2018年10月15日 (月)

渋温泉再び_上田城 編

2日目。
温泉に泊まる時の恒例の朝風呂に入り、朝食へ。
その後、「今日は猿が来ているかな?」とライブカメラを見たが、1頭もいない。
仕方なくあきらめてチェックアウトした。
ちなみに翌日ライブカメラを見たら、多くの猿が降りてきていた。今回は縁が(猿?)なかったなぁ。
20181015
クルマに乗って、前回寄った道の駅へ。
前回は、「ムカゴ」「ノビル」など秋の味覚満載だったが、ちょっと時期が早かったせいもあり、全然なく残念だった。どうも今回は希望通りに行かないことがいくつかあったが、その原因は季節や天候など自然が相手だから仕方ない。

「地獄谷野猿公苑」が見られなかった分、少し時間が早かったので、昔「野沢温泉」に出かけた時に寄った「高橋まゆみ人形館」へ行った。
前回はえらく混んでいたが今回はお客さんも少なくじっくり見ることができた。

そこから上田市まで高速道路で移動。
上田市について周りを山に囲まれ、広い平地のある地形を見て「ここを重要な拠点」と戦国時代に言われた理由が分かる気がした。
クルマを停め、上田城へ。

大河ドラマの「真田丸」「ブラタモリ」の影響か、すっかり観光的に整備されていたが、いろいろな城を見てきたせいか、とても興味深い城郭だった。
特に尼ヶ淵は時代の違う石垣が幾重にも重なり、初めて見る石垣群だった。
また東虎口楼門でつながる北櫓と南櫓の見学で見られた「上田戦争」のVTRは面白かった。

池波正太郎氏の「真田太平記」で読んでいるので、一次・二次の上田戦争の背景や小松姫の逸話など知っていて、結果も知っているけれど、その場所でVTRを見ながら各兵の動きを確認するのは楽しかった(かなりマニアックな楽しみ方だけれど)。
他の見学者も「分かりやすかった」と言っていたので、一般の人にも面白かったのだろう。

余談だけれど、「桶狭間」「小牧・長久手」「関が原」「大阪の陣」など戦国時代後半の大きな戦いは、ジオラマなどを使って「俯瞰」で見られると分かりやすいと思うし、その全体の流れがわかって、映画・TVや小説を読むと、また面白くなる。

上田城は大きくないけれど、博物館にも寄ったりして、夕方近くになってしまった。
出来れば「池波正太郎記念館」にも寄りたかったが、時間的にも厳しくなってしまってあきらめた。
結局「野猿公苑」「秋の味覚」「池波正太郎館」など積み残しの多い旅行だったが、「こりゃもう1回は来ないといけないかなぁ」と思い帰途に着いた。

最後にスマホアプリのカーナビで帰ったが、上田から「新和田トンネル」を通って岡谷ICまで高速道路じゃない経路で案内された。昔の「和田トンネル」は10代の終わりに仕事で通ったことがあったが、ほぼ40年ぶりにこの辺りを高速以外で運転した。
昔の「和田トンネル」は狭く、排気ガスが充満していたし、道も細く怖かったが、今はずいぶん走りやすい良い道になっていた。それだけクルマで移動する人が多くなったということなのだろう。(おわり)

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2018年10月 9日 (火)

渋温泉再び_地獄谷野猿公苑 編

先に結果を書いておくが、今回のメインの1つだった「地獄谷野猿公苑」は、猿が来ていないということで空振りに終わった。
出かけたのは、9月の後半の3連休で、初日は天気が悪く、道中ずっと雨だった。
20181009
「どうかなぁ~」と入り口まで行ったが、係りの人が「今日は1匹もいない」と話してくれた。
その頃には、雨も上がっていたが、山特有のモヤが全体に掛かっていて、何度か見学場所までの誘導を試みたが「猿が動きたがらない」とのこと。
「まぁ、動物園じゃなく自然の状況だから」と諦めた。
翌日の朝も、スマホから「ライブカメラ」を見てみたが、やっぱりいなくて、「今回は縁がなかったなぁ」と残念な結果だった。

さて、今回は2016年に行った渋温泉を再び訪ね、「地獄谷野猿公苑」「渋温泉外湯後半戦」、そして「上田城」の3つの目的で出かけた。
最初に向かったのは「地獄谷野猿公苑」
天気予報では、現地は午後から小雨もしくは雨が上がるようだったが、最初に書いたように、山全体にモヤが掛かって、「すっきり」晴れる感じにはならなかった。

それでも「せっかく来たから」とクルマを停め「公苑」まで歩き出した。
片道20~30分掛かると案内があり、駐車場からすぐの飲食店の前にいたスタッフが「今日はいないようですよ」と教えてくれた。

ずっと山の中を歩いて向かったが、帰ってくる人の半分以上が外国人。
ここでもやっぱりインバウンドの影響を感じざるを得なかった。
入り口前は「地獄谷噴泉」のすぐそば。
今まで、有馬温泉をはじめいろいろなところで、源泉場所を見たが、ここまでずっと勢い良く吹き出ている噴泉は初めてだった。
周囲はずっと硫黄の匂いがして、「大自然の贈り物」の感じが満載だった。
その後「野猿公苑」に行ったが、最初に書いたとおりで、諦めて山を降り宿泊する旅館に行った。

前回は「温泉街の入り口側だったので、今回は「一番奥側」に宿泊。
チェックインしてひと休みしたら、まだ明るい時間だったので、外湯巡りへ。
前回行けなかった「五番湯 松の湯」「六番湯 目洗いの湯」「七番湯 七操の湯」「八番湯 神明滝の湯」の4ヶ所。そのうち「六番湯 目洗いの湯」は改装中と言うことで入れなかったが、残りは全部巡ってきた。

今回、同じような順番で巡る人と「ここは熱いね」とか「あそこは、ちょうど良い湯加減だった」などと話すことがあり、こんなことも外湯巡りの面白さなのだと気づかされた。
また外人のカップルが写真を撮りながら巡っているのにも遭遇。
でも漢字が読めないのか、「巡り用の手拭い」「外湯の名称」を一生懸命見比べていたので、ちょっと声を掛けてあげた。
英語は全く分からないが、どうやら「手拭い」の表裏も分からないようで、「こっち」と手まねで教えてあげた。

