2018年12月10日 (月)

文章能力は大丈夫か?

昨年、夏に無事に定年となり「再雇用」になっていることは、今まで何度か書いてきている。
そんなふうに社員としての立場が変わったことと、上司である本部長、そして総務部門の思惑もあり、「お客様向けの活動」から「社員向けの広報活動」に業務がシフトしつつある。

20181203
その中でも一番負荷が大きいのは「社内報」という社員向けに情報を伝えるツールの制作がある。
いろんな部門の情報を掲載して、社員全体の共有感や啓蒙などに役立てるツールだが、その特性上、社員が作った文字原稿が送られてくることが多い。
その中には、かなり文章が怪しいものが見受けられる。
 
怪しい文章で多いのは営業部門からの原稿だ。
我が社の営業部門のスタッフは、基本「大卒」が入社している。学校のレベル差はあるにしても「大学」と言えば、一応「最高学府」なのだが、とてもそういう学校を卒業してきたと思えないような文章を書いてくる。
 
よく言われる「ら」抜き言葉は、当たり前と言うか時代の流れで「仕方ないかなぁ」と思う。
なかには全く「何を書いているか分からない」という文章もある。
ツール制作する時に、一生懸命文章を読んで、何とか語彙を汲み取って、添削して組みなおしてあげることもある。
しかし、全く「何を言おうとしているのか?」分からない文章の場合は、修正すらできないので「何を書いてあるのか分からないので、書き直してください」とコメントを付けて返す。
 
30代中版から下の若い世代は、送られてくるメールを読んでも「文章力」の無さを感じることがある。
LINEのような短い文章でやり取りするSNNが普及した影響なのか、短文ならすごく速く返してくるが、ちょっと説明的な文章になると、途端に「?」となる文章になる。
 
私も経験したから分かるが、今後、年齢や役職が上がると、どんどん「文章で報告」することが増えてくる。
そういう意味では、今の私の上司も苦しんでいて、以前はよく私に「ちょっと文章チェックして」と頼んできたが、最近は少し慣れたみたいだ。
結局、自分で努力して解決するしかないけれど、今のような文章能力だと「大丈夫か?」と思わざるを得ない。
 
と、ここまで、偉そうに書いてきたが、いつも思うことだが、「今の人たちは」という話題の時には「私たちもそう思われていたのかも」と感じる。
それでも何とかなってきているので、次の世代は次の世代なりに、何とかなっていくのだろう。
逆にそれだけ、私たちの世代は終わりつつあるのだと思うようにしている。

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2018年12月 3日 (月)

「自己責任」は街中に溢れていないか?

自転車通勤を始めてからまもなく半年近くなる。
暑かった夏を乗り切り、タイヤの空気圧を調整したら、ずいぶん乗るのに楽になった。
そのおかげがどうか分からないが、健康診断で今まで5~6箇所くらい「要注意」マークがあったのが減った。クルマで通勤するよりは運動しているということなのだろう。
 
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ところで、少し前に「ニュースの多様性」 にも載せた話題以来「自己責任」という言葉が氾濫している。
そんな言葉が耳に残った状態で、街中を自転車で走っていると「歩きスマホ」の多さに驚く。
感覚としては「2人に1人くらい」だ。
 
真正面から自転車で近づいていくのに、本当にギリギリの近さまで気づかない。
こちらも「当然気づいていないな」と思い避けながらすれ違う。
一度はちょうど曲がり角で出会い、あぶなくぶつかりそうになった。
向こうも「びっくりした」と言っていたが、「これが自転車なく、クルマだったら轢かれてるよ」と思った。
 
じゃ、自転車側はどうかというと、これまた酷い。
「スマホしながら、手放しで運転」なんて論外だが、意外とやっているのは学生が多い。
以前、女子大生がお年寄りにぶつかり、死亡させたニュースを見たが、自分は大丈夫だと思っているのだろう。
 
それと「信号無視」は多い。
自転車に乗っていると、停まるのが面倒と言う気持ちは分かるが、小さな交差点ではまず守らない。
さらに、信号のない交差点では、左右も見ずに突っ込んでいく自転車は多い。
こんなふうに「危険だなぁ」と思う自転車に乗っている人は、学生やオバサンが多く、想像だが免許とか持っていないので、交通ルールがあることすら知らないのではないだろうかと思う。
 
自転車は昔からあるし、私も子どもの頃から乗っている。
でも最近は、あの頃のとは比較にならないくらい、街中に「危険」が溢れている。
これは、「スマホ」と言う便利なツールを手に入れたことで発生した、新たな「リスク」なのだろう。
人類が「クルマや電気や暖房器具」など、便利なツールを手にすると、新たなリスクが増えることを繰り返している。
これが限界まで行くと、規制やルールができるのだが、それまではこれらのリスクを「自己責任」で片付けていて良いのだろうか?
 
おそらく、近い将来「歩きスマホ」の危険性を法的にも規制されるのではないだろうか?
そんなことを思いながら、毎日、冷や冷やしながらの自転車通勤を続けている。

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2018年11月26日 (月)

今日は昨日の続きでなく、明日は今日の続きじゃない

久しぶりにTVニュースを見て、ひっくり返った。
NHKの9時のニュースを見るまで、知らなかったので、最初は「何のニュース?」と思って見ていた。
そのまま夜10時に行われた「日産社長の会見」も見た。
20181126
 
その後、ネットや新聞で詳しく報じられていた。
今回、日産と言う企業にも「有価証券報告書の虚偽報告」という罪もあるわけだが、日本でも行われるようになっ「司法取引」により、検察に協力したとの事。
「50億円」なんて数字を言われても、ピンと来ないけれど、日本の基幹事業の1つである自動車産業に、大きな激震が走っていくことに間違いない。
 
このニュースを見て、最初に浮かんだ言葉は「驕れる者久しからず」
もっと短い言葉だと「驕る平家」ともいうが、ことわざってのは面白くて、いろんな場面に当て嵌まるものがある。
江戸時代小説を読んでいて覚えた言葉に「天網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)」があるが、今回、まさにそれだった。
 
