2017年5月29日 (月)

「便利な社会」の見直しが始まるか

ちょっと時間が経ってしまったが、GWが始まった4月の最終に、「やっと本質に触れる記事」と思うことがあった。
それは昨年起きた代理店であるD社のことを特集として取り上げた連載記事だった。20170529_benri

最初はニュースやワイドショーや初期の新聞記事に書かれていたような「企業側に大きな原因・責任がある」という話だった。
実際に「自殺者を出した」という現実から「企業側に大きな責任がある」というのは間違いない。
でも、少しだけそのD社と同じような仕事をしており、日頃感じている疑問に対しては、「何の答えにもなっていない」と思っている。
これは、今までこのブログでも何度も書いたけれど「顧客のニーズ」に問題はないのか?ということに立ち戻る。

この「顧客のニーズ」にスポットを当てていたのが、冒頭で紹介した「本質に触れる記事」だった。
この記事の大見出しは「『お客様は神様』限界に」となっており、記事中のタイトルには「過剰サービス社会 見直しに」となっている。

この記事には「深夜残業原則禁止」と言われても、お客様側から「会社のメールや携帯が使えないなら私用を教えろ」と言われる現実と「残業を減らせと言われても、我が社だけでは無理」という企業の言い分が描かれていたが、とてもリアルな出来事と感じ、この問題の「本質に触れた」と書いた。

スキーバスの事故 で多数の学生が亡くなった時も、同様のことを書いた。
「その安さを求めたのは、誰だったのか?」それを無いことにして「責任は企業にある」というのはおかしくないか?

言うまでもなく、企業は利益が必要になる。
利益を上げるためには、運営のための経費以上の収入がないと成り立たない。
収入を得るには、当然受注しないといけない。
だから、顧客のニーズにできるだけ応えて受注に結びつけたい。
今の企業の経営ロジックは、概ねこんな感じだ。

「顧客のニーズ」は重要だけれど、時には過剰な「顧客のわがまま」になる時がある。
「人や設備が動く場合には、コストがかかる」の大原則で言えば、見積もり作成時になかった作業や項目があれば、追加見積もりになるのは当たり前だ。
ところが、それがウチの会社だけなら良い。
「いいですよ、追加料金なしでやりますよ」という会社が出てくるから、困る。

実際には利益を削っているにも関わらず「企業努力で、ちゃんと利益は出てます」と言っちゃうから、お客様からは、どんどん「ニーズ」が増えてくる。
で、結局「サービス残業」で夜中までやって対応して、お客様は満足するけれど、人を雇えるほど利益は出ない。出ないから、またサービス残業で凌ぐ。

そしてお客様は「やってもらうのが当たり前」になって、わがままの顧客に対応し続け「過剰サービス」「便利すぎる社会」が生まれてきたのではないだろうか?
今回だけに限らない「働きすぎ」とか「過重労働」とか「サービス残業」などの問題は、この社会構造が間違っていないか?という議論をしないと本当の解決につながらないのではないだろうか?

| | コメント (0)

2017年1月30日 (月)

「魅力ある街」と「居心地の良い街」

「都道府県別魅力度ランキング」「茨城が4年連続最下位だ」とネットに載っていた。
「茨城」は個人的には縁がなく、(おそらく)行ったこともないので「へぇ~~」という程度の感想だ。Sumiyasusa
ちなみに私の住んでいる街は昨年「全国の主要8都市の中で『魅力に欠ける街』最下位」に選ばれ、ニュースになった。
ところがいずれも実際に住んでいる人たちの「愛着度」はとても強いようだ。

私はもともと今住んでいる街の出身ではない。
クルマで1時間半ほど離れたG県の小さな田舎町の出身だ。
もう人生の大半を、今の街で生きているが、この「出身地」意識というものは変なもので、私自身未だに「G県人」と思っている。

余談だが、この「○○出身」という意識は不思議な意識だ。
私の知っている限りタモリにしろ、吉田拓郎にしろ人生を過ごした期間は圧倒的に東京の方が長いのに未だに「博多」とか「広島」とかよく口にする。
一度この「出身地意識」というものを、中野信子さんの「脳科学」的に誰か解説して欲しいものだ。