その後、旅館に戻り休んで夕食へ。
そこで初めて「鯉の洗い」「鯉こく」を食べた。特に「鯉こく」は江戸時代小説などに出てくるので「へぇ~こういうのなんだ。臭みとかないんだな。」と思ったが、骨がメチャクチャ硬くてびっくりした。
お腹いっぱいで部屋でTVを見ながらゴロゴロした後、次は旅館のお風呂へ。
露天は2人入ればいっぱいの小ささだったが、渋温泉全体が見える眺望で、前回と違って楽しめた。
(つづく)

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2018年10月 1日 (月)

近場の史跡巡り~有松宿

なんだか最近は「近場の史跡巡り」がシリーズになりつつある。
それだけ、私の住んでいる地方は史跡が多いということだろう。
東海地区という場所は関西と関東と北陸と伊勢の4つの方向のクロスする重要な拠点だ。
だから戦国武将は、その拠点を抑えたかったし、徳川幕府を起こした家康も、西からの勢力に備えて、名古屋城という巨城を築いたと言われている。
20181001
若い頃は、やっぱり京都や奈良と言った観光的に有名な地域にしか史跡なんてないと思っていた。
ところが近年の歴史ブームとか、ネットの紹介などで実はとても身近なところにもあると分かってきたし、史跡巡りも回を重ねると、徐々に詳しくなって「ここも行ってみたい」と次への興味も沸く。
東京なんてその良い例で、もうそこら中に史跡があり、以前3日間ひたすら巡ってみたが、まだまだ行ってみたい所がある。

さて今回行ったのは「有松宿」
正式な宿場町ではなく、「有松」の名前で有名なのは「絞り」だ。

有松宿は五十三次の宿場ではなく 「間の宿」 であるが、特産品の有松絞りを郷土の土産にと、きそって買い求める旅人が多かったことから大繁盛した宿場であった。
 広重の「五十三次鳴海宿」はここ有松を描いたもので、絵の中の店先には有松絞りの暖簾が下がっている。(Wikipediaより)

場所は名古屋市の外れ。
だから自宅からクルマで1時間くらいの場所。
もちろん場所も名前も昔から知っていたし、近くは何度も通っている。
離婚したばかりの頃、子どもは近くに住んでいたし、一時期良く遊んだ友人もこの近くだ。
なのに、一度も行っていなかった。
最近、私の住む地方のローカルTV局で、たまたま「有松絞り」を紹介する番組を見て、「行ってみるか」と出かけてきた。

ネットで簡単なMapを手に入れ、駅近くにあったイオンにクルマを停めた。
街並みとしては、ほんのわずかしかないが、一応Mapをもらうために「観光案内所」に入った。
「どこから、お見えですか?」と聞かれ「いや、地元です」と答えると、「そういう人多いですよ。」と言われた。意外と近くからの人が多いようだ。

そして有り難いことに、天気が悪かったせいもあり、観光客も多くなく、ゆっくりと街並みを歩くことができた。
小さな街並みだけれど、「有松絞り」を扱った豪商屋敷を思わせる家がいくつかある。
その中には「うだつ」がある家もチラホラ。

テクテク歩いて「有松・鳴海絞会館」へ。
1階は「有松絞り」のお土産売り場だったが、有料となる(といっても300円だけど)2階へ。
そこはビデオ紹介に始まり、いろいろな絞りの種類や、道具、そして実演しているお婆ちゃんがいて、直接話を聞いたり出来て楽しかった。
お話を伺ったお婆ちゃんは「60歳過ぎて覚えた」と言っていて、ちょうど私の歳から始めたのかと話が盛り上がってしまった。

「絞り教室」には外人の観光客が熱心に習っていた。
「体験型の観光が増えた」と聞いていたが、教室はまさに「体験型」で、欧米の外国の人の方が、こういう日本の伝統技に詳しくなってきているかもしれない(笑)。

「有松・鳴海絞会館」を出て「有松山車会館」でお祭りに使う山車を見学。
この地方には、あちらこちらに「山車」があるが、これもこの地区の特徴でもある。
その後、遅いお昼を近くのうどん屋さんで食べて帰ってきた。
ちょっと出かけて楽しめる史跡は、まだまだある。
関ヶ原も行ってみたいし、実家近くの苗木城址にも行きたい。
年齢相応に行ってみたいところが近くにあるというのは、幸せなことだと思う今日この頃だ。

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2018年9月25日 (火)

能力に関する雑感

ちょっと今回はタイトルで迷った。
いきなり話は外れるが、正社員時代の最後はプランナーだったので、良く企画書を書いた。
企画書を書くとき、やっぱり「タイトル」は大切で、それを見るだけで、これから言うことが想像できるとか逆に、どういうことを言うのか?と興味を持ってもらうとか、とても大切なものだ。
そんな癖があるので、このブログの時もタイトルに悩むことがあるが、今回はまとまらなかったので、「雑感」として逃げたタイトルにした。

さて、本題。
今まで「能力」というキーワードで何度か話題にした。
例えば「スタッフと指揮官は違う能力」みたいな話だ。
スポーツでも、昔から「名選手=名監督でない」という言葉があるくらいだから、この「能力の違い」ってのは、昔から分かっていることなのだろう。
20180925
今年大きく話題になっている各スポーツ界で起きているパワハラ的問題の根源の一部にも「能力の違い」があるのでないだろうか?
組織が大きくなればなるほど「選手として実績がある」というだけの能力では適切な管理が難しくなる。

そしてこの話は企業にもつながる。
日本の企業の大部分を占める「中小企業」の経営者の多くは「血縁で経営者になる」「社員としての実績から経営者になる」のどちらかだと思う。
わが社の場合、先代は前者の「血縁」で、今は後者の「社員実績」からトップになっている。

