2018年8月 6日 (月)

何度も立ち上がってきた国

気づいている人もいるだろうが、このブログは基本的に毎週月曜に新しい記事をアップしている。
だから今日が「広島原爆の日」だというのは全くの偶然だ。
20180806前回取り上げた最近の大きな災害と比べれば、核兵器の被害はとてつもなく大きい。もちろん「自然が起こす災害」「人類の間違った英知の使用結果」は天地以上の大きな差があり、比較にもならないが……。

ただ、今日の日のことを考えると「きっと日本と言う国は、何度も何度も酷い目に遭いながら立ち上がってきた」、そういう国なのだと改めて思う。
そして、そんな壊滅的な被害に遭いながらも、今のように豊かな生活ができるような国として成長させてくれてきた先人たちの努力に最大限の敬意を払いたいし、日本と言う国を尊敬する。

「じゃ、お前たちはこれからも立ち向かっていけるのか?」と問われるとなかなか自信がない。
ないけれど、こんなことも思う。

今年前半は、冬季オリンピックの特にスケート競技がたくさんのメダルを獲ってくれた。
羽生結弦くんのフィギュア金メダル2連覇、冬のオリンピック女子初となった小平奈緒の500m女子の金メダル、そして同じく女子のパシュート金メダルと、本当に何度見ても嬉しいシーンを私たちに見せてくれた。

それにサッカーワールドカップ。
出かける時と帰って来た時の評価が全く変わってしまったが、それくらい良い試合をしたのは間違いない。今回のW杯は会社のサッカー好きと話していたが、面白かった。
チームの中の「スーパースター」が引っ張るのではなく、全選手が90分間フルにガツガツ動くことが出来るチームが勝てる形に変わってきたから、面白かったのだろう。

こういうスポーツの活躍では時に「感動をありがとう」とか「勇気をもらった」という反応があるが、今年ほど、その言葉が当て嵌まる年はないかもしれない。

それと、連日被災地の状況を伝えるニュースの中でのボランティアの人たち。
あるTVでは「ボランティアは本来、手の届かないところのサポートであるべきで、あまりに頼ってしまうのは良くない」と言っていた。
それを聞いて「企業には何か出来ないのか?」と思った。

もちろん企業はそれなりに物資の支援や活動のサポートをしているだろう。
けれど、今回のように大きく広い範囲の災害では、行政の手が回らないところはいくらでもある。
そんな時、企業が「中心となって」活動できないのだろうか?
「人」「物資」「設備」そして「お金」
大企業になればなるほど、支援できる規模や範囲は大きいのではないだろうか?

そして企業が支援しやすくするための法改正や税制改正などもできないだろうか?
野党のくだらない与党批判などで時間を浪費するのではなく、もっとポジティブな議論を一刻も速く進めること。
立ち上がるためには私たち一般人も、企業も、政治家もみんながフレキシブルに「今、出来ることは何か?」「これからすべきことは何か?」を考えることが必要なのだろう。
他人の批判をしているようでは、ポジティブな状況には、絶対にならないだろう。

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2018年7月30日 (月)

私の住む地域は大丈夫か?

まもなく1ヶ月近く経つが「西日本豪雨」の被災は、間違いなく今年の大きな記憶に残る災害だ。20180730
「大きな災害」というと「2011年東日本大震災」は、日本だけじゃなく世界中に強烈なインパクトを与えた大災害だった。
そのインパクトの強さは、当時このブログでも続けて話題にした。
あまりに大きな災害だったので、いろいろ思うことを変に書くより、周辺の「事実」を記録に残そうと思ってキーボードを叩いていた事を覚えている。

2016年の「熊本地震」も強烈だった。
スマホの「震度5以上」通知が二晩続けて鳴り続けた。
そして何より強烈だったのは「いつかは訪れたい」と思っていた「熊本城」が崩れてしまったこと。
さらに昨年は、同じ地区の「九州北部豪雨」で、今回と同じように山々の倒木が集落をなぎ倒していく洪水が発生した。

仕事の関係で話す機会があった大学の助教授で天気予報士の方によると、地球温暖化の影響が顕著になり、今後日本は、亜熱帯・熱帯気候への移行していくのだそうだ。
だから、「今」が異常気象でなく「気候の移行が終わるまでこれからもずっと続く」とその方は話していた。
ということは「何十年に一度の異常気象」が常に発生するということになるらしい。

