2018年6月25日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その5)

たった2日間、奈良に行っただけなのに、5回の連作になってしまった。
まぁそれだけ充実して楽しんできたということで勘弁してください。20180625_3
二月堂、三月堂は行った記憶が曖昧だった。
二月堂の「お水取り」は有名だが、それ以上のことは知らなかったこともあり、今回は「ちゃんと見よう」と思って訪ねた。

ここも修学旅行団体で混雑していて、特に二月堂は大混雑だったが、それ以外は空いていた。
特に三月堂(法華堂)の不空羂索観音立像を初めとする仏像群のある堂内は、静かで凛としていて仏像とゆっくり対面できる素敵な空間だった。

他にも二月堂から大仏殿に向かう道筋も、たまたまあまり人がいない時で「ちょっと時代劇のロケとか出来そうな」良い雰囲気だった。
そうそうその道で「お水取り」で使用した「大松明」が脇に数本片付けられていたが、真昼間に明るい時に見ると、単に竹先が焦げた棒切れにしか見えなかったな。

そしていよいよ東大寺大仏殿へ。

●東大寺
奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山。
宗派は南都六宗の華厳宗。空海が別当を4年間務めるという異例の歴史を知ったので、再度興味があって行って来た。

この2日間の中で、1番の人ごみ。
特に南大門へ向かうところと大仏殿前は、「ラッシュ時の東京駅」みたいに人だらけだった。
さらに修学旅行生と海外観光客が入り混じり、言語も騒ぎ方もトンでもない状態で、とても「古都 奈良」という日本の代表的な場所にいるとは思えない感じだった。

何度来ても大仏殿は大きいと思う。
そして大仏もやっぱり大きい。
ここには「撮影禁止」となかったので、みんなが「パシャパシャ」と撮影しており、私もせっかくなので、撮りまくった。
本当は「東大寺ミュージアム」にも行きたかったが、ちょうど長期休館中で見られなかったのは残念だったが、まだ少し時間が早かったので、昨日いけなかった「奈良国立博物館」へ。
ちょうど「春日大社」の特別展が開催されていたので、それを観覧し、地下でつながっている「なら仏道館」へ。

そこにも本当に多くの仏像が展示されていた。
奈良に行く一週間前に新聞に載っていたが、仏像の体内に経典や装具が収められていたという発見があり、それも展示してあった。
この2日間で本当に多くの仏像を見たが、これからもっと技術が進んで、仏像に傷つけることなくイロイロな調査が進むのではないかと思う。
そして4Kとか8Kとか超高精細TVが実用化されると、こういった仏像も超至近距離で見るより細かなことが分かるようになるだろう。

その前に実物をしっかりゆっくり見られたことは本当に楽しかったし、日光と違って天気も良く充実した旅だった。
この日もお昼も食べずに見学していたので、レンタサイクルを返し、クルマで帰路に向かいながら遅いお昼を食べて帰ってきた。

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2018年6月18日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その4)

2日目。
レンタサイクルは朝9時からだったので、その時間に間に合うようにチェックアウト。
レンタサイクルのお店は着いて電動自転車を借りた。20180618
明日香村では普通の自転車で、意外と登りがきつかったので、初体験だったが電動にしてみた。
「初めて電動に乗る」といったら、お店の人が使い方を教えてくれた。
そのお店、自転車屋さんでもあるので、整備もちゃんとしているし、お店のオジサンもすごく親切だった。
最初はちょっと戸惑ったけれど、すぐに慣れて興福寺に向かった。

●興福寺
南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った(Wikipediaより抜粋)。

昔、「阿修羅像」を見たくて来たが、多分20年ぶりくらいかな?
昨日にも増して、修学旅行の団体がいくつもあり、そして外国人観光客もどっさり。
修学旅行も小学生・中学生・高校生を幅広く、歩道は人に溢れている。こちらは自転車なので、人波を縫うように走らなくちゃいけなくて、楽だけれどちょっと気を使う。