話は変わる。
一般の人は知らないだろうが、今、企業は「責任の明確性」を法的に突き付けられている。
「企業レポートのガイドライン」や企業経営に関する法規制である「ガバナンス・コード」など、どんどん企業が「責任」という名の鎖にがんじがらめになっている。
具体的には「この役員は、なぜ役員となる経緯と理由を述べよ」とか「最高執行機関(一般には役員会)に参加する人の情報を公開せよ」などがある。
これは例のスポーツ団体も同じことで、そういう時代になっている。
TVの芸能人コメンテーターは、そんなことも知らずに「昔は通用したが今は時代が違う」と言うが、明確に取り巻く状況が変わっていることは確かだ。

仕事の関係である興味深いレポートを読んだ。
「欧米には経営のプロがいるが、日本にはいない」
欧米の場合、経営のプロが経営層になり「企業価値を向上」させ、企業を売却し利益を得る。
だから経営層は「価値」を上げるために、経営ノウハウを駆使するし、その分野の知識を学びスキル向上をする。そして「価値」下がれば、その全責任は経営層にあると明確にされる。
だからこそ欧米の経営層のギャラは高額だ。

ところが日本は「社長」になるのが、多くの場合「ゴール」になってしまっている。
そして日本の経営層のギャラは低い。そりゃそうだ。「責任」が明確になっていないから。
ここに「欧米の企業と日本企業との大きな違いがある」とのことだった。

これを読んで、とても腑に落ちた。
「ゴール」に着いてしまった人に「これからの展望」など望めるはずもない。
なのに社員は「トップの方針を知りたい」と言う。
それに「社員としては優秀」な人が「経営として優秀」とは限らない。
そう求められる「能力」が違うから。

今までは何とか誤魔化せてきたけれど、「責任」ということを明確にしようとしてきた時代には、もう誤魔化せない。
「能力」が違うから、もう無理だというのが正しいのだろう。

最近のわが社を含めた中小企業やスポーツ団体の右往左往の状況を見ていると、表面のゴシップ的な話題より、こんな根源的な課題に気づくようになったのは、年のせいか仕事のせいか?
こういう状態を「時代が変わってきた」と感じるのは、やっぱり60歳という年齢がそうさせるのだろうか?
今までの人も、これくらいの年齢になると「時代が変わってきた」と感じてきたのだろうか?
いずれにしても「能力」がないものが、異なる能力の実績で上にいると不幸な状態になる時代だということは、確かなようだ。

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2018年9月18日 (火)

2018夏、近場の史跡巡り(その2)

前回の続き。

[鳳来寺山]
ここもずっと行きたかったところ。
近くの日帰り温泉には行くのに、そこからまた奥深い位置にあるので、なかなか行けなかった。
今回、行く事を決めたキッカケは「鳳来寺山東照宮」があることを知ったから。
20190918
今年の3月に「日光東照宮」 に行ったが、今まで「久能山」「和歌山」「上野」と全国各地にある「東照宮」のうちの有名処に行っている。
だから「これは行かねば」と思い、夏季休暇を利用して行って来た。

最近は行く前に、スマホアプリで道順や駐車場を調べる。
このことを書くたびに言っているが、本当に便利な時代になったものだ。
ところが「鳳来寺山」を調べると「パークウエイ」側には駐車場があるが、「表参道」側がどうなっているか分からない。
さらに「表参道」側から行くと1400段の石段を登らないと行けないらしく、ここもやはり「パークウエイ」側でラクすることにした。

鳳来寺(ほうらいじ)は、愛知県新城市の鳳来寺山の山頂付近にある真言宗五智教団の寺院。本尊は開山の利修作とされる薬師如来。
参道の石段の数が1,425段あり、徳川家光によって建てられた仁王門は国の重要文化財である。また、愛知県の県鳥であるコノハズク(仏法僧)の寺としても有名である。(Wikipediaより)

パークウエイの頂上が駐車場になっていて、そこにクルマを停め、鳳来寺方面に歩いていく。
この日も暑かったけれど、木陰に入るとちょっと涼しい。
またその道から見える風景も、ずっと続く山並みで、いかに山奥に入っているかも実感できる。
10分くらい歩くと「鳳来寺山東照宮」に到着。

そんなに大きくなかったけれど、大きな樹木に囲まれた幽玄な雰囲気が、他の東照宮と比較して図抜けていた。
今風的な言い方をすれば「パワースポット感満載」な空間で、ずっとそこに佇んでいたい感じだった。
それに、さすがにここまで外国の観光客もいないし、騒ぎまくる子供連れの観光客もいない。
家族連れで来ていても、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に来ていて、やんちゃな子どもはおらず、静かに雰囲気を味わえたことが一番良かった。

そこからまた少し歩くと、今度は「鳳来寺」に。
ここに本殿があるけれど、後ろにそびえる岩肌や山頂を見ると「山全体が寺域なのだ」とはっきりと分かる。
歴史的に1300年も前なので、いろいろ朽ちてしまっていたが、またそれが雰囲気を醸し出して、苔生した石仏群など、ちょっとした観光ポスター的な写真素材となりそうだった。

「パークウエイ」はラクだったけれど、重文の「仁王門」は表参道側から行かないと、石段の往復が必要になる。
なので、一旦駐車場に戻り、今度は表参道側へ。
食事処に大きな駐車場があったので、そこに停めて、仁王門を目指して歩く。
麓の集落を抜け、「鳳来寺」の石碑が入り口となり、そこから深い森の石段が続く。
15分くらいで「仁王門」に到着したが、とにかく「鳳来寺山」そのものの幽玄な雰囲気がすごく、苔生した石段、大きな樹木の緑などに身体中囲まれる感じだった。

クルマで1時間半くらいのところに、こんな雰囲気の良いところがあるんだと今さら思ったが、出来れば今のまま、多くの観光客に荒らされずに、この幽玄な雰囲気を持ち続けて欲しい場所ものだ。
「仁王門」から引き返し始めたら、また雨。
どうもこの夏の休みは、天候の不安定さに泣かされる。
とは言え、今回も気持ちよい程度に濡れただけで、クルマに到着。
遅いお昼ご飯を食べて帰路に着いた。

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2018年9月10日 (月)

2018夏、近場の史跡巡り(その1)

