2020年5月25日 (月)

新型コロナウイルス騒動~その11

結局、5月までずっとこの話題になってしまった。
確かに「コロナ禍」は会社勤務や生活スタイル、さらにスポーツやその中継を含むテレビなどあらゆる面が変わってしまった。
とは言え、そんな中でもいろいろ「感じたり」「思ったり」することもあるわけで、その記録のためにこのシリーズを始めたのだが、こんなに長くなってしまうとは思わなかった。
ただ、その他の話題も「感じたり」「思ったり」 しているわけで、一旦今回で一区切りにしようかと思っているが「予定は未定」なので、次回以降も分からない……。

●「緊急事態宣言解除」で感じる「国と自治体」
最初に「都市封鎖(ロックダウン)」を実施した中国・武漢市が、やはり最初に「制限緩和」を実施した。
国内の場合は、北海道が自治体独自で「緊急事態宣言」を発表し、感染者数が減少し始めたので「解除」したが、国全体が「宣言」を発表した頃には、また増加傾向に転じたため、再度「緊急事態宣言」となった。
「超自粛(小池知事が言い出した言葉で言えば「ステイホーム」)ゴールデンウィーク」でみんなが我慢したおかげで、感染者数は減少し始め、爆発的に増加していた「東京」でも二桁そして一桁の増加になってきた。

GW直後には「宣言の延長」と安倍総理は発表したけれど、「感染者数が減少してきたこと」「経済的に厳しい企業や店舗が増えていること」などの理由で「解除」への気運が高まった。
安倍総理の発表では「状況をみて徐々に解除」と言っていたが「基準が分からない」との声が上がり、いち早く大阪府知事が「大阪モデル」を発表、その後他の自治体も独自の「基準」を発表した。20200525

「基準を示さない」国に対し「大阪モデル」が発表され、ある大臣が説明したのは「大枠は国が決め、あとは地域の判断で実施すべき」とのことで「ちょっと言い訳じみているなぁ」とは思えたが、納得もした。
確かに今回は国として「緊急事態宣言」を発表したけれど、岩手県は唯一感染者が出ていない。
他にも大都市部は「爆発的に感染者が増加」したけれど、同じ県内でも少し田舎だとそうでもない。
このような狭い日本でも、地域地域によって実情が違うのに「国が一律で決める」のは無理があるし、そのような細かな状況が把握するのは「地方自治体」の役目なのだろう。
このことは、今回のコロナ禍だけでなく、あらゆる施策もそうなのだろうと、実感として感じた出来事だった。

●相変わらずの報道
GWは、どこにも出かけられないのでテレビが一日中点いていた。
いつもニュースは見るが、お昼の「ワイドショー」的な番組を見ておらず、GWにはチャンネルを合わせたが、どこも同じような内容を放送。
このことは「東日本大震災」の時にも書いたし、その後の課題として「放送業界」も取り上げていたが、今回も結局一緒だった。

「東日本大震災」の時には、大きくそして広範囲におよぶ大災害だったために「広範囲に必要な情報」「地域に特化した情報」「被災者の状況に合わせた情報」などに分類し、民放各局が協力しあって、それらの情報を分類して流すべきだとの意見があった。
例えば「フジテレビは、〇〇地域の情報」とか「TBSは〇〇のような状況の住民に向けた情報」のように分ければ、見る側が必要な情報を選択してチャンネルを合わせられる。

「スポンサーフィー」で制作している民放は、どうしても視聴率を上げないといけない。
だから「多くの視聴者が興味ある情報」を流すのだが、そうなると「どこも同じような」ものになる。
その反省が「今回も活かされてないなぁ」と思ったのが、それこそ「緊急事態宣言」で個人営業のお店など収入がなくて、苦労しているのだから、放送局も「スポンサーフィー」を度外視する取り組みがあってもよかったのじゃないだろうか?

