2009年2月20日 (金)

ほろ苦い想い出〜卒業制作展

経済状況がどんなに悪くても、卒業シーズンはやってくる。
私の働く業界である「デザイン」系の学校の場合、この時期には「卒業制作展」というものが開催される。
何年間かの修学の「証し」として、おそらく学校生活の中では最大級のイベントだろう。
Sotuten
プロになってからは「卒業制作展」には縁遠くなっていたが、ここ数年仕事や個人的な関係で再び身近かになっている。
自分自身も同系統の学校を出ているだけに、展示会をみると感慨深いものがあるが、一般に言う「初心に戻る」ということはない。
どちらかというと「プロの目」で見ているから、結構厳しい見方をしている。

そんな「卒業制作展」にはほろ苦い想い出がある。
いつものように30年近く前の話なので、思い違いや美化されている部分があると思うが、その辺は差し引いて読んでほしい。

当時の「卒業制作展」は2つテーマがあり、1つは「個人」もう1つは「グループ」で制作する事になっていた。
我々のグループ作品は提出期限の3日くらい前に完成しており、私の元の職業が「額縁屋」だったため、「パネル張り」はお手の物。
「個人」「グループ」も、
「これで後は、提出日を待つだけ」
になっていた。

提出日には一緒に制作したグループメンバーが集まって、提出時間を待っていた(ような記憶がある)。
そんな時に他のグループから「ギリギリで間に合わないかもしれない」と言う話が舞い込み、手伝いに行く事になった。

ここからは記憶が曖昧だけれど、「最後のパネル張りだけ」と思って出掛けると、実はかなりの作業が残っており、皆で手分けして作業をヘルプ。
けれど、ヘルプ開始が遅すぎたため、結局間に合いそうもない。
そのグループの子たち(女の子ばかりだった記憶がある)からも
「もういいから、自分たちの作品を提出して来て!」
と言われても、ギリギリの時間まで粘ってみたが、諦める事に。

それで、私のグループの1人が、私たちの作品をクルマに積んで出発。
しかし、しかし、もう時間は夕方の混雑時。
私たちも「機転」が効かない若い世代。
作品搬送を1名のメンバーに任せてしまったため、彼は混雑してる街中に路上駐車する事も出来ず、渋滞にも合い、結局「5分遅刻」となってしまった。

「卒業制作展」の提出は「時間厳守」で行なわれ、1秒でも遅いと受け取ってもらえず、しかも「卒業資格」も与えられない。
私たちは夜間の学校で、みんな社会人だったため、「専門学校の卒業資格」を最重要と思っていなかったにしろ、それはそれで「ショック」だった。

そしてもっともっと「ショック」を受けたのは、「間に合わなくて手伝ってもらったグループ」の女の子たち。
あとで友人に聞いたところでは、「申し訳ない」と言って泣きじゃくっていたとか。

「そんなに気にする事ないって」
と当時は言っていたし、今もそう思っている。
そしてそんなドラマを知っているクラスメイトたちは、「卒業制作展」で私たちの作品を一番目立つ場所に展示してくれたとか・・・・。
当時、やはりショックもあって自分の卒展を見に行かなかったし、クラスメイトに会うのも避けていた記憶がある。

ちょっぴり「青春ドラマ」のような「卒業制作展の想い出」の1日であった。

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2009年2月18日 (水)

加子母 明治座

Kasimomeizi01
下呂温泉に出掛けた時に、偶然立ち寄った。
というか、やっぱり下呂は近すぎて早く到着しそうだったので、最初は「時間つぶし」で寄ることにした。

ところが、これが今回の下呂温泉への旅で「唯一最大の楽しさ」を味わう事になった。
この「加子母明治座」のことは、何年か前にテレビで知った。

「中村勘三郎襲名公演」を全国で行なった時に、「古くからある小屋でやりたい」とのことで、四国を始め全国の「古い芝居小屋」を巡り、その中にこの「加子母明治座」が含まれていた。

風が強くって寒かったけれど、看板を目印に到着。
「誰もいない」
「準備中」の札も掛かっている。
Kasimomeizi02
「今日は閉鎖しているのかな?」と思い、何度も声を掛けるが奥でオジさんの声はすれども返事がない。
諦めかけた時に、もう一組来客があり、手慣れた様子でずんずん奥へ。
後で聞くと、その人たちは3度目とかで気に入って来ているとか。
おかげで、諦める事なく中に入らせてもらい、しかも舞台下から舞台裏など、すべてのところを見学させてもらった。

「加子母明治座」に関してはHPがあるので、「明治座(かしも明治座)岐阜県中津川市の芝居小屋」を見てもらうのが良いが、とにかく良い。
舞台からはすべてのお客の顔が見える距離感。
人力だけれど「廻り舞台」もある。
「ロウソク」に似せたライトで照らす「花道」
もう舞台好きの人は一辺に見せられます。
そして「勘三郎さん」がここでやろうと思った気持ちも十分理解出来る造り。

風の強さもあったけれど、中からみるとそこら中「隙間だらけ」
でも「村の小屋」って雰囲気が十分に染み込んでいる「舞台」「花道」「平場」「二階席」

そして何よりスゴかったのは、「楽屋」
明治〜大正時代の地方廻りの役者さんたちが書いた落書きが「壁一面」に一杯広がっていた。
中には「歌舞伎」の隈取り化粧を映したものも。
Kasimomeizi03
入場料は「1口=300円」と寄付型。
しかも切符の代わりに木片をくれ、片側に自分の名前なんかを書いて小屋に付けてこられるサービス付き。

ぜひ、お近くにお出かけの時には、お立寄りを。
私も地元なのに知らなかったなかなかの「穴場」です。

この記事に掲載した写真の他にも、今回の「加子母明治座と下呂温泉」として、いくつかの写真をアルバムに掲載しました。興味ある方は、是非ご覧ください。

こちらからもリンクしてあります。

「加子母明治座と下呂温泉」アルバムへ

「加子母明治座」のHPには、こんなスケジュールが載っていました。
・4月18日(土) フォークコンサート(笠木トオル 他)予定
・ 8月1日(土)・2日(日) 加藤拓三 太鼓演奏会 予定
・ 9月6日(日) 加子母歌舞伎公演会 予定
・9月19日(土)〜21日(月)のうち、一日 文化スポーツ部文化振興課イベント(内容はまだ未定)
・10月4日(日)・5日(月) 明治座クラッシックコンサート 予定

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2009年1月28日 (水)

軽くなってない?「品格」

品格=その人や物から感じられるおごそかさ。

辞書で調べると、こんなふうに書いてある。

私のブログでも「本」でベストセラー「国家の品格」を紹介しているし、ずいぶん昔に「ならぬことはならぬ」で、この本についての記事も書いた。

この本のおかげで「品格」という言葉がとっても頻繁に使われるようになった。
でも、現代の「流行ものに流される」悲しさか、本来の「品格」という言葉の重さが少し軽くなった気がする。
Hinkakujpg
そんなことを考えたのは、日曜にあった「朝青龍、復活優勝」の時からだ。
横綱が優勝して「ガッツポーズ!」っていう話題だ。
当然、横綱審議会からは苦言が発せられたようだが、どうも本人は意に介していないようだ。

まぁ、朝青龍そのものには「横綱の品格」という、とっても日本人的な感覚は分かっていないからしょうがないのかもしれない。
(というか、それなら横綱にしちゃいかんだのだが)

一番最初に辞書で調べたワードに「おごそか」とある。
これをさらに調べると

「重々しくいかめしいさま。礼儀正しく近寄りにくいさま。」

となっており、要は
「そんじょそこらに転がっているようなもんじゃないのさ」
という感じなのだろう。

だから、私のような一般人は「品格」というものへの憧れと畏まりを感じるわけで、「ガッツポーズ!」をするような人には、そんな感情が湧かないのである。

そう考えると「品格」ってものは、なんだか「かる〜〜〜い」ものになっちゃったじゃないの?
と、なんとなく江戸っ子風の巻き舌で、思っちゃうわけだ。

けがから復帰しての優勝!
この嬉しさはわかるけれど、これ「ぐっ」と噛み締めるような喜びで表現されたら「品格の高い人」って思ってもらえるのにね?
(本人は、そんなこと「思われたい」とすら考えてないんだろうけれど)

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2008年12月16日 (火)

「感じること」を学ぼう〜知り合いのブログより

「右ブロック」「気になるサイト」「Made in じゃぱん」という方がいる。
この人は30年来の知り合いだ(腐れ縁だが・・・)。
Iruka
ある日、この人のブログで「題名のない音楽会」と言う記事があり、面白いことが書いてあったから、その一部を抜粋しながら、取り上げる事にした。

「いるか」という詩が小学校の教科書に載って
「さぁ、この詩の中に動物のイルカは何頭いるでしょう?」
と進める授業があります。

「ことばあそびの絵本を子どもが理解できない。どう読めばいいのか?どういう意味なのか?」という質問が出た。

どうでしょうか?
何頭いるか?なんて読んでもちっとも面白くないし
数えて意味あるの?
その授業って、何を教えたいの?

