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2009年3月の記事

2009年3月30日 (月)

故郷の宝物〜春の息吹篇

エラくカッコいいタイトルにしたが、どうも最近は故郷の話題が多い気がする。
その理由はいくつかある。

当然、年齢的なものもあるし、仕事で時間に追われて疲れているのもある。
けれど、ここのところ故郷のことを頻繁に思い出すのはブログの影響のようだ。

もはやこの私のブログのレギュラーメンバーになりつつある「額縁屋さん」「揚巻さん」は共に同じ故郷出身の仲間だし、昔からの知り合いというのは、何度か紹介してきた。

そして「額縁屋さん」つながりで最近お近づきさせていただいている「こばちさん」も、今、私の故郷でコピーライーターとして活躍されている。
Nekoyanagi
こんなふうにネットを通してもなお「故郷」という繋がりの強さを感じているから、余計に思い出す事が多いのだと思えてくる。

前置きが長くなったが、この時期いつも思い出す「幼い思い出」がある。
私の故郷は、子供の頃には「自然が一杯」の田舎だった。
だから、2月の終わりくらいになると厳しかった冬から春の訪れを待つように「ネコヤナギ」が目立つようになる。
(う〜〜〜ん、エラく詩的な表現になった)。

小学校5〜6年の担任の先生は女性だった。
我々男の子はそろそろ「男性の担任」が良いなと思う時期だったが、私は小学校の時代、すべて女性の先生だった。

今から思えば、その先生はとても大切なことを教えてくれた。
「ベトナムでの北爆」があれば、その話を。
「日教組のデモ」があれば、その話を。
そして、当時「道徳の時間」があり、そこでは「原爆症の少女の物語」を涙ながらに読んで聞かせてくれていた。

きっとその先生は、たくさんの願いを私たち児童に込めて、そんな話や本を読んで聞かせてくれていたと思う。
が、残念な事に男の子の小学校5〜6年と言えば、ちょっと「拗ねたい」お年頃。
「本を読んで泣く先生」を冷やかし、「ベトナム戦争の話」も他所事のような気持ちで聞いていた気がする。

ただ、何故か知らないけれど、私たちはその先生の事は好きだったのだろう。
卒業式が近づいた或る日、クラスの数名の男の子と「ネコヤナギ」を取りにいった。
先生がいつだったか「好きだ」と言っていたのを、覚えていたのだろう。

当時の故郷は田舎だったから、特に苦労する事はなかったけれど、花が開き過ぎず、「ふんわり」と「純白」の穂先が揃っているものをいくつか取ってきて教壇に置いた。

実は、その後先生が喜んだのか、どうだったかあまり覚えていない。
うっすら覚えているのは、その先生の泣き顔だが、よく泣く先生だったので、「ネコヤナギ」の時じゃないかもしれない。

でも、いつも一緒に遊んでいた悪ガキ仲間と、学校の近くの川縁を、「ネコヤナギ」を探しながら歩いた風景は忘れない。
きっと、子供心に先生への「感謝の気持ち」がたくさんたくさんあったのだろう。

2月から3月にかけて、今住んでいる都会では見られないけれど、「ネコヤナギ」のことは思い出す。

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2009年3月27日 (金)

風邪なんだろうか?

先日「やっぱりダメだった」で風邪をひいたことを書いた。
しかし、この風邪、未だにくすぶっている。
というか、「喉の痛み」だけが収まって行かない。

初期症状は明らかに「風邪」の感じで、少し微熱が出た。
後は「喉の痛み」
今は、だいぶ収まり「咳」が出ているが、まだ「喉」は痛い。
Kousa
先々週は一番ピークで、無理して話していたら、全く声が出なくなった。
その週は出張もあるし、プレゼンもあるしで、もう散々。
だから休みのたびに、家でじっとしていて治るのを待っている。

ふと思いついて、昨年の今頃のブログ記事を検索してみた。
そうしたら「花粉症なのか風邪なのか」という記事をちょうど同じ時期に書いていた。

う〜〜〜ん、そうして見るとこれは風邪ではないのだろうか?
確かに最初の時は「風邪」の感じだった。
ただし、「黄砂」がクルマを汚したな〜〜と思った時期でもあった。

どうも最近は「花粉症」より「黄砂」の方が怖い。
「黄砂」は昔からある気象現象だけれど、最近の中国には「得体の知れないもの」が空気中に舞っていそうだから、ちょっと怖さのレベルが違う。

私自身、3週間もずっと喉が痛み続けているような症状に出会うと
「やっぱり風邪じゃなくって、黄砂かなにかの影響かな」
なんて思ってしまうが、本当にそんな影響は出ていないんだろうか?