ゴーン氏の話は金額も巨額だし、立場が雲上人なのだが、もっとスケールが小さい話になると、自分たちの周りに同じような話がゴロゴロある。
 
長くいろいろなところで働いていると、いろんな事件に出会う。
個人的な感覚としては、企業内の小さな不正は営業系、経理系が多い気がする。
私の身の回りで起きたのは、営業系が多い。
 
●大きなお客様を獲得していた担当が、伝票不正発覚し、退職した。
 
●何度も社内表彰された営業部長が、経費不正発覚し、子会社への出向になった。
 
●お客様の販促物の管理を、伝票不正により長年隠蔽。部長は退職した。
 
●在庫管理ずさんなことが発覚し、降格の上、別部署への移動となった。
 
こんなふうなことがここ数年の間で、どんどん出てくる。
なので、定年になった時に、今の私の上司である(年下だけれど)本部長は「そういうこともなく、無事に部長を終えて、定年を迎えたことは目出たいと思うよ」と言ってくれた。
ただ、こんなに次々いろいろなことが発覚したのを近くで見ていると、冒頭に挙げた「驕る者久しからず」という言葉と、「明日も今日の続きのまま、バレずに済むと思うな」という言葉が頭を過ぎる。
やっぱり「お天道様に顔向けできないような」人生を送らないことが大切だと、このビッグニュースを見て、わが身を振り返った。

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2018年11月19日 (月)

懐かしい曲、2曲発見

YouTubeで懐かしい音楽を探して聴くことは以前「YouTubeで聴く懐かしのポップス」 で書いた。
それ以来、ちょくちょくこのブログでは「懐かしい音楽」を取り上げている。
今年になってからも「愛は傷つきやすく(ヒデとロザンナ)」 「荒井由美の時代」 を話題にしたが、最近この手の話題が多いのは、やはり年齢のせいだろうか?
こう思うたびに昔、親父お袋がTVで「懐メロ」番組を懐かしそうに見ていたことを思い出すが、今まさに私自身がその年齢になったとのことだろう。

今回は2曲。
ただ、1つはBSテレビを見ていて「そう言えば、この曲好きだったなぁ」と思い出した曲。もう1つはYouTubeを見ていて「ちょっと胸がキュン」となった思い出した曲と異なる方向からの発見だった。

坂本スミ子「夜が明けて」
これは、BSテレビで「なかにし礼」の特集を放送していて、何となく見ていたらこの曲が流れて思い出した。そもそも「坂本スミ子」という人すら忘れていたが、私が子どもの頃には、よくテレビに出ていた歌唱力抜群のオバちゃんだった。

夜が明けて
作詞:なかにし礼 作曲:筒美京平

夜が明けて手さぐりをしてみた ぬけがらのとなりには だれもいない
目をあけて部屋のなか見てみた 陽がもれる窓のそば だれもいない
夢を追いかけて ひとりふかすたばこのけむり 白い白い

夜が明けて夢をみたまくらに あの人のかみの毛が ひとつのこる
テーブルの灰皿の中には あのひとのすいがらが ひとつのこる
あせたくちびるをかんで ひいたルージュの赤が つらいつらい

われた手鏡に語りかける おんなの朝は ひとりひとり

加山雄三「僕のお嫁さん」
この曲は1969年だから私がまだ小学生くらいだ。
この頃の加山雄三の曲は、今聴くと「ちょっと恥ずかしい」歌詞が満載だ。岩谷時子さんの作詞だが、時代的にそんな時代だったのだろう。
まだ未来を夢見て、恋とか愛とかも分からないけれど、憧れを持って聴いていた頃を思い出す。
「作曲:弾厚作」のクレジットが、これまた懐かしい(加山雄三のペンネームというのはあまりにも有名)。

僕のお嫁さん
作詞:岩谷時子 作曲:弾厚作 

どこにでもいそうで どうしてもいなくて 世界中探した恋人
だれよりもきれいで だれからもまけない 世界一 素敵な恋人
皮のスカートの足首がほそくて 僕にかけ足で ついてくる
おやじにも見せたい 世界中探して見つけてきた 僕の大事な娘

よわそうでつよくて 泣虫で気まぐれ 世界でも珍らしい恋人
誰にでも愛され 誰だってふりむく 世界一 かわいい恋人
くちづけしたとき 襟足にほくろが ぼくにねだるのは チョコレート
おふくろにあわせて 気に入ってもらって そしてやがて ぼくのお嫁さん

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2018年11月12日 (月)

気がつかないうちに変化する癖(へき)

60年以上生きていると、ある時「昔からそうだったっけ?」と思うことがたまにある。
そんな時、何がきっかけだったのだろうと考えると、思い当たることと、そうでない時がある。
20181105
最近、何かモノを購入しようとすると、ネットでやたら調べる。
「ネットで調べる」ようになったのは、おそらく仕事で覚えた行動だろう。
企画立案や提案を主業務だったので、例えばお客様である企業情報や、その業界の状況、競合他社情報などなど調べまくる。
さらに、いろいろなガイドラインの解説や改訂、さらに説明会情報など、かなり広範囲に調べられる。

よく「ネットで検索したけど、情報がなくて」と言う人がいるが、それは検索方法が悪い場合が多い。
インターネットの創世記には、ヒット率は低かったが、今は違う。
「あいまい検索」「複数ワード」で検索すれば、かなりのヒット率で調べたいことがわかる。

ただしネットの情報は、怪しい情報があるので、出来る限り「出典元」が明らかなものや複数のサイトの情報などで確認する。
もちろん仕事の場合は、ちゃんと「裏をとる」ことをしておかないと、信用に関わる。

昔はこのように「ネットで調べる」「仕事モード」の時のこうい行動だったが、スマホを持つようになって変化した。
スマホは持ち歩き出来るコンピュータみたいなものなので、どこにいても調べられる。
今の若い社員は、話していて分からない事があると、すぐにスマホで調べるが、これはある意味正しい使い方と言える。

