2020年3月16日 (月)

新型コロナウイルス騒動~その2 爆発的拡大編

前回の続き20200316

●イベントの中止
どんどん感染者が増え、ついに「感染経路」が掴めない感染者も発生。
当初WHOは否定していたが、先週末には「パンデミック」を表明した。
「おお、映画で見るパンデミックって現実にはこんな感じなんだ」と変な感想を持った。
「東日本大震災」の時も思ったが、こういう映画なんかで見る「大パニック」な状態でも、いつもと変わらない日常生活があって、多くの人は普通に会社に行き、仕事をする生活をしている。
「東日本大震災」以後、映画での津波シーンが全く変わってしまったように、今後パンデミックの映画の描き方も変わるんじゃないだろうか?
とにかく、もう「中国のことだから」という状態でなくなり、多くの人が集まりイベントを自粛するように安倍総理が会見した。

スポーツイベントは「中止」「無観客試合」となり、野球のオープン戦は「無観客」で開催。
それをTVで放送していたが、シ~~ンとした球場で「選手の声とボールを打つ音だけが響く」という今まで見たことのないものが放送された。
「選手って、こんなに声出しているんだ」と放送中にもアナウンサーが言っていたが、これはこれで、面白い体験となった。
そして同時に「マスク」「アルコール消毒」が入手できなくなり、娘からは「手作りで子供のマスクを作った」と写真が送られてきた。

●そして学校休校
2月の終わりには再度安倍総理から「学校の休校」要請が出た。
ちょうど卒業シーズンでもあり学校側も困惑、小さい子供がいる家庭も仕事に行けないなど、大混乱状態に。
これをまた野党やあるマスコミは「場当たり的だ」と批判していたが、そういう人たちが何か「代案」を出すかというとそうでもなく、「とにかく思いつく対策を実施する」のは悪いことじゃないと個人的には思っている。

●会社の活動にも影響
先々週の金曜に本部長クラスが緊急招集。
「時差出勤の奨励」「ホームワークの検討」「同じ業務をしている人が同時に感染しないように席を2m以上離す」と次々に指示が出た。
でも「時差出勤」の場合の勤怠システムの申請・承認のエビデンスは誰が管理するのか?
「ホームワーク」といっても私物PCの利用はできないし、会社のサーバへのアクセスはできないから実質的に対応できそうにない。
さらに「2m以上の離席」といってもすぐにできないし、3人くらいが同じように固まって部屋を変更しただけという本末転倒的な対応している課もある。
結局、会社も「前代未聞」の状況のため正直「どうしたらよいか分からない」ということなのだろう。

●ついにパンデミックの渦の中に
マスクやアルコール消毒に続き「トイレットペーパーやティッシュは中国で製造されているから入手できなくなる」という噂が流れた。
これは完全にデマなのだが、マスコミが「デマだから」と警告しても効き目はなく街の店舗から無くなった。
子供の頃、オイルショックで、同じようにトイレットペーパーが無くなった経験をしたが、まさか同じ経験をもう一度するとは思わなかった。
あの頃と違って、インターネットなど情報がものすごくたくさん入手できる時代なのに、「結局人間はパニック状態になると同じようなことするんだなぁ」と、これまた変な感想を持ってしまった。

うちの会社で運営している通販でも、ティッシュやトイレットペーパーを扱っているが、この騒動のおかげでコールセンターはパンク状態となった。
なかには「お宅は詐欺なのか」とヒステリックに苦情を言ってくるお客様もいて、通常の業務に支障が出ている。
他にも私の担当している業務でもお客様の企業側から「必要のない打ち合わせ禁止」「来社の自粛」などが発表され、予定していた出張も中止となった。
先週の月曜には、会社の地域担当の宅配業者に感染者が出たとのことで、日常的に利用している部門はこれまた「どうする?」とドタバタしていたし、通勤についても、人混みを嫌っているのか地下鉄の乗客は少なく、逆にクルマでの出勤が増えていて、会社近くのコインパーキングは、すぐに満車になっている。

「東日本大震災」の時には、スマホの普及に伴い物凄く大量の映像が残された。
これは地震学者にとって、とてつもない研究材料となったはずで、一時期NHKでも取り上げていた。
今回の「新型コロナウイルス」も世界中で気軽にインターネットに接続できる時代に初めて発生したパンデミックだ。
医療関係者はもちろん、ネットマーケティングの研究者にも「どのように情報は拡大し、かつ間違っていくのか」を検証できるとても良い事例のような気がする。

