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2021年2月の記事

2021年2月22日 (月)

松坂・津の史跡めぐり

先月、本当に久しぶりに史跡巡りをしたことを書いた。20210222
コロナ禍の「緊急事態宣言」真っ最中だったので、迷いに迷って出かけたのだが、一度出かけてしまうと「次も行きたい」と思うようになるから、人間というものはかなり「習慣性」に支配されているのだと実感した。
もちろん、年末に買い替えた新しいクルマに「早く慣れたい」という気持ちが大いに後押ししているのもあるが、やっぱりコロナ禍でずっと「どこも出かけられない」というのが続いているのも「また出かけたい」気持ちが強くなった要因であることは確かだ。
などと言い訳から始まったが、とにかくまた出かけてきた。
もちろんまだまだ「泊りがけで」というわけにはいかないので、日帰りそしてクルマで行けるところの限定付きだが、前々から行きたいと思っていたところへ出かけてきた。
出かけたのは「松坂市・御城番屋敷」「松坂商人の館」「津観音」「津城跡」。場所としては松坂市と津市となる。

松坂市・御城番屋敷
松坂城裏門跡と搦手門(竹御門)跡を結ぶ石畳の両側に、美しく整えられた槇垣を巡らした御城番屋敷は、松坂城を警護する「松坂御城番」という役職の武士20人とその家族が住んだ武士の組屋敷。屋敷には、今も子孫の方が住み、維持管理し、現存する江戸時代の武家屋敷でも最大規模を誇る貴重な建造物で、国の重要文化財に指定。(松坂市観光プロモーションサイトより)
屋敷が並んでいるのはほんの一筋の両脇のみで、すべて生垣で囲まれており、さらに今も子孫の方々が住まわれているために、覗き込むことも難しい。そのためその筋を歩いて「雰囲気」を楽しむところだった。
1軒「公開中」とあったが、今の現存のまま住まわれている方々は、大変だろうなと思った。
ただ江戸時代の組屋敷の雰囲気は十分に味合わせてもらった。
近くに「松坂神社」があり寄ってきたが、一番良かったのは「松坂城址の石垣」。めちゃくちゃ高く、そしてキレイな曲線の石垣が長く続いていた良かった。
これで櫓や天守なとが復元されていたら、もう街のシンボルになること間違いなしの雰囲気だった。

松坂商人の館
17世紀前期から、松阪商人は盛んに江戸や京都・大阪に出店を構え、伊勢商人と呼ばれ日本三大商人の一つとして名をはせた。松阪商人の多くは江戸の日本橋周辺に出店を構え、伊勢地方産の様々な商品を商い、中でも松阪木綿を商う店は大伝馬町に多く、松阪出身の長谷川・小津・長井、津市の田中・川喜田等が軒を連ねていた。(松坂商人の館HPより)
「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」と江戸時代に言われたように、伊勢商人は江戸時代、飛んでもない豪商だった。(松坂屋とか三井なんかは、その流れだから、今でも凄いか?)
訪ねたのは「旧長谷川治郎兵衛家」「旧小津清左衛門家」の2軒。
どちらも部屋数も多いし台所など、小さな本陣よりも立派。
コロナ禍でお客さんが少ないため「旧長谷川治郎兵衛家」では、少し案内してもらったが、一番奥の庭は今も十分に広く、そこには本宅と少し角度が異なる「離れ」があった。
「どうしてこれだけ角度が違うと思います?」と聞かれたが分からず、教えてもらった。
縁側のある窓側の延長上には、松坂城の石垣が見られ、いわゆる「借景」としているとのこと。
こういうのが、本当の「贅を尽くす」ことなんだろうなぁ。
大金払って「宇宙旅行に行く」よりも、粋なお金の使い方だ。

津観音
西暦709年伊勢阿漕ヶ浦の漁夫の網にかかった聖観音立像(ご本尊)をまつり開山。正式名称を「恵日山(えにちざん)観音寺大宝院」。浅草観音・大須観音とならび日本三観音の一つに数えられる、三重県津市の歴史ある寺院。(HPより)
これで「日本三観音」はすべて訪ねたことになった。
ただ、五重塔がは想像していたより小さく、周りの参道街も少し寂れていて、ちょっと期待外れだった。