●特別定額給付金
「国民一人あたり10万円を給付」が決まり早い自治体では5月早々から受付開始となった。
手順としては「自治体からの書類配布→申請→給付」というものらしいが、今の時代「ネットでも受付」にも対応。
ただし、そこで必要となるのは「マイナンバーカード」
まだ書類は届いてない(今の時点で、アベノマスクも届いていない)が、ニュースを見てて「ネットで申請してみようかな?」とやってみた。
PCからだと「ICチップ読み取り機器」がいるとのことだったので、スマホでやってみた。
例の「マイナンバーカード」の暗証番号やパスワードが必要で、一つ一つ丁寧にやってみたら出来た。
一応「申請受付」のメールも来たので、大丈夫だと思うが「ネットで受付」というのは、私のように結構日頃使っている人間でも大変だった。
それにしてもちゃんと「マイナンバーカード」を造っておき、パスワードや暗証番号も控えておいて良かったと安堵した。

●これからどうするかも未知の体験
自治体ごとにしろ部分的にしろ「緊急事態宣言」が解除されたのは良いことだろう。
最後まで残った関東圏と北海道も今日・明日には解除が始まりそうだ。
一部では業種によって要請が継続していたり、自治体の通達が2転3転したり、解除されていない地域の店舗なども営業を始めたりと「もう我慢できない状態」ということが分かる動きも見られる。

だけど、過去の歴史を見ると明治頃に流行した「スペイン風邪」は第3次までピークがあったと聞く。
これも巷では懸念されており、「これで元通りにするのは、危険」と随所で言われている。
現代は、スペイン風邪の時代よりも遥かに世界中の距離が縮まった「グローバルな時代」になっているが、そのような時代にこれだけの規模の感染症の拡大は初めてだ。
そのため「経済活動の再開」をどのように進めていくかは、国によってそして自治体などによって考えながらの進行になるだろうし、企業レベルでも「今後も含めて、どのような対処方法があるか?」とか、「せっかく始めたテレワークをもっと活かそう」など検討すべき課題は山積みだ。

ウチの会社なども、急に大量の「テレワーク」を実施したので、多くの課題が明確になったが、それを「そのまま」にしておかないことが大事だろうと思っている。
でも果たして関連部署がそのような「振り返りと再構築」という活動を考えているかは、甚だ疑問を感じる。
自分も含め「2020年コロナ禍」「今まではこうだった」から「コロナ禍以降のやり方」を構築するための「衝撃度の強いインパクト」で、国も政治家も企業経営者も、そして私たち一人ひとりも「篩(ふるい)にかけられている」出来事なのだと思っている。

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2020年5月18日 (月)

新型コロナウイルス騒動~その10

すでに10回目になってしまって「そろそろこの話題から離れたい」と思っている今日この頃だが、今回は前回書ききれなかった続きを。

●WHOテドロス事務局長解任 電子署名
WHOが「パンデミック」を宣言したのは、3月半ばだった。
そのことは「新型コロナウイルス騒動~その2 爆発的拡大編」で書いたが、個人的な印象としては「遅くない?」という感じだった。20200518

1月中旬くらいから中国・武漢市で拡大し、2月初めには日本、そして世界に拡がり始めた。
それなのに、この「テドロス事務局長」「まだパンデミックとは言えない」とか「死亡率は高いとは言えない」と言い続けていた。
当初はそのまま聞いていて、根拠のない「安心感」を持って見ていたが、どんどん拡がり続けていくようになって「一体WHOは何を見て、そう言っているんだろう」と思うようになった。

ちょうどその頃に見ていたテレビで「テドロス事務局長が中国寄り」である理由を聞いた。
確かに中国で拡大している時には「パンデミックでない」と言い続け、中国で収まりを見せ始めると「パンデミック宣言」し、さらには「中国は新型コロナウイルスを押さえ込んだ」と称賛した。
「押さえ込んだなら、世界に拡がってないんじゃない?」とちょっと呆れたが、どうやら「出身国が中国から多額の支援金でバックアップされている」とか「もともとWHOは中国寄り」などの背景に原因があるようだ。

あまりそういう手の届かない世界に行動を起こす方ではないが「WHOテドロス事務局長の辞任要求、ネット署名102万人超え」という記事を見つけ「どこで署名できるのだろう」と探してみた。
そうしたら「チェンジ・ドット・オーグ」を見つけた。
英語なのでわからなかったが、今は「翻訳機能」があるので、なんとか分かり「電子署名」をしてみた。
さっき見てみたら、すでにこのキャンペーンは終了していたが、100万人を超える署名が集まったということは世界中が「これはヒドイ」と感じた証拠なのだろう。