と、このように「ネットで調べる」ことが手元でいつでも出来るようになると「仕事以外」のことでもやたらと調べるようになった。
例えば旅行先。例えば小説を読んで、分からない言葉。例えば史跡。

そして、この「ネットで調べる」にプラスしたのが「通販」
「あっ、これがあると良いかも」と思ったら「ネットで調べる」。そして、「通販で売ってないか?」とまた調べる。
商品説明を読んで分からないことがあれば、また「ネットで調べる」を繰り返す。
そして、機能と価格を比べて「これかな?」と思ったら、今度はまたその評価を「ネットで調べる」
こうして知らず知らずのうちに、「ネット時代の購買行動パターン」に沿った動きになっていく。

この中で、私自身の癖(へき)として「商品や機能の説明で分からない用語があると調べる」がある。
これは先に挙げた「仕事モード」の癖(へき)と個人的な性格があるのだろう。
先日も自動車保険を3社徹底的に調べて、コストパフォーマンスと信頼のバランスがよいところに、新しく乗り換えた。

知りたいことや欲しいものがあると、簡単に「手元で調べる」ことができる今。
とっても便利だけれど、これからもっとこういう行動が加速していくと、ちょっと怖い気がする。

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2018年11月 5日 (月)

近場の史跡巡り~うだつの上がる町、美濃。腹立ち訪問記

「うだつの上がる街」「無形文化遺産の和紙」で名前が知られる「美濃市」に、今月初めに行ってきた。先にちょっと怒りコメントを書いておく。
20181029
狙っていったわけじゃなくたまたまその日が「美濃和紙あかりアート展」の開催日だったことが災いの始まり。
事前にネットで調べて「美濃市観光ふれあい広場普通車駐車場」を目的地にナビで向かった。
ところが、パイロンが並んでいて誘導のおじさんが前の方に腕を振っていて入れない模様。
仕方なく進んでいっても案内の看板はなく、「うだつの上がる街並み」の角に立っていた誘導のおじさんに聞くと「小学校に停められるよ」と言われた。
で、ナビ画面を見ながら近くに行っても「案内看板」はない。
そのうち「裏道」みたいなところに入り、どうみても入り口じゃないところに出た。
そこからグランドが見えて、クルマが停めてあり、係りの誘導員が二人立っていてこちらを見ていたが、何も言わない。

「じゃここから入るのか?」と思ったら、クルマの底を摺った。「じゃ、どうするの?」と誘導員に大声で聞いても、遠くから指差すだけでよく分からない。
仕方ないので指差す方の細い道を行くと広い道にでて、やっと小学校を見つけた。
しかも「協力金500円」を取られたので「全然、案内看板もないし、そこでクルマこすったよ」と文句を言ったら「じゃあ、観光協会に言った方が良いですよ」と他人事のように言う。

クルマを降りて床下を見て、最後の細い道で脇の生垣の木で擦った跡を見たら、いくつかの線が付いている。タオルで拭いたら取れたけれど、もう腹が立って仕方ない。
なぜか、こういう田舎のイベントに行くと駐車場の案内がなく、迷うことが多い。
さらに誘導も悪く、チコちゃんじゃないけれど「ボーっとしてんじゃないよ!」と怒りたくなる誘導のオジサンが立っているだけということが多い。
普段は混まないから、慣れてないのかもしれないが、「美濃和紙あかりアート展」自体「第25回」となっていたから、もうちょっと観光客をうまく誘導する看板を立てるとか、誘導員に指示するとかして欲しいものだ。
それだけのことで、とても印象が変わると思うので、考えた方が良いとおもう。

さて、肝心の「うだつの上がる街並み」
最初に「旧今井家住宅・美濃史料館」に入ってみた。
ここでは、たまたま解説してくれる人がいて詳しくお話をしてもらった。
「障子の千鳥貼り」は初めて知ったし、見えない床の間の天井板に「屋久杉」が使用していたり、「水琴窟」のある庭があったり、大豪商の贅を尽くした住まいを見て驚いたが、逆に「こういうところにお金を使うのは粋だよね」とも思った。
それは、なんとかタウンの社長のようにタレントと札束切らして観光している写真をSNSに載せたり、宇宙旅行に行くと発表したりして大金持ちアピールへの反感かな?

その後、街並みをぶらぶら。
「美濃和紙あかりアート展」自体は夕方5時に灯りが点り、夜に掛けてがメインなので、街はまだ準備中。ただ、街並みとしては確かに「うだつ」は多いけれど、ところどころに普通の家やお店もあり、「ちょっと寂れた町」に見えてしまった。
街並みの長さは、ほんのちょっとだったけれど、「有松宿」 の方が雰囲気はあった気がする。

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2018年10月29日 (月)

ニュースの多様性

先週ニュースとネットを見ていて、立て続けに同じようなことを思った。
 
1つ目は「プリンセス駅伝での四つんばいでのタスキリレー」
最初、これはクルマの中のテレビでアナウンサーが話していたのを聴いただけだったので、「脱水症状か何かで倒れたのかな?」くらいに思っていていた。
その後、夜のニュースなどで詳しく説明されたので状況がわかった。
20181029 
最初の印象はこうだ。
「厳しい練習してきたから、『私のところでタスキを途切れさせたくない」と思ったのだろうなぁ」。
ところがその後、そのチームの監督から「あれを美談にしないでくれ」「棄権を申し出たのに、制止してくれなかった」などのコメントが出た。
 
この監督の気持ちが一番よく分かるコメントがこうだ。
「膝から血を流してまで競技するなんて、今後の彼女の身体が心配です」
タスキを繫げようとした選手の気持ちも分かるが、指導者として選手の人生までも視野に入れていることに驚いた。
だからこそ単純な「美談にしないでくれ」と言ったのだろう。
 
2つ目はフリージャーナリストの「シリアでの拘束からの解放」
これも最初の印象はこうだ。
「生きて解放されて良かったなぁ」「日本政府は身代金とか払ったのだろうか?」
とにかく「生きて解放されて良かった」感が強かった。
 