試しに「黄砂 アレルギー」で検索したら、私のような風邪に近い症状が出ると解説してあるページにも出会った。
でも、それってどうやって区別すりゃいいんだよ?

風邪なのか?アレルギーなのか?
そんなことが分からない現代って、大丈夫なんでしょうか?

大丈夫じゃないよね、きっと。

ああ、それにしてもすっきり治りたい・・・・・

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2009年3月25日 (水)

思いも寄らない風景

WBC(ワールド・ベースボール・クラシックでしたっけ?)、日本が2連覇しましたね。
ちょっとびっくりです。

2連覇と言う事は「最初の優勝」があるわけで、そのことがこのブログの記事になっていることにも驚きですが・・・・
そう前にも「WBCの話」として、記事にしていますが、その時にも「世界一になっちゃいました」と予想外だったコメントを書いています。
Wbc2009
そして、その時にも「イチローには運がある」と書いていますが、今回もその通り。
極度の不振だったにも関わらず、優勝を決めた一打がイチローだったなんて言うのは、本当に強い強い「運」があるのでしょう。

さて、今回のWBCのことでちょっと思いがけない風景を見ました。
ちょうどテレビでの放送時間が「午前から昼にかけて」ということと、今回は平日に準決勝/決勝とあったからなのでしょう。

テレビでよく街頭や家電売り場にたくさんの人が集まって応援している風景が放映されます。
それが我が社の食堂でも見られたのです。

いつもは食事が済むとさっさと席を立つのに、準決勝/決勝の放送時には誰も立たない。
だから狭い食堂は満席になってしまった。

しかも点を入れられると「あ〜〜〜」とため息。
得点すると「お〜〜〜〜」と歓声と拍手。

おいおい、ウチの会社っていつからこんなに一体感があったんだよ。
と思わず突っ込みを入れたくなる風景。

ま、そういう私も結局ネットで結果を気にしながらの仕事でしたが(笑)
でも、やっぱり「国を代表しての闘い」ってのは、正しい意味での「愛国心」がくすぐられるのでしょう。

とにかく2連覇で喜んでおきましょう。
しかし、次回の監督は辛いよ〜〜〜、3連覇なんて絶対難しいから。

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2009年3月23日 (月)

1年生のパパとママ

退院前にと仕事帰りに「三世」との対面をしてきた。
(どうも「孫」ってのは、実感が湧かないので「三世」としてみた)

仕事帰りだったので、着いた時にはちょうど親子とも食事時間。
そうそう、今の産婦人科病院には驚いた。
全部個室だし、テレビ付、トイレ付。
それに付き添いが休めるベッドまである。
一体いくらするんだろうか?
Papamama1nen
まぁ、それは良い(経済的には良くないけれど)。
最初は婿はいなかったけれど、買い物で出掛けていたらしく途中で帰ってきた。

結局聞く事は、「お産の状況」で、聞いた限りではとても順調。
初産と思えない感じで本当にあっという間だったようだ。
その時に二人だけだったのか分からないけれど、一生懸命話してくれる新米のパパとママは、「共同作業」を終えた「絆の強さ」が垣間見えるようだった。

それにしても、新米のママは、まだ抱き方も不慣れで、私が病室にいる間中、オッパイあげたり、オムツを替えたりと落ち着かない。
生まれたばかりの頃って、どうだったっけ?
そんなことをずっと思いながら、小さな小さな三世を見ながら手を触ったり、足を触ったり。

新米のパパは、ママよりももっと不慣れな抱き方。
おいおい大丈夫かいな?なんて思いながら、でも傍から見ていて愛情たっぷりに我が子に触れる新米パパを、ちょっと微笑ましくも思ったりした。

