« 2019年2月 | トップページ | 2019年4月 »

2019年3月の記事

2019年3月25日 (月)

撮影できる浮世絵展に行ってきた

先日「特別展 挑む浮世絵 国芳から芳年へ」に行ってきた。
20190325
このような展覧会は、普通なら土日に出かけるが、ちょうどマンションの電器検査立会いもあり、平日に有休を取って行ってきた。
事前にHPで確認したら、この展覧会なんと「撮影可能!」
ただし以下のような注意書きが掲載されていた。
 
◎展示作品はすべて撮影OK!
本展の展示作品はすべて撮影いただけます。撮影にあたっては以下の条項をお守りください。
他の来館者の鑑賞の妨げにならないよう、ご注意ください。
他の来館者が映りこまないよう、ご注意ください。
シャッター音や周囲にご配慮の上、長時間の撮影はご遠慮ください。
会場の状況によっては撮影をご遠慮いただく場合がありますので、ご了承ください。
本展の展示作品は額装されているため、ガラスによる反射・映りこみがあります。
フラッシュ、ライトの使用は禁止。
動画の撮影は禁止。
三脚や一脚、自撮り棒等の使用は禁止。
その他、作品の保護・安全のため、当館の指示に従ってください。
 
◎撮影した画像の使用について
画像の使用は私的なものに限ります。それ以外の用途での使用は固く禁じます。
Webサイト・ブログ・SNS・電子メール等での掲載は個人での使用に限ります。
営利目的での使用は固く禁じます。
投稿や公開等の際、来館者の肖像権に触れる場合があります。ご注意ください。
画像掲載による第三者とのトラブルに関して当館では責任を負いかねます。画像の取り扱いにくれぐれもご注意ください。
 
まぁ、仕事柄、知的財産権のことは普通より詳しいので、「至極当然の注意点」と言えるのだが、普通は「撮影不可」が当たり前なので、楽しみにして行ってきた。
 
国芳は何度も見ているが、「撮影可能」は初めてで、前述のように行ったのは平日。なのに結構混んでいる。どうも最近は「江戸絵画」は人気が高く、なかでも有名な作家による「浮世絵」は大人気だ。
「北斎」「若冲」なんてビッグネームの展覧会、ものすごい入場者数になる。
 
会場に入るとさっそく「カシャ」というシャッター音が聞こえる。
これが通常だったら「なんて非常識な!」と思うのだが、今回は違う。
「じゃ、こちらも」なんて思って、スマホを手に持ったが、なにせ慣れていない。
会場係員の人の姿が気になって「そこはダメです」って怒られるのでないかと、最初はドキドキしてしまった。
 
最初に撮影したのは「吉野山合戦」という超縦長のもの。
(ここに掲載したので見てください。クリックすると大きく見えるはずです)
国芳の大判3枚連作のワイドなものはたくさん見てきたけれど、縦に長いのは初めて。
「やっぱり国芳は面白いなぁ」と思いつつ、段々撮影にも慣れてきて「おっ!」と思う作品は、出来るだけ解説付きで撮影した。
 
この展覧会は国芳だけでなく、その弟子たちのものも多く、明治以後のいわゆる「ちょっとグロ」的な作品もあった。
「怖いものは見たくない人は、飛ばしてください」とコースが分かれていたが、「せっかくだから」とそちらのコースもしっかり見てきた。
最近では残虐性の高い事件をネットやニュースで見聞きするせいか、それほど残虐とは思わなかったが、まだ写真や映像の無い時代に、血しぶきが飛び散るような浮世絵は衝撃的だったのだろう。
 
ずんずん作品を見ていき有名な「里すずめねぐらの仮宿」では、一部をズームして撮影してみた。
これは「吉原」の仮宿に冷やかしに訪れる男衆や大籬(おおまがき)越しに見える花魁たちが全部「スズメ」で描いている国芳得意の擬人画だが、いろんなポーズや表情のスズメたちが画面いっぱいに描かれているので、ズームして見るのも楽しかった。
 
