2018年10月15日 (月)

渋温泉再び_上田城 編

2日目。
温泉に泊まる時の恒例の朝風呂に入り、朝食へ。
その後、「今日は猿が来ているかな?」とライブカメラを見たが、1頭もいない。
仕方なくあきらめてチェックアウトした。
ちなみに翌日ライブカメラを見たら、多くの猿が降りてきていた。今回は縁が(猿?)なかったなぁ。
20181015
クルマに乗って、前回寄った道の駅へ。
前回は、「ムカゴ」「ノビル」など秋の味覚満載だったが、ちょっと時期が早かったせいもあり、全然なく残念だった。どうも今回は希望通りに行かないことがいくつかあったが、その原因は季節や天候など自然が相手だから仕方ない。

「地獄谷野猿公苑」が見られなかった分、少し時間が早かったので、昔「野沢温泉」に出かけた時に寄った「高橋まゆみ人形館」へ行った。
前回はえらく混んでいたが今回はお客さんも少なくじっくり見ることができた。

そこから上田市まで高速道路で移動。
上田市について周りを山に囲まれ、広い平地のある地形を見て「ここを重要な拠点」と戦国時代に言われた理由が分かる気がした。
クルマを停め、上田城へ。

大河ドラマの「真田丸」「ブラタモリ」の影響か、すっかり観光的に整備されていたが、いろいろな城を見てきたせいか、とても興味深い城郭だった。
特に尼ヶ淵は時代の違う石垣が幾重にも重なり、初めて見る石垣群だった。
また東虎口楼門でつながる北櫓と南櫓の見学で見られた「上田戦争」のVTRは面白かった。

池波正太郎氏の「真田太平記」で読んでいるので、一次・二次の上田戦争の背景や小松姫の逸話など知っていて、結果も知っているけれど、その場所でVTRを見ながら各兵の動きを確認するのは楽しかった(かなりマニアックな楽しみ方だけれど)。
他の見学者も「分かりやすかった」と言っていたので、一般の人にも面白かったのだろう。

余談だけれど、「桶狭間」「小牧・長久手」「関が原」「大阪の陣」など戦国時代後半の大きな戦いは、ジオラマなどを使って「俯瞰」で見られると分かりやすいと思うし、その全体の流れがわかって、映画・TVや小説を読むと、また面白くなる。

上田城は大きくないけれど、博物館にも寄ったりして、夕方近くになってしまった。
出来れば「池波正太郎記念館」にも寄りたかったが、時間的にも厳しくなってしまってあきらめた。
結局「野猿公苑」「秋の味覚」「池波正太郎館」など積み残しの多い旅行だったが、「こりゃもう1回は来ないといけないかなぁ」と思い帰途に着いた。

最後にスマホアプリのカーナビで帰ったが、上田から「新和田トンネル」を通って岡谷ICまで高速道路じゃない経路で案内された。昔の「和田トンネル」は10代の終わりに仕事で通ったことがあったが、ほぼ40年ぶりにこの辺りを高速以外で運転した。
昔の「和田トンネル」は狭く、排気ガスが充満していたし、道も細く怖かったが、今はずいぶん走りやすい良い道になっていた。それだけクルマで移動する人が多くなったということなのだろう。(おわり)

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2018年10月 9日 (火)

渋温泉再び_地獄谷野猿公苑 編

先に結果を書いておくが、今回のメインの1つだった「地獄谷野猿公苑」は、猿が来ていないということで空振りに終わった。
出かけたのは、9月の後半の3連休で、初日は天気が悪く、道中ずっと雨だった。
20181009
「どうかなぁ~」と入り口まで行ったが、係りの人が「今日は1匹もいない」と話してくれた。
その頃には、雨も上がっていたが、山特有のモヤが全体に掛かっていて、何度か見学場所までの誘導を試みたが「猿が動きたがらない」とのこと。
「まぁ、動物園じゃなく自然の状況だから」と諦めた。
翌日の朝も、スマホから「ライブカメラ」を見てみたが、やっぱりいなくて、「今回は縁がなかったなぁ」と残念な結果だった。

