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2018年5月の記事

2018年5月28日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その1)

若い頃は「観光」的に、京都やお城を巡っていたが、最近はいろんな想いを持って出かけている。
今まで一番多いのは、もちろん「史跡」巡りだ。
一時期は「浮世絵名所」巡りもしたし、他にも「時代劇ロケ場所巡り」なんてこともした。
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ただ、やっぱり「お城」とか「神社仏閣」が多いので、どうしても「由緒」を読んだり、「仏像」を見たりする機会が増える。
そうすると何となく「仏像」にも興味が出るようになってしまった。

「仏像」に関していえば、昨年秋に初めて明日香村を訪ねたこと が大きかった。
そこで見た仏像は、飛鳥時代のもので、見慣れた姿とは少し異なっていた。
それまでも「如来」「観音」「菩薩」「明王」などなど、その違いや位置づけにも興味を持ち、簡単なガイド本を買ってみたりもしていた。

そんな感じでちょっとだけ「仏像」のことが分かってくると、今まで訪ねた所でも「興味のポイント」が変わってきてしまい、さらには「ここも訪ねてみたい」と欲も出てくる。
と言う事で、ゴールデンウィークが明けた翌週に有休を取って、久しぶりに奈良へ行ってきた。

奈良は私の住む地域からは近い。
クルマで2時間少しだから、無理すれば日帰りでも良いのだが、せっかくなので、安いビジネスホテルに泊まる1泊2日で行ってきた。

初日は「薬師寺」「唐招提寺」「新薬師寺」の3ヶ所。
本当は「奈良国立博物館」も予定していたが、最近は「じっくり」見学して説明文も読んだりするので、1ヶ所ですごく時間が掛かる。だから3ヶ所巡るだけで時間がなくなってしまう。
これは結構悩みのタネで、団体ツアーなどのペースでは絶対に満足感のある見学ができない。

●薬師寺
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山である。南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は薬師如来、開基(創立者)は天武天皇。1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。
20世紀半ばまでの薬師寺には、江戸時代後期仮再建の金堂、講堂が建ち、創建当時の伽藍をしのばせるものは焼け残った東塔だけであった。1960年代以降、名物管長として知られた高田好胤(たかだこういん)が中心となって写経勧進による白鳳伽藍復興事業が進められてきた。1976年に金堂が再建されたのをはじめ、西塔(1981年)、中門、回廊の一部、大講堂(2003年)などが次々と再建された。2017年5月には修行・食事に使われる食堂(じきどう)がほぼ完成し、復興事業は最終段階を迎えている(Wikipediaより抜粋)。

20年くらい前に1度訪ねたことがある。
有名な「薬師三尊像」を見て、再建された西塔があったのを覚えていた。
到着して最初に気づいたのは「修学旅行のシーズン」ということ。学生の団体がいて「これは堪らない」と思ったが、仕方ない。とは言え「日光・月光菩薩」の前が混雑していたくらいで、他のところはそうでもなく、ゆっくりと見学できた。
「日光・月光菩薩」は、やっぱり魅力的な仏像で、本当だったらじっくり静かに味わいたいものだが、多くの修学旅行生がいても、その魅力はビンビン感じることができた。
以前来た時よりも「大講堂」「食堂」が増え、その代わりに昔からある「東塔」は大修理中で見られなくて残念だった。

行った時は「西塔」「釈迦八相のうち後半の四相(果相)にあたる諸像」が特別公開されていて、せっかくの機会なので、見学した。入り口には「撮影はご遠慮ください」と張り紙があったが、私よりちょっと年上のオジサンが一眼レフでバシャバシャ撮影していた。
「ここって撮影ダメなんじゃないですか?」というと「遠慮しろと言っているだけで、禁止とは書いていない」と言って平気な顔をしていた。ちょっと日本人として恥ずかしいなぁと思ったが、これ以上言うのもバカバカしくて、そのまま見学を続けた。
まだ、こんな厚顔無恥な日本人もいるんだな。

薬師寺は法相宗の大本山で、その始祖(宗教用語では「鼻祖」というらしい)である「玄奘三蔵(=西遊記の三蔵法師)」の伽藍として「玄奘三蔵院伽藍」が一番奥にあり、そこまで歩いた。
途中「写経道場」もあり、一時期「東塔」くらいしか残らない「荒れ寺」になってしまっていた薬師寺だったそうだが、ずいぶん整理されて、往時の広さも「ちょっとだけ」実感できる感じになってきていた。(つづく)