 

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2020年1月 6日 (月)

イチローの言葉の重み

今日から仕事始め。
カレンダーの関係で5日まで休めたのは嬉しいが、月曜から始まるのあ「最初からフルに1週間は嫌だなぁ」と思う。
4日から始まれば「これはない」とか、今年のように6日からだと「最初から1週間は」とか、結局のところ必ず「文句」を言っている。
まぁ、でもこれも定年後の再雇用として「いつまで、こんなこと思うのだろう」と少々複雑な気持ちで「働き続けられていることに感謝しなくては」とも思っている。20200106

そんな話に関係あるのか、ちょっと微妙だが年末にニュースに聞いた言葉が妙に残っていて、この正月中「本当にこれからの人たちは大変なのではないか?」と思っていた。
それは、イチローの言葉だ。
日本どころか世界で有名なイチローは、私の住む地方の出身だ。
その関係で、毎年年末になると地元の少年野球大会「イチロー杯」を催されるのだが、現役引退した昨年で最後となった。

地元なので、そのニュースを各テレビ局が流したのだが、そこでイチローが語った言葉が「働き方改革」とか「パワハラ」とかいろんな角度でいろんな変化が起きて、混迷している「今」の、とても核心を突いた言葉だったように感じた。
少し長いが引用してみた。

「教える側の立場も難しいらしいですね。先生よりも、どうやら生徒のほうが、力関係が強くなってしまっている、というような状況があるみたいで。
このことに僕は今、心配しているというか、どうやって教育するんだろうと、よく考えることがあります。時代の流れなんでしょうけれど、先生から教わる大切なことはたくさんあります。
謙虚な気持ちで受け止めてほしい。
厳しく教育するのが難しくなっているらしい中学校、高校、大学。社会人になる前に経験する時間、そこで自分自身を自分で鍛えてほしいというふうに今、そのことがすごく大事な事だと思います。
厳しく教えることが難しい時代に、じゃあだれが教育をするのかというと、最終的には“自分で自分のことを教育しなくてはいけない”。
そういう時代に入ってきたんだなというふうに思います。
自分には厳しい先生がいたので、なかなかそうは思えなかった。
今はそれが大切なことと覚えておいていってほしい」

本当にそのとおりでイチローよりも遥かに年上の私達は、やっぱり怒られたり怒鳴られたりして成長してきた。
でも、今はそれが難しい時代になったけれど、果たしてそれって、これから時代を担っている世代のためになっているのだろうか?
実感として「厳しい指導」は嫌だったが、怒られなくなることで「成長」を感じたし、あとになってみて「ああ、大切なことを言われていた」と気づくことの方が遥かに多かった。

でもそういう「厳しさ」を排除する時代だと、そんな実感もないだろう。
イチローの言う通り「自分で自分のことを教育しなくてはいけない」わけで、それが出来なかった人たちは、社会に出てもドロップ・アウトしてしまうだろうし、世界に出ていって勝つことなどは出来ないだろう。
結局、あとになって「もっと厳しい局面」にぶち当たるわけで、一体今の傾向は、若い世代のためになっているだろうかと疑問に思うことが多い。
「パワハラ」働き方改革」などと言った言葉を聞くたびにちょっと「モヤモヤ」していた気持ちを見事に言い切ってくれたイチローは「さすが」と言えるが、さて、この言葉の聞いた子どもたちは、イチローの伝えたかったことがどこまで届いているだろうか?

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2019年9月24日 (火)

苦しんでいる時の姿を見てみたい

20190924_20190903134701 前回のワールドカップの南アフリカ戦で日本が大番狂わせで勝利して話題となったラグビー。
個人的に興味ある競技ではないが、メディアでは話題となっていたラグビーのワールドカップ日本大会が始まった。 
それにいよいよ来年は東京オリンピックの年。そのため各スポーツの大きな大会はもちろん、会場やチケットなど周辺情報も「いよいよ東京」の話題が満載だ。

そんな騒ぎを見ていて期待感が高まるのもあるけれど、実際の日本選手たちはどうなんだろう?と思う。
一般的な報道は、どうしても「勝った選手」が中心となる。
例えばゴルフで言えば「全英オープンで渋野選手が優勝!」となると、一斉に彼女中心の報道になる。
確かに42年ぶりの快挙だし、「スマイルシンデレラ」とニュースバリューの高い選手だから、「渋野一色」になっていくことは分かる。