さて、今回は2016年に行った渋温泉を再び訪ね、「地獄谷野猿公苑」「渋温泉外湯後半戦」、そして「上田城」の3つの目的で出かけた。
最初に向かったのは「地獄谷野猿公苑」
天気予報では、現地は午後から小雨もしくは雨が上がるようだったが、最初に書いたように、山全体にモヤが掛かって、「すっきり」晴れる感じにはならなかった。

それでも「せっかく来たから」とクルマを停め「公苑」まで歩き出した。
片道20~30分掛かると案内があり、駐車場からすぐの飲食店の前にいたスタッフが「今日はいないようですよ」と教えてくれた。

ずっと山の中を歩いて向かったが、帰ってくる人の半分以上が外国人。
ここでもやっぱりインバウンドの影響を感じざるを得なかった。
入り口前は「地獄谷噴泉」のすぐそば。
今まで、有馬温泉をはじめいろいろなところで、源泉場所を見たが、ここまでずっと勢い良く吹き出ている噴泉は初めてだった。
周囲はずっと硫黄の匂いがして、「大自然の贈り物」の感じが満載だった。
その後「野猿公苑」に行ったが、最初に書いたとおりで、諦めて山を降り宿泊する旅館に行った。

前回は「温泉街の入り口側だったので、今回は「一番奥側」に宿泊。
チェックインしてひと休みしたら、まだ明るい時間だったので、外湯巡りへ。
前回行けなかった「五番湯 松の湯」「六番湯 目洗いの湯」「七番湯 七操の湯」「八番湯 神明滝の湯」の4ヶ所。そのうち「六番湯 目洗いの湯」は改装中と言うことで入れなかったが、残りは全部巡ってきた。

今回、同じような順番で巡る人と「ここは熱いね」とか「あそこは、ちょうど良い湯加減だった」などと話すことがあり、こんなことも外湯巡りの面白さなのだと気づかされた。
また外人のカップルが写真を撮りながら巡っているのにも遭遇。
でも漢字が読めないのか、「巡り用の手拭い」「外湯の名称」を一生懸命見比べていたので、ちょっと声を掛けてあげた。
英語は全く分からないが、どうやら「手拭い」の表裏も分からないようで、「こっち」と手まねで教えてあげた。

その後、旅館に戻り休んで夕食へ。
そこで初めて「鯉の洗い」「鯉こく」を食べた。特に「鯉こく」は江戸時代小説などに出てくるので「へぇ~こういうのなんだ。臭みとかないんだな。」と思ったが、骨がメチャクチャ硬くてびっくりした。
お腹いっぱいで部屋でTVを見ながらゴロゴロした後、次は旅館のお風呂へ。
露天は2人入ればいっぱいの小ささだったが、渋温泉全体が見える眺望で、前回と違って楽しめた。
(つづく)

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2018年10月 1日 (月)

近場の史跡巡り~有松宿

なんだか最近は「近場の史跡巡り」がシリーズになりつつある。
それだけ、私の住んでいる地方は史跡が多いということだろう。
東海地区という場所は関西と関東と北陸と伊勢の4つの方向のクロスする重要な拠点だ。
だから戦国武将は、その拠点を抑えたかったし、徳川幕府を起こした家康も、西からの勢力に備えて、名古屋城という巨城を築いたと言われている。
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若い頃は、やっぱり京都や奈良と言った観光的に有名な地域にしか史跡なんてないと思っていた。
ところが近年の歴史ブームとか、ネットの紹介などで実はとても身近なところにもあると分かってきたし、史跡巡りも回を重ねると、徐々に詳しくなって「ここも行ってみたい」と次への興味も沸く。
東京なんてその良い例で、もうそこら中に史跡があり、以前3日間ひたすら巡ってみたが、まだまだ行ってみたい所がある。

さて今回行ったのは「有松宿」
正式な宿場町ではなく、「有松」の名前で有名なのは「絞り」だ。

有松宿は五十三次の宿場ではなく 「間の宿」 であるが、特産品の有松絞りを郷土の土産にと、きそって買い求める旅人が多かったことから大繁盛した宿場であった。
 広重の「五十三次鳴海宿」はここ有松を描いたもので、絵の中の店先には有松絞りの暖簾が下がっている。(Wikipediaより)

