2018年11月26日 (月)

今日は昨日の続きでなく、明日は今日の続きじゃない

久しぶりにTVニュースを見て、ひっくり返った。
NHKの9時のニュースを見るまで、知らなかったので、最初は「何のニュース?」と思って見ていた。
そのまま夜10時に行われた「日産社長の会見」も見た。
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その後、ネットや新聞で詳しく報じられていた。
今回、日産と言う企業にも「有価証券報告書の虚偽報告」という罪もあるわけだが、日本でも行われるようになっ「司法取引」により、検察に協力したとの事。
「50億円」なんて数字を言われても、ピンと来ないけれど、日本の基幹事業の1つである自動車産業に、大きな激震が走っていくことに間違いない。
 
このニュースを見て、最初に浮かんだ言葉は「驕れる者久しからず」
もっと短い言葉だと「驕る平家」ともいうが、ことわざってのは面白くて、いろんな場面に当て嵌まるものがある。
江戸時代小説を読んでいて覚えた言葉に「天網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)」があるが、今回、まさにそれだった。
 
ゴーン氏の話は金額も巨額だし、立場が雲上人なのだが、もっとスケールが小さい話になると、自分たちの周りに同じような話がゴロゴロある。
 
長くいろいろなところで働いていると、いろんな事件に出会う。
個人的な感覚としては、企業内の小さな不正は営業系、経理系が多い気がする。
私の身の回りで起きたのは、営業系が多い。
 
●大きなお客様を獲得していた担当が、伝票不正発覚し、退職した。
 
●何度も社内表彰された営業部長が、経費不正発覚し、子会社への出向になった。
 
●お客様の販促物の管理を、伝票不正により長年隠蔽。部長は退職した。
 
●在庫管理ずさんなことが発覚し、降格の上、別部署への移動となった。
 
こんなふうなことがここ数年の間で、どんどん出てくる。
なので、定年になった時に、今の私の上司である(年下だけれど)本部長は「そういうこともなく、無事に部長を終えて、定年を迎えたことは目出たいと思うよ」と言ってくれた。
ただ、こんなに次々いろいろなことが発覚したのを近くで見ていると、冒頭に挙げた「驕る者久しからず」という言葉と、「明日も今日の続きのまま、バレずに済むと思うな」という言葉が頭を過ぎる。
やっぱり「お天道様に顔向けできないような」人生を送らないことが大切だと、このビッグニュースを見て、わが身を振り返った。

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2018年10月29日 (月)

ニュースの多様性

先週ニュースとネットを見ていて、立て続けに同じようなことを思った。
 
1つ目は「プリンセス駅伝での四つんばいでのタスキリレー」
最初、これはクルマの中のテレビでアナウンサーが話していたのを聴いただけだったので、「脱水症状か何かで倒れたのかな?」くらいに思っていていた。
その後、夜のニュースなどで詳しく説明されたので状況がわかった。
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最初の印象はこうだ。
「厳しい練習してきたから、『私のところでタスキを途切れさせたくない」と思ったのだろうなぁ」。
ところがその後、そのチームの監督から「あれを美談にしないでくれ」「棄権を申し出たのに、制止してくれなかった」などのコメントが出た。
 
この監督の気持ちが一番よく分かるコメントがこうだ。
「膝から血を流してまで競技するなんて、今後の彼女の身体が心配です」
タスキを繫げようとした選手の気持ちも分かるが、指導者として選手の人生までも視野に入れていることに驚いた。
だからこそ単純な「美談にしないでくれ」と言ったのだろう。
 
2つ目はフリージャーナリストの「シリアでの拘束からの解放」
これも最初の印象はこうだ。
「生きて解放されて良かったなぁ」「日本政府は身代金とか払ったのだろうか?」
とにかく「生きて解放されて良かった」感が強かった。
 
その後、彼の過去のツィッターに「自己責任で行くのだから、日本政府は邪魔をするな」と言ったコメントしていると批判も出てきた。
このコメントが真実だとすると、彼の考え方が幼稚だなと感じる。
 
「自己責任」で危険地区に行って、今回のようなことになれば国として「自己責任で行っているから、知りません」なんて言えない事くらい、大人だったら想像つくだろう。
だから、批判的なことを言われても仕方ないなぁと感じている。
 