病院に行った翌日には退院とかで、誕生一週間で出られると言う事は、とても順調なのだろう。
母乳も看護婦さんが感心するくらい、良く出るよう。
そうそう、我が子が三世に授乳している姿は、何だかとっても眩しくて、でも何だかとても嬉しい姿だった(感謝!!)。

新米パパの就職が決まらないのが、大きな悩みの種だけれど、あんなに愛情たっぷりに自分の子供に触れられるパパとママだったら、きっと一緒にいろんなことを乗り越えて行けるんじゃないか?
そんな事を思いながら、病室を後にした。

そういえば、名前をどうするだの、婿の母親がお祝いでお宮参りの羽織に家紋入りで送ってくれるけれど、ウチの家紋はなんだ?だの。
やっぱりまだまだいろんな事がありそうな新米パパとママだけれど、まぁ、私と違って、両方の両親が健在だから、何かと助けながら頑張って行ってくれるんだろうな?

とにかく無事に三世がこの世に誕生した事に、まずは感謝なのである。

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2009年3月18日 (水)

淋しいマンション総会

今年から決算期に合わせる形にしたので、3月に総会が開かれるようになった。
通知があった時には、当然出席するつもりだったけれど、風邪が治らなくて体調も悪いし、ちょっとだけ躊躇した。

それでも、何とか行けそうだからと出掛けたら、相変わらずの淋しい出席。
いつも出席してくる外部の所有オーナーの女性は売却したとかで、今年から出席せず。
だから、私の上の階の「現理事長」と隣の部屋の人と、私。
そしてとってもご高齢の方1名。

このご高齢の方以外の3名はいつも同じ顔ぶれ。
今回理事長をやってくれた人は、私より若いため、やっぱり
「このままじゃ、かなりまずいと思う」
と発言してくれた。
Mansyon
その人からいくつか話が出たのだが、ある意味参考になったし、来期の組合活動の中で、臨時に総会を開いて検討しても良いことも発言してくれた。

その中の1つは役員選任。
一応規定では「所有者」になっている。
しかし、所有者名義の方は、とても高齢になっていて、同居している人がいても総会に代理で出席もしてこない。
他にも、外部所有者で人に貸している人もいる。
たった14戸のマンションなのに、そんな人たちを規定で「役員」に出来ないとなると、もう3年に1回は回ってきてしまう状態になる。
だから、賃貸者にも総会に出席し、平理事くらいやってもらう。
それから、所有者と同居している方は、所有者と同等にみなす。
などに規定を改定する必要があると雑談の中だったけれど、話し合った。

他にも平日しか休めない人がいる。
ところがウチのマンションは何故か日曜の午前中と総会を開くときが決まっている。
これも見直したらどうかと言っていた。
例えば平日の夜7〜8時とか。
これはこれで、サラリーマンは大変だけれど、出席しない人たちへの歩み寄りも必要かな〜〜と思った。

来期は血デジ対応アンテナへの変更や、大規模修繕への着手など問題は山積。
そんなことをきっかけに管理組合の活動で、皆が出席してくれたら、これはこれで良い事だ。

ただし、半分冗談で、いつも出席している我々3名で「好き勝手に運営する」ってもありだ。
だって、いつも「委任状」を出してくるだけの人には反対できないわけだから、少人数で、自分たちが納得いく形で進めちゃってもいい訳なのである。
これはこれで、面白い・・・・・?

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2009年3月16日 (月)

三世誕生!