気に入った展覧会では、図録集を購入することにしているが、この展覧会のお土産コーナーでは図録だけでなく、手ぬぐいなど多くのグッズが販売されていた。
怪奇ものや洒落ものは部屋に飾るかんじではないが、いかにも国芳らしい「宮本武蔵の鯨退治」の手ぬぐいを買ってきた。
久しぶりに「浮世絵展」を見たが、再雇用の身でもあるので、これからは有休を取って平日にゆっくり鑑賞するのも良いなぁとウキウキしながら帰ってきた。

| | コメント (2)

2019年3月18日 (月)

「デザイン」の範囲が違ってきた

仕事の関係で、デザイン系の専門学校の課外授業をすることがある。
最初にやったのは20年くらい前で、一時期その学校の「社会人向け講座」を受け持ったこともある。
20190318
そんな流れから、3年くらい前から「ある検討会」に出席している。
詳しくは「守秘義務」があるので書けないが、学科の講師や他の企業の方も出席しての会合だ。
   
私はもちろん「企業側のスタッフ」として出席するのだが、私を含め他の企業の人達がまったく同じようなことを発言した。
それは「ただ絵を創るだけのデザイナーは、もう要らない」ということだ。
「グラフィックデザイン」は、昔は「図案」と呼ばれていて「ビジュアル制作の専門家」という位置付けだった。
 
私たちの若い時代、「グラフィックデザイン」「印刷物制作」にとても近い関係で、プロフェッショナルな領域だった。
しかし、デジタル化が進んだことにより「誰でも簡単に、それっぽいビジュアルができる時代」になった。この系統の話題は、このブログで何度も取り上げたが、ついに「デザインの定義」を見直す時期が来たことを、その会合では実感した。
 
ある企業の方は「とりあえず制作スタッフで入社してもらうけれど、ちゃんと考えることができる人材でないと必要ではない」と言っていた。
あるプロダクションの社長は「パッケージのデザインでも『売り方』とイメージできないと使えない」とも言っていた。
私は、常々会社の中で「ビジネスプランが理解できなければ、デザインとして使えない」と言ってきているが、他の人の発言を聞いていて「やっぱりどの企業も同じことを感じているんだ」と確信した。
 
この変化はとても重要だ。
私自身を振り返れば、学生時代に教科書のスミにマンガばかり描いていて、写真やイラストにも興味を持った。
今だって多くの若い子は「ビジュアル作りが好き」っていう子が多いだろう。
ところが社会は「ちゃんとビジネスが理解できて、考えられるデザイナーが必要」と言い出した。
そうなると「ビジュアル作りが好き」と言う子は、これからどうしたら良いのだろう?
 
グローバルな時代なので、英語がわかるデザイナーがいると良いが、そもそも英語に興味があれば「デザイナーになろう」と思わないだろう。
「デザイナーになりたい」という気持ちと社会から「こんな生徒を育ててほしい」は、大いなる矛盾を生む状態になりつつある。
 
私たちがいる企業も大きな変化にいち早く対応しなくてはいけない時代だが、学校もそうなのだと、そして今は、どの業界、どの分野、どの職業でも劇的変化が起きている真っ只中なのだと感じざるを得ない会合だった。

| | コメント (0)

2019年3月11日 (月)

選択が難しい高齢者の問題(免許証返納と認知症)

数年前から高齢者のうっかり運転での事故が話題になるようになった。
私自身、まだ60代に入ったばかりの年齢なので、大丈夫だと思っているが、昔に比べれば長距離の運転は疲れるようになった。20190311
一度なんか日帰り温泉の帰りに、高速道路でウトウトしそうになって車線からはみ出し、びっくりしたことがある。
なので、今後もしクルマを買い換えるとしたら、オートブレーキなどのセーフティシステムを搭載しているクルマにしようかと思っている。
 
ちょっと話題が変わる。
私は父母ともに早くに亡くしている。
私が二十歳になった年には、もう両親とも亡くなっていたから、世間的には「かなり早くに」両親を亡くしている。
ただ今この年齢になってみると「親の介護」で悩まなくて済んでいる。
 
いつだったか兄貴とそんな話をしたが、大抵50代くらいになると皆、「介護問題」にぶつかるが、おかげさまで、それはない。
なんて思っているうちに、今度は自分が「介護される」年代が徐々に近づきつつある。
 