津城跡
織田信包(信長の弟)が天正8年(1580)に津城を創築。その後、藤堂高虎が四国伊予の今治(愛媛県)から移封、 慶長16年(1611)に大規模な改修を行い、北側の石塁を高く積み直し、その東北と西北の両すみに三重の櫓を造った。
今は公園になっていた角櫓が1カ所だけ復元されていた。
ただ堀と石垣は素晴らしく、依然訪ねた「伊賀上野城」の高い石垣を思い起こした。

松坂市と津市は近く、私の住む場所から高速道路で2時間も掛からない。
もう少し暖かくなったら、今度は「一乗谷」に出かけてみたいと思っている。
久しぶりに左の「マイフォト」に今年の史跡巡りの写真を掲載した。
ブログシステムの改変(改悪!)のおかげで、新しいのが一番下になっているけれど、良かったら見てください。

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2021年2月15日 (月)

「麒麟がくる」完

昨年の6月に「『麒麟がくる』が面白い」という記事を書いた。
その後、決して視聴率が爆発的に良くなったわけじゃないが、個人的には「面白い」と思って視続けてきた。20210215_20210209111001  
コロナ禍の影響で「大河ドラマ初の越年」となり、徐々に「本能寺の変」が近づくにつれてどんどん面白くなった。
ネットでも「最終回まであと〇回、麒麟はくるのか?」といった感じで、史実や妄想が入り混じって取り上げられていた。

よくネットでも書かれるが「女優の交代」「コロナ禍の中止」など、いろいろあったドラマだったが、中止時期を含めて1年以上視続けられてきたのは、ドラマが面白かったからなのだと思う。
初期には斎藤道三・帰蝶、途中から信長・秀吉、そして今回の場合は松永久秀・足利義輝・足利義昭・細川藤孝・朝倉義景なども重要な役どころとして分かりやすかったと思う。
特に舞台が京都に移るまでは、私の故郷や住んでいる場所の物語だったために、ドラマ後に紹介する史跡なども「そんな場所が残っているのか」と楽しみにしていた。
最近はネットゲームの影響が強いのか、多くの人が史実や逸話に詳しく「平蜘蛛爆破」「長篠の戦いがナレーションだけだった」など、私自身が知っていること・知らないことがネットで取り上げられ、これも個人的には興味を持てた。

また駒・東庵・菊丸・伊呂波大夫など架空人物については「いらない」論が賑やかだったが、ある時「これはナレーションではない状況説明のために必要だったのかな」と思って視るようになったら気にならなかった。
そうでなかったら駒が義昭と話せたり、東庵が正親町天皇と双六を囲むなんて、あまりに非現実的過ぎる。
最終話の「東庵と正親町天皇」のシーンなど、ああいう設定にしないと帝が「傍観するのみ」という姿勢を説明できなかった気がする。
そもそも明智光秀そのものが、前半生が良く分かっていないために、これくらい「フィクション」を強くしないと1年の物語として成立しなったのかもしれない。
それに全ての視聴者が「史実」「逸話」を知っているわけではないので、その「解説」のために、やっぱり必要だったのじゃないかと、ちょっと好意的に視てきた。

それと染谷君の信長が良かった。
最終話の燃えゆく本能寺で光秀が回想するシーン。
初めて光秀が信長に出会う「朝の海」のシーンの時と、最後の信長は声も表情も全く別物で、染谷君の凄さを改めて感じられた。
この信長の最後もお約束の「敦盛」や「自刃」のシーンがなかったけれど、涙目で「光秀ならば、是非もなし」と言ったり、自刃後の「安らいだような表情」など、今まで視たことのない終わり方も、とっても印象強かった。

