2021年8月16日 (月)

豊国神社・秀吉清正記念館・初代中村勘三郎銅像

夏季休暇中に2回目のコロナワクチン接種があった。巷では2回目の方が副反応が出やすいといわれ、しかもその発生率の高い「モデルナ」の方だったので覚悟していたが、やはり出た。
接種会場は前回以上に順調に進んだが、夕方から接種部分が痛くなり、翌日には倦怠感、午後から熱っぽくなり、さらには一部関節痛、そして接種した側の脇のリンパ節も少し痛かった。
3回くらい市販の鎮痛剤を飲んで安静にしていたが、風邪の時のように辛かったが、翌々日の夕方からは楽になっていった。
一応、これで無事にワクチン接種は終わった。

このように新型コロナワクチン接種や東京オリンピック開幕など「今、その時」の話題を続けたので、今回はその影響で少し遅くなってしまった話。
昨年末にクルマを買い替えたこと、そして長期間のコロナ禍自粛が続くことへの息抜きなどで、年明けから近場の史跡を訪ねていることを、このブログで何度か紹介している。20210719
その中で「戦国時代の史跡」は私の住む地方には豊富だと書いたことがある。

このブログでもかなり紹介しているが、例えば「清須城」「小牧山城」「犬山城」「岐阜城」「岡崎城」「大垣城」などは、クルマに乗れば、1時間程度で行けてしまうところにある。
他にも先日紹介した「関ケ原」もそうだし、何より戦国時代の三英傑と言われる「信長」「秀吉」「家康」は、もちろん昨年の大河ドラマで脚光を浴びた「光秀」も私の住む地方の出身だ。

このような「戦国時代ファン」の方なら羨ましく思われる場所で生活しているのだが、不思議なことにあまりにも身近なところにいると、なかなかそのような史跡に訪れない。
冒頭に書いたように、このコロナ禍を利用して、そんな場所を訪れているのだが、今回は表題の3つの話。

「3つ」と書いたが、場所がすべて同じ「中村公園」というところにある。
この「中村」という場所名、現在は「中村区」という区名になっているが、かなり古くからある土地名のようだ。
通説ではあるが秀吉の生まれた地名とされている(ちなみに秀吉の母である「大政所」の出身とされている「御器所村(ごきそと読む)」は、今も地名として残っていて、地下鉄駅もある)。
そして「加藤清正」も熊本城が超有名だけれど、出身は秀吉と同じくこの「中村」という地区だ。

このことは古くから有名で、秀吉が祭られている「豊国神社」は地元では有名なところだ。
名古屋駅から西に行くと大きな赤い「鳥居」があるが、これが「豊国神社」の大鳥居だ。
行ってみると社は公園の中にきれいに整備されて鎮座しているが、そんなに大きなものではない。
また、同じ公園内の図書館に併設されている「秀吉・清正記念館」は無料で見学できる施設だ。

若い頃、幕末の歴史はいろんなものを読んだり訪ねたりしているので、ある程度詳しいが、戦国時代はそうでもない。
今回、この記念館で清正の生涯を紹介する説明を読んだが「賤ケ岳の七本槍」とか「虎退治」などから想像する「豪傑」というイメージは、どうやら江戸時代に創作されたもののようで、一度しっかり戦国時代の本を読まないといけないなぁと思った。

場所が公園なので、散歩がてら歩きながら廻っていると何だか不思議な格好をした銅像が目についた。
「なんだろう」と思って近づくと「初代中村勘三郎」の銅像だった。
不思議な格好は「猿若舞」の姿とのことで、その謂れなどが銅像ヨコのプレートで紹介されていた。
惜しくも若くして亡くなってしまった十八代中村勘三郎が「この中村は、中村屋の発祥の地だよ」と言っていたのをテレビで見たことがあるが、どうやらこれが「中村屋が公式に認めた」ということになり、この地域の人たちが協力して銅像を建立したのだそうだ。
この銅像名を検索すると現在の勘九郎と七之助のご兄弟が、この銅像の除幕式に訪れた記事が出てくる。

こうして書いていると、本当に身近に歴史的な場所があることに気づくが、今までどうしても「江戸時代」ばかりに目が行ってしまって、自分の足もとのこと知らないということに、改めて気づいてしまった。
これをきっかけに戦国時代のことを調べて、近場の史跡を訪ねる楽しみが増えるのであれば、コロナ禍もなかなか悪いものではなかったのではないだろうか?
今まで罹患せずに無事に暮らしていられるから、こんな気楽なことを言えるのだが……。
明日には64歳になる。

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2021年7月26日 (月)

