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2020年6月 1日 (月)

元上司の急逝と見送る側の気持ち

まだまだ「新型コロナウイルス」の脅威がなくなったわけではないが、最初の大きな山は越えた感じがする(まだまだ先はわからないが)。
そして6月になり「違う話題を始めよう」と思った矢先20200601_20200525150601 「訃報」が舞い込んだ。
このブログでの「訃報」は、有名な人を取り上げられるが、今回は会社の人。
とは言っても実はこのブログには数年前まではよく「愚痴」の対象として登場した元上司だ。

私より学年で1歳半、学年では2つ上だったと思う。
執行役員だったために60歳で役員定年となり、それをきっかけに「私のいる部署」を離れた。
何度かこの話は書いているが、その「私のいる部署」は、今回亡くなった元上司が設立した。というか、私がまだ子会社いる頃に相談を持ちかけられ、ずいぶん一緒に働いたものだ。
その人の立場が変わるとともに徐々に私とは相容れなくなって(ちょうどその頃に、よくこのブログに愚痴を書いた)、疎遠になっていき、お互いに再雇用の身になってからは、会社の帰りに駐輪場で挨拶するくらいの関係になってしまった。

4月の頃に一度駐輪場であったが、GW前に「あまり良くない」との話が聞こえてきた。
再雇用でも執行役員までやった方なので、それなりに重要なポストに就いていることもあり、そのような情報は「箝口令」が敷かれて詳しいことは分からなかった。
ただ話の内容では「あまり長くない」という感じだったが、先週月曜に「急逝した」との連絡があった。
事前に聞いていたこともあり「思ったより早かったなぁ」と感じたのだが、ちょっとその後が問題となった。

うちの会社は割と昔ながらの風習が残っており、冠婚葬祭では会社から花や電報を送ったり、回覧が回ってくる。
特に逝去された場合は、お世話になった社員のうち可能な人たちは、お通夜やお葬式に出席する。
ところが最近は「家族葬」「近親者のみで執り行う」というものが増えてきた。
それでも社員本人が亡くなった場合は、ごく近しい社員や経営層は「特別」に焼香や香典を送りに出席させてもらうこともある。

今回もそのような「家族葬」「近親者のみ」との希望だったが、私と今の上司の二人くらいは「何とかご焼香を」と会社側からお願いしたみたいだが、どうも本人の「強い希望」とのことで、会社からは「一切何も受け取らない」ということだった。
良く一緒に仕事をしていた営業本部長などは「送る側の気持ちはどうなんだ」と言っていたらしいが、それを含めて「あの人らしい」と思える。
ちょっと批判めいた感じになってしまうが、病状が一気に進み、それまでの役職の後継や業務の引継など、聞いている範囲では十分に出来ていないと言うことだ。
ある意味、最後に会社に負担を掛けてしまったわけで(本人の気持ちは、そうでなかったにしても)、それらを含めてあまり「頑なに」ならなくても良かったのじゃないかと思っている。
ただそれは残されたご家族の「強い希望」らしいので、最後の最後に本人がどう思っていたかは分からないけれど。

以前「加藤和彦氏」が亡くなった時に、盟友である北山修氏は「急に知人が亡くなった場合、7日法要、49日、一周忌、3回忌と順番に『知人の死を受け入れる』ためのステップを経て、亡くなったことを認識していく」と話していた。
しかし今回の元上司は、そのような周りの「受け入れるステップ」の気持ちのことは考えずに「自分の気持」を優先したのだろう。

彼は、父親が「住職」であったために死生観が一般人と違う。
これは同じように「南こうせつ」も実家がお寺だったので、昔から独特の死生観がある。
コンサート中にも「次はいつ会えるかわからないから」と平気で話していたし。
人の「死生観」はそれぞれだから、それは良い。
でも「残された側」「見送る側」の気持ちにも、ちょっとだけ配慮してほしいものだ。
そのうち自分が「見送られる側」になる時に、「見送る側」の気持ちも考えておきたいものだと、元上司の急逝で感じることがあった。

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