でも、彼女が国内で初優勝した試合で「笑顔が魅力な選手です」と放送で紹介され、個人的には印象に残っていたが、報道的にはそんなに注目されなかった。
そんな「結果」を残した選手は、「子供の頃」「どんな家庭で」「今までの苦労」的に、もう洗いざらい掘り返して紹介する。
それはそれで「すてきな結果」を知っているから、見る側も感動するし感心する。

その一方でそんな「結果を出した」選手もいれば「出せない選手」がいることを忘れないでいたい。
例えば卓球。
福原愛がきっかけで、どんどん若い選手が活躍し、オリンピックの団体戦はメダルを獲得。その中心的な存在だった石川佳純選手は、世界ランクでは日本人トップだけれど、ここのところあまり「良い結果」が出ていない。
今では彼女はベテランとなり、10代の選手がすぐ近くまで迫ってきている感じだ。

それに男子100m。
「日本人も次々9秒台に」と騒ぐけれど、世界レベルで見たら決勝に残れるかどうかという位置だ。
確かに「9秒台」はすごいことだけれど、メダルなんて程遠い感じだ。
その他にもオリンピックに出られない選手や故障して苦しんでいる選手など、一人ひとりの物語が今も進行しているだろう。

そして来年、そんな選手たちがメダルを掴めば「感動の苦労話」として紹介される。
でも勝者がいれば、必ず敗者がいる。
そんな「夢は叶わなかったけれど、努力する姿」をきちんと伝えることも、報道しても良いのではないだろうか?
「夢は必ず叶うとは言えないけれど、頑張ることをあきらめない」姿を視聴者に伝えることもスポーツの素晴らしさを伝えることにならないだろうか?
さて、これからの1年間の「オリンピック狂騒曲」は、どんな報道していくのか、ちょっと意地悪な視線で眺めてみたいものだ。

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2018年9月25日 (火)

能力に関する雑感

ちょっと今回はタイトルで迷った。
いきなり話は外れるが、正社員時代の最後はプランナーだったので、良く企画書を書いた。
企画書を書くとき、やっぱり「タイトル」は大切で、それを見るだけで、これから言うことが想像できるとか逆に、どういうことを言うのか?と興味を持ってもらうとか、とても大切なものだ。
そんな癖があるので、このブログの時もタイトルに悩むことがあるが、今回はまとまらなかったので、「雑感」として逃げたタイトルにした。

さて、本題。
今まで「能力」というキーワードで何度か話題にした。
例えば「スタッフと指揮官は違う能力」みたいな話だ。
スポーツでも、昔から「名選手=名監督でない」という言葉があるくらいだから、この「能力の違い」ってのは、昔から分かっていることなのだろう。
20180925
今年大きく話題になっている各スポーツ界で起きているパワハラ的問題の根源の一部にも「能力の違い」があるのでないだろうか?
組織が大きくなればなるほど「選手として実績がある」というだけの能力では適切な管理が難しくなる。

そしてこの話は企業にもつながる。
日本の企業の大部分を占める「中小企業」の経営者の多くは「血縁で経営者になる」「社員としての実績から経営者になる」のどちらかだと思う。
わが社の場合、先代は前者の「血縁」で、今は後者の「社員実績」からトップになっている。

話は変わる。
一般の人は知らないだろうが、今、企業は「責任の明確性」を法的に突き付けられている。
「企業レポートのガイドライン」や企業経営に関する法規制である「ガバナンス・コード」など、どんどん企業が「責任」という名の鎖にがんじがらめになっている。
具体的には「この役員は、なぜ役員となる経緯と理由を述べよ」とか「最高執行機関(一般には役員会)に参加する人の情報を公開せよ」などがある。
これは例のスポーツ団体も同じことで、そういう時代になっている。
TVの芸能人コメンテーターは、そんなことも知らずに「昔は通用したが今は時代が違う」と言うが、明確に取り巻く状況が変わっていることは確かだ。

仕事の関係である興味深いレポートを読んだ。
「欧米には経営のプロがいるが、日本にはいない」
欧米の場合、経営のプロが経営層になり「企業価値を向上」させ、企業を売却し利益を得る。
だから経営層は「価値」を上げるために、経営ノウハウを駆使するし、その分野の知識を学びスキル向上をする。そして「価値」下がれば、その全責任は経営層にあると明確にされる。
だからこそ欧米の経営層のギャラは高額だ。