その後、彼の過去のツィッターに「自己責任で行くのだから、日本政府は邪魔をするな」と言ったコメントしていると批判も出てきた。
このコメントが真実だとすると、彼の考え方が幼稚だなと感じる。
 
「自己責任」で危険地区に行って、今回のようなことになれば国として「自己責任で行っているから、知りません」なんて言えない事くらい、大人だったら想像つくだろう。
だから、批判的なことを言われても仕方ないなぁと感じている。
 
この2つに共通するのは、「1つの方向性」だけのニュースでなく「違う方向からの」ニュースが流れたということだ。
特に2つめの話は「過去のSNSの発言」を元に、彼の「人間性やジャーナリストとしての考え方」に対する議論になり、いかにも「多面的情報時代」らしい展開になっている。
 
この「過去のSNS発言」は、時には「重箱の隅突き」のようになることがあるが、今回のような時には大きな問題点となることが分かった。
一般の人が気軽にSNSで情報発信をする時代。
時に、お見合いの事まで載せたり、付き合う相手の過去を調べたりしているなどのニュースを聞いたばかりだった。
そんなことは「くだらない」と思っていたが、今回の2つのニュースを見ていると「多様な情報」が捕まえやすい時代になったのだと大きな変化に気づくことができた。
 
「ダイバーシティ」とは多様性のことだが、「情報」にも多様性はとても大事なのだと、そのことを忘れずにネットやニュースを眺めなくてはと、2つのニュースから感じた。

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2018年10月22日 (月)

彼岸花の花嫁行列

2015年の10月に「彼岸花の土手歩き」 でこの場所を最初に訪れた話を紹介した。
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あれから、何となく毎年行っていた。
前回までのブログに書いたように、渋温泉と上田城に行った翌日で、長距離運転後で疲れていたが、時期も天気も良かったので、翌日の9月23日に行ってみた。
2015年以降、少し時期が合わなくて「まだ咲きそろっていない」とか「もう終わりかけ」という感じだった。
前回の話のように「自然が相手」は、なかなかグッドタイミングにならない。
休みや天気や開花状況など、「イマ!」というタイミングになるのは難しい。

しかし今回は「どうしようかな」と思って出かけたのに、とても良いタイミングだった。

1つは開花状況。
いつもは、満開とまだ咲いていないところと、終わってしまったところと入り乱れていたが、今回は「一面満開の彼岸花」という状況。
さらに、いつもは入り口に地元の出店がある程度だったが、今年はその横にいくつかの出店も出ていて、天気のせいもあってか、人も多い。

たくさんの人が高価な一眼レフカメラを抱えて花を撮影しているのはいつもの光景だが、今年は本当に人が多かった。
そして入り口から見える範囲全体が真っ赤に染まる彼岸花で、こんなに見事に咲いているのは初めてなんじゃないかと思った。
夏が暑かったせいもあるのだろうか?

そしてもう1つのタイミングは「花嫁行列」
毎年1組が抽選で選ばれるのだそうだが、今まで出会ったことがなかった。
それが今回はまるで狙ったように、土手を歩いていたら、向こう側からやってきた。

最初は土手下に「やけにたくさんの人がカメラを構えているなぁ」と思っていた。
「やっぱり今年は綺麗に咲いているからかな」とのんびり歩いていたら、遥か前に「赤い傘」を1本さした行列が見える。
「あれって、もしかして」と思って見ていると、やっぱり「花嫁行列」

しばらくしてすれ違う時には、周りの皆は撮影と大きな拍手で、まるで芸能人が来たような騒ぎだった。
なかには「他人の花嫁行列見て、何が面白い」と野暮なことを言っている人もいたけれど、「彼岸花と白無垢の花嫁」は絵になる風景だから、良いんじゃないかなぁと思ってカメラを向けた。

「花嫁行列」「彼岸花」の写真はコンテストにもなるようで、みんな「良い写真を」とすごいシャッター音の嵐が、これまた面白かった。

思ったように「野猿」「秋の味覚」を体験できなかったり、思わず「彼岸花と花嫁行列」に出会ったり。予定通りにならないことが出かけることの楽しさでもあると思える9月の3日間だった。

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2018年10月15日 (月)

渋温泉再び_上田城 編

2日目。
温泉に泊まる時の恒例の朝風呂に入り、朝食へ。
その後、「今日は猿が来ているかな?」とライブカメラを見たが、1頭もいない。
仕方なくあきらめてチェックアウトした。
ちなみに翌日ライブカメラを見たら、多くの猿が降りてきていた。今回は縁が(猿?)なかったなぁ。
20181015
クルマに乗って、前回寄った道の駅へ。
前回は、「ムカゴ」「ノビル」など秋の味覚満載だったが、ちょっと時期が早かったせいもあり、全然なく残念だった。どうも今回は希望通りに行かないことがいくつかあったが、その原因は季節や天候など自然が相手だから仕方ない。

「地獄谷野猿公苑」が見られなかった分、少し時間が早かったので、昔「野沢温泉」に出かけた時に寄った「高橋まゆみ人形館」へ行った。
前回はえらく混んでいたが今回はお客さんも少なくじっくり見ることができた。

そこから上田市まで高速道路で移動。
上田市について周りを山に囲まれ、広い平地のある地形を見て「ここを重要な拠点」と戦国時代に言われた理由が分かる気がした。
クルマを停め、上田城へ。

大河ドラマの「真田丸」「ブラタモリ」の影響か、すっかり観光的に整備されていたが、いろいろな城を見てきたせいか、とても興味深い城郭だった。
特に尼ヶ淵は時代の違う石垣が幾重にも重なり、初めて見る石垣群だった。
また東虎口楼門でつながる北櫓と南櫓の見学で見られた「上田戦争」のVTRは面白かった。

池波正太郎氏の「真田太平記」で読んでいるので、一次・二次の上田戦争の背景や小松姫の逸話など知っていて、結果も知っているけれど、その場所でVTRを見ながら各兵の動きを確認するのは楽しかった(かなりマニアックな楽しみ方だけれど)。
他の見学者も「分かりやすかった」と言っていたので、一般の人にも面白かったのだろう。