場所は名古屋市の外れ。
だから自宅からクルマで1時間くらいの場所。
もちろん場所も名前も昔から知っていたし、近くは何度も通っている。
離婚したばかりの頃、子どもは近くに住んでいたし、一時期良く遊んだ友人もこの近くだ。
なのに、一度も行っていなかった。
最近、私の住む地方のローカルTV局で、たまたま「有松絞り」を紹介する番組を見て、「行ってみるか」と出かけてきた。

ネットで簡単なMapを手に入れ、駅近くにあったイオンにクルマを停めた。
街並みとしては、ほんのわずかしかないが、一応Mapをもらうために「観光案内所」に入った。
「どこから、お見えですか?」と聞かれ「いや、地元です」と答えると、「そういう人多いですよ。」と言われた。意外と近くからの人が多いようだ。

そして有り難いことに、天気が悪かったせいもあり、観光客も多くなく、ゆっくりと街並みを歩くことができた。
小さな街並みだけれど、「有松絞り」を扱った豪商屋敷を思わせる家がいくつかある。
その中には「うだつ」がある家もチラホラ。

テクテク歩いて「有松・鳴海絞会館」へ。
1階は「有松絞り」のお土産売り場だったが、有料となる(といっても300円だけど)2階へ。
そこはビデオ紹介に始まり、いろいろな絞りの種類や、道具、そして実演しているお婆ちゃんがいて、直接話を聞いたり出来て楽しかった。
お話を伺ったお婆ちゃんは「60歳過ぎて覚えた」と言っていて、ちょうど私の歳から始めたのかと話が盛り上がってしまった。

「絞り教室」には外人の観光客が熱心に習っていた。
「体験型の観光が増えた」と聞いていたが、教室はまさに「体験型」で、欧米の外国の人の方が、こういう日本の伝統技に詳しくなってきているかもしれない(笑)。

「有松・鳴海絞会館」を出て「有松山車会館」でお祭りに使う山車を見学。
この地方には、あちらこちらに「山車」があるが、これもこの地区の特徴でもある。
その後、遅いお昼を近くのうどん屋さんで食べて帰ってきた。
ちょっと出かけて楽しめる史跡は、まだまだある。
関ヶ原も行ってみたいし、実家近くの苗木城址にも行きたい。
年齢相応に行ってみたいところが近くにあるというのは、幸せなことだと思う今日この頃だ。

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2018年9月25日 (火)

能力に関する雑感

ちょっと今回はタイトルで迷った。
いきなり話は外れるが、正社員時代の最後はプランナーだったので、良く企画書を書いた。
企画書を書くとき、やっぱり「タイトル」は大切で、それを見るだけで、これから言うことが想像できるとか逆に、どういうことを言うのか?と興味を持ってもらうとか、とても大切なものだ。
そんな癖があるので、このブログの時もタイトルに悩むことがあるが、今回はまとまらなかったので、「雑感」として逃げたタイトルにした。

さて、本題。
今まで「能力」というキーワードで何度か話題にした。
例えば「スタッフと指揮官は違う能力」みたいな話だ。
スポーツでも、昔から「名選手=名監督でない」という言葉があるくらいだから、この「能力の違い」ってのは、昔から分かっていることなのだろう。
20180925
今年大きく話題になっている各スポーツ界で起きているパワハラ的問題の根源の一部にも「能力の違い」があるのでないだろうか?
組織が大きくなればなるほど「選手として実績がある」というだけの能力では適切な管理が難しくなる。

そしてこの話は企業にもつながる。
日本の企業の大部分を占める「中小企業」の経営者の多くは「血縁で経営者になる」「社員としての実績から経営者になる」のどちらかだと思う。
わが社の場合、先代は前者の「血縁」で、今は後者の「社員実績」からトップになっている。