ところが日本は「社長」になるのが、多くの場合「ゴール」になってしまっている。
そして日本の経営層のギャラは低い。そりゃそうだ。「責任」が明確になっていないから。
ここに「欧米の企業と日本企業との大きな違いがある」とのことだった。

これを読んで、とても腑に落ちた。
「ゴール」に着いてしまった人に「これからの展望」など望めるはずもない。
なのに社員は「トップの方針を知りたい」と言う。
それに「社員としては優秀」な人が「経営として優秀」とは限らない。
そう求められる「能力」が違うから。

今までは何とか誤魔化せてきたけれど、「責任」ということを明確にしようとしてきた時代には、もう誤魔化せない。
「能力」が違うから、もう無理だというのが正しいのだろう。

最近のわが社を含めた中小企業やスポーツ団体の右往左往の状況を見ていると、表面のゴシップ的な話題より、こんな根源的な課題に気づくようになったのは、年のせいか仕事のせいか?
こういう状態を「時代が変わってきた」と感じるのは、やっぱり60歳という年齢がそうさせるのだろうか?
今までの人も、これくらいの年齢になると「時代が変わってきた」と感じてきたのだろうか?
いずれにしても「能力」がないものが、異なる能力の実績で上にいると不幸な状態になる時代だということは、確かなようだ。

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2018年2月26日 (月)

平昌オリンピック

平昌オリンピックが終わった。
始まる前は「北朝鮮の政治利用」という話題でなんだか興味がなかったが、連日のTV放送や日本人メダルの話題で盛り上がり、自分自身もついつい「結果はどうなった?」と気にする2週間だった。
20180305
ちなみにこのブログのオリンピック関連の過去記事を見たら「2006 トリノ」が一番古かった。
もう12年も前だけれど、夏と冬のオリンピックがあるたびに、記事を書いているから、やっぱりそれなりにその年の話題になっているのだろう。

今回はやっぱり「羽生結弦の2連覇」「小平奈緒の金メダル」、そして「高木美帆たちパシュートの金」「高木菜那のマススタートの初代金」の4つの金と最後に決まった「カーリング女子の初メダル」が大きな話題だった。
「パシュートの金」は、陸上の「100m×4」リレーと同じで「個人の力ではかなわないけれど、みんなの力を結集すると勝てる」と、とても日本人の大好きな考え方の元での金メダルだった気がする。

そんな中、個人的には「小平奈緒と李相花」のレース後の抱擁シーンが一番だった。
しかもお互いに自国の国旗を持ちながらのシーンが、ギクシャクしている今の国と国の状態と対照的に見えてよかった。

最初は「チラッ」とTVで映っただけだったが、その後いろいろなところで取り上げられ、さらに二人は実は「個人的には親友だった」と分かると、これまた日本でも韓国でも「ステキだ」と盛り上がった。
今はいろんな競技も「ワールドカップ」と称して世界大会が毎年のように開催されるが、やっぱりオリンピックは世界中が注目するし、そしてこんなシーンを目の当たりにすると特別なんだと思わざるを得ない。

タケシがTVで言っていた。
「ドキドキして、放送を生で見ていられない。終わってメダルを取ったのを知ってから、ゆっくり見ている」
これを聞いて「あぁ、誰も一緒なんだなぁ」と思った。
これってやっぱり年齢のせいなのかな?

今回に限らず最近の冬季オリンピックは新しい種目がどんどん出る。
おそらくスノーボードの出現と道具の進歩が大きく影響しているのだが、私が子供の頃に見ていた冬季オリンピックとは別物になりつつある気がする。
スノーボードで数人のレース形式で滑走する「スノーボードクロス」は、最後の最後に転倒したりして、結果が分からない競技だから楽しみにしていたが、日本人選手が出ていないからか、あまりTVではやらなかった。

「日本人が出場する競技を中心」は分かる気がするけれど、競技自体の面白さや魅力ももっと広めて欲しいなぁ。
でも放送権料がバカ高いと聞いたことがあるので、仕方ないのかな。

