2020年6月29日 (月)

嫌いな言葉「才能」

このブログでは随分前に、私の「職業」「アプリケーション」「仕事」などについて書いてきている(数年前の記事なので「興味がある」と言う奇特な人は、頑張ってバックナンバーを探してみてください)。20200629
いろいろな経験をして、今に至るのだが一般的に分かりやすい言葉で表すとしたら「グラフィック・デザイナー」だろう。(デザイナーと略して言うと、ファッションの方と間違えられる事が多い)
私がその職業に就いた頃は紙媒体が中心だったので「カタログ」「パンフレット」「チラシ」などが多かったけれど、今はWEBなど媒体も拡がっているため、近年では「WEBデザイナー」という職業もある。
いずれにしろ「デザイン」というとても「主観的な価値」を扱う職業なのだが、それなりに努力してこの職業に辿り着いた(その辺りは、昔の友人が知っている)。
すごく「苦労して」この職業に就いたと思うほど「一生懸命努力をした」と胸を張れるわけじゃないが、それなりに「頑張ってきた」つもりだ。

少し話は変わるが「才能」という言葉を検索すると、あるサイトでは「物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。」とある。
また別のサイトでは「ある個人の素質や訓練によって発揮される、物事をなしとげる力。」ともある。
前者は「もともとある能力」って感じだし、後者は「訓練によって発揮される」とあるので「努力によって磨かれる」感じだ。

なぜこんなに長々と過去の話と才能という言葉の意味を書いているかと言うと、他人から「才能があるから良いよね?」と言われるたびに、ちょっとだけ不快になることを分かってもらいたいからだ。
現役の時もそうだったし、特に定年再雇用になってから営業出身者と話すと「デザイナーとかは才能があるから良いよね?僕なんか何にも出来ることがないので」と話される。
どうも、これを言われると「カチン」と来る。

「才能がある」って聞きようによっては「努力しなくてもその分野でやっていける」と言われているように感じる。
その人達は何気なく言っているのだろうが、言われた方は堪らない。
「どれだけ努力してきたと思ってるんだ!」
と言い返した時もあるが、一般の人達から見れば「デザイン」というものは特殊な分野だから、ついそう言ってしまうのだろうと、最近は思うようにしている。

確かに小学校の頃から教科書の余白にはイラストを描いたりしたが、写生大会などで描いたものは、ほとんど表彰されたことはない。
兄貴は少しだけ油絵を習っていたので(本人はイヤイヤだったようだが)、毎回表彰されるので、逆にコンプレックスがある方だった。
それでも紆余曲折あって、この仕事に就いてそのまま還暦過ぎても携わっているのは「好き」なのだろう。

もしも「才能」というものが職業に活かされるとしたら、この「好き」という気持ちが「ずっと持続し続けられること」だと思う。
残念ながら日本の企業の顧客層は「デザインへのリスペクト」が大きく不足しているので、大概は「思ったようなデザイン」に仕上がらない。
それどころか提出するものを「批判」するだけで、自分たちが「どうしたい」と決まっていない顧客がほとんどで、先の「好きという気持ちを持続し続ける」ことは、とても難しい。

私としては転職を繰り返して「デザイン」という仕事に辿り着いたので、そんな思いをしても「踏ん張り続けられた」と思うのだが、新卒で入社して他の経験がない人たちは、途中で夢破れて辞めていくことも多い。
そういう世界で何十年もやってきたのに「才能」という言葉で済ませられるのは、やはり笑顔では聞いてはいられない。
ただ一つ、もしも「才能」があったのだと思えるとしたら、一日中座って「うんうん」考えて、テレビを見ていても風呂に入っても寝ても、いつも「企画のことやデザインのこと」を考え続けられることだろう。

そう言えば、営業がテレワークをして「一日中座ってるのは辛い」と言っていたし、以前にも営業に「良く一日中座って作業していられるね」と言われたが、それも「才能」と言えば「才能」なのだろう。

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2020年1月27日 (月)

お客様が絶対だという誤解

「お客様は神様です」と言ったのは三波春夫だが、このワードを検索すると、その言葉の真意は少々違うと解説されているコンテンツに出会う。
ただ多くの日本人は「お客様は絶対だから、無理難題を何とかするのは依頼された側の姿勢の問題」というような感じで捉えているのではないだろうか?20200127