●批判が心に響かないのは
「新型コロナウイルス騒動~その7」でも書いたが、相変わらず安倍内閣や政府の対応に批判が続いている。
それは国内だけでなく諸外国からもあるようだが、初期の頃に「クルーズ船」で感染拡大した時も対応に世界中から批判された。
ところが、その後批判した国々でも同様にクルーズ船(アメリカなどは空母でも)発生して、やはり同じように感染拡大してしまった。

確かに前回書いたように「強制力を持たない要請」「効果としてどうなのか?」と思ったり、休業している個人事業主の方々は大変だろうと思う。
でも、これって、誰が準備できていたんだろう?
PCR検査が進まないことも体制だったり予算だったりで、「まさかこんなことが」というところが正直なところじゃないだろうか?
「東日本大震災」の時によく聞いた「想定外」じゃないけれど、あの時の政権も批判された。
批判するのは楽だけど、きっと当事者はたまらないだろう。

中でも芸能人のSNSにより「批判コメント」はどうかと思うが、ある時面白い記事を見つけた。
「小泉今日子ら芸能人の“政権批判”が、どこか空虚な理由」がそれだが、それには「批判には自分の立ち位置を明確にする覚悟が必要」とある。
海外の芸能人は普段から「支持政党」を明確にしており、「自分の立場を明確にしてから」批判や意見と述べる。
なのに、日本の芸能人は通常「政治的発言」をしないのに「批判だけ」している。
これでは「周りからの共感は得られない」と言う記事なのだが、これって例えば会議など打ち合わせでも同じことが言えるのだろう。
会社でも上層部に「批判だけ」している人は、そのうち周りから煙たがれる。
「自分の立場で、やれることを実行する人」が、やっぱり共感を得られていくものだ。

●3世たちとのテレビ電話
GW中に娘から「できない?」と言われ、ちょっと日程が合わなかったが、GW明け後の土曜日にやってあげた。
「クルマで1時間」とそんなに離れていないところに住んでいるが、とにかく3世たちは「どこにも行けない」状態が続いているようで、たまには「変化のあること」を体験させたいんだろうと思って対応してあげた。
下の姫は、アンパンマンのぬいぐるみを画面にいっぱいに見せるので「肝心の顔が見えないよ」と言ったり、上の王子は、今年「6年生」になったので、その様子を聞いてみた。
3月から1度も学校も行ってないし、宿題も出てないようで娘は「ちょっと心配」と言っていた。
3世たちの時代は、こうやって普通に「テレビ電話が当たり前」になっていくのだろうなぁ。

先週末、39府県で「制限解除」が決まった。
果たして、それがまたどんな影響を及ぼすのか?
今回の解除では「ある一定の数値」が表示され、政府・自治体そして企業など「さまざまなルール」を設定し始めてきた。
コロナ禍は未曾有の出来事だが、こんな時だからこそ感じたり学んだり出来ることがあると感じる。

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2018年7月30日 (月)

私の住む地域は大丈夫か?

まもなく1ヶ月近く経つが「西日本豪雨」の被災は、間違いなく今年の大きな記憶に残る災害だ。20180730
「大きな災害」というと「2011年東日本大震災」は、日本だけじゃなく世界中に強烈なインパクトを与えた大災害だった。
そのインパクトの強さは、当時このブログでも続けて話題にした。
あまりに大きな災害だったので、いろいろ思うことを変に書くより、周辺の「事実」を記録に残そうと思ってキーボードを叩いていた事を覚えている。

2016年の「熊本地震」も強烈だった。
スマホの「震度5以上」通知が二晩続けて鳴り続けた。
そして何より強烈だったのは「いつかは訪れたい」と思っていた「熊本城」が崩れてしまったこと。
さらに昨年は、同じ地区の「九州北部豪雨」で、今回と同じように山々の倒木が集落をなぎ倒していく洪水が発生した。

