いのちと触れあう仕事
この人のことを取り上げるのは、3回目になる。
1回目は「ブログにも表れるのか?」で、2回目は「イシダ。さんに学ぶ」だった。
今回で3回目だが、どうも最近は「イシダ。さんち」のブログが気になるので、よく訪問をする。
彼女は「1日に2〜3回」とか、割と定期的に更新される。
それが11月になってから、2週間くらい更新されなかった。
「どうしたんだろう?」
と思っていたら再開されて、ちょっと安心した。
どうやらお仕事がいそがしかったようなのだが、彼女の仕事は「非常勤のヘルパーさん」とのことだ。
しばらく更新されなかった直前に「苦しい状況」という記事があった。
危篤状態のおばあさんがいるけれど、医療行為はできないという「ヘルパーさん達のジレンマ」が伝わり、ちょっと切なかった。
さらに「天に召された日」では、そのおばあさんが亡くなった時の心情を書いてくれて、「すごいな〜〜」と素直に感動した。
私の仕事には、リアルに「いのちと触れあう」という場面はない。
病院やヘルパー養成学校のパンフレットなどの制作に携わることがあっても、「いのち」そのものに触れあうことはない。
若い頃からの友人で「昔ながらの額縁屋さん」と知り合った頃、彼の友人の彼女(ちょっとややこしいですが)が看護婦をしていると言う話を聞いたことがあった。
その時に「患者さんの死」をどう受け止めるかということについて
「ある程度、ドライに受け取らないと、心が持たない」
と聞いた記憶がある。
イシダ。さんの話も、その看護婦をしていた彼女の話も、私には多分出来ない気がする。
ましてイシダ。さんのように「応援したり」「謝ったり」「自己嫌悪になったり」しながら、それでもヘルパーを続け、しかもその仕事に誇りを持ってみえる姿は、とても眩しい。
職業には、それぞれの分野で難しさがある。
それが「普通」に出来るようになることがきっとその道の「プロ」なんだろう。
だから、他人から見れば私の仕事は「すごいな〜」と見えるかもしれない。
けれど、やっぱり「いのちと触れあう仕事」の崇高さには、適わない気がする。
今の自分の仕事に誇りもやりがいも持っているけれど、どんな仕事でも「プロ=職人」になっている人の姿は、やっぱり眩しいと感じる。

























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