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2013年4月15日 (月)

行間を描く作家

今から7年も前に「鬼平犯科帳」というタイトルの記事を書いた。
池波正太郎の作品をいくつか読んでいることは、何度か書いたが、7年前の記事を読み返すと、原作を読んで、なおかつTVシリーズも良いと書いている。
だから、この時点ですでに原作は読んでいることになる。
Ikenami_gyokan
実は最近、また読み返している。
最近読み返している理由は種々あるのだが、読んでいて改めて「池波正太郎」の筆のすごさを感じている。

「鬼平犯科帳」はスカパーで「ハイビジョン・リマスター化」して放送している影響で、最近の「鬼平」の印象は中村吉右衛門のTVシリーズが強くなっていた。
そのためか原作を読み返してみると「あれ?こんな結末だっけ?」と思う話に出会う。

そんな中、数巻読み返しているうちのあるあとがきに
「池波正太郎の文章は行間に描きがある」とあったが、最初ちょっと分からなかった。
仕事柄、コピーライターと「行間に意味がないね?」なんて会話を若い頃はしたものだが、池波さんの場合は、小説なのでちょっと意味が違う気がしていた。

そんなことを思いながら読み進めていくうちに、TVシリーズは、やはり限られた時間で分かり易く伝えるために、とても説明的で、さらに情緒的な脚本になっていることに気付いた。

そうなのだ。
原作の鬼平は、中村吉右衛門さんの鬼平のように、やさしかったり人情たっぷりの采配を振るったりすることは多くない。
むしろ、もっと怖いし激烈だし、年よりくさく書かれている。

でも、小説を読んでいると「ぐっ」とくるひと言がある。
これがすごい。
平蔵がしゃべっている空気感や情感や音や温度まで伝わる一瞬がある。
細かく書いてないけれど、伝わってくる。

これがおそらく「行間を描いている」ことなのだろう。
それを感じた時に、池波正太郎のすごさを改めて知り、ますますのめり込んで原作の読み返しをしている。

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