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2018年12月の記事

2018年12月25日 (火)

2018年を振り返る

今日で今年のブログはおしまい。
なので、恒例の2018年を振り返ってみたい
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●近場の史跡めぐり
やっぱり今年の印象は、これかな?
きっかけは何だったかとブログを振り返ってみたら2月に「薩摩義士の話」 に書いてあった。
昨年の末にイルミネーションを見に「木曽三川公園」へ行った時に、偶然「治水神社」があったことだ。
それをきっかけに、今年は「近場の史跡めぐり」を意識した。
 
その後「清洲城」「小牧山城」「岐阜城(稲葉山城)」「鳳来寺山」「鳳来寺山東照宮」「美濃市」「明治村」と巡った。特に前半の「織田信長」の足跡を追うように巡った3つの城は、何十年振りかに「国盗り物語」を読み返すきっかけになった。
 
●史跡と温泉の旅
近場も多かったが、今年はここ数年行きたいと思っていた史跡に行ってきた。
「奈良」「日光」と修学旅行コースなのだが、大人になり少し歴史的知識も分かった上での見学は「ワクワク」の連続だった。特に古都「奈良」は、今まであまり興味を示さなかった時代や仏像へのアプローチで楽しかった。
 
これは「明日香村」に行ったことが大きなきっかけだった。
「日光東照宮」は中学以来の再訪だったが、いくつかの「東照宮」を巡った後に行き、もう見落とすことのないように隈なくじっくり見られたのは嬉しかった。
 
さらに「渋温泉」。巡れてなかった「外湯」は全部制覇できた。
ただ「地獄谷野猿公苑」は残ってしまったので、遠距離運転が出来ている間に、もう一度トライしないといけない。
 
●自転車通勤
もしかすると、これが一番大きなニュースだったかも。
会社の駐車場が使えなくなり、地下鉄通勤に切り替え、ある時の夢をきっかけに「自転車通勤」にトライし始めた。
タイヤの空気圧が少ないことに気づかず、歴史的な酷暑にも関わらず、毎日往復10kmを自転車で通ったことは、目的ではなかったが、結果的に健康的な習慣になった。
 
●そして2019年へ
こうして振り返ると毎日毎日少しずつの変化だけど、1年経つと昨年とは違う生活や興味関心になっていることに気づく。

3世の姫は、娘がたまに送ってくれる写真で「変顔したり」「剣を持って睨んだり」「可愛いポーズ」を取ったりと、女の子ならではの成長をしていて楽しい。
さらに王子の方は、4年になり英語の授業が始まったらしい。
どう?」と聞くと「楽しい」と言っていた。
どうやら外人の先生で、授業中は全部英語。でもほとんどが遊びの延長で英語を使っているらしく、クラスみんなの人気者なのだそうだ。
きっと、3世たちが社会人になる頃には、私たちの世代と違って、「英語」がとても身近に感じる人が多くなるのだろう。
 
また来年も、こんな感じにマイペースで、少しずつのトライができたらよいかと思う。
ただし、来年は「平成」が終わるし、「消費税」もアップするから、大きなうねりのある年になるのだろう。
 
今年一年、ありがとうございました。
多分、また来年もこんな感じで、ブログを続けていると思いますので、よろしくお願いします。
良いお年をお迎えください。

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明治村へ行ってきた

東海地方に住んでいる人は、昔からあるところだから知っている「博物館明治村」
明治時代の建物を移築して保存している観光施設だ。
のちに、「大正村」「昭和村」と同じく東海地方に生まれたが、ここが発祥なんだろう。
なにせ、私が小学校のころからある。
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名古屋からクルマで1時間くらいの距離なので近いのだが、実は行ったのは小学校の遠足(だったと思う)以来なので、50年ぶりと言うことになる。
 
昨年あたりから「近場の史跡巡り」をブログに載せたりしてきたが、その流れから「そういえば、近くに良い所があるなぁ」と思っていた。
さらに言えば、本を読んだり史跡を訪ねたりしていくうちに、歴史の流れも分かってきたことも興味が高まってもいた。
 
日本人の多くは、京都や奈良、日光など修学旅行で行く。
けれど、歴史やその背景も知らずに(もしくは興味を持たずに)見ている。
大人になって、歴史の流れや背景が分かってから、そのような場所を訪れると興味は倍増するし「良く保存されているなぁ」と感心する。
なにせ子供だから、机に座って勉強しないだけで嬉しいから、修学を目的で旅行はしていないので、仕方ないのだろう。
 
と言うことで、明治維新後、日本が欧米文明に必死に追いついていこうとする時代の中を生き抜いてきた建物を「ちゃんと見ておこう」と思って出かけてきた。
行ってみて思ったが、広い。
なにせ50年振りで、前回の記憶はほとんどない。
10時に入場して、午後5時から始まる「イルミネーション点灯」過ぎまで、ほとんど休みなく歩いて見学したが、それでも途中では「サラリ」と見る感じで、飛ばして廻ってきた。
 