抜粋だけでは多分分からないので、是非ブログを読んで欲しいのだが、情けないことに、この学校の先生も親も「感性」を育ててこなかったのだと思った。

かなり前に「感受性」という記事を書いたことがあるけれど、本当に最近は「感性」を育てることを忘れてしまっている気がする。

だから、会社に入っても「教えられないと覚えられない」「学ぼうと自ら動かない」など、ぜ〜〜〜んぶ「受動的」になってしまっている。
確かに教えたり育てたりしてる側に「感性」がないんだから、子どもに伝えようがないんだろうけれど、これじゃ「芸術」とか「文化」なんて廃れてしまうんじゃないだろうか。
だって2つとも、学校の成績には関係なくて「感性」がないと成立しないものだから。

そんな国になったら、つまらないよね?
それなら、文字が読めなくても、「ばっかやろう、江戸っ子の粋だよ」とツッパていた江戸時代の方が遥かに「豊かな」気がします。

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2008年12月 5日 (金)

「水売り」から「ブログネタ提供サービス」まで

Mizuuri_2

江戸話が好きで、小説を良く読んでいるのは、このブログにも何度か紹介した。
江戸話が好きな理由はいくつかあるが、読んでいて
「こんな商売があったんだ」
と思うことがある。

その中の1つに「水売り」というのがある(らしい)。
「ひゃっこい、ひゃっこい」と冷たい井戸水を桶に汲んで、町に売り歩くんだそうだ。
江戸時代でも夏は暑い。
風鈴とか冷や奴とか、音や食べ物で涼感を味わおうとしているが、それじゃ物足りない。
まして、今のように冷房や冷蔵庫なんてものはない時代だ。
だから「水売り」は、夏の間の期間限定商売として成立していたようだ。

そんな「売り歩き」商売の人は、秋には「虫売り」になったり、春には「花売り」になったりしながら、季節に合わせて商売をしていたようである。

「水」
もそうだが、「虫」や「花」は今でも売っているが「売り歩く」ことはなくなった。
これは時代の流れでそうなったんだろう。

商売と言うのは「時代の流れ」と密接に関係している。
現代のようにネットが当たり前になり、私のようなものでも普通に「ブログ」をやる時代になると、今度は「ブログパーツ」などが商売として出てくる。

もちろん、私たちはほぼ無料で「ブログパーツ」を利用するけれど、制作するのは無料じゃない。結構高い制作費がかかる。
そして時代が進んで、「ブロガー」がどんどん増えると今度は「ブログネタ提供サービス」なんてものまで出てくる。

Buroguneta_2

確かに、私を含め「ブログ」を書く人にとって「ネタ」は苦しい部分である。
だからだろう、私の利用しているNiftyではそんな「ブログネタ提供サービス」を始め、そのネタでブログを書いている人を紹介までしている。

これからもっともっとネットやバーチャルの時代は進んでいくだろう。
そうすると、全く創造できないような新しい商売が登場して来ることだろう。
江戸時代に、今のような「ブログネタ提供サービス」なんかは思考のまったく外だったように・・・・・・。

しかし、新しい商売が生まれても、
「ひゃっこい、ひゃっこい」
とか
「きんぎょ〜〜〜〜〜え、きんぎょ」
のような情緒ある音を奏でる商売は、確実に減っているのは、淋しい限りだ。

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2008年11月13日 (木)

Favorites46 葛飾北斎

私のブログを長く読んでいる人には
「なんで今頃、Favoritesに北斎なんかを」
と思われているだろう。

このブログに北斎が登場してくるのは、すごく多い。
「北斎の面白さ」
「がっかりの北斎展」
「肉筆の北斎と強風」

と北斎関連の展示会に出掛けた記事を見ても、毎年一度は登場してくる。
展示会が多いと言う事は、日本人に「北斎」の人気があるから、「客を呼べる」ということもあるんだろう。
Hokusai081103
実は今回も出掛けてきたのである。
ただし、「やっぱり北斎は特別だな〜〜」との思いを強くしたので「Favoritesシリーズ」に入れされてもらった。

今回の題名は「北斎 富士を描く」
北斎の「富嶽三十六景」は、超有名な超人気シリーズだが、それと晩年に手がけた「富嶽百景」の2つのシリーズを「一気に見ちゃおう!」というテーマだった。

「北斎は結構見ているからな〜〜どうしようかな〜〜混んでるだろうし」
そんなことを思って出掛けて行った。
で、行ってみたら、やっぱり混んでいた。
けれど、この美術館は、そんなにイラつかずに、ゆっくりと見られるから、嬉しい。
ここは、百貨店の中にあるのだが、なかなか気に入っている。
展示の順序が、あまり意識しなくても自然に見られるし、展示の仕方も見づらくない。
だから、比較的ゆっくりと、そしてすぐそばに近づいてじっくりと鑑賞してきた。

いつからか浮世絵に興味を持って、良く出掛けるようになった。
あれから、いろんな絵師のものを見てきたけれど、やっぱり「北斎」は別格だ。

今回は「富嶽シリーズ」だったせいもあってか、妙に「デザイン性」を感じた。
結局、このころの浮世絵ってのは、現在の「広告」みたいなものだろうから、「デザイン性」を感じても不思議じゃない。
しかし、今回は特にそれを強く感じた。

富士山の稜線の角度と屋根瓦の角度。
富士山をどこに配置させて、どう見せるか。
「黄金比」や「シンメトリー」と言った「デザイン的用語」で解説したくなる構成。

きっと当時の欧米では、その「デザイン性」にも興味を持ち高く評価されたんだろう。

結局、図録と家の壁にタペストリーとして飾るために、「赤富士」の風呂敷を買ってきてしまったが、「葛飾北斎」という絵師は、やっぱり半端じゃなく凄い人なのだと、思い知らされた。

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2008年11月12日 (水)

幕末の空気

私の住む街には「ボストン美術館」がある。
地元ではあまり理解されていないが、ここは本家のお宝が公開される事もあって、「おお!」と思う展覧会がある。
しかも、私の家から30分くらいの近さだから嬉しい。

今回は「ペリー&ハリス 〜泰平の眠りを覚ました男たち展」というものに出掛けてきた。
何でも「日米修好通商条約締結150周年記念」とかでの催しなのだが、それ自体に私は「ピン!」と来たわけじゃない。
Priharisu
江戸話や幕末&明治維新の頃の話が好きな私としては
「一応、見ておくか」
といった感じで出掛けた。
それに、今月末には下田にも遊びに行く予定だから、その予備知識も兼ねていた。

出掛けてみたら、意外と言ってはいけないのかもしれないが、面白かった。
会場がガラ空きだったせいもあり、1つ1つ解説文を読みながら、鑑賞してきた。

当時、本物の「ペリー」なんて見た人は限られている。
でも、余程興味が高かったのだろう。聞き伝えで絵にしていたり、果ては解説なんかしている。

当時の騒ぎを伝える図版を見ていて、ちょっと面白い事に気づいた。
その「ペリーの顔」じゃないけれど、日本人はとっても好奇心が強いのだと思った。

「蒸気船」や「大砲」なんてものは初めて見たはずだ。
そして、長崎など特別な地域以外の人にとって「金髪の外国人」も初めてのはずだ。
でも、江戸のかわら版では、面白可笑しく取り上げられていたようだし、「ペルリってどんな奴?」と、今の週刊誌のように話題になってもいる。

それからもう1点「日本人だな〜〜」と思った点がある。
異常な「観察魔」と「記録魔」なのである。
出会ったアメリカ将校の服装を1つ1つ図解して記録しているのだ。
服だけでなく装飾品から、身につけるものすべてをちゃんと奇麗に並べて図解している。

20〜30代と司馬遼太郎が好きだった私は、彼の書物を通して幕末の日本の雰囲気を知っていたつもりだったが、おそらくその想像以上に日本人は
「興味津々」「好奇心旺盛
だったようだ。

そして、その司馬遼太郎の書いたものによる「何の知識もなく役に立たない幕府側の官僚」たちの姿や記録も展示されていたが、彼らは概ねペリーやハリスに好意的だったようだ。

開港後彼らは、アメリカやヨーロッパなど世界を見聞してくるが、それはどんな驚きだったのだろう?
有名な勝海舟あたりは、「何も得ずに帰ってきたぼんくら」と幕府側官僚を詰っていたが、今回見る限り「そうでもないかな?」などとも思った。

ただし、やっぱり「好奇心旺盛」なのは官僚ではなく、たまたま随行出来た「俳人」だったり、官僚の「世話係」だったのは間違いないようだ。
なにせ、その俳人は帰国後、知人へのお土産で「ガラス瓶」をプレゼントしていたようだから。