そういう意味では私の住む地方では約20年前に「東海豪雨」の被災があった。
義姉の実家が水没して、たった1日だけだが後片付けに参加した。
その記憶から言えば、今回は土砂の量がめちゃくちゃ多く、場所によっては倒木も混じり、復旧作業の大変さはその時の比ではないことが軽く想像できる。
あの頃は、本当に「稀に見る異常な豪雨」と言っていたが、今では珍しくない気象になっている。

あれ以来、私の住んでいる地域は大きな災害にあっていない。
「東日本大震災」の時から「東海地震・東南海地震」の発生確率は常に高いままだが、これが発生したら私の住んでいる地域は壊滅的な被害を受けることは間違いない。
私たちの地域だけが大きな災害に遭っていないことが逆に不安を膨らませている。

特に今回は被災直後から続く猛暑で、「自然は、どれだけ災害地を苛めるのだろう」と思わざるを得ない。
いつどんな大きな災害が、自分を襲ってきても「ついに来たのか」と覚悟を決めながら生活しなくちゃいけないなぁと被災のニュースを見ながら思っている。

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2018年7月23日 (月)

自転車通勤の雑感

前回の続き(本当はそのつもりではなかったけれど……)
20180723
購入して会社とマンションの駐輪場に届出して、使用許諾のシールを貼って、あとは通勤するだけとなったが、その後雨模様が続いてしまった。
やっと「今日は大丈夫」という天気の日に、自宅から自転車で出勤。
地図アプリで調べると距離は約5km。
この距離が手頃なのか、定年退職年齢のものには、少し多いのか分からないが、初日に会社到着時には、結構疲れていた。

クルマや歩きは感じられないけれど、ちょっとした登り、特に「ダラダラ」とした道がきつい。
一応「6段変速」付だから、立ち漕ぎするほどじゃないけれど、地味に足に負荷が来る。
ま、これも日頃の運動不足、そして年齢、さら慣れなど、いろいろな原因を思いつくので「仕方ないかぁ」と素直に受け入れた。

しばらく天気にも恵まれ、自転車通勤が続いた。
1年で一番蒸し暑くなる時期に始めたからいけないのだが、とにかく汗が出る。
だから帰宅するとすぐに「シャワータイム」となる。
でも、クルマでは通らなかった道、そしてお店の発見は、とても楽しい。

「おっ、こんなところに街中華のお店」とか「このスーパーでの買い物もありだなぁ」と通る道を変える度に発見がある。
今までは「クルマで動く」ことを前提に通勤の立ち寄り所を決めていたけれど、自転車になると駐車場の心配はないし、一方通行に縛られることもないために、かなり自由に帰りのコースを選択できる。

さらに朝の通勤に思うのは、自転車通勤者の多さ。
学生や会社員、そして子どもの送迎、とにかく雑多な自転車利用者が多い。
「こりゃ、保険が必要になるわけだなぁ」と、これも利用するまで気づかなかった出来事だった。

しばらく自転車通勤が続き、どうもお尻が痛いことが木になり始めた。
購入したのは所謂「シティバイク」と呼ばれるタイプのものだが、サドルが今風で少し細身。
これが昭和30年代生まれで、筋肉が衰えている年齢には、ちょっと辛い。
乗れないほどではなかったので、「ま、いいか」と思っていたが、ある日帰りに突然思いついて、ホームセンターに寄ってサドルを買ってきてしまった。

昔からある幅広で、しかも柔らかクッションタイプ。
これに変えたら、やっぱりお尻には優しい。
気軽に「自転車で通勤」を思いついたけれど、結局いつものようにあれやこれやと悩み、少しお金も使ってしまった。

でも、街々の発見は、これからも続きそうで楽しみが1つ増えたとも言えそうだ。

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2018年7月17日 (火)

通勤自転車購入記

先週「地下鉄通勤を始めた」なんて話をしたばかりなので、今度は「自転車通勤」の話だ。
これは「地下鉄通勤」が嫌だからではなく、通勤の「選択肢を増やした」行動だと理解してもらいたいところだ。
他にも「会社帰りにいろいろなところに寄りたい」という理由もあるが……。
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きっかけはある朝、起きる直前に見た夢だった。
持っていないのに「自転車がない」と探していた。なんでそんな夢を見たのか、さっぱり理由が分からないが、最近旅先で「自転車で巡る」ことをするようになった影響だろうか?

