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2021年6月21日 (月)

気づかない能力

前回は「変化についていけない人」のことを書いた。
あの前提は「私は、何とか付いていっている」もしくは「変化していることを認識している」という視点で書いたが、今回は「これから自分が身に付けないといけない能力」について書こうと思っている。20210628

定年後も再雇用、さらに昨年再雇用の更新もさせてもらい、いよいよ来年には老齢年金の全額支給が始まる年齢になる。
そのような状況なので、再雇用更新後「65歳で完全に退職」という区切りを意識して会社勤めをするようになっている。
定年になったあとに「もう管理職じゃないから、いろいろ気になることがあっても目をつぶろう」と思い、そのように気を付けているが「気づいてしまう」ことは無くならない。
そりゃそうだろう。
それまで「いち早く気づいて対応する」ことに集中して40年以上も仕事してきたのだから、そんなに簡単に「気づかなくなる」のだったら苦労しない。

これは個人差があるようだが、デザイナーからディレクターと言う立場になった時に「わりと周りの動きに気づける方だ」と思ったことがあるから、おそらく平均よりは気づける方なのだろう(残念ながら女性に対しては、まったくその能力が欠けているようだが)。
かといって、最近は芸能人もカミングアウトするようになったHSP(非常に感受性が強く敏感な気質もった人)というわけでもない(人疲れする部分は若干、その症状なのかもしれないが)。
いずれにしろこの「気づいてしまう」ことは、今まではさまざまな面のメリットではあったのだが、今のような年齢や立場になってくるとデメリットというか、ちょっと邪魔な能力になってきつつある。

◆会社での気づき
仕事面はもちろん、自分たちが散々言われてきた服装や整理整頓など、いろいろ気になる。
ただ管理職だった時と違い、気づいても知らないふりをしているが、そのうちに上層部から「激震的注意」が落ちてくる。
でも直接怒られるわけじゃないし、自分たちの部署でないと関係ない顔をしている人たちが多く、結局部門として「襟を正す」ことはしないので、いつまでたっても「緊張感」が生まれない。

◆生活の中での気づき
住んでいるマンションの「ゴミ出しの日」に、カラスや猫除けのネットが設置されていても、誰も被せずにゴミを置いていくし、自転車置き場に「スコップやいろんなガラクタなど私物」を積んでいたり、もういろいろ気づいてしまうのだが、あまり荒立ててもいけないなぁと何も言わないようにしている。
通勤中の自転車でも、何度も書いてきたようにスマホ見ながら歩いたり自転車で向かってきたり、本当に怖い思いもするが、これも怒りたいのを我慢して、こちらが注意して避ける。

こんなふうに数え上げればキリがないが、ふと振り返ると、自分が10~20代の頃にもきっと先人たちも「我慢して気づかないふり」をしていてくれたのではないかと思う。
「まぁ、若いから仕方ないよ」とか「そのうちに自分で気づくようになるよ」と実に暖かい目で見守っていてくれたのかと、この年齢・立場になって思うようになった。
ただ願わくば「気づいてしまう」のではなく「気づかない能力」を身に付けたいものだ。
そうでないと「気づいているけれど、気づかないようなふりをする」というあまり心身に良い状態ではないことを続けるのは、なかなかしんどい。
これを続けていると「切れる老人」になってしまいそうな気がするから。

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