話は変わる。
一般の人は知らないだろうが、今、企業は「責任の明確性」を法的に突き付けられている。
「企業レポートのガイドライン」や企業経営に関する法規制である「ガバナンス・コード」など、どんどん企業が「責任」という名の鎖にがんじがらめになっている。
具体的には「この役員は、なぜ役員となる経緯と理由を述べよ」とか「最高執行機関(一般には役員会)に参加する人の情報を公開せよ」などがある。
これは例のスポーツ団体も同じことで、そういう時代になっている。
TVの芸能人コメンテーターは、そんなことも知らずに「昔は通用したが今は時代が違う」と言うが、明確に取り巻く状況が変わっていることは確かだ。

仕事の関係である興味深いレポートを読んだ。
「欧米には経営のプロがいるが、日本にはいない」
欧米の場合、経営のプロが経営層になり「企業価値を向上」させ、企業を売却し利益を得る。
だから経営層は「価値」を上げるために、経営ノウハウを駆使するし、その分野の知識を学びスキル向上をする。そして「価値」下がれば、その全責任は経営層にあると明確にされる。
だからこそ欧米の経営層のギャラは高額だ。

ところが日本は「社長」になるのが、多くの場合「ゴール」になってしまっている。
そして日本の経営層のギャラは低い。そりゃそうだ。「責任」が明確になっていないから。
ここに「欧米の企業と日本企業との大きな違いがある」とのことだった。

これを読んで、とても腑に落ちた。
「ゴール」に着いてしまった人に「これからの展望」など望めるはずもない。
なのに社員は「トップの方針を知りたい」と言う。
それに「社員としては優秀」な人が「経営として優秀」とは限らない。
そう求められる「能力」が違うから。

今までは何とか誤魔化せてきたけれど、「責任」ということを明確にしようとしてきた時代には、もう誤魔化せない。
「能力」が違うから、もう無理だというのが正しいのだろう。

最近のわが社を含めた中小企業やスポーツ団体の右往左往の状況を見ていると、表面のゴシップ的な話題より、こんな根源的な課題に気づくようになったのは、年のせいか仕事のせいか?
こういう状態を「時代が変わってきた」と感じるのは、やっぱり60歳という年齢がそうさせるのだろうか?
今までの人も、これくらいの年齢になると「時代が変わってきた」と感じてきたのだろうか?
いずれにしても「能力」がないものが、異なる能力の実績で上にいると不幸な状態になる時代だということは、確かなようだ。

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2018年8月20日 (月)

始まりは、いとこのメールから

ちょっと時間が過ぎてしまったけど、最近としてはかなり珍しかった出来事だったので備忘録として書くことにした。
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今年は梅雨の末期に発生した西日本豪雨と、その後の連日の炎暑と天候に振り回されっぱなしの日本だ。
その西日本豪雨の範囲は本当に広く、私の田舎にも一部「避難勧告」が出ていた。
でも雨雲や降水量の速報を見ていると、兄貴たちが住んでいる市内中心は大丈夫そうだったし、何も言ってこなかったので「まぁ、良かったんだろう」と思っていた。

その後、炎暑が続き2週間くらいした時に、突然同じ年齢の従姉妹から携帯メールが来た。
私のいとこたちの話は今から8年前に「いとこたちの集い」 に書いたが、おそらくそれ以来の連絡だったと思う。
「なんだろう?」と思ったら、どうやら豪雨の被害に遭わなかったか心配してのことだった。
彼女は現在、仕事の関係で九州の福岡にいる。

そこからちょっとメールでやりとりして、彼女の両親も私の住む街に残して赴任しているおり、ヘルパーを頼んで何とか生活しているような状況らしい。
で、最後に「いとこたちの集い」 の時に幹事をやってくれた一番年下の叔母に連絡しても出ないし、その息子(我々の従兄弟)も連絡取れないと言ってきたので、私の携帯に入っている番号を教えておいた。これも古いから「繋がらないかも?」と思ったが、取り合えず分かる範囲で応えておいた。