余談だけれど、「桶狭間」「小牧・長久手」「関が原」「大阪の陣」など戦国時代後半の大きな戦いは、ジオラマなどを使って「俯瞰」で見られると分かりやすいと思うし、その全体の流れがわかって、映画・TVや小説を読むと、また面白くなる。

上田城は大きくないけれど、博物館にも寄ったりして、夕方近くになってしまった。
出来れば「池波正太郎記念館」にも寄りたかったが、時間的にも厳しくなってしまってあきらめた。
結局「野猿公苑」「秋の味覚」「池波正太郎館」など積み残しの多い旅行だったが、「こりゃもう1回は来ないといけないかなぁ」と思い帰途に着いた。

最後にスマホアプリのカーナビで帰ったが、上田から「新和田トンネル」を通って岡谷ICまで高速道路じゃない経路で案内された。昔の「和田トンネル」は10代の終わりに仕事で通ったことがあったが、ほぼ40年ぶりにこの辺りを高速以外で運転した。
昔の「和田トンネル」は狭く、排気ガスが充満していたし、道も細く怖かったが、今はずいぶん走りやすい良い道になっていた。それだけクルマで移動する人が多くなったということなのだろう。(おわり)

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2018年10月 9日 (火)

渋温泉再び_地獄谷野猿公苑 編

先に結果を書いておくが、今回のメインの1つだった「地獄谷野猿公苑」は、猿が来ていないということで空振りに終わった。
出かけたのは、9月の後半の3連休で、初日は天気が悪く、道中ずっと雨だった。
20181009
「どうかなぁ~」と入り口まで行ったが、係りの人が「今日は1匹もいない」と話してくれた。
その頃には、雨も上がっていたが、山特有のモヤが全体に掛かっていて、何度か見学場所までの誘導を試みたが「猿が動きたがらない」とのこと。
「まぁ、動物園じゃなく自然の状況だから」と諦めた。
翌日の朝も、スマホから「ライブカメラ」を見てみたが、やっぱりいなくて、「今回は縁がなかったなぁ」と残念な結果だった。

さて、今回は2016年に行った渋温泉を再び訪ね、「地獄谷野猿公苑」「渋温泉外湯後半戦」、そして「上田城」の3つの目的で出かけた。
最初に向かったのは「地獄谷野猿公苑」
天気予報では、現地は午後から小雨もしくは雨が上がるようだったが、最初に書いたように、山全体にモヤが掛かって、「すっきり」晴れる感じにはならなかった。

それでも「せっかく来たから」とクルマを停め「公苑」まで歩き出した。
片道20~30分掛かると案内があり、駐車場からすぐの飲食店の前にいたスタッフが「今日はいないようですよ」と教えてくれた。

ずっと山の中を歩いて向かったが、帰ってくる人の半分以上が外国人。
ここでもやっぱりインバウンドの影響を感じざるを得なかった。
入り口前は「地獄谷噴泉」のすぐそば。
今まで、有馬温泉をはじめいろいろなところで、源泉場所を見たが、ここまでずっと勢い良く吹き出ている噴泉は初めてだった。
周囲はずっと硫黄の匂いがして、「大自然の贈り物」の感じが満載だった。
その後「野猿公苑」に行ったが、最初に書いたとおりで、諦めて山を降り宿泊する旅館に行った。

前回は「温泉街の入り口側だったので、今回は「一番奥側」に宿泊。
チェックインしてひと休みしたら、まだ明るい時間だったので、外湯巡りへ。
前回行けなかった「五番湯 松の湯」「六番湯 目洗いの湯」「七番湯 七操の湯」「八番湯 神明滝の湯」の4ヶ所。そのうち「六番湯 目洗いの湯」は改装中と言うことで入れなかったが、残りは全部巡ってきた。

今回、同じような順番で巡る人と「ここは熱いね」とか「あそこは、ちょうど良い湯加減だった」などと話すことがあり、こんなことも外湯巡りの面白さなのだと気づかされた。
また外人のカップルが写真を撮りながら巡っているのにも遭遇。
でも漢字が読めないのか、「巡り用の手拭い」「外湯の名称」を一生懸命見比べていたので、ちょっと声を掛けてあげた。
英語は全く分からないが、どうやら「手拭い」の表裏も分からないようで、「こっち」と手まねで教えてあげた。

その後、旅館に戻り休んで夕食へ。
そこで初めて「鯉の洗い」「鯉こく」を食べた。特に「鯉こく」は江戸時代小説などに出てくるので「へぇ~こういうのなんだ。臭みとかないんだな。」と思ったが、骨がメチャクチャ硬くてびっくりした。
お腹いっぱいで部屋でTVを見ながらゴロゴロした後、次は旅館のお風呂へ。
露天は2人入ればいっぱいの小ささだったが、渋温泉全体が見える眺望で、前回と違って楽しめた。
(つづく)

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2018年10月 1日 (月)

近場の史跡巡り~有松宿

なんだか最近は「近場の史跡巡り」がシリーズになりつつある。
それだけ、私の住んでいる地方は史跡が多いということだろう。
東海地区という場所は関西と関東と北陸と伊勢の4つの方向のクロスする重要な拠点だ。
だから戦国武将は、その拠点を抑えたかったし、徳川幕府を起こした家康も、西からの勢力に備えて、名古屋城という巨城を築いたと言われている。
20181001
若い頃は、やっぱり京都や奈良と言った観光的に有名な地域にしか史跡なんてないと思っていた。
ところが近年の歴史ブームとか、ネットの紹介などで実はとても身近なところにもあると分かってきたし、史跡巡りも回を重ねると、徐々に詳しくなって「ここも行ってみたい」と次への興味も沸く。
東京なんてその良い例で、もうそこら中に史跡があり、以前3日間ひたすら巡ってみたが、まだまだ行ってみたい所がある。