前回、今年の夏季休暇のメインイベントとして「ペルセウス座流星群」観望の準備とその結末を書いた。
流星群や天の川を見るには、「雲がなく、月がなく、本当の晴天」でないと無理なのだが、史跡巡りをするのは、「雨」さえ降らなければ行ける。
とは言え、日本中が大移動の真っ最中である夏季休暇中は、遠方へ出かけるのは「渋滞に遭いに行く」ようなもの。
ということで、今年は、前から行きたいと思っていて、とても近いのになかなか行っていない史跡を訪ねた。
20180910
[岐阜城]
今年のGWに「近場の城巡り~清洲城と小牧山城」 に行った時には「次は」と思っていたのがこの「岐阜城」。
「小牧山城」「清洲城」「岐阜城」に共通するのは、「織田信長」の居城であったこと。
特に「岐阜城」「楽市楽座」「天下布武」といった信長の代名詞のような出来事の発祥の場でもある。

知っている人もいると思うが、「岐阜城」は金華山という山の頂上にある。
なので、近くまでは何度も行っていても、なかなか登っていない。さらに「コンクリートの復元天守」ということで、以前はそんなに興味がなかったので、本当に近くにあって、歴史的にも重要な拠点なのに、今まで訪れることのないままだった。

クルマで麓まで行き、お盆休み中と言うことで近くのパーキングは満車だったが、少し離れた無料の川べりパーキングは空いていたので、そこに停めて麓のロープウエイ乗り場まで歩いた。
「岐阜城」にはロープウエイ以外にも歩いて登る「登山道」も複数ある。
でも、「真夏の暑い盛り」、しかも「日頃の運動不足」ということで「ロープウエイ」を選択した。

往復チケットを買って、乗り場入り口に行くと「ただいま20分待ち」と掲示されていた。
さすがお盆休み中だ。仕方ないので、並んでやっと乗車。
「ロープウエイ」で天守まで登るのは、ちょうど1年前の「松山城」 以来。
乗り口のすぐ近くに「信長公居館跡」が見える。これは「帰りに寄らねば」と思いつつ、あっという間に上に到着。

とは言え、そこから天守閣のある頂上までまだまだ登らないといけない。
そして、今まで訪れた天守閣と決定的に違うのは、天守閣までの道が狭く険しいこと。
これは戦国時代と言う古さのせいか、金華山と言う険しい山のせいか?

やっと天守閣に到着し、眼下に岐阜の街並みを眺めたり、展示物を眺めたりした。
岐阜の山側から黒い雲がやってきて、今にも雨が降りそうになったので、スマホで「雨雲レーダー」で確認しようとしたら、電波が届いていない!
「うそ~~、これって高さの問題?」
仕方なく雨の心配をしながら展望レストランでラーメンを食べて、下りのロープウエイへ。
またまたここで「20分」ほど並び、無事に下まで降りてきた。

その後、「信長公居館跡」を見学。
多くの観光客は、さっさと帰っていくけれど、発掘調査のニュースなどを見ていたので「これはぜひとも」と誰もいない「信長公居館跡」をゆっくりと見た。
この「信長公居館」は、場所を見ると、その防御力がわかる。
館の後ろは険しい岩肌で、とても後ろから攻められない。金華山という自然の砦が、この館を守っていることが今の時代になっても感じられる。

このあたりで雨が降り出した。
ただ、暑いせいもあり「まぁ、少し濡れても良いか」と思い、歩いて駐車場まで。
途中「護国神社」にも足を止め、終戦記念日が近いせいもあり、今の平和に感謝のお参りをして帰ってきた。(つづく)

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2018年9月 3日 (月)

星空鑑賞、再び。でも……

今まで、ほんの「チラッ」としか書かなかったが大昔、星の写真を撮影することを趣味にしていた時期があった。
その時のきっかけは「ハレー彗星」の大接近がとても話題になったことだったような記憶がある。
元々、田舎の育ちなので、冬には「オリオン座」がとても綺麗に見え、夜空には興味がある方だった。
20180903
熱しにくいが、やり始めると凝る性質である。
ただし、裕福な家でもないし、高収入者でもないので「出来るだけお金を掛けずに」やるタイプだ。
今のようにネットが発達していない時代なので、星の動きを追尾しながら撮影する「赤道儀」を求めて、いろいろな店に行ったり、何とか自作できないかと考えたりしていた。

毎月のように雑誌を購入して、綺麗な星の写真をうっとりと眺めたり、望遠鏡をガイドに一眼レフで追尾撮影出来るようにして、撮影に出かけていったりした。
しかし、都会に住んでいると「星空が見える場所」を探すのがとても大変だ。

会社勤めしているので、出来れば次の日が休みの日に撮影に行きたい。
でも、その日にうまく晴れるとは限らない。
通常の晴れと違い「雲」が流れてくると上手く撮影できないので、かなりの好天に限られる。
さらに、「月」の明かりのない日でないと行けない。
「月」というのは意外と明るく、一度月夜を撮影したら、夜空が青空のように明るくなったことがある。

そして、やっとタイミングがあって撮影に出かけても、カップルがクルマに乗ってデートに来たりする。
こちらも機材があるので、クルマを停められるところを探していくのだが、目的は違ってもカップルが望む場所も同じような条件となる。
そこに「ヘッドライト」を点けたクルマが来たりすると、何十分も掛けて撮影していたのに、ライトが入って「撮影失敗」になる。
綺麗に星空を映すには1回30分とかシャッターを開けっ放しにする必要があるから、その苦労は並大抵じゃない。
そして、フィルムの時代なので、現像してみたら失敗写真が多くがっかりしたことも数多い。

そんなことを繰り返すうちに、何となく足が遠くなってやめてしまったが、「流星群」とか「○○彗星」などの話題が出ると気にするし、見に行ける条件の場合は行くこともあった。
しかし、夏休みの時期には毎年「ペルセウス座流星群」が見ごろとなることは知っている。
調べてみたら、今年は新月で月の明かりもなく見やすいらしく「久しぶりに行って見るか」と思ったが、「せっかく行くなら撮影したいな」と思い付いてしまった。

