2017年5月22日 (月)

龍馬までさかのぼる先祖

この話題の直接のきっかけは、今年の正月だった。20170529_senzo
さらに、間接的には、かなり昔から兄貴たちと話していたことだ。
私の父親の姓は、父親の両親(私から見れば祖父母)とは違っている。
父親は私が中学の時に他界しているので、すでに真実は分からないが、私たち兄弟が小さい時に聞いた話しでは「今の私の姓である家名を継がせるために祖母方の養子」になったということだ。

あんまり覚えていないが、私の父親は兄弟とも両親とも姓が違うため、自分が小さい時には「もらわれて来た子供」だと思っていたと聞いたこともある。
その真相を探るきっかけは、何年か前に父方の親戚が兄貴の家を訪ねて来たことに始まった。

ここからは、私が兄貴から聞いたことなので正確なことは分からない。
その訪ねて来た親戚も、もう私達とは面識もなく、東京方面に住んでみえ、お墓参りも兼ね訪ね訪ねて兄貴の家に辿り着いたようだ。
その親戚筋は、私たちの姓が違う理由も知らずに、兄貴からいろいろ聞いて驚いて帰られたとのことだ。

そのことがきっかけとなり、さらに兄貴の家に初孫が生まれたこともあってか、そもそも本当はどうだったのかを兄貴は調べ始めた。
調べた時の戸籍謄本を見せてもらったが、今と違って手書きの文字で、しかも達筆だったり旧字だったりで非常に読みにくい。
けれど、何とか分かったのは、父親は祖父母と養子縁組したのではなく、曾祖父母の両親、私から見ると4世代遡るのが、今の私の姓であったことだ。
なので、父親は自分の曾祖父母と養子縁組したということだ。

その曾祖母(私から見ると高祖母というんだそうだ)の家名を残したいというのが、今、私が名乗っている姓の元となっていることになる。
この高祖母の名前は「つ祢(ツネ)」と言う人なのだが、何と生まれたのは「天保11年(1840年)」。兄貴の調べによると「坂本龍馬の5歳年下」とのことだ。
この人が亡くなったのは大正5年。私の父親は明治44年生まれだから、5〜6歳までは生きていたようだ。

そして、その「つ祢(ツネ)」さんの娘に「いま」さんがいるのだが、この人が生まれたのが「元治元年(1864年)」!なんと「元治元年」、幕末大好きな私(兄貴も少しそうだが)としては思わず驚く「蛤御門の変」の年なのだ。

「蛤御門の変」と言えば、長州藩の暴発により幕末の騒乱がいよいよ始まったエポック的な出来事だ。
こうやって、自分から数世代遡るだけで、江戸末期の歴史に触れることができる、
私達世代にとって江戸は「ついこの前」だったのか?
それとも私達の世代が「昔の世代」になりつつあるのか?
きっとどっちもなんだろう。

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2017年2月20日 (月)

城と温泉とパンダの旅(その3)

さて、泊まったホテルは「アドベンチャーワールド」がすぐ近く。
開場時間に合わせて、チェックアウトして出発すると、前後のワンボックスカーも同じ目的地に向かって走る。
やはり「前日温泉、翌日アドベンチャーワールド」というのは、誰もが考えるコースのようだ。20170220_panda

到着したのは開場したばかりの時間。
すぐにチケットを購入して入場。開場したばかりだったで、スタッフが手を振ってお出迎えしていた。
まずは「パンダの赤ちゃんを」とMAPを見ながら向う。
入り口近くのコーナーには2頭が朝ご飯中。それを少しだけ見て、「赤ちゃん」のいる施設まで(一番奥だった!)まで急ぎ足で向かった。
ちょうど前日から「お母さんパンダと一緒に公開」とニュースでやっていて、それなりに混むのだろうと覚悟した。
到着したら、かなりの人だったけれど、東京のように「もの凄い数の人で何時間も待つ」という状態ではなった。
スタッフの説明が少しあって、「このあとお母さんが登場です」となり、「歩きながら見学を」とアナウンスされたら、流れながら、けっこうしっかり見られた。