その後、その叔母さんが「交通事故で入院中」と連絡が来て、ビックリ。
取り合えず病院名を教えてくれたので、ネットで調べて会社帰りに行ってきた。

事故そのものは5月の終わり、
あばらや大腿骨など骨折したようで、叔母自身は当時の記憶が曖昧で、事故の様子ははっきり分からなかったが、まぁ何とか元気そうで安心した。
「心配かけるだけだから、内緒にしてた」と言ってたけれど、それも叔母らしいと言えば叔母らしい。
事故のケガも大変そうだったが、それより事故のショックで胃潰瘍になったことも入院が長引いているとも言っていた。

その様子を兄貴に連絡し、さらに最初に連絡をくれた従姉妹にも連絡した。
また翌日には仕事の都合で会えなかったが叔母の息子である私とは一番親しかった従兄弟からもお礼のメールが来た。

ひょんなことで、いとこ同士で連絡を取り合ったが、下から2番目の年である私がもう還暦を過ぎている。久しぶりにあった叔母も「ずいぶん年取ったなぁ。耳も遠くなっているし」と思ったが、それも当たり前と言えば、当たり前。
時の流れは、ある意味残酷な現実を見せてくれるなぁと、ふっと思いが過ぎる出来事だった。

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2018年7月 2日 (月)

愛は傷つきやすく(ヒデとロザンナ)

今回のタイトルで「オオッ」と思った方は、私の年齢より上なのではないだろうか?

まったく忘れていたが、ある時「インターネット・ラジオ」というものを会社で聴きながら仕事をしていた時に、この曲が流れ「ああ、こんな良い曲が昔あったなぁ」と感動した。
すぐにYouTubeで確認して、楽譜も探して、帰宅早々ギターで弾いてみた。
20180702
YouTubeを見ていて「懐かしい音楽」に出会うことは、このブログで何度か書いた。
ところが最近は「インターネット・ラジオ」を聴くようになった。
Macユーザーでもある私は、「インターネット・ラジオ」自体はMacの国で出た頃から知っていたが、日本ではあまり展開していなかったので、まったく聴いたことがなかった。

しかし、世の中はどんどん変化する。
ある日スマホでアプリを探していたら、日本にも数多くの「インターネット・ラジオ」の放送局が増えて、スマホアプリやインターネットを通して聴くことが出来ることに気づいた。

これ、何がよいかと言うと、普通のラジオのようにDJの「しゃべり」が全くない。
淡々と音楽が流れる。
昔、喫茶店なんかで流れていて「有線放送」みたいな感じだ。
しかも聴くのにお金はいらない。

いろんな放送を試しに聴いてみたが、まずJ-POPを聴いた。
これはこれで良いけれど、年齢的に付いていけない。
そんな時「J-Pop Sakura」に行き着いた。

この放送局は日本の「懐かしい」をコンセプトとしている。
だから、冒頭の「ヒデとロザンナ」時代のものや、演歌やフォークやニューミュージックなど、とにかく私の年齢には聴きやすい曲ばかり流れる。
「J-Pop Sakura」で検索すれば聴くことができるWEBがいくつ出てくる。
iTunesから聴くことも出来るが、残念ながらMacからは周波数の関係か聴けない。
これはインターネットも同じで、MacユーザーはiPhoneのアプリだったら聴くことができる。

YouTubeで懐かしい音楽に出会った時も「こんなタイムマシーンに乗って過去へ行ったような体験ができるんだ」と思ったが、「インターネット・ラジオ」は、こちらが意図していない曲が流れるから、その衝撃度は何倍も違う。
「愛は傷つきやすく」が流れた時は「この二人、こんなに歌が上手かったのか」と改めて驚いた。

最近、プロの人が歌って「すごいなぁ」と思うことが少なくなって、歌い手が「一般的になりすぎている」気がするが、こうやって懐かしい音楽を聴くと、昔のプロのクオリティが半端でなく高かったのがわかる。
そんな音楽を普通にTVで見たり聴いたりしていた私たちの世代は、ある意味贅沢だったのかもしれない。

「愛は傷つくやすく」~ヒデとロザンナ

自由にあなたを 愛して 愛して 私はこんなに傷ついた
たとえば二人で命をたてば 微笑みさえも消える
よみがえる日々(よみがえる愛) やさしい言葉で
なぐさめつつんで そして結ばれた