赤道儀を使用しての星の動きを追尾しての撮影は無理としても、スマホで気軽に撮れないか?と考えネットで調べてみる。
以前と違って、とても簡単に調べられることは、とても有り難い。
「そうそう星座早見表がいるなあぁ」とアプリで星座表を探すと、AR機能付で、その方角を向けるだけで、星座がわかる便利なものを発見。
次は撮影アプリ。スマホにあるカメラではシャッターを開放に出来ないが、30秒くらいのバルブ撮影ができるアプリを発見。
経験上「30秒」あれば星が綺麗な場所で撮影すれば、それなりに映る。

あとは赤い懐中電灯。
通常の懐中電灯だと明るすぎて、目が暗さに慣れるまでに時間が掛かる。
だから赤い光の懐中電灯が必要なのだが、これは自転車の後部灯用のLED電灯を100円ショップで発見してゲット。

さらに、星空を見るのには、双眼鏡が良い。
昔使っていた双眼鏡を出してみたら、グリップがぬるぬるになってしまって使い物にならない。仕方ないので、1000円位のモノを買い直した。
カメラ用の三脚は小さいのはあるから、スマホを固定できるツールをこれもネットで探して取り寄せた。

これで撮影準備は整い、あとは夏季休暇を待つばかり。
ところが休みに入った途端、大気は不安定になり、それまで連日の晴天が嘘のように、雲が出たり、雷が鳴ったりとなってしまった。
目当ての「ペルセウス座流星群」の極大日(一番良く見える日)は、見渡す限り一面の雲という天気。
残念ながら今回は見ることが出来なかった。
でも、手軽に鑑賞に出かけたり撮影するグッズは揃えたので、これからまた少し星空鑑賞に出かけてみようかなと思っている。

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2018年8月27日 (月)

還暦後、初めての免許証更新

今月は私の誕生月だ。
昨年は「定年だ」「還暦だ」と区切りの年でもあったので、やたらと年齢きっかけのさまざまな話題に触れたが、過ぎてしまえば「60代」という違いがあるだけで、普通に再雇用社員として過ごしている。
20180827
そして「今年は暑い~~~」と梅雨が明けて早々の頃、「免許更新」を知らせるハガキが届いた。
そうそう、年が明けた頃は「今年は更新だなぁ」と覚えていたが、すっかり忘れてしまっていた。
若い頃は、スピード違反や駐車違反、一旦停止など軽微な交通違反を2~3年に1回くらい繰り返していたので、ずっと一般運転者更新で3年ごとだった。

ただ年齢とともに、そういうこともなくなり、40代後半からはずっと所謂「ゴールド免許」になり、更新も5年ごととなった。
だから、ついつい更新のことを忘れてしまいがちだ。

先ほど「年が明けた頃は覚えていた」というのは理由がある。
私の住む地方の「運転免許試験場」は公共交通機関では少し不便な場所にあるので、免停研修以外の人の多くは、クルマで出かける。
ところが今は、工事により駐車場が閉鎖中。
なので、年末年始にやたらと「公共交通機関でお出かけください」と言っていたからだ。

今まで免停の時に1回だけバスで行ったが、それ以外は全部クルマで行っていた。
だから「どうやっていくんだ」とスマホアプリで調べなくちゃいけなかった。
それに寄ると地下鉄に乗って、終点まで行き、そこから市バス。割と簡単そうだと分かり、さっそく行ってきた。

部長職だった頃に毎週のように、東京出張していたが、その時に使いこなすようになった「乗換アプリ」のおかげで、旅行に行っても、こういう近場の公共交通機関を使う時でも、便利に使う。
おかげで迷うことなく「運転免許試験場」に到着。

あとは、いつもの通り更新手続きして、30分の講習を受けて、新しい免許証を手にして帰ってきた。
ちなみにその日は、私の住む街としては「観測史上初の40度超え」とニュースになった酷暑で、ちょうど最高気温が出た頃に、テクテク歩いていた。

講習のビデオを見ながら思ったが、昔はスピードの出し過ぎや信号無視を注意する内容が多かったが、最近は高年齢層の「うっかり運転」などにスポットがあたっていた。
それを見ながら「いつまで免許の更新に来られるんだろうなぁ」とふっと思った。
次が65歳、その次は70歳。頑張っても75歳くらいまでか?
その頃には、きっと今よりも反射神経は遅くなっているだろう。
今後は「免許証返納」まであと何年と数えるようになるのだろうな。

そうそう免許をもらって見たら「有効期限」「平成35年」となっていた。
来年で平成は終わるのに、こういうのって簡単に年号を変更できないんだろうな。
ちょっと笑えたが、やってこない元号年の免許証。取っておきたい様な気持ちになった。

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2018年8月20日 (月)

始まりは、いとこのメールから

ちょっと時間が過ぎてしまったけど、最近としてはかなり珍しかった出来事だったので備忘録として書くことにした。
20180820
今年は梅雨の末期に発生した西日本豪雨と、その後の連日の炎暑と天候に振り回されっぱなしの日本だ。
その西日本豪雨の範囲は本当に広く、私の田舎にも一部「避難勧告」が出ていた。
でも雨雲や降水量の速報を見ていると、兄貴たちが住んでいる市内中心は大丈夫そうだったし、何も言ってこなかったので「まぁ、良かったんだろう」と思っていた。

その後、炎暑が続き2週間くらいした時に、突然同じ年齢の従姉妹から携帯メールが来た。
私のいとこたちの話は今から8年前に「いとこたちの集い」 に書いたが、おそらくそれ以来の連絡だったと思う。
「なんだろう?」と思ったら、どうやら豪雨の被害に遭わなかったか心配してのことだった。
彼女は現在、仕事の関係で九州の福岡にいる。

そこからちょっとメールでやりとりして、彼女の両親も私の住む街に残して赴任しているおり、ヘルパーを頼んで何とか生活しているような状況らしい。
で、最後に「いとこたちの集い」 の時に幹事をやってくれた一番年下の叔母に連絡しても出ないし、その息子(我々の従兄弟)も連絡取れないと言ってきたので、私の携帯に入っている番号を教えておいた。これも古いから「繋がらないかも?」と思ったが、取り合えず分かる範囲で応えておいた。

