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2008年7月 8日 (火)

日本のDNA

エラく大仰なタイトルだけれど、きっかけは「落書き」のニュースだった。

世界中に日本人が観光を含め、出掛けていることは海外旅行をしてみると分かる。
何がきっかけだったかは忘れたが、学生達が海外の遺跡に「落書き」してきた事が報じられてた。

丁寧な事に「学校名」や「団体名」も記した「落書き」もあって、犯人がわかってしまう。
ここからが「日本」らしい。
Raku01
「停学」だったり「辞職」だったりと、「厳しい処分」「辞意」という結果になるのだが、これが「海外」からは驚かれる。
「厳しすぎる」「日本の対応に満足」なんてニュースがまたまた流れる。

数少ない海外行きの経験で言えば「落書き」は遥かに海外の方が酷い。
「環境ツアー」と言うものに参加して、世界で一番最初に「環境都市宣言」をしたドイツの「フライブルグ」でも「落書き」はたくさん観られた。

若い頃読んだ「司馬遼太郎」の本にこんなことが書いてあった。

幕末、外国から日本に来た人たちは「日本には警察はいらない」と言っていた。
なぜなら、「日本人は自分たちを自分たちで罰する事が出来る、世界で唯一の国民だからだ」ということらしい。

これは褒め過ぎだろうけれど、確かに江戸時代の「武士」には「切腹」という「自分を戒める」制度があった。
戦国の世でなくなった江戸後期には、この「切腹」出来る事こそが「武士の証」なのであって、一部と言えど「自分自身を戒める」精神性を養っていた事は確かのようだ。
Raku02
今でも日本人にはそんな「武士への憧れ」的感情も含め、「自分たちを戒める」DNAは、世界基準から見れば、強いのかもしれない。
だから、海外から見れば「厳しい」ほどの処分がおこなわれたりするんだろう。

でも、そんなDNAもドンドン無くなってきている事も確かだ。
「上越新幹線に描かれた落書き」
写真を掲載したが、あの「落書き」は、私がドイツで見た「落書き」のスタイルと似ていた。
「日本人のDNA」もグローバル化とともに変化していると言ったら、大げさかな?

ただ、「落書き」は昔からあったわけで、「日本のDNA」は、「落書き」もしない「聖人君子」じゃない。
「自分の国は、そんな立派じゃないよ」と言う感情も、「戦後の占領政策」の結果かもしれないけれど、どこかで「日本のDNA」として感じてもいる。

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