始まった東京オリンピック

本当は先日受講した「はくぶつ館講座」の話を書きたいが、テーマが「教育勅語」という繊細なものだったために、ネットと言ういろんな考えが交錯する世界に公開すると誤解やリスクを生むだろうということでやめにした。20210726
実は途中まで書いていたが、講座の中でも「勅語を現代文などに訳すことができない。なぜなら誰かの意志のフィルターが掛かってしまうから」との説明を受けて、その言葉を思い出したために、やめる決断をした。内容的には面白かったので、残念だけど。
SNSなどネットツールの発展によって、誰もがいろんな意見を発信することができる世の中になったけれど、より注意して発信しなくてはならないというのは、テクノロジーと進化とそれを使うリテラシー(特に心の部分が)は、同時に進化しないということが証明されているようなものだ。
ずい分以前、まだ「パソコン通信」と言われていた時代に、変な言いがかりをつけられた経験があり(記憶では、このブログで書いたと思う)、あまり気持ちの良い経験ではなかったから、出来るだけそういうことは避けておきたい。
 
さて、そういう意味では「東京オリンピック」の話題も、さまざまな意見が噴出し繊細な状態なのだが、ついに先週開幕した。
昭和の「東京オリンピック」は私が小学校に入った年で、学校は休みだったし(記憶だが)、「夢の超特急」と言われた新幹線や首都高速が開通など、インフラの大発展のきっかけになった。
そしてこれも以前ブログに掲載したが、いまや全世界で使われている「ピクトグラム」を生んだきっかけにもなった。
だから開会式でも、ピクトグラムを使ったパフォーマンスがあった。
このように振り返れば、昭和の「東京オリンピック」は、ポジティブな大会だったように映るが、実施するまでには一度戦争の影響で返上したなど、順風満帆ではなかった(ようだ)。
 
今回も、そのような視点から見れば未曽有のコロナ禍で行われる祭典となった。
たしか誘致の時には「復興をアピール」とか「日本のおもてなし」とかステキなキーワードが並び、胸躍る想いがあったが、「緊急事態宣言」のもと、「無観客」とか「人数制限」とかの規制が掛かった状態では「復興」「おもてなし」も何の意味もなくなってしまった。
他にも直前になって過去の言動が原因で責任者が辞退したり解任されたりと、とにかく混沌とした状態だ。
振り返ってみると、シンボルマークの盗作騒ぎや、新国立競技場の設計者問題など、もう遠く過去の話に思えるが(シンボルマークの話なんて、何年前だろう?)、今回の新型コロナによる延期や、すでに起き始めている選手の陽性者など、いろんな意味で記録されるべきオリンピックになるのは、間違いなさそうだ。
 
私のような一般人にはわからないが、いろんな権利、お金、選手の気持ち、団体の意見、経済効果など複雑に絡みあい、さらにコロナ禍で行われるオリンピックは「安全管理」「国民マナー」など、いろんな事が試されることになるのだろう。
始まったらTVはオリンピック放送ばかりになってきたけれど、やっぱりマスコミも「ネガティブ」な視線ばかりじゃなく、一緒に成功させるように舵を切ってほしい気がする。
幸いこの週末には金メダルを取った種目も出てきて、地上波でがほとんど「オリンピック放送」だらけとなり、話題として盛り上がってきている気がする。
もちろん批判的な人もたくさんいるけれど「成功させよう」と一生懸命に頑張っている人のことも忘れないようにしてほしい。
そして願わくば、とにかく無事に終了し、振り返った時に「いろいろあったけれど、やっぱりやってよかったね」と皆がいうようなオリンピックになることを願いたいものだ。

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2021年7月19日 (月)

新型コロナワクチン1回目接種

私は65歳以下である。
来年には65歳になるが、例の「新型コロナワクチン65歳以上接種開始」には該当しなかった。20210719_20210718081701
会社の規程とか年金受給金額など年齢で区切られることがあるが、どうもきわどい所で該当から外れる(ような気がする)。
春先から始まった「新型コロナワクチン接種」
まずは医療従事者、そして65歳以上の高齢者、さらに基礎疾患のある人や高齢者施設従事者と決められ、やっと年齢順として私の順番が近くなってきた。
 
ところが、ちょうどその頃から「職域接種」がさかんに行われ、当社の顧客先でも私より若い人たちの接種が進み始めた。それはそれで良いことなのだが、今度は急に「ワクチン不足」が言われるようになった。
「やっと順番が回ってくる時期になったのに」という気持ちが正直なところだが、私の住む地方では先週から私の年代への予約券配布が始まった。
「2~3日はかかるかなぁ」という予想に反して、配布開始当日に届いた。
ちょうど、その週は3カ月に1回の通院日があるその病院は「通院患者には対応する」とWEBに記載してあったので、電話して聞いてみたところ、来院した時に「予約申し込み」して、後日接種日の連絡があるとのことだった。
通院している病院の方が安心だと思って、いったんはそのつもりだった。
 
