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2006年7月 2日 (日)

貴賤と貧富

先週は仕事のことで前半燃え尽きてしまい、後半ブログが出来なかった。
で、この土日はどうしたかというと家でゴロゴロ過ごしてしまった。
ただ、W杯のベスト8の戦いは楽しみで、夜中に目覚めるとTVを点けて見てしまった。特にドイツvsアルゼンチンのPK戦はライブで見ていた。

日本のチームが去って、より冷静に見ているせいか、日韓大会の時に感じたことを今回も感じた。2006070204559029jijpspoview001
負けたチームの涙。
なぜか、グッとくる。
欧米のあの大きな体の選手達が、頭を抱え泣いている。
そんな姿に、やっぱりW杯の重さと言うか、特別さを感じてしまう。
そして、敗者の美学に引かれるのは、やはり日本人だからだろうか?

「国家の品格」を読み終えた。
最後は、お風呂に持ち込んで読んでいたのだが・・・・・
この本の作家に知られると怒られそうな読み方だ。

前にも書いたように、この本は国歌論でもないし、ロジックを否定(全部じゃないけれど)しながら、ロジック的な説明を用いているので、全部納得するわけじゃないけれど、いくつかの点で共鳴出来ることがある。

今回は「貴賤と貧富は別」である点だ。
話は飛躍するが、先週女子大生誘拐事件というものがあった。
何でも有名な整形外科の先生の娘とかで、今風で言えば「セレブ」な親子ということになる。

しかし、画面で見る限り決して「気品」を感じる人たちではなかった。
もちろん成り上がりの金持ちに対するやっかみもあるけれどね?
前も書いたけれど、ああやってTVに出る場合は、そのデメリットも覚悟すべきだ。
あの親子には、それがなかったのだろう。だから「気品」が感じられない。

話は戻る。
昭和初期以前の日本は、世界から尊敬されていたのだそうだ。
これは「国家の品格」だけでなく「司馬遼太郎」の書き物の中にも出てくる。
「自らを律することが出来る民族は日本人だけだ」と言われたそうである。

それが今では、羨ましがられても尊敬はされなくなったのだそうだ。
まさに「貴賤と貧富」は別物な証拠である。

そこで思いついたのは、例の村上ファンドの人や、ライブドアの人たちのことだ。
彼らは確かに成り上がり金持ちで、羨望されたけれど、まったく尊敬されていない。
纏っている空気が下品なのだろう。
そして、それらは会ったこともない多くの国民がTVの画面を見るだけで分かってしまう、安いメッキの金持ちぶりだったのだろう。
だから、ニュースになり話題になっても、次の話題が出ると忘れ去られ、「証券界に一石を投じたターニングポイント的な人物」として良い意味で名を残さないのであろう。

私は金持ちにはなれない。
そして尊敬されたいとも思わない。
けれど、自分自身に「疾しい」と思う気持ちで働いたり生きていこうとは思わない。
そんな心の部分で、「国家の品格」に賛同してしまう感情がある。

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