その後、その叔母さんが「交通事故で入院中」と連絡が来て、ビックリ。
取り合えず病院名を教えてくれたので、ネットで調べて会社帰りに行ってきた。

事故そのものは5月の終わり、
あばらや大腿骨など骨折したようで、叔母自身は当時の記憶が曖昧で、事故の様子ははっきり分からなかったが、まぁ何とか元気そうで安心した。
「心配かけるだけだから、内緒にしてた」と言ってたけれど、それも叔母らしいと言えば叔母らしい。
事故のケガも大変そうだったが、それより事故のショックで胃潰瘍になったことも入院が長引いているとも言っていた。

その様子を兄貴に連絡し、さらに最初に連絡をくれた従姉妹にも連絡した。
また翌日には仕事の都合で会えなかったが叔母の息子である私とは一番親しかった従兄弟からもお礼のメールが来た。

ひょんなことで、いとこ同士で連絡を取り合ったが、下から2番目の年である私がもう還暦を過ぎている。久しぶりにあった叔母も「ずいぶん年取ったなぁ。耳も遠くなっているし」と思ったが、それも当たり前と言えば、当たり前。
時の流れは、ある意味残酷な現実を見せてくれるなぁと、ふっと思いが過ぎる出来事だった。

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2018年8月 6日 (月)

何度も立ち上がってきた国

気づいている人もいるだろうが、このブログは基本的に毎週月曜に新しい記事をアップしている。
だから今日が「広島原爆の日」だというのは全くの偶然だ。
20180806前回取り上げた最近の大きな災害と比べれば、核兵器の被害はとてつもなく大きい。もちろん「自然が起こす災害」「人類の間違った英知の使用結果」は天地以上の大きな差があり、比較にもならないが……。

ただ、今日の日のことを考えると「きっと日本と言う国は、何度も何度も酷い目に遭いながら立ち上がってきた」、そういう国なのだと改めて思う。
そして、そんな壊滅的な被害に遭いながらも、今のように豊かな生活ができるような国として成長させてくれてきた先人たちの努力に最大限の敬意を払いたいし、日本と言う国を尊敬する。

「じゃ、お前たちはこれからも立ち向かっていけるのか?」と問われるとなかなか自信がない。
ないけれど、こんなことも思う。

今年前半は、冬季オリンピックの特にスケート競技がたくさんのメダルを獲ってくれた。
羽生結弦くんのフィギュア金メダル2連覇、冬のオリンピック女子初となった小平奈緒の500m女子の金メダル、そして同じく女子のパシュート金メダルと、本当に何度見ても嬉しいシーンを私たちに見せてくれた。

それにサッカーワールドカップ。
出かける時と帰って来た時の評価が全く変わってしまったが、それくらい良い試合をしたのは間違いない。今回のW杯は会社のサッカー好きと話していたが、面白かった。
チームの中の「スーパースター」が引っ張るのではなく、全選手が90分間フルにガツガツ動くことが出来るチームが勝てる形に変わってきたから、面白かったのだろう。

こういうスポーツの活躍では時に「感動をありがとう」とか「勇気をもらった」という反応があるが、今年ほど、その言葉が当て嵌まる年はないかもしれない。

それと、連日被災地の状況を伝えるニュースの中でのボランティアの人たち。
あるTVでは「ボランティアは本来、手の届かないところのサポートであるべきで、あまりに頼ってしまうのは良くない」と言っていた。
それを聞いて「企業には何か出来ないのか?」と思った。

もちろん企業はそれなりに物資の支援や活動のサポートをしているだろう。
けれど、今回のように大きく広い範囲の災害では、行政の手が回らないところはいくらでもある。
そんな時、企業が「中心となって」活動できないのだろうか?
「人」「物資」「設備」そして「お金」
大企業になればなるほど、支援できる規模や範囲は大きいのではないだろうか?

そして企業が支援しやすくするための法改正や税制改正などもできないだろうか?
野党のくだらない与党批判などで時間を浪費するのではなく、もっとポジティブな議論を一刻も速く進めること。
立ち上がるためには私たち一般人も、企業も、政治家もみんながフレキシブルに「今、出来ることは何か?」「これからすべきことは何か?」を考えることが必要なのだろう。
他人の批判をしているようでは、ポジティブな状況には、絶対にならないだろう。

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2018年7月30日 (月)

私の住む地域は大丈夫か?

まもなく1ヶ月近く経つが「西日本豪雨」の被災は、間違いなく今年の大きな記憶に残る災害だ。20180730
「大きな災害」というと「2011年東日本大震災」は、日本だけじゃなく世界中に強烈なインパクトを与えた大災害だった。
そのインパクトの強さは、当時このブログでも続けて話題にした。
あまりに大きな災害だったので、いろいろ思うことを変に書くより、周辺の「事実」を記録に残そうと思ってキーボードを叩いていた事を覚えている。

2016年の「熊本地震」も強烈だった。
スマホの「震度5以上」通知が二晩続けて鳴り続けた。
そして何より強烈だったのは「いつかは訪れたい」と思っていた「熊本城」が崩れてしまったこと。
さらに昨年は、同じ地区の「九州北部豪雨」で、今回と同じように山々の倒木が集落をなぎ倒していく洪水が発生した。

仕事の関係で話す機会があった大学の助教授で天気予報士の方によると、地球温暖化の影響が顕著になり、今後日本は、亜熱帯・熱帯気候への移行していくのだそうだ。
だから、「今」が異常気象でなく「気候の移行が終わるまでこれからもずっと続く」とその方は話していた。
ということは「何十年に一度の異常気象」が常に発生するということになるらしい。

そういう意味では私の住む地方では約20年前に「東海豪雨」の被災があった。
義姉の実家が水没して、たった1日だけだが後片付けに参加した。
その記憶から言えば、今回は土砂の量がめちゃくちゃ多く、場所によっては倒木も混じり、復旧作業の大変さはその時の比ではないことが軽く想像できる。
あの頃は、本当に「稀に見る異常な豪雨」と言っていたが、今では珍しくない気象になっている。

