« 嫌いな言葉「才能」 | トップページ | コロナ禍の株主総会 »

2020年7月 6日 (月)

「燃えよ剣」再び

2018年12月に「司馬遼太郎の戦国時代再び」で、20~30代のころに読んでいた「司馬遼太郎」の小説を読み返し始めた。
一度読んでいるので、あまり急ぐことなく寝る前に少しずつしか読まないため、なかなか進まなかったが、「国盗り物語→新史太閤記→関ヶ原→城塞」と読み終えた。20200706
読み返して改めて思ったのは、後半の「関ヶ原」「城塞」「徳川家康のダークサイドの部分」を何度も書いてあり、これを若い頃を読んだために、私自身の中の「家康像」が暗いものになっていたということだ。
「家康は平和が続くことを望んだ」と最近は言われるが「そうかなぁ?」と思ってしまうことも、その影響の延長だろう。
それに「歴史」というものは、時代が変わると「新たな発見」とか「新しい歴史観」によって変化していくために、昭和時代に書かれた「司馬歴史観」は、今の感覚から少し異なりつつあるということも感じた。

一応これで「戦国時代」は一区切りし「新しい本を買うか、今までの本を読み返すか?」と思って、今まで買ったものが並んでいる本棚を見ていて「燃えよ剣」が目についた。
幕末ものはたくさん読んでるけれど「幕府側の本は、読み返してないなぁ」と気づいた。
ということで、さっそく読み始めた。
やっぱり面白い。

司馬遼太郎さんの描く「土方歳三」は、あまり女にも思想にも興味がなく「新選組」という「組織を造り上げることのみ」に力を注ぐタイプとしている。
(最も後半に「お雪さん」が出てくると、少々艶っぽい「歳さん」になるのだが)
この「燃えよ剣」は、司馬さんの書く幕末ものとしては、あまり思想的な話が出てこない。
もちろんそれなりに出てくるのだが「新選組」視点で描かれているため「大政奉還」「王政復古のクーデーター」などは、遠い世界での動きで「新選組」は気がついたら「朝敵」になっている。

若い時には、「佐幕」「倒幕」「攘夷」「勤王」といった思想的な話が面白くて読んでいたけれど、この15年くらい「江戸庶民の目線」的な時代小説を読んできた影響もあり、今読むと「実際にあの時代に生きていた人たちって、こんな感じだったのだろうなぁ」と思う。
「新選組」は清河八郎の思想的なきっかけで組織されるけれど、実際に活動していた隊員たちにはおそらくそんなに明確な「思想」「次の時代」なんて考えていなかったんじゃないだろうか。

今の日本人と江戸末期の日本人を年齢で単純には比較するのは難しい。
そんなに遠い過去の話じゃなく、私の子供の頃を振り返っても「学生運動」が激しかった頃の若者は、もうちょっと大人だったし、政治や国のことを考えていたと思う(思想は幼かったにしても)。
だから、坂本龍馬にしても土方歳三にしても、20代なのに、とても大人びた考え方だったり、行動だったりしている。
……と、昔は思っていた。
しかし、今回読み返してみて、そして自分が60歳を超えて、ちょっと穿った見方をしたせいか
「本当に、どこまで国の行く末を考えていたのかなぁ」
と思ってしまった。
特に「新選組」は最初の頃の「近藤勇たち」に思想があったわけではないし、天領育ちであった影響もあって「幕府ありき」の思想からは抜けられず、その視点から見れば薩摩や長州の輩は「絶対に相容れない」関係だったろう。

私より10歳上の人で、昔、学生運動をやってた人に「女の子と話せるからやってた」と聞いたことがあるが、きっと幕末の「新選組」「薩摩・長州・土佐」も、多くの人たちもそんな「軽い」気持ちだったのかもしれない。
「燃えよ剣」での土方歳三は「後世に名を残したい」とは思っていなかったようで、実際に最後の様子も、明治後密かに親族に語られたというから、本人してみれば「どうして、こんなに大きく取り上げられているんだ?」と不思議に思うかもしれない。

新型コロナウイルスの影響で公開が延長されたようだが、岡田准一主演で、この小説の映画化された。
そのCMで「幕末にわずか6年活動した」と言われる新選組。
そう思い返すとたった6年だったが、それだけインパクトの強い組織であり、活動であったのだろう。
この「燃えよ剣」を読み返して、会津に行った時に唯一訪ねられなかった「近藤勇の墓」に行ってみたくなった。
そして、そこで歳三がどんな思いで、この墓碑を建て手をあわしていたのか、思いを巡らしてみたいものだ。

 

|

« 嫌いな言葉「才能」 | トップページ | コロナ禍の株主総会 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 嫌いな言葉「才能」 | トップページ | コロナ禍の株主総会 »