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2021年6月の記事

2021年6月28日 (月)

虚偽が蔓延する世界

20210628_20210615104101 2週間くらい前の朝、新聞を見て驚いた。
「架空の顔で『お客様の声』『大満足』…AIで生成、90サイトで宣伝に悪用」という見出しで、記事は以下のようだった。
AI(人工知能)で作り出された架空の人間の画像が、あたかも実在するかのような形で多数の業者の宣伝サイトで使われていることが、読売新聞の取材でわかった。商品やサービスを推奨する客などを装って掲載されていた。すでに海外では悪用が問題になっており、歯止めなく使われれば、取り扱いのルールを巡って議論になる可能性がある。

画像は、大量のデータから特徴を学ばせるAIの深層学習(ディープラーニング)の技術で精巧に自動生成できる。国内では大阪市のIT企業「ACワークス」が、イメージ写真や仮想モデルなどとしての利用を想定し、会員登録すれば無料でダウンロードできるサービスを2年前に開始。実在の客を装っての掲載などは規約で禁止していた。

しかし、読売新聞が同社から提供を受け、103人分の画像の利用状況を調査した結果、規約に反するとみられる方法で掲載しているサイトが少なくとも90に上ることが確認された。

この記事の中の「商品やサービスを推奨する客を装う」という部分は、私の若い頃には頻繁に行われていた方法だ。
おそらく当時から禁止されていただろうが、とても緩い時代だったので、制作関係者の奥さんや子供の写真などを使ったことがある。
しかし、今ではAIで作成された「実在しない人物」を使っているというは、技術の進化がもたらした新たなる虚偽の世界だ。

この記事に載っている「ACワークス」は私も知っている素材ダウンロードサービス企業だが、このようなサービス企業を利用する場合、人物が映っていると「モデルリリース」が必要となる。
要は撮影されたモデル自身が「使用を許諾してるか?」という肖像権の問題だ。
よくTVで街の風景で人がぼかしてあるのは、この「モデルリリース」の許諾を得られていないからで、コンプライアンスが厳しい今の時代、実在の人物を使用するというのは、とても手間の掛かることになっている、

この「AI人物画像」はそのような面倒さやコンプライアンス的なリスクを回避する狙いの新しいサービスだと思うが、そこを逆手に取って虚偽の宣伝に使用することを知って、「虚偽の世界のものを使って虚偽のアピール」という虚偽の2乗状態だと変な関心をした。

デジタルとかインターネットの技術が飛躍的に進み、トランプ大統領じゃないが「フェイクニュース」は世界を駆け巡っているし、我々世代には、どうにも職業として感じられない「ユーチューバー」なる人たちもいる。
さらに私たちの身近にもデザインアプリが使えるというだけで「デザイナー」と呼ばれる人や上からの指示を聞くだけの「企業の発注者」だったり、実際の現場実績がほとんどなくて提案だけするプランナー(この場合、やはり受注に繋がらないが)だったり、私が若い頃にあこがれた「本物の人たち」っていうのは、少なくなってきている気がする。

技術は進歩していくけれど、虚偽の世界の方が膨らんでいる。マトリックスの世界が近づいている気がする。

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2021年6月23日 (水)

立花隆氏 逝去

すごく熱心なファンだったわけじゃない。20210623
ただこのブログの過去記事を検索したら2度ばかり名前を挙げさせてもらっている。
どちらもネット社会の到来に関して「人類史上、制御されてない情報が溢れる時代」と予想したことを紹介している。
この言葉は著書でなく、TV番組の発言だったと記憶しているので、もしかすると言い回しは異なるかもしれないが、趣旨としてはそのような発言だったと思う。

振り返ってみると、実際にネットでの「誹謗中傷」「ステルスマーケティング」(このあたりはダークゾーンだけど)、それに「ビッグデータ」など、立花隆さんがネット社会の話をした頃には、あまり想像できないような情報社会になっている。
コロナ禍の人の動きなどもスマホや携帯の位置情報から割り出すなど、あの発言をしたご本人でさえ想像していなかった状況になっているのではないか?

訃報記事では代表著作として「田中角栄研究」が紹介されているが、私が読んだのは「宇宙からの帰還」
駒かな内容は覚えていないが、宇宙に行った半数がその後「宗教関係」に進んだという話は覚えている。
それだけ「宇宙」というもの、そして漆黒の宇宙の闇に浮かぶ「地球」という存在は、神秘を感じさせるものだと想像しながら読んだものだ。

最初に「熱心なファンではなかった」と書いたが、そんな私でも記憶に残っているということは一時期「時代の寵児」的な方だったことは間違いない。
ご冥福を。



 

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2021年6月21日 (月)

気づかない能力

前回は「変化についていけない人」のことを書いた。
あの前提は「私は、何とか付いていっている」もしくは「変化していることを認識している」という視点で書いたが、今回は「これから自分が身に付けないといけない能力」について書こうと思っている。20210628

