2018年7月 2日 (月)

愛は傷つきやすく(ヒデとロザンナ)

今回のタイトルで「オオッ」と思った方は、私の年齢より上なのではないだろうか?

まったく忘れていたが、ある時「インターネット・ラジオ」というものを会社で聴きながら仕事をしていた時に、この曲が流れ「ああ、こんな良い曲が昔あったなぁ」と感動した。
すぐにYouTubeで確認して、楽譜も探して、帰宅早々ギターで弾いてみた。
20180702
YouTubeを見ていて「懐かしい音楽」に出会うことは、このブログで何度か書いた。
ところが最近は「インターネット・ラジオ」を聴くようになった。
Macユーザーでもある私は、「インターネット・ラジオ」自体はMacの国で出た頃から知っていたが、日本ではあまり展開していなかったので、まったく聴いたことがなかった。

しかし、世の中はどんどん変化する。
ある日スマホでアプリを探していたら、日本にも数多くの「インターネット・ラジオ」の放送局が増えて、スマホアプリやインターネットを通して聴くことが出来ることに気づいた。

これ、何がよいかと言うと、普通のラジオのようにDJの「しゃべり」が全くない。
淡々と音楽が流れる。
昔、喫茶店なんかで流れていて「有線放送」みたいな感じだ。
しかも聴くのにお金はいらない。

いろんな放送を試しに聴いてみたが、まずJ-POPを聴いた。
これはこれで良いけれど、年齢的に付いていけない。
そんな時「J-Pop Sakura」に行き着いた。

この放送局は日本の「懐かしい」をコンセプトとしている。
だから、冒頭の「ヒデとロザンナ」時代のものや、演歌やフォークやニューミュージックなど、とにかく私の年齢には聴きやすい曲ばかり流れる。
「J-Pop Sakura」で検索すれば聴くことができるWEBがいくつ出てくる。
iTunesから聴くことも出来るが、残念ながらMacからは周波数の関係か聴けない。
これはインターネットも同じで、MacユーザーはiPhoneのアプリだったら聴くことができる。

YouTubeで懐かしい音楽に出会った時も「こんなタイムマシーンに乗って過去へ行ったような体験ができるんだ」と思ったが、「インターネット・ラジオ」は、こちらが意図していない曲が流れるから、その衝撃度は何倍も違う。
「愛は傷つきやすく」が流れた時は「この二人、こんなに歌が上手かったのか」と改めて驚いた。

最近、プロの人が歌って「すごいなぁ」と思うことが少なくなって、歌い手が「一般的になりすぎている」気がするが、こうやって懐かしい音楽を聴くと、昔のプロのクオリティが半端でなく高かったのがわかる。
そんな音楽を普通にTVで見たり聴いたりしていた私たちの世代は、ある意味贅沢だったのかもしれない。

「愛は傷つくやすく」~ヒデとロザンナ

自由にあなたを 愛して 愛して 私はこんなに傷ついた
たとえば二人で命をたてば 微笑みさえも消える
よみがえる日々(よみがえる愛) やさしい言葉で
なぐさめつつんで そして結ばれた

その時私は あなたの指が 小さくふるえるのを見たの
たとえば涙にくちびるよせて 二人は愛にゆれる


自由にあなたを 愛して 愛して 私はこんなに傷ついた
たとえば二人で命をたてば 微笑みさえも消える
よみがえる日々(よみがえる愛) やさしい言葉で
なぐさめつつんで そして結ばれた

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2018年6月25日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その5)

たった2日間、奈良に行っただけなのに、5回の連作になってしまった。
まぁそれだけ充実して楽しんできたということで勘弁してください。20180625_3
二月堂、三月堂は行った記憶が曖昧だった。
二月堂の「お水取り」は有名だが、それ以上のことは知らなかったこともあり、今回は「ちゃんと見よう」と思って訪ねた。

ここも修学旅行団体で混雑していて、特に二月堂は大混雑だったが、それ以外は空いていた。
特に三月堂(法華堂)の不空羂索観音立像を初めとする仏像群のある堂内は、静かで凛としていて仏像とゆっくり対面できる素敵な空間だった。

