2019年6月24日 (月)

「安江靜二」という人のこと

ある時、ちょっとしたきっかけで自分の故郷の街を検索した。
なかなか目的としていた情報はなかったが、突然「安江靜二」という人を紹介しているWEB「中津川の画家 安江静二心の記念館」に行き着いた。
この「安江靜二」という人、私の故郷では有名な人だが、一般的にはあまり知られていない(と思う)。20190624_1

詳しくは、先ほど紹介したWEBに書いているが、この人は幼い時に「小児麻痺」となり身体が不自由になった。
当然、歩行も普通にできず、一人で歩けるがかなり困難な状態の方だった。
ただ私が物心つく頃には、街なかを歩いていても、みんなが先生のことを知っていて、好奇な目で見たりすることはなかったと思う。

この人のWEBを見たら「1913 (大正2年)生まれ」となっていたので、本当のところはわからないが、私の親父とは学生の頃からの知り合いだったらしい。
私の記憶では「親父と同級生」と思っていたが、親父は「明治44年生まれ」なので、少し違う。
ただ年齢が近いので、学校時代の友人だったことは、間違いないようだ。

私の実家は、私の故郷の商店街でおもちゃ屋をやっていた。
以前「十日市の想ひ出」にその頃の写真を載せた。
このおもちゃ屋は、私が中学生の頃までやっていたが、閉めた年に親父は亡くなった。
その店に、年に1~2回安江先生は訪ねてきて、居間に上がってお茶を飲みおしゃべりしていった。

先生は、歩きはもちろん、話す方も決して健常者のようではなく、若干聞き取りにくかったことを覚えている。
ただいつも訪ねてくる先生を親父もお袋も普通のお客さんと同じように話して、特別扱いもしていなかった影響か、私自身も「よく訪ねてくる絵かきのオジサン」と思って、怖がることもなかった。
確か兄貴は、1年間くらい先生に絵を習っていたようだが、本人は「ああしろ、こうしろ」と言われて、ちっとも好きなように描かせてくれなかったので、つまらなかったと言っていた。
まぁ、子供に絵を習わせるくらいウチの親と先生の距離は近かったのだろう。

先生自身がおっしゃっていたのか、お袋が話してくれたのかはっきりしないが、とても覚えている言葉がある。
それは先生が小児麻痺になって、身体が不自由になってからも、ウチの親父はそれまでと何も変わらずに友達でいてくれたということだ。
そのことが先生はとても「嬉しかった」と言ってくれて、だから今でもこうやって訪ねてくるのだと……。
先生のWEBによると13歳の時に小児麻痺になったとある。
時代的には大正の終わりか昭和の初めなので、今よりもはるかに差別的な時代だっただろう。
実際に先生は一時期隔離された生活を送られていたようで、そんな時代に「変わらずにつきあった」親父は、息子として誇らしいことだったので、とても覚えている。

もう2人共亡くなっているので、その真偽はわからないけれど、思いがけなく「安江先生」を思い出すことができたWEBの出会いだった。
毎月第3日曜だけ記念館は開館しているらしいので、一度出かけてみようと思っている。

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2019年6月10日 (月)

近場の美術館~立川美術館

GWに出かけた近場の話、第2弾。20190610
「立川美術館」と言っても誰も知らないだろう。 
全く有名でないし、規模も小っちゃい。「小さい」というより「小っちゃい」という言い方が当てはまる感じのところだ。
入場料が「200円」と聞けば、その規模が分かるだろう。
何の美術館かと言えば、「山車の彫刻」とかなりニッチな分野だが、逆になかなか気軽に見ることが出来ないものだ。

私の住む中部地方は、あちこちに「山車」がたくさんある。
有名なのは「高山」で多くの観光客が訪れるが、名古屋を中心に30~40kmくらいところに、いくつでもある。
この「山車」は、2016年に「山・鉾・屋台行事 ユネスコ無形文化遺産」に登録されて盛り上がった。
あるきっかけがあって、私はここ2~3年名古屋近郊の半田市で行われる「潮干祭(しおひさい)」というものを見に行く。
この半田市、以前「彼岸花の土手歩き」「彼岸花の花嫁行列」で紹介した地域だ。
ちなみに、美智子上皇后の話題で出てきた「でんでんむしのかなしみ」の作者である新美南吉も、この地域の出身だ。