「赤ちゃんパンダ」は、まだ後ろ足がヨチヨチで、スタッフが離れると一生懸命追いかける。
スタッフは、出来るだけ見えやすい位置に運ぶのだけれど、すぐにスタッフの後を付いていく。その姿が可愛くて、口元が緩んでしまった。昨年生まれた二人目の三代目を見ているようだった。

ここはパンダが7~8頭。
お父さんとお母さんの相性が良いのか、上手く飼育できているのは、2年おきくらいに赤ちゃんが誕生しており、ゆっくり確認すると「2歳」とか「4歳」とかの子供たちがいるのが分かる。
朝一番の入場だったために、どのパンダも朝ごはん中で、笹をバリバリ。
上手に手に持って、柔らかい葉っぱのところを歯で削いで食べる。その音まで聞こえて、ずいぶん活動的なパンダの姿をじっくり見られた。
ただ、あとから見直した時は昼寝中もいたけれど。

その後、イルカのショーの会場へ。
事前にアプリをダウンロードしていたので、各会場のショーの時間も分かって、ほんの少し待ったら始まった。
20年以上前の時は、シャチのショーだった記憶があったが、今回は3種類のイルカたちのショー。
スピード感があって、いろいろな芸を見せてくれて、周りの観客は大喜び。
それに、うまく演出してて、撮影しながらビジョンにスローモーションで再現したり、音楽に合わせてジャンプさせたり、完成度が高いなぁ~~と言う感想。

そして次は「サファリ号」でサファリワールドへ、「草食動物コーナー」はウォーキングでも見学できるが「肉食動物コーナー」は、この「サファリ号」のみの見学。
残念ながら、ここの肉食動物たちは、チータを除いてほとんど寝ていた・・・・。
そんな感じで、アプリのおかげで迷うことなくあちこち見学して回り、帰途へ。

今度は途中で西名阪道の無料自動車専用道路経由で行くように考えて走った。
やはり「西名阪」「自動車専用道路」とは言え「高速道路」ではないため、カーブもきつく山越えもあったが、渋滞することはなかった。
結局高速道路とあまり時間も変わらず、高速代は半分で済んだ帰り道だった。

松江城、出雲大社、厳島神社、由布温泉、道後温泉、城崎温泉、久しぶりに高知城・・・・・まだまだ行きたいところはあるなぁ・・・・(おわり)

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2017年2月13日 (月)

城と温泉とパンダの旅(その2)

タイトルの順番で言えば、今回は「温泉」の話。
正確には「温泉」というより「宿泊ホテル」の話・・・・。20170213_koganoi

こうやってどこかに出掛けるとブログに紹介するので「あちこち行って、美味しい物を食べて、お金があるなぁ~~」と思われそうだが、かなりリーズナブルなところばかり行っている。
口コミ評価は4点以上で、部屋食でなくって、食事も量より少しずついろいろ食べられて、出来れば禁煙で(そうでない場合は、空気清浄器で消臭済み)、そしてもちろん温泉もあり、値段は15000円前後。
あまり安いと、ちょっと不安だけれど、これくらいの予算だとうまく選ぶと良い宿に出会える。

この施設も旧名とあり、最近リニューアルし、HPでは「中庭のイルミネーション」押しで、「う~~~ん、若い人向けかなぁ?」「部屋とか綺麗かなぁ」と不安ではあったが、評価を信じて予約した。
こういう昔からの建物のリニューアルは、ちょっと入り組んだ道にあり、案の定すぐ近くで一回迷ったが、無事到着。
到着してびっくり!
かなりの大きなホテルで結構部屋数もありそう。
駐車場に停めてチェックインすると、定番の食事などの説明。
そこで「今回、海外の団体様が宿泊しており、明日の朝食は、団体様とは違う時間でお越しください」と言われた。
「海外?」・・・・「中国の人たちかぁ」