その夢を見た後、そういえば「自転車通勤」の選択肢があることに気づいた。
クルマ通勤でなくなる時に、単純に「じゃ、地下鉄にしよう」と思い、他の選択肢は考えもしなかった。
確かに家から会社までクルマで20分も掛からない。距離を調べたら5kmくらい。
さらに「自転車通勤」で検索すると、この距離なら適度な距離だとわかる。

「じゃ、購入してみるか?」と考え出して、今の時代らしく「まずネットで」調べてみた。
驚いたことに、組立完了状態で配送してくれる通販があり、保険もメンテナンスもOKがある。
昨年会社から「自転車も保険に入らないといけない」と通達があったが、その時はこんなこと考えるようになるとは思わず、全く他人事で聞いていた。
その保険すらもセットでネット通販するなんて、時代はどこまでネットで何もかも出来るようになっているのだろうと今さらながら驚く。

でも昭和生まれは「現物を見ないと」安心できない。
再雇用だから贅沢は出来ないし、まだその時期じゃないにしろ「断舎離」が近づいている年齢なのに、これからモノを増やすのもちょっと……などとも思い悩みはじめた。
昔、購入した翌日にパンクした経験があり、「パンクに強い」自転車はいるし、都会とは言え、意外と道路の高低差があり、変則器はやっぱり必要。この高低差って、クルマだと気づかないが自転車で走ってみると、結構足に負荷が掛かる。

さっそくイオンやホームセンターを回ってみた。
変速があってパンクに強いとちょっとだけ高い。
でも「パンクしない」タイヤのものだと、もっと高い。
さらに「錆びないアルミフレーム」になりと、もっともっと高い。

購入して必ず毎日に使うかといえば、雨の日は使わないだろうし、これからそんなに長く使うか分からない。
そんなことを考えて、結局一番リーズナブルそうなものをチョイスしてみた。
会社近くで購入して、そのまま家まで乗って帰ってみた。

思ったより距離がある感じだし、思ったよりしんどい感じだ。
マンションの自転車置き場に置くための申し込みをし、会社に乗っていけるようにこれも申し込み。
取り合えずこれから「自転車通勤」も通勤の選択肢が加わったということで、また新しい生活シーンを味わうことになった。

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2018年7月 9日 (月)

大都会のイメージ

今年の4月からクルマ通勤から地下鉄通勤になった。
元々部長職で早朝会議への出席のため、特別に格安で会社の駐車場を使わせてもらっていて、定年過ぎても、そのままの特別待遇だったのだが、いろいろな理由でクルマ通勤が取りやめになった。20180709
わが社の位置は、公共交通機関の最寄り駅から歩いて10分以上掛かる。
とは言え、そんなに遠距離でもないので、地下鉄通勤に切り替えた。

今までも雪の日とか業務都合で地下鉄通勤したことがあったが、改めて毎日テクテク歩くようになって気づいたことがあった。
大通りから少し入ると「桜やツヅジや紫陽花」など、季節の花々が家々や道脇に咲いている。
若い頃は、そんなことに気づく方でなかったが、これは年齢のせいだろうか?
もっとも、私の生まれ育った町だと、山々に囲まれていて、街中で花々が目に入ってくるような記憶はない(子供だったから気がつかなかったのだろう)。

私の「大都会」のイメージは、思春期に良く聴いた音楽の影響が強い。
時代的にも「自然がなくなっていき、コンクリートジャングルに囲まれた、非人間的な街」というイメージだったと思う。
そのコンクリートだらけの街の中で、たくさんの人々がただただ黙々と機械のように働いている……そんな感じだ。

吉田拓郎の「制服」という曲に、こんな一節がある。
♪どうですか東京って奴に会ってみて とうですか 東京って奴の御挨拶の仕方は
♪みんな押し黙ったままのこの人ごみは そうこれが都会って奴の御挨拶の仕方なんだよ

でも、実際に住んでみるとそうでもない。
もちろん大都会のど真ん中のオフィス街は、いろいろなビジネスの中心であって、「人」よりも「ビジネス」が優先されがちな空間だけれど、そこからちょっと外れて多くの人が住まいを構えている場所は、そうでもない。