090315_3sei01_2

そろそろかな〜〜と思っていたが、こちらから連絡しないようにしてた。
そうしたら、先週の金曜に娘から「生まれたよ〜」ってメールが来た。
今じゃ、子供の出産もメールで連絡取れちゃう時代だ。

前の日の午後から入院して日付が変わってすぐ生まれたとか。
一応、元の奥さんに連絡して詳しく聞いたところ、取りあえずは母子共に健康だとか。
初日だけ「新生児一過性多呼吸症」とかで、保育器に入っていたようだが、2日目からはお母さんの横にいるとか・・・・。

先月の終わりに用事があって、娘に会っていた。
せっかくなので9ヶ月の大きなお腹の娘も見ておきたかったし。
ツワリも軽く、特に問題もなく臨月を迎えていたが、羊水検査をしたら「なんとか感染症」の可能性もあると聞かされたと言っていた。
今は、出産前にいろいろ検査で分かるようだが、却って不安になる情報もある。

そんなこともあったので、「どうかな〜〜」とちょっとだけ心配していたが、その感染症も問題なかったようで、まずは新しい命が誕生したわけだ。

本当ならすぐに会いに行きたいところだが、先日来の風邪がこじれにこじれ、ついに先週は途中で声が出なくなった。
管理職だし、仕事柄顧客との打ち合わせもあり、黙っているわけにいかないので、無理矢理にしゃべっていたら、週の後半は「超ハスキーボイス」になってしまった。

090313_3sei02_3

だから、こんな状態で病院に顔を出すわけにいかず、今は娘の送ってくるメールの写真を見て、一人ニヤニヤしている。

どうやら新しい子供のお父さんはまだまだ仕事が決まってなさそうだが、とにかく家族が一人増えた。
三世誕生。
なんだか、不思議な気分である。

そうそう、三世は男の子である。
これは、既に生まれる前に分かっていたから、特に感慨はなかった。

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2009年3月13日 (金)

企業のDNAを実感する毎日

昨年末から今年始めにかけて、社内報のプレゼンが連続であった。
元々「社内報」は、定期発行なので印刷会社にとって「嬉しいツール」である。
しかし、顧客企業側に振り回される「危険なツール」でもある。

景気が激変しているからか、自主的なプレゼンを皮切りに、割と大きな企業からも声が掛かりプレゼンした。
しかも、ありがたいことにプレゼンを実施した3社すべてを受注出来た。
Kigyoudna
以前「たこ壷的発想」の記事は、その中の1社だが、今回受注した3社は、それぞれ制作進行が異なっている。

同じツールが同時に業者を変更してスタートしても、こんなに違うのは何故かと考えさせられてしまうが、もうこれは
「企業のDNA」
が成せる技としか言いようがない気がする。

いつものように詳しく書くと社名は明らかになってしまうが、どう違うのかを分かってもらうために、ちょっとだけ違いを書いてみよう。

1社目
自分たちから「プレゼンさせてください」とお願い、それまでの業者から奪回した案件。
全国レベルで活躍している「建設系」の企業だが、担当部署の部長と担当者の女性が非常に良い。
部長も「即判断」をモットーにどんどん打合せが進行するし、担当女性も割と自分で仕切って決めていく。
確かに制作費は高くないが、約束よりも原稿入稿を早くしてくれたりして、コストに見合った仕事となっている。

2社目
先の「たこ壷的発想」である。
たくさんの担当者がいるが、まるでお役所のように縦割り。「自分の担当以外は知りません」的な対応である。
そして最も困っているのが、そこのある担当者。
私たちは「特集記事の相談」という立場で打合せするが、それだけでもかなり振り回される。
なにせ、今まで受注していた会社の制作者たちは「受注出来なくて喜んだ」という話が聞こえて来たくらい、すごい人なのだ。
そして、この人だけでなく、担当者の多くは「中途半端な依頼」が多く、これも振り回されている原因でもある。

3社目
とある巨大自動車会社のトップグループ企業。
元々、私の会社はプレゼンに参加する事を拒まれて来た。
「それなりの印刷会社では細やかな対応が出来ない」
という思い込みがあったようで、私たちスタッフがヒアリングと称して訪問。
ま〜〜、それなりのテクニックで印象を良くしておいたため、後日「ぜひプレゼンに参加してください」と言われた。
最初は参加も拒否されていたのに、受注にこぎ着けたため、個人的にはこのプレゼン勝利が一番嬉しかった。

そして、この3社目の担当者はスゴい。
専任担当は2名で女性なのだが、プロの企画者も顔負けなくらいキチンとアイディアを構築していく。
だから我が社としては、それを上回るパフォーマンスを提供しなくちゃ行けないが、これはこれで嬉しい悲鳴だ。