本で読むだけでは分からない当時の雰囲気をちょっぴりだけ味わって帰ってきた。

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2008年10月16日 (木)

漢字を使いこなす国

先日「金木犀の香る頃」にコメントをくれた方々にお礼コメントをしていて思いついたネタ。

実はあのブログを書く時にも「金木犀」の表現をカタカナにするか漢字するか迷った。
結局、話の内容的には漢字の方が雰囲気が良いので、漢字にしたのだが、日本と言う国は面白い国だ。
それは街を映す看板を見ても分かる。

「ひらがな」「カタカナ」「漢字」「アルファベット」

こんなにいろんな種類の文字を使いこなしている国は他にあるんだろうか?
TVなどで、中国や韓国の風景を見ても、中国は漢字がほとんど、韓国はアルファベットとハングルって感じで、4つも使いこなす国はない気がする。

そして、その中でも漢字は特別だ。
いわゆる「当て字」がある。
Kanzi
ブログを書くために調べていたら
「知ってびっくり「生き物・草花」漢字辞典——烏の賊が何故イカか」
と言う本を見つけたが、ここにはいろんな生き物は草花の漢字が紹介されている。

草花はやっぱり「木篇」が多い
柊(ひいらぎ)、椿(つばき)、楓(かえで)、榊(さかき)なんてのは、何となく季節感や意味感がある。

他にも
銀杏(いちょう・ぎんなん)、沈丁花(ちんちょうげ)、紫陽花(あじさい)、菩提樹(ぼだいじゅ)、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)なんて言うのは
「う〜〜〜ん」と唸りたくような漢字達だ。

生き物の方は魚が面白い。
鰆(さわら)、鮪(まぐろ)、鰹(かつお)、鱸(すずき)のような魚篇のものは、寿司屋さんの湯のみに良くあり馴染み深い。

他には
秋刀魚(さんま)、太刀魚(たちうお)、河豚(ふぐ)、牡蠣(かき)のほか、海馬と書いて「タツノオトシゴ」なんて「なるほど系」の超当て字もある。

しかしながら、この漢字を見てみると日本人て言う人種がちょっと分かる気がする。
中国から入ってきた漢字だけれど、その本質的な部分は「自分達の感覚」に近づけて、時には変化させて「自文化」に仕上げていく。
ある時期、こんな文化を「人まね」と揶揄されたり批判を浴びた日本だけれど、単純に真似したわけでなく「自分達流の使い方」を確立している所が胸を張れる部分だ。

だから、もしかすると漢字は中国よりも日本の方が、その「意味」や「背景」や「文化」を理解して使っているのかもしれない。
学生の時に、こんなふうに国語の授業をしてくれたら、もっと漢字に興味を持ったのに・・・・

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2008年7月 8日 (火)

日本のDNA

エラく大仰なタイトルだけれど、きっかけは「落書き」のニュースだった。

世界中に日本人が観光を含め、出掛けていることは海外旅行をしてみると分かる。
何がきっかけだったかは忘れたが、学生達が海外の遺跡に「落書き」してきた事が報じられてた。

丁寧な事に「学校名」や「団体名」も記した「落書き」もあって、犯人がわかってしまう。
ここからが「日本」らしい。
Raku01
「停学」だったり「辞職」だったりと、「厳しい処分」「辞意」という結果になるのだが、これが「海外」からは驚かれる。
「厳しすぎる」「日本の対応に満足」なんてニュースがまたまた流れる。

数少ない海外行きの経験で言えば「落書き」は遥かに海外の方が酷い。
「環境ツアー」と言うものに参加して、世界で一番最初に「環境都市宣言」をしたドイツの「フライブルグ」でも「落書き」はたくさん観られた。

若い頃読んだ「司馬遼太郎」の本にこんなことが書いてあった。

幕末、外国から日本に来た人たちは「日本には警察はいらない」と言っていた。
なぜなら、「日本人は自分たちを自分たちで罰する事が出来る、世界で唯一の国民だからだ」ということらしい。

これは褒め過ぎだろうけれど、確かに江戸時代の「武士」には「切腹」という「自分を戒める」制度があった。
戦国の世でなくなった江戸後期には、この「切腹」出来る事こそが「武士の証」なのであって、一部と言えど「自分自身を戒める」精神性を養っていた事は確かのようだ。
Raku02
今でも日本人にはそんな「武士への憧れ」的感情も含め、「自分たちを戒める」DNAは、世界基準から見れば、強いのかもしれない。
だから、海外から見れば「厳しい」ほどの処分がおこなわれたりするんだろう。

でも、そんなDNAもドンドン無くなってきている事も確かだ。
「上越新幹線に描かれた落書き」
写真を掲載したが、あの「落書き」は、私がドイツで見た「落書き」のスタイルと似ていた。
「日本人のDNA」もグローバル化とともに変化していると言ったら、大げさかな?

ただ、「落書き」は昔からあったわけで、「日本のDNA」は、「落書き」もしない「聖人君子」じゃない。
「自分の国は、そんな立派じゃないよ」と言う感情も、「戦後の占領政策」の結果かもしれないけれど、どこかで「日本のDNA」として感じてもいる。

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2008年5月12日 (月)

「小袖 江戸のオートクチュール」

GW中の展覧会巡りの最後は、ちょっと珍しいものを観た。
元々、服飾にはまったく興味が無い方なのだが、ある知人のコメントがきっかけで「着物柄」に目がいくようになった。

「ある知人」とは、長い付き合いの友人で、このブログにも「揚巻」のネームでコメントを付けてくれたりする。
ご自身でもブログHPなどを発信しているが、服飾の専門家でもある。
Edokosode
この人は、私と同じように江戸ものに興味があるようで、私の浮世絵などを鑑賞した記事にコメントをくれる。
そのコメントの中で言われたのか、直接会った時に言われたのか忘れたが、「私は、浮世絵を見ても、ついつい着物柄に目がいく」と言う言葉があった。

この言葉がずっと頭にあって、その後は浮世絵展を見た時に「着物柄」も見るようになった。
そんな私の鑑賞の変化に合わせたように、この展示会が開かれた。
しかも、会場の博物館は、住んでいる所から地下鉄で二駅という近さ。
これは、「行かないと後悔する」と思って、GW最終日に出掛けた。

面白かった。
多分、会場にいた多くの人は「着物」を観にきたんだろうけれど、私は見事に「柄」に魅入られた。
服飾にまったく知識がない私は、初めて「小袖」とは何かを知ったけれど、ここにも江戸の楽しさを存分に表現されていた。

とにかく「柄」の題材が広い。
「松竹梅」を始めとする植物や「鶴亀」などの縁起物、これらは今までの「着物柄」というイメージで代表的なものだったが、その他にも「近江八景」などの風景、「源氏物語」などを題材とした文字ものなどなど、多種多彩な「着物柄」に予想以上に楽しんで観られた。

この展示会は、上手く構成されていて、着物だけでなく合間に「簪(かんざし)」「櫛(くし)」「笄(こうがい)」などの装飾品の他、調度品も展示されていて、江戸時代の空気をたっぷりと想像させてくれた。

「小袖」の柄を観る中で、一番面白かったのは、「扇面模様」である。
これは日本画にしばしば出てくる題材だけれど、小袖の柄にも出てきた。
まさに当時の「着物柄」は、日本画と同等なんだと思い知らされた。
それに、江戸時代の日本人は、とても四季が身近で、柄にも「紅葉」や「桜」、「河模様」や「雪」などが出てくる。
エアコンのない時代、もちろん素材も季節に合わせて工夫していただろうけれど、目に見える「柄」でも、季節感を満喫していたようだ。

そして、何より面白かったのは、今のファッション誌のような見本誌である「ひな形本」の存在や、衣服として役目が終わった後も裂地として掛け軸や屏風の表装に使われていた点だ。

今回の展示会では、ただ単に「着物柄」としてよりも、日本人がいかに「着物柄」を愛して大切にして、そして身近なものだったかをたっぷりと味合わせてもらった。

この後、東京では7月26日〜9月21日 サントリー美術館、大阪では来年の4月に大阪市立美術館で開催されるみたいです。
お薦めです!
今年のGWでの大きな収穫でした。おかげで図録買ってしまいました!