興福寺に着いて自転車置き場を教えてもらい、ものすごい多くの修学旅行生の嬌声が響く境内に「う~~ん」と思ったが、まずは今年1月にリニューアルオープンした「国宝館」へ。
修学旅行生もそんなにおらず、いてもさすがに静かにしていたし、朝まだ早いこともあり館内もそんな混雑していなかった。

久しぶりに見る「阿修羅像」はやっぱり良く、同じ仲間の八部衆立像もそれぞれに感じるものがあって至福の空間だった。
他にも国宝館には多くの展示物があり、照明も明るすぎず暗すぎず、近くによって見られることもできて「お堂の中で見るのも良いけれど、これはこれでとても見やすくて良い」と思った。

興福寺で有名なのは五重塔だけれど、やっぱり敷地は広く、今回は全部を歩いてみた。
南大門跡、中門跡、そして今再建中で今年10月に落慶される予定で再建中の中金堂。そして南円堂、三重塔、北円堂などをぐるりと巡ってきた。
修学旅行生は多いけれど、ありがたいことにどこも「駆け足」で過ぎて行ってくれるので、私のようにゆっくりじっくり見ている人はどんどん追い抜かれていき、混雑で困ることも少なかった。

そこから東大寺へ電動自転車で移動。
朝よりさらに増えた修学旅行生団体と多国籍の外国人観光客の間を「すいませ~~ん」を連呼して、ゆっくりと走る。
奈良公園の鹿も久しぶりに見たが、私たちが修学旅行でそうだったように今の学生も「きゃあきゃあ」と叫びながら鹿せんべいを挙げていた。
私たちの時代と違うのは、外国人観光客がやっぱり同じように鹿せんべいを挙げて騒いでいることだった。

東大寺は何度か来ているが、どうしても「南大門」「大仏殿」で終わってしまうことが多い。
今回は「じっくり見る」とテーマとしているので、まずは一番奥の二月堂へ向けて歩き始めた。(つづく)

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2018年6月11日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その3)

やっと3ヶ所目の「新薬師寺」へ。20180611
この「新薬師寺」、今回一番迷った。ナビで近くまで行くのだが、見つからない。
道路には案内板があるが、路地のように細い道に入っていくと、その先がわからない。
「これが寺社かな?」と思うものがあったが、今度は駐車場が見つからない。
普通、寺社には駐車場の案内もあるが、それもない。
散々迷って、門らしいところに行き着き、3台くらいしか停まれない駐車場を見つけた。
でも、いっぱいだったので「どうしようか」と思っていたら、ちょうど出る人がいて運よく停められた。

●新薬師寺
華厳宗の寺院である。本尊は薬師如来、開基(創立者)は光明皇后または聖武天皇と伝える。山号は日輪山(ただし、古代の寺院には山号はなく、後世に付したものである)。奈良時代には南都十大寺の1つに数えられ、平安時代以降は規模縮小したが、国宝の本堂や奈良時代の十二神将像をはじめ、多くの文化財を伝えている(Wikipediaより抜粋)。

ここに行きたかったのは、ずいぶん前にテレビで見た十二神将の往時のカラー復元を見たからだ。
十二神将の姿も魅力的だが、カラー復元はその鮮やかさが記憶に残っていて、ぜひとも訪れたいところだった。

入って資料を見ると、建立当時はとても広い敷地だったようだが、何度も火災に遭い、今では本堂を残すのみとなってしまっていた。
そのため、施設としてはあまり整備されていなかったけれど、そんな寺社にも外国人観光客がいて驚きだった。

本堂には薬師如来像を囲むように十二神将が立っている。
今回の奈良の旅で、とても多くの仏像を見たが、如来→菩薩→明王と位が下がるつれ、どんどん感情やしぐさが人間的になっていくことが分かる。
如来や菩薩のように「悟りを開いたり、それに近い」仏様は、毅然として感情も動きもない姿となっているのを見ると、私のような人間が感情も動きも溢れてしまっているのは致し方ないことなのかなぁなどと思ってしまった。