こんな感じに、同じ「企業社内報」なのに、対応や制作の方法が異なり、担当社員のスキルも雲泥の差がある。
おそらくそんな担当者たちも入社した時には、そんなに違わないはずだ。
けれど、それだけ差が出来てしまうのは、やっぱり「企業のDNA」がそうさせるのだろう。
面白い・・・・

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2009年3月11日 (水)

やっぱりダメだった

ほんの1ヶ月前に「冷水シャワーの効果か?」という記事を書いた。
「今年の冬は、風邪をひかずに済みそうだ」
と思って掲載したのだが、やっぱりダメだった。

顧客先に向う途中で「梅」を、通勤の道路で「ハクモクレン」を見かけるようになって「まもなく春だよ」というこの時期に風邪になってしまった。
Nodokaze
「病は気から」という言葉があるが、本当にその通りだと時として思う。
ずっと忙しい時には何とか踏ん張れているけれど、「もう少し」と思った途端に病気になる。
今回もまさにそうだった。

ある企業の「社会環境報告書」というものを制作している。
この種の話は、とても専門的で難しいので割愛するが、私は数年前からこの系統のツール制作者になっている。
かなりいろんな知識とリーダーシップと、スタッフ管理など今まで30年間培って来た能力の「集大成」的な業務だが、今では自分の会社を含め、毎年3件制作している。

その中の1件は時々このブログにも登場してくる「やっかいな企業」である。
そしてこの「やっかい度」は、このツールの場合最も高い。
「どうやっかいなのか?」
原稿が出ないのである。

じゃ、どうやって創るのか?
「30部署以上の担当者と面談して、ヒアリングの上、こちらで作成する」
昨年の「損するスタッフ」に書かれているクレームとは、この仕事のことだった。

「ヒアリング」と一言で言っても、ものすごく大変なのである。
いろんな人がいる。
ぼそぼそ喋る人
特に何もないと言う人

ものすごい量の資料持ち込む人もいる(掲載出来ないって言ってるのに)

これを朝から晩まで顧客企業に行って、缶詰にされて行なうのである。
私個人のことを知っている人は、分かると思うが、私は割と人と話すのが得意だ。
だから、こういうヒアリングは数多くこなして来ているし、それなりに自信もある。

しかし・・・・
実はヒアリングには、かなりの集中力がいる。
だから疲れる・・・・・。

そして今回の風邪は、そのヒアリングの最終日の午後から始まった。
「病は気から」
あと半日と思った途端に風邪になってしまった。

しかも、喉ばかりが痛くて、声が出なくなる風邪。
顧客先に行っては「すいません、声が出なくて」と謝っている毎日である。

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2009年3月 9日 (月)

明日への遺言

いつもようのWOWOWで見た映画の話である。
録画してからずっと見ていなかったが、やっと先日見る事が出来た。
Asuheno
ある意味
「法廷映画」
そして
「戦争犯罪」
について考えさせられる映画である。

その舞台となったのが、私の今住んでいる地域に対する「無差別空爆」だったから、特に興味をひかれた。

映画の冒頭で
「軍事施設以外への爆撃は違法である」
という国際ルールについて簡単に紹介される。
これがこの映画の「芯」の課題になるからだが、このことについて、ずっと考えさせられながら映画を見た。

一般市民を巻き添えにする「無差別爆撃」が「違法」ならば「ヒロシマ・ナガサキ」はどうなんだ?
そう思って見ていると、やはりその話題も法廷で出された。
もちろん、その話題は映画ストーリーの「戦争犯罪人の裁判」と異なるため追求される事はなかったけれど、「心の中」にはずっと染み渡った。

東京大空襲
大都市無差別空襲
そして原爆使用

これらは、戦勝国の理屈から言わせると
「早期の戦争終結に役立った」
のだそうだが、でも「違法」なのである。

そもそも「戦争」に「法律論」があるのは、感覚として不思議だ。
大量に人を殺しておいて
「適法/違法」
なんて変だとは思う。
思うが、例え「戦争状態」であっても「遵守性」を持って戦争をしていたかなんていうのは、「平和な状態」になって初めて語る事が出来るのだろう。
(これは映画の中で岡田中将が弁論するが)