この地域、3月後半から5月GWにかけて、毎週末どこかで「山車」が出るお祭りがある。
なので、5年毎に「はんだ山車まつり」として30台以上の山車を勢揃いさせる。これは何十万人と集まるので、敬遠して行っていないが……。
とにかくやたらと「山車」がたくさんある地域だ。
この「山車」には、「からくり人形」もあるが装飾の彫刻が見事で、また「山車」ごとに違う彫刻が創り込まれている。
その彫刻の技術伝承という意味でこの「立川美術館」があるらしい。

小さなところなので、当然ほとんど人がいなくて、その施設の人が横について説明しくれたのだが、一度「立川流」は途絶えたが、子孫の許可を得て再興させたとのことだった。
詳しくは「立川美術館http://www.tatekawa.org/index.html)」を見てほしいが、なかなかこう言った彫刻を、説明を聞きながら、しかも写真撮影もOKで、間近で見られるなんて、なかなかない。
これが京都の祇園祭の山鉾のように「超有名」な装飾に関する美術館などがあったら、ものすごく観光客が集まる気がする。
まぁ、そうなると撮影はできないし、気軽に行けないし、混雑するから嫌だけれど。

せっかくの長い休みだったが、かえってどこも混雑することになったが、おかげで近場の面白いところに行けたこと、そしてまだまだ近くに「おっ」と感じるところがあるなぁって思えたGWだった。

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2019年6月 3日 (月)

近場の史跡巡り~華蔵寺(吉良家菩提寺)

6月になったが、今年のGWは10日間もあったので、その時の話題を……。
とは言え、「この長期休みを利用して、どこか遠くへ」ということではない。
いろいろ事情はあるが、主な原因として「どこに行っても混雑するよね」と思っていたので「泊りがけでどこかへ行く」なんてことはしなかった。20190603_1  
話はちょっと逸れるが、最近はどこへ行っても観光客が多い。
それも外国の人が、とんでもなく多い。
「日本人もあまり知らないようなところなのに」と思うところでも、外国人の観光客を見かける。
人種偏見はないように気をつけているが、ワケも分からず大きな声で喋られたり、日本的にきちんと順番を守るというルールに従えない団体に会うと、腹立たしくなるし、うんざりする。
だから、最近は「行ってみたいなあ」と思っても「混雑してるだろうな」と危惧することが多い。

でもせっかくの長い長いGW、どこにも行かないのも勿体無いので、ちょこちょこと近場に出かけてきた。
その中で、たまたま寄ったところが、今回の「華蔵寺」
ここは、ネットで見つけていて近かったので「いつかは行こう」と思っていたところだ。
場所は愛知県西尾市。
ここはちょうど4年前に「近くの穴場~西尾城」で紹介したところだ。
その頃から徐々に分かり始めたが、この西尾市は江戸時代には「西尾藩」といい、歴史的に有名でないが、史跡を巡るとたびたび「えっ、ここも西尾藩の関連なんだ」と知る重要な藩だ。

●華蔵寺
愛知県西尾市にある臨済宗妙心寺派の寺院。高家吉良家の菩提寺。
吉良義央の曾祖父である吉良義定が旗本として吉良家を再興した際に、父義安の菩提を弔うために創建した。吉良家墓所には、義安から義央の継嗣義周まで6代の墓がある。そのほか、義央50歳の時の木像や義央寄進の経蔵などがある。(ウィキペディアより)

この「吉良義央(よしひさ)公」が、かの有名な「吉良上野介」のことだ。
この人は、全国的に「赤穂浪士の敵」として憎まれているが、地元では数々の善政を敷いた名君として愛されている。
それは以前から聞いていたのだが、ナビに案内されながら向かう途中に「赤馬ロード」との看板を見て、「これ何だろう?」と思ったが、寺に着いて分かった。

