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2019年6月の記事

2019年6月24日 (月)

「安江靜二」という人のこと

ある時、ちょっとしたきっかけで自分の故郷の街を検索した。
なかなか目的としていた情報はなかったが、突然「安江靜二」という人を紹介しているWEB「中津川の画家 安江静二心の記念館」に行き着いた。
この「安江靜二」という人、私の故郷では有名な人だが、一般的にはあまり知られていない(と思う)。20190624_1

詳しくは、先ほど紹介したWEBに書いているが、この人は幼い時に「小児麻痺」となり身体が不自由になった。
当然、歩行も普通にできず、一人で歩けるがかなり困難な状態の方だった。
ただ私が物心つく頃には、街なかを歩いていても、みんなが先生のことを知っていて、好奇な目で見たりすることはなかったと思う。

この人のWEBを見たら「1913 (大正2年)生まれ」となっていたので、本当のところはわからないが、私の親父とは学生の頃からの知り合いだったらしい。
私の記憶では「親父と同級生」と思っていたが、親父は「明治44年生まれ」なので、少し違う。
ただ年齢が近いので、学校時代の友人だったことは、間違いないようだ。

私の実家は、私の故郷の商店街でおもちゃ屋をやっていた。
以前「十日市の想ひ出」にその頃の写真を載せた。
このおもちゃ屋は、私が中学生の頃までやっていたが、閉めた年に親父は亡くなった。
その店に、年に1~2回安江先生は訪ねてきて、居間に上がってお茶を飲みおしゃべりしていった。

先生は、歩きはもちろん、話す方も決して健常者のようではなく、若干聞き取りにくかったことを覚えている。
ただいつも訪ねてくる先生を親父もお袋も普通のお客さんと同じように話して、特別扱いもしていなかった影響か、私自身も「よく訪ねてくる絵かきのオジサン」と思って、怖がることもなかった。
確か兄貴は、1年間くらい先生に絵を習っていたようだが、本人は「ああしろ、こうしろ」と言われて、ちっとも好きなように描かせてくれなかったので、つまらなかったと言っていた。
まぁ、子供に絵を習わせるくらいウチの親と先生の距離は近かったのだろう。

先生自身がおっしゃっていたのか、お袋が話してくれたのかはっきりしないが、とても覚えている言葉がある。
それは先生が小児麻痺になって、身体が不自由になってからも、ウチの親父はそれまでと何も変わらずに友達でいてくれたということだ。
そのことが先生はとても「嬉しかった」と言ってくれて、だから今でもこうやって訪ねてくるのだと……。
先生のWEBによると13歳の時に小児麻痺になったとある。
時代的には大正の終わりか昭和の初めなので、今よりもはるかに差別的な時代だっただろう。
実際に先生は一時期隔離された生活を送られていたようで、そんな時代に「変わらずにつきあった」親父は、息子として誇らしいことだったので、とても覚えている。

もう2人共亡くなっているので、その真偽はわからないけれど、思いがけなく「安江先生」を思い出すことができたWEBの出会いだった。
毎月第3日曜だけ記念館は開館しているらしいので、一度出かけてみようと思っている。

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2019年6月17日 (月)

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

一部のコアなファンの中では、昨年から「どんなのだろう?」と話題になっていた。
ハリウッド版「ゴジラ」の第2弾だ。20190617
このブログでは、たまに「ゴジラ」関連のことを書く。
2014年7月に「ゴジラを考える」、2012年9月「特撮博物館に行ってきた!」、2007年11月「FavoritesNo.21 ゴジラ伝説」、そして2006年2月「伊福部昭さん」などなどだ。
ここから先は、かなりディープな話になり、「ゴジラ」「ガメラ」「怪獣映画などの基礎的な知識がないと分からないと思います。ごめんなさい。

今回特に楽しみにした理由は「キングギドラ」「ラドン」「モスラ」といった東宝怪獣系の王様クラスが出るということだった。
「ゴジラ」を含めて、この4大怪獣が激突したのは「三大怪獣 地球最大の決戦」。ちなみに4つの怪獣が出るのに「三大怪獣」というのは、地球の三大怪獣であり「キングギドラ」は宇宙怪獣なので、外れいているそうだ。
この「キングギドラは宇宙怪獣」という設定は、今作にも踏襲されていた。
事前に今回の監督は、かなりの「ゴジラおたく」であるとも聞いていて、それも期待度を高めていた。