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2008年5月 9日 (金)

モディリアーニ展

これは「男鹿和雄展」と同じ日に見た。
歩いて30分くらいの距離で開かれていたからだ。

実は「モディリアーニ」の事は良く知らない。
あの特徴あるアーモンド型の輪郭表現と、目の描き方の作家としか知らない。
だから、若くして亡くなり、しかも活動期間が実に短かったことを今回初めて知った。

「男鹿和雄展」と同じ時に見たので、どうしても比較してしまったのだが、ある意味それが良かった。
変な言い方だけれど、モディリアーニの作品はモデルが違っても、みんな同じような顔や表現になっている。
自分の愛した人でさえ、そうなっている。
Modiriani
展示の終わりには「モデルになった人々」として、写真付で紹介していたが、モディリアーニが描いた顔とは、まったく違うモデル達の顔だった。

プリミティヴィスムとかキュビズムとかいう芸術用語で、作品が紹介されていたが、モディリアーニが目指したのは、「自分の心に閃いた感覚」を絵画や彫刻に表現したかったのだろう。

そんな意味では「男鹿和雄展」のようないわゆる「写実的な表現」の対局にあるものだった。
だから、誰を描いても同じような表現。
同じようなポーズ。そして同じような色バランスになっている。

「アニメ映画」の背景画と違い「クリエイターの魂」としての表現がやっぱりモディリアーニには感じられるし、その分苦悩も感じられる。
最晩年の作品は、とことんシンプルにした表現でやっぱり人を描いていた。
顔も腕も単純な線と色の塗り分けだけで、立体感や温度感までも感じさせるその表現は、「芸術画」の凄さを感じさせてもらった。

ただ、モディリアーニと男鹿和雄は、活躍のステージも時代も異なっているから、単純に比較してはいけない。
というか比較する方が間違っている。
どちらもやっぱり凄いのである。
たまたま私が続けて鑑賞してしまったために、男鹿和雄の「背景画」の凄さと、モディリアーニの「芸術画」の凄さを感じてしまっただけのことだ。

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2008年5月 8日 (木)

男鹿和雄展

ここのところGWは、美術展などを見て回るようになった。
どこに行っても混んでいるし、今の住まいになってから、地下鉄での移動が便利になったために、こういう混雑時は、公共交通で近場に行って楽しむようになったからだ。

まずは「男鹿和雄展」
チラシやポスターには「ジブリの絵職人」と紹介してあった。
要は、ジブリアニメの「背景画」の人の事らしい。

元々ジブリの宮崎駿監督自体が「背景」設定の出身者(だったと思う)だから、ジブリの作品の背景は群を抜いて素晴らしい。
その背景というか美術監督の作品展だった。
Ozikakazuo
これは2007年の夏に、東京で開かれた展覧会で、どうやらかなりの評判だったらしい。
楽しみにして出掛けた。

GWであり、しかもジブリ絡みとあって、もの凄い人だった。
しかも子連れも多く、ちょっと「うんざり」と思って入場した。

作品展数が多く、初期の頃から最近までスケッチも含め、面白かった。
確かに混雑していたけれど、「トトロ」とか「魔女の宅急便」とかいわゆるジブリのメジャー作品以外は、そんなにじっくり見る人も無く、以外と1つ1つをしっかり見られた。

いわゆる普通の絵画展と違うのは「セル」が用いられているコトだ。
「セル」があることによって、距離感がグッと感じられる。
これは、今までにはあまりない「鑑賞」だったので面白かった。

そしてもうひとつ。
「トトロ」や「もののけ姫」の背景の精密さには驚いた。
木肌の感じなんかは「写真」と変わらないリアル感である。
あそこまでリアルだと「写真じゃいけないのか?」と妙な感想を持った。

この妙な感想は、「この背景画は芸術画ではないのか?」という疑問を生じさせた。
それくらい表現力が凄いのである。
精密なのである。

展示会の半ばから、出口近くまでこの疑問は消えずに鑑賞していた。
しかし、最後近くになって思った。
「やっぱりこれは芸術画ではないな」

なぜなら、作家の魂としての表現ではなく、あくまでも「アニメ」の背景だからだ。
実際に動く「セル」部分の世界を表現するための「背景」だからだ。
確かに素晴らしい「背景画」だけれど、あくまでも主役でなく場を盛り上げる「脇役」としての凄さなのだと出口では思って見終わった。

気に入った展示会では図録集を買うけれど、今回はやめた。
だって見本を見たら「アニメ」の本だったからだ。
やっぱり印刷されてしまうと「アニメ」らしさが出てしまうんだな。
けれど、下手な風景画よりもリアルに風や光を感じる「背景画」だった。

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2008年5月 2日 (金)

桃井かおりの紫綬褒章

正直、驚いた。
「桃井かおり」という女優は、私のような年齢の人間には
「個性派女優」の代名詞みたいな人だ。
今風のヨコ文字で言えば「マイノリティ」な俳優だ。

この人は私が高校生の頃、一番好きだった。
「前略 おふくろさま」に出てくる「恐怖の海ちゃん」は最高だったし、ATG(古いな〜〜〜)などの映画に出てくる「タバコを吹かす」女優としても、カッコ良さが光っていた。
Momoi
そう言えば、当時は「タバコ」がカッコいい俳優が多かった。
原田芳雄
林隆三
そして、この桃井かおり

すでに中学生からタバコを吸っていた私だけれど、高校生の頃には、これら「タバコをカッコ良く吸う」大人たちにあこがれまくっていた。

あの独特の口調は「かおり節」と言われ、
「あれは、桃井かおりを演じている」
とか
「本当は、全然普通に話す」
とかいろんな噂が飛び交っていたが、業界人でもない私には真相は未だに闇の中である。

そんな「桃井かおり」が紫綬褒章を受ける。
「紫綬褒章」と言えば、「お国が認めた」人に送られるものだ。
そして、天皇陛下から「お言葉」も賜るわけだ。

こうなると「個性派女優」とか「マイノリティ」じゃなくなるわけで、立派な「一芸に秀でた」素晴らしい女優となるわけだ。
昔々のことを知っている私には、なんだか不思議に感じるし、時代が「桃井かおり」に追いついた気がする。

そうそう、桃井かおりは「歌手」でもある。
初期の頃にアルバムを持っていたが、数年前にCDでベストアルバムを買い直した。
まったく話題にも売れもしなかったけれど、
「お喋りやめて」
というラブゾングがある。
一度聴いてみてください。30年経っても、気に入っている曲です。

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2008年2月26日 (火)

北斎展 追伸

「北斎展」に出かけた時の話を追加で。
まぁ、これは今回だけではないけれど、いつも感じていることなので。

「北斎展」のような人気のある場合には、開催直後は避ける。
そして出来るだけ午前中に出掛ける。
なぜなら混雑するからだ。
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好きな絵画を見る時に、いつも悩まされるのは、見ていく時の環境だ。
近くの人のわけの分かんない話や、子供の泣き声や、いろいろと没頭を妨げるものがある。
赤ちゃんの声は、我慢する。
仕方ないし、鑑賞したい親の気持ちも大切にしたいからだ。

今回も、ちょっと嫌な思いをした。
二人連れのオバさん(オバさんと言うのは、ある意味凶器です)が、例のごとく何の予備知識も無く、べしゃべしゃしゃべりながら、私の前にいた。
しゃべりは一歩退いて我慢した。
でも、見ている私の目の前に「指差し」して、作品をどうこう言う。
これは、少々「カチン」と来たので、注意した。

注意した時は「あっ、すいません」と言ってくれるが、しばらくすると元に戻る。
そして、実に無教養な会話で見ていく。
別に文化人ぶる気持ちはないけれど、あまり「無知」な会話を堂々としない方が良いと思うな〜〜〜。

あともう1つ。
これはある意味仕方ないけれど、なかなか進まない行列。
結構イライラするし、カッコいい言い方すれば
「鑑賞」
じゃなく
「見物」
になってしまうんだな。

これは昨年「ダリ展」を上野の森美術館でも、そんな混み具合だったけれど、いくつかの「小部屋」で仕切られている美術館に多い。
今回もそうだった。

大好きな「北斎」なので、1つ1つ丁寧に見たかったけれど、結局行列の速度に我慢できず、少々列を飛ばしながらの鑑賞になってしまった。

昨年の「若冲」の時は開館前に並んで、列にならばず自由に満喫できた。
一昨年のゴッホもそうだったね。

やっぱり朝一番に出かけないと、心置きなく鑑賞は出来ないと言う事らしい・・・・。

それにしても、やっぱり「オバさん」は、どこへ行っても無敵の集団だ。
参りました・・・・。

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2008年2月25日 (月)

肉筆の北斎と強風

2月の2週目から、私の住む街で「北斎展」が開催されている。
年明けから知っていたので、楽しみにしていた。

今回の展示は2部構成。

1部はフランスとオランダにある「肉筆画」
2部目は、お馴染みの「富嶽三十六景」や「北斎漫画」などなど。
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ずいぶん「北斎」は見てきているので、2部目は「摺り」や「発色」が「すごくいい」というものでもなかった。
けれど1部の「肉筆画」は凄かった。

「北斎工房」の作品なので、本当に本人の作かは分からない。
けれど、後の「富嶽三十六景」の元となるような構図がいくつか見られた。
そして「肉筆画」のすごさは、その保存状態だ。

発色は、「今描いたばかり」の鮮やかさ。
そして版画のようなアウトラインが無い「肉感」的な表現。
そしてそして、一番興味深かったのは、着物の表現。
版画に比べれば、遥かに細かい柄や色具合が素晴らしい。
そして肉筆画ならではの「透ける」感じが新鮮だった。

