2015年4月 6日 (月)

アプリケーションがやっているだけ

私は、この夏で58歳になる。
Pcわっ、こう書くと他人の年齢みたいに感じるけれど、まぎれもない事実で、年寄りなんだなぁ・・・・。
それは良いとして、同じ50代の人と話すと、まったく違う業界・業種なのに、同じような内容になっていくことに最近気が付いた。

それは「20~30代は、もっと創意工夫を」という話だ。
時代は巡るというから、きっと私たちがその年齢の時にも同じようなことを言われていたのだと思う。
でも、私たちの時代と決定的に違うのは「パソコン」の存在だ。

「ちゃんとクリエイティブが出来るデザイナーがいなくなった」
このブログでは何度もこの話を書いたけれど、これも「パソコン」の影響が大きいと思っている。

今のパソコンは、本当に性能が良いし、安くてプロ並みのいろんなことができるようになった。
動画編集なんて、その良い例で、昔だったら相当高額な機材がないと出来なかったのに、今じゃiPhoneと安いアプリケーションで、結構なレベルの編集が出来る。

それは、一般消費者にはとってもありがたい。
趣味でいろいろやるには便利だし、実際私もやったりする。
でもパソコンのおかげで、汎用化されたけれど、逆に恩恵に頼りすぎるようになった。
誰がやっても同じような感じになるし、抜き出たデザインや個性的な表現は、ずいぶん減った気がする。

ところが、そう感じているのは、私たち世代だけで、現役の20~30代の人たちは、そのレベルで「やれてる感」満載なのだ。
だから例えば仕事で確認してくれと若手が持ってきた時に、いろいろ言っても「何がいけないんだろう?」みたいな顔をして聞いている。

こういう話を50代が揃うと話すのだが、先日ある人と話した時に、こんなことをその人が言っていた。
「アプリケーションがやってくれていることに気づいていない」

確かにそう思う。
アプリケーションの機能に頼って表現するから、それ以上に表現パワーのあるものはできて来ない。
でも、これじゃプレゼンテーションでは勝てない。
だって、他にも同じようなレベルのモノが提出されるのだから・・・。

そう思うけれど、これも一生懸命話しても、イマイチ分かってもらえず、却って「口うるさい年寄り感」ばかりになりそうなるから、こちらも黙ってしまう。
でも、「どうやって、半歩抜き出るかを一生懸命考えてほしいなぁ」と思いながら、今の20~30代を見ている。

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2014年12月 8日 (月)

NHKが面白い~オリンピックをデザインした男たち

少し前のことだが、この秋NHKで放送された番組で2本ばかり面白かったので、今回、次回とその話題で。

1回目は「オリンピックをデザインした男たち」
今年、東京オリンピックから50年経ち、そして2020年に2回目の東京オリンピックを迎えるということで、NHKはこの秋「オリンピック」をテーマにした番組が放送されたが、これもその中の1つ。Nhk_tokyodegin_2

この番組は、私の職業に直結し、そして「へぇ~~、そうだったのか」と思う話が満載だった。
この「デザインした男たち」は、今では故人の方やグラフィックデザイン界の重鎮になっているが、当時は30歳前後の若手デザイナーたち。
「横尾忠則、田中一光、永井一正」なんて人たちの名前が登場する。

この人たちがオリンピック開催の1年半前に集められ、オリンピック開催に必要なすべてのデザインを制作した話だが、当時の日本のデザインは黎明期。
欧米の追随的なデザインで最初の案を出したら、オリンピックの事務局から「なぜ日本らしいデザインを出さないのか?」と言われたところから、彼らの戦いが始まる。

●開催シンボルマーク
今じゃ、当たり前の開催国ごとに創られるシンボルマーク(右側の画像の上部分)。
実は東京オリンピックが初めてだったそうだ。そしてそのモチーフとしたのは、太閤秀吉の陣羽織のデザインだったとか。

●デザインマニュアル
そうして創られた数々のデザインを国を挙げて盛り上げるために、いろいろなところで使ってもらうことにした。
そして、どこで使っても同じデザインとなるように、色やサイズを正確に決めたデザインマニュアルを制作。
私たちが実務として学校で習ったり、VIマニュアルなどを創るが、これも東京オリンピックから日本では使われたものなのだそうだ。

