ほろ苦い想い出〜卒業制作展
経済状況がどんなに悪くても、卒業シーズンはやってくる。
私の働く業界である「デザイン」系の学校の場合、この時期には「卒業制作展」というものが開催される。
何年間かの修学の「証し」として、おそらく学校生活の中では最大級のイベントだろう。
プロになってからは「卒業制作展」には縁遠くなっていたが、ここ数年仕事や個人的な関係で再び身近かになっている。
自分自身も同系統の学校を出ているだけに、展示会をみると感慨深いものがあるが、一般に言う「初心に戻る」ということはない。
どちらかというと「プロの目」で見ているから、結構厳しい見方をしている。
そんな「卒業制作展」にはほろ苦い想い出がある。
いつものように30年近く前の話なので、思い違いや美化されている部分があると思うが、その辺は差し引いて読んでほしい。
当時の「卒業制作展」は2つテーマがあり、1つは「個人」もう1つは「グループ」で制作する事になっていた。
我々のグループ作品は提出期限の3日くらい前に完成しており、私の元の職業が「額縁屋」だったため、「パネル張り」はお手の物。
「個人」も「グループ」も、
「これで後は、提出日を待つだけ」
になっていた。
提出日には一緒に制作したグループメンバーが集まって、提出時間を待っていた(ような記憶がある)。
そんな時に他のグループから「ギリギリで間に合わないかもしれない」と言う話が舞い込み、手伝いに行く事になった。
ここからは記憶が曖昧だけれど、「最後のパネル張りだけ」と思って出掛けると、実はかなりの作業が残っており、皆で手分けして作業をヘルプ。
けれど、ヘルプ開始が遅すぎたため、結局間に合いそうもない。
そのグループの子たち(女の子ばかりだった記憶がある)からも
「もういいから、自分たちの作品を提出して来て!」
と言われても、ギリギリの時間まで粘ってみたが、諦める事に。
それで、私のグループの1人が、私たちの作品をクルマに積んで出発。
しかし、しかし、もう時間は夕方の混雑時。
私たちも「機転」が効かない若い世代。
作品搬送を1名のメンバーに任せてしまったため、彼は混雑してる街中に路上駐車する事も出来ず、渋滞にも合い、結局「5分遅刻」となってしまった。
「卒業制作展」の提出は「時間厳守」で行なわれ、1秒でも遅いと受け取ってもらえず、しかも「卒業資格」も与えられない。
私たちは夜間の学校で、みんな社会人だったため、「専門学校の卒業資格」を最重要と思っていなかったにしろ、それはそれで「ショック」だった。
そしてもっともっと「ショック」を受けたのは、「間に合わなくて手伝ってもらったグループ」の女の子たち。
あとで友人に聞いたところでは、「申し訳ない」と言って泣きじゃくっていたとか。
「そんなに気にする事ないって」
と当時は言っていたし、今もそう思っている。
そしてそんなドラマを知っているクラスメイトたちは、「卒業制作展」で私たちの作品を一番目立つ場所に展示してくれたとか・・・・。
当時、やはりショックもあって自分の卒展を見に行かなかったし、クラスメイトに会うのも避けていた記憶がある。
ちょっぴり「青春ドラマ」のような「卒業制作展の想い出」の1日であった。












































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