それと今回の展示で気づいた点が1つ。
有名な「富嶽」シリーズが、実は後年の作品であり、あの表現に至るまで北斎はいくつかの準備とトライをしていたようなのである。

人々の姿や道具類の表現は「北斎漫画」に。
そして風景の表現は、今回の「肉筆画」で。
もちろん他にもたくさんの試みがあって、その集大成として「富嶽」を見ると実に面白い。
「おっ、あの人の姿は、漫画の中にあったな」とか「この風景の構成は、肉筆画と似ているな」とか。

やっぱり北斎は、いろんな年代のいろんな作品を見れば見るほど、その凄さが分かってくる。
ヨーロッパの芸術家に影響を与えたと言うのもうなずける気がする。

楽しみにしていたけれど、肉筆以外はあまり感動しなかったので、今回は図録を買わなかった。
それよりも、帰り道でえらい目にあってしまった。

凄い強風の中、てくてく歩いて、GSのそばを通り過ぎようとしていた。
ホコリも飛んでくるので、うつむき加減で歩いていたら、突然看板が飛んできた。
気づいた時には、足に当たり、その反動で歩道にひっくり返ってしまった。

飛んできた看板は、また遠くへ飛んでいったようで、GSのお兄さんも駆けつけ来たけれど、どこの看板かも分からない。
まぁ、こっちも打撲ぐらいだったので、立ち上がって帰ってきたけれど、後から体のアチコチが痛くなってきた。

そうやら転んだ時に肘とお尻を、思いっきりぶつけたようで痛い痛い
とんだ北斎展見学だった。

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2008年1月22日 (火)

ボストン美術館 浮世絵名品展

昨年末から楽しみにしていた展示会に行ってきた。

有名な所では「広重」「歌麿」「北斎」など江戸の代表的な絵師達だが、当時の価値観は、は今の「包装紙」レベルだったことは、良く知られている。
だから、非常に多くのものが海外に行ってしまっているし、国内にあっても保存状態はあまりよくない(らしい)。

今回の「浮世絵名品展」は、ボストン美術館の秘宝とも言われる「浮世絵コレクション」ということだ(これも、新聞からの受け売りなので、本当の事かは責任持てない)。

さて、展示は4つのカテゴリに分けて展示されていた。
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1=浮世絵初期の大家たち
2=春信様式の時代
3=錦絵の黄金時代
4=幕末のビッグネームたち

この4つともに面白く楽しめた。

すべての作品が良い保存状態とは言えないけれど、これが2〜300年以上前のものかと思わせる作品が多かった。
特に「色合い」については、素晴らしく、褪色しやすい「黄色系」「紫系」などが鮮やかな発色のままに展示されているのが嬉しくて、かなり近づいて見てしまった。

私の友人に、同じように浮世絵に興味を持っている人がいる。
ただしこの人は、服飾系の人なので、美人画の「着物の柄に目がいってしまう」と聞いた事があった。

今回は、その言葉が何度も何度も頭を過るほど、「着物柄」が目に鮮やかだった。
その中でも「雛形若菜の初模様」というシリーズは、解説で初めて知った楽しいものだった。

「雛形」とは、今のファッションカタログのようなもので、「若菜の初模様」とは、お正月の最新モードで飾り立てた遊女や禿たちのことらしく、要は「新春最新モード一覧」みたいなものだ。

これなんか、鮮やかで緻密な柄と発色。そして遊女とお付きの禿との「トータルファッション」的な柄合わせなど、いつもと違い、また1つ浮世絵の楽しさを味わってきた。

当然、後半には、「歌麿」「広重」「北斎」から「国政」「豊国」などなど有名な絵師の作品がずらりとあり、そのテーマが格段に広くなっているのも楽しめた。

初期の頃には「役者絵」「挿絵」、春信からは「美人画」、そして後半からは「風景画」「日常画」など、実に多岐にわたった浮世絵は、やっぱり江戸時代を想像するためには、大切なものだと改めて感じさせられた。

先ほどの「着物柄」から「商売風景」「正月風景」「旅風景」などなど、私のような「デザイン系」「広告屋系」としても、ずいぶん勉強になる作品も多かった。

このブログでも何度か取り上げたさまざまな浮世絵展の中でも、トップクラスの展示会だった事は間違いない。

2月になると違う美術館で「北斎展」も催される。
これも海外流出作品があるとかで、期待している。
ただし、あまり混まずにゆっくり見られれば良いなぁ〜などと思ってしまう。
今回は、割とゆったりと見られて、その点でも満足満足。

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2007年10月31日 (水)

古地図実感

以前「古地図の楽しさ」という記事を書いた。

どうも「古地図」はブームになっているのか、最近あちこちで耳にする。(こちらが気にかけているから、情報が聞こえるのかもしれないが)
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今回のモノは、先日の博物館で購入したCD-ROMだ。
実はこの件は仕事上で、ちょっと聞いていた。
どこかの企業が大々的にというよりも、博物館の学芸員の方が、コツコツと個人的に作っていたのだそうだ。

内容は「江戸〜明治〜現代」のそれぞれの時代を同じ地図で見られると言う最近流行のパターンだ。

冒頭に紹介した「古地図の楽しさ」はWEB上で楽しめた。しかし、これは江戸の地域。

今回購入したのは、名古屋

これを見ると、やっぱり江戸時代は「城中心」で街が構成されている。
変わっていないのは、川くらいのもので、道路などは広さを含め全然違っている。
名古屋の場合は特に戦後区画整理で広い道路に作り替えているからなおさらの感がある。

今回、ブログに載せたのは、名古屋のある地域だ。
今はここにはスケートリンクがある。
そう、安藤美希浅田真央が子供の頃に学んだスケートリンクなのである。

しかし江戸時代は、そこはお寺の集合地帯。
お寺お寺お寺なのである。
Kotizu02
今でもそこは「大須観音」「若宮八幡」などがあるが、ビルとビルの間にひっそりとある感じでしかない。
江戸時代、ここをどんな人たちが、どんな用事があって歩いていたのだろう。
そんなことを想像するとワクワクするのだが、悲しいかな現代人の私は、少し歩くだけですぐに疲れてしまう。

時間に追われず、古地図と一緒に街をゆっくりと眺めて歩けたら楽しいだろう。
何だか、年寄りじみているけれど、最近しみじみそう思う。
特に東京へは、仕事でなく「江戸」を楽しみに行きたい・・・・。

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2007年10月30日 (火)

想いを馳せる城下町

気になっていて、まもなく終わると気付いて慌てて出かけてきた。

「大にぎわい城下町 名古屋」展
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今、名古屋は名古屋城本丸御殿を再建しようという動きがあり、多分この展示会は、その盛り上げのために開催したのだと思っている。

どんな展示があると言うと、要は
「江戸時代の名古屋の賑わいをいろんな見聞で楽しむ」
というもので、「時の鐘」「橋の柱」「巨大竹細工」「庶民の暮らしを書いた絵画」など、いろ〜〜んなもので構成されていた。

これがけっこう面白かった。
そして、予想に反してかなり混雑していた。

やはり江戸時代の街と今の街がわかるため、地名入りの地図や、ある通りを通る朝鮮使節の絵画などは人だかりがあるくらい人気があった。

一番面白かったのは「あざらし」である。
今も昔も同じで、絵に描いたり、噂から想像で海獣としたり、はたまたお土産までが登場する。
絵画もなかなか素晴らしく江戸の人の息づかいが感じられるようだった。

「忠臣蔵」
が人気になり江戸、大阪などを経て、名古屋で上演され、大入りだったとか、その時の「大石内蔵助」「堀部安兵衛」などの看板の模様など、これまた現代のプロモーション活動と何ら変わらない賑やかさだった。
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小学校の頃に習った江戸時代と言うと「士農工商」の身分差別があって、
「鎖国」と言った閉鎖的なイメージがあり、決して明るくないが、実際はそうではないらしい。
この展覧会では、そんな模様が絵画から感じられて楽しかった。

もちろん、観劇や物見遊山に出かけることが出来るのは、裕福な商家などに限られていて、今のように誰でもが旅行にいけるわけじゃない。
もし私があの時代にいたら、食うや食わずの貧乏人だったことは間違いなく、あんな絵画やスゴい装飾品など見ることもなかっただろう。
それだけ、今見られることは幸せだと思うが・・・・・

ただ、庶民の暮らしの絵画を見ると
「全体として、楽しい時代だった」
ことは伝わってくるのである。

ますます興味がそそられる江戸時代。
こんな催しがあったら、また訪れてみたい。

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2007年10月11日 (木)

レンブラント版画展

先週の3連休中にレンブラント版画展を見てきた。

「光と影の芸術家」

こんな感じで呼ばれるレンブラントだけれど、未だに作品を見た事がなかった。
本当は油絵を見たかったれど、今回は「版画展」ということで、どんなものだろうと思いながら出掛けた。
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まず意外にお客さんが少ないのにびっくりした。
9月から12月と長い期間のせいもあるだろうし、「版画展」ということもあるのかもしれない。
けれど、おかげで近くによって、じっくり見る事が出来た。