●ピクトグラム
これは専門用語だが、普通に街にあふれているものだ。
トイレの「男女」のマークが代表的だが、いろいろな場所を示す「絵文字」のこと(右側の画像の下部分)。
アジア圏で初めて開かれた東京オリンピックだが、世界中の国が集まり、言語が多種多様。それらの人たちに「どこに何があるか?」と知らせるために、世界で初めて本格的に導入。
当時のデザイナーたちが一番苦労したデザインだったようだ。

●権利の放棄
最後に、これらのオリンピック関係の著作権を、当時のデザイン責任者だった勝見勝氏の「権利は所有せず、次の国へのバトンタッチとしたい」との願いから放棄。
これによって、東京オリンピック以降各国で開かれるオリンピックにもさまざまなデザインが受け継がれていくことになった。

たった50分のドキュメンタリーだったが、デザインを生業にしてきた私にとって、すごく興味深い番組だった。
録画していたが、消してしまったのが悔やまれる。
再放送してくれないかなぁ~~。

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2013年4月 8日 (月)

平均より優れている

数週間前にネットに載っていた記事から。
「人は自分の方が平均的な人より優れていると感じる仕組みを持っている」
少し言い方は違っているが、こんなようなことが載っていた。

Heikinnyori数年前から会社で気になる言葉があった。
「俺だったら、こうする」
「俺はこうしてきた」
「私はこうやってきた」

おそらく私自身も言っているだろうけれど、人と話しているといつ頃からか、この言葉が気になって「これじゃ、みんな出来る人ばっかりじゃん」と思うようになった。

そう思っていたところに「平均より優れていると感じる」という話に出会ったので
「なるほど!」と思った。

確かにそういう仕組みを持っていなくて「自分は人より劣っている」なんて感じていたら、それこそ落ち込んでメンタルな病気になってしまう。
でも、「周りのみんなが全部自分より劣っている」と思っている奴は、例えはっきりそう言わなくても、周りの人間は感じてしまい「ちょっと嫌な奴」になってしまう。

ここのところのバランスが絶妙になっていないと、健全な心や周りとの健全な関係性を保てないのが、今の社会のような気がする。

以前、備忘録として私の職歴を書いたことがあるが、私は職業そのものを複数回変えてきている。
それでもデザインすることや創ることに出会ってから、ずっと同じ業界にいるのは、「100点の仕事が出来なかった」ことを感じているからだ。

これは、私自身の力が「劣っている」こともあるだろうけれど、まだまだ「力不足」と感じるからなのだろう。
大切なのは「劣っている」と感じるより「この点は至らない」と感じる事だろう。

「平均より優れている」と思いながらでも「ここはまだまだ力不足」と感じながら頑張ること。
これが一番大事な事なのだろう。

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2013年4月 1日 (月)

良いバランスのクリエイターは

2月の中頃に「クリエイターと言う人たちの誤解」という記事を書いた。
今回は、その続編的な話。Zibun

クリエイターの癖として「自分のフィールドで物事を判断する」傾向がある。
これはある程度仕方ない。
創造する仕事は、ある程度「自己のフィールドの中での積み上げ作業」なのだから。

でも「自分のフィールド」「世の中のフィールド」と共存できるかは、あまり感じていない。
これがあまり強いと「顧客の言うとおりのモノしか出来ない」クリエイターになりからだ。

難しいバランスなのだが最近はこのバランスが崩れたクリエイターが多い。
「何をつくったら良いですか?」
そういって指示されないと何もできないクリエイター。

現代は、圧倒的にこちらの分類が多いが、これは本人だけがクリエイターと思っているが、実はオペレーターなのである。
この区別がついていない人も多いが・・・・・

「そもそもデザインのことを分かっていないお客と営業が悪い」
と自分のフィールドでしか、モノが言えないクリエイター。

前回の記事に出てくるクリエイターの1人がこのタイプである。
私は、クリエイター出身なので、彼の言っていることは、あるポイントでは分かる気がする。
そんな私でも彼の、打合せにおける長い長い弁論を聞いていると
「理屈はいいから、とにかくデザイン考えなよ」と思うから、顧客や営業はもっとそう思っているだろう。

自分のフィールドでしか、モノを言えないクリエイターは、自分だけが気持ちよくなりたいクリエイターだと思っているが、こちらの方が昔から現代でも「救いようのない奴」と言われることが多い気がする。

自分は、どっちに近いんだろう?