さて、冒頭に書いた「ランキング」に挙げた「魅力」というものとは一体なんだろう。
2つのランキングと愛着度の傾向を見ると、外から見る「魅力」と住んでいる人の感じる「愛着」とには、もの凄い差異があることが分かる。
この差異ってどこから来るのだろう。

私が住んでいる街と私自身を例に挙げると、その差異が少しだけ見えてくる気がする。
先に書いたように私自身がこの街の出身ではないけれど、長く住んでいる。
そしてこのブログでも紹介するように、けっこうあちこちに(温泉と史跡中心だが)旅行に行く。
そんなことを総合して今住んでいる街を「魅力的か?」と問われれば「NO」と答える。

戦国時代の三英傑の出身地も近いし、それに伴う史跡もあちこちにある。
お城だって復元ではあるが、かなり大規模な状態で残っている。
そして温泉だって、県内や近県にかなりある。
さらに言えば、国内的には、それなりの大都市であり交通の便も悪くない。
けれどやっぱり「魅力的」とは感じていない。

感じていないけれど「居心地良い街か?」と問われれば「Yes」と即答する。
私の出身地のように交通の便や働く場所に困ることはないし、買い物する場所や(個人的には興味ないけれど)アミューズメントな施設もけっこうある。
それに日本最大のクルマメーカーのお膝元でもあるため、クルマ中心の街で道路も広い。
先に挙げた「史跡」「温泉」が近いことも「居心地が良い」と感じる項目に挙げられる。

私の街の市長は、「全国の主要8都市の中で『魅力に欠ける街』最下位」だったことをかなり残念がっており各媒体で「なんとかしないと」と言っているが、住んでいる住民からすれば「魅力より居心地の良さ」の方を優先しているんじゃないだろうか?
たしか結婚前に、割と「魅力的な街」と言われる動物園が近くある住宅街の団地に住んだことがあるが、土日の休みには混雑するし、月極め駐車場はなかなかないし、決して「居心地が良い」と思ったことがなかった。

「魅力的」「居心地が良い」が決してイコールではない。
そう思うと、ランキングとかマーケティングと言ったものの怪しさが見えてくる気がする。

| | コメント (0)

2016年5月28日 (土)

【備忘録】米大統領の広島訪問

今日は、土曜の出勤日。
さらに言えば、有給取得促進日(会社から、出来るなら有給取得してね?という有給取得施策の1つ)なので、普通なら休む。
実際に、会社に出社している人数は、とても少ない。20160528

しかし、先月は体調不良で、今月は「姪の結婚式」「若冲展」などで、立て続けに有休を取った。
欧米人から見れば信じられないだろうが、そんな状況のためにちょっと遠慮して今日は出勤している。

今週「伊勢・志摩サミット」が行われたが、それは私の住む地域に近い。
「オバマ大統領が中部国際空港に降り立った」というニュースを見て、何だか変な感じを持ったし、サミットの1カ月以上前から、高速道路には「サミットのため規制がある」と情報発信されていた。

私自身に直接影響はなかったけれど、「トラック便に影響が出る」とか「営業は時間の余裕を持って」などと社内でも注意喚起が行われていた。
さらに、サミット前日にはわが家のマンション上空を夜9時くらいに飛んでいくヘリコプターの音が聞こえ、やはりいつもとは違う感じではあった。

サミットそのものは、あっと言う間に終わり、特にテロのようなことも発生せず「やはり日本は安全な国」と思った(それなりに厳重な警備だったが・・・)
そのサミットよりも関心を呼んだのが、オバマ大統領の「広島訪問」

滞在時間わずか1時間。
ショートスピーチの予定が17分間におよぶ演説だったこと。
被爆者(そういえば、演説の中で「HIBAKUSYA」と語っていたのは、驚いた)と少しだけ語り、握手し、抱擁したこと。


謝罪は求めない。
謝罪してほしかった。
もっと、ゆっくり資料館を見てほしかった。
長崎にも来てほしかった。


立場やその人の送ってきた人生や、そして立場によっていろいろな意見があるようだ。
でも、私は素直に「アメリカの大統領が広島にやってきて語った」ことを大きな出来事として嬉しく思った。
原爆ドームを背景に、アメリカの大統領が哀悼のメッセージを含めたスピーチを行った姿には、胸を打つものがあった。