他にも二月堂から大仏殿に向かう道筋も、たまたまあまり人がいない時で「ちょっと時代劇のロケとか出来そうな」良い雰囲気だった。
そうそうその道で「お水取り」で使用した「大松明」が脇に数本片付けられていたが、真昼間に明るい時に見ると、単に竹先が焦げた棒切れにしか見えなかったな。

そしていよいよ東大寺大仏殿へ。

●東大寺
奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山。
宗派は南都六宗の華厳宗。空海が別当を4年間務めるという異例の歴史を知ったので、再度興味があって行って来た。

この2日間の中で、1番の人ごみ。
特に南大門へ向かうところと大仏殿前は、「ラッシュ時の東京駅」みたいに人だらけだった。
さらに修学旅行生と海外観光客が入り混じり、言語も騒ぎ方もトンでもない状態で、とても「古都 奈良」という日本の代表的な場所にいるとは思えない感じだった。

何度来ても大仏殿は大きいと思う。
そして大仏もやっぱり大きい。
ここには「撮影禁止」となかったので、みんなが「パシャパシャ」と撮影しており、私もせっかくなので、撮りまくった。
本当は「東大寺ミュージアム」にも行きたかったが、ちょうど長期休館中で見られなかったのは残念だったが、まだ少し時間が早かったので、昨日いけなかった「奈良国立博物館」へ。
ちょうど「春日大社」の特別展が開催されていたので、それを観覧し、地下でつながっている「なら仏道館」へ。

そこにも本当に多くの仏像が展示されていた。
奈良に行く一週間前に新聞に載っていたが、仏像の体内に経典や装具が収められていたという発見があり、それも展示してあった。
この2日間で本当に多くの仏像を見たが、これからもっと技術が進んで、仏像に傷つけることなくイロイロな調査が進むのではないかと思う。
そして4Kとか8Kとか超高精細TVが実用化されると、こういった仏像も超至近距離で見るより細かなことが分かるようになるだろう。

その前に実物をしっかりゆっくり見られたことは本当に楽しかったし、日光と違って天気も良く充実した旅だった。
この日もお昼も食べずに見学していたので、レンタサイクルを返し、クルマで帰路に向かいながら遅いお昼を食べて帰ってきた。

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2018年6月18日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その4)

2日目。
レンタサイクルは朝9時からだったので、その時間に間に合うようにチェックアウト。
レンタサイクルのお店は着いて電動自転車を借りた。20180618
明日香村では普通の自転車で、意外と登りがきつかったので、初体験だったが電動にしてみた。
「初めて電動に乗る」といったら、お店の人が使い方を教えてくれた。
そのお店、自転車屋さんでもあるので、整備もちゃんとしているし、お店のオジサンもすごく親切だった。
最初はちょっと戸惑ったけれど、すぐに慣れて興福寺に向かった。

●興福寺
南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った(Wikipediaより抜粋)。

昔、「阿修羅像」を見たくて来たが、多分20年ぶりくらいかな?
昨日にも増して、修学旅行の団体がいくつもあり、そして外国人観光客もどっさり。
修学旅行も小学生・中学生・高校生を幅広く、歩道は人に溢れている。こちらは自転車なので、人波を縫うように走らなくちゃいけなくて、楽だけれどちょっと気を使う。

興福寺に着いて自転車置き場を教えてもらい、ものすごい多くの修学旅行生の嬌声が響く境内に「う~~ん」と思ったが、まずは今年1月にリニューアルオープンした「国宝館」へ。
修学旅行生もそんなにおらず、いてもさすがに静かにしていたし、朝まだ早いこともあり館内もそんな混雑していなかった。

久しぶりに見る「阿修羅像」はやっぱり良く、同じ仲間の八部衆立像もそれぞれに感じるものがあって至福の空間だった。
他にも国宝館には多くの展示物があり、照明も明るすぎず暗すぎず、近くによって見られることもできて「お堂の中で見るのも良いけれど、これはこれでとても見やすくて良い」と思った。