その感覚がお客様はもちろん、お店側や企業側にも浸透しきっている国は日本なのだが、それが実は「働き方改革」の本質的なところだという議論は余り聞かない。
以前も、同じような話題を取り上げたが、私達の世界ではお客様から夕方に原稿を出されて「明日の朝、デザインが欲しいんだけれど」といった話はざらにある。
そんなことが積もり積もってある広告代理店の自殺者という現象が起きた。
ここで問題なのは、その「広告代理店の企業体質」ではなく「お客様は絶対だ」と考え方だという話もあまり聞かない。

そんなことを「働き方改革」というワードを聞くようになってずっと思っていたのだが、ある時YouTubeで面白い動画を見つけた。
「アメリカに来て学んだこと5選」

これを見ると自分がどれだけ「こんなの常識」と感じていることが日本独特のことなのかが分かる。
逆に外国人からすれば、日本というのは「変な常識が蔓延っている」国と見えるだろう。

「インバウンド」と言われる外国人の観光客に「日本に観光に来るなら日本のルールを守って欲しい」という気持ちはとても良くわかる。
けれど、自分たちが「常識」と思って他の国でとても失礼なことをしていないか、もう一度振り返ってみる必要もありそうだ。

特にこの「お客様は神様です」的な感覚は、お店で店員や電話をかけた時の対応が悪かったりすると「こっちは客だよ」とまでは思わないが、かなり「むっ」とすることは確かだ。
逆に企業側の都合で、客に変更を強いてくることもある。
例えば、インターネット回線の変更、そして最近多いのは携帯の3Gサービスの終了などだが、これなど「なんで企業の都合なのに、客側がいちいち手続きしなくちゃいけないんだ」と思って苦情を言ったこともある。

私の仕事はお客様が「企業」ということが非常に多いが、40年やってきて2回ばかり「お客が要望しているんだから、やるのが当たり前だろう」と言われたことがある。
その時の私の対応は決まっている。
「同じ料金内で、一番良い方法を提案しているんです。それが嫌だったら、言われたことしかしませんが、それでも良いですか?」
そして「私はこういうクリエイターなので、担当を変えてもらっても結構です」

どんなお客様にも、それなりに誠意を見せて対応させてもらっているので、そのことも分からずに「お客の言うことが聞けないのか」という人は客だとは思っていない。
これだけは、どうしても若い時から譲れないお客様との関係だ。
「お客様は絶対なのだ」という誤解をお客様も企業も、働く人も実感できるようにならないと、日本の「働き方改革」は成功しないのではないだろうか?

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2019年4月29日 (月)

子どもを題材にした親バカツールも変わる

ある時、突然娘からLINEがきた。
「婿の名前」「作」とあって、子ども姿のスタンプが貼られていた。
写真で見たことある姿だったので、「三世の姫」の写真を利用して創ったイラストだと分かった。
どうも婿が、写真をベースにして「コツコツ」と創ったようだ。
「有料スタンプ」となっていたけれど、「ジジバカ」なので、当然購入した。

そのスタンプの絵柄を見ながら、娘が生まれた頃を思い出した。Fireshot-capture-054-line-line-store-sto  
その時には、もうグラフィックデザイナーになっていたが、子どもが生まれた翌年の年賀状には、「子どもの写真」を載せて作成した。
そうしたら、先輩のディレクターから「子どもの写真を載せた年賀状を送るなんで、クリエイターとしてあるまじき行為」と言われた。
もちろん、それは冗談だったけれど、その先輩は自分の家族の写真を使った年賀状など制作せず、毎年「デザインチックな」年賀状を送ってくれた。
私自身も、ちょっと「クリエイター魂」が熱い時期でもあったので、「それもそうか?」と納得し、その後、家族の写真を使った年賀状は創らなかったが、子どもが出来るとそれを年賀状に使うのは、「親バカ」の典型的な行為だ。

その頃、よく会っていた友人は、子どもの写真を使った「テレホンカード」を作って、プレゼントしてくれた。多分、それは奥さんの方の発案だった気がするが・・・・・。
おそらく、あの頃多く親が「親バカ」としてやっていたのだろうし、制作するサービスが、あちらこちらにあったのだろう。
しかし、今では「テレホンカード」というもの自体なくなってしまい、平成生まれの人たちには、何するものなのか分からない時代になっている。