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2018年5月21日 (月)

近場の城巡り~清洲城と小牧山城

私の住んでいる地方は「信長」「秀吉」「家康」という戦国時代の三英傑を生んでいる。
今では「東京」が日本の中心になってしまったが、戦国時代から江戸幕府が開府されるまでは、日本の歴史上のさまざま出来事の中心の地区でもあった。
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その影響もあり、あちらこちらにお城や城跡が点在する。
「現存12天守」と呼ばれる昔から残っている天守閣も「犬山城」はクルマで1時間、「彦根城」「丸岡城」そしてちょっと遠いが「松本城」なども日帰りで出かけられる位置にある。
もちろん、このような「現存12天守」は今まで訪れているが、最近は復元された天守閣にも足を運ぶようになった。

昔は「コンクリートで出来た城なんて」と思っていたが、最近はさまざまな資料が展示してあることも楽しみになってきているので、往時の雰囲気を想像しながら訪れるようになった。やっぱりこれは年齢の影響だろうか?

この「復元天守」もこの地方には多い。
最近話題になり、今年のゴールデンウィークで一旦登城終了となり、ものすごく多くの観光客が訪れた「名古屋城」をはじめ、家康ゆかりの「岡崎城」など、以前行ったことがあるところを、2年くらい前から再訪していた。
そして、最近は、「近いのに行っていない」ところが気になり始め、GWに行ってきた。

●清洲城
映画の「清須会議」で有名になったが、正確にはここは初めてではない。
復元されたばかりの頃に行った記憶があるは、前述のようにその頃は「コンクリートの復元なんて」と思っていたので、あまり覚えていない。
新幹線からは近いので、車窓から「チラチラ」とは見ていたが、今回はちゃんと見ようと思って行った。
驚いたのは橋も天守閣周りも整備されていたし、展示物やムービーを使った説明など充実していて楽しかった。
そして駐車場は無料だし、天守への入館は300円と財布に優しい。
ただし、本来は今の復元天守の位置にはなく、さらに当時は「天守」はなく「館」の形だったこと。それよりも江戸時代になりいわゆる「清洲越し」で、街ごと「名古屋」に移転してしまうまでは、とても賑わっていて、この地方ではトップクラスの都市だったとのこと。今は名古屋のベッドタウン的で見る影もないが・・・・・。

●小牧山城
ここは「高速道路」「県営名古屋空港」から望める山城。
もちろん天守は復元で、「天守閣」というよりも「資料館」といった感じだった。
ただし「小牧山」は面白い。まだまだ発掘調査中で、年々発見が続いているようで、今は「小牧市役所」となってしまっている小牧山の麓には「楽市楽座」の元となるような街づくりの跡もあるそうだ。
ここは何といっても「小牧・長久手の戦い」で名を知られるけれど、その時秀吉がいた「犬山城」や家康が先回りして待ち伏せした「長久手」あたりとの距離がわかっているだけに、想像を巡らせて楽しんできた。
ただ、山はそれなりに坂がきつく、今のうちに登っておかないと厳しくなりそうだ。

天気もよく写真映えもしたので、左のアルバムに掲載しておいた。
次は「岐阜城」を目指しているが、また訪れたら紹介します。

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2018年5月14日 (月)

伝わってる?最近のカタカナ用語

昔、このブログで書いたが私は、紆余曲折あって20代前半から「グラフィックデザイナー」という仕事に就いた。
この世界は、まぁそれなりに「カタカナ」の用語が多くある業界だ。
だから昔はそんなに気にならなかったが、15年くらい前からやたらと「カタカナ用語」が日常的に使われるのが気になるようになった。
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例えば少し前の「公文」のCM。
「一人ひとりの力をきちんと見つめて伸ばしていくメソッドがあるから」。
なんか分かるような分からないようなナレーションが流れていた。

それに一時、エラく威勢の良かった「東京都知事」の女性の方。
この人もやたら「カタカナ用語」を連発する。「アウフヘーベン」「ワイズ・スペンディング」なんて、何のことだろう?と思ってしまう。

何でこんなふうに「カタカナ用語」を頻繁に使うようになったんだろう?
うちの会社でも「バッファ」「フィックス」「エビデンス」なんて言葉が飛び交う。
「余裕」とか「最終版」とか「証拠・記録」って言った方が正確に伝わるんじゃないんだろうか。

