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2014年6月 9日 (月)

シベリア抑留の話

昨年の1月に「読売新聞~昭和時代」 という記事を書いた。
詳しくは、その記事を読んでもらえば分かるけれど、そのシリーズは今も続いていて、毎週土曜の新聞の楽しみにもなっている。

Siberiaただ、全体の流れというよりも、どうしても興味のあるところとないところがあり、飛び飛びで読んでしまっている。
今回の「シベリア」の前は、「終戦の決断」で、昭和天皇の言動であったり、玉音放送のレコードの件であったりが記事として紹介されていた。
ここのところは、映画やドキュメンタリー見たことがあるので、その確認という感じで読んでいた。

ところが「シベリア抑留」については何も知らない。
「終戦後、長い期間シベリアの捕虜として強制労働を強いられた」
この1行の文章位の内容しか知らない。
ところが、今回記事を読んで、そうだったのかと思う点がいくつかあった。

・武装解除した日本兵の帰還を保証したポツダム宣言に違反した行為だった。
・当時ソビエト連邦は、対ドイツ戦で多くの労働力を無くしていたので、その補強として日本兵を使った。

さらに強制収容所時代の話で、こんなことも紹介されていた。
・食料は極端に少ない、物差しで測って切り分けていた。
・上官意識のまま収容所にいたものは、収容中や帰国時にリンチされた。
・共産主義的教育を行い、日本の共産主義者の中心人物を育てようとした。
・実際に壁新聞など発行されて、共産主義啓蒙活動が活発だった

土曜の朝に、寝ぼけた頭で読んだ記憶を、私なり咀嚼し、さらに簡単に書いてしまっているので、誤解を生じている書き方かもしれない。
そして、50万人とも言われているシベリア捕虜、そして5万人とも6万人とも言われる死者数など、実は正確な情報は残っていないのだそうだ。

当時の情報は冷戦時代には、当然公開されることもなく、そしてゴルバチョフによるペレストロイカで、初めて分かった事実もあったのだそうだ。

最後に、実際に収容所生活を送った日本兵(だけじゃなかったらしいが)で戻ってきた人たちも、あまりの辛さに思い出したくないと言い、ほとんど人には語っていないとのこと。

つたない私の記憶では、この事柄で大きな社会的な問題になったことはあまりなく、ある意味今でも「従軍慰安婦問題」「南京大虐殺問題」など、数年に1度蒸し返して外交問題として騒ぐ国を参考にしても良い気がしないでもない。

派兵した諸外国ばかりでなく、「お国のために」苦労して人生をめちゃくちゃにされた人たちのために、国家はもっと諸外国に意見を言うことも忘れないでほしい。

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