2019年6月24日 (月)

「安江靜二」という人のこと

ある時、ちょっとしたきっかけで自分の故郷の街を検索した。
なかなか目的としていた情報はなかったが、突然「安江靜二」という人を紹介しているWEB「中津川の画家 安江静二心の記念館」に行き着いた。
この「安江靜二」という人、私の故郷では有名な人だが、一般的にはあまり知られていない(と思う)。20190624_1

詳しくは、先ほど紹介したWEBに書いているが、この人は幼い時に「小児麻痺」となり身体が不自由になった。
当然、歩行も普通にできず、一人で歩けるがかなり困難な状態の方だった。
ただ私が物心つく頃には、街なかを歩いていても、みんなが先生のことを知っていて、好奇な目で見たりすることはなかったと思う。

この人のWEBを見たら「1913 (大正2年)生まれ」となっていたので、本当のところはわからないが、私の親父とは学生の頃からの知り合いだったらしい。
私の記憶では「親父と同級生」と思っていたが、親父は「明治44年生まれ」なので、少し違う。
ただ年齢が近いので、学校時代の友人だったことは、間違いないようだ。

私の実家は、私の故郷の商店街でおもちゃ屋をやっていた。
以前「十日市の想ひ出」にその頃の写真を載せた。
このおもちゃ屋は、私が中学生の頃までやっていたが、閉めた年に親父は亡くなった。
その店に、年に1~2回安江先生は訪ねてきて、居間に上がってお茶を飲みおしゃべりしていった。

先生は、歩きはもちろん、話す方も決して健常者のようではなく、若干聞き取りにくかったことを覚えている。
ただいつも訪ねてくる先生を親父もお袋も普通のお客さんと同じように話して、特別扱いもしていなかった影響か、私自身も「よく訪ねてくる絵かきのオジサン」と思って、怖がることもなかった。
確か兄貴は、1年間くらい先生に絵を習っていたようだが、本人は「ああしろ、こうしろ」と言われて、ちっとも好きなように描かせてくれなかったので、つまらなかったと言っていた。
まぁ、子供に絵を習わせるくらいウチの親と先生の距離は近かったのだろう。

先生自身がおっしゃっていたのか、お袋が話してくれたのかはっきりしないが、とても覚えている言葉がある。
それは先生が小児麻痺になって、身体が不自由になってからも、ウチの親父はそれまでと何も変わらずに友達でいてくれたということだ。
そのことが先生はとても「嬉しかった」と言ってくれて、だから今でもこうやって訪ねてくるのだと……。
先生のWEBによると13歳の時に小児麻痺になったとある。
時代的には大正の終わりか昭和の初めなので、今よりもはるかに差別的な時代だっただろう。
実際に先生は一時期隔離された生活を送られていたようで、そんな時代に「変わらずにつきあった」親父は、息子として誇らしいことだったので、とても覚えている。

もう2人共亡くなっているので、その真偽はわからないけれど、思いがけなく「安江先生」を思い出すことができたWEBの出会いだった。
毎月第3日曜だけ記念館は開館しているらしいので、一度出かけてみようと思っている。

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2019年6月17日 (月)

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

一部のコアなファンの中では、昨年から「どんなのだろう?」と話題になっていた。
ハリウッド版「ゴジラ」の第2弾だ。20190617
このブログでは、たまに「ゴジラ」関連のことを書く。
2014年7月に「ゴジラを考える」、2012年9月「特撮博物館に行ってきた!」、2007年11月「FavoritesNo.21 ゴジラ伝説」、そして2006年2月「伊福部昭さん」などなどだ。
ここから先は、かなりディープな話になり、「ゴジラ」「ガメラ」「怪獣映画などの基礎的な知識がないと分からないと思います。ごめんなさい。

今回特に楽しみにした理由は「キングギドラ」「ラドン」「モスラ」といった東宝怪獣系の王様クラスが出るということだった。
「ゴジラ」を含めて、この4大怪獣が激突したのは「三大怪獣 地球最大の決戦」。ちなみに4つの怪獣が出るのに「三大怪獣」というのは、地球の三大怪獣であり「キングギドラ」は宇宙怪獣なので、外れいているそうだ。
この「キングギドラは宇宙怪獣」という設定は、今作にも踏襲されていた。
事前に今回の監督は、かなりの「ゴジラおたく」であるとも聞いていて、それも期待度を高めていた。

●映画における音楽の力を思い知った
これも事前に「一部で伊福部昭氏の音楽が使われる」と聞いていたが、実際に映画としてのシーンの中に「伊福部昭氏」の音楽が流れると、格段に「ワクワク度」が上がった。
「映画の中の音楽の力って、こんなにスゴイんだ」と感心しきりで、特に「モスラ」登場のシーンでの「モスラ」の音楽は、鳥肌がたった。
また「ゴジラ復活」のシーンでの「ゴジラのテーマ」も、もう拍手したい気持ちになってしまった。
しかし、いかに「伊福部昭」という人が「映画音楽」というものを熟知して作曲していたかを、ゴジラ誕生後65年も経ってから、改めて思い知らされた感じである。

●エンドロールの最後に感涙
エンドロールの最後にゴジラの着ぐるみに入っていた「中島春雄さん」の写真を載せ、彼へのリスペクトを表していた。
思わず「おっ」と言ってしまい、そしてちょっと泣きそうになった。
ちょうど、この映画公開にあわせ缶コーヒーのBOSSが「顔の映らない主役」という特別なCMを作ったが、まさに彼のことだ。
日本では、かなりコアなファンしか「中島春雄」のことを知らないが、アメリカでは「スーツアクター」として、とても尊敬されていたと聞いたことがある。今回のエンドロールは、そのことを十分に分かる演出だった。