定年後も再雇用、さらに昨年再雇用の更新もさせてもらい、いよいよ来年には老齢年金の全額支給が始まる年齢になる。
そのような状況なので、再雇用更新後「65歳で完全に退職」という区切りを意識して会社勤めをするようになっている。
定年になったあとに「もう管理職じゃないから、いろいろ気になることがあっても目をつぶろう」と思い、そのように気を付けているが「気づいてしまう」ことは無くならない。
そりゃそうだろう。
それまで「いち早く気づいて対応する」ことに集中して40年以上も仕事してきたのだから、そんなに簡単に「気づかなくなる」のだったら苦労しない。

これは個人差があるようだが、デザイナーからディレクターと言う立場になった時に「わりと周りの動きに気づける方だ」と思ったことがあるから、おそらく平均よりは気づける方なのだろう(残念ながら女性に対しては、まったくその能力が欠けているようだが)。
かといって、最近は芸能人もカミングアウトするようになったHSP(非常に感受性が強く敏感な気質もった人)というわけでもない(人疲れする部分は若干、その症状なのかもしれないが)。
いずれにしろこの「気づいてしまう」ことは、今まではさまざまな面のメリットではあったのだが、今のような年齢や立場になってくるとデメリットというか、ちょっと邪魔な能力になってきつつある。

◆会社での気づき
仕事面はもちろん、自分たちが散々言われてきた服装や整理整頓など、いろいろ気になる。
ただ管理職だった時と違い、気づいても知らないふりをしているが、そのうちに上層部から「激震的注意」が落ちてくる。
でも直接怒られるわけじゃないし、自分たちの部署でないと関係ない顔をしている人たちが多く、結局部門として「襟を正す」ことはしないので、いつまでたっても「緊張感」が生まれない。

◆生活の中での気づき
住んでいるマンションの「ゴミ出しの日」に、カラスや猫除けのネットが設置されていても、誰も被せずにゴミを置いていくし、自転車置き場に「スコップやいろんなガラクタなど私物」を積んでいたり、もういろいろ気づいてしまうのだが、あまり荒立ててもいけないなぁと何も言わないようにしている。
通勤中の自転車でも、何度も書いてきたようにスマホ見ながら歩いたり自転車で向かってきたり、本当に怖い思いもするが、これも怒りたいのを我慢して、こちらが注意して避ける。

こんなふうに数え上げればキリがないが、ふと振り返ると、自分が10~20代の頃にもきっと先人たちも「我慢して気づかないふり」をしていてくれたのではないかと思う。
「まぁ、若いから仕方ないよ」とか「そのうちに自分で気づくようになるよ」と実に暖かい目で見守っていてくれたのかと、この年齢・立場になって思うようになった。
ただ願わくば「気づいてしまう」のではなく「気づかない能力」を身に付けたいものだ。
そうでないと「気づいているけれど、気づかないようなふりをする」というあまり心身に良い状態ではないことを続けるのは、なかなかしんどい。
これを続けていると「切れる老人」になってしまいそうな気がするから。

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2021年6月14日 (月)

変化する流れに付いていくことが必要な人たち

今年は「東日本大震災から10年」「熊本地震から5年」という区切りの良い年(変な言い方だが)なのだそうだ。
3月くらいに、その熊本地震をきっかけに「余震」という表現は使わなくなったという記事をネットで読んだ。20210614
たしかに熊本地震は1回目より2回目の方が大きく被害も甚大で、あとから「2回目の方が本震だった」というような発表があったような記憶がある。
余談だが、あの時夜中にスマホから連続して警報が鳴り響き、寝られなかったことを思い出したが、それくらい大規模な群発地震だった。
その経験から2ヶ月後には「同規模程度の地震」という表現になったということだ。
その記事を読んで、そういえば天気予報でも気圧の表現を「ミリバール」から「ヘクトパスカル」に変わり、最初は違和感があったが最近は慣れてしまったことを思い出した。

そこから「ずっと昔のままの考え方や判断で生きてはいけない時代」という考えが巡り始めた。
例えば身近なところで言えば、わが社の経営層。
ちょっと難しい話だが「ガバナンスコード」というものがどんどん厳しくなっている。この「ガバナンスコード」の話をすると長くなるのでやめておくが、簡単に言えば「ちゃんと会社の情報を開示しなさい」「経営責任を明確化しなさい」ということだ。
それに投資家が企業に求めることも「売上と利益」だけでなく「これからあなたの企業は、どこに向かおうとしているのか」といった戦略や社会的な意義になってきている。

こう書くと「そんなことは、一部の大きな企業だけだ」と思うかもしれないが、残念ながら違う。
「自分くらいの規模の企業は関係ない」と思っているところが、不祥事を起こし近年ニュースになっている。
私が勤めている会社も全く同じで、取締役と執行役員の区別がついていないとか、ガバナンスコードで求められていることが理解できていないとか、「トップがこれじゃあ」と思うことが多い。
50代に本格的に取り組んだ「CSRレポート」とか「統合報告書」などの案件に携わったことで、このような話は理解できるのだが、おそらく今の企業を取り巻く状況をしっかり理解できている社員は、わが社では数人だと思われる。
このような状況は、かなり大きな会社でも経営企画や総務などの部署にいる人は分かっているようだが、経営層でも分かっていない人が見受けられる。