寺で見た資料によると、義央公は水害を防ぐために堤を築いたり、領民の状況を調べるために「愛馬赤馬」に乗り巡視して周り、とても領民から人気があったとのこと。
この「愛馬赤馬」は寺の資料では「農耕馬のような」となっていたが、ネットで見てみるとそのような説明はない。
いずれにしろ、地元ではとても愛されており、吉良家もあちらこちらに寄進していて、すこぶる良い関係だったことがわかる。

さすがにここには外人の観光客はいなかったが、他に2組くらいの観光の人が訪れていた。
しかし以前、赤穂浪士の墓のある「泉岳寺」を訪ねたことがあるが、そこは煙いくらいに線香が炊かれていたのに比べ、この華蔵寺はひっそりとして、あまり整備もされていなかった。
この人気の違いに、ちょっと残念な想いだったが、5月の良い天気の中、静かな史跡を巡り、新緑に囲まれてウグイスの声を聴く空間は、至福のものだった。

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2019年3月25日 (月)

撮影できる浮世絵展に行ってきた

先日「特別展 挑む浮世絵 国芳から芳年へ」に行ってきた。
20190325
このような展覧会は、普通なら土日に出かけるが、ちょうどマンションの電器検査立会いもあり、平日に有休を取って行ってきた。
事前にHPで確認したら、この展覧会なんと「撮影可能!」
ただし以下のような注意書きが掲載されていた。
 
◎展示作品はすべて撮影OK!
本展の展示作品はすべて撮影いただけます。撮影にあたっては以下の条項をお守りください。
他の来館者の鑑賞の妨げにならないよう、ご注意ください。
他の来館者が映りこまないよう、ご注意ください。
シャッター音や周囲にご配慮の上、長時間の撮影はご遠慮ください。
会場の状況によっては撮影をご遠慮いただく場合がありますので、ご了承ください。
本展の展示作品は額装されているため、ガラスによる反射・映りこみがあります。
フラッシュ、ライトの使用は禁止。
動画の撮影は禁止。
三脚や一脚、自撮り棒等の使用は禁止。
その他、作品の保護・安全のため、当館の指示に従ってください。
 
◎撮影した画像の使用について
画像の使用は私的なものに限ります。それ以外の用途での使用は固く禁じます。
Webサイト・ブログ・SNS・電子メール等での掲載は個人での使用に限ります。
営利目的での使用は固く禁じます。
投稿や公開等の際、来館者の肖像権に触れる場合があります。ご注意ください。
画像掲載による第三者とのトラブルに関して当館では責任を負いかねます。画像の取り扱いにくれぐれもご注意ください。
 
まぁ、仕事柄、知的財産権のことは普通より詳しいので、「至極当然の注意点」と言えるのだが、普通は「撮影不可」が当たり前なので、楽しみにして行ってきた。
 
国芳は何度も見ているが、「撮影可能」は初めてで、前述のように行ったのは平日。なのに結構混んでいる。どうも最近は「江戸絵画」は人気が高く、なかでも有名な作家による「浮世絵」は大人気だ。
「北斎」「若冲」なんてビッグネームの展覧会、ものすごい入場者数になる。
 
会場に入るとさっそく「カシャ」というシャッター音が聞こえる。
これが通常だったら「なんて非常識な!」と思うのだが、今回は違う。
「じゃ、こちらも」なんて思って、スマホを手に持ったが、なにせ慣れていない。
会場係員の人の姿が気になって「そこはダメです」って怒られるのでないかと、最初はドキドキしてしまった。
 
最初に撮影したのは「吉野山合戦」という超縦長のもの。
(ここに掲載したので見てください。クリックすると大きく見えるはずです)
国芳の大判3枚連作のワイドなものはたくさん見てきたけれど、縦に長いのは初めて。
「やっぱり国芳は面白いなぁ」と思いつつ、段々撮影にも慣れてきて「おっ!」と思う作品は、出来るだけ解説付きで撮影した。
 
この展覧会は国芳だけでなく、その弟子たちのものも多く、明治以後のいわゆる「ちょっとグロ」的な作品もあった。
「怖いものは見たくない人は、飛ばしてください」とコースが分かれていたが、「せっかくだから」とそちらのコースもしっかり見てきた。
最近では残虐性の高い事件をネットやニュースで見聞きするせいか、それほど残虐とは思わなかったが、まだ写真や映像の無い時代に、血しぶきが飛び散るような浮世絵は衝撃的だったのだろう。
 
