故郷の宝物〜春の息吹篇
エラくカッコいいタイトルにしたが、どうも最近は故郷の話題が多い気がする。
その理由はいくつかある。
当然、年齢的なものもあるし、仕事で時間に追われて疲れているのもある。
けれど、ここのところ故郷のことを頻繁に思い出すのはブログの影響のようだ。
もはやこの私のブログのレギュラーメンバーになりつつある「額縁屋さん」と「揚巻さん」は共に同じ故郷出身の仲間だし、昔からの知り合いというのは、何度か紹介してきた。
そして「額縁屋さん」つながりで最近お近づきさせていただいている「こばちさん」も、今、私の故郷でコピーライーターとして活躍されている。
こんなふうにネットを通してもなお「故郷」という繋がりの強さを感じているから、余計に思い出す事が多いのだと思えてくる。
前置きが長くなったが、この時期いつも思い出す「幼い思い出」がある。
私の故郷は、子供の頃には「自然が一杯」の田舎だった。
だから、2月の終わりくらいになると厳しかった冬から春の訪れを待つように「ネコヤナギ」が目立つようになる。
(う〜〜〜ん、エラく詩的な表現になった)。
小学校5〜6年の担任の先生は女性だった。
我々男の子はそろそろ「男性の担任」が良いなと思う時期だったが、私は小学校の時代、すべて女性の先生だった。
今から思えば、その先生はとても大切なことを教えてくれた。
「ベトナムでの北爆」があれば、その話を。
「日教組のデモ」があれば、その話を。
そして、当時「道徳の時間」があり、そこでは「原爆症の少女の物語」を涙ながらに読んで聞かせてくれていた。
きっとその先生は、たくさんの願いを私たち児童に込めて、そんな話や本を読んで聞かせてくれていたと思う。
が、残念な事に男の子の小学校5〜6年と言えば、ちょっと「拗ねたい」お年頃。
「本を読んで泣く先生」を冷やかし、「ベトナム戦争の話」も他所事のような気持ちで聞いていた気がする。
ただ、何故か知らないけれど、私たちはその先生の事は好きだったのだろう。
卒業式が近づいた或る日、クラスの数名の男の子と「ネコヤナギ」を取りにいった。
先生がいつだったか「好きだ」と言っていたのを、覚えていたのだろう。
当時の故郷は田舎だったから、特に苦労する事はなかったけれど、花が開き過ぎず、「ふんわり」と「純白」の穂先が揃っているものをいくつか取ってきて教壇に置いた。
実は、その後先生が喜んだのか、どうだったかあまり覚えていない。
うっすら覚えているのは、その先生の泣き顔だが、よく泣く先生だったので、「ネコヤナギ」の時じゃないかもしれない。
でも、いつも一緒に遊んでいた悪ガキ仲間と、学校の近くの川縁を、「ネコヤナギ」を探しながら歩いた風景は忘れない。
きっと、子供心に先生への「感謝の気持ち」がたくさんたくさんあったのだろう。
2月から3月にかけて、今住んでいる都会では見られないけれど、「ネコヤナギ」のことは思い出す。



















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