確かに故郷の風景のように山や川や空や雲や星は遠い。
真冬の空でもオリオン座がかろうじて見える程度だ。
でも季節の花は、少しずつ見るし、最近は旬の食べ物も外食だって十分味わえる。

クルマがないと生活が成り立たないけれど、大自然が豊かに包んでくれる場所。
空や雲や緑や花は盛り沢山に四季折々に見ることができるけれど、仕事の選択肢がほとんどない場所。
たくさんの人が溢れていて、その中でも少しだけ昔風の近所づきあいのある場所。
出来合いの食べ物が多いけれど、それなりの季節感を感じるものを食べられる場所。
クルマがなくても、ちょっと行けば何でも揃うコンビニがあちこちにある場所。

思春期の頃に感じていた「大都会と自然多き地方」のイメージは、実はそんなに画一的ではないと地下鉄通勤で歩きながら、気づいた今日この頃である。

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2018年7月 2日 (月)

愛は傷つきやすく(ヒデとロザンナ)

今回のタイトルで「オオッ」と思った方は、私の年齢より上なのではないだろうか?

まったく忘れていたが、ある時「インターネット・ラジオ」というものを会社で聴きながら仕事をしていた時に、この曲が流れ「ああ、こんな良い曲が昔あったなぁ」と感動した。
すぐにYouTubeで確認して、楽譜も探して、帰宅早々ギターで弾いてみた。
20180702
YouTubeを見ていて「懐かしい音楽」に出会うことは、このブログで何度か書いた。
ところが最近は「インターネット・ラジオ」を聴くようになった。
Macユーザーでもある私は、「インターネット・ラジオ」自体はMacの国で出た頃から知っていたが、日本ではあまり展開していなかったので、まったく聴いたことがなかった。

しかし、世の中はどんどん変化する。
ある日スマホでアプリを探していたら、日本にも数多くの「インターネット・ラジオ」の放送局が増えて、スマホアプリやインターネットを通して聴くことが出来ることに気づいた。

これ、何がよいかと言うと、普通のラジオのようにDJの「しゃべり」が全くない。
淡々と音楽が流れる。
昔、喫茶店なんかで流れていて「有線放送」みたいな感じだ。
しかも聴くのにお金はいらない。

いろんな放送を試しに聴いてみたが、まずJ-POPを聴いた。
これはこれで良いけれど、年齢的に付いていけない。
そんな時「J-Pop Sakura」に行き着いた。

この放送局は日本の「懐かしい」をコンセプトとしている。
だから、冒頭の「ヒデとロザンナ」時代のものや、演歌やフォークやニューミュージックなど、とにかく私の年齢には聴きやすい曲ばかり流れる。
「J-Pop Sakura」で検索すれば聴くことができるWEBがいくつ出てくる。
iTunesから聴くことも出来るが、残念ながらMacからは周波数の関係か聴けない。
これはインターネットも同じで、MacユーザーはiPhoneのアプリだったら聴くことができる。

YouTubeで懐かしい音楽に出会った時も「こんなタイムマシーンに乗って過去へ行ったような体験ができるんだ」と思ったが、「インターネット・ラジオ」は、こちらが意図していない曲が流れるから、その衝撃度は何倍も違う。
「愛は傷つきやすく」が流れた時は「この二人、こんなに歌が上手かったのか」と改めて驚いた。

最近、プロの人が歌って「すごいなぁ」と思うことが少なくなって、歌い手が「一般的になりすぎている」気がするが、こうやって懐かしい音楽を聴くと、昔のプロのクオリティが半端でなく高かったのがわかる。
そんな音楽を普通にTVで見たり聴いたりしていた私たちの世代は、ある意味贅沢だったのかもしれない。

「愛は傷つくやすく」~ヒデとロザンナ

自由にあなたを 愛して 愛して 私はこんなに傷ついた
たとえば二人で命をたてば 微笑みさえも消える
よみがえる日々(よみがえる愛) やさしい言葉で
なぐさめつつんで そして結ばれた

その時私は あなたの指が 小さくふるえるのを見たの
たとえば涙にくちびるよせて 二人は愛にゆれる


自由にあなたを 愛して 愛して 私はこんなに傷ついた
たとえば二人で命をたてば 微笑みさえも消える
よみがえる日々(よみがえる愛) やさしい言葉で
なぐさめつつんで そして結ばれた