ずんずん作品を見ていき有名な「里すずめねぐらの仮宿」では、一部をズームして撮影してみた。
これは「吉原」の仮宿に冷やかしに訪れる男衆や大籬(おおまがき)越しに見える花魁たちが全部「スズメ」で描いている国芳得意の擬人画だが、いろんなポーズや表情のスズメたちが画面いっぱいに描かれているので、ズームして見るのも楽しかった。
 
気に入った展覧会では、図録集を購入することにしているが、この展覧会のお土産コーナーでは図録だけでなく、手ぬぐいなど多くのグッズが販売されていた。
怪奇ものや洒落ものは部屋に飾るかんじではないが、いかにも国芳らしい「宮本武蔵の鯨退治」の手ぬぐいを買ってきた。
久しぶりに「浮世絵展」を見たが、再雇用の身でもあるので、これからは有休を取って平日にゆっくり鑑賞するのも良いなぁとウキウキしながら帰ってきた。

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2018年12月25日 (火)

明治村へ行ってきた

東海地方に住んでいる人は、昔からあるところだから知っている「博物館明治村」
明治時代の建物を移築して保存している観光施設だ。
のちに、「大正村」「昭和村」と同じく東海地方に生まれたが、ここが発祥なんだろう。
なにせ、私が小学校のころからある。
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名古屋からクルマで1時間くらいの距離なので近いのだが、実は行ったのは小学校の遠足(だったと思う)以来なので、50年ぶりと言うことになる。
 
昨年あたりから「近場の史跡巡り」をブログに載せたりしてきたが、その流れから「そういえば、近くに良い所があるなぁ」と思っていた。
さらに言えば、本を読んだり史跡を訪ねたりしていくうちに、歴史の流れも分かってきたことも興味が高まってもいた。
 
日本人の多くは、京都や奈良、日光など修学旅行で行く。
けれど、歴史やその背景も知らずに(もしくは興味を持たずに)見ている。
大人になって、歴史の流れや背景が分かってから、そのような場所を訪れると興味は倍増するし「良く保存されているなぁ」と感心する。
なにせ子供だから、机に座って勉強しないだけで嬉しいから、修学を目的で旅行はしていないので、仕方ないのだろう。
 
と言うことで、明治維新後、日本が欧米文明に必死に追いついていこうとする時代の中を生き抜いてきた建物を「ちゃんと見ておこう」と思って出かけてきた。
行ってみて思ったが、広い。
なにせ50年振りで、前回の記憶はほとんどない。
10時に入場して、午後5時から始まる「イルミネーション点灯」過ぎまで、ほとんど休みなく歩いて見学したが、それでも途中では「サラリ」と見る感じで、飛ばして廻ってきた。
 
行ったのは11月後半の3連休だったので、ちょうど紅葉の時期。
私のように純粋に「明治の建物を見学しよう」と言う人もいたが、それよりも多かったのはイベントに参加している若い人たち。
行った時には「帝國ホテル支配人の偉大なる推理」というイベントが開催中で、建物の部屋に隠されたアイテムやパズルを解きながら進むリアル脱出ゲームをやっていた。
展示物など見向きもせずに、ゲームに熱中する人が多く、何の展示物もないところや建物の外にたくさん座り込んで遊んでいる人がやたらと沢山いた。
 
これはこれで、リピート入場者を増やすには良いようで、一時期よりも入場者は増えていると後日会社で同じ部署の人間に教えてもらった。
確かに、私みたいに「歴史的視点」だけで来る人だけでは、莫大な広さにある各施設の保存に掛かる費用を賄うのは大変だろう。
それに多くの人が来た方が、売店や食事するところ、そしてトイレやいろいろなものが充実するし、綺麗になる。
 
ただ、私の視点からすると、もう少しだけ建物の説明が書いてあるパネルがあると嬉しかった。
いくつかの建物では、「時間で区切られたガイドツアー」でないと入場できないようになっていて、マイペースで見たい私のような人間には「がっかり」と思う部分もあった。
 