小さな庭の庵のようなところでは十二神将の「カラー復元」DVDを放映していて見学。最後にもう1回十二神将をじっくり見てから帰ってきた。

その後、少し早いがホテルに向かった。
今回、実は2日目を「レンタサイクル」で巡る予定にした。
そのため事前にホテル近くの「レンタサイクル」に予約し、さらに2日続けて停めても一番安いコインパーキングを探しておいたので、まずはそこまでクルマで移動。

コインパーキングに着いたら、満車になっていて「どうしよう」と思ったが、ここでも「今から出るから」という人に声を掛けられ、ラッキーにも停めることが出来た。
そこから歩いて、レンタサイクルのお店も確認し、ホテルへチェックイン。

駅の近くなので、ひと休みして駅周辺で夕食。日光では食べるところを探すのに苦労したが、今度はそんなこともなく、食事後にコンビニにも寄ってホテルに戻った。
一応大浴場のあるホテルを選んでおいたので、ゆったりとお湯に浸かり、部屋でTVを見ていたら、歩き回ったせいか眠くなってしまい、早々に寝てしまった。(つづく)

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2018年6月 4日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その2)

前回のつづき。
まだ1日目の2番目の訪問地である唐招提寺。20180604
薬師寺の最後に見学した「玄奘三蔵院伽藍」から外に出て、歩いて「唐招提寺」へ。
最初はクルマ移動も考えたけれど、天気も良いし10分少しくらいの距離なので歩いて向かった。

●唐招提寺
鑑真和上が建立した寺院。南都六宗の1つである律宗の総本山である。本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真である。井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。
唐招提寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている(Wikipediaより抜粋)。

昔から名前は知っていたが、「ピン」とくる情報がなくて、一度も行ってなかった。
今回「行こう」と思ったのは、仏教伝来の初期の頃の事を知って「鑑真和上」の話を知ったからだ。
そうそう、昨年末からずいぶん時間が掛かったが司馬遼太郎の「空海の風景」を読み、初期の仏教の頃の本も読むうちに「南都六宗」という言葉や、その頃の「仏教」と今我々が感じている「仏教」とはずいぶん違うということも知った。

そんな影響から「律宗 総本山」である唐招提寺はぜひ訪問しておきたい寺社となった。
ここは修学旅行生もおらず、海外の観光客も他に比べれば少なく、とてもゆっくりと歩くことができた。
「天平の甍」の代表格のような「金堂」は美しく、安置されている盧舎那仏坐像、薬師如来立像、千手観音立像などを見た。

その後、鼓楼・講堂を経て、一番奥の「鑑真和上御廟」へ。
ここは苔生す新緑の林を通って御廟に向かうのだが、この林が静かで、新緑に囲まれて、今回の中で一番良い空間だった。
その後、「新宝物殿」で古い仏像を見学。ここもほとんど人がいなくて、静かにゆっくり見学できた。

ゆっくり周り過ぎて、すっかりお昼を回り、1時過ぎになってしまい、薬師寺から向かう途中で見つけた美味しそうなお蕎麦屋さんに入った。
入ると修学旅行生の1グループがいて「うわっ」と思ったが、とても行儀がよく、最後には学級委員の子(同級生からそう呼ばれていた)が器も揃えて出て行った。今時にはあまり見ない学生で、薬師寺で会った「禁止とは書いていない」と撮影していたオジサンと真逆の子たちだった。
若いからダメで、年寄りがちゃんとしているなんて言うのは、勝手な思い込みなんだな。

