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2020年6月29日 (月)

嫌いな言葉「才能」

このブログでは随分前に、私の「職業」「アプリケーション」「仕事」などについて書いてきている(数年前の記事なので「興味がある」と言う奇特な人は、頑張ってバックナンバーを探してみてください)。20200629
いろいろな経験をして、今に至るのだが一般的に分かりやすい言葉で表すとしたら「グラフィック・デザイナー」だろう。(デザイナーと略して言うと、ファッションの方と間違えられる事が多い)
私がその職業に就いた頃は紙媒体が中心だったので「カタログ」「パンフレット」「チラシ」などが多かったけれど、今はWEBなど媒体も拡がっているため、近年では「WEBデザイナー」という職業もある。
いずれにしろ「デザイン」というとても「主観的な価値」を扱う職業なのだが、それなりに努力してこの職業に辿り着いた(その辺りは、昔の友人が知っている)。
すごく「苦労して」この職業に就いたと思うほど「一生懸命努力をした」と胸を張れるわけじゃないが、それなりに「頑張ってきた」つもりだ。

少し話は変わるが「才能」という言葉を検索すると、あるサイトでは「物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。」とある。
また別のサイトでは「ある個人の素質や訓練によって発揮される、物事をなしとげる力。」ともある。
前者は「もともとある能力」って感じだし、後者は「訓練によって発揮される」とあるので「努力によって磨かれる」感じだ。

なぜこんなに長々と過去の話と才能という言葉の意味を書いているかと言うと、他人から「才能があるから良いよね?」と言われるたびに、ちょっとだけ不快になることを分かってもらいたいからだ。
現役の時もそうだったし、特に定年再雇用になってから営業出身者と話すと「デザイナーとかは才能があるから良いよね?僕なんか何にも出来ることがないので」と話される。
どうも、これを言われると「カチン」と来る。

「才能がある」って聞きようによっては「努力しなくてもその分野でやっていける」と言われているように感じる。
その人達は何気なく言っているのだろうが、言われた方は堪らない。
「どれだけ努力してきたと思ってるんだ!」
と言い返した時もあるが、一般の人達から見れば「デザイン」というものは特殊な分野だから、ついそう言ってしまうのだろうと、最近は思うようにしている。

確かに小学校の頃から教科書の余白にはイラストを描いたりしたが、写生大会などで描いたものは、ほとんど表彰されたことはない。
兄貴は少しだけ油絵を習っていたので(本人はイヤイヤだったようだが)、毎回表彰されるので、逆にコンプレックスがある方だった。
それでも紆余曲折あって、この仕事に就いてそのまま還暦過ぎても携わっているのは「好き」なのだろう。

もしも「才能」というものが職業に活かされるとしたら、この「好き」という気持ちが「ずっと持続し続けられること」だと思う。
残念ながら日本の企業の顧客層は「デザインへのリスペクト」が大きく不足しているので、大概は「思ったようなデザイン」に仕上がらない。
それどころか提出するものを「批判」するだけで、自分たちが「どうしたい」と決まっていない顧客がほとんどで、先の「好きという気持ちを持続し続ける」ことは、とても難しい。

私としては転職を繰り返して「デザイン」という仕事に辿り着いたので、そんな思いをしても「踏ん張り続けられた」と思うのだが、新卒で入社して他の経験がない人たちは、途中で夢破れて辞めていくことも多い。
そういう世界で何十年もやってきたのに「才能」という言葉で済ませられるのは、やはり笑顔では聞いてはいられない。
ただ一つ、もしも「才能」があったのだと思えるとしたら、一日中座って「うんうん」考えて、テレビを見ていても風呂に入っても寝ても、いつも「企画のことやデザインのこと」を考え続けられることだろう。

そう言えば、営業がテレワークをして「一日中座ってるのは辛い」と言っていたし、以前にも営業に「良く一日中座って作業していられるね」と言われたが、それも「才能」と言えば「才能」なのだろう。

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