2009年7月10日 (金)

とりあえず安心〜吉田拓郎

嫌な予感だった。

「拓郎倒れる〜急遽公演中止!」

Takurodaun_2

この見出しや言葉は、大げさでなく心臓をえぐった。

ついこの前「清志郎-逝去」で、辛い辛い音楽業界のニュースを聞いたばかりだろう。
テレビで紹介される6月21日名古屋公演の姿も、気のせいかすごく辛そうな表情に見える。

実は今「スカパー!」では、清志郎の追悼特別番組をやっている。
先週の土曜に夜11時から朝8時まで、今までのスカパーでの番組を再放送。
そして、来週の土曜にはさらに9時間近く秘蔵映像(夜のヒットスタジオのガム事件など)も放送すると言う。
当然、楽しみにして録画しているが、それを見ながら
「あ〜〜清志郎のこのシャウトボイスは、もう二度と聞けないんだ」
と思っていたところだ。

幸い今入っているニュースでは「2週間の自宅療養。風邪悪化による急性気管支炎」と言われている。
ツアーもいくつか中止になったらしい。
そう言えば、倒れた日の公演は「開演1時間前の中止」だったそうだ。
しかし、まったく大騒ぎにならず、ファンは皆納得して帰路に着いたとの事。
このニュースは、同じファンとして嬉しかった。
遠くから来たファンは「残念だけれど、そんなことより体調が心配」とコメントしていた。
涙が出た。

極端な言い方だけれど、もうこのままツアーそのものを中止したっていいんじゃないかな?
無理されるより、これからもどこかで唄う姿を、やっぱり見たいから。

早く回復しますように!

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2009年7月 8日 (水)

消去法の中の政権

久しぶりに政治的な話を。

去年の秋ぐらいから「解散・総選挙はいつか」と騒いでいたが、解散しなくても任期切れが迫って来ているので、さすがに「真実味」が帯びて来た。

前哨戦と言われる「静岡知事選挙」で辛くも民主党系が勝ち、ずっと話題になっていた「都議会選」で自民がどれだけ踏ん張るかで、きっと「政権交代」の実現性がクローズアップされるだろう。
ただ「自民支持が減った」「民主支持が増えた」というニュースを見るたびに「本当かな〜〜」と思う。

Syoukyohou

私はいわゆる「無党派層」だ。
この「無党派層」って言葉も難しくて、「まったく政治に関心がない」人も「関心があるけれど特定の支持政党がない」人も「無党派層」と呼ばれている。
私はこれで言うと後者になる。

20代の人間には「よく分からんもん」と言う人が多いだろうが、50代になるとさすがにそう言うわけにはならず、一応関心がある。
関心があるが「指示するに値する」ような政党があるかというと、ない。
アメリカの大統領選のように「お祭り騒ぎ」的に盛り上がるのも、あまり日本には向いていないから、余計に私のような「無党派層」は多いのだろう。

ここからは私個人の感情だから「無党派層」がみんなそうだとは思わないので、そのつもりで読んで欲しい。
私は多分、今度「民主系」に入れる。
でも、それは「支持」しているわけでなく「変化」を求めているからだ。

はっきり言っちゃえば「自民」「民主」も似たようなもんだ。
まぁ、小沢さんなんて、「自民党より自民党らしい」人だから、どっちもどっちだ。
ただ「変化」がない。
「変化」がないとどうなるか?
「チェック機能」が働かなくなる。
「前の大臣では、こうでした」と官僚に説明されれば、同じ政党の人だから波風立てずに「そのまま」で進捗していく。

会社で言えば上場企業は「株主総会」でチェックされる。
例え「儀式的」であっても資料を作り、チェックに対して応える準備をする。
だから、やっぱり「変化」という「チェック機能」が必要だと思っている。

そう決して「民主党」に期待しているわけじゃない。
「うどんとそばしかないけれど、どっち食べる」
「うどんはお昼食ったなあ〜〜、まぁどっちかと言えばソバかな?」
こんな程度の消去法で政党を選ばざるを得ない日本の政治状況ってどうなんでしょう?