静かで、でも心の中に何かが残って、ちゃんと考えないといけないテーマがこの映画にはある気がする。
毎日、忙しく働いていると、こんな映画を見る気持ちになれないけれど、時には「じっくり」こんな映画を見る事も大切なのだと、今回は教えられた気がする。

そうそう余談だが、この映画で検事役で出演した「フレッド・マックィーン」という人がいる。
この人の表情が、時に「スティーブ・マックイーン」にそっくりだったため「息子なのか?」と調べてしまった。
結果、そうであるともそうでないとも分からないらしいが、しかし表情は「ゾクッ」とするほど似ている瞬間があったことは確かだった。

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2009年3月 6日 (金)

5年に一度の同窓会

この話は「ほろ苦い想い出〜卒業制作展」の記事に「コバチさん」と言う方がコメントを付けてくれた事で思いついた。

私たちの高校の同窓会は、「FavoritesNo.17 五つの赤い風船/遠い世界に」で少し触れたが「5年に1回」開催される。

普通、同窓会なんてモノは、あまり定期的でないし、場合によっては「クラスごと」開かれる。
しかし、私たちは「学年」でしかも「定期的」開催されている。
Doudoukai
このネタを書くために「同窓会」と検索したら、今じゃ「ネット」で同窓会幹事の代行を行うサービスがある事を知ったが、問題は「幹事を誰が行うか」である。
これも私たちの場合、少し変わっていて、地元に残っている「有力者(?)」が「永久幹事」として任命されている。

この「5年に1度」として開催されるようになったのには、あるきっかけがあったと知らされている。
地元に残っている同級生は、やはり付き合いは続いており、ある時
「そういえば、俺たちは卒業して10年経つな」
と話題になったのだそうだ。
そこで「10年を記念して同窓会をやろう」と思い立ってくれた。

高校も卒業して10年経つと、連絡が取れない人が出てくる。
それでも当時卒業生の3分の1に当たる100名が参加して、非常に盛り上がった。
この盛り上がりを記念して
「今後は5年に1度、開催しよう!」
となり、その時の幹事が「永久幹事」となったのである。

当時、30歳手前だったが、ある友人がこんな事を言った。
「今の年齢だと、これだけ集まるけれど、年取ってくると見栄もあったりして、出席しなくなる奴も出てくるよ」

彼は東京で庖丁人となり、すでにその時何人かを指導する立場にあり
「すごく冷静に人をみているんだな〜〜」
と思ったものだが、本当に彼の言った通り、だんだん参加する人数は減っている。

その理由は彼が言った事も含め、千差万別。
あるものは刑務所に入り、同級生に借金して迷惑かけ、顔出せない奴。
毎回、お正月は仕事で来れない奴。
本当にどこにいるのか分からない奴。

私は兄がまだ故郷におり、しかも私のクラスの永久幹事が仕事の関係で兄と繋がっているため、どこに引っ越しても同窓会の連絡はもらえる。
5年に1度、高校の同級生に会うと、「心の奥の方に忘れた何か」を思い出させてくれる。
毎回同窓会に出た後、その「何か」は、自分にとっておそらくものすごく大切なものなのだろうと、思いながら帰途につく。
そして、毎回大変だと思うけれど、心の底から「ありがとう」と言いたいのは「永久幹事」の活躍である。

ところで、次回はいつだったかな?

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2009年3月 4日 (水)

携帯のない時代に

先日の連続?「不思議話」を書いている時に思った。
今は携帯電話があるから「こんなことはあり得ない」って事が、私たちの20代の頃にはあった。

この話を昨年末、会社の忘年会の席で、近くに座っていた20代前半の若手男女社員に話したら「ドラマみた〜〜〜い」と感想を言ってくれた。
そう、携帯電話のない時代には「ドラマ」みたいな出来事が、一般の人にも起きたのだった。