仕事の関係で話す機会があった大学の助教授で天気予報士の方によると、地球温暖化の影響が顕著になり、今後日本は、亜熱帯・熱帯気候への移行していくのだそうだ。
だから、「今」が異常気象でなく「気候の移行が終わるまでこれからもずっと続く」とその方は話していた。
ということは「何十年に一度の異常気象」が常に発生するということになるらしい。

そういう意味では私の住む地方では約20年前に「東海豪雨」の被災があった。
義姉の実家が水没して、たった1日だけだが後片付けに参加した。
その記憶から言えば、今回は土砂の量がめちゃくちゃ多く、場所によっては倒木も混じり、復旧作業の大変さはその時の比ではないことが軽く想像できる。
あの頃は、本当に「稀に見る異常な豪雨」と言っていたが、今では珍しくない気象になっている。

あれ以来、私の住んでいる地域は大きな災害にあっていない。
「東日本大震災」の時から「東海地震・東南海地震」の発生確率は常に高いままだが、これが発生したら私の住んでいる地域は壊滅的な被害を受けることは間違いない。
私たちの地域だけが大きな災害に遭っていないことが逆に不安を膨らませている。

特に今回は被災直後から続く猛暑で、「自然は、どれだけ災害地を苛めるのだろう」と思わざるを得ない。
いつどんな大きな災害が、自分を襲ってきても「ついに来たのか」と覚悟を決めながら生活しなくちゃいけないなぁと被災のニュースを見ながら思っている。

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2016年4月25日 (月)

CMのチカラ(熊本地震によせて)

このブログでは東日本大震災が起きた時に、連続して関連の事項を書いたことがある。
あれは備忘録的であり、なおかつそれまで経験のない規模の災害であり、そのままいつもの日常を送るにはショックすぎる出来事だという色んな想いが詰まって書いたことを覚えている。

最初は局地的であり、とても表層的な地震だったと思えていたのだが、最初と次の日は、夜中の間ずっとスマートフォンの地震警報が鳴り響くという異常な状態となった。
私のスマホは「震度5以上」でないと通知されない設定にしてあったが、それが頻繁に鳴る。
「おかしいなぁ」と思ったら2日目の夜中のものが「本震でした」と訂正発表があった。

「やっぱり何も分からないんだなぁ」

最初に話題にした東日本大震災や、1年半前の御嶽山の突然の噴火の時も、もう少し身近な例で言えば、梅雨から夏に起きるゲリラ豪雨にしても、ほとんどのことが発生前には把握できていない。

私が2歳の時に伊勢湾台風が来て、甚大な被害を受けたことがきっかけで富士山レーダーができ、そして今では宇宙からカラー映像で気象やGPSでのズレを監視できるようになった。
伊勢湾台風の時代からすれば、ものすごい科学力を持って自然と対峙しているけれど、でも今回も無力だった。

そんなことを思っていたら、ネットに「九州新幹線のCMが再び話題に」と載っていた。
ちょうど東日本大震災の2日前に開通した九州新幹線だったが、ほとんどTVに流されなく、でもあの当時でも「元気をもらえた」と話題になったCM。
今回、また「九州」ということで話題になった。
YouTubeにあるので、見てみたら、やっぱり良かった。

そして「ああ、CMには、こんな力があったよね」と自分が若かった頃思っていた気持ちを思い出した。
商品名や企業名を覚えてもらうだけでなく、形のない何かエナジーなものを心に気づかせてくれる。
CMには、こんなチカラもあることを、今回の震災が改めて気づかせてくれた。

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2014年12月 1日 (月)

日本人は、いつから褒められるようになった

今から思えば「東日本大震災」がきっかけだっただろうか?
世界から「日本人」の振る舞いや行いが褒められることが、ニュースとしてネットに流れることが増えた気がする。

Nihonzinそんなことを何となく思っていたら、中国の掲示板に「なぜ日本に行く中国人の多くが帰国したがらない?」というスレッドが立てられたというニュースを目にした。