私は常々「原爆投下は正しい判断だった」と公言するアメリカの人には「どんな意見を持っていても良いから、一度原爆資料館を見てほしいなぁ」と思っていた。
アメリカの軍人だって、中国や韓国のように日本に占領されて攻められた国の人にだって、いろんな意見や考え方があると思うし、私はそれを否定はしない。
ただ原爆資料館を見てほしいなぁ。
あの展示物や説明を見て「何か」を感じてほしいなぁと思う。

今回、オバマ大統領が広島訪問したことがきっかけで、いろんな国の多くの人たちが広島や長崎に訪れ、資料館を訪れてくれるならば、それだけでも意味のあったことだと私は思う。

私の住む地方の近くでサミットがあったこと、そしてアメリカ大統領が広島を訪れたこと。
この2つを備忘録としてブログの話題にした。

| | コメント (0)

2016年4月25日 (月)

CMのチカラ(熊本地震によせて)

このブログでは東日本大震災が起きた時に、連続して関連の事項を書いたことがある。
あれは備忘録的であり、なおかつそれまで経験のない規模の災害であり、そのままいつもの日常を送るにはショックすぎる出来事だという色んな想いが詰まって書いたことを覚えている。

最初は局地的であり、とても表層的な地震だったと思えていたのだが、最初と次の日は、夜中の間ずっとスマートフォンの地震警報が鳴り響くという異常な状態となった。
私のスマホは「震度5以上」でないと通知されない設定にしてあったが、それが頻繁に鳴る。
「おかしいなぁ」と思ったら2日目の夜中のものが「本震でした」と訂正発表があった。

「やっぱり何も分からないんだなぁ」

最初に話題にした東日本大震災や、1年半前の御嶽山の突然の噴火の時も、もう少し身近な例で言えば、梅雨から夏に起きるゲリラ豪雨にしても、ほとんどのことが発生前には把握できていない。

私が2歳の時に伊勢湾台風が来て、甚大な被害を受けたことがきっかけで富士山レーダーができ、そして今では宇宙からカラー映像で気象やGPSでのズレを監視できるようになった。
伊勢湾台風の時代からすれば、ものすごい科学力を持って自然と対峙しているけれど、でも今回も無力だった。

そんなことを思っていたら、ネットに「九州新幹線のCMが再び話題に」と載っていた。
ちょうど東日本大震災の2日前に開通した九州新幹線だったが、ほとんどTVに流されなく、でもあの当時でも「元気をもらえた」と話題になったCM。
今回、また「九州」ということで話題になった。
YouTubeにあるので、見てみたら、やっぱり良かった。

そして「ああ、CMには、こんな力があったよね」と自分が若かった頃思っていた気持ちを思い出した。
商品名や企業名を覚えてもらうだけでなく、形のない何かエナジーなものを心に気づかせてくれる。
CMには、こんなチカラもあることを、今回の震災が改めて気づかせてくれた。

| | コメント (0)

2016年2月 8日 (月)

「構造的問題」と言うのなら

これも時間が経ったけれど、「軽井沢スキーバス転落事故」の件からの話。
20160208_basuziko
ツアー運営会社やバス運行会社への批判や違法行為だと騒がれているが、そんなの事故が起きた時に「ぜったいそういう問題になる」と思っていた。

なぜなら、2012年6月に「行き過ぎた値下げは、事故の時だけ騒がれる」の時に書いた通りで、絶対にギリギリ以上のコスト削減をしていると、こういうことは起こり得ると分かっているじゃないかと思う。

「生命が関わることは、コストより安全」と、こういう時だけ言われる綺麗ごとなんかには、何の説得力もなく、さらには「これから将来ある若者が犠牲になった」なんてコメントには、怒りも感じる。
まるでツアー運営会社やバス運行会社は「悪の固まり」みたいな言い方で、すべての責任が、それらの会社にあるみたいな言い方だからだ。

「行き過ぎた値下げは、事故の時だけ騒がれる」 にも書いたように「激安価格」を取り上げるマスコミや、それを喜ぶ消費者には、全く責任はないのだろうか?と思う。

「企業努力でコスト削減」とよく言われるけれど、それもやっぱり綺麗ごとに聞こえる。
確かに「企業努力」は必要だと思う。
でも、今の状態はもうやるべきことはやり尽くしていて、もう「人件費」を削っていくしかない状態になっている。