興福寺で有名なのは五重塔だけれど、やっぱり敷地は広く、今回は全部を歩いてみた。
南大門跡、中門跡、そして今再建中で今年10月に落慶される予定で再建中の中金堂。そして南円堂、三重塔、北円堂などをぐるりと巡ってきた。
修学旅行生は多いけれど、ありがたいことにどこも「駆け足」で過ぎて行ってくれるので、私のようにゆっくりじっくり見ている人はどんどん追い抜かれていき、混雑で困ることも少なかった。

そこから東大寺へ電動自転車で移動。
朝よりさらに増えた修学旅行生団体と多国籍の外国人観光客の間を「すいませ~~ん」を連呼して、ゆっくりと走る。
奈良公園の鹿も久しぶりに見たが、私たちが修学旅行でそうだったように今の学生も「きゃあきゃあ」と叫びながら鹿せんべいを挙げていた。
私たちの時代と違うのは、外国人観光客がやっぱり同じように鹿せんべいを挙げて騒いでいることだった。

東大寺は何度か来ているが、どうしても「南大門」「大仏殿」で終わってしまうことが多い。
今回は「じっくり見る」とテーマとしているので、まずは一番奥の二月堂へ向けて歩き始めた。(つづく)

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2018年6月11日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その3)

やっと3ヶ所目の「新薬師寺」へ。20180611
この「新薬師寺」、今回一番迷った。ナビで近くまで行くのだが、見つからない。
道路には案内板があるが、路地のように細い道に入っていくと、その先がわからない。
「これが寺社かな?」と思うものがあったが、今度は駐車場が見つからない。
普通、寺社には駐車場の案内もあるが、それもない。
散々迷って、門らしいところに行き着き、3台くらいしか停まれない駐車場を見つけた。
でも、いっぱいだったので「どうしようか」と思っていたら、ちょうど出る人がいて運よく停められた。

●新薬師寺
華厳宗の寺院である。本尊は薬師如来、開基(創立者)は光明皇后または聖武天皇と伝える。山号は日輪山(ただし、古代の寺院には山号はなく、後世に付したものである)。奈良時代には南都十大寺の1つに数えられ、平安時代以降は規模縮小したが、国宝の本堂や奈良時代の十二神将像をはじめ、多くの文化財を伝えている(Wikipediaより抜粋)。

ここに行きたかったのは、ずいぶん前にテレビで見た十二神将の往時のカラー復元を見たからだ。
十二神将の姿も魅力的だが、カラー復元はその鮮やかさが記憶に残っていて、ぜひとも訪れたいところだった。

入って資料を見ると、建立当時はとても広い敷地だったようだが、何度も火災に遭い、今では本堂を残すのみとなってしまっていた。
そのため、施設としてはあまり整備されていなかったけれど、そんな寺社にも外国人観光客がいて驚きだった。

本堂には薬師如来像を囲むように十二神将が立っている。
今回の奈良の旅で、とても多くの仏像を見たが、如来→菩薩→明王と位が下がるつれ、どんどん感情やしぐさが人間的になっていくことが分かる。
如来や菩薩のように「悟りを開いたり、それに近い」仏様は、毅然として感情も動きもない姿となっているのを見ると、私のような人間が感情も動きも溢れてしまっているのは致し方ないことなのかなぁなどと思ってしまった。

小さな庭の庵のようなところでは十二神将の「カラー復元」DVDを放映していて見学。最後にもう1回十二神将をじっくり見てから帰ってきた。

その後、少し早いがホテルに向かった。
今回、実は2日目を「レンタサイクル」で巡る予定にした。
そのため事前にホテル近くの「レンタサイクル」に予約し、さらに2日続けて停めても一番安いコインパーキングを探しておいたので、まずはそこまでクルマで移動。

コインパーキングに着いたら、満車になっていて「どうしよう」と思ったが、ここでも「今から出るから」という人に声を掛けられ、ラッキーにも停めることが出来た。
そこから歩いて、レンタサイクルのお店も確認し、ホテルへチェックイン。

