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2021年9月20日 (月)

[はくぶつ館講座]晩年の秀吉

今年から始めた歴史関連の講座参加だが、リアル・オンラインともに経験してきて、ずい分慣れてきた。
今月の初め、家から自転車で10分の所にあり博物館の講座があり、またまた参加してきた。
天気が悪かったので、贅沢にクルマで行ったがここの駐車場「1回300円」とリーズナブルなので助かる。
いつものように手続きして着席してしばらくすると、受講時の「注意」としていくつか説明が流れた。
その中で「撮影は、他施設のものもあり、周囲の人にも迷惑になるので、やめるように」というのがあった。20210921

実は以前スマホで説明画面を「バシャバシャ」撮影していたオバさんがいて「え?撮影して良いの?」と思っていたのだが、そのような人たちへの注意喚起なのだろう。
仕事であちこちのセミナーや展示会に出かけた経験から言えば、通常「原則、撮影・録音は禁止」が常識だと思うのだが、そういう常識がない人もやはりどこにでもいるのだろう。
勝手な推測だが、結婚後専業主婦が長い人には、このような「世の中の常識」を知らずにマナー違反をしてしまう人が多い気がする(すいません、勝手な言い分なので、許してください)。

さて今回の講座テーマは「秀吉没前、数年の文書」
冒頭で担当学芸員から「豊臣秀吉文筆集」の説明があった。
この講座を受講するようになって、このような施設の学芸員で展示会の準備や展示品の整理だけでなく、このような研究資料作りなどもあって、本当に「好き」「造詣」が深くないと出来ないなぁと感心している。
この「豊臣秀吉文筆集」は2014年から刊行を開始し、今年第7巻が発刊されたとのこと。
刊行開始の理由として「秀吉出生の地」として秀吉研究の「メッカ」になっていけばという思いがあると説明していた。

秀吉と言う人は「生涯8,000通」の文書があると言われているが、実はその数は毎年増えているのだそうだ。
ただ今まであったものの「写し」もあれば、「真贋」もあるし、本当に「新しく発見」されたものなどがあり、その実数は常に変化しているとのこと。
これもまた学芸員の活動に感心する要因の一つでもある。
講座の中では、秀吉が亡くなる直前「慶長の朝鮮出兵」の頃の文筆を中心に紹介されたが、当時の「追伸」が書かれる位置の説明など、古文書に全く知識のない私としては、なかなか興味深い内容だった。
そして、今回初公開となった「おとら宛」の自筆書状についても取り上げられた。。
この「おとら」は蒲生氏郷の妹で、秀吉の側室。一説では京都の三条にいたために「三条殿」と言われたらしい。
秀吉の「女好き」はドラマや小説に良く出てくるが、生涯10人以上の側室を持ったと言われ、その出自が家来の娘とか姻戚とか、ある意味「人質」的な意味もあったのかもしれない(もしくは、単に女好きかも)。

講座の内容を詳しく紹介は出来ないが、最後の説明の中でなぜ秀吉が多くの文筆を残したのかという説明があった。
知られている通り、秀吉は正確な出自は分からないが一般には貧しい百姓だったと言われる。
そのため信長や家康のように若い頃から自分に仕えてきた家来もおらず、本当に信頼を置ける部下もいなかった。
そんな秀吉が、いろいろあったにせよ「日の本を統一」「豊臣政権」を設立したために、非常に多くの文書を書き、今風の言葉で言えば「考えや命令を見える化」したのだそうだ。
学芸員が作成した資料の最後には、こう書かれている。
「秀吉という個性によって築き上げられた奇跡の政権。秀吉にしかできなかったこと」
こんな視点から秀吉のことを考えたことがなく、そんな新しい発見も講座参加の楽しみでもある。

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