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2009年7月 6日 (月)

生活の中のゴミ

以前、「額縁屋さんが地域清掃」の記事を書いていたが、ちょっとそれに関連して。

最初に断わっておきますが、掲載している写真はネットから拾ったもので、私のゴミではありません。
私の地域では
「ラベルは剥がす」
「キャップは外す」

というルールなので、写真のような捨て方をすると注意されます。
Petbotoru
本題に戻って・・・
私は一人暮らしだ。
しかもほとんど外食という生活になっている。
お菓子類は購入するが、それでも一般家庭にすれば、ゴミの量は段違いに少ないはずだ。

市が指定しているゴミ袋は大きいのだと45リットルだ。
そして私の住んでいる区域は「可燃ゴミ」「資源ゴミ」「不燃ゴミ」の大きく言えば3つに分別される。
(分別の方法が地域によって違うのも問題だよね〜〜〜)

そして「可燃ゴミ」は週2回。「資源ゴミ」「不燃ゴミ」は週1回収集される。
私のおよそのペースは「可燃ゴミ」「資源ゴミ」ともに2週間に1回と言う感じだ。
ただし、「資源ゴミ」は、いろいろな「資源」に分けて出す。
「ペットボトル」は特に分別されて出す。

暑くなって、つい自販機でお茶を購入したりして、自宅まで持って帰るとゴミになる。
潰して袋に入れれば良いのだろうが、そのまま袋に入れると45リットルが下手をすると1週間で一杯になる。

そして、これらのゴミを捨てるたびに思う。
「普通より少ないはずなのに、毎回毎回ゴミが出るな〜〜〜」と。

きっとそれだけ現代は「ゴミの出る」暮らしの仕組みなっているんだろう。
何かを買えば、箱やケースはゴミになる。
通販購入の場合でも宅急便の包装が追加ゴミになる。
レジ袋や過剰包装が話題になって久しいけれど、相変わらずゴミの量が減らないな〜〜と毎回ゴミを出すごとに思うのである。

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2009年7月 3日 (金)

運がない?縁がない?

人間関係の中で「縁」「運」がないという話がある。
50歳になると、そういう話を実感として感じることがある。

例えば、私は「会社運」がある方だと思っている。
それは「その会社が面白い時期」に勤めているということだ。
主観の問題なので、私がそう感じているだけなのだろうが、辞めた後にその会社の活動が縮小されたとか、赤字になったと言う経験が何度もある。
(何度もあると言うことは、それだけたくさん転職していることなんだが)

「くじ運」なんてのもある。
「何かしら景品を当てて帰る奴」って周りにいません?
そういうのって理屈じゃなく「運」が強いとしか表現出来ないことだ。
Fujitetai
ずいぶん前置きが長かったが、何の話しかと言うと「F1」の話だ。
1年に数回F1を中心としたモータスポーツの記事を書くが、今シーズンは多分初めてだ。
じゃ、あんまり一生懸命注目していないかと言うと、それは逆。
スカパー!に入ったおかげで、全戦予選から生中継放映を今年はしているため、決勝は必ずリアルタイムで見ている。
しかも地上波と違って、「今宮サン」とか「河合チャン」とかF1ブームの頃のスタッフのとてもマニアックな解説なので、古くからのファンとしては嬉しい放送だ。
しかしマニアック過ぎて、とてもこのブログに載せても誰も理解できないので、書いていないだけだ。

前置きが長く、本題に入る前に横道に逸れたが、やっと本題。

「景気悪化のため、トヨタが富士スピードウェイでのF1開催を撤退」

このニュースを見て、最初に思ったのが先に書いた「縁」とか「運」だ。
元々、日本で初めてF1が開かれたのは、「富士スピードウェイ」だ。
その頃はあまり興味のない時代だったので、記憶が曖昧だが、確か2〜3年目にレース中、観客を巻き込む死亡事故が発生した(死んだ観客は立ち入り禁止の場所にいたらしいが)。
それから日本でのF1開催はしばらくなく、鈴鹿で開催された1年目などは「2度と死亡事故のないように」と関係者がピリピリしていたことは覚えている。