駅の近くなので、ひと休みして駅周辺で夕食。日光では食べるところを探すのに苦労したが、今度はそんなこともなく、食事後にコンビニにも寄ってホテルに戻った。
一応大浴場のあるホテルを選んでおいたので、ゆったりとお湯に浸かり、部屋でTVを見ていたら、歩き回ったせいか眠くなってしまい、早々に寝てしまった。(つづく)

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2018年6月 4日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その2)

前回のつづき。
まだ1日目の2番目の訪問地である唐招提寺。20180604
薬師寺の最後に見学した「玄奘三蔵院伽藍」から外に出て、歩いて「唐招提寺」へ。
最初はクルマ移動も考えたけれど、天気も良いし10分少しくらいの距離なので歩いて向かった。

●唐招提寺
鑑真和上が建立した寺院。南都六宗の1つである律宗の総本山である。本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真である。井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。
唐招提寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている(Wikipediaより抜粋)。

昔から名前は知っていたが、「ピン」とくる情報がなくて、一度も行ってなかった。
今回「行こう」と思ったのは、仏教伝来の初期の頃の事を知って「鑑真和上」の話を知ったからだ。
そうそう、昨年末からずいぶん時間が掛かったが司馬遼太郎の「空海の風景」を読み、初期の仏教の頃の本も読むうちに「南都六宗」という言葉や、その頃の「仏教」と今我々が感じている「仏教」とはずいぶん違うということも知った。

そんな影響から「律宗 総本山」である唐招提寺はぜひ訪問しておきたい寺社となった。
ここは修学旅行生もおらず、海外の観光客も他に比べれば少なく、とてもゆっくりと歩くことができた。
「天平の甍」の代表格のような「金堂」は美しく、安置されている盧舎那仏坐像、薬師如来立像、千手観音立像などを見た。

その後、鼓楼・講堂を経て、一番奥の「鑑真和上御廟」へ。
ここは苔生す新緑の林を通って御廟に向かうのだが、この林が静かで、新緑に囲まれて、今回の中で一番良い空間だった。
その後、「新宝物殿」で古い仏像を見学。ここもほとんど人がいなくて、静かにゆっくり見学できた。

ゆっくり周り過ぎて、すっかりお昼を回り、1時過ぎになってしまい、薬師寺から向かう途中で見つけた美味しそうなお蕎麦屋さんに入った。
入ると修学旅行生の1グループがいて「うわっ」と思ったが、とても行儀がよく、最後には学級委員の子(同級生からそう呼ばれていた)が器も揃えて出て行った。今時にはあまり見ない学生で、薬師寺で会った「禁止とは書いていない」と撮影していたオジサンと真逆の子たちだった。
若いからダメで、年寄りがちゃんとしているなんて言うのは、勝手な思い込みなんだな。

そのお蕎麦屋さん、蕎麦も美味しかったが季節柄、山菜の天ぷらがあり、それがとても美味しく大満足の昼食だった。

もうこの時点で、2時を過ぎてしまい、その日の予定にしていた「奈良国立博物館」を行くのを諦めた。
そして3ヶ所目の「新薬師寺」へ。(つづく)

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2018年5月28日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その1)

若い頃は「観光」的に、京都やお城を巡っていたが、最近はいろんな想いを持って出かけている。
今まで一番多いのは、もちろん「史跡」巡りだ。
一時期は「浮世絵名所」巡りもしたし、他にも「時代劇ロケ場所巡り」なんてこともした。
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ただ、やっぱり「お城」とか「神社仏閣」が多いので、どうしても「由緒」を読んだり、「仏像」を見たりする機会が増える。
そうすると何となく「仏像」にも興味が出るようになってしまった。

「仏像」に関していえば、昨年秋に初めて明日香村を訪ねたこと が大きかった。
そこで見た仏像は、飛鳥時代のもので、見慣れた姿とは少し異なっていた。
それまでも「如来」「観音」「菩薩」「明王」などなど、その違いや位置づけにも興味を持ち、簡単なガイド本を買ってみたりもしていた。