さて今回行ったのは「有松宿」
正式な宿場町ではなく、「有松」の名前で有名なのは「絞り」だ。

有松宿は五十三次の宿場ではなく 「間の宿」 であるが、特産品の有松絞りを郷土の土産にと、きそって買い求める旅人が多かったことから大繁盛した宿場であった。
 広重の「五十三次鳴海宿」はここ有松を描いたもので、絵の中の店先には有松絞りの暖簾が下がっている。(Wikipediaより)

場所は名古屋市の外れ。
だから自宅からクルマで1時間くらいの場所。
もちろん場所も名前も昔から知っていたし、近くは何度も通っている。
離婚したばかりの頃、子どもは近くに住んでいたし、一時期良く遊んだ友人もこの近くだ。
なのに、一度も行っていなかった。
最近、私の住む地方のローカルTV局で、たまたま「有松絞り」を紹介する番組を見て、「行ってみるか」と出かけてきた。

ネットで簡単なMapを手に入れ、駅近くにあったイオンにクルマを停めた。
街並みとしては、ほんのわずかしかないが、一応Mapをもらうために「観光案内所」に入った。
「どこから、お見えですか?」と聞かれ「いや、地元です」と答えると、「そういう人多いですよ。」と言われた。意外と近くからの人が多いようだ。

そして有り難いことに、天気が悪かったせいもあり、観光客も多くなく、ゆっくりと街並みを歩くことができた。
小さな街並みだけれど、「有松絞り」を扱った豪商屋敷を思わせる家がいくつかある。
その中には「うだつ」がある家もチラホラ。

テクテク歩いて「有松・鳴海絞会館」へ。
1階は「有松絞り」のお土産売り場だったが、有料となる(といっても300円だけど)2階へ。
そこはビデオ紹介に始まり、いろいろな絞りの種類や、道具、そして実演しているお婆ちゃんがいて、直接話を聞いたり出来て楽しかった。
お話を伺ったお婆ちゃんは「60歳過ぎて覚えた」と言っていて、ちょうど私の歳から始めたのかと話が盛り上がってしまった。

「絞り教室」には外人の観光客が熱心に習っていた。
「体験型の観光が増えた」と聞いていたが、教室はまさに「体験型」で、欧米の外国の人の方が、こういう日本の伝統技に詳しくなってきているかもしれない(笑)。

「有松・鳴海絞会館」を出て「有松山車会館」でお祭りに使う山車を見学。
この地方には、あちらこちらに「山車」があるが、これもこの地区の特徴でもある。
その後、遅いお昼を近くのうどん屋さんで食べて帰ってきた。
ちょっと出かけて楽しめる史跡は、まだまだある。
関ヶ原も行ってみたいし、実家近くの苗木城址にも行きたい。
年齢相応に行ってみたいところが近くにあるというのは、幸せなことだと思う今日この頃だ。

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2018年9月25日 (火)

能力に関する雑感

ちょっと今回はタイトルで迷った。
いきなり話は外れるが、正社員時代の最後はプランナーだったので、良く企画書を書いた。
企画書を書くとき、やっぱり「タイトル」は大切で、それを見るだけで、これから言うことが想像できるとか逆に、どういうことを言うのか?と興味を持ってもらうとか、とても大切なものだ。
そんな癖があるので、このブログの時もタイトルに悩むことがあるが、今回はまとまらなかったので、「雑感」として逃げたタイトルにした。

さて、本題。
今まで「能力」というキーワードで何度か話題にした。
例えば「スタッフと指揮官は違う能力」みたいな話だ。
スポーツでも、昔から「名選手=名監督でない」という言葉があるくらいだから、この「能力の違い」ってのは、昔から分かっていることなのだろう。
20180925
今年大きく話題になっている各スポーツ界で起きているパワハラ的問題の根源の一部にも「能力の違い」があるのでないだろうか?
組織が大きくなればなるほど「選手として実績がある」というだけの能力では適切な管理が難しくなる。

そしてこの話は企業にもつながる。
日本の企業の大部分を占める「中小企業」の経営者の多くは「血縁で経営者になる」「社員としての実績から経営者になる」のどちらかだと思う。
わが社の場合、先代は前者の「血縁」で、今は後者の「社員実績」からトップになっている。

話は変わる。
一般の人は知らないだろうが、今、企業は「責任の明確性」を法的に突き付けられている。
「企業レポートのガイドライン」や企業経営に関する法規制である「ガバナンス・コード」など、どんどん企業が「責任」という名の鎖にがんじがらめになっている。
具体的には「この役員は、なぜ役員となる経緯と理由を述べよ」とか「最高執行機関(一般には役員会)に参加する人の情報を公開せよ」などがある。
これは例のスポーツ団体も同じことで、そういう時代になっている。
TVの芸能人コメンテーターは、そんなことも知らずに「昔は通用したが今は時代が違う」と言うが、明確に取り巻く状況が変わっていることは確かだ。

仕事の関係である興味深いレポートを読んだ。
「欧米には経営のプロがいるが、日本にはいない」
欧米の場合、経営のプロが経営層になり「企業価値を向上」させ、企業を売却し利益を得る。
だから経営層は「価値」を上げるために、経営ノウハウを駆使するし、その分野の知識を学びスキル向上をする。そして「価値」下がれば、その全責任は経営層にあると明確にされる。
だからこそ欧米の経営層のギャラは高額だ。

ところが日本は「社長」になるのが、多くの場合「ゴール」になってしまっている。
そして日本の経営層のギャラは低い。そりゃそうだ。「責任」が明確になっていないから。
ここに「欧米の企業と日本企業との大きな違いがある」とのことだった。

これを読んで、とても腑に落ちた。
「ゴール」に着いてしまった人に「これからの展望」など望めるはずもない。
なのに社員は「トップの方針を知りたい」と言う。
それに「社員としては優秀」な人が「経営として優秀」とは限らない。
そう求められる「能力」が違うから。

今までは何とか誤魔化せてきたけれど、「責任」ということを明確にしようとしてきた時代には、もう誤魔化せない。
「能力」が違うから、もう無理だというのが正しいのだろう。