「版画展」とは言え、多くはエッチングである。
ハガキよりも小さな小作品もあって、
「これで混雑していたら、見られなかったな〜」
などと思いながら、ゆったりと見た。

感想は・・・・・
今まで一度も作品を見ていなかったので、かなり期待して行ったら、ちょっと違った。
つまらないとか、そういうのではなく
「どっかで見た事あるな〜〜」
そんな感じなのだ。

「なんでだろう?」
と思いながら見て、気づいたのが「マンガ」だった。
エッチングだから、線書きなのである。

しかもレンブラントは影の部分を重ね書きして暗く表現している。
その手法が「マンガ」と一緒なのだ。
ず〜〜っと見て行くと、雑誌の挿絵などにも使われていそうな作品も多い。

もちろん「マンガ」の方が、エッチングの手法を利用しているんだろうけれど、変なデジャヴ感があった。
実際の銅版も展示してあり、レンブラントのエッチング力の凄さも感じさせてもらった。

あるマンガの本で、
「レンブラントは写真技法を用いている」的な、ちょっとエキセントリックな説が唱えてあったけれど、10代の頃の作品を見ると、そんなことは間違いだとすぐ分かる。

ピカソもそうだけれど、やはりこれら一流の人たちは、すでに10代で、すごいデッサン力と表現力を持っている。
ダリもそうだった。
世に出てからの作品では、なかなかその人の力は分からないものだ。

しかし、今回そんなデジャヴ感はあったが、今度は油絵を見てみたい。
それで、レンブラントの凄さを、どう感じられるかが楽しみだ。

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2007年5月28日 (月)

がっかりの北斎展

この週末は珍しく少々活動的だった。
土曜・日曜と全く異なるものを見学に行った。

1つは「北斎展」、もう1つは「護衛艦さわゆき」
今日は、まず「北斎展」の話を。

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北斎は、このブログでも何度も登場し、私の最も気に入っている画人だ。
元々興味があった日本版画に本格的に魅入られたのは、数年前に老舗の百貨店で開催された「北斎展」だった。

今回は、もう一つ別の老舗百貨店で開催された「北斎展」
ただし、この百貨店は、前も出掛けたが、どうも展示が上手くなく、見学するものへの配慮に欠ける印象がある。

でも全国的に有名な百貨店だし、津和野の北斎美術館の協力も得ていると新聞にも出ていたので、少々期待して行った。

ところががっかりなのである。
まず会場が暗すぎる。
版画や肉筆画は水性の顔料なので、強い照明が御法度なのは分かる。
そのような説明書きも会場入り口にには表示してあった。

それでも暗い。
そして照明の色も、いわゆる「裸電球」の色なのだ。
これじゃあ、楽しみしていた「色合い」などわかりゃしない。
「多くの肉筆画を揃えた!」
と宣伝していたが、その筆の感じや、微妙な色合いなど全然分からない。

がっかりだな〜〜〜と思って進むと、次は版画へ。
有名な「富嶽三十六景」がずらりと並んでいた。
しかし、これもがっかり。
かなり摺り具合が良くなく、発色も芳しくない。
絶対に初刷りじゃないことが、私のような素人でも分かった。

それに展示の仕方もひどい。
「富嶽三十六景」のコーナーに「摺りの実演」を解説付きでしているものだから、そこに人だかりが出来てしまっている。

おかげで、最も有名な作品のところは、ひどい人ごみなのだ。
かなり嫌になって、さっさと出てしまった。

最後に「何か面白いグッズでも」と思ってみても、これもイマイチ。
やっぱり数年前にやったところは、百貨店でも
「常設の美術館」
で、今回は
「店内催事場」
の差は、大きいと思わざるを得ない。

もしも私が、北斎の作品を初めて今回見たとしたら、かなりがっかりしたろう。
古くて色褪せてて、暗くて見づらいだけで。
最初に見た北斎が、良い作品と良い会場でよかった。
ちなみに最初の百貨店は「松坂屋」、今回は「高島屋」でした。

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2007年5月 5日 (土)

GWの美術三昧その2

その次には、あるデパートで行われていた「ジオラマ展」

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南條亮(なんじょうあきら)という人の、終戦後から昭和30年代くらいまでを再現した1/8モデルのジオラマだ。

戦争の場面は、悲しく悲惨。
戦後の昭和は、ブームになったこともあり、少々美化されている気もしないではないが、ジオラマはあの頃を「俯瞰」で見られることが面白かった。

見ていて、自分が子供の頃の
「土の匂い」「草の匂い」
そんなものを思い出させてくれる、癒し系の展示会だった。

最後は博物館で開催されていた
「名古屋城障壁画」展である。

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戦争で焼失してしまった名古屋城を再建しよう!
こんな気運が私の住んでいる都市では、どちらかというと政治的主導で高まっている。
この展示会も、多分その運動の中の一環だろう。
(会場には、名古屋城再建の計画スケジュールがあったから)

展示物は、名古屋城が最初に建てられた時の障壁画と、3代将軍家光が来た時のために新たに創作された障壁画が展示されていた。

ざっと400年前のモノで、しかも戦争などを経てきているため、多くの作品は剥落が激しく、色合いも退色し、金箔の輝きも薄れていた。
この展示の直前に、プライスコレクションの保存の良い江戸絵画を見たから、特にその差が気になってしまった。

そして絵柄も、虎や鳥などは共通だが、人物が出てくるのは、中国の逸話のシーンだったりして、大陸の影響が強い時代だったことを感じさせる。
2〜3点は、人々の暮らしを感じさせる図柄もあったが、やはり江戸初期のせいなのか、いつも見るようなユーモラスさや生き生きとした生活感は感じられなかった。

考えてみれば、庶民レベルでは、やっと江戸という時代で安定し始めたばかりだから、「楽しい生活感」なんて、まだまだ先と言えば先の話だ。

最後の方に、つい最近の複製が展示してあった。
金箔も目映く、色彩も鮮やか。
こんなのが、城の中の襖、天井などに飾られていたら、そりゃ豪華絢爛なことこの上ないだろう!

そうそう同じ日に見たから面白い発見をした。
まったく時代が違うのに、同じように題材の絵画があった。

それは、河を流れる扇子を描いているのだが、これもある逸話が題材なのだそうだ。
江戸初期の名古屋城障壁画にもあり、江戸末期のふすま絵にも、この題材があった。
きっと、この題材は有名で、江戸時代にはあちらこちらで何度も掻かれていたのだろうと思う。

そして同じような虎や鳥の絵画も、200年の時間を経て、伝統を繋ぎつつも精度を高めていった感じが得られ、同時期に見られたからこそ思う感想だった。

ゴールデンウィーク、眼福の一日であった。

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2007年5月 4日 (金)

GWの美術三昧その1

ゴールデンウィークの後半、楽しみにしていた美術館巡りをした。

まずは
「若冲と江戸絵画展」(http://www.jakuchu.jp/)

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元々、北斎を始めとする浮世絵に10年くらい前から興味を持っていろいろ見ていた。
そのうちに「伊藤若冲」という人を知った。

知った程度で、本物を見たことも無いし、どんな生い立ちの画家かも知らない。
でも、鮮やかな色使いに一気に気になる人になった。

どうやら若冲は、今ブームのようで、結構本なども出ている。
だから、この美術三昧で最も楽しみにしていた展覧会だった。

出展は「ブライス」のコレクションんで、若冲だけでなく江戸絵画を、いくつかに固めながらの紹介だった。

若冲の作品が素晴らしいのは言うまでもない。
保存が良いので、当時の発色そのままの色合いで、実に豊かで鮮やかな色は感動する。
繊細で緻密な描写。
得意の鶏の絵画など、羽毛の下の筋肉の動きまで感じられるようだった。

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しかし若冲の凄いのは、水墨の1色の絵画にもある。
「これしかない!」
と思われる単純な曲線を見事に書いていく鶴のふすま絵は、グラフィックデザインともイラストとも通じるそぎ落とした美しさを感じる。

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この絵画展、まったく江戸絵画の知識の無い私には、とても勉強になった。
名前ぐらいは知っていた「円山応挙」の作品も初めて見た。

若冲とは異なるけれど、水墨の1色での表現とは思えないほど豊かな筆遣い。
得意とした猿の図は、やはり毛並みの温もりさえも感じるものだった。

その他にも、多くの作家の江戸絵画を見たが、非常に面白く、江戸絵画の画家達の感性豊かなことを改めて感じさせられた。
「日本画=水墨の淡い簡単な線」
なんて勝手に思っていた自分が恥ずかしいくらいに、江戸絵画の描写レベルは素晴らしかった。
日本ではゴッホやモネなど、洋画の人気は高いけれど、それらに負けない素晴らしさが江戸絵画にあることを、しっかりと学ばせてもらった。

この絵画展では面白い展示手法が取り入れられていた。
というのは、プライス氏の考えを入れ、光の変化を楽しみながら鑑賞する。

江戸時代には、照明はろうそくや行灯でしかなく、ほのかな明るさのなかで見る。
そして、外からの光に左右されてみたのではないか?