そのお蕎麦屋さん、蕎麦も美味しかったが季節柄、山菜の天ぷらがあり、それがとても美味しく大満足の昼食だった。

もうこの時点で、2時を過ぎてしまい、その日の予定にしていた「奈良国立博物館」を行くのを諦めた。
そして3ヶ所目の「新薬師寺」へ。(つづく)

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2018年5月28日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その1)

若い頃は「観光」的に、京都やお城を巡っていたが、最近はいろんな想いを持って出かけている。
今まで一番多いのは、もちろん「史跡」巡りだ。
一時期は「浮世絵名所」巡りもしたし、他にも「時代劇ロケ場所巡り」なんてこともした。
20180528
ただ、やっぱり「お城」とか「神社仏閣」が多いので、どうしても「由緒」を読んだり、「仏像」を見たりする機会が増える。
そうすると何となく「仏像」にも興味が出るようになってしまった。

「仏像」に関していえば、昨年秋に初めて明日香村を訪ねたこと が大きかった。
そこで見た仏像は、飛鳥時代のもので、見慣れた姿とは少し異なっていた。
それまでも「如来」「観音」「菩薩」「明王」などなど、その違いや位置づけにも興味を持ち、簡単なガイド本を買ってみたりもしていた。

そんな感じでちょっとだけ「仏像」のことが分かってくると、今まで訪ねた所でも「興味のポイント」が変わってきてしまい、さらには「ここも訪ねてみたい」と欲も出てくる。
と言う事で、ゴールデンウィークが明けた翌週に有休を取って、久しぶりに奈良へ行ってきた。

奈良は私の住む地域からは近い。
クルマで2時間少しだから、無理すれば日帰りでも良いのだが、せっかくなので、安いビジネスホテルに泊まる1泊2日で行ってきた。

初日は「薬師寺」「唐招提寺」「新薬師寺」の3ヶ所。
本当は「奈良国立博物館」も予定していたが、最近は「じっくり」見学して説明文も読んだりするので、1ヶ所ですごく時間が掛かる。だから3ヶ所巡るだけで時間がなくなってしまう。
これは結構悩みのタネで、団体ツアーなどのペースでは絶対に満足感のある見学ができない。

●薬師寺
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山である。南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は薬師如来、開基(創立者)は天武天皇。1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。
20世紀半ばまでの薬師寺には、江戸時代後期仮再建の金堂、講堂が建ち、創建当時の伽藍をしのばせるものは焼け残った東塔だけであった。1960年代以降、名物管長として知られた高田好胤(たかだこういん)が中心となって写経勧進による白鳳伽藍復興事業が進められてきた。1976年に金堂が再建されたのをはじめ、西塔(1981年)、中門、回廊の一部、大講堂(2003年)などが次々と再建された。2017年5月には修行・食事に使われる食堂(じきどう)がほぼ完成し、復興事業は最終段階を迎えている(Wikipediaより抜粋)。

20年くらい前に1度訪ねたことがある。
有名な「薬師三尊像」を見て、再建された西塔があったのを覚えていた。
到着して最初に気づいたのは「修学旅行のシーズン」ということ。学生の団体がいて「これは堪らない」と思ったが、仕方ない。とは言え「日光・月光菩薩」の前が混雑していたくらいで、他のところはそうでもなく、ゆっくりと見学できた。
「日光・月光菩薩」は、やっぱり魅力的な仏像で、本当だったらじっくり静かに味わいたいものだが、多くの修学旅行生がいても、その魅力はビンビン感じることができた。
以前来た時よりも「大講堂」「食堂」が増え、その代わりに昔からある「東塔」は大修理中で見られなくて残念だった。

行った時は「西塔」「釈迦八相のうち後半の四相(果相)にあたる諸像」が特別公開されていて、せっかくの機会なので、見学した。入り口には「撮影はご遠慮ください」と張り紙があったが、私よりちょっと年上のオジサンが一眼レフでバシャバシャ撮影していた。
「ここって撮影ダメなんじゃないですか?」というと「遠慮しろと言っているだけで、禁止とは書いていない」と言って平気な顔をしていた。ちょっと日本人として恥ずかしいなぁと思ったが、これ以上言うのもバカバカしくて、そのまま見学を続けた。
まだ、こんな厚顔無恥な日本人もいるんだな。