この2つに共通するのは、「1つの方向性」だけのニュースでなく「違う方向からの」ニュースが流れたということだ。
特に2つめの話は「過去のSNSの発言」を元に、彼の「人間性やジャーナリストとしての考え方」に対する議論になり、いかにも「多面的情報時代」らしい展開になっている。
 
この「過去のSNS発言」は、時には「重箱の隅突き」のようになることがあるが、今回のような時には大きな問題点となることが分かった。
一般の人が気軽にSNSで情報発信をする時代。
時に、お見合いの事まで載せたり、付き合う相手の過去を調べたりしているなどのニュースを聞いたばかりだった。
そんなことは「くだらない」と思っていたが、今回の2つのニュースを見ていると「多様な情報」が捕まえやすい時代になったのだと大きな変化に気づくことができた。
 
「ダイバーシティ」とは多様性のことだが、「情報」にも多様性はとても大事なのだと、そのことを忘れずにネットやニュースを眺めなくてはと、2つのニュースから感じた。

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2018年1月29日 (月)

たくさんの発信出口と少ない情報

昨年4月に役職定年になり、毎週出ていた早朝会議に出なくなった。
さらに定年再雇用になり、気楽になったせいもあり、それまで始業時刻の1時間以上前に出社していたのが、ギリギリ近くの出社になっている。
その変化で気づいたのが、朝のワイドショーのつまらなさだ。

20180129クルマ通勤で、その車内でTVを点けているが、8時以降はNHKとテレビ東京系以外はどの局もワイドショーばかりだ。
しかも各局流れる情報は、みんな一緒。
昨年後半は、ずっと「大相撲」のことばかり流していた。
何か事件があっても、どの局も同じような順番で話題を進行していく。
まるで各局で協定を結んでいるように、本当に同じ順番なのは、びっくりする。

「じゃ、ラジオでも」とFMにすると「道路情報」「CM」ばかり。
会社についてネットのニュースを見ても、同じようだし、下手をすると「ワイドショー」の内容をわざわざアップしている記事すらある。
さらに、スマホの複数のニュースアプリはどうかと言えば、これも結局同じような情報が流れている。

こうして自分の情報入手の手段を振り返ると、圧倒的に「プル型」の入手が多いのに気づく。
「ブル型」とはいろんな意味で使われるが、要は「自分が興味あるものをチョイスして受信している」と思ってもらっていい。
インターネットの情報は、この典型だ。

この対抗に「プッシュ型」があるが、これは「こちらに興味があるかないかに関係なく発信されている」もの。具体的には新聞とかマスメディアで、インターネット登場前は、「プッシュ型」が圧倒的に多かった。

どちらにもメリット・デメリットがあるが、「プル型」の最大のデメリットは「自分が興味あること以外の情報を入手していない」ということになる。
だから、私の周りには本当に一般のニュースを知らずに生活している人が多い。
そして年齢が下がれば下がるほど、世間一般例えば、ニュースや新聞で取り上げられている情報について全く知らないことが多い。

インターネットが登場して、ものすごくたくさんの情報が世界中を駆け巡るようになったけれど、あまりに多すぎて結局「自分好みの情報」しか受信しなくなった。
そして、TVのワイドショーは昔から「井戸端的話題」ばかりの話題だから、ワイドショーとネットからしか情報を得ていない人は、とっても限られた情報しか入手していないことになる。

古くは「かわら版」から始まり、新聞・ラジオ・雑誌・TVと拡大し、そしてインターネット・ニュースアプリと「発信される出口」は増え続けているけれど「受け取られる情報」は、少なくなっているような気がしてならない。

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2017年5月29日 (月)

「便利な社会」の見直しが始まるか

ちょっと時間が経ってしまったが、GWが始まった4月の最終に、「やっと本質に触れる記事」と思うことがあった。
それは昨年起きた代理店であるD社のことを特集として取り上げた連載記事だった。20170529_benri

最初はニュースやワイドショーや初期の新聞記事に書かれていたような「企業側に大きな原因・責任がある」という話だった。
実際に「自殺者を出した」という現実から「企業側に大きな責任がある」というのは間違いない。
でも、少しだけそのD社と同じような仕事をしており、日頃感じている疑問に対しては、「何の答えにもなっていない」と思っている。
これは、今までこのブログでも何度も書いたけれど「顧客のニーズ」に問題はないのか?ということに立ち戻る。