この仮説のもと、特殊なライティングで光を変化させて展示してあった。
そうすると、展示された屏風絵は、光の強さによって異なる表情を見せるのである。

これを見て、初めて日本画での金箔・銀箔を利用する意味が分かった。
決して見た目だけの豪華さだけでなく、光の変化の表現なのである。

江戸絵画は、素晴らしい。
ますます深みにハマっていきそうである。

その2に続く。

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2007年4月 3日 (火)

広重の五十三次

「広重と北斎の東海道五十三次と浮世絵名品展」
えらく長いタイトルだが、そんな展覧会に出掛けてきた。
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メインは北斎の東海道五十三次で、北斎はどちらかというと付け足し的だった。
けれど展示の仕方が面白く、これもまた見ていて「にんまり」してしまう楽しさだった。

有名な「東海道五十三次」だが、同じ広重でも後年のシリーズもある(らしい)。
それに、北斎の小判と大正時代の写真。
この4点を1セットして、宿場ごとに展示がしてあった。

特に、大正時代の写真が面白く
「もしかして、この松は本当に江戸からあったのか?」
と思わせる写真もあった。

現代では、すっかり変化してしまっているが、大正時代には、少しだけ面影も残っていて、実に趣向を凝らした展示だった。

私は、ただただ好きで浮世絵を見ているだけで、知識はほとんどない。
今回も広重の生い立ちや五十三次の版元の話など、基本的なことを初めて知ったくらいだ。

そして時に「版元」のコマーシャル的な図版があったり、後年は絵柄が変わっていたりと言うことも初めて知った。

今でこそ浮世絵は美術品だが、当時は今の写真集みたいなもんだから、当然商業主義である。
だから、版元の都合や世間の都合で、変化していくのが当たり前だ。

例えば、京都の三条大橋の基礎部分が、初摺では木になっている。
けれど本当は石の基礎だったらしく、次の版からは修正されていると言う話だ。

これにはいろんな説があって、丁寧にスケッチをする広重にしては、珍しいミスと言われ、実は本人は東海道に行ってないんじゃないか?とも言われている。

他にも有名な「蒲原」は、あんなに雪が降らないとか、最初は昼の風景だったとか・・・

そんなことを解説で読むうちに、もしも同時期に生きていたら
「ばかやろう!あんな軽薄もの、見る価値もない」
などと言っていたかもしれない。

私は今でこそ、楽しく感心しながら浮世絵を見ている。
でも、北斎は特にそうだが、何だか「心がにやけてくる」感じで鑑賞している。

やはりそれは、浮世絵は当時その程度のものだった証拠なんだろう。
学術的には、当時の生活を知る手がかりであり、美術的には優れたものなんだろうけれど、そんな手軽なものだったと言うことが、私がやっぱり浮世絵が好きな理由でもある。

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2006年11月 5日 (日)

北斎の面白さ

NHK-BSでつま恋の総集編が放映されたせいだろうか?
「永遠の嘘をついてくれ」の検索ワードで、アクセスしている人が、この1週間非常に多く、アクセス数も増加している。
これは、「つま恋」コンサートがあった週でもあった現象だけれど、やはり放送メディアの影響力が非常に強い証明でもあり、私の仕事にも役立つことだ。
ただ、アクセスした人には、つまらない内容のブログでがっかりしたと思うので、申し訳なく思っている。

この3連休のイベントとして、とあるデパート系美術館で開催されている「四大浮世絵師展」を見に行ってきた。

写楽・歌麿・北斎・広重4daiukiyoe_1
この4人が「本当に」四大浮世絵師かどうかは分からない。
特に写楽は、何者なのかは未だに不明だし、活躍した期間は1年にも満たない。
ただし、「有名」という点では、間違いないだろう。
私のような「ちょっとだけ好き」ファンなら誰でも知っている4人だからだ。

4人それぞれの特徴が見比べられて、なかなか面白い展示だった。
もう1枚招待券をもらっているし、開催期間も12月まであるので、もう1回くらい出かけようかと思っているくらいっだ。

作品的には、保存状態が良いものだけでなかったので、簡単に「良い」「悪い」と言えない。

こんなことが言えるのは、数年前に同じ美術館で開催された「北斎展」を見たからで、この時の北斎作品の方が、遥かに状態が良かったからだ。

とはいえ、4人の作風や視点の違いは、それぞれ楽しく、どれもじっくりと堪能してきた。

写楽の大首絵の迫力、歌麿の美人画、北斎の躍動感に広重の風景表現。
特に広重の風景表現は写真のトリミングのように計算されている。切手で有名な「月に雁」は今回初めて見て、小さい頃切手少年だった私は、少々感無量だった。

しかし、北斎はやはり異彩だ。
前の「北斎展」でもそうだったが、彼の作品は、一瞬の「シャッター写真」のようだ。
有名な「富嶽三十六景」などにも良く表れているし、「北斎漫画」はその集大成のようだ。

そして、それらを見ていると、江戸時代の人々が動いているように錯覚し、思わず「にやけて」しまっている。

「北斎展」でも、そうだったが、今回の四大浮世絵師展でも北斎の作品の時だけ、「にやにや」して見ている自分がいた。
こんな浮世絵師は他にはいないだろう。北斎の面白さは、作品を生で見るといっそう分かる。

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2006年10月 1日 (日)

幕末の写真

今日は続けて、もう一本の話題。

会社の若手に勧めておいて、自分が忘れていて、慌てて最終日の今日出かけて行った。

「幕末の残像」

という尾張の殿様が撮影した江戸末期の写真展だ。

私の住んでいる街には「徳川美術館」がある。
凄く有名ではないが、ここは結構面白い。
尾張徳川のいろんな秘宝が展示されている。
毎年初春に開催される「徳川の雛祭り」は、江戸末期から明治初期の雛人形の展示がされるし、常設展示では、鎧兜や刀、鍔、茶道具など、かなりの文化財クラスのものが展示されている。
そして庭をみながら休憩出来る展示会順路も良い。

今回、私は久しぶりに出かけ、そして非常に面白かった。
徳川慶勝という幕末の尾張藩主が、名古屋城を始め、いろんなものを撮影した写真だが、もちろん日本に写真が入って間もない時期でもあり、自分で薬品を変えたり、撮影方法を変えたりの試行錯誤の写真としても面白かった。

そして、何より面白かったのは、城だけでなく街の写真だった。Tokugawa_1
慶勝が撮影したものではないが、江戸の大川端の写真があり、「御宿かわせみ」のファンである私としては、展示写真を見ながら、神林東吾や畝源三郎が歩いているような気がしていた。

本所の街並等、意外と道も広いし、名古屋城下の中屋敷など、藁葺きの屋敷もある。
これがカラーだったら、どんなふうなんだろう?などと想像しながら、一人ニヤニヤしてみてきた。

やはり江戸時代というのは、人が活気あふれて生活していた時代なんだろう。
ただし、もし私がその時代に生きていたら、こんなに立派なものは一生見られずに、毎日食べるのもやっとの状態で暮らしているんだろうなぁ〜などと変な感想も持ったが。

惜しいことに、この企画展には図録がなくて、気に入った展示会を見ると必ず図録を購入する私としては、非常に残念だった。
でも幕末小説に出てくる松平容保の写真や、江戸の街並の写真を見られて、1日しかない休みも充実感いっぱいだった。

眼福眼福!