スレッドが立てられたのは去年のようだが、私が目にしたのは最近。
「天国から地獄に帰るやつはいない」とか過激な言い方ではなくて、
「中国国内で教えられた日本と違っていた」
「夜でも安全に歩くことができる」
「顔しか知らない近所の人が人種差別もなく、笑顔で挨拶してくれる」

などなど、日本とか日本人にとって、当たり前の出来事を褒めてくれていた。

じゃ、日本人は昔から褒められる人種だったか?
あるテレビでやっていたけれど、明治になったばかりの頃、外国人からは「日本人は時間にルーズで、ちっとも約束を守らない」と言われていたとか。
それは江戸時代の「時鐘」の習慣があり、「時計」のように1年中同じ時刻を刻む生活に慣れておらず、だから「時の記念日」を制定したのだそうだ。

江戸時代は、陽が昇る時と沈む時を基準としていたので、夏と冬の時間は違っていたから、その習慣が抜けなかったのだろう。
そんな話を聞くと、新幹線が秒単位で運行できるくらい時間に日本人が几帳面になったのは、つい最近のような気がする。

「東日本大震災」の時に世界から称賛されたパニックにならずに、整列していた礼儀正しさは、いつからなのだろう?
関東大震災の時の写真を見ても、同様に整列している姿がある。
だから、大正時代には、すでにそういう日本人だったのだろう。

そういえば、「東日本大震災」の時に読んだある記事では、江戸時代に大火事や震災があった時に、幕府はすぐに「お救い小屋」を設置して、米やおかゆを提供したとのこと。
そうすると、すでに江戸時代には、ちゃんと整列する礼儀が身に付いていたのだろうか?

日本や日本人が世界から褒められるのは、嬉しいけれど、それは元々日本人のDNA的なものなのか?それともいつ頃からか身に付けたものなのか?
単に嬉しがっておらずに、見つめ直しておきたい気持ちになった。

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2014年5月19日 (月)

人の中に棲む善と悪

ちょっと古い話だが、サッカーのスペインリーグで、ブラジル人選手に対しバナナを投げつけた観客のことが話題になった。
バナナを投げた観客はブラジル人選手に対して「差別的な意味」でバナナを投げつけ、それに対し選手はピッチの中で、平然とバナナを食べ、プレイを続けた。
その冷静な態度は賞賛を呼び世界中のアスリートが「バナナを食べるパフォーマンス」で人種差別撤廃を訴えた。Zinnsyu

他にもアメリカのプロバスケットボールで、あるチームオーナーが人種差別的発言を行い、そのチームの選手はユニフォームを裏返しに着用し試合に出て、抗議の意志を示した。
プロバスケット協会は、そのオーナーに250万ドルの罰金と永久追放処分とした。

東日本大震災の時の冷静な態度で世界中から称賛された日本人だって、悲しいけれど、同じようなことをやっている。
熱狂的サポーターで知られる浦和レッズでは、心ないファンが「JAPANESE ONLY」の横断幕を掲げ、チームの管理責任という形で無観客試合を実施した。

その他にも昨年の7月に書いたような「ヘイトスピーチ」のように最近では日本人も差別的発言や行動が報道されるようになった。これは、最近の中国や韓国との関係が起因しているのだと思えるが、それにしても悲しい言動だ。

例の韓国船沈没のニュースを見て「日本人はそんな無責任なことしない」って思う人がほとんどだろう。欧米では「タイタニック号」の沈没を例に出して、船員やクルー(映画でもあった音楽隊までも)が乗客の安全を第一として行動し、自らは船とともに沈んだと言っているらしい。

でも、人にはどうやら自分でも気づかない「悪い」虫がいるらしい。
そうでなければ、東日本大震災で世界中を感動させた日本人が、ヘイトスピーチのような悲しむべき行動をすると思えない。

池波正太郎氏は「鬼平犯科帳」の中でこんな言葉を残している。
「人は良いことをしながら悪いことを、悪いことをしながら良いことをする。まことに不思議なものなのだ」。
だから、私の中にも「善と悪」が同居していることを自覚しているけれど、出来ればちょっとだけ「善」の心が多い人間でありたいなと思っている。

世界中で起きている差別的言動のニュースを見ながら、そんなことを思ってみた。

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2013年9月24日 (火)

