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2015年6月15日 (月)

会津への旅 その3

今回は「会津の旅」のメインを紹介。20150522___07jpg

【飯盛山】
会津戦争で、最も有名で私自身も歴史的背景を知らない頃から、言葉として知っていた「白虎隊、悲劇の場」
実際に自刃した場所から、鶴ヶ城は小さく小さく見えるだけで、たまたま居合わせた地元のボランティアのガイドで、どこにあるか分かるくらい。
でも、当時の隊士にすれば、城の方角が炎と煙に包まれていたら絶望的になるのも分かる気がした。
その他「さざえ堂(建物の珍しさは分かるが、何のために建てられたかよくわからなかった)「滝沢本陣(思ったより小さく、ちょっとがっかり)など見て回った。
ところで、この飯盛山は飯森氏の個人所有であったそうだが寄付されたこと、そして自刃した白虎隊の遺体は、新政府の命令で放置され、それを哀れに思い密かに埋葬するも発覚し、埋葬を手伝った人も罰せられたなど、知らない歴史がここにもあった。
う~~ん、やっぱり会津戦争での新政府のやり口は好きになれない・・・・。

【鶴ヶ城】
昔は外見だけ城で、中は資料館になっているものには見向きもしなかったが、歴史的背景が分かるようになると、それはそれで面白く見学するようになった。
この鶴ヶ城。会津戦争では最大の激戦場。例の「八重の桜」でも1カ月かけて放送していたが、そのことも思い出しながら天守閣内の資料館を見て回った。
そうそう、ここはポイントごとに、そこで撮影した「綾瀬はるか」の写真が飾ってあり、やっぱり会津の人にとって「八重の桜」は、とても特別なものだったと思った。それに、訪ねた次の日には「天守閣再建50周年イベント」が開催されるということでイベントの準備もされていた。
いくつか城を見るようになって「天守閣」以外のことも少し分かるようになったが、そういう意味ではこの鶴ヶ城は広い敷地の立派な城郭だったことが、今訪ねても分かる。
前日の「会津武家屋敷」にもあったが、鶴ヶ城落城の降伏式に利用した「緋毛氈」を、「この屈辱をわすれない」ために、小さく切って会津藩士たちが持っていたとされる緋毛氈の端切れが展示してあった。
そして鶴ヶ城でやっぱり一番良いと思えたのは、天守閣の姿の美しさだった。好天にも恵まれて、とても美しい鶴ヶ城を目に焼き付けた。

【日新館】
鶴ヶ城近くにあった若い藩士たちが学んだ藩校を復元した施設。
復元ということで、あまり期待していなかったが、水練場まで復元し、その広さに驚いた。今、もしも昔のまま鶴ヶ城近くにこの広さのものを復元したら、一大観光施設になったろうが、それは無理。
だから、ここの施設だけは市街にあり、今回の「レンタカー選択」の要因にもなった。
ここは「什の掟」の本拠地。夕方に行ったせいか、市街地のせいかあまり観光客がいなかったので、ゆっくりと見学できた。

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