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2021年8月30日 (月)

近場の史跡 田原城跡と渡邉崋山

20210830今回の史跡は「田原城」
全国的にはあまり有名ではないが、例のお笑い芸人の「オアシズ(大久保佳代子と光浦靖子)」の出身地だ。
もう亡くなってしまったがデザインの学校に行っていた頃の友人の出身地でもあったので、昔から馴染みのある土地名だが、史跡的には全く知らなかった。

ある時に小説を読んでいて「渡邉崋山」の名前が出てきた。
「蛮社の獄」とか「高野長英」など、歴史の授業や小説で耳にするワードだが、恥ずかしながら全く詳しいことは知らない。
さらに「渡邉崋山」などは、私と同じ苗字ということで、強烈に記憶に残っている名前なのに「いったい何をした人なのだろう」という情けない知識だ。
調べたら、私の住む場所からは、高速道路で1時間半くらいで行けるということで7月の後半に行ってきた。
ちょうど夏休み最初の週末で混むかと思ったが、そうでもなくスムーズに行くことができた。

訊ねたのは以下の場所。
・田原城跡
・田原市博物館
・崋山神社
・城宝寺
・城宝寺古墳

この中で博物館では「渡邉崋山」を中心に紹介していた。
なかでも「蛮社の獄」では「鳥居耀蔵」の名前が出てきてちょっとびっくり。
この名前は、いくつかの小説に出てきて覚えた名前だが、歴史的にどのような人だったのか、これまた恥ずかしながら知らない。
ただ、小説には概ね「嫌な奴」「悪い役人」という感じで登場するのだが、ここで名前が出たことで「ちゃんと調べよう」と思った。

蛮社の獄
天保10年(1839年)に起きた言論弾圧事件。高野長英、渡辺崋山などが、モリソン号事件と江戸幕府の鎖国政策を批判したため、捕らえられて獄に繋がれるなど罰を受けた他、処刑された。(Wikipediaより)
この言論弾圧事件は、老中・水野忠邦の命により目付の鳥居耀蔵が探索を行い実施した。
鳥居耀蔵と渡邉崋山は、当時浦賀の測量を命じられ、洋学的な崋山の測量が採用されたことを恨みに思ったとの通説がある(博物館でも、そのように説明していた)。
これは鳥居耀蔵の実父が、林大学頭であったことから「洋学を認めない」との見方により唱えられたようだが、実際はそうでもなかったようだ。

じっくりと資料を見ていくと、家計のために始めた画業の作品では実に「写実的」で、きっと「モノを正しく見る」という気持ちの非常に強い人だったのではないかと思える。
さらに田原藩の家老となっても「意見書」などを具申し、変な言い方をすれば「空気を読んで、あまり荒立てない」というような人ではなかった気がする。
そして幽閉中に自刃して生涯を終えるだが、なかなか強情で適当な世渡りのできない人だったと思え、周りはハラハラし、苦労もあったのではないと妄想してしまった。

そしてその「渡邉崋山」の菩提寺を周ったがそこには「城宝寺古墳」というものがあることを今回行く前に調べて初めて知った。
城宝寺古墳
渡辺崋山の墓所で有名な城宝寺の境内にある、6世紀末から7世紀初頭に築造された古墳。現存する石室は全長が8.7mで、うち玄室が長さ6.4m、幅2.4mである。羨道は長さ2.3m、幅1.2m、高さ1.5mだが、羨門部は破壊後に積み直された形跡があり、本来の羨道は現在より2mほど長かったと考えられる。(Wikipediaより)

明日香村に行ってから興味を持つようになった古墳だが、こんなに良い状態の石室が見られる古墳があるとは知らなかった。
日帰りで行ってこられるような場所に、まだまだこんなにいろいろな史跡があり、さらに知らない歴史的なことがあると思うと、やっぱり「行かれる年齢の時に、行っておこう」と改めて思う。
そのためには、毎日会社に行く生活を、きちんと考える時期に来ている気がする。

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