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2018年6月25日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その5)

たった2日間、奈良に行っただけなのに、5回の連作になってしまった。
まぁそれだけ充実して楽しんできたということで勘弁してください。20180625_3
二月堂、三月堂は行った記憶が曖昧だった。
二月堂の「お水取り」は有名だが、それ以上のことは知らなかったこともあり、今回は「ちゃんと見よう」と思って訪ねた。

ここも修学旅行団体で混雑していて、特に二月堂は大混雑だったが、それ以外は空いていた。
特に三月堂(法華堂)の不空羂索観音立像を初めとする仏像群のある堂内は、静かで凛としていて仏像とゆっくり対面できる素敵な空間だった。

他にも二月堂から大仏殿に向かう道筋も、たまたまあまり人がいない時で「ちょっと時代劇のロケとか出来そうな」良い雰囲気だった。
そうそうその道で「お水取り」で使用した「大松明」が脇に数本片付けられていたが、真昼間に明るい時に見ると、単に竹先が焦げた棒切れにしか見えなかったな。

そしていよいよ東大寺大仏殿へ。

●東大寺
奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山。
宗派は南都六宗の華厳宗。空海が別当を4年間務めるという異例の歴史を知ったので、再度興味があって行って来た。

この2日間の中で、1番の人ごみ。
特に南大門へ向かうところと大仏殿前は、「ラッシュ時の東京駅」みたいに人だらけだった。
さらに修学旅行生と海外観光客が入り混じり、言語も騒ぎ方もトンでもない状態で、とても「古都 奈良」という日本の代表的な場所にいるとは思えない感じだった。

何度来ても大仏殿は大きいと思う。
そして大仏もやっぱり大きい。
ここには「撮影禁止」となかったので、みんなが「パシャパシャ」と撮影しており、私もせっかくなので、撮りまくった。
本当は「東大寺ミュージアム」にも行きたかったが、ちょうど長期休館中で見られなかったのは残念だったが、まだ少し時間が早かったので、昨日いけなかった「奈良国立博物館」へ。
ちょうど「春日大社」の特別展が開催されていたので、それを観覧し、地下でつながっている「なら仏道館」へ。

そこにも本当に多くの仏像が展示されていた。
奈良に行く一週間前に新聞に載っていたが、仏像の体内に経典や装具が収められていたという発見があり、それも展示してあった。
この2日間で本当に多くの仏像を見たが、これからもっと技術が進んで、仏像に傷つけることなくイロイロな調査が進むのではないかと思う。
そして4Kとか8Kとか超高精細TVが実用化されると、こういった仏像も超至近距離で見るより細かなことが分かるようになるだろう。

その前に実物をしっかりゆっくり見られたことは本当に楽しかったし、日光と違って天気も良く充実した旅だった。
この日もお昼も食べずに見学していたので、レンタサイクルを返し、クルマで帰路に向かいながら遅いお昼を食べて帰ってきた。

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2018年6月18日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その4)

2日目。
レンタサイクルは朝9時からだったので、その時間に間に合うようにチェックアウト。
レンタサイクルのお店は着いて電動自転車を借りた。20180618
明日香村では普通の自転車で、意外と登りがきつかったので、初体験だったが電動にしてみた。
「初めて電動に乗る」といったら、お店の人が使い方を教えてくれた。
そのお店、自転車屋さんでもあるので、整備もちゃんとしているし、お店のオジサンもすごく親切だった。
最初はちょっと戸惑ったけれど、すぐに慣れて興福寺に向かった。

●興福寺
南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った(Wikipediaより抜粋)。

昔、「阿修羅像」を見たくて来たが、多分20年ぶりくらいかな?
昨日にも増して、修学旅行の団体がいくつもあり、そして外国人観光客もどっさり。
修学旅行も小学生・中学生・高校生を幅広く、歩道は人に溢れている。こちらは自転車なので、人波を縫うように走らなくちゃいけなくて、楽だけれどちょっと気を使う。

興福寺に着いて自転車置き場を教えてもらい、ものすごい多くの修学旅行生の嬌声が響く境内に「う~~ん」と思ったが、まずは今年1月にリニューアルオープンした「国宝館」へ。
修学旅行生もそんなにおらず、いてもさすがに静かにしていたし、朝まだ早いこともあり館内もそんな混雑していなかった。