「平成」という時代はあと4ヶ月で終わる。
そんな年の終わりに「明治」という時代の建物を見てきたのはある意味、感慨深かった。
いつものように、左にアルバムを掲載したので、興味があったら見てください。
そうそう、たまにコメントをいただく楽美さん が、紹介していた「江戸東京たてもの園」 にも、いつかは行って見たいと思って「明治村」を後にした。

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2018年6月25日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その5)

たった2日間、奈良に行っただけなのに、5回の連作になってしまった。
まぁそれだけ充実して楽しんできたということで勘弁してください。20180625_3
二月堂、三月堂は行った記憶が曖昧だった。
二月堂の「お水取り」は有名だが、それ以上のことは知らなかったこともあり、今回は「ちゃんと見よう」と思って訪ねた。

ここも修学旅行団体で混雑していて、特に二月堂は大混雑だったが、それ以外は空いていた。
特に三月堂(法華堂)の不空羂索観音立像を初めとする仏像群のある堂内は、静かで凛としていて仏像とゆっくり対面できる素敵な空間だった。

他にも二月堂から大仏殿に向かう道筋も、たまたまあまり人がいない時で「ちょっと時代劇のロケとか出来そうな」良い雰囲気だった。
そうそうその道で「お水取り」で使用した「大松明」が脇に数本片付けられていたが、真昼間に明るい時に見ると、単に竹先が焦げた棒切れにしか見えなかったな。

そしていよいよ東大寺大仏殿へ。

●東大寺
奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山。
宗派は南都六宗の華厳宗。空海が別当を4年間務めるという異例の歴史を知ったので、再度興味があって行って来た。

この2日間の中で、1番の人ごみ。
特に南大門へ向かうところと大仏殿前は、「ラッシュ時の東京駅」みたいに人だらけだった。
さらに修学旅行生と海外観光客が入り混じり、言語も騒ぎ方もトンでもない状態で、とても「古都 奈良」という日本の代表的な場所にいるとは思えない感じだった。

何度来ても大仏殿は大きいと思う。
そして大仏もやっぱり大きい。
ここには「撮影禁止」となかったので、みんなが「パシャパシャ」と撮影しており、私もせっかくなので、撮りまくった。
本当は「東大寺ミュージアム」にも行きたかったが、ちょうど長期休館中で見られなかったのは残念だったが、まだ少し時間が早かったので、昨日いけなかった「奈良国立博物館」へ。
ちょうど「春日大社」の特別展が開催されていたので、それを観覧し、地下でつながっている「なら仏道館」へ。

そこにも本当に多くの仏像が展示されていた。
奈良に行く一週間前に新聞に載っていたが、仏像の体内に経典や装具が収められていたという発見があり、それも展示してあった。
この2日間で本当に多くの仏像を見たが、これからもっと技術が進んで、仏像に傷つけることなくイロイロな調査が進むのではないかと思う。
そして4Kとか8Kとか超高精細TVが実用化されると、こういった仏像も超至近距離で見るより細かなことが分かるようになるだろう。

その前に実物をしっかりゆっくり見られたことは本当に楽しかったし、日光と違って天気も良く充実した旅だった。
この日もお昼も食べずに見学していたので、レンタサイクルを返し、クルマで帰路に向かいながら遅いお昼を食べて帰ってきた。

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2018年6月18日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その4)

2日目。
レンタサイクルは朝9時からだったので、その時間に間に合うようにチェックアウト。
レンタサイクルのお店は着いて電動自転車を借りた。20180618
明日香村では普通の自転車で、意外と登りがきつかったので、初体験だったが電動にしてみた。
「初めて電動に乗る」といったら、お店の人が使い方を教えてくれた。
そのお店、自転車屋さんでもあるので、整備もちゃんとしているし、お店のオジサンもすごく親切だった。
最初はちょっと戸惑ったけれど、すぐに慣れて興福寺に向かった。

●興福寺
南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った(Wikipediaより抜粋)。

昔、「阿修羅像」を見たくて来たが、多分20年ぶりくらいかな?
昨日にも増して、修学旅行の団体がいくつもあり、そして外国人観光客もどっさり。
修学旅行も小学生・中学生・高校生を幅広く、歩道は人に溢れている。こちらは自転車なので、人波を縫うように走らなくちゃいけなくて、楽だけれどちょっと気を使う。