「感動、感動」と浮かれて喜んでいるけれど、ちょっと一枚めくってみると「北朝鮮の思惑」とか「商業と利権と儲け主義」とか生々しいものが潜んでいたオリンピックだったかも。
そんなものが取り巻いているからこそ余計に「小平奈緒と李相花」のレース後の抱擁は、より美しく映えたのかもしれない。

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2016年8月29日 (月)

リオ・オリンピック

始まる前は、そんなに楽しみにしていなかった。
報道も「治安」「会場建設納期」ばかりが目立ち、「大丈夫なのか?」みたいな空気が流れていた。20160829gorin

でも、終わってみると「日本のメダルラッシュ」があったせいもあり、毎日ニュースを見るのが楽しみな期間を過ごさせてもらった。
とは言え、本当は取り立ててブログで話題にする気はなかったが、これも「備忘録」と思い書くことにした。

★日本のメダルラッシュ
たくさんのメダルを取った。
合計41個は過去最高。金メダルも12個と関係者は大喜びの状態。
こんなに取れたからか柔道で「銅で謝るな」とか吉田沙保里の「4連覇ならずの号泣銀」、さらには卓球の「愛ちゃんの団体号泣銅」などなど、単にメダルを取っただけでなく、いろんな周辺状況込みの話題が多かった。
そういう「お涙ちょうだい報道はどうか?」という記事も見たけれど、単に結果だけの騒ぎより、オリンピックまでのプロセスを感じながらの応援は、それなりに良い応援の仕方とも思っている。

それに、バドミントンなどを見ていると「いかに競技人口を増やすか?」とか男子400mリレーでも「長年の研究」など、各競技界の長期計画の大切さが花開く大会だった。
これは、会社などの組織作りにも必要なアプローチで、「うまく行っている時ほど、次を考える大切さ」を改めて感じた。
良い例が男女マラソンや出場できなかった女子・決勝に出れなかった男子のサッカー、それに前回の男子柔道、今回の女子柔道、まだまだフェンシングにアーチェリーなどなど。
前回は良かったけれど今回は・・・・とか、いろいろ感じるものがあった。

ちょうど私があと1年で定年ということもあり、今、私の所属する組織も激変の時期だが、それと重なって「ずっとうまく行く組織運営は難しいんだなぁ」といつもと違う感想を持った。

★オリンピックらしいシーン
有名なのが女子5000mで衝突し転倒した二人の選手の助け合った姿。
他にも紛争地域であるコソボからの出場で金メダルを獲ったり、女子体操だったかで韓国と北朝鮮の選手のツーショット場面やバドミントンのタカマツペアの「前日の女子レスリングを見て、最後まで諦めないと思った」というような他競技との関連など、実にオリンピックならではのシーンが多かった気がする。

特に日本だけでなく海外の「出場するだけでも大変」みたいなシーンにスポットを当てることもオリンピックの本来の意義としてとても重要なことだと思う(主にNHKが多かったかな?)

こういうのを見るとやっぱりオリンピックは選手も観客も、そして世界中の人にとって特別ものだなぁと今回は特に感じるものだった。
ちょっとお金が掛かったり、いろいろな損得が絡んだり、きな臭いことも多いけれど。
次回は東京。
長生きしているので、前回の1964年を覚えているが、あの時とはまた違う盛り上がり方をするのだろう。

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2014年12月 8日 (月)

NHKが面白い~オリンピックをデザインした男たち

少し前のことだが、この秋NHKで放送された番組で2本ばかり面白かったので、今回、次回とその話題で。

1回目は「オリンピックをデザインした男たち」
今年、東京オリンピックから50年経ち、そして2020年に2回目の東京オリンピックを迎えるということで、NHKはこの秋「オリンピック」をテーマにした番組が放送されたが、これもその中の1つ。Nhk_tokyodegin_2

この番組は、私の職業に直結し、そして「へぇ~~、そうだったのか」と思う話が満載だった。
この「デザインした男たち」は、今では故人の方やグラフィックデザイン界の重鎮になっているが、当時は30歳前後の若手デザイナーたち。
「横尾忠則、田中一光、永井一正」なんて人たちの名前が登場する。

この人たちがオリンピック開催の1年半前に集められ、オリンピック開催に必要なすべてのデザインを制作した話だが、当時の日本のデザインは黎明期。
欧米の追随的なデザインで最初の案を出したら、オリンピックの事務局から「なぜ日本らしいデザインを出さないのか?」と言われたところから、彼らの戦いが始まる。