少し注意すると「パワハラ」と言われ、芸能人もちょっとした言動で「大炎上」する時代。
「面倒な時代だ」「昔はこうだった」と私などもつい言ってしまうのだが、若い世代からすれば「時代に付いていけてない」と感じているわけで、やはり定年というものは良い区切りなんじゃないと最近は思ってしまう。
もう経営層も「付いていけない人」はいつまでもその場所にしがみ付かずに早く後進に譲ることが「良い経営者の条件」になっている気がする。

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2021年6月 7日 (月)

尾張四観音巡り(その2)

一度に尾張四観音を紹介できるかと思ったが、史跡の紹介などを載せたら長くなってしまい、2回に分けた。20210517
以前から「ブログ文が長くなりすぎている」と思っているので、何とか今年から短くしようとするが、そうすると回数が増えるというジレンマに陥っている。

甚目寺観音
真言宗智山派の寺院。鎮守として、式内社の漆部神社(ぬりべじんじゃ、元、八大明神社)があったが、神仏分離令の後、境内を分けた。甚目寺町の名は、当寺によっている。
通称「甚目寺観音」で、正式名称の「鳳凰山 甚目寺」より通称で呼ばれることが多い。本尊は聖観音。高さ一尺一寸五分の秘仏であり、本堂に安置される十一面観音像(50年に1回開帳の秘仏)の胎内仏である。16世紀の末には豊臣秀吉公から寺領160石を受け、17世紀始めの名古屋開府と共にその鎮護の任にあたり、徳川義直公からも300石を受領。(Wikipediaと当寺HPより)

前回にも書いたように、ここは以前に仕事でよく行っていたスタジオだったり、顧客先だったりが近くにあり馴染みの場所でもあった。
ただし「甚目寺観音」そのものを訪れたのは初めて。
境内も広く「三重塔」「南大門」など重要文化財が多数あって楽しかった。
南大門に安置されている「仁王像」は福島正則の寄進によるということで、前回の荒子観音は「前田利家生誕の地」の近くだったように、やはりこの地域は「秀吉ゆかりの武将たち」の名前があちらこちらで見掛けることができる。
これは、江戸時代に発展した東京の地域ではあまり見られない特徴だ。

もう一つ面白かったのは「四国八十八カ所霊場」
四国八十八ヶ所霊場のミニチュア版で、徳島(発心)、高知(修行)、愛媛(菩提)、香川(涅槃)の四つの国に分かれており、つい1つずつ数えながら一周してみた。あまり広くないところだったので「本当に八十八もあるのかなぁ」と思ったけれど、本当にあった。これでご利益を受けることができたら嬉しいが、楽してはいけない気がした。
他にも千体の地蔵様が奉られている「六角堂」、本尊が閻魔大王、その他9人の王が奉られている「十王堂」など、いろいろ見るところがあって楽しかった。

龍泉寺観音
延暦年間に伝教大師最澄が熱田神宮参籠中に龍神のお告げを受け、多々羅池畔で経文を唱えると、池から龍が昇天すると同時に馬頭観音が出現したので、これを本尊として祀ったのが開基とされている。
一方、弘法大師空海も、熱田神宮参籠中に熱田の八剣のうち三剣をこの龍泉寺に埋納したといわれ、これより龍泉寺は熱田の奥の院とされてきた。(Wikipediaより)

この名前は「竜泉寺の湯」という日帰り温泉施設があって、昔からこの地域は知っていたが、名前の基となった寺院そのものには初めて行った。
寺院の案内にも上記のような説明があったが「最澄」「空海」の両方に所縁があるというのは興味深かった。
たしかに同じ時代に現れた高名な僧侶二人だが、関係は決して良くなかったと言われている。エリートの最澄に対する空海の嫉妬もあっただろうし、苦労して得た密教の経典を簡単に借りようとした最澄に立腹したとか言われているようだが、いずれも古い話で私レベルでは、人が書いた本などで知る程度で、それが真実かどうかなんて、さっぱり分からない。
でも、そんな二人に所縁があると書かれているということは、この地域にとって重要な寺院であったことは間違いないようだ。

訪れた日は穏やかに晴れて気持ちの良い日で、新緑の青葉が眩しく数人の人たちが参詣に訪れていて、そんなに広い境内ではなかったけれど、とても雰囲気のよい寺院だった。
事前に知っていたが、ここには「龍泉寺城」と呼ばれるものがある。
龍泉寺城
庄内川を望む高台にあり、庄内川、崖、湿地に囲まれた要害の地であって濃尾平野を一望できるため、古くから戦闘の際には軍事的価値を認められて陣を置かれることが多かった。弘治2年(1556年)織田信行が城を築いたと言われ、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの前には、清須城北東方面の防衛線を築くために織田信長が一隊を龍泉寺に派遣している(Wikipediaより)。

現在は、模造天守として復元されていて宝物館となっているが、日祝祭日しか開いておらず、訪れた日は土曜だったために見学できなかった。
そのため、もう一度訪れようと思っている。

近場でもまだまだ知らないところはたくさんあるようだ。

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