このような現状を理解した誰かがTVで「競争激化が招いた構造的な問題」だと言っていた。
今回のような話は、どこか特別な業界の話でなく、すべての業界で、仕事として成立しなくなってきていると最近は特に感じる。

世間では「景気はゆるやかに回復している」と言われ、大企業の利益は上昇しているが、その大企業自体はBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)と言う名なの丸投げが横行している。

当社のお得意先はそれなりの企業が多いが、もうどのお客様も「提案してください」「これもお願いします」「入札にします」と言うだけで、自分たちがどうしたいかは何も言えなくなっている。

それでいて、給料はウチの会社と比べて断然よい。
こんなことがこれからも続くのなら、『ちゃんと考え、ちゃんと作る人間』はいなくなる気がする。

中国のことを「ひどい国だ」と笑っていられるような状態じゃないと思うし、このような構造的な課題を抱えている国だと、政治家も真剣に議論すべきじゃないだろうか?

| | コメント (0)

2016年2月 1日 (月)

SMAPがNHKで放送される国

この記事が公開される頃には、少し時間は経ってると思うが、備忘録として……。
20160201_smap
今日から2月になる。
1月は芸能人ネタで、ワイドショーやネットが盛り上がっていた。
その中でもこの「SMAP」の話は、すごく興味があるわけはないけれど、それなりの関心ごとでもあり、ネットに情報が載っていれば読んだ。

発端から憶測が飛び交い、5人揃っての生放送コメントで収まるかと思ったら、あの放送は「公開処刑」だとか、彼らの所属する事務所は「ブラック企業」だとか、その事務所の副社長は「パワハラ」だとか、まぁ~いろんな意見が玉石混合で、放送前より多く飛び交った。

良く我々の仕事では「いろんな角度から課題を確認する」と言う。
そこから解決点を導き出したり、新たな課題を見つけたりするのだが、この「SMAP騒動」は、本当に「いろんな角度」からネットを通して発信される。

この「いろんな角度」は、ネット時代だから素早く実現するのだろうなぁと今回また新たに発見した想いだが、先の「ブラック企業」「パワハラ」などの発信は、今の時代を反映した角度だと感心した。

さらには弁護士のコメント紹介として「本当に今回の出来事は法的に問題あるのか?」なんてこともされているし、「副社長を解任しよう」と何の拘束力もないけれど、署名運動が始まったりと、やっぱり「SMAP」の影響力は尋常ではないのだと、思い知っているところだ。

と、ここまで、ある意味「野次馬的根性」で私も面白がっていたが、解散騒動や生放送をNHKの7時のニュースで取り上げられたことには、正直驚いた。

確かに、書いてきたようにネットにワイドショーに、新聞に大騒ぎの出来事だ。
美空ひばりや石原裕次郎が亡くなった時も、たぶんニュースで流れたと思うが、それは時代を代表する芸能人の死亡だから、分からなくない。

でも今回は引退するわけでもなく、死亡したわけでなく、「解散するかも」というレベルの話。
それを国営放送のしかもゴールデンタイムの7時台のニュースに流すくらいにニュースバリューがあることなのだろうか?

驚きながらニュースを見ていたが、さらに違った角度で見れば、それだけ日本という国は、今のところ平和で安心な国だという証拠なのかもしれないなぁとも思った出来事だった。

| | コメント (0)

2015年8月17日 (月)

「小泉今日子が離婚した理由」の記事にある共感

本日、めでたく?58歳となった。
いよいよ定年や還暦まで2年。スゴイ!たった2年で60歳になるんだ!0817_koizumi

それはさておき、7月の終わりにちょっと面白い記事をネットでみた。
題して「小泉今日子が離婚した理由」
「日本文学研究者である助川幸逸郎氏が、現代社会における“小泉今日子”の存在を分析」している。
記事は「小泉今日子と永瀬正敏は離婚した」ことから、始まる。

この離婚の原因は、二人の人間性の違いからだと書いてある。
これって離婚の原因で良く使われる言葉だが、ここでは、明確に説明している。
小泉今日子は、「遠大な目標」にこだわり過ぎず、「お客の目から見たちょうどよいかっこよさ」を探れるのが特徴だと言っている。
それに反し永瀬正敏は「理想をめざしてストイックに役づくりする俳優」だと。