そんな感じでちょっとだけ「仏像」のことが分かってくると、今まで訪ねた所でも「興味のポイント」が変わってきてしまい、さらには「ここも訪ねてみたい」と欲も出てくる。
と言う事で、ゴールデンウィークが明けた翌週に有休を取って、久しぶりに奈良へ行ってきた。

奈良は私の住む地域からは近い。
クルマで2時間少しだから、無理すれば日帰りでも良いのだが、せっかくなので、安いビジネスホテルに泊まる1泊2日で行ってきた。

初日は「薬師寺」「唐招提寺」「新薬師寺」の3ヶ所。
本当は「奈良国立博物館」も予定していたが、最近は「じっくり」見学して説明文も読んだりするので、1ヶ所ですごく時間が掛かる。だから3ヶ所巡るだけで時間がなくなってしまう。
これは結構悩みのタネで、団体ツアーなどのペースでは絶対に満足感のある見学ができない。

●薬師寺
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山である。南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は薬師如来、開基(創立者)は天武天皇。1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。
20世紀半ばまでの薬師寺には、江戸時代後期仮再建の金堂、講堂が建ち、創建当時の伽藍をしのばせるものは焼け残った東塔だけであった。1960年代以降、名物管長として知られた高田好胤(たかだこういん)が中心となって写経勧進による白鳳伽藍復興事業が進められてきた。1976年に金堂が再建されたのをはじめ、西塔(1981年)、中門、回廊の一部、大講堂(2003年)などが次々と再建された。2017年5月には修行・食事に使われる食堂(じきどう)がほぼ完成し、復興事業は最終段階を迎えている(Wikipediaより抜粋)。

20年くらい前に1度訪ねたことがある。
有名な「薬師三尊像」を見て、再建された西塔があったのを覚えていた。
到着して最初に気づいたのは「修学旅行のシーズン」ということ。学生の団体がいて「これは堪らない」と思ったが、仕方ない。とは言え「日光・月光菩薩」の前が混雑していたくらいで、他のところはそうでもなく、ゆっくりと見学できた。
「日光・月光菩薩」は、やっぱり魅力的な仏像で、本当だったらじっくり静かに味わいたいものだが、多くの修学旅行生がいても、その魅力はビンビン感じることができた。
以前来た時よりも「大講堂」「食堂」が増え、その代わりに昔からある「東塔」は大修理中で見られなくて残念だった。

行った時は「西塔」「釈迦八相のうち後半の四相(果相)にあたる諸像」が特別公開されていて、せっかくの機会なので、見学した。入り口には「撮影はご遠慮ください」と張り紙があったが、私よりちょっと年上のオジサンが一眼レフでバシャバシャ撮影していた。
「ここって撮影ダメなんじゃないですか?」というと「遠慮しろと言っているだけで、禁止とは書いていない」と言って平気な顔をしていた。ちょっと日本人として恥ずかしいなぁと思ったが、これ以上言うのもバカバカしくて、そのまま見学を続けた。
まだ、こんな厚顔無恥な日本人もいるんだな。

薬師寺は法相宗の大本山で、その始祖(宗教用語では「鼻祖」というらしい)である「玄奘三蔵(=西遊記の三蔵法師)」の伽藍として「玄奘三蔵院伽藍」が一番奥にあり、そこまで歩いた。
途中「写経道場」もあり、一時期「東塔」くらいしか残らない「荒れ寺」になってしまっていた薬師寺だったそうだが、ずいぶん整理されて、往時の広さも「ちょっとだけ」実感できる感じになってきていた。(つづく)

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2018年5月21日 (月)

近場の城巡り~清洲城と小牧山城

私の住んでいる地方は「信長」「秀吉」「家康」という戦国時代の三英傑を生んでいる。
今では「東京」が日本の中心になってしまったが、戦国時代から江戸幕府が開府されるまでは、日本の歴史上のさまざま出来事の中心の地区でもあった。
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その影響もあり、あちらこちらにお城や城跡が点在する。
「現存12天守」と呼ばれる昔から残っている天守閣も「犬山城」はクルマで1時間、「彦根城」「丸岡城」そしてちょっと遠いが「松本城」なども日帰りで出かけられる位置にある。
もちろん、このような「現存12天守」は今まで訪れているが、最近は復元された天守閣にも足を運ぶようになった。

昔は「コンクリートで出来た城なんて」と思っていたが、最近はさまざまな資料が展示してあることも楽しみになってきているので、往時の雰囲気を想像しながら訪れるようになった。やっぱりこれは年齢の影響だろうか?

