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2019年11月の記事

2019年11月25日 (月)

三世の姫の七五三

上の三世が七五三をやったのは、ブログで見たら2012年だった。20191125
その子はもう5年生になったが、今年は「下の姫」の七五三だった。
普通は11月なのだろうが、少し早めの10月の終わりにやると連絡があったので、行ってきた。

前の日まで雨だったが、少し風が強かったが、おかげで晴れてくれた。
事前に撮影したテスト写真を送ってもらって見ていたが、この日はその可愛い着物姿でやってきた。
上の三世の時は、紋付き羽織袴でペンギンのように「よちよち」歩いていて可愛かったが、女の子はやっぱり綺麗にしてもらうのが嬉しいようだ。
会ってすぐに「今日は綺麗にしてもらった?」と聞くとすごく嬉しそうに「うん」と頷いた。
それに風で前髪が流れると、いちいち直していて、婿と「やっぱり女の子は違うねぇ」と話していた。

前回と同じように祈祷してもらい、社殿前でみんなと並んで写真撮影。
その後お昼を食べることになっていたが、少し時間が余りそうだったで、先に姫の着物を着替えさせるためにクルマで移動。
娘夫婦と私と、元の奥さんと3台の移動でちょっと大変だったが、なんとか済み、お昼の場所へ。

それぞれに食べたいメニューを注文して、いろいろ話しながらご飯を食べた。
意識したわけじゃないが、なんとなく娘の両隣に私と、元の奥さんが座り、特にギクシャクすることもなく普通に話ながら食事をしていたが、「いろいろあったけれど、こうやって男の子と女の子の孫がいて、一緒にご飯を食べられるのは幸せなのだろうなぁ」と思っていた。

その後、三世たちは「公園で遊ぶ」と言っていたが、私は次の日に用事があったので(この話は次回)、「ゴメンね」と言って帰ってきた。
上の三世は、ちょっと引っ込み思案で人見知りもするので、最初はあまりくっついて来ないが、一緒にスマホでゲームしたりするとだんだん慣れてくる。
いつも慣れた頃に別れることになるが、ちょっと名残惜しいと追いかけてきて「バイバイ」と言うのだが、今回もそうだった。

夜になって娘からLINEでお礼を言ってきたが、本人もみんなで一緒にご飯を食べられて楽しかったようだ。「幸せ」とか「楽しい」っていうのは、こんな素朴な時間のことで、それを忘れずにしておかないといけないと思わせる姫の七五三だった。

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2019年11月18日 (月)

雪化粧:松山千春

今日はちょっといつもと違う感じの話。
このブログの初期の頃には、昔よく聞いた音楽の話を載せていたけれど、久しぶりにそんな感じだ。
とは言え「すごく気に入っている曲」というわけではない。
好きな曲ではあるけれど、何というか……もし「青春」というものを表す感情があるとするなら、それを呼び起こす曲と言える。20191118

ずっと以前に初期の頃の「松山千春」のことを書いたことがあるが、彼のことはデビューした頃から知っていたし、好きだった(あくまでも初期の頃だけれど)。
そのきっかけは思いつきで購入したフォークソングやニューミュージック(2つの言葉とも死語ですが)が数多くミックスされていた「カセットテープ(これももう化石です)」だった。
そのテープに「旅立ち」が入っていて、当時「大好きだけれど、離れなくてはいけない」という関係の当事者だった私には、とても身に沁みる曲だった。

そこから彼の音楽を聞くようなり、アルバム(当時はLPレコードだったな)が出ると買っていた。
その3枚目のアルバム「歩き続ける時」の中に、今回取り上げた「雪化粧」が収録されていた。
この曲を聞くと、あるシーンを思い起こす。

それは、先の「大好きだけれど、離れなくてはいけない」の女性のアパートの部屋。
かぐや姫の「神田川」に出てくるようなアパートで(当時は、そんな所がいくらでもあった)、小さな一間しかない部屋にいる自分が浮かんでくる。
最初はそのアパートに彼女一人が住んでいたが、そのうちに私も同じアパートに引っ越してしまい「大好きだけれど、離れなくてはいけない」のに、結局離れられないままになってしまった。

この曲を聴いたのは、同じアパートに引っ越しする前なのか後だったのか、その辺りの記憶が曖昧なのだが、「これからどうなっていくのだろう」という時期だったことは間違いない。
「寒い夜に 彼女の部屋でコタツに入って、ベッドにもたれている」
この曲を聴くたびにそんなシーンが浮かび、ちょっぴり胸が疼く。
「これからの不安と大好きな彼女の部屋にいる」という相反する感情をきっと思い出すのだろう。
年齢を重ねていき、そんな「漠然」とした感情が少なくなり自分なりの「理路整然」とした感情が増えていったが、20代前半の青春時代特有の感情。
この曲を聴くたびに、その感情を思い出し、なんとも言えない気持ちの「雪化粧」だ。


「雪化粧」

作詞:松山千春、作曲:松山千春

町は とても 静か 白い雪が降り続く 寒い部屋の隅で 僕は溜息
そんな時も君は 長い髪をかきなでて  僕に笑いかける 寒くはないと

何が悲しいとか つらいわけじゃないけど  ただ 今は君のこと抱きしめていたい
強く 強く 強く 僕のこの両腕で  君を 君を 君を 愛し続けたい

僕の胸の中で 涙こらえきれないね  そんな君がとても いじらしく思う

何が悲しいとか つらいわけじゃないけど  ただ 今は君のこと 抱きしめていたい
町は とても 静か 白い雪が降り続く  僕と君のために せめて雪化粧 せめて雪化粧

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2019年11月11日 (月)