翌日テレビを見ていたら、私の住む地方では「大規模会場で使用されるモデルナは余裕があるようです」と言っていたので、試しに予約サイトにアクセスしてみた。
実は、7月から始まった「大規模会場」は、我が家のすぐ近くだったので、そこでも良いと思っていた。
サイトにアクセスして会場を検索してもなかなかヒットしなくて「全然、予約取れないじゃん」と思って、良く説明を読んだら「ログイン」が必要となると書いてあった。
「ID・パスワードなんてどこにある?」とさらに良く読むと「IDは予約番号、パスワードは生年月日の8桁数字」とあり、やってみたら無事ログインできた(正直、この予約システムはPC操作に慣れていないと難しいかもしれない)。
 
それで近くの「大規模接種会場」を指定したら、全枠「〇」になっていて、いつでも予約できる。
ちょうど病院に行くために有休を取っていたので、その日が都合良いと思って、午後に予約した。
「病院でやるより早く接種できるなぁ」と、まずは一安心。
「ファイザー」じゃなく「モデルナ」というのがちょっと気になるが、もし副反応が出ても会社を休んで良い緊急措置が取られているから、まぁ良しとしよう。
予約日には、まずいつもの病院に行き、いつものように診察(というか、問診だけだか)。その時先生から「もうワクチンは打った?」と聞かれ「この後、昼から行ってきます」と話し、予約が空いていた話をしたら、先生は今月初旬、会場に担当医として行っていたとのこと。
「その時は、結構混んでいたよ」と話してくれた。
 
診察も終わり、いつもの薬をもらい、いったん帰宅。
予約時間になって会場まで歩いて行ったら、駐車場も空いているし、席で待っている人も少しいる程度。
問診表も事前に記入していて、少し待ったら呼ばれて、書類を確認され、どんどん次の部屋に案内されて、医師の問診を受け「ちょっとアトピーの傾向がある」と話したら「念のため30分経過観察にしようか?」と言われた。
で、最後に接種の先生のところで注射。「筋肉注射」と言われていたので痛いのかと思ったら、会社のインフルエンザ予防接種より全然痛くない。その後、30分経過して帰ってきた。
夕方になって接種した部分が痛くなり、翌日が一番痛かったが、そのあと痛みは引いていった。あとは今のところ、副反応と思われる症状は出ていない。2回目の接種は、ちょうど夏季休暇に入った時期で、これなら会社を休み必要もない。
まずは1回目の接種が済んで、少しだけ安心している。

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2021年4月19日 (月)

五十三次名所図会

昨年の今頃はコロナ禍が急速に拡大して、世界中がパニックになっていた。20210419
初めての「緊急事態宣言」が出て、学校は「全休」、企業も「出勤しない勤務」など振り返ってみると、カオスの様相だった。
これが映画やドラマだったら、そんなパニックシーンの連続なのだろうが、実際は仕事をしていたし、お風呂に入り食事をするという日常シーンも毎日繰り返していた。

この「カオス」「パニック」という状態も長く続くと日常の一部になっていくわけで、人間というものの対応力は凄いと思う(だから進化論的に生き延びてこられているんだろうか?)
ただ、これが「慣れ」に繋がっていきコロナ感染を完全にシャットアウトできないデメリットにもなっているが。

と、すごくコロナ禍の対応について理解のあるように書いているが、私自身もこのブログで書いたように、今年の初めに「ちょっと近郊にでも出かけるか」と始めたら、結局チョクチョクでかけるようになってしまった。
「どこにも行かない生活」と「同年齢の友人の逝去」の両方で、今から考えると昨年後半は、少々気持ちが滅入っていて、その反動的な行動であることは否定できない。
長々と前置きを書いたが、今回も出かけてきた話。
ただし、結構あちこちに行くようになってしまったので、ブログの公開回数に間に合わなくなってしまい、この話は2月の終わりと2カ月も前の話だ。

新聞を見ていたら「タテ位置の浮世絵展」という見出しが目について読んでみると、私の故郷の隣町にある「中仙道広重美術館」で開催されている。
あと数日でその企画展が終わる時期だったので、さっそく出かけてきた。
せっかく故郷の方に行くので(と言ってもクルマで1時間半程度だが)、ついでに墓参り(ついでというと怒られるが)にも寄った。
久しぶりに墓地行ったら、立派に駐車場が整備されていてびっくりした。
普通だと兄の家にも寄るのだが、コロナ禍でもあり、昨年末に叔母の葬儀で出会った時に義姉さんが「ケアマネ」をやっているから「絶対に感染できないんだ」と兄が話していたので、寄らずに美術館に向かった。

この美術館、割といつも空いているのだが、やはりコロナ禍でさらに人がいない。
私を含め、2~3組の人たちしかいない。
おかげで1つ1つ解説を読みながら、ゆ~~~っくり堪能できた。
「広重の五十三次」と言えば超有名な「東海道五十三次」
その同じ宿場が「タテ位置」で描かれたものだが、画角の関係なのだろう「遠景」的な風景が多かった。
背景に山並みがあって、街道や帆船や街並みが描かれて、人はあまり大きくなく「全体的な感じ」という作品で、今の時代の「絵はがき」のような印象を受けた。