薬師寺は法相宗の大本山で、その始祖(宗教用語では「鼻祖」というらしい)である「玄奘三蔵(=西遊記の三蔵法師)」の伽藍として「玄奘三蔵院伽藍」が一番奥にあり、そこまで歩いた。
途中「写経道場」もあり、一時期「東塔」くらいしか残らない「荒れ寺」になってしまっていた薬師寺だったそうだが、ずいぶん整理されて、往時の広さも「ちょっとだけ」実感できる感じになってきていた。(つづく)

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2018年3月26日 (月)

日光東照宮の旅(その1)

ここ数年行きたいと思っていた「日光東照宮」に行って来た。
有名な陽明門の大修理がきっかけだが、例によってその話題が盛り上がっている時は混んでいるだろうと様子を見ていた。20180326

「日光東照宮」は中学校の修学旅行以来。
だから46年くらい前の事か?
この時、「いろは坂」でバスに酔い東照宮到着の時に嘔吐したことが記憶にある。
小さい頃、とても乗り物酔いが激しかったのだが、嘔吐までしたのはあまりなく、悪い思い出の地でもある。

東照宮は、若い頃はあまり興味がなかったが、このブログで紹介した「久能山東照宮」 に行った頃から、気になるようになった。
これは、それだけ歴史的知識が増えてきたせいもあるだろう。
だから同じくブログにも「上野東照宮」 のことも掲載していたりする。

さて、私の住む街から日光までは遠い。
だから「住む街から日光駅までの交通と宿泊のセット」を狙って、旅行代理店を探してみた。
すると結構な値段になる。
「鬼怒川温泉」なんかの宿泊になると、1泊なのに再雇用の身分では「ちょっと厳しいな」という値段になってしまう。
で、結局昨年松山に行った時に使った「JR系の旅行代理店」の格安なのを選んだ。

でも日光までの交通チケットを含めて予約できるコースはWEBには掲載しておらず、窓口受付しかない。仕方なく最寄の窓口に行ってきた。
例によって「旅行パンフ」は複雑で、宿泊施設と使用する列車の組み合わせで料金が変わる。
だから、パンフレットを見ながら、列車の時刻表と値段とを比較して、行く時間、帰る時間など全部決めてから申し込みに出かけてきた。
中学生のころSL撮影(今で言う撮り鉄)をやっていたおかげで、時刻表を見て計画立てるのは結構得意だ。
こんなところで、大昔の経験が役立つとは思わなかった・・・・・・。

いざ窓口に行くと、ちょっと頼りない感じの男性社員。
「こんな感じで予約したいけれど」と事前に決めてきた列車の名前と番号、そして宿泊施設名を告げて、改めて旅程を組んでもらった。
東京から日光までがJR系でなく東武鉄道になるので、ちょっと複雑そうで、事務所から先輩の女性社員が応援に来てくれて、電話したりしてくれた。

「大丈夫かなぁ」と思いつつ待っていると、一応こちらの希望通りの時刻と宿泊施設は押さえられたので予約してきた。
これが1月初めのことだった。

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2017年12月18日 (月)

樹木は生えていた方向で使用しろ

今私が業務している社屋は昭和30年代の半ばに建てられた。
ここ数年「そろそろ耐久年数が」と言われているが、私の好きな趣味の世界で言えば、戦後に復元された城(天守閣)も同じような状況にある。
20171218
最近話題になっている「名古屋城天守閣」も同じ耐久年数の関係で、「入場禁止」の動きもある。
鉄筋コンクリートの建物の耐久年数は5~60年らしい。
ところが「現存12天守」「法隆寺」「東大寺」など木造建築の方が今も建っている。
もちろん姫路城のように解体して修復して再組み立てすることができるのは木造建築の特徴でありメリットのようだが、それにしても木造建築のほうが鉄筋コンクリートよりも遥かに耐用年数が長いというのは面白い。