この「復元天守」もこの地方には多い。
最近話題になり、今年のゴールデンウィークで一旦登城終了となり、ものすごく多くの観光客が訪れた「名古屋城」をはじめ、家康ゆかりの「岡崎城」など、以前行ったことがあるところを、2年くらい前から再訪していた。
そして、最近は、「近いのに行っていない」ところが気になり始め、GWに行ってきた。

●清洲城
映画の「清須会議」で有名になったが、正確にはここは初めてではない。
復元されたばかりの頃に行った記憶があるは、前述のようにその頃は「コンクリートの復元なんて」と思っていたので、あまり覚えていない。
新幹線からは近いので、車窓から「チラチラ」とは見ていたが、今回はちゃんと見ようと思って行った。
驚いたのは橋も天守閣周りも整備されていたし、展示物やムービーを使った説明など充実していて楽しかった。
そして駐車場は無料だし、天守への入館は300円と財布に優しい。
ただし、本来は今の復元天守の位置にはなく、さらに当時は「天守」はなく「館」の形だったこと。それよりも江戸時代になりいわゆる「清洲越し」で、街ごと「名古屋」に移転してしまうまでは、とても賑わっていて、この地方ではトップクラスの都市だったとのこと。今は名古屋のベッドタウン的で見る影もないが・・・・・。

●小牧山城
ここは「高速道路」「県営名古屋空港」から望める山城。
もちろん天守は復元で、「天守閣」というよりも「資料館」といった感じだった。
ただし「小牧山」は面白い。まだまだ発掘調査中で、年々発見が続いているようで、今は「小牧市役所」となってしまっている小牧山の麓には「楽市楽座」の元となるような街づくりの跡もあるそうだ。
ここは何といっても「小牧・長久手の戦い」で名を知られるけれど、その時秀吉がいた「犬山城」や家康が先回りして待ち伏せした「長久手」あたりとの距離がわかっているだけに、想像を巡らせて楽しんできた。
ただ、山はそれなりに坂がきつく、今のうちに登っておかないと厳しくなりそうだ。

天気もよく写真映えもしたので、左のアルバムに掲載しておいた。
次は「岐阜城」を目指しているが、また訪れたら紹介します。

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2018年5月 7日 (月)

「昔」っていつから

4月から何年か振りに公共交通機関で通勤するようになった。
今まで役職で早朝会議に出ていた恩恵で、会社の駐車場に留めさせてもらっていた。再雇用後もそのまま使わせもらっていたが、いろいろな諸事情で、社内の駐車スペース見直しとなり、その関係で公共交通機関通勤となった。
20180507とは言え、元々40分ほどの通勤時間だし、乗り換え無しなので、今までが超贅沢な待遇だったのが・・・。

その影響で、通勤時間中に文庫本を読むのだが、最近「仏教の歴史」のようなものを読んだ。
こう書くと難しそうな感じだか、とてもあっさり整理して書かれていて、あまり各宗派の考えとか難しい内容でない。
神道から始まり大乗仏教、そしていろんな宗派が生まれ、神仏分離があり、新興宗教と大きな流れに沿って説明してあるものだ。

その中で、改めて知ったことがあった。
明治維新の時に「神仏分離」が行われたが、それまで神社とお寺はとても近い関係であったこと。
神社の中にお寺があるのは、良くある風景だったこと。
そして、天皇が「神道」とされたのも「神仏分離」以降だったこと。
確かに奈良時代などは、天皇が仏教を支援し、有名なところでは「奈良の大仏」などを建立している。