●怪獣登場の脚本力の違い
映画としては全体的にとても面白かった。
でも、なにかが足りない気がして気になったのだが、映画館を出て思った。
「荒唐無稽」な怪獣映画だけれど、私が見てきた初期の怪獣映画や、平成ガメラシリーズと圧倒的に違うのは、脚本なんじゃないか?と。
日本の場合、日常的な出来事の積み重ねがあって、全く歯が立たないと分かっていても自衛隊は攻撃するし、住民が避難するシーンは、必須である。
「シン・ゴジラ」が評価されたのも、人命に対する考えや日常的な生活を積み重ねていて、最後の怪獣部分だけが「荒唐無稽」な物語にしている。
この実際にある「現実感」の積み重ねが、この映画は希薄な気がする。
ま、そんなことをすれば、3時間以上の長時間映画になってしまうから、仕方ないのかもしれないが。
「モナーク」はともかく「オキジェンデストロイヤー」なんて、コアなファンしか分からないのが突然出てくる辺り「ゴジラファンのためのゴジラ映画」と言えなくもないが。

次には「キングコング対ゴジラ」のハリウッド版が予定されている。
生まれて初めてみたゴジラ映画が東宝の「キングコング対ゴジラ」だった思い入れの高い作品なので、今回以上に期待が膨らんでしまっている。

 

 

 

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2019年6月10日 (月)

近場の美術館~立川美術館

GWに出かけた近場の話、第2弾。20190610
「立川美術館」と言っても誰も知らないだろう。 
全く有名でないし、規模も小っちゃい。「小さい」というより「小っちゃい」という言い方が当てはまる感じのところだ。
入場料が「200円」と聞けば、その規模が分かるだろう。
何の美術館かと言えば、「山車の彫刻」とかなりニッチな分野だが、逆になかなか気軽に見ることが出来ないものだ。

私の住む中部地方は、あちこちに「山車」がたくさんある。
有名なのは「高山」で多くの観光客が訪れるが、名古屋を中心に30~40kmくらいところに、いくつでもある。
この「山車」は、2016年に「山・鉾・屋台行事 ユネスコ無形文化遺産」に登録されて盛り上がった。
あるきっかけがあって、私はここ2~3年名古屋近郊の半田市で行われる「潮干祭(しおひさい)」というものを見に行く。
この半田市、以前「彼岸花の土手歩き」「彼岸花の花嫁行列」で紹介した地域だ。
ちなみに、美智子上皇后の話題で出てきた「でんでんむしのかなしみ」の作者である新美南吉も、この地域の出身だ。

この地域、3月後半から5月GWにかけて、毎週末どこかで「山車」が出るお祭りがある。
なので、5年毎に「はんだ山車まつり」として30台以上の山車を勢揃いさせる。これは何十万人と集まるので、敬遠して行っていないが……。
とにかくやたらと「山車」がたくさんある地域だ。
この「山車」には、「からくり人形」もあるが装飾の彫刻が見事で、また「山車」ごとに違う彫刻が創り込まれている。
その彫刻の技術伝承という意味でこの「立川美術館」があるらしい。

小さなところなので、当然ほとんど人がいなくて、その施設の人が横について説明しくれたのだが、一度「立川流」は途絶えたが、子孫の許可を得て再興させたとのことだった。
詳しくは「立川美術館http://www.tatekawa.org/index.html)」を見てほしいが、なかなかこう言った彫刻を、説明を聞きながら、しかも写真撮影もOKで、間近で見られるなんて、なかなかない。
これが京都の祇園祭の山鉾のように「超有名」な装飾に関する美術館などがあったら、ものすごく観光客が集まる気がする。
まぁ、そうなると撮影はできないし、気軽に行けないし、混雑するから嫌だけれど。

せっかくの長い休みだったが、かえってどこも混雑することになったが、おかげで近場の面白いところに行けたこと、そしてまだまだ近くに「おっ」と感じるところがあるなぁって思えたGWだった。

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2019年6月 3日 (月)

近場の史跡巡り~華蔵寺(吉良家菩提寺)

6月になったが、今年のGWは10日間もあったので、その時の話題を……。
とは言え、「この長期休みを利用して、どこか遠くへ」ということではない。
いろいろ事情はあるが、主な原因として「どこに行っても混雑するよね」と思っていたので「泊りがけでどこかへ行く」なんてことはしなかった。20190603_1  
話はちょっと逸れるが、最近はどこへ行っても観光客が多い。
それも外国の人が、とんでもなく多い。
「日本人もあまり知らないようなところなのに」と思うところでも、外国人の観光客を見かける。
人種偏見はないように気をつけているが、ワケも分からず大きな声で喋られたり、日本的にきちんと順番を守るというルールに従えない団体に会うと、腹立たしくなるし、うんざりする。
だから、最近は「行ってみたいなあ」と思っても「混雑してるだろうな」と危惧することが多い。

でもせっかくの長い長いGW、どこにも行かないのも勿体無いので、ちょこちょこと近場に出かけてきた。
その中で、たまたま寄ったところが、今回の「華蔵寺」
ここは、ネットで見つけていて近かったので「いつかは行こう」と思っていたところだ。
場所は愛知県西尾市。
ここはちょうど4年前に「近くの穴場~西尾城」で紹介したところだ。
その頃から徐々に分かり始めたが、この西尾市は江戸時代には「西尾藩」といい、歴史的に有名でないが、史跡を巡るとたびたび「えっ、ここも西尾藩の関連なんだ」と知る重要な藩だ。