だから名古屋城の天守閣木造建築復元には基本的に賛成だ。
「そんな予算は高すぎる」とか「今、その必要があるのか?」など反対意見があるようだが、きちんと復元すれば、鉄筋コンクリートなんかよりも長く保てるのであれば、却って安いのではないかと思う。そして木造建築の技術も後世に残すこともできると思う。

11月のある休日にNHKアーカイブ「あの日 あのとき あの番組」という番組で「よみがえる大伽藍~薬師寺 復興事業50年~」を放送していた。
放送は1976年だから今から40年以上前の番組だが、この時の棟梁「西岡常一」が唯一弟子に教えた言葉を聞いて「なるほど」と感心した。
「樹木は生えていた方向で使用しろ」

これは、自然の材料は建物になってからも生きているということを、十二分に知っているからこそ言った言葉だろうと思うが、この言葉の中に、自然から得た材料の素晴らしさを言い表しているのだと思う。
実際には、自然の材料それも状態の良いものを使用して建築するのは、本当に高額で一般には手に届かない。
日本の気候に合う建物は、床下の通気を良くして、湿気が滞らないようにして、そして障子やふすま(木や紙)で呼吸し、土壁で乾燥や湿度を調整できるものが一番良いのだそうだ。
実際、土壁で家を作るとしたら、塗って乾燥させてととんでもなく時間を掛けないといけないから、お金も期間もどっちも超贅沢な状態でないと実現不可能だ。

ただ、何でもデジタルでお気軽に、そして低コストで創作できるようになった分、大事な「すごさ」を失っている気がする。
これは建物だけでなく、職人という人たちが携わってきた仕事のすべてに言えるのではないだろうか?
私の出身である「デザイン」も、時間とお金の掛かるものは出来なくなってきて、そういう意味でちゃんと考えるデザイナーが少なくなっている状態だ。

「樹木は生えていた方向で使用しろ」
今こそ、この言葉の意味を、しっかりと考えて捉えておく必要があると思うのは、私だけなのだろうか?

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2017年9月19日 (火)

近場の美術館巡り

ちょっと時間が過ぎてしまったが、夏休みに近場の美術館を巡ってきた。
20170911_mistukan_2ニュースによると今年は「山の日」の曜日の関係があり、各企業の夏季休暇期間が重なり、どこも大渋滞・大混雑だったようだ。
そんなこともあり、どこにも出かけない予定にしていたが、何となくiPhoneを見ていて「チラシミュージアム」 というアプリを見つけた。

そのアプリは「全国の美術館・博物館・ギャラリーで開催されるアートイベントのチラシ」が見られるという私のような人間にはありがたい道具で、さっそくダウンロードして使ってみた。
すると「安城市歴史博物館」 と言う施設で「生誕220年広重 ‐雨、雪、夜 風景版画の魅力をひもとく」をやっていることを見つけた。
「これは行かねば!」と出かけたが、入場料は500円と格安だし、施設内は涼しいし(一部寒いくらいだったが)、そして予想していた以上に広重の作品が多く、しかもゆったりと見られて最高だった。

「広重」といえば「東海道五十三次」が有名だ。
もちろん展示の筆頭にずらりあったが、状態の良いのとそうでもないのと入り混じり、それでも全宿場+異版もあり、さらに違う版元のものや、国芳との合作版などバラエティに富んだ展示で、偶然見つけて思い付きで出かけたものとしては、とても「儲けもの」なものだった。