行ったのは11月後半の3連休だったので、ちょうど紅葉の時期。
私のように純粋に「明治の建物を見学しよう」と言う人もいたが、それよりも多かったのはイベントに参加している若い人たち。
行った時には「帝國ホテル支配人の偉大なる推理」というイベントが開催中で、建物の部屋に隠されたアイテムやパズルを解きながら進むリアル脱出ゲームをやっていた。
展示物など見向きもせずに、ゲームに熱中する人が多く、何の展示物もないところや建物の外にたくさん座り込んで遊んでいる人がやたらと沢山いた。
 
これはこれで、リピート入場者を増やすには良いようで、一時期よりも入場者は増えていると後日会社で同じ部署の人間に教えてもらった。
確かに、私みたいに「歴史的視点」だけで来る人だけでは、莫大な広さにある各施設の保存に掛かる費用を賄うのは大変だろう。
それに多くの人が来た方が、売店や食事するところ、そしてトイレやいろいろなものが充実するし、綺麗になる。
 
ただ、私の視点からすると、もう少しだけ建物の説明が書いてあるパネルがあると嬉しかった。
いくつかの建物では、「時間で区切られたガイドツアー」でないと入場できないようになっていて、マイペースで見たい私のような人間には「がっかり」と思う部分もあった。
 
「平成」という時代はあと4ヶ月で終わる。
そんな年の終わりに「明治」という時代の建物を見てきたのはある意味、感慨深かった。
いつものように、左にアルバムを掲載したので、興味があったら見てください。
そうそう、たまにコメントをいただく楽美さん が、紹介していた「江戸東京たてもの園」 にも、いつかは行って見たいと思って「明治村」を後にした。

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2018年12月17日 (月)

司馬遼太郎の戦国時代再び

読みたい本は基本的に購入する。
なぜかと言えば、サイクルはそれぞれだけれど、読み返すことがあるからだが、図書館で借りると期限が気になるし、いつ読み返したくなるか分からないので、本棚が徐々に埋まっていく悩みもある。
 
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最近は、「時代小説」のなかでも「江戸情緒」系の話が多いが、20~30代の頃は、司馬遼太郎氏の歴史小説オンリーだった。
この話は、このブログで何度か話題にしたが、ほとんどの小説は読んだのじゃないかと思っている。
 
先日、ふと本棚を見ていて、「久しぶりに司馬遼太郎を読もうかな」と思い立った。
幕末ものはやっぱり面白かったので、何度か読み返してきている。
今年、ブログに良く紹介しているが、近場の史跡巡りをしていて、ちょうどその舞台でもある「戦国時代」にしてみようと考えた。
 
司馬遼太郎氏の「戦国時代」小説は、「国盗り物語」「新史太閤記」「関ヶ原」「城塞」と揃っている。
「国盗り物語」は、斎藤道三から織田信長の時代の話、「新史太閤記」は、秀吉。
そして「関ヶ原」では、秀吉から家康への移行、最後の「城塞」は大阪の陣で、徳川政権確立までと、順番に流れに沿って読める小説だ。
 
この辺りの小説を読んだのは、はっきり記憶がなく、多分30年くらい前だったと思う。
だから全く覚えていなくて、まるで初めてのように、とても新鮮に読み始めた。
そして、ここのところ訪れた「岐阜城(稲葉山城)」「小牧山城」「清洲城」が舞台となるので、さらに面白い。
 
小説が書かれた頃から、新しく分かった史実もある。
例えば「小牧山城」の場合、「岐阜城(稲葉山城)」の前に初めて「城下町」を造ったのではないか?とか、つい最近新聞に載っていたが、城主と家来の住まいの場所を高さとしてはっきり区別したとか。
それをより具体的にしたのが「岐阜城(稲葉山城)」だったのじゃないか?とか。
 
それに「楽市楽座」は、信長ではなく道三が始めたこととか。こういうのを読むと、またその場所に行き「この風景、この角度から彼らは街を眺めていたのか」と感じてみたくなる。
特に「岐阜城(稲葉山城)」を訪れた時の、眼下に広がる長良川の蛇行した様子を想像しながら読むのは、実にワクワクする。
 
まだまだ今は「国盗り物語」を読み終わりそうな段階。
これから本格的に秀吉、そして家康、最後には真田幸村と続く「城塞」まで、ワクワクしながら読み返すことにしよう。

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2018年12月10日 (月)

文章能力は大丈夫か?