その時私は あなたの指が 小さくふるえるのを見たの
たとえば涙にくちびるよせて 二人は愛にゆれる


自由にあなたを 愛して 愛して 私はこんなに傷ついた
たとえば二人で命をたてば 微笑みさえも消える
よみがえる日々(よみがえる愛) やさしい言葉で
なぐさめつつんで そして結ばれた

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2018年6月25日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その5)

たった2日間、奈良に行っただけなのに、5回の連作になってしまった。
まぁそれだけ充実して楽しんできたということで勘弁してください。20180625_3
二月堂、三月堂は行った記憶が曖昧だった。
二月堂の「お水取り」は有名だが、それ以上のことは知らなかったこともあり、今回は「ちゃんと見よう」と思って訪ねた。

ここも修学旅行団体で混雑していて、特に二月堂は大混雑だったが、それ以外は空いていた。
特に三月堂(法華堂)の不空羂索観音立像を初めとする仏像群のある堂内は、静かで凛としていて仏像とゆっくり対面できる素敵な空間だった。

他にも二月堂から大仏殿に向かう道筋も、たまたまあまり人がいない時で「ちょっと時代劇のロケとか出来そうな」良い雰囲気だった。
そうそうその道で「お水取り」で使用した「大松明」が脇に数本片付けられていたが、真昼間に明るい時に見ると、単に竹先が焦げた棒切れにしか見えなかったな。

そしていよいよ東大寺大仏殿へ。

●東大寺
奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山。
宗派は南都六宗の華厳宗。空海が別当を4年間務めるという異例の歴史を知ったので、再度興味があって行って来た。

この2日間の中で、1番の人ごみ。
特に南大門へ向かうところと大仏殿前は、「ラッシュ時の東京駅」みたいに人だらけだった。
さらに修学旅行生と海外観光客が入り混じり、言語も騒ぎ方もトンでもない状態で、とても「古都 奈良」という日本の代表的な場所にいるとは思えない感じだった。

何度来ても大仏殿は大きいと思う。
そして大仏もやっぱり大きい。
ここには「撮影禁止」となかったので、みんなが「パシャパシャ」と撮影しており、私もせっかくなので、撮りまくった。
本当は「東大寺ミュージアム」にも行きたかったが、ちょうど長期休館中で見られなかったのは残念だったが、まだ少し時間が早かったので、昨日いけなかった「奈良国立博物館」へ。
ちょうど「春日大社」の特別展が開催されていたので、それを観覧し、地下でつながっている「なら仏道館」へ。

そこにも本当に多くの仏像が展示されていた。
奈良に行く一週間前に新聞に載っていたが、仏像の体内に経典や装具が収められていたという発見があり、それも展示してあった。
この2日間で本当に多くの仏像を見たが、これからもっと技術が進んで、仏像に傷つけることなくイロイロな調査が進むのではないかと思う。
そして4Kとか8Kとか超高精細TVが実用化されると、こういった仏像も超至近距離で見るより細かなことが分かるようになるだろう。

その前に実物をしっかりゆっくり見られたことは本当に楽しかったし、日光と違って天気も良く充実した旅だった。
この日もお昼も食べずに見学していたので、レンタサイクルを返し、クルマで帰路に向かいながら遅いお昼を食べて帰ってきた。

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2018年6月18日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その4)

2日目。
レンタサイクルは朝9時からだったので、その時間に間に合うようにチェックアウト。
レンタサイクルのお店は着いて電動自転車を借りた。20180618
明日香村では普通の自転車で、意外と登りがきつかったので、初体験だったが電動にしてみた。
「初めて電動に乗る」といったら、お店の人が使い方を教えてくれた。
そのお店、自転車屋さんでもあるので、整備もちゃんとしているし、お店のオジサンもすごく親切だった。
最初はちょっと戸惑ったけれど、すぐに慣れて興福寺に向かった。