その他、いろいろあるのだが、とにかく「神仏」はとても近い関係だったので、今でも日本人は「除夜の鐘」を聞いて、神社に「初詣」に行っても何の違和感もないのだそうだ。
このことは、海外の人たちには絶対に理解出来ない出来事だが、大半の日本人は何の不思議に感じていない。
そもそも「神道」「宗教」ではないのではないかと、その本に書いてあった。

これを読んで思ったのは「昔から、こうだった」なんてのは、実は「思い込み」に過ぎないんだと言うことだ。
江戸時代の「鎖国」にしても、当時は「日本は神代の時代からずっと鎖国だ」と信じていたそうで、信長・秀吉の時代には貿易が盛んだったことを知らなかったそうだ。

最近の例では、「大相撲の女人禁制」だってそうだ。
江戸時代までは「女相撲」が盛んに興行されていたそうで、今のように「神の儀式だから」というようになったのは、やっぱり明治以降。
たった150年前のことなのだ。

そして会社も同じ。
「ウチの会社の伝統は」とか「昔から、こういうやり方だから」なんて言うけれど、企業の場合もっと短くて、20年とか30年とかだろう。
ウチの会社だってまだ創業100年は過ぎていないから、「昔から」って言っても本当に「最近」の話だ。
「昔から」「伝統的に」なんて言葉は、これからちょっと疑ってかかるぐらいがちょうど良いのかもしれない。

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2018年4月16日 (月)

日光東照宮の旅(その4)

2日目の朝は、やっぱり雨。
予定では「日光山法輪寺」「日光東照宮」「日光山輪王寺大猷院」「日光二荒山神社」
場所的には、全部固まっているけれど、どうも最近はじっくり見たり、宝物殿なんかも見るので、時間が掛かる。
今回も15時には東武日光駅に戻ってこないと帰れなくなるので、早めにホテルを出て駅へ。
20180416_2
そういえば、東武日光はICカードが共通で使えたので、バス利用でもスゴく便利だった。

バスに乗って、東照宮参道へ。
まずは「日光山法輪寺」
今回全く事前に調べずに出かけたので、行ってみて「あれ、そうだったの?」と思うことが多かった。
ここも「三仏堂」が約50年ぶりの大修理中。
「え~~」と思ったが、修理中の姿を屋根の高さまで登って見られたし、「日光三社権現本地仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)」はすぐ下を通って観覧できるという幸運に恵まれた。
もちろん、写真を撮ったりはできなかったけれど。

その後は「日光東照宮」
宝物殿を見てから、いよいよ社殿へ。
陽明門の大修理が終わってしばらく経っているのに、やっぱり人が多い。
雨降りなのに多い。
そしてめちゃくちゃ外国人が多い。
私が行ったときは、チケット売り場は並んでなかったが、見学後戻ったら、長蛇の列になっていた。
「三猿」「陽明門」「眠り猫」など有名なポイントは大混雑。
先に宝物殿を見たおかげで「陽明門」の龍の図に気づくことが出来たのは、良かったかな?

これも知らなかったけれど「薬師堂(本地堂)」では、「鳴き龍」を視聴(?)
一体どういう構造で、場所によって響きが変わるんだろうと不思議だった。
ここも外国人が居て、なんと説明の僧侶が英語で説明していた。スゴイ。
家康の霊廟も長い階段を登って行って来た。
「久能山東照宮」の断崖絶壁を登る葛篭折れの階段を経験して依頼、「久能山よりは、まだ良い」と頑張れるようになったが、ここもちょっと辛かった・・・。

そして「日光山法輪寺大猷院」へ。
密かに一番楽しみにしていた「家光の廟所」
ここは東照宮から少し離れ、一番奥なので観光客も少なく、個人的にはとても良い空気感だった。
「仁王門」「二天門」「夜叉門」とあり、残念ながら「二天門」は修理中だったが、これも変わった姿を見られたのは、良かった。
「夜叉門」については、あとで僧侶からの説明があり、門内に「4夜叉像」があり、その中の「烏摩勤伽(うまろきゃ)」の膝には象が飾られており、ここから「ひざこぞう」という言葉が生まれたのだそうだ。