久しぶりに見る「阿修羅像」はやっぱり良く、同じ仲間の八部衆立像もそれぞれに感じるものがあって至福の空間だった。
他にも国宝館には多くの展示物があり、照明も明るすぎず暗すぎず、近くによって見られることもできて「お堂の中で見るのも良いけれど、これはこれでとても見やすくて良い」と思った。

興福寺で有名なのは五重塔だけれど、やっぱり敷地は広く、今回は全部を歩いてみた。
南大門跡、中門跡、そして今再建中で今年10月に落慶される予定で再建中の中金堂。そして南円堂、三重塔、北円堂などをぐるりと巡ってきた。
修学旅行生は多いけれど、ありがたいことにどこも「駆け足」で過ぎて行ってくれるので、私のようにゆっくりじっくり見ている人はどんどん追い抜かれていき、混雑で困ることも少なかった。

そこから東大寺へ電動自転車で移動。
朝よりさらに増えた修学旅行生団体と多国籍の外国人観光客の間を「すいませ~~ん」を連呼して、ゆっくりと走る。
奈良公園の鹿も久しぶりに見たが、私たちが修学旅行でそうだったように今の学生も「きゃあきゃあ」と叫びながら鹿せんべいを挙げていた。
私たちの時代と違うのは、外国人観光客がやっぱり同じように鹿せんべいを挙げて騒いでいることだった。

東大寺は何度か来ているが、どうしても「南大門」「大仏殿」で終わってしまうことが多い。
今回は「じっくり見る」とテーマとしているので、まずは一番奥の二月堂へ向けて歩き始めた。(つづく)

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2018年6月11日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その3)

やっと3ヶ所目の「新薬師寺」へ。20180611
この「新薬師寺」、今回一番迷った。ナビで近くまで行くのだが、見つからない。
道路には案内板があるが、路地のように細い道に入っていくと、その先がわからない。
「これが寺社かな?」と思うものがあったが、今度は駐車場が見つからない。
普通、寺社には駐車場の案内もあるが、それもない。
散々迷って、門らしいところに行き着き、3台くらいしか停まれない駐車場を見つけた。
でも、いっぱいだったので「どうしようか」と思っていたら、ちょうど出る人がいて運よく停められた。

●新薬師寺
華厳宗の寺院である。本尊は薬師如来、開基(創立者)は光明皇后または聖武天皇と伝える。山号は日輪山(ただし、古代の寺院には山号はなく、後世に付したものである)。奈良時代には南都十大寺の1つに数えられ、平安時代以降は規模縮小したが、国宝の本堂や奈良時代の十二神将像をはじめ、多くの文化財を伝えている(Wikipediaより抜粋)。

ここに行きたかったのは、ずいぶん前にテレビで見た十二神将の往時のカラー復元を見たからだ。
十二神将の姿も魅力的だが、カラー復元はその鮮やかさが記憶に残っていて、ぜひとも訪れたいところだった。

入って資料を見ると、建立当時はとても広い敷地だったようだが、何度も火災に遭い、今では本堂を残すのみとなってしまっていた。
そのため、施設としてはあまり整備されていなかったけれど、そんな寺社にも外国人観光客がいて驚きだった。

本堂には薬師如来像を囲むように十二神将が立っている。
今回の奈良の旅で、とても多くの仏像を見たが、如来→菩薩→明王と位が下がるつれ、どんどん感情やしぐさが人間的になっていくことが分かる。
如来や菩薩のように「悟りを開いたり、それに近い」仏様は、毅然として感情も動きもない姿となっているのを見ると、私のような人間が感情も動きも溢れてしまっているのは致し方ないことなのかなぁなどと思ってしまった。

小さな庭の庵のようなところでは十二神将の「カラー復元」DVDを放映していて見学。最後にもう1回十二神将をじっくり見てから帰ってきた。

その後、少し早いがホテルに向かった。
今回、実は2日目を「レンタサイクル」で巡る予定にした。
そのため事前にホテル近くの「レンタサイクル」に予約し、さらに2日続けて停めても一番安いコインパーキングを探しておいたので、まずはそこまでクルマで移動。

コインパーキングに着いたら、満車になっていて「どうしよう」と思ったが、ここでも「今から出るから」という人に声を掛けられ、ラッキーにも停めることが出来た。
そこから歩いて、レンタサイクルのお店も確認し、ホテルへチェックイン。