●開催シンボルマーク
今じゃ、当たり前の開催国ごとに創られるシンボルマーク(右側の画像の上部分)。
実は東京オリンピックが初めてだったそうだ。そしてそのモチーフとしたのは、太閤秀吉の陣羽織のデザインだったとか。

●デザインマニュアル
そうして創られた数々のデザインを国を挙げて盛り上げるために、いろいろなところで使ってもらうことにした。
そして、どこで使っても同じデザインとなるように、色やサイズを正確に決めたデザインマニュアルを制作。
私たちが実務として学校で習ったり、VIマニュアルなどを創るが、これも東京オリンピックから日本では使われたものなのだそうだ。

●ピクトグラム
これは専門用語だが、普通に街にあふれているものだ。
トイレの「男女」のマークが代表的だが、いろいろな場所を示す「絵文字」のこと(右側の画像の下部分)。
アジア圏で初めて開かれた東京オリンピックだが、世界中の国が集まり、言語が多種多様。それらの人たちに「どこに何があるか?」と知らせるために、世界で初めて本格的に導入。
当時のデザイナーたちが一番苦労したデザインだったようだ。

●権利の放棄
最後に、これらのオリンピック関係の著作権を、当時のデザイン責任者だった勝見勝氏の「権利は所有せず、次の国へのバトンタッチとしたい」との願いから放棄。
これによって、東京オリンピック以降各国で開かれるオリンピックにもさまざまなデザインが受け継がれていくことになった。

たった50分のドキュメンタリーだったが、デザインを生業にしてきた私にとって、すごく興味深い番組だった。
録画していたが、消してしまったのが悔やまれる。
再放送してくれないかなぁ~~。

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2013年10月15日 (火)

2回目の東京五輪(記事数993件目)

ちょっと(かなりかな?)時間が経って、一時期の「バンザイ、バンザイ」一辺倒の感想じゃなくなって来てるが、ここらで東京五輪の話題を。Tokyo2020
どうも生まれながらの「天邪鬼」なのか、みんなが騒いでいる時に同じ話題で騒ぐのって、どうも苦手(というか江戸的に言えば粋じゃない)。
なので、こんな時期にこの話題を出してみた。

決まってすぐに会社で話していると、1964年の東京五輪を知っている人の少なさに、ちょっとびっくりした。
でも、考えてみれば当たり前。
今年56歳である私が、小学校1年生の時に、1回目の東京五輪があったのだがら、私より年下の人間は、生まれていても記憶に残っていないだろう。

そんな小学校1年生の私ですら、とても印象的に東京オリンピックのことは記憶している。
聖火ランナーの姿に感動して、当時おもちゃ屋の息子だった私は、プラスチックの刀の先に「炎」の絵を書いて、持って走っていた記憶がある。
そして商店街には人がほとんどいなかったことも。

他にも今じゃ普通に乗っている新幹線も「夢の超特急」と呼ばれたり、首都高速が開通したり、明るく素敵な未来を感じていた。
特に新幹線はおもちゃ屋の子供にとっては、身近にあるおもちゃとして、とてもインパクト強く残っている。
とにかくあの東京オリンピックを経験した世代にとっては「オリンピック」は特別なものとなっている。

さて、7年後に開かれる東京五輪って、どうなるのだろう。
私個人としても先に書いたように「小学校1年生」として始まりの年齢で前回があり、7年後だと62歳。定年を迎えた後となり、奇妙な因縁を感じる。

そして圧倒的に違うのがメディアだろう。
1964年当時にはテレビ・新聞・ラジオが中心で報道されていた。
特にテレビはまだまだ新しいメディアで、とてもみんなが熱狂した道具だった。
でも、今から7年後は、どうなっているだろう。
今でもネットやスマホは当たり前。
そしておそらくデジタル技術や無線ネット技術はもっと進むだろうから、物凄い先進的なインフラの中での東京五輪になるんじゃないだろうか?

定年後に迎えるオリンピック。
ゆっくりと東京見物がてら行けたらいいなぁと夢見てもいる。

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2013年5月13日 (月)

国民栄誉って何だ?