興福寺に着いて自転車置き場を教えてもらい、ものすごい多くの修学旅行生の嬌声が響く境内に「う~~ん」と思ったが、まずは今年1月にリニューアルオープンした「国宝館」へ。
修学旅行生もそんなにおらず、いてもさすがに静かにしていたし、朝まだ早いこともあり館内もそんな混雑していなかった。

久しぶりに見る「阿修羅像」はやっぱり良く、同じ仲間の八部衆立像もそれぞれに感じるものがあって至福の空間だった。
他にも国宝館には多くの展示物があり、照明も明るすぎず暗すぎず、近くによって見られることもできて「お堂の中で見るのも良いけれど、これはこれでとても見やすくて良い」と思った。

興福寺で有名なのは五重塔だけれど、やっぱり敷地は広く、今回は全部を歩いてみた。
南大門跡、中門跡、そして今再建中で今年10月に落慶される予定で再建中の中金堂。そして南円堂、三重塔、北円堂などをぐるりと巡ってきた。
修学旅行生は多いけれど、ありがたいことにどこも「駆け足」で過ぎて行ってくれるので、私のようにゆっくりじっくり見ている人はどんどん追い抜かれていき、混雑で困ることも少なかった。

そこから東大寺へ電動自転車で移動。
朝よりさらに増えた修学旅行生団体と多国籍の外国人観光客の間を「すいませ~~ん」を連呼して、ゆっくりと走る。
奈良公園の鹿も久しぶりに見たが、私たちが修学旅行でそうだったように今の学生も「きゃあきゃあ」と叫びながら鹿せんべいを挙げていた。
私たちの時代と違うのは、外国人観光客がやっぱり同じように鹿せんべいを挙げて騒いでいることだった。

東大寺は何度か来ているが、どうしても「南大門」「大仏殿」で終わってしまうことが多い。
今回は「じっくり見る」とテーマとしているので、まずは一番奥の二月堂へ向けて歩き始めた。(つづく)

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2018年6月11日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その3)

やっと3ヶ所目の「新薬師寺」へ。20180611
この「新薬師寺」、今回一番迷った。ナビで近くまで行くのだが、見つからない。
道路には案内板があるが、路地のように細い道に入っていくと、その先がわからない。
「これが寺社かな?」と思うものがあったが、今度は駐車場が見つからない。
普通、寺社には駐車場の案内もあるが、それもない。
散々迷って、門らしいところに行き着き、3台くらいしか停まれない駐車場を見つけた。
でも、いっぱいだったので「どうしようか」と思っていたら、ちょうど出る人がいて運よく停められた。

●新薬師寺
華厳宗の寺院である。本尊は薬師如来、開基(創立者)は光明皇后または聖武天皇と伝える。山号は日輪山(ただし、古代の寺院には山号はなく、後世に付したものである)。奈良時代には南都十大寺の1つに数えられ、平安時代以降は規模縮小したが、国宝の本堂や奈良時代の十二神将像をはじめ、多くの文化財を伝えている(Wikipediaより抜粋)。

ここに行きたかったのは、ずいぶん前にテレビで見た十二神将の往時のカラー復元を見たからだ。
十二神将の姿も魅力的だが、カラー復元はその鮮やかさが記憶に残っていて、ぜひとも訪れたいところだった。

入って資料を見ると、建立当時はとても広い敷地だったようだが、何度も火災に遭い、今では本堂を残すのみとなってしまっていた。
そのため、施設としてはあまり整備されていなかったけれど、そんな寺社にも外国人観光客がいて驚きだった。

本堂には薬師如来像を囲むように十二神将が立っている。
今回の奈良の旅で、とても多くの仏像を見たが、如来→菩薩→明王と位が下がるつれ、どんどん感情やしぐさが人間的になっていくことが分かる。
如来や菩薩のように「悟りを開いたり、それに近い」仏様は、毅然として感情も動きもない姿となっているのを見ると、私のような人間が感情も動きも溢れてしまっているのは致し方ないことなのかなぁなどと思ってしまった。