●映画における音楽の力を思い知った
これも事前に「一部で伊福部昭氏の音楽が使われる」と聞いていたが、実際に映画としてのシーンの中に「伊福部昭氏」の音楽が流れると、格段に「ワクワク度」が上がった。
「映画の中の音楽の力って、こんなにスゴイんだ」と感心しきりで、特に「モスラ」登場のシーンでの「モスラ」の音楽は、鳥肌がたった。
また「ゴジラ復活」のシーンでの「ゴジラのテーマ」も、もう拍手したい気持ちになってしまった。
しかし、いかに「伊福部昭」という人が「映画音楽」というものを熟知して作曲していたかを、ゴジラ誕生後65年も経ってから、改めて思い知らされた感じである。

●エンドロールの最後に感涙
エンドロールの最後にゴジラの着ぐるみに入っていた「中島春雄さん」の写真を載せ、彼へのリスペクトを表していた。
思わず「おっ」と言ってしまい、そしてちょっと泣きそうになった。
ちょうど、この映画公開にあわせ缶コーヒーのBOSSが「顔の映らない主役」という特別なCMを作ったが、まさに彼のことだ。
日本では、かなりコアなファンしか「中島春雄」のことを知らないが、アメリカでは「スーツアクター」として、とても尊敬されていたと聞いたことがある。今回のエンドロールは、そのことを十分に分かる演出だった。

●怪獣登場の脚本力の違い
映画としては全体的にとても面白かった。
でも、なにかが足りない気がして気になったのだが、映画館を出て思った。
「荒唐無稽」な怪獣映画だけれど、私が見てきた初期の怪獣映画や、平成ガメラシリーズと圧倒的に違うのは、脚本なんじゃないか?と。
日本の場合、日常的な出来事の積み重ねがあって、全く歯が立たないと分かっていても自衛隊は攻撃するし、住民が避難するシーンは、必須である。
「シン・ゴジラ」が評価されたのも、人命に対する考えや日常的な生活を積み重ねていて、最後の怪獣部分だけが「荒唐無稽」な物語にしている。
この実際にある「現実感」の積み重ねが、この映画は希薄な気がする。
ま、そんなことをすれば、3時間以上の長時間映画になってしまうから、仕方ないのかもしれないが。
「モナーク」はともかく「オキジェンデストロイヤー」なんて、コアなファンしか分からないのが突然出てくる辺り「ゴジラファンのためのゴジラ映画」と言えなくもないが。

次には「キングコング対ゴジラ」のハリウッド版が予定されている。
生まれて初めてみたゴジラ映画が東宝の「キングコング対ゴジラ」だった思い入れの高い作品なので、今回以上に期待が膨らんでしまっている。

 

 

 

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2019年6月10日 (月)

近場の美術館~立川美術館

GWに出かけた近場の話、第2弾。20190610
「立川美術館」と言っても誰も知らないだろう。 
全く有名でないし、規模も小っちゃい。「小さい」というより「小っちゃい」という言い方が当てはまる感じのところだ。
入場料が「200円」と聞けば、その規模が分かるだろう。
何の美術館かと言えば、「山車の彫刻」とかなりニッチな分野だが、逆になかなか気軽に見ることが出来ないものだ。

私の住む中部地方は、あちこちに「山車」がたくさんある。
有名なのは「高山」で多くの観光客が訪れるが、名古屋を中心に30~40kmくらいところに、いくつでもある。
この「山車」は、2016年に「山・鉾・屋台行事 ユネスコ無形文化遺産」に登録されて盛り上がった。
あるきっかけがあって、私はここ2~3年名古屋近郊の半田市で行われる「潮干祭(しおひさい)」というものを見に行く。
この半田市、以前「彼岸花の土手歩き」「彼岸花の花嫁行列」で紹介した地域だ。
ちなみに、美智子上皇后の話題で出てきた「でんでんむしのかなしみ」の作者である新美南吉も、この地域の出身だ。

この地域、3月後半から5月GWにかけて、毎週末どこかで「山車」が出るお祭りがある。
なので、5年毎に「はんだ山車まつり」として30台以上の山車を勢揃いさせる。これは何十万人と集まるので、敬遠して行っていないが……。
とにかくやたらと「山車」がたくさんある地域だ。
この「山車」には、「からくり人形」もあるが装飾の彫刻が見事で、また「山車」ごとに違う彫刻が創り込まれている。
その彫刻の技術伝承という意味でこの「立川美術館」があるらしい。