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2013年2月18日 (月)

クリエイターと言う人たちの誤解

久しぶりに部署内の話。

この時期はすでに「来年度」とか「組織変更」なんて話が進行している。
最近はあまりこの話題には触れていないが、ウチの本部長が最も意気込む時期であるのは、今も変わっていない。
Kurieita
そんな時に、違う場所だけれど、同時に同じような「失言」事件があった。
そして、その張本人は同じような年齢の同じ職種の人だったことが、問題になった。

「クリエイター」と言う言葉は、このブログで良く出る。
それは私自身が、その職種だからだが、それでも2年半前に「ネクタイを締めて」に書いたように、今は普通の管理職の姿でデスクに居る。

そして今回、「失言事件」を起こしたのは、いずれもディレクター・プランナーという「クリエイター」という人種で、しかも2人とも40代という点が大きな問題となった。

失言の内容は詳しく書けないが、これもどちらも「来年度の体制」に関することで、1人は若手営業社員に、もう1人は、何と社長・副社長の前で口を滑らせた。

さらに2人とも「そんなに大問題になると思わなかった」と感じており、そしてともに課長・課長代理という中間管理職という職制であることも同じである。
そして、同じように「自分は管理職に向いていない」「この会社はクリエイターのことを大事に思っていない」と述べた。

そんな言葉は、私が今まで散々心の中で(時には深夜寝言で叫んで)言っていた言葉で、今さら40代に2人から言われなくたって、分かっている。
でも「ネクタイを締めて」 に書いたように、会社員である以上対応しなくてはいけないことだと割り切ってやっている。

わが社は一応2部とは言え、上場会社である。
その組織に勤めているということは、「クリエイター」の前に「会社員」なのである。
そんなことはその2名も分かっているけれど、「でも・・・」と思い「マネジメントに向いていない」など「組織運営には興味がない」など、まぁ会社人としては、とても後ろ向きの発言を平気でする。

「だってクリエイターは、創造することが仕事なんだもん」と彼らは思っているようだが、それなら「他を圧倒」するぐらいの力を見せないといけないのである。

大体世間的には「クリエイター」と言えば、掲載したイラストのような「自由な姿」が許される職種だと思っている。
それはフリーで、ごく一部の超実力者が出来る特権。
しょせん、会社に勤めている(制作系であろうとなかろうと)会社員なのだから、まずは「会社員としてちゃんとすること」が必要だと、どうしても思いたくないのが「クリエイター」の大いなる誤解なのである。

「クリエイター」自身の私が言っているのだ。
違う意見もあるだろうけれど、これも真実なのだと思う。

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2012年7月17日 (火)

氾濫するライセンスビジネス

私のいる業界では数年前からこの「ライセンスビジネス」というワードを耳にするようになった。
最初は「面白いなぁ」と思い、当社でも少ないけれど「ライセンスビジネス」で受注に至った案件がある。

Raisensubizinesu「ライセンスビジネス」というのは「知的財産」と密接な関係があり、ということはとても「法的な感覚」もいることになる。
なんていうと、とっても難しい感じがするのだが、実は皆さんの身近にある。

例えば・・・・・
「キティ」・・・これはサンリオのライセンスビジネスの稼ぎ頭。「ご当地キティ」なんてのは、典型的なライセンスビジネスの展開だ(ちなみにキティのライセンス料金は数百万円だそうだ)。
「チビ太のおでん」・・・これはご存じ「赤塚不二夫氏」のライセンスビジネス。
そして最近とても目につくのは「巨人の星」。
例のスマートフォン・携帯電話のメインキャラクターになりつつある。