「拝殿」で見学していたら案内の僧侶からのご説明があった。
「拝殿・相の間・本殿」のこと、そして訪れた日が20日で「家光公の月命日」だったこと、金閣寺・中尊寺金色堂と並んで「日本三大金堂」であること、そして「狩野探幽(かのうたんゆう)の描いた唐獅子」、天井には140枚の龍の絵などなど、スゴイ貴重なものを目の前で見られることに驚いた。

その後、「日光二荒山神社」に寄り「神橋」を写真に収め、帰路へ。
帰りは「のぞみ」だったので、早く帰ってこられた。
やっと日光東照宮に行ってこられたが、中国の春節時期を外したけれど、「インバウンド」と言われる外国人観光客の多さにびっくりした2日間だった。
これからは、そういうことも考えて旅行先を選ばないといけないなぁと思った旅だった。

追伸
またアルバムをアップしておきましたので、良かったら見てください。

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2018年4月 9日 (月)

日光東照宮の旅(その3)

滝を見た後、少しだけお土産売り場を回ったが、平日と言うこともあり閑散としていた。
そろそろ駅まで戻るかとバス停に行ったら、目の前で発車。
仕方なく30分ばかり待って、今度は「下りのいろは坂」で日光まで降りてきた。
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日光駅の周りはお土産屋さんもあり「これなら夕飯は、駅の近くで良いなぁ」と思ってホテルに向かいチェックイン。
「列車+宿泊」のかなりリーズナブルな価格なのに、上々のホテルだった。
もっともシーズンオフということもあるし、普通の観光客なら「鬼怒川温泉」に泊まる人が多いようなので、お得な価格なのだろうか?

部屋でひと休みして夕食を取ろうと外へ出たら、真っ暗。
そして食事できそうなお店も、もう閉まっている!
「だからホテルにチェックインしたときに、ホテル内でも夕食が取れると勧めたのか!」と思ったが、とにかくどこか近くにないかと歩いてみた。

「せっかく日光に来たなら、名物の湯葉を」と思ってなかなかお店がない。
「日光まで来てラーメンの夕食は・・・」と思って歩いていたら、お寿司屋さんだったが「湯葉」のあるお店を発見!
ここが大正解で、「湯葉」「お寿司」も美味しかった。
最近は「回る寿司屋」に慣れてしまったが、ちゃんとしたお寿司屋で握ってもらったお寿司って「こんなにシャリがホロホロと口の中でほぐれて、美味しかったっけ?」と変な驚きを持ってしまったくらいだった。

入った時には、外国人のグループが、そして出る時にもすれ違いで違う国の外国人グループが。
とにかく「さすがは日光」。外国人の観光客が多い。
そしていろんな国からの観光客が本当に多いと2日間、どこに行っても感じる日光だった。
ただ、そのお店の大将が話してくれたが外国人の「予約は受けない」そうだ。

最初は受け付けていたそうだが、「無断キャンセル」が頻繁で、せっかく仕入れた材料がムダになってしまったとのこと。
良くTVやネットで見聞きする話だが、「本当にそうなんだ」と思った。
日本人はそういうことも真面目だからなぁ。
こういうグローバルな常識は日本で根付かないで欲しい。
旅行に行くと、「ネットでお勧めの店」は混んでいることが多い。
でも、お店に飛び込みで入っても、結構おいしい店に出会う
そして、そこのご主人とこんな話ができるのも、旅行のちょっとした楽しみでもある。

帰りに「コンビにでも」と思ったら、駅前なのに「ない!」
仕方なくスマホで調べて、テクテク歩き、ちょっとお菓子や飲み物を仕入れてきた。
ホテルへの帰り道に雨が「ポツポツ」
何とか1日目は降らずに済んだが、どうも2日目は雨の覚悟をしなくちゃいけないなぁと思いながら、ホテル内の大浴場や露天風呂に入り、温まってから就寝した。

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