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2018年8月の記事

2018年8月27日 (月)

還暦後、初めての免許証更新

今月は私の誕生月だ。
昨年は「定年だ」「還暦だ」と区切りの年でもあったので、やたらと年齢きっかけのさまざまな話題に触れたが、過ぎてしまえば「60代」という違いがあるだけで、普通に再雇用社員として過ごしている。
20180827
そして「今年は暑い~~~」と梅雨が明けて早々の頃、「免許更新」を知らせるハガキが届いた。
そうそう、年が明けた頃は「今年は更新だなぁ」と覚えていたが、すっかり忘れてしまっていた。
若い頃は、スピード違反や駐車違反、一旦停止など軽微な交通違反を2~3年に1回くらい繰り返していたので、ずっと一般運転者更新で3年ごとだった。

ただ年齢とともに、そういうこともなくなり、40代後半からはずっと所謂「ゴールド免許」になり、更新も5年ごととなった。
だから、ついつい更新のことを忘れてしまいがちだ。

先ほど「年が明けた頃は覚えていた」というのは理由がある。
私の住む地方の「運転免許試験場」は公共交通機関では少し不便な場所にあるので、免停研修以外の人の多くは、クルマで出かける。
ところが今は、工事により駐車場が閉鎖中。
なので、年末年始にやたらと「公共交通機関でお出かけください」と言っていたからだ。

今まで免停の時に1回だけバスで行ったが、それ以外は全部クルマで行っていた。
だから「どうやっていくんだ」とスマホアプリで調べなくちゃいけなかった。
それに寄ると地下鉄に乗って、終点まで行き、そこから市バス。割と簡単そうだと分かり、さっそく行ってきた。

部長職だった頃に毎週のように、東京出張していたが、その時に使いこなすようになった「乗換アプリ」のおかげで、旅行に行っても、こういう近場の公共交通機関を使う時でも、便利に使う。
おかげで迷うことなく「運転免許試験場」に到着。

あとは、いつもの通り更新手続きして、30分の講習を受けて、新しい免許証を手にして帰ってきた。
ちなみにその日は、私の住む街としては「観測史上初の40度超え」とニュースになった酷暑で、ちょうど最高気温が出た頃に、テクテク歩いていた。

講習のビデオを見ながら思ったが、昔はスピードの出し過ぎや信号無視を注意する内容が多かったが、最近は高年齢層の「うっかり運転」などにスポットがあたっていた。
それを見ながら「いつまで免許の更新に来られるんだろうなぁ」とふっと思った。
次が65歳、その次は70歳。頑張っても75歳くらいまでか?
その頃には、きっと今よりも反射神経は遅くなっているだろう。
今後は「免許証返納」まであと何年と数えるようになるのだろうな。

そうそう免許をもらって見たら「有効期限」「平成35年」となっていた。
来年で平成は終わるのに、こういうのって簡単に年号を変更できないんだろうな。
ちょっと笑えたが、やってこない元号年の免許証。取っておきたい様な気持ちになった。

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2018年8月20日 (月)

始まりは、いとこのメールから

ちょっと時間が過ぎてしまったけど、最近としてはかなり珍しかった出来事だったので備忘録として書くことにした。
20180820
今年は梅雨の末期に発生した西日本豪雨と、その後の連日の炎暑と天候に振り回されっぱなしの日本だ。
その西日本豪雨の範囲は本当に広く、私の田舎にも一部「避難勧告」が出ていた。
でも雨雲や降水量の速報を見ていると、兄貴たちが住んでいる市内中心は大丈夫そうだったし、何も言ってこなかったので「まぁ、良かったんだろう」と思っていた。

その後、炎暑が続き2週間くらいした時に、突然同じ年齢の従姉妹から携帯メールが来た。
私のいとこたちの話は今から8年前に「いとこたちの集い」 に書いたが、おそらくそれ以来の連絡だったと思う。
「なんだろう?」と思ったら、どうやら豪雨の被害に遭わなかったか心配してのことだった。
彼女は現在、仕事の関係で九州の福岡にいる。

そこからちょっとメールでやりとりして、彼女の両親も私の住む街に残して赴任しているおり、ヘルパーを頼んで何とか生活しているような状況らしい。
で、最後に「いとこたちの集い」 の時に幹事をやってくれた一番年下の叔母に連絡しても出ないし、その息子(我々の従兄弟)も連絡取れないと言ってきたので、私の携帯に入っている番号を教えておいた。これも古いから「繋がらないかも?」と思ったが、取り合えず分かる範囲で応えておいた。