ブログに載せるために「日本橋」をヨコ位置の「東海道五十三次」と、今回見たタテ位置の「五十三次名所図会」を並べてみて気づいたことがある。
有名な「東海道五十三次」は人の暮らしや動きが感じられて、その場の「空気」が感じられ「五十三次名所図会」「場所」を写し取った感じがする。
「東海道五十三次」が評判になったのは、きっと「場所」の紹介に留まらずそこの「空気感」を感じさせたからなのだろう。
江戸時代、今と違って気軽に旅などできなかった。
だからこそ「その場」に自分が行ったように感じられるこのシリーズは、コロナ禍のAR体験みたいなものだったのだろう。
見慣れていた もこうやって比較すると新しい発見や感じ方を見つけることができる。

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2021年1月25日 (月)

新居関所跡と浜松城

20210125 久しぶりに史跡を訪ねた。
昨年「新型コロナウイルス」が蔓延し始め、1回目の「緊急事態宣言」が出されてから、そのような場所に出かけるのは自粛していたので、本当に久しぶりだった。
今も2回目の「緊急事態宣言」が出されているし、1回目のピークと比較すれば今の方がとんでもない感染者数と重症者数になっている。
なのに、巷のニュースで言われるように「自粛慣れ」なのか1回目に比較すれば、多くの人が出ているし、会社も「出社しない」対応を積極的に取れていない。
新聞に出ていたが、各企業も1回目の時のように「テレワーク最優先」にしたら、いろいろと問題や成績不振、そして不公平感など課題が山積していて、二の足を踏んでいるとか。
今回はそんな「自粛疲れ」もあるし、年末に購入した新しいクルマの長距離も試してみたく、会社で「どうしようか?」と話していたら「一人で運転していくなら良いんじゃない?」と言われ、出かけてきた。

◆新居関所跡
全国で唯一現存する関所建物で、国の特別史跡に指定されている。
正式には「今切関所」といわれ、慶長5年(1600)に設置された。当初は今切(遠州灘の浜名湖開口部)近くにあったが、地震・津波により二度移転し、宝永4年(1707)の大地震の翌年に現在地へ移った。その後、嘉永7年(1854)の地震で倒壊したため、安政2年(1855)から同5年にかけて改築したものが現在の建物。現在は関所構内の復元整備に取り組み、令和2年4月からは関所を通行する女性を取り締まる改女(あらためおんな)の住居「女改之長屋(おんなあらためのながや)」を一般公開している。(ハローナビしずおかより)

以前「箱根関所」で復元された関所は見たが、今回は「国内で唯一現存する」ということで前から行ってみたいところだった。
建物の中に入れるのは良かったが、箱根の方が観光地であるためか規模が大きく復元されていて、全体像としては分かりやすいと思った。

◆浜松城
このブログで何度か書いているが、昔は「コンクリートで復元された天守」に興味がなかったが、最近は石垣や城郭の全体像のことが少しずつ分かってきたので、面白く見られた。
天守閣はちょうどリニューアルされたとかで、最近流行りの「劇画調ビデオ」「三方ヶ原の戦い」やジオラマを使った「浜松城と城下町の発展」などが分かりやすくて面白かった。
2023年には大河ドラマで「家康」が取り上げられるということなので、きっとこの浜松城もにぎわうことだろう。
ここの面白さは現在「発掘調査中」とかで「本丸・二の丸」などの跡を調査しており、その報告書もあったので、興味深く読んだ。

明治になった時に、無節操に民間に払い下げられ、大切な文化施設を調査せずに破壊されているところが多く、近年の歴史ブームなどの後押しもあり、私が行ったところだけでも「岐阜城」「小牧山城」と順次調査をしているようだ。
それなりに予算が必要で、長い期間掛けて調査しなくてはいけないようだが、新しい発見があることは楽しみだ。

コロナ禍となって初めて出かけたが、消毒や体温計測もあるし、せっかくの浜松なので、帰りにかなり時間をずらしてSAで「うなぎ」を食べに寄ったが、ガラガラだった。
クルマの操作も少しわかってきたし、高速道路のドライビング感も確認できたし、もう少し「新型コロナ」が終息したら、遠くにも出かけられるようになるといいなぁと思っている。

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2021年1月 5日 (火)

1年ぶりの三世たち

コロナ禍の年末年始が終わった。
ニュースでは「恒例の帰省・Uターンラッシュがない」とか「初詣や初売りの風景」など、例年との違いを取り上げていたが、それは個人的にも同じように「いつもとは違う」年末年始だった。
いろいろ理由があって、久しぶりに1人での年越しだったが、年末のブログに書いたように、長めの年末年始休暇だったおかげで、割としっかり掃除ができた。
唯一残っているのは今まで読んだ時代小説文庫本とギターや楽譜や、旅行・展示会に行った時のパンフレットなどが「とりあえず」という感じでファイリングして積んである部屋。文庫本の方は、最近読み返しながら少しずつ整理していているが、会社に行かなくなったら、このあたりのパンフレットと写真を整理しようかと思っているため手つかずになっている。