この「顧客のニーズ」にスポットを当てていたのが、冒頭で紹介した「本質に触れる記事」だった。
この記事の大見出しは「『お客様は神様』限界に」となっており、記事中のタイトルには「過剰サービス社会 見直しに」となっている。

この記事には「深夜残業原則禁止」と言われても、お客様側から「会社のメールや携帯が使えないなら私用を教えろ」と言われる現実と「残業を減らせと言われても、我が社だけでは無理」という企業の言い分が描かれていたが、とてもリアルな出来事と感じ、この問題の「本質に触れた」と書いた。

スキーバスの事故 で多数の学生が亡くなった時も、同様のことを書いた。
「その安さを求めたのは、誰だったのか?」それを無いことにして「責任は企業にある」というのはおかしくないか?

言うまでもなく、企業は利益が必要になる。
利益を上げるためには、運営のための経費以上の収入がないと成り立たない。
収入を得るには、当然受注しないといけない。
だから、顧客のニーズにできるだけ応えて受注に結びつけたい。
今の企業の経営ロジックは、概ねこんな感じだ。

「顧客のニーズ」は重要だけれど、時には過剰な「顧客のわがまま」になる時がある。
「人や設備が動く場合には、コストがかかる」の大原則で言えば、見積もり作成時になかった作業や項目があれば、追加見積もりになるのは当たり前だ。
ところが、それがウチの会社だけなら良い。
「いいですよ、追加料金なしでやりますよ」という会社が出てくるから、困る。

実際には利益を削っているにも関わらず「企業努力で、ちゃんと利益は出てます」と言っちゃうから、お客様からは、どんどん「ニーズ」が増えてくる。
で、結局「サービス残業」で夜中までやって対応して、お客様は満足するけれど、人を雇えるほど利益は出ない。出ないから、またサービス残業で凌ぐ。

そしてお客様は「やってもらうのが当たり前」になって、わがままの顧客に対応し続け「過剰サービス」「便利すぎる社会」が生まれてきたのではないだろうか?
今回だけに限らない「働きすぎ」とか「過重労働」とか「サービス残業」などの問題は、この社会構造が間違っていないか?という議論をしないと本当の解決につながらないのではないだろうか?

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2017年1月30日 (月)

「魅力ある街」と「居心地の良い街」

「都道府県別魅力度ランキング」「茨城が4年連続最下位だ」とネットに載っていた。
「茨城」は個人的には縁がなく、(おそらく)行ったこともないので「へぇ~~」という程度の感想だ。Sumiyasusa
ちなみに私の住んでいる街は昨年「全国の主要8都市の中で『魅力に欠ける街』最下位」に選ばれ、ニュースになった。
ところがいずれも実際に住んでいる人たちの「愛着度」はとても強いようだ。

私はもともと今住んでいる街の出身ではない。
クルマで1時間半ほど離れたG県の小さな田舎町の出身だ。
もう人生の大半を、今の街で生きているが、この「出身地」意識というものは変なもので、私自身未だに「G県人」と思っている。

余談だが、この「○○出身」という意識は不思議な意識だ。
私の知っている限りタモリにしろ、吉田拓郎にしろ人生を過ごした期間は圧倒的に東京の方が長いのに未だに「博多」とか「広島」とかよく口にする。
一度この「出身地意識」というものを、中野信子さんの「脳科学」的に誰か解説して欲しいものだ。

さて、冒頭に書いた「ランキング」に挙げた「魅力」というものとは一体なんだろう。
2つのランキングと愛着度の傾向を見ると、外から見る「魅力」と住んでいる人の感じる「愛着」とには、もの凄い差異があることが分かる。
この差異ってどこから来るのだろう。

私が住んでいる街と私自身を例に挙げると、その差異が少しだけ見えてくる気がする。
先に書いたように私自身がこの街の出身ではないけれど、長く住んでいる。
そしてこのブログでも紹介するように、けっこうあちこちに(温泉と史跡中心だが)旅行に行く。
そんなことを総合して今住んでいる街を「魅力的か?」と問われれば「NO」と答える。

戦国時代の三英傑の出身地も近いし、それに伴う史跡もあちこちにある。
お城だって復元ではあるが、かなり大規模な状態で残っている。
そして温泉だって、県内や近県にかなりある。
さらに言えば、国内的には、それなりの大都市であり交通の便も悪くない。
けれどやっぱり「魅力的」とは感じていない。