その後、その叔母さんが「交通事故で入院中」と連絡が来て、ビックリ。
取り合えず病院名を教えてくれたので、ネットで調べて会社帰りに行ってきた。

事故そのものは5月の終わり、
あばらや大腿骨など骨折したようで、叔母自身は当時の記憶が曖昧で、事故の様子ははっきり分からなかったが、まぁ何とか元気そうで安心した。
「心配かけるだけだから、内緒にしてた」と言ってたけれど、それも叔母らしいと言えば叔母らしい。
事故のケガも大変そうだったが、それより事故のショックで胃潰瘍になったことも入院が長引いているとも言っていた。

その様子を兄貴に連絡し、さらに最初に連絡をくれた従姉妹にも連絡した。
また翌日には仕事の都合で会えなかったが叔母の息子である私とは一番親しかった従兄弟からもお礼のメールが来た。

ひょんなことで、いとこ同士で連絡を取り合ったが、下から2番目の年である私がもう還暦を過ぎている。久しぶりにあった叔母も「ずいぶん年取ったなぁ。耳も遠くなっているし」と思ったが、それも当たり前と言えば、当たり前。
時の流れは、ある意味残酷な現実を見せてくれるなぁと、ふっと思いが過ぎる出来事だった。

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2018年8月 6日 (月)

何度も立ち上がってきた国

気づいている人もいるだろうが、このブログは基本的に毎週月曜に新しい記事をアップしている。
だから今日が「広島原爆の日」だというのは全くの偶然だ。
20180806前回取り上げた最近の大きな災害と比べれば、核兵器の被害はとてつもなく大きい。もちろん「自然が起こす災害」「人類の間違った英知の使用結果」は天地以上の大きな差があり、比較にもならないが……。

ただ、今日の日のことを考えると「きっと日本と言う国は、何度も何度も酷い目に遭いながら立ち上がってきた」、そういう国なのだと改めて思う。
そして、そんな壊滅的な被害に遭いながらも、今のように豊かな生活ができるような国として成長させてくれてきた先人たちの努力に最大限の敬意を払いたいし、日本と言う国を尊敬する。

「じゃ、お前たちはこれからも立ち向かっていけるのか?」と問われるとなかなか自信がない。
ないけれど、こんなことも思う。

今年前半は、冬季オリンピックの特にスケート競技がたくさんのメダルを獲ってくれた。
羽生結弦くんのフィギュア金メダル2連覇、冬のオリンピック女子初となった小平奈緒の500m女子の金メダル、そして同じく女子のパシュート金メダルと、本当に何度見ても嬉しいシーンを私たちに見せてくれた。

それにサッカーワールドカップ。
出かける時と帰って来た時の評価が全く変わってしまったが、それくらい良い試合をしたのは間違いない。今回のW杯は会社のサッカー好きと話していたが、面白かった。
チームの中の「スーパースター」が引っ張るのではなく、全選手が90分間フルにガツガツ動くことが出来るチームが勝てる形に変わってきたから、面白かったのだろう。

こういうスポーツの活躍では時に「感動をありがとう」とか「勇気をもらった」という反応があるが、今年ほど、その言葉が当て嵌まる年はないかもしれない。

それと、連日被災地の状況を伝えるニュースの中でのボランティアの人たち。
あるTVでは「ボランティアは本来、手の届かないところのサポートであるべきで、あまりに頼ってしまうのは良くない」と言っていた。
それを聞いて「企業には何か出来ないのか?」と思った。

もちろん企業はそれなりに物資の支援や活動のサポートをしているだろう。
けれど、今回のように大きく広い範囲の災害では、行政の手が回らないところはいくらでもある。
そんな時、企業が「中心となって」活動できないのだろうか?
「人」「物資」「設備」そして「お金」
大企業になればなるほど、支援できる規模や範囲は大きいのではないだろうか?

そして企業が支援しやすくするための法改正や税制改正などもできないだろうか?
野党のくだらない与党批判などで時間を浪費するのではなく、もっとポジティブな議論を一刻も速く進めること。
立ち上がるためには私たち一般人も、企業も、政治家もみんながフレキシブルに「今、出来ることは何か?」「これからすべきことは何か?」を考えることが必要なのだろう。
他人の批判をしているようでは、ポジティブな状況には、絶対にならないだろう。

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