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2016年10月 3日 (月)

やっぱり三谷幸喜は・・・・・

今年の1月に「『真田丸』は期待して良いのか」 という記事を書いた。
あの時も三谷幸喜の「僕って面白いでしょう?」が気になると書いたが、まだまだ始まったばかりで、期待を持っていた部分もあった。20161017sanada

確かに、上田を中心とした話は、草刈正雄演ずる「真田昌幸」が良くって、時に無責任に「まったく分からん」とかギャグっぽい展開になるのも、「重々しい大河ドラマ」じゃなく面白く見ていた。

とは言え、例えば長澤まさみ演ずる「現代語でチャラチャラしゃべる、きりちゃん」
現代語でしゃべるのまでは良いとしても、信繁の行くところにかなり無理無理に付いて来たり、細川ガラシャとのくだりは(そもそもこのネタは必要だったのか?)、自由に屋敷を出入りして「キリシタンになります」と言ってみたり。
これって「真田一族の話じゃね~の?」など、回を重ねるごとにいろいろ突っ込みたくなるシーンが増えた。

特に大阪編からは、小日向さんの秀吉に関連して話は進むけれど、本当はここって、後々信繁が大阪の陣に参加する「動機づけ」として、かなり重要な部分のはず。
でも、なんかいろいろな逸話を散りばめ、極狭の茶室での利休だったり、茶々との秘め事だったり、揚句には小田原攻めでは単なる伝令みたいに、もうかなり無理して信繁を関連付けるばかりで、太閤秀吉との繋がり感はまったく見えない感じで、ダラダラと続いてくる。

さらに秀吉没後の石田三成との関連になると、もう「ここって信繁、いる?」みたいな話になってくる。
結局、「小ネタ」もしくは「ショートストーリー」を45分間繋いでいる気がして仕方なくなってきた。
そして、「小ネタ」もしくは「ショートストーリー」「ね、ね、僕って面白いでしょう?」という空気がプンプンして、「僕がやると、ちょっと違う脚本にするんだよ。だって三谷幸喜だもん」という言葉が聞こえそうな気がした(言い過ぎかな?)。

そういう三谷幸喜が好きという人も多いようですが、私はやっぱり合わないなぁって、ここまで「真田丸」を見てきて感じている。

昔、中村勘三郎さんが
「『型破り』ってのは、まずちゃんと基本、型が出来て、その上で破るからこそ意味がある。型が無いなら、それは『形無し』なんだ」
と話していたのを思い出したが、果たして三谷幸喜さんは、「型破り」なのか「形無し」なのか?

そう散々、文句を言いながら「もう見るには耐えられない」「八重の桜」の時のようにやめるほどでもなく、このまま年末まで見ることになりそうだが、せめて「大坂の陣」では盛り上がっていって終わってほしいと思っている。

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