そして一昨年、久しぶりに「富士スピードウェイ」で開催された。
初年度は土砂降りでトラブル続き(富士開催F1グランプリを参考)、3回目の開催を迎える前に撤退が決まった。

トヨタ自動車が200億円かけてサーキットを改修したけれど、結局2回開催しただけ。
もうこれは、冒頭に書いたように「富士スピードウェイ」「F1」「縁」がないとしか言いようがない。
おそらく次回の「富士スピードウェイ」での「F1開催誘致」は、今回の撤退でものすごく難しくなり、2度とないかもしれない。

人間だけでなく「縁」とか「運」とかはあるものなんだなぁ。

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2009年7月 1日 (水)

が〜〜っかりの新人

もう新人ではないのだが、昨年入社したかなり問題多き男性スタッフの話。

私の部下は、ちょくちょくこのブログに登場する。
(このブログのコンセプトの一部が、「私の愚痴」だからしょうがない)
最初は「頑張れ!新人君」、次は「男女の違い」、そして最後が「無知の知」

最近は登場していないので、順調かと言えば真逆である。
入社2年目となっても相変わらず進歩がない。
何度でも同じ注意を受けるし、1年に散々言われたことも出来ないし、また注意を受ける。

だから本当は「実務」をやらせられるレベルになっていないのだが、2年目になっても社内でコピー取りや研修モドキのことをやっていても仕様がない。
かと言って、まともに実務をやらせると、営業やお客さんに迷惑がかかる。
こう言う場合、我々の仕事は便利で「自主提案」という手段がある。
Gakkari
そこで会議資料から「ノベルティ提案」というものをピックアップし、営業と打合せし、自分で提案まで持っていくように指示した。

2〜3日黙々とやっているが、何の報告も何の相談もない。
打合せをしていた営業に聞くと
「ボクのアプローチしている業社に依頼してたので、それは注意しました」
と教えてくれた。

どうも傍から見てても「?」だな〜〜と思ったので、進捗状況を報告させた。
そうしたら
「要望を業社に連絡して、ノベルティ商品を選択してもらっています」
という。
「何!じゃ、自分で選んでないの?」
と聞くと
「いや、自分でも選んでいます」

う〜〜〜ん、かなりがっかりした。
確かに「業社に選んでもらう」というのは効率はいい。
それは、営業社員なんかはよくやる方法だ。

でも彼は「企画をやりたい」と言って、私の部下になった。
そんな人間が「自分で調べて、自分で考え、自分で商品を選ぶ」ことをしないなんて。

「企画案を考える上で、下調べなどの作業で手を抜くな」
と毎日のように言っているのに、これじゃあダメだ。
本人を目の前に
「かなりがっかりしたよ」
と伝えたけれど、分かっているんだろうか?

彼にとって「企画をやりたい」とは、どんなことだっただろうな。

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2009年6月29日 (月)

飽き飽きするプロモーション活動

前回の「ソフトの数」が関係しているのだろう。
最近テレビを見ていて気になりませんか?「プロモーション活動」の露出の多さ。
「他にないのかよ」
と画面に向って愚痴りたくなるほどです。

「ユーミン」が久しぶりにアルバムを出しました。
そうするとその週の音楽番組のほぼすべてに「ユーミン」が登場する。
そして話は「新しいアルバムに付いて」が必ず聞かれる。
Puromosyon
「余命一ヶ月の花嫁」という映画が公開されます。
そうすると、映画製作に関係したテレビチャンネルを中心に、主人公役の「榮倉奈々」「瑛太」の二人が番組に出まくって宣伝している。

「ROOKIES」という人気テレビ番組が映画になった。
主役の「佐藤隆太」はじめレギュラーメンバーが、野球ユニフォーム姿でテレビ番組に出まくって騒ぎます。

最初に1〜2回は興味もあって見る場合もありますが、もう後半になると私はチャンネルを変えます。
だって同じ週で、違うチャンネルとは言え、同じ人の同じような話題を何度も見るほど暇じゃありません。
こんなこと「見る側」に立って考えれば誰でも気づくのに、「他もやっているから」と鈍感な感度でやっている。