あれ以来、私の住んでいる地域は大きな災害にあっていない。
「東日本大震災」の時から「東海地震・東南海地震」の発生確率は常に高いままだが、これが発生したら私の住んでいる地域は壊滅的な被害を受けることは間違いない。
私たちの地域だけが大きな災害に遭っていないことが逆に不安を膨らませている。

特に今回は被災直後から続く猛暑で、「自然は、どれだけ災害地を苛めるのだろう」と思わざるを得ない。
いつどんな大きな災害が、自分を襲ってきても「ついに来たのか」と覚悟を決めながら生活しなくちゃいけないなぁと被災のニュースを見ながら思っている。

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2018年7月23日 (月)

自転車通勤の雑感

前回の続き(本当はそのつもりではなかったけれど……)
20180723
購入して会社とマンションの駐輪場に届出して、使用許諾のシールを貼って、あとは通勤するだけとなったが、その後雨模様が続いてしまった。
やっと「今日は大丈夫」という天気の日に、自宅から自転車で出勤。
地図アプリで調べると距離は約5km。
この距離が手頃なのか、定年退職年齢のものには、少し多いのか分からないが、初日に会社到着時には、結構疲れていた。

クルマや歩きは感じられないけれど、ちょっとした登り、特に「ダラダラ」とした道がきつい。
一応「6段変速」付だから、立ち漕ぎするほどじゃないけれど、地味に足に負荷が来る。
ま、これも日頃の運動不足、そして年齢、さら慣れなど、いろいろな原因を思いつくので「仕方ないかぁ」と素直に受け入れた。

しばらく天気にも恵まれ、自転車通勤が続いた。
1年で一番蒸し暑くなる時期に始めたからいけないのだが、とにかく汗が出る。
だから帰宅するとすぐに「シャワータイム」となる。
でも、クルマでは通らなかった道、そしてお店の発見は、とても楽しい。

「おっ、こんなところに街中華のお店」とか「このスーパーでの買い物もありだなぁ」と通る道を変える度に発見がある。
今までは「クルマで動く」ことを前提に通勤の立ち寄り所を決めていたけれど、自転車になると駐車場の心配はないし、一方通行に縛られることもないために、かなり自由に帰りのコースを選択できる。

さらに朝の通勤に思うのは、自転車通勤者の多さ。
学生や会社員、そして子どもの送迎、とにかく雑多な自転車利用者が多い。
「こりゃ、保険が必要になるわけだなぁ」と、これも利用するまで気づかなかった出来事だった。

しばらく自転車通勤が続き、どうもお尻が痛いことが木になり始めた。
購入したのは所謂「シティバイク」と呼ばれるタイプのものだが、サドルが今風で少し細身。
これが昭和30年代生まれで、筋肉が衰えている年齢には、ちょっと辛い。
乗れないほどではなかったので、「ま、いいか」と思っていたが、ある日帰りに突然思いついて、ホームセンターに寄ってサドルを買ってきてしまった。

昔からある幅広で、しかも柔らかクッションタイプ。
これに変えたら、やっぱりお尻には優しい。
気軽に「自転車で通勤」を思いついたけれど、結局いつものようにあれやこれやと悩み、少しお金も使ってしまった。

でも、街々の発見は、これからも続きそうで楽しみが1つ増えたとも言えそうだ。

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2018年7月17日 (火)

通勤自転車購入記

先週「地下鉄通勤を始めた」なんて話をしたばかりなので、今度は「自転車通勤」の話だ。
これは「地下鉄通勤」が嫌だからではなく、通勤の「選択肢を増やした」行動だと理解してもらいたいところだ。
他にも「会社帰りにいろいろなところに寄りたい」という理由もあるが……。
20180717
きっかけはある朝、起きる直前に見た夢だった。
持っていないのに「自転車がない」と探していた。なんでそんな夢を見たのか、さっぱり理由が分からないが、最近旅先で「自転車で巡る」ことをするようになった影響だろうか?

その夢を見た後、そういえば「自転車通勤」の選択肢があることに気づいた。
クルマ通勤でなくなる時に、単純に「じゃ、地下鉄にしよう」と思い、他の選択肢は考えもしなかった。
確かに家から会社までクルマで20分も掛からない。距離を調べたら5kmくらい。
さらに「自転車通勤」で検索すると、この距離なら適度な距離だとわかる。

「じゃ、購入してみるか?」と考え出して、今の時代らしく「まずネットで」調べてみた。
驚いたことに、組立完了状態で配送してくれる通販があり、保険もメンテナンスもOKがある。
昨年会社から「自転車も保険に入らないといけない」と通達があったが、その時はこんなこと考えるようになるとは思わず、全く他人事で聞いていた。
その保険すらもセットでネット通販するなんて、時代はどこまでネットで何もかも出来るようになっているのだろうと今さらながら驚く。

でも昭和生まれは「現物を見ないと」安心できない。
再雇用だから贅沢は出来ないし、まだその時期じゃないにしろ「断舎離」が近づいている年齢なのに、これからモノを増やすのもちょっと……などとも思い悩みはじめた。
昔、購入した翌日にパンクした経験があり、「パンクに強い」自転車はいるし、都会とは言え、意外と道路の高低差があり、変則器はやっぱり必要。この高低差って、クルマだと気づかないが自転車で走ってみると、結構足に負荷が掛かる。

さっそくイオンやホームセンターを回ってみた。
変速があってパンクに強いとちょっとだけ高い。
でも「パンクしない」タイヤのものだと、もっと高い。
さらに「錆びないアルミフレーム」になりと、もっともっと高い。

購入して必ず毎日に使うかといえば、雨の日は使わないだろうし、これからそんなに長く使うか分からない。
そんなことを考えて、結局一番リーズナブルそうなものをチョイスしてみた。
会社近くで購入して、そのまま家まで乗って帰ってみた。

思ったより距離がある感じだし、思ったよりしんどい感じだ。
マンションの自転車置き場に置くための申し込みをし、会社に乗っていけるようにこれも申し込み。
取り合えずこれから「自転車通勤」も通勤の選択肢が加わったということで、また新しい生活シーンを味わうことになった。

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2018年7月 9日 (月)