小さな庭の庵のようなところでは十二神将の「カラー復元」DVDを放映していて見学。最後にもう1回十二神将をじっくり見てから帰ってきた。

その後、少し早いがホテルに向かった。
今回、実は2日目を「レンタサイクル」で巡る予定にした。
そのため事前にホテル近くの「レンタサイクル」に予約し、さらに2日続けて停めても一番安いコインパーキングを探しておいたので、まずはそこまでクルマで移動。

コインパーキングに着いたら、満車になっていて「どうしよう」と思ったが、ここでも「今から出るから」という人に声を掛けられ、ラッキーにも停めることが出来た。
そこから歩いて、レンタサイクルのお店も確認し、ホテルへチェックイン。

駅の近くなので、ひと休みして駅周辺で夕食。日光では食べるところを探すのに苦労したが、今度はそんなこともなく、食事後にコンビニにも寄ってホテルに戻った。
一応大浴場のあるホテルを選んでおいたので、ゆったりとお湯に浸かり、部屋でTVを見ていたら、歩き回ったせいか眠くなってしまい、早々に寝てしまった。(つづく)

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2018年6月 4日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その2)

前回のつづき。
まだ1日目の2番目の訪問地である唐招提寺。20180604
薬師寺の最後に見学した「玄奘三蔵院伽藍」から外に出て、歩いて「唐招提寺」へ。
最初はクルマ移動も考えたけれど、天気も良いし10分少しくらいの距離なので歩いて向かった。

●唐招提寺
鑑真和上が建立した寺院。南都六宗の1つである律宗の総本山である。本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真である。井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。
唐招提寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている(Wikipediaより抜粋)。

昔から名前は知っていたが、「ピン」とくる情報がなくて、一度も行ってなかった。
今回「行こう」と思ったのは、仏教伝来の初期の頃の事を知って「鑑真和上」の話を知ったからだ。
そうそう、昨年末からずいぶん時間が掛かったが司馬遼太郎の「空海の風景」を読み、初期の仏教の頃の本も読むうちに「南都六宗」という言葉や、その頃の「仏教」と今我々が感じている「仏教」とはずいぶん違うということも知った。

そんな影響から「律宗 総本山」である唐招提寺はぜひ訪問しておきたい寺社となった。
ここは修学旅行生もおらず、海外の観光客も他に比べれば少なく、とてもゆっくりと歩くことができた。
「天平の甍」の代表格のような「金堂」は美しく、安置されている盧舎那仏坐像、薬師如来立像、千手観音立像などを見た。

その後、鼓楼・講堂を経て、一番奥の「鑑真和上御廟」へ。
ここは苔生す新緑の林を通って御廟に向かうのだが、この林が静かで、新緑に囲まれて、今回の中で一番良い空間だった。
その後、「新宝物殿」で古い仏像を見学。ここもほとんど人がいなくて、静かにゆっくり見学できた。

ゆっくり周り過ぎて、すっかりお昼を回り、1時過ぎになってしまい、薬師寺から向かう途中で見つけた美味しそうなお蕎麦屋さんに入った。
入ると修学旅行生の1グループがいて「うわっ」と思ったが、とても行儀がよく、最後には学級委員の子(同級生からそう呼ばれていた)が器も揃えて出て行った。今時にはあまり見ない学生で、薬師寺で会った「禁止とは書いていない」と撮影していたオジサンと真逆の子たちだった。
若いからダメで、年寄りがちゃんとしているなんて言うのは、勝手な思い込みなんだな。

そのお蕎麦屋さん、蕎麦も美味しかったが季節柄、山菜の天ぷらがあり、それがとても美味しく大満足の昼食だった。

もうこの時点で、2時を過ぎてしまい、その日の予定にしていた「奈良国立博物館」を行くのを諦めた。
そして3ヶ所目の「新薬師寺」へ。(つづく)

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2018年5月28日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その1)

若い頃は「観光」的に、京都やお城を巡っていたが、最近はいろんな想いを持って出かけている。
今まで一番多いのは、もちろん「史跡」巡りだ。
一時期は「浮世絵名所」巡りもしたし、他にも「時代劇ロケ場所巡り」なんてこともした。
20180528
ただ、やっぱり「お城」とか「神社仏閣」が多いので、どうしても「由緒」を読んだり、「仏像」を見たりする機会が増える。
そうすると何となく「仏像」にも興味が出るようになってしまった。