●興福寺
南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った(Wikipediaより抜粋)。

昔、「阿修羅像」を見たくて来たが、多分20年ぶりくらいかな?
昨日にも増して、修学旅行の団体がいくつもあり、そして外国人観光客もどっさり。
修学旅行も小学生・中学生・高校生を幅広く、歩道は人に溢れている。こちらは自転車なので、人波を縫うように走らなくちゃいけなくて、楽だけれどちょっと気を使う。

興福寺に着いて自転車置き場を教えてもらい、ものすごい多くの修学旅行生の嬌声が響く境内に「う~~ん」と思ったが、まずは今年1月にリニューアルオープンした「国宝館」へ。
修学旅行生もそんなにおらず、いてもさすがに静かにしていたし、朝まだ早いこともあり館内もそんな混雑していなかった。

久しぶりに見る「阿修羅像」はやっぱり良く、同じ仲間の八部衆立像もそれぞれに感じるものがあって至福の空間だった。
他にも国宝館には多くの展示物があり、照明も明るすぎず暗すぎず、近くによって見られることもできて「お堂の中で見るのも良いけれど、これはこれでとても見やすくて良い」と思った。

興福寺で有名なのは五重塔だけれど、やっぱり敷地は広く、今回は全部を歩いてみた。
南大門跡、中門跡、そして今再建中で今年10月に落慶される予定で再建中の中金堂。そして南円堂、三重塔、北円堂などをぐるりと巡ってきた。
修学旅行生は多いけれど、ありがたいことにどこも「駆け足」で過ぎて行ってくれるので、私のようにゆっくりじっくり見ている人はどんどん追い抜かれていき、混雑で困ることも少なかった。

そこから東大寺へ電動自転車で移動。
朝よりさらに増えた修学旅行生団体と多国籍の外国人観光客の間を「すいませ~~ん」を連呼して、ゆっくりと走る。
奈良公園の鹿も久しぶりに見たが、私たちが修学旅行でそうだったように今の学生も「きゃあきゃあ」と叫びながら鹿せんべいを挙げていた。
私たちの時代と違うのは、外国人観光客がやっぱり同じように鹿せんべいを挙げて騒いでいることだった。

東大寺は何度か来ているが、どうしても「南大門」「大仏殿」で終わってしまうことが多い。
今回は「じっくり見る」とテーマとしているので、まずは一番奥の二月堂へ向けて歩き始めた。(つづく)

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2018年6月11日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その3)

やっと3ヶ所目の「新薬師寺」へ。20180611
この「新薬師寺」、今回一番迷った。ナビで近くまで行くのだが、見つからない。
道路には案内板があるが、路地のように細い道に入っていくと、その先がわからない。
「これが寺社かな?」と思うものがあったが、今度は駐車場が見つからない。
普通、寺社には駐車場の案内もあるが、それもない。
散々迷って、門らしいところに行き着き、3台くらいしか停まれない駐車場を見つけた。
でも、いっぱいだったので「どうしようか」と思っていたら、ちょうど出る人がいて運よく停められた。

●新薬師寺
華厳宗の寺院である。本尊は薬師如来、開基(創立者)は光明皇后または聖武天皇と伝える。山号は日輪山(ただし、古代の寺院には山号はなく、後世に付したものである)。奈良時代には南都十大寺の1つに数えられ、平安時代以降は規模縮小したが、国宝の本堂や奈良時代の十二神将像をはじめ、多くの文化財を伝えている(Wikipediaより抜粋)。

ここに行きたかったのは、ずいぶん前にテレビで見た十二神将の往時のカラー復元を見たからだ。
十二神将の姿も魅力的だが、カラー復元はその鮮やかさが記憶に残っていて、ぜひとも訪れたいところだった。

入って資料を見ると、建立当時はとても広い敷地だったようだが、何度も火災に遭い、今では本堂を残すのみとなってしまっていた。
そのため、施設としてはあまり整備されていなかったけれど、そんな寺社にも外国人観光客がいて驚きだった。

本堂には薬師如来像を囲むように十二神将が立っている。
今回の奈良の旅で、とても多くの仏像を見たが、如来→菩薩→明王と位が下がるつれ、どんどん感情やしぐさが人間的になっていくことが分かる。
如来や菩薩のように「悟りを開いたり、それに近い」仏様は、毅然として感情も動きもない姿となっているのを見ると、私のような人間が感情も動きも溢れてしまっているのは致し方ないことなのかなぁなどと思ってしまった。