最近のわが社を含めた中小企業やスポーツ団体の右往左往の状況を見ていると、表面のゴシップ的な話題より、こんな根源的な課題に気づくようになったのは、年のせいか仕事のせいか?
こういう状態を「時代が変わってきた」と感じるのは、やっぱり60歳という年齢がそうさせるのだろうか?
今までの人も、これくらいの年齢になると「時代が変わってきた」と感じてきたのだろうか?
いずれにしても「能力」がないものが、異なる能力の実績で上にいると不幸な状態になる時代だということは、確かなようだ。

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2018年9月18日 (火)

2018夏、近場の史跡巡り(その2)

前回の続き。

[鳳来寺山]
ここもずっと行きたかったところ。
近くの日帰り温泉には行くのに、そこからまた奥深い位置にあるので、なかなか行けなかった。
今回、行く事を決めたキッカケは「鳳来寺山東照宮」があることを知ったから。
20190918
今年の3月に「日光東照宮」 に行ったが、今まで「久能山」「和歌山」「上野」と全国各地にある「東照宮」のうちの有名処に行っている。
だから「これは行かねば」と思い、夏季休暇を利用して行って来た。

最近は行く前に、スマホアプリで道順や駐車場を調べる。
このことを書くたびに言っているが、本当に便利な時代になったものだ。
ところが「鳳来寺山」を調べると「パークウエイ」側には駐車場があるが、「表参道」側がどうなっているか分からない。
さらに「表参道」側から行くと1400段の石段を登らないと行けないらしく、ここもやはり「パークウエイ」側でラクすることにした。

鳳来寺(ほうらいじ)は、愛知県新城市の鳳来寺山の山頂付近にある真言宗五智教団の寺院。本尊は開山の利修作とされる薬師如来。
参道の石段の数が1,425段あり、徳川家光によって建てられた仁王門は国の重要文化財である。また、愛知県の県鳥であるコノハズク(仏法僧)の寺としても有名である。(Wikipediaより)

パークウエイの頂上が駐車場になっていて、そこにクルマを停め、鳳来寺方面に歩いていく。
この日も暑かったけれど、木陰に入るとちょっと涼しい。
またその道から見える風景も、ずっと続く山並みで、いかに山奥に入っているかも実感できる。
10分くらい歩くと「鳳来寺山東照宮」に到着。

そんなに大きくなかったけれど、大きな樹木に囲まれた幽玄な雰囲気が、他の東照宮と比較して図抜けていた。
今風的な言い方をすれば「パワースポット感満載」な空間で、ずっとそこに佇んでいたい感じだった。
それに、さすがにここまで外国の観光客もいないし、騒ぎまくる子供連れの観光客もいない。
家族連れで来ていても、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に来ていて、やんちゃな子どもはおらず、静かに雰囲気を味わえたことが一番良かった。

そこからまた少し歩くと、今度は「鳳来寺」に。
ここに本殿があるけれど、後ろにそびえる岩肌や山頂を見ると「山全体が寺域なのだ」とはっきりと分かる。
歴史的に1300年も前なので、いろいろ朽ちてしまっていたが、またそれが雰囲気を醸し出して、苔生した石仏群など、ちょっとした観光ポスター的な写真素材となりそうだった。

「パークウエイ」はラクだったけれど、重文の「仁王門」は表参道側から行かないと、石段の往復が必要になる。
なので、一旦駐車場に戻り、今度は表参道側へ。
食事処に大きな駐車場があったので、そこに停めて、仁王門を目指して歩く。
麓の集落を抜け、「鳳来寺」の石碑が入り口となり、そこから深い森の石段が続く。
15分くらいで「仁王門」に到着したが、とにかく「鳳来寺山」そのものの幽玄な雰囲気がすごく、苔生した石段、大きな樹木の緑などに身体中囲まれる感じだった。

クルマで1時間半くらいのところに、こんな雰囲気の良いところがあるんだと今さら思ったが、出来れば今のまま、多くの観光客に荒らされずに、この幽玄な雰囲気を持ち続けて欲しい場所ものだ。
「仁王門」から引き返し始めたら、また雨。
どうもこの夏の休みは、天候の不安定さに泣かされる。
とは言え、今回も気持ちよい程度に濡れただけで、クルマに到着。
遅いお昼ご飯を食べて帰路に着いた。

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2018年9月10日 (月)

2018夏、近場の史跡巡り(その1)

前回、今年の夏季休暇のメインイベントとして「ペルセウス座流星群」観望の準備とその結末を書いた。
流星群や天の川を見るには、「雲がなく、月がなく、本当の晴天」でないと無理なのだが、史跡巡りをするのは、「雨」さえ降らなければ行ける。
とは言え、日本中が大移動の真っ最中である夏季休暇中は、遠方へ出かけるのは「渋滞に遭いに行く」ようなもの。
ということで、今年は、前から行きたいと思っていて、とても近いのになかなか行っていない史跡を訪ねた。
20180910
[岐阜城]
今年のGWに「近場の城巡り~清洲城と小牧山城」 に行った時には「次は」と思っていたのがこの「岐阜城」。
「小牧山城」「清洲城」「岐阜城」に共通するのは、「織田信長」の居城であったこと。
特に「岐阜城」「楽市楽座」「天下布武」といった信長の代名詞のような出来事の発祥の場でもある。

知っている人もいると思うが、「岐阜城」は金華山という山の頂上にある。
なので、近くまでは何度も行っていても、なかなか登っていない。さらに「コンクリートの復元天守」ということで、以前はそんなに興味がなかったので、本当に近くにあって、歴史的にも重要な拠点なのに、今まで訪れることのないままだった。

クルマで麓まで行き、お盆休み中と言うことで近くのパーキングは満車だったが、少し離れた無料の川べりパーキングは空いていたので、そこに停めて麓のロープウエイ乗り場まで歩いた。
「岐阜城」にはロープウエイ以外にも歩いて登る「登山道」も複数ある。
でも、「真夏の暑い盛り」、しかも「日頃の運動不足」ということで「ロープウエイ」を選択した。

往復チケットを買って、乗り場入り口に行くと「ただいま20分待ち」と掲示されていた。
さすがお盆休み中だ。仕方ないので、並んでやっと乗車。
「ロープウエイ」で天守まで登るのは、ちょうど1年前の「松山城」 以来。
乗り口のすぐ近くに「信長公居館跡」が見える。これは「帰りに寄らねば」と思いつつ、あっという間に上に到着。

とは言え、そこから天守閣のある頂上までまだまだ登らないといけない。
そして、今まで訪れた天守閣と決定的に違うのは、天守閣までの道が狭く険しいこと。
これは戦国時代と言う古さのせいか、金華山と言う険しい山のせいか?