ある時、会社でこんなことが話題になった。
「義父が75歳以上になったので、親戚や周りから『免許証返納した方が良い』と勧められて返納したら、外に出かけなくなり、あっと言う間に認知症になった」
そんな話をする人がいた。
 
その方は定年後も毎週、クルマで喫茶店に出かけ、昔の仕事仲間と談笑していて、免許証返納後も「電車行けば良い」と周りは勧めたそうだ。
でも、いつもクルマで動いていたからか「電車に乗ってまで行くのは」と行かなくなってしまったとか……。
 
また、ある人は「身体が健康なうちは働いた方が良い」というが、定年・還暦を越えてくると「そろそろのんびりしたい」というのも本音だ。
ただ朝起きて「今日は何しようか?」なんて思うような日を繰り返すのは嫌だ。
 
さらに今みたいに思いついて「クルマに乗って日帰り温泉」なんてことも、免許証返納したら出来ない。
そもそも自然に囲まれた日帰り温泉なんて、公共交通機関なんかで行けないところが多い。
 
じゃ、ずっとクルマの運転できるかと言えば、冒頭に書いたようにいつまでも若いときのように運転できるわけじゃない。
そして「危ない」と言って免許証返納したら、「出不精」「家にこもりがち」になって認知症になってしまう。
どっちを選択しても、異なる心配事が頭を駆け巡る。
まだまだ先のことだけれど、選択の難しい問題だ。

| | コメント (0)

2019年3月 4日 (月)

再雇用者にこんなに頼ってて大丈夫か?

もう3月になった。
来月になると4月で新しい年度になる。20190304
さらにその次の月には新元号になる。その影響と関係ないだろうが、今年の1~2月は信じられないくらい忙しかった(正確には、昨年12月中旬くらいからだが)。
理由はいろいろあるが企業内の事なので、あまり詳しく書かない。
 
再雇用者になって、所属する部門のほかに経営部門(総務とか人事とか経営企画とかがある部門)の業務を手伝うようになった。
管理職だった頃も、年度末は忙しかった。
新年度の組織編制や予算、さらに部門や部下の目標設定など、いつも気がつくと3月末になっている状態だった。
役職定年になって、その業務はなくなったが、今度は経営部門を手伝っているので、やっぱり年度末はとても多忙になった。
 
経営部門の業務を手伝うと言っても、本格的に経営業務に携わるのではなく、必要となる資料やツールなどを作成することが主な業務だ。
現役時代に、お客様の広報的なツールを主軸に企画をやっていたので、そのノウハウが活かせるし、組織的にも多くヘルプできていると思っている。
それは、それで再雇用の必然性に繋がるので、個人的にはありがたいと思っている。
 
が、しかし……。
今年の年度末の忙しさを思うと「再雇用者にこんなに依存していて、良いのだろうか?」と感じてしまう。
経営部門の各部から2件ずつくらい依頼があって、それが3つの部署からあると、もう堪らない。
さらに、そのほとんどが「自分たちではどうしてよいか分からないので」と相談レベルからやってくる。
で、「こんな感じ」と説明してあげて、自分たちでやるのかなぁと思っていると、結局良く理解していなくて、全部私がやってあげることになる。
 
他の業務が満載でとても手が回らないのは分かる。
そして、難しいので私にヘルプが来るのも分かる。
でも、自分がやらないと次から困るのではないだろうか?と思いながらやっている。
結局「そのうち自分がやらなくっちゃ」と思っているわけでなく「やれる人に頼めば良い」「やれる人がいなくなったら、出来ませんって言えばいい」と思っている気がする。
 
私自身「分からないけれど、試しにやってみる」を繰り返して、いろいろなことが出来るようになったり、分かるようになったりしたが、「試しにやる」ことをしないのなら、きっとこれからもずっと「できない」ままで済ませていくのだろう。
私の会社には同じ世代の「再雇用世代」が結構な数いる。
でも、その世代が本当にリタイヤしていなくなったら、「これは当社ではできません」ということがどんどん増えていくのではないか?
再雇用者が要らぬ心配をした年度末であった。

| | コメント (0)

« 2019年2月 | トップページ | 2019年4月 »