「仏像」に関していえば、昨年秋に初めて明日香村を訪ねたこと が大きかった。
そこで見た仏像は、飛鳥時代のもので、見慣れた姿とは少し異なっていた。
それまでも「如来」「観音」「菩薩」「明王」などなど、その違いや位置づけにも興味を持ち、簡単なガイド本を買ってみたりもしていた。

そんな感じでちょっとだけ「仏像」のことが分かってくると、今まで訪ねた所でも「興味のポイント」が変わってきてしまい、さらには「ここも訪ねてみたい」と欲も出てくる。
と言う事で、ゴールデンウィークが明けた翌週に有休を取って、久しぶりに奈良へ行ってきた。

奈良は私の住む地域からは近い。
クルマで2時間少しだから、無理すれば日帰りでも良いのだが、せっかくなので、安いビジネスホテルに泊まる1泊2日で行ってきた。

初日は「薬師寺」「唐招提寺」「新薬師寺」の3ヶ所。
本当は「奈良国立博物館」も予定していたが、最近は「じっくり」見学して説明文も読んだりするので、1ヶ所ですごく時間が掛かる。だから3ヶ所巡るだけで時間がなくなってしまう。
これは結構悩みのタネで、団体ツアーなどのペースでは絶対に満足感のある見学ができない。

●薬師寺
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山である。南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は薬師如来、開基(創立者)は天武天皇。1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。
20世紀半ばまでの薬師寺には、江戸時代後期仮再建の金堂、講堂が建ち、創建当時の伽藍をしのばせるものは焼け残った東塔だけであった。1960年代以降、名物管長として知られた高田好胤(たかだこういん)が中心となって写経勧進による白鳳伽藍復興事業が進められてきた。1976年に金堂が再建されたのをはじめ、西塔(1981年)、中門、回廊の一部、大講堂(2003年)などが次々と再建された。2017年5月には修行・食事に使われる食堂(じきどう)がほぼ完成し、復興事業は最終段階を迎えている(Wikipediaより抜粋)。

20年くらい前に1度訪ねたことがある。
有名な「薬師三尊像」を見て、再建された西塔があったのを覚えていた。
到着して最初に気づいたのは「修学旅行のシーズン」ということ。学生の団体がいて「これは堪らない」と思ったが、仕方ない。とは言え「日光・月光菩薩」の前が混雑していたくらいで、他のところはそうでもなく、ゆっくりと見学できた。
「日光・月光菩薩」は、やっぱり魅力的な仏像で、本当だったらじっくり静かに味わいたいものだが、多くの修学旅行生がいても、その魅力はビンビン感じることができた。
以前来た時よりも「大講堂」「食堂」が増え、その代わりに昔からある「東塔」は大修理中で見られなくて残念だった。

行った時は「西塔」「釈迦八相のうち後半の四相(果相)にあたる諸像」が特別公開されていて、せっかくの機会なので、見学した。入り口には「撮影はご遠慮ください」と張り紙があったが、私よりちょっと年上のオジサンが一眼レフでバシャバシャ撮影していた。
「ここって撮影ダメなんじゃないですか?」というと「遠慮しろと言っているだけで、禁止とは書いていない」と言って平気な顔をしていた。ちょっと日本人として恥ずかしいなぁと思ったが、これ以上言うのもバカバカしくて、そのまま見学を続けた。
まだ、こんな厚顔無恥な日本人もいるんだな。

薬師寺は法相宗の大本山で、その始祖(宗教用語では「鼻祖」というらしい)である「玄奘三蔵(=西遊記の三蔵法師)」の伽藍として「玄奘三蔵院伽藍」が一番奥にあり、そこまで歩いた。
途中「写経道場」もあり、一時期「東塔」くらいしか残らない「荒れ寺」になってしまっていた薬師寺だったそうだが、ずいぶん整理されて、往時の広さも「ちょっとだけ」実感できる感じになってきていた。(つづく)

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