さて、こうして並べてみると、面白いことに気付く。
「亀有の両さん」「ワンピース」など、現在でも連載中のキャラクターは、あまり、どこか特定の企業キャラクターに使用されることはない。
そりゃ、そうだろう。
テレビで放映していれば、そのスポンサーとの関係もあるし、グッズ販売をしていれば、そのグッズメーカとの関係もあるからだ。

ところが、先に挙げた私たちが子供の頃の漫画キャラクターは、そのような関係性が薄いためか、企業や商品キャラクターとなることが多い。
それは、それで冒頭に説明したように「ライセンスビジネス」の展開だと思う。

ただ、ある時東京駅で「巨人の星」のコマ漫画を利用した連作ポスターを見た時、クリエイターの端っこの方で生きてきた人間として、ちょっと悲しかった。

元気や夢のあった昭和の時代の漫画キャラクターに頼ってSP展開しててどうするんだよと・・・・。
それを今風の「ライセンスビジネス」って言うかっこいい言葉で正当化していないか?って。
現在、バリバリに頑張っている20~30代のクリエイター達の「親の時代の財産」で食いつないでいるだけなんじゃないのか?
あなたたちの時代に、胸を張れる代表的なキャラクターを生まなくてよいのでしょうか?

他にもパチンコとか、いろんな分野にライセンスビジネスは展開しているけれど、何だかこんなに氾濫すると、みんな「人のアイディア」を借りてるだけなんじゃないの?と懐疑的な見方になるのは、やはり年齢的なのでしょうか?

毎週毎週、東京駅にノートPCと1泊の荷物を担いで歩く疲れた50歳半ばのジジイクリエイターは、氾濫する「ライセンスビジネス」を横目に見ながら、ちょっとそんなことを思ったのである。

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2012年6月11日 (月)

技術はコンテンツに対し中立でいられるのか?

とても変わったタイトルだが、実は元ネタのタイトルのまま使わせてもらった。
このブログでもたまに出てくると思うが、私たちの業界ではとても有名な「宣伝会議」という雑誌がある。
Gijutukontentu
最近、ここが「アドタイ」というクリエイティブ系のポータルサイトを開設し、さらにメルマガを発行している。
その中で紹介されている「コラム記事」が、とても面白かったので、紹介することにした。

全部読みたい方には「技術はコンテンツに対し中立でいられるのか?~CD1枚74分とサビ頭ポップソングにその真髄を見る~」を閲覧することをお勧めするが、簡単に紹介する。

前段は「なぜ、CDが74分収録」と決められたか?についてだ。
これは結構有名な話で、
「指揮者・カラヤンは、「ベートーベンの交響曲第9番(=いわゆる第九、なぜか年末に合唱されるあの曲)を、CD1枚で聴けるべきだ」とCDの開発エンジニア達に要望し、これまた東京芸大の音楽学部出身という異色の経歴のSONY副社長、大賀氏がその意を汲み取って、最大74分と決めた」
というエピソードから紹介している。
しかも現代の人には「レコードに針を落とす」行為がわからないため、丁寧に解説している。

そしてCDというメディアが出来て、何が変わったかについて、「なるほど」ということが紹介されていた。

LPだったそれまでは、1曲目からエンディングまで、1つのストーリーとしてアルバムをアーティストは制作していたが、ボタン1つで頭出しが出来るCDになってからは、そんな聴き方をされなくなったと言っている。

そして、曲の入りがスローだったり、大人しかったりするとちゃんと聞いてもらえなくなったために、曲の頭に「サビ」を持ってくる、所謂「サビ頭」の曲が増えたとのこと。

このように使用する機器が変化することで、不変と思われていた「コンテンツ」が変化することがあるのだと、このコラムは紹介しており、これには、思わずうなってしまった。

以前、私はレンタルレコードが市場に出て、曲が売れなくなった時に、ドラマ主題歌として採用させ、毎週聴かせることで、カラオケで歌ってもらい、印税収入を得ていると、自分で考えたことがあるが、この「サビ頭」のことは気付かなかった。

もしかすると、今までも道具や設備が、ソフトの部分を変化させたことはたくさんあったのかもしれないと思わせる記事だった。

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2012年4月 9日 (月)