●華蔵寺
愛知県西尾市にある臨済宗妙心寺派の寺院。高家吉良家の菩提寺。
吉良義央の曾祖父である吉良義定が旗本として吉良家を再興した際に、父義安の菩提を弔うために創建した。吉良家墓所には、義安から義央の継嗣義周まで6代の墓がある。そのほか、義央50歳の時の木像や義央寄進の経蔵などがある。(ウィキペディアより)

この「吉良義央(よしひさ)公」が、かの有名な「吉良上野介」のことだ。
この人は、全国的に「赤穂浪士の敵」として憎まれているが、地元では数々の善政を敷いた名君として愛されている。
それは以前から聞いていたのだが、ナビに案内されながら向かう途中に「赤馬ロード」との看板を見て、「これ何だろう?」と思ったが、寺に着いて分かった。

寺で見た資料によると、義央公は水害を防ぐために堤を築いたり、領民の状況を調べるために「愛馬赤馬」に乗り巡視して周り、とても領民から人気があったとのこと。
この「愛馬赤馬」は寺の資料では「農耕馬のような」となっていたが、ネットで見てみるとそのような説明はない。
いずれにしろ、地元ではとても愛されており、吉良家もあちらこちらに寄進していて、すこぶる良い関係だったことがわかる。

さすがにここには外人の観光客はいなかったが、他に2組くらいの観光の人が訪れていた。
しかし以前、赤穂浪士の墓のある「泉岳寺」を訪ねたことがあるが、そこは煙いくらいに線香が炊かれていたのに比べ、この華蔵寺はひっそりとして、あまり整備もされていなかった。
この人気の違いに、ちょっと残念な想いだったが、5月の良い天気の中、静かな史跡を巡り、新緑に囲まれてウグイスの声を聴く空間は、至福のものだった。

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2019年5月27日 (月)

3世の姫、急成長する

新年度から長いGW、そして令和時代の始まりと変化が目白押しの春だ。20190520
今年の春は、桜が開花した途端、なかなか暖かくならず、なんと3週間も桜を愛でることができた。6~7分咲きからなかなか満開にならず、会社である人が「終業式から入学、新学期まで桜が咲いていた」と話していた。

そんないろいろ変化があった4~5月だが、身内にも大きな変化があった。
3世の下の姫が、4月から幼稚園に行きだしたという話は4月の終わりに少し書いた。
その後、娘が入園式の模様を中心に、大量の写真をクラウドにアップしてくれた。
園長先生らしき人に抱っこされて紹介されているところは、ちょっと半べその表情だったが、それ以外は小さな手で「ピースサイン」をしてご機嫌のようだった。

会社で婿にあった時に、少し聞いたのだが、入園した幼稚園は「おしめ禁止」らしく、便秘で薬を飲んでいる姫3世は、失敗することもあって、なかなかオシメが取れなかったらしい。
ところが、幼稚園に行きだして3日目くらいから、家でもちゃんとトイレに行けるようになって、婿も娘も「びっくり!」したそうだ。
娘にラインで確認したら、「そう!他の子がちゃんとするから、自分もって思ったのかなぁ」と返してきた。

初日は大号泣で登園したらしいけれど、その後は機嫌よくバスに乗って通っているらしく、娘は「家で親が見ているだけでは成長しないんだ」と思ったそうだ。
娘も2人の3世も、3月生まれ。
娘もそうだったが、早生まれで3月生まれ、そして女の子ってなると入園時には本当に小さい。
4月生まれの子とは丸1年違うから、親から見れば「まだまだ赤ちゃん」って思える。
けれど、周りの環境が変わると「どんどん成長」していくのだろう。

ただし、ラインした日は熱が出て、休んだらしい。
元気はあるので、風邪ではないようで「知恵熱かな?」と娘が言っていた。
姫3世もどんどん成長していく。
令和になり、3世たちも成長し、上の3世は再来年には中学生になる。
それだけこちらが年を取っていってるってことだ。

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2019年5月20日 (月)

祝意に満ちた令和の幕開け

「令和」になって3週間近くなる。
前回もこの話題を書いたけれど、その時の空気感を備忘録にしておきたくて、もう一度同じ話題を続けることにした。
昨年の後半から徐々に話題になっていた「元号の切り替え」は、4月後半になってあらゆるメディアが話題に取り上げ、4月30日から5月1日には、まるで大晦日と元旦を迎えるような異様な雰囲気になった。
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今振り返ると、私の子供の頃はまだまだ戦争の記憶も生々しい時代だった。
だから「天皇陛下バンザイ」と言って亡くなった兵士への想いも強く「天皇制は果たして必要か?」といった議論も子供なのによく耳にした。
平成時代の皇室を紹介するいくつかの番組を見ていると、そのイメージがこの30年で随分違ってきたことを改めて感じた。
それは、平成天皇皇后陛下の考え方や行動の賜物なのだろう。
ある番組で美智子皇后が旧体制にイジメられるドラマみたいのをやっていたが、あまりに「美智子さま=善、旧体制=悪」の構図が強すぎて、同時にネットを見たら「酷すぎる」のコメントが多く見られたのは、ある意味「狂騒」をよく表しているとも言える。
そんなテレビを見ていて、「新元号を迎えるカウントダウン」も何だかバカバカしくなってきて、GW10連休の最中だったが、さっさと寝てしまった。

次の日も「新元号、新天皇」の盛り上がりは続いており、こちらもついついテレビを見てしまっていた。
新しく皇后になられる雅子さまの、とても輝くような笑顔が映されたり、悠仁さまが緊張された表情だったりを「なんだかんだ」と言いながら見ていた。
そして5月4日の新天皇即位後初の一般参賀も各テレビで流されて、「新元号、新天皇」の一大イベントはピークに達した感じはあった。