このブログを始めた頃には、新聞やテレビで流れるニュースについて、勝手な感想を書いていた。
最近は、自分の身の回りのことや感じたことが多くて、とてもパーソナルな情報に偏っていたが、今回は久しぶりに一般ニュースに思うことを。
ただ、やっぱり感想としてはかなり偏っていることに違いはないので、これから書いてあることに、あまり目くじら立てないでください。
Kokumineiyo
「国民栄誉賞」って何でしょう?
調べたら王貞治の「本塁打世界記録」をきっかけに生まれた賞だそうで、その対象は「内閣総理大臣」の感覚で決められるんだそうだ。

で、今回の本題。
「長嶋と松井」の国民栄誉賞って、何の意味があるんだろう?
長嶋さんは、確かに一時代を彩った人だし、国民栄誉賞の第1号である王さんと「ON時代」を創った人でもあるので、良いのですが、松井は?
確かに高校時代から「5打席連続敬遠」とか日本でも大リーグでも活躍し、さらに大リーグのワールドシリーズのMVPなんて取っていて、物凄い選手であることに間違いない。

でも、「じゃあ、イチローはどうなのよ?」と思うでしょ、フツ~。
大リーグの記録を塗り替えて、さらに現役。
そして、この国民栄誉賞を2回も辞退している。

きっと松井もそんなことは分かっているだろうから、辞退も考えたと思えるんだが、「長嶋さんとのW受賞」ってことで、断れない状況に追い詰められた感じがある。

今回のこの受賞に関しては、結構批判が多い。
読売新聞が(というか例のナベツネさんが)、政治的なパイプを使い、さらに安倍総理も、そこを利用しようとしているとか・・・・・
真相は分からないけれど、表彰式をGW中のドームでやったり、テレビで生放送したり、さらには投手・松井、バッター・長嶋、捕手・原、審判・安倍総理などというキャスティングで、たちの悪い茶番劇(ちょっと言い過ぎかな?)を見ていると、いろんな思惑が見えて仕方がない気がする。

私個人としては、長嶋さんのことは大好きだ。
あの人の最初の監督だった時までは、巨人ファンだったし、あの人が突然監督解雇されてから、猛烈なアンチ巨人になった。
だから「不自由な手をポケットに入れて、打席で片手スイングする」ような姿を生中継で流されるのは、少々悲しくなるのである。
でも、本人は天真爛漫に楽しんでいるみたいで、そこが長嶋さんらしいところなんだけれど。

いずれにせよ、「国民栄誉賞って何だろう?」って思ってしまった受賞だった。

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2012年8月17日 (金)

国の違い

今日、55歳になった。
すごいなぁ~55歳だって。
部下から見れば「外見も中身も、十分に完全におっさんだ」と思われているだろうが、頭の中は、そうでもない。
感覚として30代くらいのつもりでいるが、体力的には正直なものでまったく無理になっている。

Kuninotigaiさて、オリンピックが終わった。
そして夏休みも終わった。
私の住んでいる地域は天候が不順だったせいもあり、家でゴロゴロしているだけの夏休みだったし、オリンピックもあったので、余計に引き籠り状態だった。

メダル獲得数が過去最高。
特に団体競技の獲得が増加。
さらに、獲得競技数も増加。

終了後に各メディアで騒がれたのは、大体こんな感じのことで、あとはメダル獲得者が出演!なんて感じが多かったかな。
そんな番組を、エアコンの効いた部屋でのんびり見ていて、ふっと思った。
「なんだか、今度のオリンピックは結構感動したなぁ」

なぜなんだろう?
やっぱりメダルをたくさん獲得したから?
それとも団体競技で獲得数が多かったから?
確かに、そうなんだろうなぁと思っていたが、前回ってどこだっけ?と思い直した。
人間の記憶なんていい加減なもんで、たった4年前なのに、もう忘れている。

そう、前は「北京」だった。
そして、今回は「ロンドン」
感じた違いは、その観客の質の良さだった気がする。

メダルを獲得していなくても、自国の選手じゃなくても、そして例え大した記録じゃなくても、いろんな意味で「拍手」を送るべき選手には、最大の賛辞であるスタンディングオベーションを送っていた。

バトミントンで、足を負傷してなお試合を続けようとした佐藤選手。
両足が義足の南アフリカの選手。
そして、女子サッカーの決勝戦。

終了後の大観客の拍手する姿は、今回のオリンピックの中で、最も感動した場面でもある。
前回の北京ではなかなか感じない場面だったが、オリンピックという一大イベントは、選手だけでなく観客も含めて成立しているものだと今回、初めて感じたことだった。

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