ドラマの見方(記事数990件目)

6月に「TV番組2つ」 として話題にしたように、今年は珍しくドラマを見ている。
そしてこれも珍しく2つともNHKのドラマだ。Doramanomikata

久しぶりに一生懸命ドラマを見ていて気が付いたが、今の時代はドラマとネットがとても密接に繋がっている。
今ではドラマのHPがあるのは当たり前だが、見ているファンたちの「ブログ」「Twitter」の他、ドラマの「Facebook」にスマホの「アプリ」と実に多岐に渡って「ワイガヤ環境」が構築されている。

こう書くと冷静に観察しているようだが、そうでもない。
今週で終わってしまう「あまちゃん」は、アプリでその日の放送のあらすじがアップされるので、家で録画を見るまで我慢できずに見ているし、「八重の桜」もファンの人のブログを見たりしている。

そんな中「ドラマって人それぞれの見方があるんだなぁ」と思うことがあった。
「あまちゃん」でのこと。
9月になり、いよいよ「3.11東日本大震災」の日をドラマで迎えた。
その表現方法にずいぶん驚かされたが、ドラマの中で原発事故に触れてないことを指摘して「NHKの御用ドラマだ!」とツイートした人がいた。
それに対して「このドラマは、大震災や原発事故がテーマじゃない。何でもその関連に持っていくのは放射脳(誤字じゃありません、こういう揶揄した言い方があるようです)だ」と反論する人たちがいた。

「八重の桜」でのこと。
4回に渡って放送された「会津戦争」の表現。
「官軍の酷い略奪や、何カ月も放置されたまま(官軍が賊軍の遺体を片付けるのを禁止した)の状況がカットされ、生ぬるい」という人がいた。
今回のドラマで、私は戊辰戦争での会津側の状況を初めて知ったし、官軍の横暴さも知ったけれど、もともとこのドラマは「八重」という個人の女性を通しての幕末から明治を描いたもの。
確かに会津出身でライフル片手に男顔負けに戦った八重にとって、戊辰戦争は大きな出来事だけれど、官軍の略奪や横暴を描く必要があるかどうか?

いずれにせよ、ドラマと言うのはいろんな見方があるし、ネット時代になって個人の意見がいろいろ氾濫するようになったのだなぁと、今年初めて気づかされた今回のドラマ鑑賞だった。

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2012年7月 9日 (月)

雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ

朝、通勤はクルマで行く。
昔はクルマの中のワンセグTVで「めざましTV」を点けていたが、最近は「おはよう日本」を点けている。

Amenimoそこで、5月8日に「被災地に響く宮沢賢治の言葉」として、岩手県が生んだ詩人・宮沢賢治の作品が被災地や被災者の支えになり、9日から東京で始まる著名な俳優などによる復興支援の朗読会、「雨ニモ負ケズ」の一節に力をもらう被災者…。賢治の言葉が震災を経た今に響く様などを紹介していた。

このコーナーの後、「おはよう日本」のメインキャスターである「阿部渉さん」、「岩手は私の故郷で、小さい頃から『賢治』の詩は……」とコメントしていた。

実は私自身、宮沢賢治のことは詳しくない。
本をちゃんと読んだ覚えもない。
1つだけ映画の「銀河鉄道の夜」を見たぐらいで、全くと言っていいほど、知らない。
でも、彼がとても素晴らしい詩人で作家であったことは、何となくわかっている。
このコーナーでも「何十年も昔の言葉が、今でも被災者に勇気を与える。そんな言葉の力の凄さを感じます」と言っていたが、宮沢賢治の「言葉のパワー」は並外れているのだと思う。

けれど、彼は「宮沢さん」とか「宮沢先生」とか呼ばれない。
東北の人は何故か「賢治」と呼ぶ。
それだけ、地元民との意識レベルが近かったのだろうか?
彼のことを全く知らない私でも「宮沢さん」という響きはフィットしない。
「宮沢賢治」もしくは「賢治」と言われると、初めて「雨ニモ負ケズ」という言葉とフィットする。
この感覚は何だろう?