おかげで、大みそかにクリーニングを受け取りに外出しただけで、あとは基本的に巣ごもりの年末年始だった。20210105
あとは毎年やってくる娘一家だったが、年末に娘から「どうしよう?」と連絡がきた。
ちょうどその時会社で婿とも話していたところで、昨年はコロナ禍でGWも夏休みも会っていない。
「ピザやお寿司でも頼んで、家にいるようにする?」と言ったら、どうやら三世たちも遊びに来たがっているようで、これまたいつもと違う正月となった。
なかなか会えないので、年末には上の王子三世から修学旅行の土産を宅急便で送ってくれた。
そのお礼をLINEしたら「ビデオ電話したいって言ってる」と返ってきたので対応。
こういう場面になると下の姫三世の方が積極的で、王子の方は姫の後ろに隠れている。
「正月においでね」と言ったら二人とも「うん!」と楽しそうに笑っていた。

そして正月2日のお昼ごろやってきて、いつもは行かない近所の神社へ初詣の後、近くの宅配ピザ屋へ。
ちょうど誰もお客さんがいなくて、予約なしで入って注文していたら、あっという間に受け取りや注文に訪れたお客さんでいっぱいになった。
出来上がるまでクルマで待って、私のマンションに到着。
玄関で上がる時に三世たちは「お邪魔します」と挨拶して「ちゃんと躾けられているなぁ」と感心。

ビザをみんなで食べた後、スマホで見る「VRゴーグル」を体験させたり、以前来た時はあまり弾かなかったのに今回は王子三世が見事なキーボードの腕前を披露してくれた。
姫三世もどうやら一緒に習い始めたようで(やっぱりお兄ちゃんのやることはやりたいんだよね)「こりゃ、お金が掛かるなぁ」と婿と娘の苦労を垣間見た。

王子三世はゲームがやりたくて仕方なく「じいじも一緒に」といつも言ってくるが、スーパーファミコン時代以降、全く無縁で生きてきているので、コントローラーの使い方もイマイチの状態だ。
「みんなで協力するゲーム」らしいが「やり方の説明」もされずに始められて戸惑っていたらパパとママから「じいじは分からないから、ちゃんと説明しないとダメだよ」と怒られていたが、その後「指を使って遊ぶゲームをしよう」と言った時には少し説明してくれた。
ただうまく伝えられないようで「え~~っと」と言って困っていた。
今年中学生になるが「人に上手に方法を伝える」ことがまだうまくできないようで、気持ちはあるけれど「できない」もどかしさがちょっと微笑ましかった。

夜には寿司を注文しようとしたが、姫三世は「まだあまり刺身は食べさせていない」とのことでお店に行かないと「寿司以外」は頼めなかったので、来店予約して出かけた。
入店したら「順番待ち」の家族がいっぱいで「コロナ禍だから自粛を」と言っているが「せっかく正月なのに」というのもあってなかなか昨年の「非常事態宣言」の時のようなわけにはいかないのだろう。
まぁ、こういう気持ちがなかなか感染者数減にならない理由なんだろうけれど。

そんな感じで1年ぶりに三世たちにあったが、もう少しゲームができるようになると王子三世は喜ぶだろうが、それはかなり努力しないと難しいだろうなぁ。でも、寿司屋に行くと「じいじの隣がいい」と言うから、ゲームが出来なくてもくっついていたいのだろう。
姫三世はなかなかのやんちゃ姫で、今一番遊んでいて面白い。
少し平仮名が読めるようになったので、かるたの読み手をやってくれたが分からないと「これなに?」と聞くから、ゲームとしてはあまり成立していない。
王子は今年中学生になるから、そろそろ「親と一緒に正月を過ごす」ことから離れ始めるだろう。
娘一家とご飯を食べながら自分の小さい頃の正月や娘と正月に会った頃などを思い浮かべ「あっという間に時は流れるんだなぁ」と感じるのだが「みんな一緒にご飯を食べられる」ことが一番の幸せなのだろうとしみじみと思う正月だった。

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2020年12月28日 (月)

2020年を振り返る

今年のブログは今日で終わり。
本来、会社も今日までの予定だったが、コロナ禍でもあり社員の有休消化促進もあり、最終日は副部長以上の出社が基本となり(大事な大事な社長訓話は、どうしても最終日だとトップが譲らないらしく)、実質的には先週で就業は終了となった。
私自身も、昨年から本部長が「再雇用だし最終日は休んでいいよ」と言ってくれているので、もう年末年始休暇となっている。20201228
さて毎年最後恒例の1年の振り返り。