そんな騒動を見ながら、自身二度目の「元号切り替え」の体験としては「昭和から平成」の時とは随分違うものに感じられた。
その理由の一番大きいのは「先の天皇崩御」だろう。
昭和天皇は崩御前から、毎日のように「下血」などの情報が流されて、世間的にも「歌舞音曲」を控える雰囲気になった。(下血とか歌舞音曲という言葉もその時に知った)
だから「平成になった」というより「天皇陛下が崩御された」というイメージが強かった。
さらに「昭和」という時代が、どうしても「天皇の名のもとでの戦争」があるため、振り返る話題も重かった。

ところが今回は「生前退位」でもあり、さらに平成天皇皇后陛下の行動により、皇室をとても身近に感じられるようになり、国民の多くが「祝意」を示した。
これから「令和」がどんな時代になるか分からない。
私の生きてきた「昭和」「平成」はもちろん、「昭和」でも「戦前」「戦後」は大きく違ったように、今までとは全く違う時代になるかもしれない。
ただ、それは急に変わるわけではない。
「江戸」から「明治」になった時でも、「西南戦争」までの10年間は試行錯誤の時期だった。
今回も、そんなふうに徐々に「令和」という時代に変化していくだろうが、こんなに「多くの国民が祝意に満ちた退位と即位、新元号の切り替え」を体験できたことは、とても有り難いことだったと思う。

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2019年5月13日 (月)

令和時代、始まる

長いGWだった。
世間では10連休と騒いでいたが、ウチの会社の場合4月30日と5月2日は、出勤日として「休める人は有給を取得してください」という感じになった。20190513
知っている人もいるだろうが、今年から企業は「年5日以上有給を取得させること」が義務付けられたし、安倍内閣主導の「働き方改革」の影響で、企業としては「社員をできるだけ休ませる」方向になっている。
とは言え、長期に企業活動を停めることに慣れていない日本企業としては、なかなかインパクトのある出来事だった。

この長いGWの間に、時代は「平成」から「令和」に変わった。
なんとなく始めたブログだったが、これで時代を「超えた」ブログとなった。

平成の終わりには平成時代を振り返るTV番組が多かったが、その中でNHKの「天皇の物語」が面白かった。
全部で4話構成だったが、敗戦を経て「象徴」の姿を追い求め続ける天皇陛下や初の民間から皇室に嫁がれた皇后陛下の話など、実に興味深かった。
特に「美智子皇后」が今の皇室に与えた影響は想像を絶するモノがありそうだ。

乳母制度をやめ、一般人と同じように自分たちの手で子育てをしたり、国民との距離感を縮めたり、でも天皇陛下のスピーチ中に暴漢が出たときには、素早く手を陛下の前に出し防御しようとしたり、本当にスゴイ方だと思ってみていた。
そして何よりスゴイと思ったのが、平成天皇の立ち居振る舞いや表情が、どんどん優しくそして国民に寄り添っていくようになったことだ。

若い皇太子時代の陛下は、椅子に座ると足を組んだり、ちょっと上から目線で周りの話を聞く姿が見られ、最近のお姿からすると、想像できない雰囲気を持っていて、近寄りがたい感じだった。
それが今では、本当に「国民に寄り添っている」お姿を体現されているようで、もちろんそれが天皇陛下の努力だったり考え方の変化だったり、いろいろあるだろうが、美智子皇后の影響が大きいかったのではないかと想像される。

私は昭和30年代の生まれだ。
今から思えば、戦後間もなくの時期で、「天皇のために命を落とした」という戦時のイメージが色濃く残っていた。
なので、学校の先生にも革新系の人が多く、どちらかと言えば「天皇制」に懐疑的もしくは反対の人が多かった。
そんな影響もあり、私自身も「たくさんの税金を使っている皇室って必要なのか?」と子供心に感じていたことを思い出す。
今でもそういう思想の人もいるだろうけれど、あの頃と比較して今は、とても「天皇」という存在を間近でそして日本人にとってかけがえのない存在と感じている人が多いのではないだろうか?
この感情の変化は、一朝一夕で成ったものではなくて、やっぱり平成天皇と美智子皇后の行動の積み重ねの成果なのだと思う。

「戦争のない時代を過ごすことができた」
そう平成天皇は述べられた。
そしてご自分たち の手で育てられ、平和の大切さを幼少時から諭され成人になられた新天皇陛下。
さらにグローバルの感覚を持って皇室に入られた新皇后陛下。

どんな令和時代になるのだろう。昭和・平成・令和の3時代を生きることになるとは、思いもしなかったなぁと考えながら、新時代を迎えた。

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2019年4月29日 (月)

子どもを題材にした親バカツールも変わる

ある時、突然娘からLINEがきた。
「婿の名前」「作」とあって、子ども姿のスタンプが貼られていた。
写真で見たことある姿だったので、「三世の姫」の写真を利用して創ったイラストだと分かった。
どうも婿が、写真をベースにして「コツコツ」と創ったようだ。
「有料スタンプ」となっていたけれど、「ジジバカ」なので、当然購入した。

そのスタンプの絵柄を見ながら、娘が生まれた頃を思い出した。Fireshot-capture-054-line-line-store-sto  
その時には、もうグラフィックデザイナーになっていたが、子どもが生まれた翌年の年賀状には、「子どもの写真」を載せて作成した。
そうしたら、先輩のディレクターから「子どもの写真を載せた年賀状を送るなんで、クリエイターとしてあるまじき行為」と言われた。
もちろん、それは冗談だったけれど、その先輩は自分の家族の写真を使った年賀状など制作せず、毎年「デザインチックな」年賀状を送ってくれた。
私自身も、ちょっと「クリエイター魂」が熱い時期でもあったので、「それもそうか?」と納得し、その後、家族の写真を使った年賀状は創らなかったが、子どもが出来るとそれを年賀状に使うのは、「親バカ」の典型的な行為だ。