昨年、箱根に行ったときはちょうど春節だったから観光バスで乗り付けるツアーにもあったが、今回もやはり春節間近ということで団体様。
決して人種差別のつもりはないけれど、中国の人はやかましいし、ちょっとルール無用だし、苦手だ。
実際に夜入浴した時に、内風呂で2人の中国の人が大きな声で、ずっとしゃべっていて、ちょっと閉口した。
これから、春節近くは避けて予約しないといけないなぁ。

とにかくチェックインして、部屋に入ると意外に広く「全室オーシャンビュー」の通り、湾が一望できる。
さらに、眼下にはイチオシの「イルミネーション」の中庭があるし、お風呂も露天と内風呂が1つずつだけれど、広く大きい浴槽。
特に露天風呂は、円形の深底で、立っても胸近くまで湯船がある。思わず、夜に一人の時に泳いでしまった。

そして夕飯。
お腹が空いていたので、早めの時間にしてもらったが、かなり美味しく、贅沢な出汁の効いた料理が少しずつお皿に盛られて、「う~~~ん、至福至福」と悦にいって食べた。
全部残らず綺麗に食べたら、かなり満腹になり、一休みしてから再度お風呂へ。
中庭のイルミネーション見学も、寒さ対策で防寒着があり、それでも寒くなったら急ぎ温泉へ行けばよい。
やっぱりイルミネーションは家族連れやカップルが多かったが、ま、こんなことを味わうのも良いだろう。

次の朝のバイキングは、言われた通り、中国の人の団体を避けたが、そういう日本客が多いようで、子連れもたくさんいて、なかなか賑やかというか、煩いというか、ちょっとだけマイナス点を付けたくなった。
でも、温泉も食事も(特に夕食)とてもよく、さらに部屋も広く、総合的には、かなりの満足度の高い施設だった。(さらにつづく)

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2017年2月 6日 (月)

城と温泉とパンダの旅(その1)

このブログで振り返ってみると6年前に「南紀白浜温泉の旅 その1」に白浜温泉に出かけている。
20170206_wakayamajo
この地方は、私の住む街からは遠い。
というか「紀伊半島」は、高野山や十津川、そして熊野古道など山々が深く高速道路が走っていない。
だから、名神高速などがある琵琶湖側に行くか、半島を海沿いに走るしかない。
今まで、2度白浜に行っているが1度目は今から20年以上前に、アドベンチャーワールドを訪れた。
この時は、行きは高速、帰りは半島の海沿いを走った記憶がある。
そして2度目は前回の「南紀白浜温泉の旅 その1」 で、この時は高速道路での往復だったと思う。

今回の目的は「温泉とアドベンチャーワールド」
いつもは、「温泉と史跡」なのだが、今回は昨年「パンダの赤ちゃん誕生」もあり、せっかくなので、そちらを優先した。
前の週には西日本は大雪に見舞われて、ちょっと心配したが、心がけが良いのか(?)初日は少し曇り、2日目は晴天と天候にも恵まれた。和歌山より南に行くと、まだ雪の跡が結構あり、相当積もったことが分かったが、もし1週間早かったら、完全に行けなかった・・・・。

さて、冒頭に書いた「白浜までのルート」だが、事前にスマホのアプリで選んでいたが、実際にクルマでセットしたら、違うルートを出してきた。
「う~~~ん、どっちが良いか分からない・・・・」
結局クルマのナビで「オール高速道路」を選択して、出発。
大きな渋滞もなく順調に進んだけれど、高速代が・・・・・。

和歌山に到着して「紀州東照宮」に。
前回来たときはあまり興味がなかったが、2年前に「久能山東照宮」 に行ってから、東照宮に興味を持ったので、再度訪ねてみた。
前回の記憶が「階段があった」くらいしかなく、行ってみたら、そんな程度の記憶が当たり前で、かなりこぢんまりしており、久能山のように家康公の霊廟もなく、本殿で参拝するだけで、中に入るにはさらにお金が必要ということで、さっさと降りてきてしまった。