感じていないけれど「居心地良い街か?」と問われれば「Yes」と即答する。
私の出身地のように交通の便や働く場所に困ることはないし、買い物する場所や(個人的には興味ないけれど)アミューズメントな施設もけっこうある。
それに日本最大のクルマメーカーのお膝元でもあるため、クルマ中心の街で道路も広い。
先に挙げた「史跡」「温泉」が近いことも「居心地が良い」と感じる項目に挙げられる。

私の街の市長は、「全国の主要8都市の中で『魅力に欠ける街』最下位」だったことをかなり残念がっており各媒体で「なんとかしないと」と言っているが、住んでいる住民からすれば「魅力より居心地の良さ」の方を優先しているんじゃないだろうか?
たしか結婚前に、割と「魅力的な街」と言われる動物園が近くある住宅街の団地に住んだことがあるが、土日の休みには混雑するし、月極め駐車場はなかなかないし、決して「居心地が良い」と思ったことがなかった。

「魅力的」「居心地が良い」が決してイコールではない。
そう思うと、ランキングとかマーケティングと言ったものの怪しさが見えてくる気がする。

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2016年5月28日 (土)

【備忘録】米大統領の広島訪問

今日は、土曜の出勤日。
さらに言えば、有給取得促進日(会社から、出来るなら有給取得してね?という有給取得施策の1つ)なので、普通なら休む。
実際に、会社に出社している人数は、とても少ない。20160528

しかし、先月は体調不良で、今月は「姪の結婚式」「若冲展」などで、立て続けに有休を取った。
欧米人から見れば信じられないだろうが、そんな状況のためにちょっと遠慮して今日は出勤している。

今週「伊勢・志摩サミット」が行われたが、それは私の住む地域に近い。
「オバマ大統領が中部国際空港に降り立った」というニュースを見て、何だか変な感じを持ったし、サミットの1カ月以上前から、高速道路には「サミットのため規制がある」と情報発信されていた。

私自身に直接影響はなかったけれど、「トラック便に影響が出る」とか「営業は時間の余裕を持って」などと社内でも注意喚起が行われていた。
さらに、サミット前日にはわが家のマンション上空を夜9時くらいに飛んでいくヘリコプターの音が聞こえ、やはりいつもとは違う感じではあった。

サミットそのものは、あっと言う間に終わり、特にテロのようなことも発生せず「やはり日本は安全な国」と思った(それなりに厳重な警備だったが・・・)
そのサミットよりも関心を呼んだのが、オバマ大統領の「広島訪問」

滞在時間わずか1時間。
ショートスピーチの予定が17分間におよぶ演説だったこと。
被爆者(そういえば、演説の中で「HIBAKUSYA」と語っていたのは、驚いた)と少しだけ語り、握手し、抱擁したこと。


謝罪は求めない。
謝罪してほしかった。
もっと、ゆっくり資料館を見てほしかった。
長崎にも来てほしかった。


立場やその人の送ってきた人生や、そして立場によっていろいろな意見があるようだ。
でも、私は素直に「アメリカの大統領が広島にやってきて語った」ことを大きな出来事として嬉しく思った。
原爆ドームを背景に、アメリカの大統領が哀悼のメッセージを含めたスピーチを行った姿には、胸を打つものがあった。

私は常々「原爆投下は正しい判断だった」と公言するアメリカの人には「どんな意見を持っていても良いから、一度原爆資料館を見てほしいなぁ」と思っていた。
アメリカの軍人だって、中国や韓国のように日本に占領されて攻められた国の人にだって、いろんな意見や考え方があると思うし、私はそれを否定はしない。
ただ原爆資料館を見てほしいなぁ。
あの展示物や説明を見て「何か」を感じてほしいなぁと思う。

今回、オバマ大統領が広島訪問したことがきっかけで、いろんな国の多くの人たちが広島や長崎に訪れ、資料館を訪れてくれるならば、それだけでも意味のあったことだと私は思う。

私の住む地方の近くでサミットがあったこと、そしてアメリカ大統領が広島を訪れたこと。
この2つを備忘録としてブログの話題にした。

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2016年4月25日 (月)

CMのチカラ(熊本地震によせて)