最近は「写真」そのものが「デジタルデータ」になり、インターネットなどでは「オリジナルアルバム」を簡単に制作できるようになっている。
私の二人の三世の写真も、ほとんどがデジタルである。
1番目の三世が、もうこの春で小学5年生なので、かなり大量の写真データがある。
さすがに「オリジナルアルバム」は創っていないが、最初の三世と言うこともあり、送られてくる写真データを使って、オリジナルスライドに音楽をつけてDVDに焼いたりして「ジジバカ」ぶりを発揮していた。

二人目は「姫」なので、それはそれで可愛くて写真も娘から送られてくるが、やっぱり一人目よりは量が少ない。そしてこちらもDVDを制作したりもしていない。
でも、今回のLINEスタンプの作成は、今の時代にあった「親バカ」行為なのだろう。

こうやって思い返すと、昭和から平成、そして令和へと、いつの時代も「かわいいわが子や孫」にお金を使う「親バカ」「ジジバババカ」行為はなくならないんだなと思うのであった。
ちなみに、そのLINEスタンプは、下記から購入できるので、もし良かったら、購入してみてください(これもジジバカですな)。

https://store.line.me/stickershop/product/7034760/ja

今回で平成時代のブログは終わり、次回から令和時代となる。やめずに何となく続けてきただけなのだが、時代を跨ぐブログになってしまった。次回から令和時代に突入します(と言っても、特に変わるわけではないけれど)。

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2015年4月 6日 (月)

アプリケーションがやっているだけ

私は、この夏で58歳になる。
Pcわっ、こう書くと他人の年齢みたいに感じるけれど、まぎれもない事実で、年寄りなんだなぁ・・・・。
それは良いとして、同じ50代の人と話すと、まったく違う業界・業種なのに、同じような内容になっていくことに最近気が付いた。

それは「20~30代は、もっと創意工夫を」という話だ。
時代は巡るというから、きっと私たちがその年齢の時にも同じようなことを言われていたのだと思う。
でも、私たちの時代と決定的に違うのは「パソコン」の存在だ。

「ちゃんとクリエイティブが出来るデザイナーがいなくなった」
このブログでは何度もこの話を書いたけれど、これも「パソコン」の影響が大きいと思っている。

今のパソコンは、本当に性能が良いし、安くてプロ並みのいろんなことができるようになった。
動画編集なんて、その良い例で、昔だったら相当高額な機材がないと出来なかったのに、今じゃiPhoneと安いアプリケーションで、結構なレベルの編集が出来る。

それは、一般消費者にはとってもありがたい。
趣味でいろいろやるには便利だし、実際私もやったりする。
でもパソコンのおかげで、汎用化されたけれど、逆に恩恵に頼りすぎるようになった。
誰がやっても同じような感じになるし、抜き出たデザインや個性的な表現は、ずいぶん減った気がする。

ところが、そう感じているのは、私たち世代だけで、現役の20~30代の人たちは、そのレベルで「やれてる感」満載なのだ。
だから例えば仕事で確認してくれと若手が持ってきた時に、いろいろ言っても「何がいけないんだろう?」みたいな顔をして聞いている。

こういう話を50代が揃うと話すのだが、先日ある人と話した時に、こんなことをその人が言っていた。
「アプリケーションがやってくれていることに気づいていない」

確かにそう思う。
アプリケーションの機能に頼って表現するから、それ以上に表現パワーのあるものはできて来ない。
でも、これじゃプレゼンテーションでは勝てない。
だって、他にも同じようなレベルのモノが提出されるのだから・・・。

そう思うけれど、これも一生懸命話しても、イマイチ分かってもらえず、却って「口うるさい年寄り感」ばかりになりそうなるから、こちらも黙ってしまう。
でも、「どうやって、半歩抜き出るかを一生懸命考えてほしいなぁ」と思いながら、今の20~30代を見ている。

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2014年12月 8日 (月)

NHKが面白い~オリンピックをデザインした男たち

少し前のことだが、この秋NHKで放送された番組で2本ばかり面白かったので、今回、次回とその話題で。

1回目は「オリンピックをデザインした男たち」
今年、東京オリンピックから50年経ち、そして2020年に2回目の東京オリンピックを迎えるということで、NHKはこの秋「オリンピック」をテーマにした番組が放送されたが、これもその中の1つ。Nhk_tokyodegin_2

この番組は、私の職業に直結し、そして「へぇ~~、そうだったのか」と思う話が満載だった。
この「デザインした男たち」は、今では故人の方やグラフィックデザイン界の重鎮になっているが、当時は30歳前後の若手デザイナーたち。
「横尾忠則、田中一光、永井一正」なんて人たちの名前が登場する。