その頃、よく会っていた友人は、子どもの写真を使った「テレホンカード」を作って、プレゼントしてくれた。多分、それは奥さんの方の発案だった気がするが・・・・・。
おそらく、あの頃多く親が「親バカ」としてやっていたのだろうし、制作するサービスが、あちらこちらにあったのだろう。
しかし、今では「テレホンカード」というもの自体なくなってしまい、平成生まれの人たちには、何するものなのか分からない時代になっている。

最近は「写真」そのものが「デジタルデータ」になり、インターネットなどでは「オリジナルアルバム」を簡単に制作できるようになっている。
私の二人の三世の写真も、ほとんどがデジタルである。
1番目の三世が、もうこの春で小学5年生なので、かなり大量の写真データがある。
さすがに「オリジナルアルバム」は創っていないが、最初の三世と言うこともあり、送られてくる写真データを使って、オリジナルスライドに音楽をつけてDVDに焼いたりして「ジジバカ」ぶりを発揮していた。

二人目は「姫」なので、それはそれで可愛くて写真も娘から送られてくるが、やっぱり一人目よりは量が少ない。そしてこちらもDVDを制作したりもしていない。
でも、今回のLINEスタンプの作成は、今の時代にあった「親バカ」行為なのだろう。

こうやって思い返すと、昭和から平成、そして令和へと、いつの時代も「かわいいわが子や孫」にお金を使う「親バカ」「ジジバババカ」行為はなくならないんだなと思うのであった。
ちなみに、そのLINEスタンプは、下記から購入できるので、もし良かったら、購入してみてください(これもジジバカですな)。

https://store.line.me/stickershop/product/7034760/ja

今回で平成時代のブログは終わり、次回から令和時代となる。やめずに何となく続けてきただけなのだが、時代を跨ぐブログになってしまった。次回から令和時代に突入します(と言っても、特に変わるわけではないけれど)。

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2019年4月22日 (月)

最近のクルマはどうなのか

今月から新年度が始まった。
正月に娘一家に会った時に、下の3世の姫は「幼稚園」に入れると言っていた。
最初の頃は「行きたくない」と言って泣くだろうなぁと話していたが、案の定初日は「大号泣」だったとラインが来ていた。
2日目は何とかバスに乗ったと言っていたが、いずれにしろ、娘一家には大きな変化の新年度である。
  20190401
しかし今日の話題は、まったくそれとは関係ない。
信号でクルマが停まって、発進するたびに「キュルル」という音がする。
これは「アイドリングストップ」という機能だが、あの音を聞くたびに「アイドリングストップ機能ってクルマに負荷が掛からないのか?」と思う。
私のような古い時代の人間からすると、あんなに頻繁にエンジンを停めたりかけ直したりするなんて、ちょっと考えられない。昔のクルマだったら、絶対に壊れてしまう。
 
以前に少し触れた「オートブレーキ」など、最近のクルマにはいろいろな機能が満載だ。
私のクルマには「オートライト」「オートワイパー」の機能が付いている。
ただこの機能も便利な時、不便な時と一長一短ある。
 
例えば「オートライト」
高速道路なので、連続してトンネルが続くような場合には、いちいちライトのON・OFFしなくて良いので、すごく便利だ。
でも、曇天でちょっと暗いだけでもヘッドライトが点くことがある。それだけなら良いが、それと同時に車内の照明も点くし、テレビモニタも夜間用に「ちょっと暗い画面」に切り替わってしまって見づらくなる。
 
「オートワイパー」は、もうちょっと不便だ。
フロントガラスに雨粒が結構付くようになっても、ワイパーが動かなかったり、逆にほとんど降っていないのに、突然動いたりする。
間欠ワイパーも、なかなか自分の思う間隔で動いてくれないので、ちょっと「イラッ」とすることがある。
とは言え、両方ともの機能は「運転に集中させてくれる」ので、それなりに「安全」に結びつく機能だと思っている。
 
私たちの若い頃は「何馬力」とか「キャブレターが」とか「コーナリング」とか、とにかく「走り」中心型の宣伝が多かった。
けれど最近は「快適」「安全」を全面に出している宣伝が多い。
実際クルマメーカーも「快適に移動する空間」としてクルマを開発しており、「速く走るための」道具ではなくなってきている。
  
今のクルマは今年で7年目だ。
5年目で買い換えなかったので10年くらいは乗るつもりだが、ここのところ4台続けて「ゴルフ」と言う「ドイツ」のクルマだ。
ただ次は再雇用の身なので、もう国産車の軽自動車かリッターカーくらいでないと購入できない。
それに今のクルマは「ハイオク」と言って、ちょっとガソリン代が掛かるのも10年以上乗るのも大変だ。
実際に買い換えるのはもうちょっと先だけれど、次のクルマはやっぱり「安全装備」を重視して選ばないといけないなぁと思いつつ、思い出したようにネットで「最近のクルマの情報」を眺めている状態だ。

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2019年4月15日 (月)

便利なのか?不便なのか?