◎とにかく新型コロナウイルス(COVID-19)
このブログでも春先に連続して話題にしたが、2020年はこれに尽きる。
昨年の今頃、そして年明けの時期まで、まさかこんな1年になるなんて想像もしていなかった。
おそらく世界中の誰も想像していなかったのじゃないだろうか?
これだけ全世界に蔓延したのは「スペイン風邪」以来だと思うが、その話は100年も前の話。
今は「これだけ科学や医学が進歩したのだから、あんな状態になることはない」と慢心していたが、自然からのしっぺ返しは巨大なものだった。

「Withコロナ」とか「Afterコロナ」とか言われるが、この新型コロナの世界拡大でそれまで「常識」「基準」とか「普通」と思っていた価値観が根底から覆された。
それぞれについては、今までブログに書いてきたが、国も政治家も企業も経営者も仕事も余暇も、そして住まいも、もう何もかも「前例がない状態」で考え直さなくちゃいけないこととなった。
きっと自然界から人類に対する「さぁ、どうしますか?」と提示された大きな大きなカードなのだろう。
願わくは、来年末のブログの「今年の振り返り」で、新型コロナが収束に向かっていることが書けると良いと思っている。

◎身近な人の逝去
これもブログに記載したが、私個人としては結構大きな出来事だった。
会社の元上司は、本当に急逝で病気と分かって1カ月もしないうちに亡くなった。
また秋に亡くなった友人は、ここ数年は親しくしていたことと年齢が同じこともあり虚無感は大きかった。
元上司の逝去では頑なな「通夜、本葬への遠慮希望」を経験したことで、人が亡くなった時の悲しみの行動は亡くなった人に向けているのではなく「自分自身への納得」の行動だと感じさせられた。

また友人の場合は「ステージ4の胃がん」と言われ「胃を全摘出」「抗がん剤治療」したにも関わらず亡くなった。
術後や抗がん剤副作用(あまり重くなさそうだったが)の様子を見ていると「あれなら、残りの時間を思う存分楽しんだ方が有意義な終わり方だったのではないか?」と感じた。
ただこれも周りの感情としては「治療できるうちは」という思いがあることも大いにわかる。
いずれにしてもこの出来事は、自分自身の「今後の生き方」「終わり方」を真剣に考え始めるきっかけとなった。

◎年金受給開始
夏ごろ「申請した」とブログに書いたが、その後最初の振り込みがあった。
ところが最初の申請時に「再雇用助成金」が抜けていて、年末になって「支払額調整」の連絡がきた。
もともとホームページのシミュレーションでは「ほとんどもらえない」と分かっていたので、申請時に「あれ、思ったより多いなぁ」と感じたのだが、年末の連絡で「やっぱり」となった。
最初の支払い後だったために、これから調整されながらの支給で、もう笑えるくらいの金額となった。
それでも、一応「年金を支給される年齢」となったことは間違いない。

「コロナ禍」で休みがあってもどこにも出かけられない日々が多かったせいもあり「仕事をしない暮らし」を相当リアルに考えるようにもなった。
他にも先日納車されたクルマの買い替えなどあるが、総括すると今年はいろいろな意味で「変化の年」だった。
長く生きていると分かるが人生は「徐々に変化する」のではなく「変化する時は、何もかも一緒に」動いていく。
まさに今年は、そんな年だったと思う。

相変わらずグダグダしたブログを今年も続けてきたが、1年間ありがとうございました。
来年こそ、良い年でありますように。

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2020年12月14日 (月)

経営者の資質

続けて「久しぶりの国産車購入」の話題だったが、納車が今週の土曜なのでで、ちょっと違う話題に。20201214

タイトルを見るとかなり違う話題なのだが、私としては会社にいて日々感じていて身近な話題だ。ただ、以前のようにそういった不満や憤りなどをブログに載せていないのは、立場の違いがある。
よくブログに書いていたころは「部長」という管理職で、それなりに責任ある立場だったし、部下を持つ身でもあったために「傍観する経営陣」には憤りと情けなさの両方を同時に感じていた。
だが、今は定年退職・再雇用者、そして今年から少ないけれど年金受給者となり、会社の立場としても、ほとんど責任がない単なる「やじ馬」的なポジションになっている。
そのためイロイロ思うことはあるが、正直言えば「どーでも良いなぁ」という気持ちがあり「自分が勤めている間が無事ならよいかぁ」というとっても無責任な感情が優先している。
とはいえ、娘婿も同じ会社で働いているので、倒産とかになると困るのだが……。

今年は何といっても「新型コロナの世界的な拡大」がトップニュースだろうが、このコロナ禍は様々な業界の様々な階層に、それまで「徐々に変化すること」「進むべき方向性を模索する」というなかなか答えを見つけにくく決断することが難しい課題をいきなり「さぁ、どうする?時間ないよ?」と突き付けてきた。
例えば「テレワーク」「テレビ会議」を始めとする「デジタル化への対応」など、一番感覚的に遅れている国会議員まで「急務だ!」と騒ぎ出した。
それは企業でも個人でも同じで、個人では「テレワークが中心になるなら今の場所に住まなくてよい」と移住を始める人が増えたとニュースでは言われているし、企業でも経営戦略を柔軟に対応し、逆にチャンスと捉えるようなところも出て、売上・収益とも向上した会社もある。