このブログでは東日本大震災が起きた時に、連続して関連の事項を書いたことがある。
あれは備忘録的であり、なおかつそれまで経験のない規模の災害であり、そのままいつもの日常を送るにはショックすぎる出来事だという色んな想いが詰まって書いたことを覚えている。

最初は局地的であり、とても表層的な地震だったと思えていたのだが、最初と次の日は、夜中の間ずっとスマートフォンの地震警報が鳴り響くという異常な状態となった。
私のスマホは「震度5以上」でないと通知されない設定にしてあったが、それが頻繁に鳴る。
「おかしいなぁ」と思ったら2日目の夜中のものが「本震でした」と訂正発表があった。

「やっぱり何も分からないんだなぁ」

最初に話題にした東日本大震災や、1年半前の御嶽山の突然の噴火の時も、もう少し身近な例で言えば、梅雨から夏に起きるゲリラ豪雨にしても、ほとんどのことが発生前には把握できていない。

私が2歳の時に伊勢湾台風が来て、甚大な被害を受けたことがきっかけで富士山レーダーができ、そして今では宇宙からカラー映像で気象やGPSでのズレを監視できるようになった。
伊勢湾台風の時代からすれば、ものすごい科学力を持って自然と対峙しているけれど、でも今回も無力だった。

そんなことを思っていたら、ネットに「九州新幹線のCMが再び話題に」と載っていた。
ちょうど東日本大震災の2日前に開通した九州新幹線だったが、ほとんどTVに流されなく、でもあの当時でも「元気をもらえた」と話題になったCM。
今回、また「九州」ということで話題になった。
YouTubeにあるので、見てみたら、やっぱり良かった。

そして「ああ、CMには、こんな力があったよね」と自分が若かった頃思っていた気持ちを思い出した。
商品名や企業名を覚えてもらうだけでなく、形のない何かエナジーなものを心に気づかせてくれる。
CMには、こんなチカラもあることを、今回の震災が改めて気づかせてくれた。

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2016年2月 8日 (月)

「構造的問題」と言うのなら

これも時間が経ったけれど、「軽井沢スキーバス転落事故」の件からの話。
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ツアー運営会社やバス運行会社への批判や違法行為だと騒がれているが、そんなの事故が起きた時に「ぜったいそういう問題になる」と思っていた。

なぜなら、2012年6月に「行き過ぎた値下げは、事故の時だけ騒がれる」の時に書いた通りで、絶対にギリギリ以上のコスト削減をしていると、こういうことは起こり得ると分かっているじゃないかと思う。

「生命が関わることは、コストより安全」と、こういう時だけ言われる綺麗ごとなんかには、何の説得力もなく、さらには「これから将来ある若者が犠牲になった」なんてコメントには、怒りも感じる。
まるでツアー運営会社やバス運行会社は「悪の固まり」みたいな言い方で、すべての責任が、それらの会社にあるみたいな言い方だからだ。

「行き過ぎた値下げは、事故の時だけ騒がれる」 にも書いたように「激安価格」を取り上げるマスコミや、それを喜ぶ消費者には、全く責任はないのだろうか?と思う。

「企業努力でコスト削減」とよく言われるけれど、それもやっぱり綺麗ごとに聞こえる。
確かに「企業努力」は必要だと思う。
でも、今の状態はもうやるべきことはやり尽くしていて、もう「人件費」を削っていくしかない状態になっている。

このような現状を理解した誰かがTVで「競争激化が招いた構造的な問題」だと言っていた。
今回のような話は、どこか特別な業界の話でなく、すべての業界で、仕事として成立しなくなってきていると最近は特に感じる。

世間では「景気はゆるやかに回復している」と言われ、大企業の利益は上昇しているが、その大企業自体はBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)と言う名なの丸投げが横行している。

当社のお得意先はそれなりの企業が多いが、もうどのお客様も「提案してください」「これもお願いします」「入札にします」と言うだけで、自分たちがどうしたいかは何も言えなくなっている。

それでいて、給料はウチの会社と比べて断然よい。
こんなことがこれからも続くのなら、『ちゃんと考え、ちゃんと作る人間』はいなくなる気がする。

中国のことを「ひどい国だ」と笑っていられるような状態じゃないと思うし、このような構造的な課題を抱えている国だと、政治家も真剣に議論すべきじゃないだろうか?

