろうか?

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2017年12月11日 (月)

日本はいつから日本らしくなったのか

12月になった。
主だったところはブログで紹介してきたが、今年もいろいろなところに出かけた。
これまでわりと江戸時代もしくは戦国時代の歴史的史跡を中心だったが、9月には奈良・明日香村に出かけ、ついに古代の歴史にも触れるようになった。
この時の話は「歴史と海と台風と」 に掲載したが、史跡や博物館を訪れて思うのは「歴史的な背景を知っていることが大事」だと最近思うようになった。
20171211
例えば明日香村の遺跡の時代、飛鳥時代はおそらく今私たちが感じるような「国」のイメージではなかったのではないだろう。
当時の政権は今のようにしっかりした体制ではなかったようだし、石舞台古墳の蘇我氏などを初めとして多くの朝鮮系の民族が日本にいたようだった。

と同時に、今考えるよりは遥かに中国(当時は唐とか随か?)や朝鮮(新羅とか百済とか)は、日本(倭国かな?)にとって、かなり密接な関係でそして先進国として見ていたようであった。
こんな背景を知りながら史跡を見ると、日本の歴史というより「これから日本になっていく時代」を見ているような気がしてくる。

と知ったように書いているけれど、この時代のことはまだまだまったく知らない。
江戸時代は結構資料があるし、幕末は歴史の時間で言えば「ほんのちょっと前」だから、かなり詳しく分かりそうだが、信玄、謙信、信長、秀吉、家康などの戦国時代はちょっと怪しい。
なぜなら「歴史は勝者のもの」なので、残されている資料が真実を語っているとは限らないからだ。

そして、それ以上前になると「想像部分」が多いのではないかと思っている。
さっきも書いたが、空海や最澄などの遣唐使の時代や飛鳥時代になると、日本というよりも中国に近い感じの政治だし、そもそも仏教感などは、空海・最澄以前と以後ではまったく違うようである。
そう考えるとその頃の中国(唐)は、今のアメリカやロシアのように世界の中心だったように世界的に力のある国だったということを感じもする。

こうして史跡を巡ったり、本で読んだりすればするほど、どんどん「もっと歴史の流れが分からないといけないなぁ」と思う。
そして私たちが思っている「日本人」は、やっぱり江戸時代に醸成された「日本人」らしさで、飛鳥時代、室町・平安時代の「日本人」は、きっと今の日本人とは違うのではないかと思う。
最近「日本人のおもてなしの心」と言われるが、これだっていつ芽生えてきたものか分からない。
実はつい最近の日本人感なのではないかと思っている。
江戸時代以前の史跡や資料を見て、今の日本人の感覚で「すごい」とか「昔からそうなのだ」と勝手に勘違いしないように気をつけないといけないと思うようになった。

ただいつの時代でも驚くのは移動距離。
飛鳥時代や平安時代に命がけで中国に渡っていることは、本当に驚きだが、江戸の各藩の歴史、遣唐使など、今、私たちが思っている以上に頻繁に人が移動していたということは事実として確かなようだ。

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