この人たちがオリンピック開催の1年半前に集められ、オリンピック開催に必要なすべてのデザインを制作した話だが、当時の日本のデザインは黎明期。
欧米の追随的なデザインで最初の案を出したら、オリンピックの事務局から「なぜ日本らしいデザインを出さないのか?」と言われたところから、彼らの戦いが始まる。

●開催シンボルマーク
今じゃ、当たり前の開催国ごとに創られるシンボルマーク(右側の画像の上部分)。
実は東京オリンピックが初めてだったそうだ。そしてそのモチーフとしたのは、太閤秀吉の陣羽織のデザインだったとか。

●デザインマニュアル
そうして創られた数々のデザインを国を挙げて盛り上げるために、いろいろなところで使ってもらうことにした。
そして、どこで使っても同じデザインとなるように、色やサイズを正確に決めたデザインマニュアルを制作。
私たちが実務として学校で習ったり、VIマニュアルなどを創るが、これも東京オリンピックから日本では使われたものなのだそうだ。

●ピクトグラム
これは専門用語だが、普通に街にあふれているものだ。
トイレの「男女」のマークが代表的だが、いろいろな場所を示す「絵文字」のこと(右側の画像の下部分)。
アジア圏で初めて開かれた東京オリンピックだが、世界中の国が集まり、言語が多種多様。それらの人たちに「どこに何があるか?」と知らせるために、世界で初めて本格的に導入。
当時のデザイナーたちが一番苦労したデザインだったようだ。

●権利の放棄
最後に、これらのオリンピック関係の著作権を、当時のデザイン責任者だった勝見勝氏の「権利は所有せず、次の国へのバトンタッチとしたい」との願いから放棄。
これによって、東京オリンピック以降各国で開かれるオリンピックにもさまざまなデザインが受け継がれていくことになった。

たった50分のドキュメンタリーだったが、デザインを生業にしてきた私にとって、すごく興味深い番組だった。
録画していたが、消してしまったのが悔やまれる。
再放送してくれないかなぁ~~。

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2013年4月 8日 (月)

平均より優れている

数週間前にネットに載っていた記事から。
「人は自分の方が平均的な人より優れていると感じる仕組みを持っている」
少し言い方は違っているが、こんなようなことが載っていた。

Heikinnyori数年前から会社で気になる言葉があった。
「俺だったら、こうする」
「俺はこうしてきた」
「私はこうやってきた」

おそらく私自身も言っているだろうけれど、人と話しているといつ頃からか、この言葉が気になって「これじゃ、みんな出来る人ばっかりじゃん」と思うようになった。

そう思っていたところに「平均より優れていると感じる」という話に出会ったので
「なるほど!」と思った。

確かにそういう仕組みを持っていなくて「自分は人より劣っている」なんて感じていたら、それこそ落ち込んでメンタルな病気になってしまう。
でも、「周りのみんなが全部自分より劣っている」と思っている奴は、例えはっきりそう言わなくても、周りの人間は感じてしまい「ちょっと嫌な奴」になってしまう。

ここのところのバランスが絶妙になっていないと、健全な心や周りとの健全な関係性を保てないのが、今の社会のような気がする。

以前、備忘録として私の職歴を書いたことがあるが、私は職業そのものを複数回変えてきている。
それでもデザインすることや創ることに出会ってから、ずっと同じ業界にいるのは、「100点の仕事が出来なかった」ことを感じているからだ。

これは、私自身の力が「劣っている」こともあるだろうけれど、まだまだ「力不足」と感じるからなのだろう。
大切なのは「劣っている」と感じるより「この点は至らない」と感じる事だろう。

「平均より優れている」と思いながらでも「ここはまだまだ力不足」と感じながら頑張ること。
これが一番大事な事なのだろう。

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2013年4月 1日 (月)

良いバランスのクリエイターは

2月の中頃に「クリエイターと言う人たちの誤解」という記事を書いた。
今回は、その続編的な話。Zibun

クリエイターの癖として「自分のフィールドで物事を判断する」傾向がある。
これはある程度仕方ない。
創造する仕事は、ある程度「自己のフィールドの中での積み上げ作業」なのだから。

でも「自分のフィールド」「世の中のフィールド」と共存できるかは、あまり感じていない。
これがあまり強いと「顧客の言うとおりのモノしか出来ない」クリエイターになりからだ。