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2016年2月 1日 (月)

SMAPがNHKで放送される国

この記事が公開される頃には、少し時間は経ってると思うが、備忘録として……。
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今日から2月になる。
1月は芸能人ネタで、ワイドショーやネットが盛り上がっていた。
その中でもこの「SMAP」の話は、すごく興味があるわけはないけれど、それなりの関心ごとでもあり、ネットに情報が載っていれば読んだ。

発端から憶測が飛び交い、5人揃っての生放送コメントで収まるかと思ったら、あの放送は「公開処刑」だとか、彼らの所属する事務所は「ブラック企業」だとか、その事務所の副社長は「パワハラ」だとか、まぁ~いろんな意見が玉石混合で、放送前より多く飛び交った。

良く我々の仕事では「いろんな角度から課題を確認する」と言う。
そこから解決点を導き出したり、新たな課題を見つけたりするのだが、この「SMAP騒動」は、本当に「いろんな角度」からネットを通して発信される。

この「いろんな角度」は、ネット時代だから素早く実現するのだろうなぁと今回また新たに発見した想いだが、先の「ブラック企業」「パワハラ」などの発信は、今の時代を反映した角度だと感心した。

さらには弁護士のコメント紹介として「本当に今回の出来事は法的に問題あるのか?」なんてこともされているし、「副社長を解任しよう」と何の拘束力もないけれど、署名運動が始まったりと、やっぱり「SMAP」の影響力は尋常ではないのだと、思い知っているところだ。

と、ここまで、ある意味「野次馬的根性」で私も面白がっていたが、解散騒動や生放送をNHKの7時のニュースで取り上げられたことには、正直驚いた。

確かに、書いてきたようにネットにワイドショーに、新聞に大騒ぎの出来事だ。
美空ひばりや石原裕次郎が亡くなった時も、たぶんニュースで流れたと思うが、それは時代を代表する芸能人の死亡だから、分からなくない。

でも今回は引退するわけでもなく、死亡したわけでなく、「解散するかも」というレベルの話。
それを国営放送のしかもゴールデンタイムの7時台のニュースに流すくらいにニュースバリューがあることなのだろうか?

驚きながらニュースを見ていたが、さらに違った角度で見れば、それだけ日本という国は、今のところ平和で安心な国だという証拠なのかもしれないなぁとも思った出来事だった。

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2015年8月17日 (月)

「小泉今日子が離婚した理由」の記事にある共感

本日、めでたく?58歳となった。
いよいよ定年や還暦まで2年。スゴイ!たった2年で60歳になるんだ!0817_koizumi

それはさておき、7月の終わりにちょっと面白い記事をネットでみた。
題して「小泉今日子が離婚した理由」
「日本文学研究者である助川幸逸郎氏が、現代社会における“小泉今日子”の存在を分析」している。
記事は「小泉今日子と永瀬正敏は離婚した」ことから、始まる。

この離婚の原因は、二人の人間性の違いからだと書いてある。
これって離婚の原因で良く使われる言葉だが、ここでは、明確に説明している。
小泉今日子は、「遠大な目標」にこだわり過ぎず、「お客の目から見たちょうどよいかっこよさ」を探れるのが特徴だと言っている。
それに反し永瀬正敏は「理想をめざしてストイックに役づくりする俳優」だと。

その結婚生活や違いに関することは、その記事に詳しく書いてあるので、良かったらリンクして読んでみてください。
記事の最後に、こんなコメントが載っていた。

「才能があること」や「幸運に恵まれること」は、短いスパンで見ればもちろん「いいこと」です。ただし、それがその人にとってどういう意味を持つのかは、生きている限り揺れつづけます。

このコメントは、今の私には妙に浸み込んできた。
これは、きっと58歳を迎えるという年齢にも関係するのだろう。
20代の頃に感じていた「幸せ」というものと、今とはずいぶん違う。
そして、この記事に書かれているように「才能」とか「幸運」ということって、その一瞬の感じ方だけでは決まらないのだということを、まさに実感として味わってきた。

今、60歳を2年後に控えたこの時点では「とりあえずは幸せ」かな?
そして、ここまでクリエイブに関わる仕事が続けられたということは、同じく今の時点では「才能」が少しはあったということなのだろう。
この記事に書かれた「その人にとって、その人生にとって、どんな意味を持つのか?は永遠のテーマ」は、覚えておきたい言葉だった。

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