この「nobulog」も、早いもので、始めてから10年以上続けてきている。20190408
これはNiftyの「ココログ」というサービスを利用しているが、先日システム・リニューアルがあった。
事前に案内はあったので知っていたが、いきなりトラブルが発生した。
いつも、登録したあとに日時を設定してタイマーで公開されるようにしている。
ところが、その時間が過ぎても公開されていない。
「おかしいな」と思い、ログインして少し操作をしたら無事に公開された。

このようなトラブルが起きるたびに思うことがある。
30年前に初めて「ワープロ」に触ったが、今の世の中は「デジタルなし」の生活が難しくなっている。
スマホにPC、ガラケイと言われるものでもネット接続が可能になり、「ネット経由」というものが特別なことではなくなっている。

そしてより便利に、より安全に使えるようになるために「リニューアル」「アップデート」と言うものが行われるが、そのたびに「憂鬱」な気分になる。
今、一番頭が痛いのは会社で使っているWindowsだ。
現在のOSはWindows7なのだが、Microsoftのサポートが今年で終了することになっている。
これは「今後、安全性は保証しませんよ」と言っていることと同じなので、OSそのものをアップデートしなくてはいけない。

私のPCは、導入時に「Windows10」のアップデートサービス付きだった。
だからOSを入れれば良いだが、単純なOSアップデートではなく「初期化」したうえで、Windows10をインストールしなくてはいけない。
これが結構、手間がかかる。

データのバックアップはもちろん、インストール後もデータ互換性の確認やアプリの不具合、プリンタやサーバとの接続状態など、今までと同じように使用できるか確認することが盛り沢山だ。
そうなると日々の業務が忙しい時などは無理だ。
1~2日くらい少し空いた時期でないと、なかなか難しい。

こんなことは、デジタル機器を使わなかった時代にはなかった悩みだが、PCにしてもスマホにしても2~3年に1回くらいは大掛かりなアップデートがある。
そのたびに「憂鬱」な気分になる。
確かにデジタル機器が生活の中に溢れ、仕事も遊びもまったく行動が違ってきて、すごく便利なことが増えた。通販なんかは、その筆頭だ。
いろいろ問題はあるが、ネットで注文すれば当日もしくは翌日には届くし、単身住まいには嬉しい日時指定もできる。世界的に見ても、アマゾンなど通販企業が経済を席巻しているということは、それだけ世界中の人が「便利」と感じている証拠だろう。

けれど、このようなアップデートなどによりトラブルに見舞われると、いったい「本当に便利になっているのかなぁ」と疑問が頭を過ぎる。
とは言え、近々アップデートをしないといけないなぁとタメ息をつく毎日である。

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2019年4月 8日 (月)

新元号「令和」発表騒動

子どもの頃、こんな体験をすると思わなかった。20190408_4
私はもちろん「昭和」生まれなのだが、「昭和」という時代はとても長かった。
昭和天皇が崩御される前に「次は何という元号になるんだろう」と話したことを覚えている。
そして「平成」になった。
「人生の中で新元号発表の瞬間を味わえると思わなかった」
とあの時は思ったが、それが2度も体験するなんて、想像もしていなかった。

そのおかげで、前回の「平成」発表との違いをとても感じることができた。
前回は「天皇陛下崩御」という日本全体が悲しみというか喪に服している最中だった。
今回は「生前退位」となったため、雰囲気からして違っていた、
まず今回のように、テレビで「〇〇時代を振り返る」とか「新元号予想」のような浮かれた番組がなかった。

さらに新元号が「令和」と発表される時も、細かくスケジュールを発表し、テレビもネットもSNSもフル稼働した。私も会社のネット経由でライブを見ていたが、発表が近くにつれ、ネットのスピードが落ち、視聴が難しくなった。
そして「令和」と発表された途端、同じ漢字の名前の人や、地名にはないとか、国内だけでなく海外の企業名まで「関連づけ」て記事にされていた。

この現象を見ていて、「昭和から平成」に変わった時とは随分違っていると感じた。
その1つは、先に書いたように前回は「崩御」を受けての改元だったが、今回は「生前退位」による改元で、どこかで少し「お祝いムード」の感じがあった。
会社でもそんな話が出て「これなら生前退位も良いよねぇ」と言う人もいたが、歴史を見てみると「権力の二重構造」を生む場合もあるので、単純に制度化するわけにはいかないだろう。
それはそれで別の課題だけれど、こんな「お祝いムード」で改元されるのは、悪いことじゃないなぁと思った。

もう1「平成」に変わった時と圧倒的に違うのはネットの普及だ。
これも先に書いたけれど、「同じ漢字の名前」「地名」「企業名」などなど、ネット時代得意の「検索機能」をフルに活用して次々ネット上に紹介されていた。
同じような傾向が、次の新聞記事にも載っていて、それを見て「ずいぶん30年前と違うなぁ」と驚いた。
そして次の日には「企業名に『令和』を入れるところが出てきた」のような便乗というか後追いの記事まで紹介されていて、もう「令和」つながりなら何でも記事になるようだった。

私の年齢から見れば、昭和には2つのイメージがある。
子ども頃は、まだまだ「戦争」に関連する議論が高く、その後「高度成長」につながり国も街も豊かになった。
平成は「災害の時代」と言われるが、今回の改元発表騒動を見ていると「ネットの急激な進歩」も特徴的な側面だろう。
さて、来月から始まる「令和」はどんな時代なのだろう。
個人的には「老後の時代」になることは間違いない。

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2019年4月 1日 (月)

訃報 萩原健一

今日から新年度、そして今日のお昼には新元号が発表される。
いよいよ平成の最後の時期になってきた。

そんな時に第一報は、風呂上りにTVを点けたときだった。 20190401
いつもはそんなことをしないのに、たまたまTVをオンにしたら、このニュースが流れていた。
「ウソッ」
これが、最初の感覚。
そのあと、私が高校時代の頃が、走馬灯のように思い出された。