もう「ソフト不足」の末期的状態なのかもしれません。
CMも同じようなタレントが同じようなテイストでやるから「どこのなにの」コマーシャルか区別付かない。

そして一番面白かったのは「倖田來未」のパチスロの宣伝。
これじゃ「ソフト」じゃなく単純に「タレント展開」しているだけ。

もし私が18歳くらいで今のような状態を見たら「クリエイターになりたい」と思わなかっただろうな。
それだけ「魅力的」には映らないから・・・・

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2009年6月26日 (金)

ソフトの数

ちょっとマーケティング的なモノの言い方だけれど
「ソフトの力が弱くなった」
と言われて久しい。

私なりの感じ方を一般的な人に伝えやすくするには「テレビ番組」が分かり易い。
「60チャンネルを超えるテレビって」で書いたように、私は昨年末に「スカパー!」を契約することになった。
Soft
これはかなり分かり易いが、もの凄いチャンネル数を誇っているけれど、ソフトとなる番組量が追いつかない。
追いつかないから古い番組を再放送する。
先日など「夜のヒットスタジオ」「ザ・ピーナッツ最後の出演」をやっていた(興味深く見ていたけれど・・・・)

普通の地上波チャンネルでも、同様なことが起きている。
平日の昼だけでなく最近は土日の昼でも、バラエティ系の「再放送」が多くなった。
これらは、いずれも「ソフト数不足」から起きていると私は思っている。
要は
「新しくオリジナル性の高い番組を作る力が無くなって来ている」
または
「メディアの多様化にソフトを作るスピードが追いつかない」
という現象なのである。

「漫画を原作としたドラマ」
「多人数の芸人をひな壇に配置したバラエティ」

最近の番組は、概ねこんな形のものになっている。

テレビ番組よりももっとはっきり分かるのは音楽である。
以前友人がCDショップをしていた頃に言っていた。
「すごくヒットしたアルバム以外は売れなくなった」

今は「すごくヒットした」というアルバム自体が無くなって来てしまった。
そして
「R=35」
に代表されるような「コンピテンシーアルバム」ばっかりになってしまった。

私のような地方の印刷会社に勤めるプランナーでも、この
「ソフト不足」
は悩みのタネである。

そして、たまに出て来る「新しいソフト」をシロアリのように「一瞬に食い尽くす」マスメディアの展開に、「ソフトの時代」が益々遠のくような気がしてならない。

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2009年6月24日 (水)

三世のための禁断の果実

ものすご〜〜〜くエキセントリックなタイトルだが、世間にはよくある話だけれど、自分自身には「禁断の果実」として胸に痛い話題だ。

三世の話は昨年夏の「娘のサプライズ その1『告知』」に始まり、ここのところ、ちょくちょく出て来ていますが、やっぱり「初孫」ですからね。
私にとっては、超ビッグなニュースソースなわけです。

なんて浮かれていられないのが「婿の就職」
「三世の宮参り」の時にも「どう?」と聞いたのが、「今、返事待ちです」と言っていた。

「決まったら連絡しろよ」
と言っても新しい生活に振り回されている新米パパとママには余裕もないのだろうと思っていたが、やはり気になるので5月中旬頃に、状況を聞いてみた。
Enkodenyusya
そうしたらやっぱり「結局不採用で、もうハローワークに行っても面接する所も無くなって来た」とのこと。
じゃあ、ということで新米のお祖父ちゃんとしては「禁断の果実」に手をつけたわけだ。

婿の希望職種は、私の仕事である「グラフィックデザイン系」である。
元々「婿の就職が・・・」と以前会社で話したら、我が部の部長ともう1人の副部長は「ウチに来てもらえば、いいじゃん!」と言っていた。

でも、私はそんな「縁故」は嫌いだし、「婿」が同じ部署にいるのも決して居心地よくはない。
一度、婿にも話してみたが、本人も「最終手段にしたい」と言っていた(まぁ意地もあるんだろう)。