ホテルに行くには早すぎるので「じゃ、和歌山城へ」と行き先を追加して出発。
全国の平城跡は、県庁などになっていることが多いように、ここも官庁街の近くにあった。
天守閣は、コンクリートの復元で、中は資料館となっていたが、有名な「吉宗公」に関するものはあまりなかったが、お城の形としては重心が低く、それなりの存在感のある天守だった。
石垣をぐるりと回り重要文化財になっている「岡口門」を見て、駐車場に向かうと無料の市民動物園が。
市民の「サポーター制度」で成り立っているせいか、すごく狭いところに入れられ、決して衛生的でなく、動物たちが可哀そうに思えたけれど、小さい子が気軽に動物を見ることが出来るから、これはこれで必要なのかなぁと思いながら、和歌山城を後にした(つづく)

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2017年1月10日 (火)

還暦の同窓会

前回の同窓会は2014年。
本来は「5年ごと」に開かれる高校の同窓会だが、前回の「50代最後の同窓会」 に書いたように「還暦」に合わせるために3年で開催された。
そして、今年その「還暦の同窓会」が開かれた。
20170110_dosokai
前回が3年後で、今回も3年後なので、気分としては「久しぶり」というよりも「いよいよ還暦」ということで、私自身も「今回は行っておかないといかんわな~~」と思い参加してきた。
いつものように墓参りと兄貴の家に寄ることも兼ねるので、クルマで行くのだが、さすがに同窓生も「また今回もクルマか?」と言われること自体、馴染みの同窓会になっている証拠だ。

この同窓会、以前「5年に一度の同窓会」 に書いたように、地元に残る同窓生の「卒業10年を記念して」の思い付きから始まった。
今回も、この話題が中心だったが、私のように(近いけれど)地元を離れてしまった人間からすると、感謝しても足りないくらい感謝している。

今回の出席者は80数名。卒業生は300名以上だったから、こんなもんの出席率だが、回を重ねるごとに出席する人間は固定化されていく。
私のクラスも幹事が「ここのメンバーは、いつも出席してくれる」と言っていた。

昔は同窓生に逢うことが楽しみだったが、年を重ねるごとに「先生」に逢うことも楽しみの一つになってくる。
当然、我々より年上なので「亡くなった」という先生もいる。
今回は、4名の先生が出席。その中に、実に久しぶりに逢う先生がいた。
その先生は社会科の担当で、在学中よりも卒業したての頃に、少し個人的に繋がりがあったのだが、もう40年も前のこと。
先生に逢って「覚えている?」と聞いたら、思い出せない感じだった。
ちょっと淋しい気もしたが、個人の記憶なんて、こんな感じで、それぞれに重みが違う。
本当は同窓生のいないところで少し話したかったが、無理だったので諦めたが、その先生は今でも教壇に立っていると挨拶していた。そんなに働きものだったかなぁ~~~。

2時間弱で本会は終了。
昔はもっとビールの空き瓶が並んだが、今回少なくなったのも年齢のせいか?
最後に、ずっと続けてきた永久幹事への拍手と、定期的な同窓会は一旦今回で終わることを告げられた。
その理由はもちろん「還暦」という節目だけれど、もう一つは「いつまでも、こんな連絡をくれるな」という人もいることを告げられた。
隣りの席の同窓生は「なんでそんなこと言うんだろう?」とか「気にせずに出席すれば良いのに」と言っていたけれど、それは「同窓会に出席できるような人生を送ってきたから言えるんだ」と告げると「そうだなぁ」と、しみじみと言っていた。

いずれにしても、節目の「還暦の同窓会」には無事出席できた。
あとは、いつ逢えるか分からないけれど、いつあっても「おお!元気にしていた?」と笑顔で同窓生に逢えるような人生でありたいと、今回も思って会場をあとにした。

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2016年8月29日 (月)