私が歴史を好きになったのは「司馬遼太郎」さんの小説だと何度もこのブログで書いてきた。
特に幕末時期が好きなのは「倒幕側」と「佐幕側」のそれぞれの目線で視る面白さなのだが、今回の「麒麟がくる」「光秀の目線」で進んだことも面白かった要因だったと思う。
確かに歴史は「勝者」のもので、その目線の資料ばかりが多く残っているけれど、これから「敗者目線」での物語が創られても良いのかもしれない。
実際、私が面白く視た大河ドラマは「真田丸」「八重の桜」「麒麟がくる」など敗者側からの歴史で、「真田丸」と「麒麟がくる」は、最後は亡くなることを分かりつつ視ていくのが面白かった。

同じように「目線の違い」に言及したネット記事があったが、「じゃ、松永久秀や石田三成目線のドラマを視たい」とコメントしていた人がいたが、面白いかもしれないなぁと思っている。
23日は帰蝶のナレーションで総集編があるこということなので、締め括りとして楽しみに待つことにしよう。

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2021年2月 8日 (月)

職人にリスペクトを(その2)

いつの頃からか、週1回月曜の更新にしているので、タイミング的に少し古い話題を取り上げることがある。
今回もそうなのだが、この記事を新聞で見たのは「1月の終わり」だった。

「北斎の錦絵『桜に鷹』、オリジナルの版木見つかる…火鉢の一部にそのまま再利用」
あの北斎の「オリジナル版木」が見つかったというのだけでも興味津々なのに、それを「火鉢」に利用していたというのが、実に面白い。
現代では「版木」を掘る職人はかなり少なく、江戸時代の職人がどれだけ凄かったは「アダチ版画研究所」「こだわりの浮世絵」に詳しいが、どうやら江戸時代には、版木は「消耗品」であり、なかなか残っていないらしい。20210208
というのは「版木」の材料は黄楊(ツゲ)や椿、梨、楓などの木材を使用するらしいが、摺り終わるとカンナで削って「再利用」したり、裏面を別の版木に使用したりが当たり前のようだったらしい。

しかし、その版木を「火鉢の側面に使用」していたというのは「粋」なのか「間に合わせ」なのか分からないが、現代から考えればとんでもないことをするもんだと思える。
浮世絵が欧米の「ジャポニズム」によって世界的に知られ、その技術の高さが評価されるまで、江戸時代では現在の「チラシ」的扱いだったと聞く。
実際に、その当時ヨーロッパには「浮世絵」として輸出されたのではなく、陶器などを包む「間に合わせの紙」だったということなので、浮世絵に関連する職人も、世間から「羨望の眼差し」で見られるような職業ではなかったのだろう。

そのような社会的立場だった職人が彫った「版木」など、それこそ使用後は単なる「邪魔なもの」だったのかもしれない。
しかし、それをゴミとせずに「火鉢の側板」に再利用していたところを見ると、それなりに「版木の技」に対するリスペクトがあったからだろうか?
「北斎のオリジナル版木」が発見されたということは「浮世絵の研究者」にとって、ビッグなニュースなのだろうが、それを「火鉢の側板」に利用した心持についても、妙に妙味がある。

ここまで書いていて思い出した、今のように「デジタル」で文字を入力する以前、印刷物の文字は「写植」という独特の工程があった。
その時に用いるのが「文字盤」というものだが、世の中がデジタル化し、写植がなくなっていく時に、その「文字盤」を貼り合わせて事務所のドアにしていた会社があった。
(写植や文字盤を見たい方は東京の凸版印刷が運営する「印刷博物館」へ行けば、実物が展示されています。)

日本は、「東京」という街を見ると分かるように古いものを容赦なく破壊して、常に新しいものに変化していくことが多い。それは島国で国土が狭い影響もあるだろうが、ヨーロッパの街のように「オールドタウン」が残っている地域は、とても少ない。
そんな国だからだろうか「職人の技」に驚嘆はするけれど「リスペクト」して敬意を示し、それを後世までも残していこうというよりは、「そんなものは古い。どんどん新しいものを取り入れよう」の気持ちが遥かに強いようだ。
残すことはお金も掛かるので大変だろうが、せめてリスペクトする気持ちは持っていたいなぁと「北斎の版木」の記事を読みながら思った。

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2021年2月 1日 (月)