しかし、その「最終手段」を使わざるを得ないところまで来てしまったため、仕方なく部長達に話してみた。
いつも夏以降は厚物カタログ制作のために、派遣を増やしたりするので「そのスタッフ」ということで来てもらえば良いと言ってもらい、さっそく形ばかりの面接をした。

あとは、もう1人の副部長が稟議書を書き、上層部に交渉し、総務とも話し、トントン拍子で「契約社員」という形(だと思う)で、会社に来る事になった。

こういう「縁故」は、本当に好きじゃないけれど、会社からすれば「見ず知らずの人間より良い」とのことらしいが、それも胸を張れる理由じゃない。
でも、そうも言っていられないから、今回「禁断の果実」に手をつけてしまったわけだ。

あとは婿が一生懸命仕事をしてくれることを祈るのみだ。
やっぱり「子より孫」ってのは本当なのかね?

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2009年6月22日 (月)

「モノづくり」の代弁者

この記事は、最近縁あって知り合うことが出来た「こばちさん(ブログはこばちの取材の寄り道)の中で「モノのカタチ」という記事を読んだ時に感じた感想だ。

本当は彼女のブログへのコメントにした方がいいのかもしれないが、かなり長くなりそうなので、記事にさせてもらった。
(こばちさん、「ネタきっかけ」ありがとう!)
Daibensya
私は20代半ばで、デザインと言う業界に入った。
その頃と今とではいったい何が違うのだろう。
それは「発注者の熱意」だと思う。

昔、企業の「広報」という部署は「社内で使えない奴」とか「ちょっと変人」みたいな人が多かった(印象ですが)。
だから我々制作者側が一生懸命面倒見たり、ちょっと変わった依頼があったりもした。
けれど「熱意」は、今の時代に比べると遥かにあった。

制作者もそうだけれど、発注者も「いいものを創りたい」と気持ちがあった。
しかし残念ながら、今の発注者には「熱意」はあまりない。

「上層部にどう報告しようか?」
「社内でどうやって決済してもらおうか?」

そんなことばっかり考えて打合せに参加して来る。
そして「どんなものを創りたいか?」という重要な部分を、我々外部の人間に「ぜ〜〜〜んぶ」任せてしまう。
これじゃ、「いいもの」は創れない。

「なぜか?」

我々クリエイターは、「発注者」「作り手」の代弁者だからだ。
「熱意のない発注者や作り手」では、代弁のしようがない。
だから、適当に手を抜く(抜かざるを得ない)。
そして「良いもの」は出来ないのである。

最初の話に戻ろう。
こばちさんの「モノのカタチ」の記事に掲載されている額縁や巾着は、私の友人の「額縁屋さん」「揚巻さん」の作品だ。

彼らの「モノを創る熱意」はスゴイ。
特に「揚巻さん」は不器用な人なので、作品作りが始まると、主婦業が停まるくらい一生懸命熱意を込めて制作する(らしい)。

そんな制作者の「熱意」があると我々のような代弁者は「その熱意に負けないように」一生懸命広告やパンフを制作する。
そして、とっても良い宣伝ツールが出来上がる。

想像ではあるが、こばちさんのコピーは「熱意」に反応して波紋のように拡がり、心地よい文章が生み出されるのではないだろうか?

我々クリエイターを活かすも殺すも、「発注者の熱意」によるものだ。
彼女のブログ記事を見て、この業界で25年以上やってきた50代のクリエイターが漠然と感じていた考えが、一瞬にして整理出来た気がする。

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2009年6月19日 (金)

「現場感」の難しさ その2

前回の続き。

今回登場の「専務」は現在の専務である。
先日、ある新規顧客に営業とその専務と同行訪問した。
実は専務とは言え、私と年齢も近いし、営業部長をしていた頃から知っているので、私は結構遠慮なしにモノを言う。

今回の顧客も前回同様「会長繋がり」なのである。
ちょっと詳しく書くと、イロイロ差し障りがあるので、説明しないが、商談後こんなことがあった。
Genba02
我が社の事例紹介をしたが、ちょっと反応が良くなかった。
途中から「キーマン」の方が参加され、ちょっとだけ盛り上がったが、いずれにしろ「良い」反応ではなかった。