6秒ルールの利用法

ある朝、自転車で出社中、交差点で停まっていたクルマを見たら、スマホをガン見して操作していた。
その道はクルマ1台が通れるくらいの道幅で、交差する車線をクルマが走っていた。
なので、おそらくドライバーは「一旦停止」状態の間にスマホを操作していたのだろう。
自転車に乗る私は、そのクルマに行き先を塞がれて、やはり一旦停止。20191105

そのドライバーは私と同じ、もしくは少し上と思われる高年齢の人だった。
交差する車線のクルマが行き過ぎても、そのドライバーは、そのまま「スマホ操作」を継続中で、まったく周辺に視線も送らない。
私は、朝の通勤中ということでもあり、ちょっと「ムッ」としてしまい、そのクルマの運転席側のガラス窓を「コンコン」と叩いた。
するとドライバーは顔をこちらに向け「何か?」みたいな顔をした。
それで余計に腹立たしくなってしまい「こんな交差点で停めないでよ!」と怒ったら「あぁ、すいません」と悪気がなく言ってすぐに動いた。

そのクルマの後ろにもクルマが続いてしまっていたが、おそらくそのことにも気づいていないようで、「わずかに一旦停止した交差点でスマホを操作しなくちゃいけない緊急なことって何があるんだろう?」と思いながら、また自転車で会社に向かい始めた。

「ながらスマホ」の話題は、自転車通勤を始めるようになって、ちょくちょく話題にした。
でも、その対象は「自転車に乗っている人」「歩いている人」で、「クルマに乗っている人」のことを取り上げたことがない。
そりゃそうだ、運転中の(一旦停止していたとしても)「ながらスマホ」なんて、一時期ニュースなどで騒がれ、厳罰化されてきて、危険なことは誰もが理解している。
なのに、ほんのちょっとした「一旦停止」の間にスマホを操作するなんて、ちょっと信じられない。

会社に行くまで自転車に乗りながら「自分だったらどうかな?」と思った。
元々「ながらスマホ」はしないし、電話が鳴っても出ないようにしている。
どうしても電話に出なくちゃいけない時には、路肩に停めてから出るようにしている。
ただスマホでなくても、何か気になるとそちらに意識が行ってしまうことはある。
そんな時「6秒ルール」をうまく活用するのはどうだろうと思った。

よく「6秒ルール」は怒りを覚えた時の「感情コントロール」で言われる言葉だが、別に「怒り」じゃなくも「感情」をコントロールするのは共通なので、例えば「何か」が気になった時に「それって、今考えなくちゃいけないことか?」と思うようにしたらどうだろう?
それは、おそらくどんな場面でも有効だが、クルマの運転中など「集中しなくちゃいけない時」には、「行動の優先順位」を整理する時に「6秒ルール」を利用して見ると良いかもしれない。

そう考えてながら自転車に乗っているうちに「あそこで、6秒ルールを使って、ドライバーに何も言わない方が良かったのか?」と思ったが、私がガラス窓をノックするまで気づいていなかったから、あれはあれで良かったと思うようにした。
少なくとも私は、クルマの運転中には上手に「6秒ルール」を使おうと思った朝の通勤中の出来事だった。

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2019年11月 5日 (火)

少子高齢の実感

新聞やテレビで報道されると「全体がそんな雰囲気」と捉えることが多いが、実際は「そうでもない」ということがある。20191028
ちょっと古い話だが、中国の国内が日本バッシングで暴動っぽくなった時、連日テレビでは報道されたが、当時中国に出向していた社員に聞いたら「全然、そんなことないですよ」と言っていた。
だから、「日韓関係」とか「香港のデモ」などは、テレビで見て感じることと、現地に行って感じることは違うのかもしれない。

実際に起きていることでもそんな違いを感じるのだから、例えば統計から導き出される「傾向」と、個人的な「肌感覚」は、もっと違ってくる。
これも昔話だけれど「バブル時代」だってそうだった。
世間で言うほど給料が高かったわけでもなく(業界的な問題もあるが)、個人的に裕福な感じはなかった。ただタクシーが捕まらなかったことや顧客の予算がたっぷり使えたくらいが「バブル感」を味わった程度だ。

そんな中で、ここのところ感じるのは「少子高齢」だ。
「高齢」は分かる。
自分自身がそちら側になろうとしているし、ウチの会社も「再雇用者」の割合がどんどん増えている。
また一時期の病院など「高齢者の集まる場所」になってしまった感もあり「高齢化」の実感はあちらこちらである。

ただ「少子化」となると、ちょっと違う。
統計的には、毎年出生数が減少しているので間違いないのだろうが、個人的には周りを見ると子供がいる家庭がたくさんある。
身近で言えば、私自身にも孫が二人いるし、会社でも結婚した多くの社員が「育児休暇」を取っているので「子供が少ない」という感じはしない。
もちろん昔は「育児休暇」なんてなくて、子供がいてもいなくてもバンバン働いていたし、おじいちゃんとおばあちゃんに面倒見てもらうことが多かった時代なので、今と単純比較はできないが。

それに買い物に行ったり、日帰り温泉に行ったり、テーマパークに行ったりするとほとんど子供連れの家族に出会う。
今年の夏季休暇中には、娘夫婦と孫2人でレゴランドの水族館「シーライフ」に行ってきたが、場所柄もう子供だらけだった。
また世の中的に「子供優先」みたいになっていて、子供たちは自由に「はしゃぎ回る」し、「騒ぎ」まくるから、全然「少子化」なんて感じはしない。
買い物に行っても子供を連れて来ているお母さんは多く「大変そうだなぁ」と思ったりもする。
そんな子供の喧騒の中、いつも「少子化って本当なのだろうか?」と思ってしまう。

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