リオ・オリンピック

始まる前は、そんなに楽しみにしていなかった。
報道も「治安」「会場建設納期」ばかりが目立ち、「大丈夫なのか?」みたいな空気が流れていた。20160829gorin

でも、終わってみると「日本のメダルラッシュ」があったせいもあり、毎日ニュースを見るのが楽しみな期間を過ごさせてもらった。
とは言え、本当は取り立ててブログで話題にする気はなかったが、これも「備忘録」と思い書くことにした。

★日本のメダルラッシュ
たくさんのメダルを取った。
合計41個は過去最高。金メダルも12個と関係者は大喜びの状態。
こんなに取れたからか柔道で「銅で謝るな」とか吉田沙保里の「4連覇ならずの号泣銀」、さらには卓球の「愛ちゃんの団体号泣銅」などなど、単にメダルを取っただけでなく、いろんな周辺状況込みの話題が多かった。
そういう「お涙ちょうだい報道はどうか?」という記事も見たけれど、単に結果だけの騒ぎより、オリンピックまでのプロセスを感じながらの応援は、それなりに良い応援の仕方とも思っている。

それに、バドミントンなどを見ていると「いかに競技人口を増やすか?」とか男子400mリレーでも「長年の研究」など、各競技界の長期計画の大切さが花開く大会だった。
これは、会社などの組織作りにも必要なアプローチで、「うまく行っている時ほど、次を考える大切さ」を改めて感じた。
良い例が男女マラソンや出場できなかった女子・決勝に出れなかった男子のサッカー、それに前回の男子柔道、今回の女子柔道、まだまだフェンシングにアーチェリーなどなど。
前回は良かったけれど今回は・・・・とか、いろいろ感じるものがあった。

ちょうど私があと1年で定年ということもあり、今、私の所属する組織も激変の時期だが、それと重なって「ずっとうまく行く組織運営は難しいんだなぁ」といつもと違う感想を持った。

★オリンピックらしいシーン
有名なのが女子5000mで衝突し転倒した二人の選手の助け合った姿。
他にも紛争地域であるコソボからの出場で金メダルを獲ったり、女子体操だったかで韓国と北朝鮮の選手のツーショット場面やバドミントンのタカマツペアの「前日の女子レスリングを見て、最後まで諦めないと思った」というような他競技との関連など、実にオリンピックならではのシーンが多かった気がする。

特に日本だけでなく海外の「出場するだけでも大変」みたいなシーンにスポットを当てることもオリンピックの本来の意義としてとても重要なことだと思う(主にNHKが多かったかな?)

こういうのを見るとやっぱりオリンピックは選手も観客も、そして世界中の人にとって特別ものだなぁと今回は特に感じるものだった。
ちょっとお金が掛かったり、いろいろな損得が絡んだり、きな臭いことも多いけれど。
次回は東京。
長生きしているので、前回の1964年を覚えているが、あの時とはまた違う盛り上がり方をするのだろう。

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2016年7月25日 (月)

好事魔多し……久しぶりのクルマ接触(その3)

(余談だが、会社のPCがウィルス汚染にさらされ、一部書き溜めてたブログ記事が消滅というか暗号化されて使い物にならなくなった・・・)
修理工場が引き取りに来てくれた時に「どれくらいの期間掛かりますか?」と聞くと「約2週間」と言われた。20160725_kuruma
「え~~そんなに掛かるの?」と聞くと、「保険会社が見に来たりして、けっこう時間が掛かるんですよ」とのこと。
う~~ん、仕方ないなぁと思い、代車生活となった。

最初は「ちょっと乗り心地が・・・」と思っているうちに、人間というのは面白い。
それなりに慣れてくる。余談だけれど、代車は私のクルマより新しいので「アイドリング・ストップ機能」が付いている。会津若松に旅行に行った時に借りたクルマにも付いていたが、どうもこの「アイドリング・ストップ機能」は好きになれない。
信号で停まるたびにエンジンが止まり、スタートするたびにセルモータが回ってエンジンが掛かる。
これってクルマに負荷は掛からないんだろうか?
と思っちゃうので、いつもこの機能はオフにしてしまう。