【備忘録】成長させてくれた仕事たち_最終回

Seityoulast本当は、今回を入れて3回ほど続けるつもりだったが、ちょっと力が尽きてきた。
と言うよりも、最後の2つは、まだ「現在進行形」で携わっているために「成長させてくれた」などと過去形にするには違和感があるためだ(でも、ちょっと力尽きているのも事実です)。
なので、今回簡単に3つの「仕事たち」を紹介して、このシリーズを終わりにしたい。

NO.8「インターホン(ディレクター編)」
これは前回の「住設建材(ディレクター編)」とほぼ同時期に携わっていた仕事だ。
同じ「住設系」とは言え、まったく分野が異なるのだが、基本的なターゲットは似通っていたため、それぞれのクライアントに対し、有益な情報を話しながら対応できた思い出がある。

ただ、そんなことよりこの仕事は「なにもかも外部ブレーンにやらせる」という最近では珍しくないが、当時としてはかなり珍しい発注の仕方だった。
そのため、このクライアントを担当するのを嫌がったディレクターもいた。
私はなぜか、みんなから嫌われていた顧客側担当者のことも、そんなに気にならず、言いたいことを言わせてもらっていた。
たった1枚のA4リーフレットをデザインするだけで、3ヶ月以上も何度も何度もやり直しをさせられる仕事の仕方については、辟易したが、今のように、どの顧客も「丸投げ」で発注する時代になってくると、これもいい経験だったと思えている。

NO.9「社内報(企画編)」
実は、この辺りの話は、すでにこのブログでは書かれている。
初期の頃に、よく顧客の愚痴を書いていたが、その時に受け持っていたのが、この「社内報」だったのである。
あの当時は「社内報の企業的役目は終わったんじゃないか?」と思っていたが、今は、ちょっと違う時期に来ており、そういう意味では、経験しておいてよかったと思える仕事だ。

NO.10「CSR/社会環境報告書(ディレクター編)」
これも、ちょくちょくこのブログで出てくるキーワード「CSR」だ。
先の「社内報」やこの「CSR」など偶然とはいえ、今の多くの企業の課題に直結するツール制作に携われているのは、私の仕事歴は、実にラッキーなのではないかと最近は思えている。

こんな感じで、このシリーズは終わるけれど、また「おっ、この仕事は」と思うことがあったら、ブログで紹介したいと思う。

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2012年4月 2日 (月)

【備忘録】成長させてくれた仕事たちNO.7「住設建材(ディレクター編)」

この仕事の経験は大きかった。
たまたまこの数年、私が担当した企業に対して、一時期はほとんど案件がなくなっていたのが、システムを切り口に盛り返し、また関東でもこの「建材業界」のスペシャリスト的ディレクターが入社したことで、社内でもよく「住設系(住宅設備の略)」の話が出るようになったからだ。

だから、私は「携わった経験」を話せる割と貴重な存在になっている。

Seityou07「不動産広告」の時も書いたが、私の兄は「建築設計士」である。
だから、この仕事に関わった時も、ちょくちょく相談に乗ってもらった。
大体、この「建材業界」の言葉も漢字も読めない。

「根太(ねだ)」「沓摺(くつずり)」「框(かまち)」
こんな漢字と読み方を一般の人はなかなか分からない。
それに、未だに「尺」で話す世界だ。
(余談だが、たぶん今でも額縁屋さんの世界でも角材などは、尺寸法を使うはずだ)

この仕事が良い経験になったのは、こんな些細な事ではない。
一番は「大がかりな撮影」の経験だ。

物凄くでかいスタジオに、リビングや玄関を作ってもらって、撮影する。
セットは、本物の大工さんたちに入ってもらって、1日がかりで作る。

今回掲載した写真は、実際に私のディレクションで撮影した玄関風景だが、普通こんな立派な玄関のある家で、ものすごい豪邸だなぁと当時話していた。

顧客から今回のメインで撮影したい商品を言われて、シーンをイメージし、簡単な図面を引き(これは、不動産広告の図面引きの経験が役立った)、撮影する角度を決め、施工業者に頼む。