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2006年7月16日 (日)

「感性」を学ばなかったもの

3連休である。
いつもであれば、ゴロゴロ何気なく過ごしてしまうのだが、今回は少し意気込みがあった。
しかも、どこかレジャーに出かけるのでなく、ちょっと感性刺激であった。

私の住んでいる地方で「江戸の誘惑」という肉筆浮世絵展が催されている。P_01
有名な所では、北斎や歌麿、豊国など、私のように「何となく好き」といういい加減なファンでも知っている人たちの作品が展示されていた。
元々の貯蔵が「ボストン美術館」で、日本初展示のものもあり、非常に興味深い展示会だ。

特殊な世界の展示なので、そんなに混んでいないだろうと思って出かけると、すごい人だった。
しかもちょうどタイミングが悪かったのか、入り口にどっさり人が固まっていて、通行の邪魔になるくらいだった。

「なんだろう?」と思っていると、多くは小学生で手帳を持って立っていた。
そして、入り口の展示趣旨が書いてあるものを一生懸命読んで、メモしている。「社会見学か課外授業かな?」と思い、奥に進むと、やはり小学生が多い。

しかも彼らは、作品よりも作品解説ばかり見て、メモっている。
多分、見学の後に感想文みたいなものを書くのだろうと思ったが、それにしても作品を見ない。

個人的には、この展示会は保存の仕方も良かったせいか、作品の色も退色せず、江戸時代の鮮やかな色合いをじっくり堪能出来、しかも着物の文様や、人々の暮らし、町並みなど、もう江戸時代が目の前にあるように、美しく、しかも楽しい素晴らしい展示会だと感じた。

特に人々の着物の柄や色合いは、現代でも負けないくらい艶やかで、おしゃれなのだ。
そして町並みや建物、風俗、侍の姿や庶民の姿。見ていて思わず「にんまり」してしまう作品も多かった。

私は仕事柄もあり、毎年の年賀状には、一つテーマを加える。
その時に思ったこと、感じたことのほか、前の年に見て感激した展示会作品をモチーフにすることもあり、今年の年賀状は「ミュシャ」だった。

そして今回の「江戸の誘惑」は、来年の年賀状のテーマ候補に挙げられるくらい、至福の展示会だった。
そこで、思い返されるのは、あの小学生軍団の展示会の見方だった。

横にいる小学生に「作品は見ないの?」と思わず言いたくなるほどだったが、彼らはきっと「感じる」ことを学んでこなかったのだろう。
昨年にはゴッホ展があり、やはり有名な展示会にはものすごい人が見に来る。
そして多くは、「有名だから」と言う理由で見ているだろう。

でも私は「何故、そんなに評価されたんだろう」と思ってみることにしている。
そして、自分の心が「何を感じるか」を一番大切にして作品を見ている。
それが、作家に対する礼儀であると思うし、私自身の楽しみ方でもある。

あの会場であった小学生に「何を感じた?」と聞いてみたいものである。
彼らは勉強は学んできても「感性」を学ばないできてしまった、悲しい犠牲者だ。

最後に、「江戸の誘惑」。P_10_1
名古屋近辺に住んでいる方は、一度見学をお勧めします。江戸の、色と街と、人を味わってください。

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2006年6月 2日 (金)

オヤジの愚痴

何度も書いているようにコース変更して、アクセス状況が分かるようになった。
そして、これも何度も書いているが、見てくれている人が予想以上に多くて、びっくり&感謝の気持ちで一杯だ。ありがとうございます。

今日は、久しぶりにテーマを決めず、ジジイのつぶやき&愚痴を・・・・
というのもちょっと体調が優れないので、気分的にダウンな感じだからだ。

最初のネタは、盗作疑惑のその後。
実はこのネタは、検索ワードが多かったから、もう1回取り上げるんだけれどね?
ニュースやWEBで継続的に取り上げているけれど、続々と盗作疑惑数が増えているようだ。あまり大きな問題になっていかないのは、「日本」と言う国が、「創造」に関する文化的意識が低いからだろう(これは、クリエイティブの仕事をしていて、ものすごく感じている実感だ)。

この和田と言う作家、きっと例の姉歯建築士と同じだった気がする。
最初は罪の意識があったけれど、バレなかったので、次々と手を染めたって感じだ。今回アップしたこの2つの写真見て、皆さんどう思いますか?
「どう見ても、盗作でしょ?」Tousaku_2

私がもしも仕事で、これを使ったら、少なくとも盗作の自覚はあると思うよ。言い逃れ出来るようなレベルじゃないなって、思いますよ。
これで「盗作じゃない!」って言ってる作家じゃ、創作家としても人としても品格を疑います

次の話題。
今週ってイロイロありませんでした?
週末に来て「村上ファンド」の捜査とか言うビッグニュースが流れたけれど、それ以外にもサッカーの話やトヨタのリコール、駐車禁止の話などなど。

村上ファンドやライブドアなど、これ系の話を聞くたびに、前も書いたけれど「ただ数字を転がして収入を得るのは、どうなの?」って思ってしまう。
個人的には好きになれない収入の得方だけれど、実際は、私のようにコツコツ働いてても、10年後にやってくる定年後の生活費の目処が全くなくて、途方にくれ、ああいう人たちは悠々自適の生活を送れる。
なんか間違っていないかな〜こんな国って。

トヨタのリコールは昨日書いたけれど、いつも話題に出す同じグループ会社の社員を見ていると、「働く」ことを真剣に考えていないのが、とってもよく分かる。
これも、私のように「極めたい」と思いながら30年以上働いてきたのが、馬鹿みたいに思えてくる。
あちらは「大企業」に勤めているってだけで、給料良いしね?

駐車違反取り締まりの話も、変な感じだよね?
今のところ実感がないので、わからないけれど、取り締まりの人たちが「歩合制」ってが一番納得いかない気がする。これについては、またいつか取り上げよう!

さて、最後はサッカー・ワールドカップ
いよいよ来週ですね。日本が予選リーグを突破するかは大きな関心事だけれど、やっぱり国対国でぶつかる最高峰の戦いは、一番のエンターテイメントだと前回の日韓WCで実感したので、それが楽しみです。
個人的には、イタリアとかイングランドに優勝して欲しいな〜。楽しみです。

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2006年5月31日 (水)

盗作騒ぎ 続編

アクセス数が分かるようにするために、コース変更をしたとちょっと前に書いた。
そして今まで全く気にしていなかったのだけれど、今は結構気にしている。しかも昨日の記事は、タイムリーだったせいか、ちょっとびっくりするくらいのアクセスがあった。
こんなつたないブログで内容も薄くて、訪問していただいた方に「がっかり」させているかもしれませんが、これから心入れ替え、もうちょっとキチンとした内容にします。

さて、盗作ネタ第2弾。
今朝、めざましTVでも紹介していたが「ダリ回顧展」で爆笑問題が、盗作をネタにしていたらしい。Bakusyo

ただ、個人的には爆笑問題(特に太田)は好きでもないし、面白くもないので、「おまえらがネタにすんじゃね〜よ」と毒を吐きたくなるけれどね。

このネタからスピンアウトして、爆笑問題のこと。
彼らは、確か「ボキャブラ天国」で有名になってきたと思うけれど、あの時はピカイチに面白かったのに、最近はただただウザイ感じだ。

特に太田は、TV進行から外れて喚いているだけなので、全くうっとうしいだけな気がする。いくつか看板番組を持っているようだけれど、人気や視聴率はいいんでしょうか?

そう言えば、昨日の夜「やしきたかじん」が、爆笑問題をコケおろしていた。「こずかい5万円で余るなんて、芸人として情けない」と叫んでいたが、その通り!
だから、最近の爆笑問題は面白くないんだろう。いわゆるネタ切れなんだろうね?

ネタ切れと言えば「トリビアの泉」もネタ切れですね・・・・
大好きな「うそつき!」もあまりやらないし、先々週の「トリビアの種」の猫の実験は面白かったけれどね・・・・。
深夜枠の番組って、たいていゴールデンに出てくると息切れしてしまうんだよね。
誰か、今、注目している番組教えてください!

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2006年5月30日 (火)

盗作疑惑?

私はある印刷会社に勤務するプランナー兼ディレクターである。
20代の頃からグラフィックデザイナーをやり、その後キャリアとともにアートディレクターやディレクターをやってきた。

最初の頃、新聞会社系の広告代理店に勤務したせいもあり、広告表現の自主規制とか、今風に言えば遵法性(コンプライアンス)にも、普通のグラフィックデザイナーよりも注意を払ってきた意識がある。

そして、昨今クリエイティブの世界のデジタル化に伴い、この遵法性がいとも簡単にやぶられてしまう。複製が劣化なく実施できると言うデジタルの恩恵のおかげだ。
早い話が、私のこのブログだって、掲載する画像の多くは他のサイトから、コピーしているので、いけないことなのだ(今回もやっているが)。

と、ここまでは長い前置き。
先週くらいから新聞やWEBで報道されている「和田義彦」と言う人の盗作疑惑。

私はこの画家を知らないが、芸術選奨を受賞しているとかで、まあお国が立派と作家だと思う。けれど、こりゃどう見ても「盗作」である。Tousaku_1
「詳しく調べる」とか文化庁は言っているようだが、調べんでも盗作以外の何者でもない。微妙にタッチが違うだけで、色も構図も一緒じゃん。

漫画に詳しい人なら知っていると思うが、「ギャラリーフェイク」という漫画がある。昨年あたりで完結したが、あれには「贋作」が良く出場する。
でも今回は「贋作」でなく「盗作」。ある意味、もっとタチが悪い感じだ。

私はデザイン系のプロであるが、一緒に仕事をする営業やクライアントに良く言う。
「『プロでないから分からない』ではなく、見る人は普通の人なので、その感覚が一番正しいと感じてください。」と。

今回の場合、作家本人がイロイロ言い訳を言っているようだが、やっぱりどう見ても「盗作」だと思いますよ。
そんな人に芸術選奨を上げた文化庁も情けない話ですが

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