傷つけてしまった隣のクルマが代車に変わったら、保険会社から状況報告としてメールで随時連絡が来るようになった。
2週間は掛かると言われていたので、「そろそろかなぁ?」と思っていたら、修理工場から「お待たせしました!」と連絡があり、無事に治ってきた。
「こちらのドアは交換しましたぁ」と言われて「え~~」と思ったが保険使うから、そうしたんだろうか?
とにかくクルマは治ってきた。

変なもので、代車に慣れてしまっていて、今度は自分のクルマの感覚に慣れなくて、少し困ってしまった。
「2週間も借りていたけれど、代車の料金は大丈夫かな?」などと思っていたら、保険担当から電話が掛かり、そのことを聞くと調べてくれた。
修理工場はきっちり保険で賄える料金の代車を用意しており、その後、メールとハガキでまずは「代車レンタル代」として明細が報告された。

その後、隣の傷つけてしまったクルマも治ってきて、またメールにて報告。
そのうちに修理工場からは免責分の請求書が届き、さっそく銀行振り込みで処理。あとは私のクルマの修理代金と相手の修理代金が明確になったら報告が来ることになっている。
と、最初は不安だった「ネットの自動車保険」は、思いのほか面倒でなく、さらに電話とメールを使い分け、「ネットだから困る」ということはなかった。
もちろん、今回は単純な接触事故で人命に関わることがない軽いものだったからだろうけれど、本当にこれくらいで済んだと、これからも気を付けないといけない。

「好事魔多し」。改めて胸に刻んでおこう。

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2016年7月19日 (火)

20160719_好事魔多し……久しぶりのクルマ接触(その2)

(前回の続き)
「う~~~ん、どうしようか?」20160719_kuruma
と思ったが時刻は9時過ぎ、しかもぶつけたクルマの持ち主も分からない。
と、いうことで「取りあえず明日だな」と思って、用事に出かけた。

運転しながらも「ディーラーの担当に電話すれば良いか?」と思ったが、そういえばクルマの保険が高いので、今回からネットの保険に切り替えたんだった。

これも「好事魔多し」だなぁ。
今まで通りディーラーの保険だったら、いつもの営業に電話を掛ければ、全部対応してくれる(以前、他のクルマにぶつけられた時、そうだった)。
ところが今回はネット保険。
もう切り替えた時に限って、こういうことをやっちゃうんだよねぇ。

とにかく次の日になり、駐車場の大家さんに連絡して、クルマの持ち主の連絡先を教えてもらってから、ネット保険の「事故対応」窓口に電話。
マニュアル通りと言えば、それまでだけれど、キチンと順番に聞いてくれたので、状況を説明。

途中で「もう保険を使うから」というと休日事故対応担当者に変わり、修理工場の手配や相手への連絡などやってくれると言う。
私のネット保険は、TVのCMで織田裕二は「私が専任担当者です。ただいまお相手の方と連絡取れました。これからはすべてお任せください」とやっているが、私の専任担当者は女性だという違いはあるが、現実でもそれに近い形で対応してくれた。

しかも相手との話や進捗状況などを逐一電話で報告してくれる。
私が電話したのは、土曜だったので、臨時で「休日事故対応」の担当だったが、月曜になり改めて「専任担当者」から連絡があった。

修理工場はすでに日曜に来てくれて、私のクルマは引き取り、そして代車も持ってきてくれた。
保険の契約では代車は「1日5000円限度」とあったので、軽自動車や小さな普通車を覚悟していたが、私の乗っているゴルフと同じメーカーのワンランク下のポロを用意してくれて、びっくりした。(さらに続く)

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2016年7月11日 (月)

好事魔多し……久しぶりのクルマ接触(その1)