難しいバランスなのだが最近はこのバランスが崩れたクリエイターが多い。
「何をつくったら良いですか?」
そういって指示されないと何もできないクリエイター。

現代は、圧倒的にこちらの分類が多いが、これは本人だけがクリエイターと思っているが、実はオペレーターなのである。
この区別がついていない人も多いが・・・・・

「そもそもデザインのことを分かっていないお客と営業が悪い」
と自分のフィールドでしか、モノが言えないクリエイター。

前回の記事に出てくるクリエイターの1人がこのタイプである。
私は、クリエイター出身なので、彼の言っていることは、あるポイントでは分かる気がする。
そんな私でも彼の、打合せにおける長い長い弁論を聞いていると
「理屈はいいから、とにかくデザイン考えなよ」と思うから、顧客や営業はもっとそう思っているだろう。

自分のフィールドでしか、モノを言えないクリエイターは、自分だけが気持ちよくなりたいクリエイターだと思っているが、こちらの方が昔から現代でも「救いようのない奴」と言われることが多い気がする。

自分は、どっちに近いんだろう?

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2013年2月18日 (月)

クリエイターと言う人たちの誤解

久しぶりに部署内の話。

この時期はすでに「来年度」とか「組織変更」なんて話が進行している。
最近はあまりこの話題には触れていないが、ウチの本部長が最も意気込む時期であるのは、今も変わっていない。
Kurieita
そんな時に、違う場所だけれど、同時に同じような「失言」事件があった。
そして、その張本人は同じような年齢の同じ職種の人だったことが、問題になった。

「クリエイター」と言う言葉は、このブログで良く出る。
それは私自身が、その職種だからだが、それでも2年半前に「ネクタイを締めて」に書いたように、今は普通の管理職の姿でデスクに居る。

そして今回、「失言事件」を起こしたのは、いずれもディレクター・プランナーという「クリエイター」という人種で、しかも2人とも40代という点が大きな問題となった。

失言の内容は詳しく書けないが、これもどちらも「来年度の体制」に関することで、1人は若手営業社員に、もう1人は、何と社長・副社長の前で口を滑らせた。

さらに2人とも「そんなに大問題になると思わなかった」と感じており、そしてともに課長・課長代理という中間管理職という職制であることも同じである。
そして、同じように「自分は管理職に向いていない」「この会社はクリエイターのことを大事に思っていない」と述べた。

そんな言葉は、私が今まで散々心の中で(時には深夜寝言で叫んで)言っていた言葉で、今さら40代に2人から言われなくたって、分かっている。
でも「ネクタイを締めて」 に書いたように、会社員である以上対応しなくてはいけないことだと割り切ってやっている。

わが社は一応2部とは言え、上場会社である。
その組織に勤めているということは、「クリエイター」の前に「会社員」なのである。
そんなことはその2名も分かっているけれど、「でも・・・」と思い「マネジメントに向いていない」など「組織運営には興味がない」など、まぁ会社人としては、とても後ろ向きの発言を平気でする。

「だってクリエイターは、創造することが仕事なんだもん」と彼らは思っているようだが、それなら「他を圧倒」するぐらいの力を見せないといけないのである。

大体世間的には「クリエイター」と言えば、掲載したイラストのような「自由な姿」が許される職種だと思っている。
それはフリーで、ごく一部の超実力者が出来る特権。
しょせん、会社に勤めている(制作系であろうとなかろうと)会社員なのだから、まずは「会社員としてちゃんとすること」が必要だと、どうしても思いたくないのが「クリエイター」の大いなる誤解なのである。

「クリエイター」自身の私が言っているのだ。
違う意見もあるだろうけれど、これも真実なのだと思う。

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2012年7月17日 (火)

氾濫するライセンスビジネス

私のいる業界では数年前からこの「ライセンスビジネス」というワードを耳にするようになった。
最初は「面白いなぁ」と思い、当社でも少ないけれど「ライセンスビジネス」で受注に至った案件がある。

Raisensubizinesu「ライセンスビジネス」というのは「知的財産」と密接な関係があり、ということはとても「法的な感覚」もいることになる。
なんていうと、とっても難しい感じがするのだが、実は皆さんの身近にある。