「萩原健一」「ショーケン」と呼ばれるこの人は、私の同世代から見れば
「片島三郎」であり「あにき」であり「マカロニ刑事」であった。
特に「片島三郎」は、強烈である。
これは「前略おふくろ様」の役名。

今のようにネットのない時代だし、ビデオ録画もない時代だったので、毎週放送を楽しみにして、その時間に合わせて宿題をやっていた。
そして、学校に行くと「かすみちゃんが、こうだった」とか「半妻さんが、どうだった」とクラスでわいわい話したものだ。
私の同級生の中には「前略おふくろ様」に刺激され、調理師になったやつがいる。

「傷だらけの天使」も我々世代には強烈な印象だった。
水谷豊が「あきら」と呼ばれ、軟弱な若者で、いつも「あにき~」と言っては萩原健一演ずる「おさむちゃん」にくっついていた。
このドラマは、おしゃれだったし、型破りだったけれど、一番カッコよかったのはオープニングだった。

この2つのドラマは、書き出すと停まらないくらい想い出がたくさんあるし、今だってYouTubeに載っていたり、スカパーで放送されたり、時にはパロディになったりするくらいインパクトのあるものだった。
音楽も演出も脚本も周りの役者もスタッフも、すごく良かったし、贅沢な創りだったが、やっぱり萩原健一の魅力が、私たち世代を魅了させたのだろう。

破天荒でいろいろな事件も起こしたけれど、今の奥さんと出会ってからは平穏な人生のようだったし、何より私たち世代の青春時代を、楽しく彩ってくれた彼に、ありがとうと言いたい。

合   掌

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2019年3月25日 (月)

撮影できる浮世絵展に行ってきた

先日「特別展 挑む浮世絵 国芳から芳年へ」に行ってきた。
20190325
このような展覧会は、普通なら土日に出かけるが、ちょうどマンションの電器検査立会いもあり、平日に有休を取って行ってきた。
事前にHPで確認したら、この展覧会なんと「撮影可能!」
ただし以下のような注意書きが掲載されていた。
 
◎展示作品はすべて撮影OK!
本展の展示作品はすべて撮影いただけます。撮影にあたっては以下の条項をお守りください。
他の来館者の鑑賞の妨げにならないよう、ご注意ください。
他の来館者が映りこまないよう、ご注意ください。
シャッター音や周囲にご配慮の上、長時間の撮影はご遠慮ください。
会場の状況によっては撮影をご遠慮いただく場合がありますので、ご了承ください。
本展の展示作品は額装されているため、ガラスによる反射・映りこみがあります。
フラッシュ、ライトの使用は禁止。
動画の撮影は禁止。
三脚や一脚、自撮り棒等の使用は禁止。
その他、作品の保護・安全のため、当館の指示に従ってください。
 
◎撮影した画像の使用について
画像の使用は私的なものに限ります。それ以外の用途での使用は固く禁じます。
Webサイト・ブログ・SNS・電子メール等での掲載は個人での使用に限ります。
営利目的での使用は固く禁じます。
投稿や公開等の際、来館者の肖像権に触れる場合があります。ご注意ください。
画像掲載による第三者とのトラブルに関して当館では責任を負いかねます。画像の取り扱いにくれぐれもご注意ください。
 
まぁ、仕事柄、知的財産権のことは普通より詳しいので、「至極当然の注意点」と言えるのだが、普通は「撮影不可」が当たり前なので、楽しみにして行ってきた。
 
国芳は何度も見ているが、「撮影可能」は初めてで、前述のように行ったのは平日。なのに結構混んでいる。どうも最近は「江戸絵画」は人気が高く、なかでも有名な作家による「浮世絵」は大人気だ。
「北斎」「若冲」なんてビッグネームの展覧会、ものすごい入場者数になる。
 
会場に入るとさっそく「カシャ」というシャッター音が聞こえる。
これが通常だったら「なんて非常識な!」と思うのだが、今回は違う。
「じゃ、こちらも」なんて思って、スマホを手に持ったが、なにせ慣れていない。
会場係員の人の姿が気になって「そこはダメです」って怒られるのでないかと、最初はドキドキしてしまった。
 
最初に撮影したのは「吉野山合戦」という超縦長のもの。
(ここに掲載したので見てください。クリックすると大きく見えるはずです)
国芳の大判3枚連作のワイドなものはたくさん見てきたけれど、縦に長いのは初めて。
「やっぱり国芳は面白いなぁ」と思いつつ、段々撮影にも慣れてきて「おっ!」と思う作品は、出来るだけ解説付きで撮影した。
 
この展覧会は国芳だけでなく、その弟子たちのものも多く、明治以後のいわゆる「ちょっとグロ」的な作品もあった。
「怖いものは見たくない人は、飛ばしてください」とコースが分かれていたが、「せっかくだから」とそちらのコースもしっかり見てきた。
最近では残虐性の高い事件をネットやニュースで見聞きするせいか、それほど残虐とは思わなかったが、まだ写真や映像の無い時代に、血しぶきが飛び散るような浮世絵は衝撃的だったのだろう。
 
ずんずん作品を見ていき有名な「里すずめねぐらの仮宿」では、一部をズームして撮影してみた。
これは「吉原」の仮宿に冷やかしに訪れる男衆や大籬(おおまがき)越しに見える花魁たちが全部「スズメ」で描いている国芳得意の擬人画だが、いろんなポーズや表情のスズメたちが画面いっぱいに描かれているので、ズームして見るのも楽しかった。
 