玄関先で挨拶をして別れようとしたら、専務と営業がその「キーマン」に少し話をしていた(ように私には見えた)。
だから、違う担当者に、もう少し今の現状を聞いてみようと声を掛けて、少し話をしていた。

時間にして2〜3分だったが、営業から「もういいですか?」と声が掛かったので、慌てて挨拶して別れた。
そしてクルマまで歩いていると専務から
「終わったら、サッサと別れる。お客様が待っているだろう」

私だって小僧じゃないから「無駄話してたわけじゃないっすよ」と言ったら「いいんだよ、これは命令だ」と頭ごなしに言って来た。
これには、ちょっと「ムカっ」と来た。

先に書いたように、専務とは言え、結構長い付き合いの人だ。
ちょっと時間が過ぎてから、「で、何の話をしてたんだ?」と聞いて来たので
「私も小僧じゃないので、あんな風に言われるんだったら、言うつもりありません」
そう逆らってやった。

会社までのクルマの中、
「あ〜〜、この人も現場感がなくなっているんだろうな」
と思いながら帰って来た。

前回と今回は「現場感」の話をしているが、職制が上がると
「大所高所からの判断」
が必要となり、そして身に付いていく。

でも、それと比例して「現場感」は薄れるのである。
今、私は徐々に現場を部下に任せようとしている。

いったいいつまで私の中に「現場感」が残っているんだろうか?
きっとそのうち部下から
「もう、現場のこと分かっていないんだから」
と陰口を叩かれる時期が来るのだろうか。

「現場感」「大所高所判断」
この難しさを味わっている。

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2009年6月17日 (水)

「現場感」の難しさ その1

またまた会社絡みの話題。
「なんだかストレス溜まる会社に勤めているな」
私のブログを続けて読んでいる人は、そう思うかもしれない。
でも、どこの企業もそんなもんだと思います。

Genba01
「事件は現場で起きているんだ!」
あの有名な映画のセリフです。
一時期流行りましたね?

これ仕事でも同じだと最近つくづく思います。
私は副部長という「中間管理職」、これをカタカナで言うと「プレイング・マネージャー」です。
『現場やりながら管理もしろ!』
ま〜会社からすれば都合の良いポジションなわけです。

ウチの部長さんはもう現場を離れて2〜3年経ってしまったため、全く分からなくなってしまいました。
ただ、本人はまだ分かっていると思っているのが哀れですが。
要は、ここなんです。

「自分は現場感を失っていないか?」

これをいつも自問自答していないといけないと思うのです。
今回この話題に出て来るのは、両方とも我が社の「専務」です。
時期が違うので、今日出て来る専務は「現社長」です。

ある企業の社内報制作の件。
担当営業から「顧客からマンネリして来たし、対応が雑だからデザイナーを変えて欲しいと言われた」と相談を受けた。
それが顧客ニーズなら応えないとマズいので、外注のベテランデザイナーに「安い価格だけど、何とかお願いします」と依頼し、顧客側にも満足してもらった。
でも、ある日私は専務に呼ばれ
「お前、なんであんなフリーのデザイナーなんか紹介しているんだ!」
と営業の部屋のみんなの前で怒られた。

怒る理由が呆れた。
その顧客はウチの会長と太いパイプで繋がっており、超重要顧客だ。
だから「専務」としては我が社の子会社の「ちゃんとプロダクションで制作している」と報告していたらしい。

だから、「そんなフリーにやらせているなんて会長が知ったら、俺は何と言えばいいんだ!」と怒っているわけだ。
呆れるでしょ?
顧客は満足しているんだけれど、完全に現場感が無くなっている役員だと自分で告白しているようなもの。

人間って偉いモノで、あんまり呆れてしまうと怒る気にもならず
「すいません、配慮が足りませんでした」
と心にもない言葉で頭を下げたのだった。

続く

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2009年6月15日 (月)

上司の気持ち

本屋さんに行くと「上司と部下」に関する新書が多い。
一応これでも立派な(?)中間管理職なので、そういうことはちょっと気になるので「パラパラ」と見たりする事がある。
実際に「リダーシップ」系の本を2冊くらい購入して読んだ事もある。