小さなところなので、当然ほとんど人がいなくて、その施設の人が横について説明しくれたのだが、一度「立川流」は途絶えたが、子孫の許可を得て再興させたとのことだった。
詳しくは「立川美術館http://www.tatekawa.org/index.html)」を見てほしいが、なかなかこう言った彫刻を、説明を聞きながら、しかも写真撮影もOKで、間近で見られるなんて、なかなかない。
これが京都の祇園祭の山鉾のように「超有名」な装飾に関する美術館などがあったら、ものすごく観光客が集まる気がする。
まぁ、そうなると撮影はできないし、気軽に行けないし、混雑するから嫌だけれど。

せっかくの長い休みだったが、かえってどこも混雑することになったが、おかげで近場の面白いところに行けたこと、そしてまだまだ近くに「おっ」と感じるところがあるなぁって思えたGWだった。

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2019年6月 3日 (月)

近場の史跡巡り~華蔵寺(吉良家菩提寺)

6月になったが、今年のGWは10日間もあったので、その時の話題を……。
とは言え、「この長期休みを利用して、どこか遠くへ」ということではない。
いろいろ事情はあるが、主な原因として「どこに行っても混雑するよね」と思っていたので「泊りがけでどこかへ行く」なんてことはしなかった。20190603_1  
話はちょっと逸れるが、最近はどこへ行っても観光客が多い。
それも外国の人が、とんでもなく多い。
「日本人もあまり知らないようなところなのに」と思うところでも、外国人の観光客を見かける。
人種偏見はないように気をつけているが、ワケも分からず大きな声で喋られたり、日本的にきちんと順番を守るというルールに従えない団体に会うと、腹立たしくなるし、うんざりする。
だから、最近は「行ってみたいなあ」と思っても「混雑してるだろうな」と危惧することが多い。

でもせっかくの長い長いGW、どこにも行かないのも勿体無いので、ちょこちょこと近場に出かけてきた。
その中で、たまたま寄ったところが、今回の「華蔵寺」
ここは、ネットで見つけていて近かったので「いつかは行こう」と思っていたところだ。
場所は愛知県西尾市。
ここはちょうど4年前に「近くの穴場~西尾城」で紹介したところだ。
その頃から徐々に分かり始めたが、この西尾市は江戸時代には「西尾藩」といい、歴史的に有名でないが、史跡を巡るとたびたび「えっ、ここも西尾藩の関連なんだ」と知る重要な藩だ。

●華蔵寺
愛知県西尾市にある臨済宗妙心寺派の寺院。高家吉良家の菩提寺。
吉良義央の曾祖父である吉良義定が旗本として吉良家を再興した際に、父義安の菩提を弔うために創建した。吉良家墓所には、義安から義央の継嗣義周まで6代の墓がある。そのほか、義央50歳の時の木像や義央寄進の経蔵などがある。(ウィキペディアより)

この「吉良義央(よしひさ)公」が、かの有名な「吉良上野介」のことだ。
この人は、全国的に「赤穂浪士の敵」として憎まれているが、地元では数々の善政を敷いた名君として愛されている。
それは以前から聞いていたのだが、ナビに案内されながら向かう途中に「赤馬ロード」との看板を見て、「これ何だろう?」と思ったが、寺に着いて分かった。

寺で見た資料によると、義央公は水害を防ぐために堤を築いたり、領民の状況を調べるために「愛馬赤馬」に乗り巡視して周り、とても領民から人気があったとのこと。
この「愛馬赤馬」は寺の資料では「農耕馬のような」となっていたが、ネットで見てみるとそのような説明はない。
いずれにしろ、地元ではとても愛されており、吉良家もあちらこちらに寄進していて、すこぶる良い関係だったことがわかる。

さすがにここには外人の観光客はいなかったが、他に2組くらいの観光の人が訪れていた。
しかし以前、赤穂浪士の墓のある「泉岳寺」を訪ねたことがあるが、そこは煙いくらいに線香が炊かれていたのに比べ、この華蔵寺はひっそりとして、あまり整備もされていなかった。
この人気の違いに、ちょっと残念な想いだったが、5月の良い天気の中、静かな史跡を巡り、新緑に囲まれてウグイスの声を聴く空間は、至福のものだった。

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