と言っても、この話のシチュエーションは当時でも今でもかなり「稀」な状態だから、やっぱり普通にはなかなか起きない事かもしれない。
Romantiku
昔々の出来事です。
私と彼女は「世間的に認められない」カップルでした。
「不倫」ではないけれど、「認められない」関係でした。
特に彼女側のご両親にしてみれば
「と〜〜〜〜〜んでもない!!!!」
という状態の仲だったのです。

いろ〜〜〜んなことがあって、彼女は家を「カンタン」に抜け出られない。
そして当時は携帯電話どころか電話は「一家に一台」という時代。
「会いたかったり」「声が聞きたかったり」しても、私の方からは連絡出来ない。
私は自宅で一人暮らしだったから、彼女からは連絡出来るけれど、それだって家の人の隙を見つけてやるしかない。

そんな状態で大晦日になりました。
昔の事なので、記憶が曖昧ですが、こっそり電話で連絡したのか、共通の友人を通して連絡したのか忘れましたが、とにかく大晦日の深夜(ま、元旦ですな)にある神社で時刻を決めて、待ち合わせ(この辺が、すでにドラマみたいですな)することにしました。

普通だったら深夜の神社なんて人がいないから目立つけれど、それはもう「初詣」の人でワンサカの人ごみでの一瞬のデート。
何日か振りに会ったのか覚えていないけれど、彼女は他人から顔が分からないようにマフラーで顔を隠し、寒い寒い初詣のために、しっかり「もこもこ」に着込んで私と逢ったのでした。

どれくらいの時間逢っていたのか、何を話したのか、今となっては全く覚えていないけれど、初詣客の多くの人の中で、彼女と出会った瞬間のシーンだけは、今でも思い出せます。

とは言っても、想い出はかなり美化されているので、本当のところよく分かりません。

ただ、もしもあの時代に「携帯電話」があったら、あんなにロマンチックな「しのび逢い」なんてことはしなかったでしょう。
だって、直接電話でもメールでも連絡取れちゃうから・・・・・。

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2009年3月 2日 (月)

不思議話=個人情報

これは「不思議」と言うより「どうなっているんだ」という種類の話。
Husigitizinn
20歳になるころ、とある出版系会社に入社した。
その新入社員研修で2ヶ月くらい本社のある街に行っていた。
そこでの研修は、日本全国から集まった新しく社員になった人が集められて行なわれていた。

みんな寮生活するので、しばらくすると親しくなり皆でドライブに行ったりした。
そこで私はスゴい事故を起こしてしまったことがある。
当然、会社の人にも怒られ、当時の新入社員仲間にも迷惑を掛けた。
その事故った時に一緒に乗っていた女性から「不思議」なことをされる。

離婚後、新しく電話をひいたら、その女性から10数年ぶりに電話がかかってきた。
音信不通になっていたので、「どうやって調べたんだろう?」と思ったが、適当に親しくお話をした。

翌日、またその彼女から電話がかかってきた。
「昨日言い出せなかったけれど、少しお金を貸して欲しい」
とのことだった。
なんだか結婚して借金があるとか、あの時の事故で実は腰を痛めて、今でも通院しているとか、いろんなことを言ってきた。

事故を起こしたのは私だし、本当に腰を痛めて通院しているのなら申し訳ないが、なにせ10数年も経ってからの話だ。
しかも離婚したばかりで全財産を「元奥さん」に譲ったためお金もない。

だから「申し訳ないけれど貸せない」というと「分かりました、もう2度と連絡しませんから」と言ってくれた。
そしてそれから電話は掛かってこなくなった。

ここからが「不思議」な話。
その後、引っ越しして電話番号が変更されるとその女性から
「もしかして、昔○○会社にいた○○さんですか?」
と言って電話がかかってくる。
概ね引っ越してから1〜2ヶ月経つと掛かってくる。

今のマンションになるまで3回引っ越しているが、必ず掛かってきた。
一体どうやって、電話番号を入手するんだろう?
私はもう面倒くさいので「違います」と言って切るのだが、その後は連絡がなくなる。

もしかして仕事の関係で電話番号が入手出来る立場にいるのかもしれないが、それにしたって薄気味の悪い話だ。
これもある意味「かなり不思議」な話だと思っている。

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