このブログでは来年、定年になることをここ2~3年書いている。20160711_kuruma

若い頃は、早くの両親の死や転職、結婚そして離婚と非常に波の激しい人生を送ってきているので、あまり大きなうねりのない日々が続くと、「ふっ」と不安になることがある。

美輪明宏氏が「人生は死ぬまでに50対50」になるんだよとTVで話していた時に、妙に納得したものだ。
私自身も若い時の経験から「良いことがあると悪いことが起きる」と思うようにしている。
所謂「好事魔多し」という格言を割と胸に刻んでいる。
特にクルマの運転している時には、昔いろいろヘマをやっているので、注意するようにしている。

ところが、本当に「好事魔多し」通り、やってしまった。
ある金曜の夜、帰宅後用事で出かけるために、クルマに戻った。
乗るときには私のクルマの左側に駐車しているクルマを目にしたのだが、乗ってから少し運転席で、ごちゃごちゃ雑用をしていた。

雑用も終わり「さて、出発」と思い、アクセルを踏んで、公共道路に出るために左にハンドルを切った。
その時には完全に左側にクルマが停まっていることを忘れていた。
だから、当然ぶつかるわけで、左の後ろ側でいきなり「ガリガリ」と音がした。

もう本当に完全に左のクルマのことは忘れており「なんだ?」と思って気づいたが後の祭り。
降りてみたら、左リヤのドアを中心にけっこうな傷。
そしてぶつけたクルマにも傷。

「あ~~あ、やっちゃった~~~」
「なんで忘れたんだろう」と後悔しきり・・・・・・
これが夢だったら良いのにと思うが、そんなわけはなく、
やっぱり「好事魔多し」なのである(続く)

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2016年6月13日 (月)

ミニ江戸の旅~国芳・国貞編

「若冲展」の寄り道、2回目。
これは本当にたまたま前日に知ったイベント。
会社の関係でY新聞という全国紙を購読しているがその中に「ボストン美術館所蔵『俺たちの国芳 わたしの国貞』」の記事があり、急きょ寄ることにした。
20160613kuniyoshikunishada_2
場所は「渋谷Bunkamura」
渋谷などという街は、20代のころに寄ったことがあっても、基本的には若者の街だと思っており、まったく近づかない街。
駅から歩き始めて、有名なスクランブル交差点では、もの凄い多くの人が行き交う。

そしてここでも外国人旅行者を見かけた。
どうもこの「スクランブル交差点」は世界的には名所になっているらしく、多くの行き交う人をバックに記念写真を撮っていた外国人をたくさん見かけた。
何が珍しいんだろう???

「渋谷Bunkamura」に到着。
さすがに「ボストン美術館所蔵」だけあって、浮世絵として非常に状態が良く、刷色の鮮やかさも十分残っていて、眼福眼福の連続だった。

しかし、さすがに東京。
「若冲展」ほどではないけれど、ここも多くの人が来ていて、結構並んでの見学だった(とは言え、目の前でじっくりと見ることが出来たけれど)。
多くの人がいたけれど、平日のせいなのか、江戸文化や浮世絵、そして歌舞伎題目など基礎的な知識のない人がいた。
感想を口に出しながら、同行者と見学しているのだが、その感想が「違うんだよね~~」と思わず突っ込みたくなるものが多かった(笑)。

作品群が良かったので、我慢できずに図録を購入。
これで「若冲展」と2冊の図録を抱えて帰ることになった。
帰りの新幹線にもちょうど良い時間となり、座席に着くと、隣のおば様二人連れから「もしかして、一緒のところにお出かけ?」と声を掛けられてしまった。
(これが若い子なら、嬉しいけれど・・・・)

どうも今回購入した「50+」サービスの利用者は、このようなおば様たちが多く、私のようなサラリーマンとは違い、平日にあちらこちらに出かけて人生を満喫している様子だった。

日帰り東京で、「若冲展」だけでなく、欲張ってあちらこちらに寄った。
さすがに体力的にはきつかったけれど、楽しい「ミニ江戸巡り」を満喫できた。
人の多さには閉口したけれど、やっぱり名所旧跡めぐりは楽しい。
これからも出かけて行きたいものだ。

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