気に入った展覧会では、図録集を購入することにしているが、この展覧会のお土産コーナーでは図録だけでなく、手ぬぐいなど多くのグッズが販売されていた。
怪奇ものや洒落ものは部屋に飾るかんじではないが、いかにも国芳らしい「宮本武蔵の鯨退治」の手ぬぐいを買ってきた。
久しぶりに「浮世絵展」を見たが、再雇用の身でもあるので、これからは有休を取って平日にゆっくり鑑賞するのも良いなぁとウキウキしながら帰ってきた。

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2019年3月18日 (月)

「デザイン」の範囲が違ってきた

仕事の関係で、デザイン系の専門学校の課外授業をすることがある。
最初にやったのは20年くらい前で、一時期その学校の「社会人向け講座」を受け持ったこともある。
20190318そんな流れから、3年くらい前から「ある検討会」に出席している。

詳しくは「守秘義務」があるので書けないが、学科の講師や他の企業の方も出席しての会合だ。
私はもちろん「企業側のスタッフ」として出席するのだが、私を含め他の企業の人達がまったく同じようなことを発言した。

それは「ただ絵を創るだけのデザイナーは、もう要らない」ということだ。
「グラフィックデザイン」は、昔は「図案」と呼ばれていて「ビジュアル制作の専門家」という位置付けだった。
 
私たちの若い時代、「グラフィックデザイン」「印刷物制作」にとても近い関係で、プロフェッショナルな領域だった。
しかし、デジタル化が進んだことにより「誰でも簡単に、それっぽいビジュアルができる時代」になった。この系統の話題は、このブログで何度も取り上げたが、ついに「デザインの定義」を見直す時期が来たことを、その会合では実感した。
 
ある企業の方は「とりあえず制作スタッフで入社してもらうけれど、ちゃんと考えることができる人材でないと必要ではない」と言っていた。
あるプロダクションの社長は「パッケージのデザインでも『売り方』とイメージできないと使えない」とも言っていた。
私は、常々会社の中で「ビジネスプランが理解できなければ、デザインとして使えない」と言ってきているが、他の人の発言を聞いていて「やっぱりどの企業も同じことを感じているんだ」と確信した。
 
この変化はとても重要だ。
私自身を振り返れば、学生時代に教科書のスミにマンガばかり描いていて、写真やイラストにも興味を持った。
今だって多くの若い子は「ビジュアル作りが好き」っていう子が多いだろう。
ところが社会は「ちゃんとビジネスが理解できて、考えられるデザイナーが必要」と言い出した。
そうなると「ビジュアル作りが好き」と言う子は、これからどうしたら良いのだろう?
 
グローバルな時代なので、英語がわかるデザイナーがいると良いが、そもそも英語に興味があれば「デザイナーになろう」と思わないだろう。
「デザイナーになりたい」という気持ちと社会から「こんな生徒を育ててほしい」は、大いなる矛盾を生む状態になりつつある。
 
私たちがいる企業も大きな変化にいち早く対応しなくてはいけない時代だが、学校もそうなのだと、そして今は、どの業界、どの分野、どの職業でも劇的変化が起きている真っ只中なのだと感じざるを得ない会合だった。

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2019年3月11日 (月)

選択が難しい高齢者の問題(免許証返納と認知症)

数年前から高齢者のうっかり運転での事故が話題になるようになった。
私自身、まだ60代に入ったばかりの年齢なので、大丈夫だと思っているが、昔に比べれば長距離の運転は疲れるようになった。20190311
一度なんか日帰り温泉の帰りに、高速道路でウトウトしそうになって車線からはみ出し、びっくりしたことがある。
なので、今後もしクルマを買い換えるとしたら、オートブレーキなどのセーフティシステムを搭載しているクルマにしようかと思っている。

ちょっと話題が変わる。
私は父母ともに早くに亡くしている。
私が二十歳になった年には、もう両親とも亡くなっていたから、世間的には「かなり早くに」両親を亡くしている。
ただ今この年齢になってみると「親の介護」で悩まなくて済んでいる。

いつだったか兄貴とそんな話をしたが、大抵50代くらいになると皆、「介護問題」にぶつかるが、おかげさまで、それはない。
なんて思っているうちに、今度は自分が「介護される」年代が徐々に近づきつつある。

ある時、会社でこんなことが話題になった。
「義父が75歳以上になったので、親戚や周りから『免許証返納した方が良い』と勧められて返納したら、外に出かけなくなり、あっと言う間に認知症になった」
そんな話をする人がいた。
その方は定年後も毎週、クルマで喫茶店に出かけ、昔の仕事仲間と談笑していて、免許証返納後も「電車行けば良い」と周りは勧めたそうだ。
でも、いつもクルマで動いていたからか「電車に乗ってまで行くのは」と行かなくなってしまったとか……。

また、ある人は「身体が健康なうちは働いた方が良い」というが、定年・還暦を越えてくると「そろそろのんびりしたい」というのも本音だ。
ただ朝起きて「今日は何しようか?」なんて思うような日を繰り返すのは嫌だ。
さらに今みたいに思いついて「クルマに乗って日帰り温泉」なんてことも、免許証返納したら出来ない。

そもそも自然に囲まれた日帰り温泉なんて、公共交通機関なんかで行けないところが多い。
じゃ、ずっとクルマの運転できるかと言えば、冒頭に書いたようにいつまでも若いときのように運転できるわけじゃない。
そして「危ない」と言って免許証返納したら、「出不精」「家にこもりがち」になって認知症になってしまう。
どっちを選択しても、異なる心配事が頭を駆け巡る。
まだまだ先のことだけれど、選択の難しい問題だ。

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