しかしながら、こんな「ハウツー」系の本を読んで
「おー!なるほど、そうか!」
と思ったことはない。

かと思うと、ウチのような中小企業でも「管理職系のセミナー」なんかを受けさせてくれる事もあり、実際に参加した事もある。
この時も「おー!!」と目からウロコが落ちるような気持ちになった事がない。
Jousinonayamu_2
じゃあ、全然役に立たないかと言えば、部分的に役立っている。
まぁ、きっとこのような「ハウツー」ものは、そんなものなんだろう。

前置きが長くなったが、何の話しかと言えば中間管理職の気持ちの話だ。
最近では「見捨てる瞬間」という記事を書いたが、このブログではちょくちょく自分の部下や上司の話が出て来る。
(それだけ、会社中心の生活と言う事で悲しくはあるが)

上司の無茶な話。
自分の考えに囚われ過ぎて、感情的になる女性部下。
ちょっと安心して手抜きを覚え始めた4年目の部下。
亀の歩みのように鈍いアップ率の2年目の男の子。
なかなか本質が身に付かないデザイン系スタッフ。

などなど実は上司と言うのは、悩みは尽きないのである。
じゃ、自分だけがカリカリしているかと言えば、ちゃんと部下は部下で「考えたり感じたり」して変化を見せたり、頑張り方を変えたりする。

そんな部下の姿を見ると「おっ、いいぞいいぞ」と思うのだが、しばらくするとまた「カリカリ」するような出来事が待っている。

女性は繊細だし、飲み込みも速いし、上達力も高い。
それは早熟度の問題なのだが、「即戦力」には女性はありがたい。
けれど、地道に粘っていく底力は、少し薄い。

男性は、この女性の真逆だ。
ま〜20代なんて子供の延長的なやんちゃ坊主もしくは小僧だ。

最初に書いた「上司のハウツー」系の多くの本。
それだけ、上司も部下も悩んでいるんだけれど、結局自分たちで納得いくように「トライ&エラー」で一歩でも良くなるように動かしていくしかないのである。

「あいつはもうダメだ」
「オレには管理職は向いていない」
と諦めたら、それで終わってしまうのだと言う事だけは「キモ」に命じて、今日も中間管理職として日々悩み働いている・・・・

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2009年6月12日 (金)

「心のままに」が難しい

4名の腐れ縁会合の番外編。

作品展会場で「こばちさん」も一緒だったことは「古い友人と新しい縁」の時に書いた。

ほんの短い時間だったけれど、私自身としては同業者として「もうちょっと話してみたかったな〜」なんて思っていた。
あとから「額縁屋さん」から、コピーライティングでの悩みについて「こんなこと言ってたよ〜」と少しだけ話を聞いた。
Kokoronomama
やっぱり同業者なので、その悩みやジレンマや壁の感じ方など、おそらく他の人よりは強く響けるのではないかと思っている。
ここからは私の「コピーライティング」についての持論なので、「正論」じゃないことを分かった上で読んでください。

私は「グラフィックデザイナー」だった。
他人はこういう職業に就く人は皆「才能がある」と思っているが、そうではない。
あるとしたら「好きかどうか」という気持ちの部分がほとんどだ。
特に今の時代、デジタル化されデッサン力などなくてもデザインは出来る(現に私がそうだ)。

しかし、「才能」と言う部分では「コピーライティング」の方が遥かに必要だと思っている。
これはディレクターになってライターと一緒に仕事をして思った。
言い回しや文章のリズム感など、何度「修正」を依頼しても出来ないライターには出来ない。
そんな経験を数多くして来ているので、ある案件のキャスティングの時には、その案件にマッチするライターやカメラマンを選択することが重要だと思うようになった。

おそらく「こばちさん」は、その辺りの「プロとしてのライター」ということを壁と感じているのではないだろうか?
でも、ほんの2時間くらいしかお話ししていないけれど、とても高い「感受性」と、そして優しき「母」の両面性を融合して持ち合わせている、とても「魅力的な人」と私には映った(褒め過ぎか???)。

今、「こばちさん」はガチガチの商業コピーライターではない。
そしておそらく、彼女はそのようなライターには向いていない。

自分の「琴線」に触れて、大きく「響く」時に、彼女のコピーは魅力的なリズムを生み出し、読む人が何の苦労もせずに「美味しい水」を飲むように心に溶け込むようなものになるのではないだろうか?