ここは今では「安城市」と言い、私の住む街の近郊だが、「安城市歴史博物館」 のある場所は、元々「安祥城」の城址だったとのこと。
施設を出て、少し周りを巡り、今はお寺となっているところに「安祥城址跡」の石碑を見つけた。
2015年4月に「近くの穴場~西尾城」 を書いたが、本当に私の地方は、このような城址がそこら中にある。
これは、定年後の楽しみの1つとして史跡巡りを考えている私には、とてもありがたい。

そして、同じ日ではなかったが、もう1ヶ所「この時期だから」という情報を聞きつけて出かけてきた。
それはミツカン酢でお馴染みの「ミツカンミュージアム」
通常は「予約」が必要な施設なのだが、お盆期間中は「無料・見学自由」とのことで、これも「ぜひ、行かねば!」と行って来た。
当然、企業の施設なので「酢の作り方」「歴史」がメインなのだが、これがかなりちゃんとしていて、驚いたのは復元した長さ約20メートルの「弁才船」

「夏休みの自由研究に」と子供や孫を連れてきている人も多かったが、それでもゆっくり説明文を読めるゆったりさで、「これで無料」と言うことなしだった。
さらに、このミュージアムの周りは、ほんの少しだけだが「歴史の散歩道」になっており、これもゆ~~ったりと見て周り堪能した。

こうやって近場でも十分楽しめることが最近感じることで、小牧城や岐阜城など、「鉄筋コンクリートの復元だから」と行っていない施設にも出かけなくちゃと、またまた「行きたいところ」が増えている60歳なのであった。

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2017年8月21日 (月)

松山城と道後温泉への旅 その3

先週、めでたく(?)60歳になった。還暦だって!
この話題は次回にするとして、今日は前回からの続き。

「道後温泉」
からまた市電に乗って、ホテルへ。
ちょっと休憩して夕飯へ。
今回の宿泊先はビジネスホテルなので、朝食だけにして夕食は外。20170807_03
だから市内中心の「大街道」近くにホテルを取った。
ホテルにあるガイドやネットでお店を見て1件目に行ったら、「合い席なら」と言われて諦めた。
やっぱりネットで良い評価されていると混んでいる。けれど経験的に飛び込みで入っても美味しい店もある。
希望としては「鯛茶漬け」が食べられるところだったが、なかなか良さそうな所がなく、あまり高くなくリーズナブルそうなお店に入った。

これが結果として良くて、濃いしょうゆベースで食べる「鯛茶漬け」も付いていて、天ぷらもじゃこ天も、どれも美味しい定食で満腹になってしまった。
その後、「松山城」へ。
本当なら翌日の予定だったが、ちょうどその日から「光のおもてなしin松山城 2017」が始まり夜9時半まで天守閣以外は入場可能とのことで、行ってみた。

松山城は市内の小高い山の上にある城郭で、最初から歩くことは諦めてロープウエイに頼った。
近づくにつれライトアップされた天守閣が見えてきた。
お城好きとしては、さまざまな形をしたイルミネーションはちょっと邪魔だったけれど、暗闇に浮かぶ高い石垣や天守閣が幻想的で、さらに想像よりも城郭も大きく、夜のお城見物を堪能した。

そして翌日。
バイキングの朝食にも「じゃこ天」があり、前回にも書いたけれど「3食続けて」じゃこ天尽くしの松山滞在になってしまった。
13時半に松山を出発する列車なので、早めにチェックアウトして再度松山城へ。
やっぱり石垣が高い。
そして天守閣も良い。
さらに城郭としてコンパクトだけれど「升形」があちこちにあるし、「狭間」も多く、守りの堅そうな城なんだなぁと感じられた。
現存天守閣は、もう見学するだけで楽しい。歴史を読んだり、展示物を見たり、他の観光客がさっさと通り過ぎていくが、時間もあることなので、ゆっくり楽しんだ。
天守閣の窓に中国人らしい夫婦がどっかり座って動かないのには閉口したが、大きさも歴史もたっぷり楽しませてもらった。

これであとは「時間があれば」と思っていたところもあったが、あまりの暑さに高島屋に避難。
お土産もホテルで買ったし、時間まで涼んだ後に、市電でJR松山駅へ。
これ以上の場所はレンタカーが必要だと思ったが、これで松山・道後温泉としては十分に楽しんだ。
現存天守閣のうち、これで犬山城、彦根城、松本城、丸岡城、姫路城、高知城と合わせて7つ出かけた。
高知城は20代の時だったから、もう一度行きたいが、次の目標は松江城かな?