それとも「カタカナ用語」を使うとワンランク上な感じがするとでも思っているのだろうか?
そう思いながらも結局私も使うのだが、本来言葉は「相手に伝わること」のために使うものだ。
なのに「カタカナ用語」を使って、相手が分からないと「知らない方が知的レベルが低い」とニヒルな感じで見下ろすのっては、かなり本末転倒している気がするなぁ。

他にも、ふっと思いつくだけで「バイアス」「シークエンス」「アジェンダ」などなど本当にすぐに意味が伝わらない外来語が多い。
そんなことが気になり始めた頃(2000年くらい)に「カタカナ語の『常識』がわかる本」という本を買って、今でも会社に置いてあるが、もう役に立たないくらい多くの言葉が乱立している。

パソコン通信という古い時代に私が「カタカナ職業」と書いた事がある。
そうしたら全く見ず知らずの人から「カタカナ職業がそんなにエライのか!」とクレームを付けられて驚いたことがある。
そんなつもりで使用してなかったが、勝手に「エラそうに」見えたのかもしれない。
今ではSNSなどの「炎上」は良く見聞きするけれど、その時代には、そんなことはまだ稀だったので、とても驚いたことを覚えている。
きっとその人は、今の私と同じような気持ちを持ったのだろうか?

先に書いたように「本来、言葉は伝えるためにあるもの」だと思っているが、私自身は日本語で言ってくれた方が伝わる気がする。
でも、今の世代はこんな「カタカナ語」の方が伝わっているのかな?

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2018年5月 7日 (月)

「昔」っていつから

4月から何年か振りに公共交通機関で通勤するようになった。
今まで役職で早朝会議に出ていた恩恵で、会社の駐車場に留めさせてもらっていた。再雇用後もそのまま使わせもらっていたが、いろいろな諸事情で、社内の駐車スペース見直しとなり、その関係で公共交通機関通勤となった。
20180507とは言え、元々40分ほどの通勤時間だし、乗り換え無しなので、今までが超贅沢な待遇だったのが・・・。

その影響で、通勤時間中に文庫本を読むのだが、最近「仏教の歴史」のようなものを読んだ。
こう書くと難しそうな感じだか、とてもあっさり整理して書かれていて、あまり各宗派の考えとか難しい内容でない。
神道から始まり大乗仏教、そしていろんな宗派が生まれ、神仏分離があり、新興宗教と大きな流れに沿って説明してあるものだ。

その中で、改めて知ったことがあった。
明治維新の時に「神仏分離」が行われたが、それまで神社とお寺はとても近い関係であったこと。
神社の中にお寺があるのは、良くある風景だったこと。
そして、天皇が「神道」とされたのも「神仏分離」以降だったこと。
確かに奈良時代などは、天皇が仏教を支援し、有名なところでは「奈良の大仏」などを建立している。

その他、いろいろあるのだが、とにかく「神仏」はとても近い関係だったので、今でも日本人は「除夜の鐘」を聞いて、神社に「初詣」に行っても何の違和感もないのだそうだ。
このことは、海外の人たちには絶対に理解出来ない出来事だが、大半の日本人は何の不思議に感じていない。
そもそも「神道」「宗教」ではないのではないかと、その本に書いてあった。

これを読んで思ったのは「昔から、こうだった」なんてのは、実は「思い込み」に過ぎないんだと言うことだ。
江戸時代の「鎖国」にしても、当時は「日本は神代の時代からずっと鎖国だ」と信じていたそうで、信長・秀吉の時代には貿易が盛んだったことを知らなかったそうだ。

最近の例では、「大相撲の女人禁制」だってそうだ。
江戸時代までは「女相撲」が盛んに興行されていたそうで、今のように「神の儀式だから」というようになったのは、やっぱり明治以降。
たった150年前のことなのだ。

そして会社も同じ。
「ウチの会社の伝統は」とか「昔から、こういうやり方だから」なんて言うけれど、企業の場合もっと短くて、20年とか30年とかだろう。
ウチの会社だってまだ創業100年は過ぎていないから、「昔から」って言っても本当に「最近」の話だ。
「昔から」「伝統的に」なんて言葉は、これからちょっと疑ってかかるぐらいがちょうど良いのかもしれない。

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