昨年、夏に無事に定年となり「再雇用」になっていることは、今まで何度か書いてきている。
そんなふうに社員としての立場が変わったことと、上司である本部長、そして総務部門の思惑もあり、「お客様向けの活動」から「社員向けの広報活動」に業務がシフトしつつある。

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その中でも一番負荷が大きいのは「社内報」という社員向けに情報を伝えるツールの制作がある。
いろんな部門の情報を掲載して、社員全体の共有感や啓蒙などに役立てるツールだが、その特性上、社員が作った文字原稿が送られてくることが多い。
その中には、かなり文章が怪しいものが見受けられる。
 
怪しい文章で多いのは営業部門からの原稿だ。
我が社の営業部門のスタッフは、基本「大卒」が入社している。学校のレベル差はあるにしても「大学」と言えば、一応「最高学府」なのだが、とてもそういう学校を卒業してきたと思えないような文章を書いてくる。
 
よく言われる「ら」抜き言葉は、当たり前と言うか時代の流れで「仕方ないかなぁ」と思う。
なかには全く「何を書いているか分からない」という文章もある。
ツール制作する時に、一生懸命文章を読んで、何とか語彙を汲み取って、添削して組みなおしてあげることもある。
しかし、全く「何を言おうとしているのか?」分からない文章の場合は、修正すらできないので「何を書いてあるのか分からないので、書き直してください」とコメントを付けて返す。
 
30代中版から下の若い世代は、送られてくるメールを読んでも「文章力」の無さを感じることがある。
LINEのような短い文章でやり取りするSNNが普及した影響なのか、短文ならすごく速く返してくるが、ちょっと説明的な文章になると、途端に「?」となる文章になる。
 
私も経験したから分かるが、今後、年齢や役職が上がると、どんどん「文章で報告」することが増えてくる。
そういう意味では、今の私の上司も苦しんでいて、以前はよく私に「ちょっと文章チェックして」と頼んできたが、最近は少し慣れたみたいだ。
結局、自分で努力して解決するしかないけれど、今のような文章能力だと「大丈夫か?」と思わざるを得ない。
 
と、ここまで、偉そうに書いてきたが、いつも思うことだが、「今の人たちは」という話題の時には「私たちもそう思われていたのかも」と感じる。
それでも何とかなってきているので、次の世代は次の世代なりに、何とかなっていくのだろう。
逆にそれだけ、私たちの世代は終わりつつあるのだと思うようにしている。

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2018年12月 3日 (月)

「自己責任」は街中に溢れていないか?

自転車通勤を始めてからまもなく半年近くなる。
暑かった夏を乗り切り、タイヤの空気圧を調整したら、ずいぶん乗るのに楽になった。
そのおかげがどうか分からないが、健康診断で今まで5~6箇所くらい「要注意」マークがあったのが減った。クルマで通勤するよりは運動しているということなのだろう。
 
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ところで、少し前に「ニュースの多様性」 にも載せた話題以来「自己責任」という言葉が氾濫している。
そんな言葉が耳に残った状態で、街中を自転車で走っていると「歩きスマホ」の多さに驚く。
感覚としては「2人に1人くらい」だ。
 
真正面から自転車で近づいていくのに、本当にギリギリの近さまで気づかない。
こちらも「当然気づいていないな」と思い避けながらすれ違う。
一度はちょうど曲がり角で出会い、あぶなくぶつかりそうになった。
向こうも「びっくりした」と言っていたが、「これが自転車なく、クルマだったら轢かれてるよ」と思った。
 
じゃ、自転車側はどうかというと、これまた酷い。
「スマホしながら、手放しで運転」なんて論外だが、意外とやっているのは学生が多い。
以前、女子大生がお年寄りにぶつかり、死亡させたニュースを見たが、自分は大丈夫だと思っているのだろう。
 
それと「信号無視」は多い。
自転車に乗っていると、停まるのが面倒と言う気持ちは分かるが、小さな交差点ではまず守らない。
さらに、信号のない交差点では、左右も見ずに突っ込んでいく自転車は多い。
こんなふうに「危険だなぁ」と思う自転車に乗っている人は、学生やオバサンが多く、想像だが免許とか持っていないので、交通ルールがあることすら知らないのではないだろうかと思う。
 
自転車は昔からあるし、私も子どもの頃から乗っている。
でも最近は、あの頃のとは比較にならないくらい、街中に「危険」が溢れている。
これは、「スマホ」と言う便利なツールを手に入れたことで発生した、新たな「リスク」なのだろう。
人類が「クルマや電気や暖房器具」など、便利なツールを手にすると、新たなリスクが増えることを繰り返している。
これが限界まで行くと、規制やルールができるのだが、それまではこれらのリスクを「自己責任」で片付けていて良いのだろうか?
 
おそらく、近い将来「歩きスマホ」の危険性を法的にも規制されるのではないだろうか?
そんなことを思いながら、毎日、冷や冷やしながらの自転車通勤を続けている。

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