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2017年8月 7日 (月)

松山城と道後温泉への旅 その2

新幹線での岡山までは本当に「あっ」と言う間だったが、「岡山」から「松山」までは、2時間40分と少し掛かる。20170731_02

「本州四国連絡橋」を渡る時は、ちょっと盛り上がったが、島影や瀬戸内海を見ているうちに終わってしまい、四国上陸後は延々と沿線風景を眺めるだけとなった。

松山に近づくと、遠くに「松山城」を発見!そして1時過ぎに松山に到着。
到着して驚いたのが、未だに「自動改札」でない!
久しぶりに駅員に切符を手渡したが、どうやら伊予鉄道の「松山市駅」の方が中心なのだろうか?
お腹も空いていたので、駅にあるうどん屋さんで「ぶっかけ」+「じゃこ天」を食べた。
これを始めに、夕食~次の日の朝食と続けざまに「じゃこ天」を食べたが、みんな少しずつ味が違って面白かった。

予定では3~4回くらい乗るので、1日券が良いかと市電の1dayチケットを購入して市電に乗り込んだ。
ホテルは市内の中心の「大街道」なので、そこに行く市電に乗ったつもりが、その手前の「松山市駅」で電車は終着で、また乗り換えて「大街道」へ。1dayチケットにしておいて良かった!
駅からすぐにホテルがあり、チェックイン時刻より1時間も早かったが、部屋の準備が出来ており、チェックインさせてもらえた。

さっそく荷物を置いて最初の目的地の「道後温泉」へ。
しかし、今年はどこに行っても暑い。この暑いのに「温泉」と思いながらも、市電に乗って行って来た。
「道後温泉駅」に到着して、お土産通りを通って到着。
「個室は空いてますか?」と聞くと15時と中途半端な時間のせいか「今なら、すぐ良いですよ」と言われ即決。

各階に案内の人がいて、個室へ。
浴衣に着替え、最初は「霊の湯(たまのゆ)」。ほんのり温泉の匂いだけれど、肌にやさしく少し熱めで、深めの浴槽に入浴。気持ちよい~~~。
「ついに道後温泉に来たなぁ~~」と一人ニヤニヤしてしまった。
その後、「神の湯」。男性は2つあるのだが、もう暑くて片方に入っただけで、出てしまった。

この「個室コース」「坊ちゃんの間」を見られたり、「又新殿」の見学が可能で、特に「又新殿」が面白かった。ここは、昭和天皇の時代まで皇室専用のお部屋だということで、部屋の作りや武者隠しなど、興味深かった。
たまたま外人の人に通訳が案内していたが、私が道後温泉の案内にいろいろ聞くと、その答えを通訳すると言う不思議な関係で見学していたが、一番外人が食いついていたのはトイレだった。
やはり外国の人には「エンペラー」というのは、とっても厳かな感じがするものなのだろう。

最後に「道後温泉本館」を1周回って写真を撮り、お土産通りでカキ氷を食べて汗を引かせ、道後温泉公園に寄ったが、そこで出会った猫は呼んだら寄って来て、さらに私の座っているベンチに来て、ぴったりくっついて座ってきた。妙に慣れていたが、いったい野良なのか?観光客に慣れているのか?
あまりの不思議経験で、写真を撮ることも忘れてしまったが、こんな出来事も旅の面白さだ(つづく)

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