その結婚生活や違いに関することは、その記事に詳しく書いてあるので、良かったらリンクして読んでみてください。
記事の最後に、こんなコメントが載っていた。

「才能があること」や「幸運に恵まれること」は、短いスパンで見ればもちろん「いいこと」です。ただし、それがその人にとってどういう意味を持つのかは、生きている限り揺れつづけます。

このコメントは、今の私には妙に浸み込んできた。
これは、きっと58歳を迎えるという年齢にも関係するのだろう。
20代の頃に感じていた「幸せ」というものと、今とはずいぶん違う。
そして、この記事に書かれているように「才能」とか「幸運」ということって、その一瞬の感じ方だけでは決まらないのだということを、まさに実感として味わってきた。

今、60歳を2年後に控えたこの時点では「とりあえずは幸せ」かな?
そして、ここまでクリエイブに関わる仕事が続けられたということは、同じく今の時点では「才能」が少しはあったということなのだろう。
この記事に書かれた「その人にとって、その人生にとって、どんな意味を持つのか?は永遠のテーマ」は、覚えておきたい言葉だった。

| | コメント (0)

2015年7月27日 (月)

日本語で言え!不快カタカナ語

以前から何となく思っていたことが、ネットでランキング的に紹介されていた。

「日本語で言え!不快カタカナ語1位」
ここに書いてある通りに、今やビジネスシーンでは、やたらとカタカナ用語が使われる。
私の勤めるような会社でも、会議では「スキーム」とか「エビデンス」とか普通に使われるようになった。
そして、「それ何?」みたいな顔をすると「そんなことも知らないのか?」と、妙に上から目線で説明してくる。
0727_katakanago
ちなみに、このサイトに紹介してあったカタカナ語はこんな感じ。
1位 コミットメント(約束、集中する) 149pt
2位 ユーザー(利用者、消費者) 125pt
3位 エビデンス(証拠、確証) 92pt
4位 スペック(能力、性能) 87pt
5位 アジェンダ(議題、課題) 67pt
6位 コンセンサス(合意) 58pt
7位 フィックス(決定) 53pt
8位 ジャストアイディア(思いつき) 42pt
9位 シェア(共有) 41pt
10位 ペンディング(保留、中止) 33pt

※番外
11位 シナジー(相乗効果) 32pt
12位 タスク(仕事、やるべきこと) 27pt
13位 ブラッシュアップ(良くする、練る) 25pt
14位 タイト(厳しい、時間がない) 22pt
15位 メソッド(やり方) 22pt
16位 デフォルト(標準、基本、初期設定) 21pt

こうやって並べると、私も含めてほとんど日常的に使っているカタカナ語ばかりだ。
なかでも「エビデンス」「フィックス」なんて言葉は、最初に聞いた時に直感的にイメージできず、意味が分かってからも、自分が使いながら「う~~ん、日本語で言った方が、通じるのじゃない?」とも思っていた。

ところが習慣というのものは恐ろしいもので、そのうちに慣れてしまって先に挙げたカタカナ語をごく当たり前に使うようになった。
「タスク」はさすがに自分では使わないが、一時期CMで流れていたナレーションで「メソッド」という言葉は、聞くたびに違和感を覚えたものの、こんな言葉がCMで流れるようになったのかとも思った。

まぁ、カタカナ語は時代の流れだし、ビジネスのグローバル化の影響でもあるから「ちゃんと日本語を守ろう!」なんて、堅苦しいことを言うつもりはない。
けれど、「間違った使い方をしないこと」そして「ちゃんと相手に伝わること」だけは確実にしないと、カッコつけてカタカナ語を使っているだけになってしまう。

「言葉」は相手に気持ちを伝える「人間だけが持っている機能」なのだから。
大切に使いたいなぁと思うのである。

| | コメント (0)

2015年7月 6日 (月)