例えば・・・・・
「キティ」・・・これはサンリオのライセンスビジネスの稼ぎ頭。「ご当地キティ」なんてのは、典型的なライセンスビジネスの展開だ(ちなみにキティのライセンス料金は数百万円だそうだ)。
「チビ太のおでん」・・・これはご存じ「赤塚不二夫氏」のライセンスビジネス。
そして最近とても目につくのは「巨人の星」。
例のスマートフォン・携帯電話のメインキャラクターになりつつある。

さて、こうして並べてみると、面白いことに気付く。
「亀有の両さん」「ワンピース」など、現在でも連載中のキャラクターは、あまり、どこか特定の企業キャラクターに使用されることはない。
そりゃ、そうだろう。
テレビで放映していれば、そのスポンサーとの関係もあるし、グッズ販売をしていれば、そのグッズメーカとの関係もあるからだ。

ところが、先に挙げた私たちが子供の頃の漫画キャラクターは、そのような関係性が薄いためか、企業や商品キャラクターとなることが多い。
それは、それで冒頭に説明したように「ライセンスビジネス」の展開だと思う。

ただ、ある時東京駅で「巨人の星」のコマ漫画を利用した連作ポスターを見た時、クリエイターの端っこの方で生きてきた人間として、ちょっと悲しかった。

元気や夢のあった昭和の時代の漫画キャラクターに頼ってSP展開しててどうするんだよと・・・・。
それを今風の「ライセンスビジネス」って言うかっこいい言葉で正当化していないか?って。
現在、バリバリに頑張っている20~30代のクリエイター達の「親の時代の財産」で食いつないでいるだけなんじゃないのか?
あなたたちの時代に、胸を張れる代表的なキャラクターを生まなくてよいのでしょうか?

他にもパチンコとか、いろんな分野にライセンスビジネスは展開しているけれど、何だかこんなに氾濫すると、みんな「人のアイディア」を借りてるだけなんじゃないの?と懐疑的な見方になるのは、やはり年齢的なのでしょうか?

毎週毎週、東京駅にノートPCと1泊の荷物を担いで歩く疲れた50歳半ばのジジイクリエイターは、氾濫する「ライセンスビジネス」を横目に見ながら、ちょっとそんなことを思ったのである。

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2012年6月11日 (月)

技術はコンテンツに対し中立でいられるのか?

とても変わったタイトルだが、実は元ネタのタイトルのまま使わせてもらった。
このブログでもたまに出てくると思うが、私たちの業界ではとても有名な「宣伝会議」という雑誌がある。
Gijutukontentu
最近、ここが「アドタイ」というクリエイティブ系のポータルサイトを開設し、さらにメルマガを発行している。
その中で紹介されている「コラム記事」が、とても面白かったので、紹介することにした。

全部読みたい方には「技術はコンテンツに対し中立でいられるのか?~CD1枚74分とサビ頭ポップソングにその真髄を見る~」を閲覧することをお勧めするが、簡単に紹介する。

前段は「なぜ、CDが74分収録」と決められたか?についてだ。
これは結構有名な話で、
「指揮者・カラヤンは、「ベートーベンの交響曲第9番(=いわゆる第九、なぜか年末に合唱されるあの曲)を、CD1枚で聴けるべきだ」とCDの開発エンジニア達に要望し、これまた東京芸大の音楽学部出身という異色の経歴のSONY副社長、大賀氏がその意を汲み取って、最大74分と決めた」
というエピソードから紹介している。
しかも現代の人には「レコードに針を落とす」行為がわからないため、丁寧に解説している。

そしてCDというメディアが出来て、何が変わったかについて、「なるほど」ということが紹介されていた。

LPだったそれまでは、1曲目からエンディングまで、1つのストーリーとしてアルバムをアーティストは制作していたが、ボタン1つで頭出しが出来るCDになってからは、そんな聴き方をされなくなったと言っている。

そして、曲の入りがスローだったり、大人しかったりするとちゃんと聞いてもらえなくなったために、曲の頭に「サビ」を持ってくる、所謂「サビ頭」の曲が増えたとのこと。

このように使用する機器が変化することで、不変と思われていた「コンテンツ」が変化することがあるのだと、このコラムは紹介しており、これには、思わずうなってしまった。

以前、私はレンタルレコードが市場に出て、曲が売れなくなった時に、ドラマ主題歌として採用させ、毎週聴かせることで、カラオケで歌ってもらい、印税収入を得ていると、自分で考えたことがあるが、この「サビ頭」のことは気付かなかった。

もしかすると、今までも道具や設備が、ソフトの部分を変化させたことはたくさんあったのかもしれないと思わせる記事だった。

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