他にも、撮影時に必要なグリーンから小物、アクセサリーなどなど、スタイリストに入ってもらって決めていく。
そして撮影当日はカメラマンと打合せし、シーンイメージを説明し、ライティングをやってもらう。

もうそれまでの「単に紙の上でデザインする」から、多くのプロが関わって撮影していき、そのすべてを自分がチェックし、ジャッジし、進行させなくてはならない。
大変だったけれど、すごく刺激的で面白かった。

とにかくイメージカットは、ライティングに2時間くらいかかる。
だから、連日夜中の3時過ぎまで撮影してて、ずっとスタジオなので、昼も夜も分からない生活が10日間くらい続く。

もちろんこの案件の制作は撮影なんて、始まりに過ぎず、その後のデザインや構成、コピーなどなど、数カ月にわたる制作期間を過ごすのである。

この仕事以来、私には
「一人でやれる仕事のレベルなんて大したことない。みんながプロで凌ぎ合って作る仕事は、やっぱり面白い」
と思うようになり、それまで「デザイン主体」で仕事を見ていた視点から、全体を見ていく視点に変わっていく、大きな成長をもたらしてくれた仕事だった。

実はこのシリーズの始まり「成長させてくれた仕事たちシリーズの始まり」で書いた10数年ぶりにあった顧客担当者とは、この時の担当者のことである。
私の仕事歴の中では忘れられない仕事である。

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2012年3月26日 (月)

【備忘録】成長させてくれた仕事たちNO. 6「学校案内(ディレクター編)」

数回、別の話題になっていたが、このシリーズの後半を始めることにした。
前半は「フィニッシャー(今はない職種です)」とか「デザイナー」の立場での経験だったが、後半は「ディレクター」とか「プランナー」としての経験で、本格的にクリエイティブな仕事に関わってる実感が持てるようになった仕事たちだ。

Seityou06「学校案内」
実は、今このツールは「旬」になっている。
それは2つの理由からだ。

1つ目は学校側の都合
少子化が進み、学生数確保が最重要課題になっており、現にそれなりの大学でも人気のない学科は「定員割れ」が頻繁に起きている。

2つ目は受注する側の都合。
景気が悪く一般企業の広告宣伝費は削減される一方。かといって経営的に不安がある中小企業から受注するのはリスクがある。
それなら学校関係の制作物の方が安心・・・というわけだ。

実際、以前ある公立大学の「大学案内」プレゼンに参加したのは1次予選で10社あった。
2次予選まで進んだが、受注出来なかった(この時のプレゼン失敗はブログの記事にした)が、その時のコストもとんでもなく安く、ちょっとびっくりした。

そんな「学校案内」だが、一般企業とは異なりやっぱり「教育業界」のことが分からないと、なかなか難しい。
私自身「どっぷり」浸かって担当してわけじゃないが、それでもある専門学校の仕事を4校分一気に受注させてもらった時は、大変だった。

もちろん、一人で出来るわけもなく制作担当役員と交渉し、当時の制作プロダクションのメンバー全員近くに協力してもらって対応した。
生徒や先生へのインタビュー、撮影、構成、デザインなどなど一人何役もやって対応し、一時期は会社のほとんどのメンバーが夜中3時くらいまで残業しているという「ハイキー」な感じになった。
それでも、無事出来た時には、その専門学校の理事長が全ディレクターを呼び、お礼を言ってくれたことは嬉しかったし、思い出深かった。

実は、この仕事を受ける前には1年くらい小さなツールを受注していたが、当時の学生部長が私のことを気に入ってくれて、とても強力にプッシュして受注した仕事だった。

そして最初の頃の「遅々として進まない」時には、先の理事長も不安になり「あの業者で大丈夫か?」と取り立たされてもいた。
そんな経緯があったから、その理事長にお礼を言われたのは、本当に嬉しかったし感慨深かった。

と同時に「学校案内」というジャンルは、見た目だけのデザインではなかなか要求に応えられない、これまた難しいものだと思い知った仕事でもある。

頑張って、結果が出て、自信がついたと同時に、難しさを味わった仕事でもある。

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