だから、プレッシャーなんか気にせずに、「琴線」に触れた通りにブログの文章を書いてくれればと思っている。

と、分かったようなことを書いたが、それが出来ないから苦労するんだよね?
これも、同業者だから分かる悩みなのである。

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2009年6月10日 (水)

上司のニーズ

引き続き4名の腐れ縁会合の話題から。

これは私が言った言葉だ。
「部下」にも悩むが「上司」にも悩む。
これもこのブログに話題として出て来るから、中間管理職の共通の悩みだろう。

実はこの言葉を思い付いたのは2〜3年前だ。
いろいろな周辺事情があって、当時私と我が部長とはとても険悪な関係になっていた。

必要以上の話をお互いにしない。
最低限の報告しかしない。

私は根っこの部分が、クリエイターなので、中間管理職でも
「別に部長のために働いているわけじゃないから」
と歩み寄ろうとも思わなかった。
Jousinizu
それでも、上司は上司。
人事的な評価はされるし、上層部への報告も「部長のフィルター」を通って伝えられる。

そんなある時、人事評価面談で部長と話している時に「顧客へのソリューション活動」の話題になった。
部長の熱弁を聞きながら、ふと
「こういう上司のニーズに応えることもソリューションなんだろうな」
と思った。

そうかそうか。
上司だとか部下だとか「同じ会社の人間」と思うから腹が立つのだ。
「顧客のワガママ的ニーズ」も腹が立つけれど、でも「ニーズに応える」ということで我慢も納得も出来るわけだ。

同じように上司のいろんな話を「ニーズ」と捉えれば、腹立つことも少なくなるんじゃないか?
そう思って実際にやってみたら、これが結構納得出来たのである。

「また無理難題言ってるけれど、ニーズだからやってみるか」

という気持ちになれるわけだ。
こんな話を4人にしたら、妙に感心されたけれど、どうなんでしょう?この考え方は?

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2009年6月 8日 (月)

知識と知恵

前回の4名の腐れ縁会合の話題から。

4名のうち2名は勤め人である。
私はいつも紹介するように「地方の印刷会社」に勤めている。
そしてもう1名は「地方公務員」だ(外見は、どうみても違うが)。

このブログにも「部下」の話題が出て来るが、勤め人でしかも50歳くらいになっていると、どうしても「部下」のことについて愚痴が出る。
そして、今回の名言はこの「地方公務員」である友人の言葉だ。

「今の若い連中は、『知識』はあるけれど『知恵』がない」
Tietotisiki
素晴らしい!
私もよく部下にも言うし、このブログに書くけれど、今の20代は「いろんなこと知っている」けれど、「知っている」だけなのだ。
その「知っている」ことを「どう活かす」かという「知恵」がないのである。

だから、私の仕事のステージでもある「デザイン」でもDTPアプリケーションは使えるけれど、良いデザインが出来ないなんてことがよく発生する。

なぜか?

「デザイン」は表現の「工夫」だからだ。
そして「工夫」は、マニュアルを読んでも攻略法を読んでも分からない。「知恵」がないと「工夫」出来ないからだ。

そして今は学校でも何でも「知識」を教えるけれど「知恵」を学ぶ時がないから、こうなっているのだろう。

私たちは今ほど「モノが豊か」じゃない時に子供時代を過ごしている。
だから、遊ぶにしても、友達と待ち合わせるにしても、そして欲しいものを買ってもらうにも「知恵」を使って「工夫」してきた。

「遊び道具」は揃っている。
友達との待ち合わせは「携帯で気軽に連絡」する。
「欲しいもの」は親に買ってもらえる。

これじゃあ、やっぱり「知恵」「工夫」も身に付かないね?

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