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2015年2月 9日 (月)

宗教集団の暴走

できるだけ触れないようにしてきたけれど、最悪の結果となりテレビでも大きく取り上げられているので、今回だけ話題にする。
備忘録という意味でも、「そんなことあったっけ?」とするわけには、いかない問題と思うので。Isuramu

ただ、宗教に関して書いたり話したりすると、誤解されたり、分かり合えなかったすることが多く、難しい話題だと思っている。
昔、長距離通勤していた時に、こんな場面に出くわした。

対面の席の人が聖書を読んでいることに対し、おそらく全く面識のない人だと思うが、いきなりキリスト教に対して、いろいろ議論を投げ掛けていた。
朝の通勤中なのに……である。
すぐそばにいた私は「あり得ない」と思ったが、聖書を読んでいた人も応え、混雑する通勤列車の中で、宗教論が飛び交うという異様な場面となってしまった。

だから、今回の「イスラム国」と名乗る日本人殺害のテロ事件は、「宗教」という側面を持つだけに、実に難しく、デリケートな問題になってしまっている。
……と言っている間に、日本人2名は殺されてしまったのだが(現時点では殺害されたとされている)、何となくオウム真理教の頃と似ている気がする。
余談だが、この記事を書くために「イスラム国」と検索したら、とても残忍な写真が次々出来てきた。人間のやることとは思えない・・・・・。

ちょうど今、「最後のオウム裁判」と言われて、これもニュースに流れるが、あの時も「宗教の自由」とか「言論の自由」とか言っている間に、日本の首都の混雑する通勤地下鉄で、サリン散布という、とんでもない大都市テロ事件になってしまった。

今も、オウム系の宗教団体は存続しているようだけれど、ヒットラーを見て分かるように、「人間の集団暴走の怖さ」は、悲惨さが理解できない精神状態で進んでしまうところにある。(先に述べたネットの写真なんかは、その代表例だろう)

宗教や言論の自由さは、大切なことだと思う。
けれど、それと同じくらい「人間には必ずある暴走感」を、今回の事件では、とても重要なことなのだと認識するきっかけにしておきたい。

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