そしてこの「コロナ禍」は、企業という視点だけで見ると「経営者の資質」をはっきりと判断される「トリガー」ともなっている気がする。
職業柄、お客様である企業のトップの方の取材をしたり座談会を進行したりするが、そこで感じる「経営者としての資質」と会社に戻って自社の経営層から感じる「資質」の差にはっきりと「がっかり」した年でもあった。
あまり詳しく書くと私の会社と分かってしまうのでやめておくが、今の社長のいうことは「整理整頓」「身だしなみ」「あいさつ(歩きながら携帯でしゃべるなというツール機能を否定するようなこともある)など、社内では昔から「風紀委員」と揶揄されてきたままで、いまだに変わらない。

ある時、来年の株主総会の「想定質問」の運用についての打ち合わせに出たことがある。
非常に細かく「想定問答」を毎年用意するのだが「他の企業はどうしているんだろう?」と出席メンバーに聞いてみた。
そうしたら「普通は経営のことなので、そんな資料がなくても経営陣が答える」と聞き、ちょっと笑ってしまった。
確かにその通りで、だから株主の人たちは総会に出席して「経営陣に直接質問」するわけで、話す内容まで書かれている資料を用意するなら「経営陣」でなくてもよくなってしまう。

他にも「経営計画」も常務をトップとした平取締役や各本部長などに丸投げで、自ら「こういう企業戦略を構築すべき」といった発言は私の知る限り皆無だ。
その割には「どこどこの企業はこんなことをやっていて素晴らしい」とか「若い社員がこんなに頑張っている」とか評論家みたいなことしか言わない。
そういえば、今のトップの口癖は「やるべき人が、やるべき時に、やるべきことをやれば、ミスは起きない」だったけれど、今こそトップが「やるべき時」だと思うのだが、違うのだろうか?
これまでもそうだったのだが最初に書いたように「コロナ禍」になり、あらゆる階層やあらゆる企業の目の前に「早急な課題解決」が求められた途端「何も考えていないし、経営に携わる資質があるのか?」ということが明確に見えてしまった気がする。

と、いろいろ書いたが冒頭に書いたように、責任ある立場でもないし、これからも長く勤めるわけではない(婿はそうはいかないが)ので、そのような話や状況を横目で見て苦笑いすることが最近は多くなっている。

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2020年11月16日 (月)

コロナ禍での話2件

他の国のことなのに、自国の選挙より盛り上がっていたアメリカの大統領選が終わった。
一時は「これが民主国家なのか?」と思うような事態になりそうだったが、なんと落ち着くような様相を見せている。
ただ、今回の選挙を見ていると、やっぱり彼の国は「根強い白人至上主義」の意識があり「自分たちさえ良ければ良いのだ」という人間の最も醜い部分を持っている人が多いことが分かってしまった。
「他と比較して排除する」というのは、生物の本能としてあるのだそうだが、それをコントロールするのは高い教育がもたらす高い理性と知性なのだそうだ。
我が国でも単一民族(細かく言えば、沖縄のウミンチューとか北海道のアイヌなど違うのだが)のためあまり民族差別的な行動は見られないが、本能時に持っていることは自覚しないといけない気がする。
そんな重い話題で始まったが、今日の本題は軽いのを2つ。

久しぶりの展示会「模様を着る」
市が配布する広報紙に載っていたので、気になっていたのだが、コロナ禍なので迷っていた。20201116_20201109105301
しかし先日、平日に用事があり休みを取ったので、その空いた時間に行ってきた。
その筋では有名な「松坂屋着物コレクション」「着物模様」にフォーカスした展示会。ずっと以前に同じ「松坂屋着物コレクション」「小袖展」に行ったことがあり、その面白さを味わったことがある。
また2014年に「着物始末暦~中島要」で紹介した時代小説では着物柄の解説などが載っていたり、他の小説でも「縫箔」の話も載っていて、全く着物のことは知らないけれど、興味だけは強くなっていた。

会場は家から自転車で行ける近さ。
入場券を購入して入ったが、そんなに多くの展示物があるわけでなく、会場も1室のみという小規模のものだったが、平日ということもあり空いていたため、1つ1つの展示物の解説をじっくり読みながらの見学となった。
「染」だけのもの「縫箔」だけのもの「総絞り」、そしていろいろなものをミックスしたものと、解説と実物を見比べながら「へぇ~~」と思うことがたくさんあった。
中でも「絞り」は手間も掛かり高価なため「絞りっぽく見せる染」があるなんて、知らなかった。
展示物を続けてみていくと、江戸時代の着物は「着るもの」でありながら「絵画」の要素がとても強く、その模様によって季節感やその場の雰囲気を味あわせる役割を担っていたのだと感じた。
もちろんそんな高価な着物ばかりではなかっただろうが、「着るもの」が今とは少し違う位置付けにあったのではないかと思って帰ってきた、