やっと天守閣に到着し、眼下に岐阜の街並みを眺めたり、展示物を眺めたりした。
岐阜の山側から黒い雲がやってきて、今にも雨が降りそうになったので、スマホで「雨雲レーダー」で確認しようとしたら、電波が届いていない!
「うそ~~、これって高さの問題?」
仕方なく雨の心配をしながら展望レストランでラーメンを食べて、下りのロープウエイへ。
またまたここで「20分」ほど並び、無事に下まで降りてきた。

その後、「信長公居館跡」を見学。
多くの観光客は、さっさと帰っていくけれど、発掘調査のニュースなどを見ていたので「これはぜひとも」と誰もいない「信長公居館跡」をゆっくりと見た。
この「信長公居館」は、場所を見ると、その防御力がわかる。
館の後ろは険しい岩肌で、とても後ろから攻められない。金華山という自然の砦が、この館を守っていることが今の時代になっても感じられる。

このあたりで雨が降り出した。
ただ、暑いせいもあり「まぁ、少し濡れても良いか」と思い、歩いて駐車場まで。
途中「護国神社」にも足を止め、終戦記念日が近いせいもあり、今の平和に感謝のお参りをして帰ってきた。(つづく)

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2018年9月 3日 (月)

星空鑑賞、再び。でも……

今まで、ほんの「チラッ」としか書かなかったが大昔、星の写真を撮影することを趣味にしていた時期があった。
その時のきっかけは「ハレー彗星」の大接近がとても話題になったことだったような記憶がある。
元々、田舎の育ちなので、冬には「オリオン座」がとても綺麗に見え、夜空には興味がある方だった。
20180903
熱しにくいが、やり始めると凝る性質である。
ただし、裕福な家でもないし、高収入者でもないので「出来るだけお金を掛けずに」やるタイプだ。
今のようにネットが発達していない時代なので、星の動きを追尾しながら撮影する「赤道儀」を求めて、いろいろな店に行ったり、何とか自作できないかと考えたりしていた。

毎月のように雑誌を購入して、綺麗な星の写真をうっとりと眺めたり、望遠鏡をガイドに一眼レフで追尾撮影出来るようにして、撮影に出かけていったりした。
しかし、都会に住んでいると「星空が見える場所」を探すのがとても大変だ。

会社勤めしているので、出来れば次の日が休みの日に撮影に行きたい。
でも、その日にうまく晴れるとは限らない。
通常の晴れと違い「雲」が流れてくると上手く撮影できないので、かなりの好天に限られる。
さらに、「月」の明かりのない日でないと行けない。
「月」というのは意外と明るく、一度月夜を撮影したら、夜空が青空のように明るくなったことがある。

そして、やっとタイミングがあって撮影に出かけても、カップルがクルマに乗ってデートに来たりする。
こちらも機材があるので、クルマを停められるところを探していくのだが、目的は違ってもカップルが望む場所も同じような条件となる。
そこに「ヘッドライト」を点けたクルマが来たりすると、何十分も掛けて撮影していたのに、ライトが入って「撮影失敗」になる。
綺麗に星空を映すには1回30分とかシャッターを開けっ放しにする必要があるから、その苦労は並大抵じゃない。
そして、フィルムの時代なので、現像してみたら失敗写真が多くがっかりしたことも数多い。

そんなことを繰り返すうちに、何となく足が遠くなってやめてしまったが、「流星群」とか「○○彗星」などの話題が出ると気にするし、見に行ける条件の場合は行くこともあった。
しかし、夏休みの時期には毎年「ペルセウス座流星群」が見ごろとなることは知っている。
調べてみたら、今年は新月で月の明かりもなく見やすいらしく「久しぶりに行って見るか」と思ったが、「せっかく行くなら撮影したいな」と思い付いてしまった。

赤道儀を使用しての星の動きを追尾しての撮影は無理としても、スマホで気軽に撮れないか?と考えネットで調べてみる。
以前と違って、とても簡単に調べられることは、とても有り難い。
「そうそう星座早見表がいるなあぁ」とアプリで星座表を探すと、AR機能付で、その方角を向けるだけで、星座がわかる便利なものを発見。
次は撮影アプリ。スマホにあるカメラではシャッターを開放に出来ないが、30秒くらいのバルブ撮影ができるアプリを発見。
経験上「30秒」あれば星が綺麗な場所で撮影すれば、それなりに映る。

あとは赤い懐中電灯。
通常の懐中電灯だと明るすぎて、目が暗さに慣れるまでに時間が掛かる。
だから赤い光の懐中電灯が必要なのだが、これは自転車の後部灯用のLED電灯を100円ショップで発見してゲット。

さらに、星空を見るのには、双眼鏡が良い。
昔使っていた双眼鏡を出してみたら、グリップがぬるぬるになってしまって使い物にならない。仕方ないので、1000円位のモノを買い直した。
カメラ用の三脚は小さいのはあるから、スマホを固定できるツールをこれもネットで探して取り寄せた。

これで撮影準備は整い、あとは夏季休暇を待つばかり。
ところが休みに入った途端、大気は不安定になり、それまで連日の晴天が嘘のように、雲が出たり、雷が鳴ったりとなってしまった。
目当ての「ペルセウス座流星群」の極大日(一番良く見える日)は、見渡す限り一面の雲という天気。
残念ながら今回は見ることが出来なかった。
でも、手軽に鑑賞に出かけたり撮影するグッズは揃えたので、これからまた少し星空鑑賞に出かけてみようかなと思っている。

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