小さな庭の庵のようなところでは十二神将の「カラー復元」DVDを放映していて見学。最後にもう1回十二神将をじっくり見てから帰ってきた。

その後、少し早いがホテルに向かった。
今回、実は2日目を「レンタサイクル」で巡る予定にした。
そのため事前にホテル近くの「レンタサイクル」に予約し、さらに2日続けて停めても一番安いコインパーキングを探しておいたので、まずはそこまでクルマで移動。

コインパーキングに着いたら、満車になっていて「どうしよう」と思ったが、ここでも「今から出るから」という人に声を掛けられ、ラッキーにも停めることが出来た。
そこから歩いて、レンタサイクルのお店も確認し、ホテルへチェックイン。

駅の近くなので、ひと休みして駅周辺で夕食。日光では食べるところを探すのに苦労したが、今度はそんなこともなく、食事後にコンビニにも寄ってホテルに戻った。
一応大浴場のあるホテルを選んでおいたので、ゆったりとお湯に浸かり、部屋でTVを見ていたら、歩き回ったせいか眠くなってしまい、早々に寝てしまった。(つづく)

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2018年6月 4日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その2)

前回のつづき。
まだ1日目の2番目の訪問地である唐招提寺。20180604
薬師寺の最後に見学した「玄奘三蔵院伽藍」から外に出て、歩いて「唐招提寺」へ。
最初はクルマ移動も考えたけれど、天気も良いし10分少しくらいの距離なので歩いて向かった。

●唐招提寺
鑑真和上が建立した寺院。南都六宗の1つである律宗の総本山である。本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真である。井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。
唐招提寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている(Wikipediaより抜粋)。

昔から名前は知っていたが、「ピン」とくる情報がなくて、一度も行ってなかった。
今回「行こう」と思ったのは、仏教伝来の初期の頃の事を知って「鑑真和上」の話を知ったからだ。
そうそう、昨年末からずいぶん時間が掛かったが司馬遼太郎の「空海の風景」を読み、初期の仏教の頃の本も読むうちに「南都六宗」という言葉や、その頃の「仏教」と今我々が感じている「仏教」とはずいぶん違うということも知った。

そんな影響から「律宗 総本山」である唐招提寺はぜひ訪問しておきたい寺社となった。
ここは修学旅行生もおらず、海外の観光客も他に比べれば少なく、とてもゆっくりと歩くことができた。
「天平の甍」の代表格のような「金堂」は美しく、安置されている盧舎那仏坐像、薬師如来立像、千手観音立像などを見た。

その後、鼓楼・講堂を経て、一番奥の「鑑真和上御廟」へ。
ここは苔生す新緑の林を通って御廟に向かうのだが、この林が静かで、新緑に囲まれて、今回の中で一番良い空間だった。
その後、「新宝物殿」で古い仏像を見学。ここもほとんど人がいなくて、静かにゆっくり見学できた。

ゆっくり周り過ぎて、すっかりお昼を回り、1時過ぎになってしまい、薬師寺から向かう途中で見つけた美味しそうなお蕎麦屋さんに入った。
入ると修学旅行生の1グループがいて「うわっ」と思ったが、とても行儀がよく、最後には学級委員の子(同級生からそう呼ばれていた)が器も揃えて出て行った。今時にはあまり見ない学生で、薬師寺で会った「禁止とは書いていない」と撮影していたオジサンと真逆の子たちだった。
若いからダメで、年寄りがちゃんとしているなんて言うのは、勝手な思い込みなんだな。

そのお蕎麦屋さん、蕎麦も美味しかったが季節柄、山菜の天ぷらがあり、それがとても美味しく大満足の昼食だった。

もうこの時点で、2時を過ぎてしまい、その日の予定にしていた「奈良国立博物館」を行くのを諦めた。
そして3ヶ所目の「新薬師寺」へ。(つづく)

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