職人にリスペクトを(その1)

最初に言い訳を書いておくが、今回取り上げる「千住博」氏のことを詳しく知らないし、どのような人物かも知らない。
ただただ「番組を見ていて、たまたま気になった」だけで、もしかすると編集によって、そのように捉えてしまっただけかもしれない。
「そうならブログなんかに書くな!」と言われそうだが、年齢を重ねて「感じてきたこと」と共通の事柄だったので、記しておこうと思ったのでご容赦を。20210201

見た番組はNHKスペシャル「高野山 千年の襖(ふすま)絵 空海の世界に挑む」
僧侶・空海が開いた真言密教の総本山、高野山金剛峯寺の茶の間と囲炉裏の間には、長く白ぶすまであり、開山以来1200年、初めて「襖絵」を描くプロジェクトを紹介する番組だ。
この襖絵を描くのは、最初に紹介した「千住博」氏。
不勉強でこの番組を見るまで、千住さんのこと、襖絵のプロジェクトのことなど全く知らなかった。
高野山・金剛峯寺のことは知っていたが、千住さんことは知らず、画家としてニューヨークを拠点に世界的に活躍されている方だということだ。

「空海の世界」に納める襖絵をどのように制作していくのか、興味を持って見始めた。
題材に苦悩する姿などを紹介し、「空海の荒行時代」をヒントとして「崖」を描くことに決めたのだが、その手法が独特だった。
描く和紙を手で「シワ」を作り、そのシワで「荒ぶる壁」を表現するのだが、そこで冒頭に挙げた「気になるシーン」があった。

襖絵に用いる和紙は、当然今回のプロジェクトのために新たに漉くのだが、条件が「1000年もつ耐久性」「出来るだけ薄く」という相反する難しいものだった。
なぜ薄さが必要かと言えば「和紙にシワ」を作る工程で、紙厚があると「エッジの効いた」シワにならないからだ。
最初に納入された和紙は、厚みがあって「イメージ通りのシワ」にならず、使えなかったのだが、その時に「薄くしてくれって言っているのにね」とポツリと言った姿が映され、続いて紙を漉いているのは福井の会社の代表者が「先生の満足いくものを頑張って納めます」と応えていたシーンも流された。

おそらく編集の影響もあると思うのだが、あれではまるで二つの相反する条件を実現させようと苦労している「紙漉き職人」「わかっていない」と言っているように見える。
千住さんの弟子に対する態度など、先生と呼ばれる方に見かける「エラぶった」感じもなく好感が持てるのだが、あの一言で「この人って、他の職人に対するリスペクトって無いのだろうか?」という気持ちが湧いてしまって、番組中、ずっと気になってしまった。

作品が出来上がり京都の表具師の手によって「襖」となり無事納められ、画面を通しても荘厳さが伝わる素晴らしい作品と感じるのだが「表具師への感謝の言葉もないなぁ」と、どうも千住さんに対して否定的な気持ちで見終わってしまった。
確かに描いた画家が一番大変だろうが「襖絵」として完成させるためには材料となる「和紙」や建具としての「表具」などがなければ成立しないはずだ。

私がこういうことが気になるのは、デザインや企画という仕事を通して、お客様からクリエイターに対する「リスペクト」がない対応をされることが時にあり、それが「悲しい国だなぁ」と思ってきたからだ。
一番心に残るお客様の悲しい言葉は「考えるだけならタダだよね」と言われたこと。
どうもこの国では「白紙からモノを構築する苦労」を知らずに、出来上がったものに「意見する」ことが多い。

千住さんのように超一流な作家であれば、当然「和紙」「表具」に対する敬意もあるだろうし、その職人の技への造詣も深い方だと思う。
なのに番組中の「薄くしてくれって言ってるのに」という言葉が流れたことで、私が「この人、どういう人なんだろう」と思ってしまったのはNHKの編集が悪いのだろう。
ただ「職人の技」を世界に誇っていながら、「技」に対する対価や敬意がこの国ではとても低いと、常々思っている気持ちに「さざ波」を起こさせる一言であったことは確かだ。

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