« 聖火リレーが悲しい | トップページ | 桃井かおりの紫綬褒章 »

2008年5月 1日 (木)

日本人の「道」

ものすごく興味があったわけじゃない。
ただマスコミが取り上げるから、意識していた。
柔道の井上康生のことだ。

負けた。
「母の遺影」を掲げたオリンピックの表彰台が、彼の最も華やかな瞬間だったとしたら、アテネでの敗退から彼の悲劇のヒーローが始まった感じがする。
Judo
私がテレビを見た時には、すでに井上の負けが決まった後だった。
放送がNHKだったこともあり、変に盛り上げるわけでもなく、感傷的になるわけでもなく、わりと淡々と試合を報じていた。

その後のニュースや新聞で知った。
表彰式での観衆の声。

ものすごい井上選手への声援だった。
「康生!」
この声が響き渡っているシーンだった。
もちろん、現場に居たわけでなく、テレビで見ただけなので、その瞬間のシーンを切り取っているだけで、他の選手への声援と比較できない。

以前「敗者の美学」でも書いたように、日本人には「敗者に対する美学感」がある。
よく知らないけれど、今、柔道のルールは変わろうとしているらしい。
テレビなどで話していたことの聞きかじりなので、とってもいい加減なのだが、「最後に背中がついていた方が負け」という欧州勢と、「技をかけたものが勝ち」とする日本勢があり、今後ルールは欧州勢に有利な方向に行くとか。

この問題は、スポーツに関する「感覚」の違いなのだろう。
欧州は「分かりやすく」「エンタテイメント性」をスポーツの重要な要素と考えるし、日本は結果も大事だけれど、「それまでの過程」をより重視する。
だから今回の康生への声援が大きくなるんだと思う。

もちろん日本にも「勝てば官軍」という言葉がある通り、「勝ち」にこだわる一面もある。
けれど別の面として「道」や「志」と言ったおそらく日本人独特の感覚も持っている。
井上康生にはこの「道」と「志」を感じさせるものがあった。
特に、最初に書いたように「悲劇のヒーロー」になってから、そうだった。
人間、上り調子のときよりも、躓いた後どうしたかによって「人間度」の違いが分かる典型的な出来事だったと、康生のニュースを見ながら思った。

|

« 聖火リレーが悲しい | トップページ | 桃井かおりの紫綬褒章 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 聖火リレーが悲しい | トップページ | 桃井かおりの紫綬褒章 »