修学旅行に行けた3世
これは、もっと軽い話題。
ある早朝、4時位に「ワンベル」で娘から携帯が鳴った。
すぐ切れて、その後掛かって来なかったので「何か間違いだろう」と思ってそのまま寝たが、起きてから気にはなったのでLINEで尋ねてみた。
案の定、寝ぼけて間違えたらしいのだが、その時「修学旅行や運動会の写真が溜まったから、そのうち送る」と言ってきた。
コロナ禍で「中止になるかも」と言っていたが、学校や先生が一生懸命工夫して、泊りがけで修学旅行には行けたようだ。
会った時に詳しく話を聞くつもりだが「じいじにもお土産買ってある」とのことで、良い思い出づくりが出来て本当に良かったと思う。

小学生最後の学年にコロナ禍になり、いろいろ大変だろうが、最大のイベントである「修学旅行」に行けたのは、本当に先生たちの「熱い想い」があったからこそだろう。
多分正月には会えるだろうが、その時にいろいろ聞いてみるつもりだが、暗い話題が多かった今年の中で、ちょっとだけ嬉しい話だった。

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2020年11月 9日 (月)

新型コロナと身近な人の喪失で考えること

11月になると「年賀状の発売」とか「紅白歌合戦の司会者決まる」などのニュースが流れ「年末感」を強く感じる。
同時に「年賀状の図柄どうしようかなぁ」と考え始める時期でもあるのだが、今年は困っている。
このブログでも春先にずっと「新型コロナ」の話題を綴ったが、結局1年間この話題がなくなることはなく、今現在も続いている。
だから、どこにも出かけられていないし、ここのところ続いている「浮世絵」シリーズは続けたいが、テーマになりそうな出来事は今年は「コロナ禍」ばかりなので、どうしようかなぁと思っている。20201116

この「新型コロナ」は、単純に「ウイルス感染」という医学的な問題だけでなく、企業にとっても個人にとっても、それまでの「常識」を見直す大きな引き金になった。
実際企業も「テレワーク」が加速的に進んだし、「今の基幹事業」について、スピード感を持って見直す必要に迫られてる。
そして個人的にも「有給とって温泉でも」ということが出来なく、「じゃあ、どこかイベントに」というわけにもいかず「家籠もり」の時間が多くなった。

そんな中、春先にブログに載せたが以前上司だった人(と言っても2歳だけ上なのだが)が「膵臓がん」であっという間に亡くなった。
「体調が悪い」と病院に行ってから1ヶ月という期間だったために、もちろんご家族も大変だったと思うが、会社も引き継ぎができておらず、後任は、かなり困ったようだった。
他にも会社で私より少し年下の人たちの親が亡くなったりするのを見ていると、自分がそういう年齢に差し掛かっているのだと改めて痛感させられる。

さらに同じ年齢の友人が、昨年胃がんのステージ4と分かり全摘出の手術をしたが、今年の春先に再発し、抗がん剤での治療を続けてきたが、昨日亡くなった。
亡くなる1週間前にお見舞いがてら会ったが、話すのも少し辛いようで「年内くらいか」と感じたのだが、急変し逝去した。
同じ年齢で、これから自分の時間を十分に使って楽しめる時期なのに、これで人生が終わってしまったのは、忍びない。

今年はこんな感じの身の回りだったせいか、夏に書いたように「会社に行かない暮らし」を真剣にイメージするようになった。
若い頃の私を知っている人には分かると思うが、本来の私は「超怠け者」だ。
だから「どうしてもこれをやらなくちゃいけない」とか「ここに行かないといけない」というものがないとずっとグダグダとしてしまう。
実際、コロナ禍に見舞われた今年は休みがあっても、どこにも出かけられず、博物館や美術館も「ちょっと躊躇」してしまい、もうひたすら「家篭り」の日々が続いてしまっている。
「これで完全に退職したら、どんな日々になるのかなぁ」と思うのだが、会社で仕事をしていても現役のように「自分が責任を持って進める」というのもちょっと違う感じもして、どちらにも重心が掛かっていない中途半端な日々となっている。

先日も会社の人と呉の「大和ミュージアム」「海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)」の話題で盛り上がり、以前から厳島神社にも行きたかったことを思い出し、ネットで少し調べてみた。
せっかく広島方面に行くのなら「原爆資料館」は外せないと思ってみたら「予約制」になっていた。
やっぱりもう少し時期を考えないと行けないなぁと見送ることにしたが、とにかく今年がコロナ禍と周りで年齢の近い人の喪失が続き、「老後うつ」ではないが、少々鬱々とした日々が続いている。

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