大都会のイメージ

今年の4月からクルマ通勤から地下鉄通勤になった。
元々部長職で早朝会議への出席のため、特別に格安で会社の駐車場を使わせてもらっていて、定年過ぎても、そのままの特別待遇だったのだが、いろいろな理由でクルマ通勤が取りやめになった。20180709
わが社の位置は、公共交通機関の最寄り駅から歩いて10分以上掛かる。
とは言え、そんなに遠距離でもないので、地下鉄通勤に切り替えた。

今までも雪の日とか業務都合で地下鉄通勤したことがあったが、改めて毎日テクテク歩くようになって気づいたことがあった。
大通りから少し入ると「桜やツヅジや紫陽花」など、季節の花々が家々や道脇に咲いている。
若い頃は、そんなことに気づく方でなかったが、これは年齢のせいだろうか?
もっとも、私の生まれ育った町だと、山々に囲まれていて、街中で花々が目に入ってくるような記憶はない(子供だったから気がつかなかったのだろう)。

私の「大都会」のイメージは、思春期に良く聴いた音楽の影響が強い。
時代的にも「自然がなくなっていき、コンクリートジャングルに囲まれた、非人間的な街」というイメージだったと思う。
そのコンクリートだらけの街の中で、たくさんの人々がただただ黙々と機械のように働いている……そんな感じだ。

吉田拓郎の「制服」という曲に、こんな一節がある。
♪どうですか東京って奴に会ってみて とうですか 東京って奴の御挨拶の仕方は
♪みんな押し黙ったままのこの人ごみは そうこれが都会って奴の御挨拶の仕方なんだよ

でも、実際に住んでみるとそうでもない。
もちろん大都会のど真ん中のオフィス街は、いろいろなビジネスの中心であって、「人」よりも「ビジネス」が優先されがちな空間だけれど、そこからちょっと外れて多くの人が住まいを構えている場所は、そうでもない。

確かに故郷の風景のように山や川や空や雲や星は遠い。
真冬の空でもオリオン座がかろうじて見える程度だ。
でも季節の花は、少しずつ見るし、最近は旬の食べ物も外食だって十分味わえる。

クルマがないと生活が成り立たないけれど、大自然が豊かに包んでくれる場所。
空や雲や緑や花は盛り沢山に四季折々に見ることができるけれど、仕事の選択肢がほとんどない場所。
たくさんの人が溢れていて、その中でも少しだけ昔風の近所づきあいのある場所。
出来合いの食べ物が多いけれど、それなりの季節感を感じるものを食べられる場所。
クルマがなくても、ちょっと行けば何でも揃うコンビニがあちこちにある場所。

思春期の頃に感じていた「大都会と自然多き地方」のイメージは、実はそんなに画一的ではないと地下鉄通勤で歩きながら、気づいた今日この頃である。

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2018年7月 2日 (月)

愛は傷つきやすく(ヒデとロザンナ)

今回のタイトルで「オオッ」と思った方は、私の年齢より上なのではないだろうか?

まったく忘れていたが、ある時「インターネット・ラジオ」というものを会社で聴きながら仕事をしていた時に、この曲が流れ「ああ、こんな良い曲が昔あったなぁ」と感動した。
すぐにYouTubeで確認して、楽譜も探して、帰宅早々ギターで弾いてみた。
20180702
YouTubeを見ていて「懐かしい音楽」に出会うことは、このブログで何度か書いた。
ところが最近は「インターネット・ラジオ」を聴くようになった。
Macユーザーでもある私は、「インターネット・ラジオ」自体はMacの国で出た頃から知っていたが、日本ではあまり展開していなかったので、まったく聴いたことがなかった。

しかし、世の中はどんどん変化する。
ある日スマホでアプリを探していたら、日本にも数多くの「インターネット・ラジオ」の放送局が増えて、スマホアプリやインターネットを通して聴くことが出来ることに気づいた。

これ、何がよいかと言うと、普通のラジオのようにDJの「しゃべり」が全くない。
淡々と音楽が流れる。
昔、喫茶店なんかで流れていて「有線放送」みたいな感じだ。
しかも聴くのにお金はいらない。

いろんな放送を試しに聴いてみたが、まずJ-POPを聴いた。
これはこれで良いけれど、年齢的に付いていけない。
そんな時「J-Pop Sakura」に行き着いた。

この放送局は日本の「懐かしい」をコンセプトとしている。
だから、冒頭の「ヒデとロザンナ」時代のものや、演歌やフォークやニューミュージックなど、とにかく私の年齢には聴きやすい曲ばかり流れる。
「J-Pop Sakura」で検索すれば聴くことができるWEBがいくつ出てくる。
iTunesから聴くことも出来るが、残念ながらMacからは周波数の関係か聴けない。
これはインターネットも同じで、MacユーザーはiPhoneのアプリだったら聴くことができる。

YouTubeで懐かしい音楽に出会った時も「こんなタイムマシーンに乗って過去へ行ったような体験ができるんだ」と思ったが、「インターネット・ラジオ」は、こちらが意図していない曲が流れるから、その衝撃度は何倍も違う。
「愛は傷つきやすく」が流れた時は「この二人、こんなに歌が上手かったのか」と改めて驚いた。

最近、プロの人が歌って「すごいなぁ」と思うことが少なくなって、歌い手が「一般的になりすぎている」気がするが、こうやって懐かしい音楽を聴くと、昔のプロのクオリティが半端でなく高かったのがわかる。
そんな音楽を普通にTVで見たり聴いたりしていた私たちの世代は、ある意味贅沢だったのかもしれない。

「愛は傷つくやすく」~ヒデとロザンナ

自由にあなたを 愛して 愛して 私はこんなに傷ついた
たとえば二人で命をたてば 微笑みさえも消える
よみがえる日々(よみがえる愛) やさしい言葉で
なぐさめつつんで そして結ばれた

その時私は あなたの指が 小さくふるえるのを見たの
たとえば涙にくちびるよせて 二人は愛にゆれる


自由にあなたを 愛して 愛して 私はこんなに傷ついた
たとえば二人で命をたてば 微笑みさえも消える
よみがえる日々(よみがえる愛) やさしい言葉で
なぐさめつつんで そして結ばれた

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