攻撃されたらどうなるか?という疑問

いつの頃から覚えていない。
けれど、この手のニュースを見るたびに、いつも思うようになった。
「例えば、北朝鮮がミサイルを突然打ってきたら、どうするのだろう?」

20150706_kougekisaretara毎年のように総理大臣が変わっていた時代から、ここのところ安倍晋三氏で落ち着いている。
だからなのか、分からないが「集団的自衛権」「安保法制」とか、ちょっとタカ派的な動きが活発になっている。

その関連から「憲法9条」「憲法違反」、そして「内閣支持率低下」など、なかなかの逆風が続いている(ような報道が多い)。
そしてニュースでは「戦争反対」の集会やシュプレヒコールの場面が画面に出たり、「戦争に巻き込まれるな」のプラカードを掲げている姿が映し出される。

そんなニュースや新聞を目にするたびに、冒頭に挙げた
「攻撃されたら、どうするのだろう」という思いが頭をよぎる。

このブログをずっと読んでいる人には分かってもらえていると思うが、私は決して「戦争肯定派」でもないし、「軍隊を持つべきだ」とも思わない。
それよりも、ずいぶん前に書いた「ヒロシマナガサキ」 にあるように、小学校時代には徹底して「戦争は悲惨なのだ」という教育を受けてきた。

それに今年は「戦後70年」に節目であるために、テレビや新聞でも沖縄戦の惨状や、悲惨な出来事を多く目にし、そのことを見聞きするたびに「やっぱり戦争は嫌だ」と思う。

それでも先の「攻撃されたらどうする?」という疑問は消えない。
いくらこちらが「戦争はやめましょう」とシュプレヒコールを上げていても、例の国が「ちょっとミサイル実験が失敗しました」という理由で、福井の原発近くに着弾したら、どうするのだろう?へ

もう少しリアルに言えば、「経済政策への報復」として、突然戦争を仕掛けてきたらどうするのだろう。それでも反撃せずに「平和を守れ!」と言い続けていられるのだろうか?
「平和」とか「戦争反対」とか、文字や祈りだけでは解決しないと現実的に思えば思うほど、この疑問は大きくなり続けている。

| | コメント (0)

2015年6月29日 (月)

LGBTを少しだけ身近に感じた瞬間

2年くらい前に「新しいワード~LGBT」という記事を書いた。20150629_lgbt
ちなみに改めてLGBTについて紹介すると
レズビアン(Lesbian・女性の同性愛者)、ゲイ(Gay・男性の同性愛者)、バイセクシュアル(Bisexual・両性愛者)、トランスジェンダー(Transgender・性別移行(性同一性障害)を含む)の頭文字から作られた頭字語。(ウィキペディアより)

あれから、ごくたまに耳にするようになったが、それでも知っているから耳に残っている感じで、一般的にとても知られる言葉になった感じはない。
そんな中、ある朝の通勤中の車の中でNHKのおはよう日本が「性的マイノリティー 企業はどう向き合う」 として取り上げていたのを見た。

放送内容は、WEBにも紹介されているので、リンク先を見ていただきたいが、まだまだ私のようなノーマルな人間(という言い方が良いか疑問だが)には、わからないというのが正直な感覚だ。

そう思いながらクルマを運転していて、ふと気づいたことがある。
幼い頃、背が小さくやせっぽちだった私は、当然同学年の男子に比べて基礎体力がなく、すぐ風邪をひくし、力もなかった。
今のように「個の多様性」を認めてもらえる時代ではなかったために、「男のくせにだらしない」と言う言葉を言われたことが何度かある。

さらには、大人になってからは、体質的にアルコールは飲めない方で「男のくせに酒も飲めない」と、ずっと言われ続けた。
40代近くなり、飲み会などでの急性アルコール中毒が注目され、さらには「因子的に飲めない人がいる」が一般的に知られるようになって、そんな言葉は言われなくなったが、それでも年配者は今でも「男のくせに」という言葉を使う。

この「男だから」「女だから」は、我々の幼い時に、本当によく使われた言葉だが、それで決めつけられて傷つくことだってあると、これまでの経験で少しわかる。

体力やアルコールについては、今では「人による」ことが知れ渡ったから、嫌な思いをすることは少なくなった(無くなったわけじゃない)。
これが最初に挙げた「性的マイノリティー」となると、私の経験など比じゃないだろうが、全く自分とは関係のない感覚の世界の話じゃないことは、朝の短いクルマ通勤の瞬間に感じたことではある。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