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2014年7月 7日 (月)

戦争になったわけ

2年前に窮鼠猫を噛むでも思ったことを最近は、また思う。
Sensonimukatawakeこのブログで何度か戦争の話題を取り上げ、そのたびに書くが私は決して好戦論者でも戦争大好き派でもない。
昭和30年代前半生まれの私は、小学校時代ベトナム戦争や南北冷戦時代を過ごしているため、今の人たちよりも「戦争反対」という思想を植え付けられた方だ。

だから「戦争をやってやろうじゃないか!」なんてことは、微塵も思っていないが、それでも最近の韓国や中国、特に中国の東南アジアに対する動きを見ていると、「戦争って、こうやって始まるのじゃないか?」と思う。
世界中が平和で、物欲的にも心情的にも大きな不平不満がない時なら
「話し合いで平和的に解決しましょう」
と~~っても素敵な考え方に同調できると思う。

でも、今の中国や韓国のように「聞く耳を持たない相手」には、話し合いなんかとてもできない気がする。
韓国はまだ良い。
本当は戦争する気もないし、いろいろ言うけれど経済的には日本と対立すると困るし、一時期韓流ブームで身近感も感じる。
が、中国はどうなの?
日本だけでなくベトナムや東南アジアの各国と領土問題を起こしている。

「そういうことをこれからも続けていくのなら、1回お仕置きしておく?」
そんな考え方が頭に浮かぶし、世界の賛同も得られる気がする。
決して戦争になんてなって欲しくないけれど、本当はそんな感じで戦争って始まるのかもしれない。

先週「集団的自衛権の憲法解釈変更」が閣議決定されたが、最近の中国周辺のことを考えると「必要かな?」とも思える(解釈変更という手段が姑息な気がするけれど)。
そして、こいういう「変化」が積み重なっていくと、知らない間に「統帥権」のような超法規的な権利が生み出されていくリスクも分かる気がする(統帥権については、詳しくないので、間違っているかもしれません)。

「リスクの中での対処」が、そのうち「戦争もやむなし」に繋がり、そして感覚が麻痺していく。人間の習性として「徐々に進む変化には、柔軟に対応できる」ことがあるが、これが悪い方に働くと、今回の「集団的自衛権の解釈変更」に対する危機を感じている人たちの心配通りとなる。

歴史で戦争のことは習うけれど、それは事実の羅列でしかない。
太平洋戦争で日本が開戦したのは、列強国からのエネルギー制限が一因で、追いつめられて戦争を始めたと主張する人もいるが、本当のところは分からない。
今の中国や日本を取り巻く情勢を見ていると、その時代で実際に見聞きしていないと、戦争が始まる本当の原因なんて分からないじゃないかと思っている。

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