東日本大震災は日本のいろんなものを見直すきっかけを与えられた。
もしかすると「宮沢賢治」も、その中の1つかもしれない。

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2012年3月 5日 (月)

安全な場所からの「がんばろう」

今回の文章は、もしかするとものすごく反感を買うかもしれない。
特に小さいお子さんを持っている女性からは「無責任な」と怒られるかもしれない。
けれど、記録として記しておきたいと思ったので、書くことにした。

Garekisyori「東日本大震災」のがれき問題だ。
昨年の夏にも「花火」「松明材」などでも話題になったが、あの時は対象物が一過性のものだったから、その時期が過ぎれば話題が消え去った。
今回は違う。

未曾有の大災害と言われた。
日本中が
「頑張ろう」って言っていた。
みんなが何らかの形で募金活動に協力した。
GWにはボランティアツアーなどで、多くの人が援助に出かけた。
日本人の誰もが「何か手助けを」と思った。
世界中から援助があった。

やっと1次的な時期の目処が付き、再興に向けてのステップが見え始めている(と思う)。
その最初の壁が、今もそのままになっている「がれき」だ。
「あれはがれきじゃなく、1つ1つの家族の思い出だ」
と言われたこともあったが、とにかく撤去し、処理しないと街は再興できない。

ところが、この処理が進まない。
「がれき受け入れ反対」と多くの地域が反対しているからだ。
確かに「放射線量」が不明とか、基準値がないとか、いろいろ受け入れる側としては不安もあるし、ひと言言いたいだろう。
でも、今もがれきと一緒に生活してる人が東北には沢山いるんじゃないだろうか?

ものすごく痛烈なものの言い方をしてしまうと
「結局、自分たちは安全場所にいて『頑張ろう』と言っているだけなんだね?」と思ってしまった。
放射線を測って、問題のないレベルなら受け入れるように検討してほしいよ。
それでこそ、世界に褒めてもらった「日本人の良さ」なんじゃないだろうか?

最初に書いたように批判を受けるだろうと思う今回の記事だが、これも「東日本大震災」の記録として残そうと思ったのである。

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2012年1月10日 (火)

東日本大震災後の年末年始

本当なら、年末に予告した新しいシリーズを始めようと思ったが、ちょっとだけイレギュラーで。

Sinsaihoudou昨年から今年にかけての年末年始は、少し違う感覚があった。
何が違うかと言えば、やはり「東日本大震災」に関連するテレビ番組があったことだ。

あの震災が発生した後、このブログでは「報道」について触れたことがある。
最初は「東北太平洋沖大地震の記録その2」。この時は、まだまだ混乱の最中だったから、民放のテレビ局に関して期待したコメントを書いた。
2回目が「報道とバラエティの違い」として、震災後2ヶ月経過した後に、私だけの感想ではなく、雑誌のアンケートを参考に、「民放の東日本大震災の報道のダメさ」について書いた。

そんな経緯があったため、年末の各局の「あの震災」に関するテレビには興味を持っていた。
が、正直言って「全然ダメ」と思えたのである。
特にTBSで流していた「報道の日」は、あの震災報道当時に唯一民放で「震災時の報道の在り方」についてコメントしていただけに期待していた。

しかし、朝から丸一日の中で「巨大災害時の報道について」という観点から分析や報告されたことはほとんどなかった。もちろん年末の忙しい時期に、朝からずっとテレビ(しかもTBSだけ)見てたわけじゃないから、もしかすると見逃したのかもしれないけれど・・・・。

この「自分たちの報道がどうだったのか?」については、他のテレビ局でも全く触れられておらず、「なぜ地元FMが必要だったか?」「なぜラジオの方が有効だったか?」「テレビ報道に問題がなかったか?」など、いろんなテーマがありそうなのに、これっぽちもない気がした。

「奇跡の生還」「あの時の命」
そんな感動のシーンや出来事ばかりで、しかもチープな再現ドラマなどでお金をかけるなら、もっと「報道企業のの責任」としての視線も入れてほしかったなぁと思う。
こんなことを思って見てたのは私だけだったんだろうか?
これもあの震災の記録として、残しておきたい出来事だったので、ブログとして残すことにした。

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