駅の近くなので、ひと休みして駅周辺で夕食。日光では食べるところを探すのに苦労したが、今度はそんなこともなく、食事後にコンビニにも寄ってホテルに戻った。
一応大浴場のあるホテルを選んでおいたので、ゆったりとお湯に浸かり、部屋でTVを見ていたら、歩き回ったせいか眠くなってしまい、早々に寝てしまった。(つづく)

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2018年6月 4日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その2)

前回のつづき。
まだ1日目の2番目の訪問地である唐招提寺。20180604
薬師寺の最後に見学した「玄奘三蔵院伽藍」から外に出て、歩いて「唐招提寺」へ。
最初はクルマ移動も考えたけれど、天気も良いし10分少しくらいの距離なので歩いて向かった。

●唐招提寺
鑑真和上が建立した寺院。南都六宗の1つである律宗の総本山である。本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真である。井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。
唐招提寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている(Wikipediaより抜粋)。

昔から名前は知っていたが、「ピン」とくる情報がなくて、一度も行ってなかった。
今回「行こう」と思ったのは、仏教伝来の初期の頃の事を知って「鑑真和上」の話を知ったからだ。
そうそう、昨年末からずいぶん時間が掛かったが司馬遼太郎の「空海の風景」を読み、初期の仏教の頃の本も読むうちに「南都六宗」という言葉や、その頃の「仏教」と今我々が感じている「仏教」とはずいぶん違うということも知った。

そんな影響から「律宗 総本山」である唐招提寺はぜひ訪問しておきたい寺社となった。
ここは修学旅行生もおらず、海外の観光客も他に比べれば少なく、とてもゆっくりと歩くことができた。
「天平の甍」の代表格のような「金堂」は美しく、安置されている盧舎那仏坐像、薬師如来立像、千手観音立像などを見た。

その後、鼓楼・講堂を経て、一番奥の「鑑真和上御廟」へ。
ここは苔生す新緑の林を通って御廟に向かうのだが、この林が静かで、新緑に囲まれて、今回の中で一番良い空間だった。
その後、「新宝物殿」で古い仏像を見学。ここもほとんど人がいなくて、静かにゆっくり見学できた。

ゆっくり周り過ぎて、すっかりお昼を回り、1時過ぎになってしまい、薬師寺から向かう途中で見つけた美味しそうなお蕎麦屋さんに入った。
入ると修学旅行生の1グループがいて「うわっ」と思ったが、とても行儀がよく、最後には学級委員の子(同級生からそう呼ばれていた)が器も揃えて出て行った。今時にはあまり見ない学生で、薬師寺で会った「禁止とは書いていない」と撮影していたオジサンと真逆の子たちだった。
若いからダメで、年寄りがちゃんとしているなんて言うのは、勝手な思い込みなんだな。

そのお蕎麦屋さん、蕎麦も美味しかったが季節柄、山菜の天ぷらがあり、それがとても美味しく大満足の昼食だった。

もうこの時点で、2時を過ぎてしまい、その日の予定にしていた「奈良国立博物館」を行くのを諦めた。
そして3ヶ所目の「新薬師寺」へ。(つづく)

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2018年5月28日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その1)

若い頃は「観光」的に、京都やお城を巡っていたが、最近はいろんな想いを持って出かけている。
今まで一番多いのは、もちろん「史跡」巡りだ。
一時期は「浮世絵名所」巡りもしたし、他にも「時代劇ロケ場所巡り」なんてこともした。
20180528
ただ、やっぱり「お城」とか「神社仏閣」が多いので、どうしても「由緒」を読んだり、「仏像」を見たりする機会が増える。
そうすると何となく「仏像」にも興味が出るようになってしまった。

「仏像」に関していえば、昨年秋に初めて明日香村を訪ねたこと が大きかった。
そこで見た仏像は、飛鳥時代のもので、見慣れた姿とは少し異なっていた。
それまでも「如来」「観音」「菩薩」「明王」などなど、その違いや位置づけにも興味を持ち、簡単なガイド本を買ってみたりもしていた。

そんな感じでちょっとだけ「仏像」のことが分かってくると、今まで訪ねた所でも「興味のポイント」が変わってきてしまい、さらには「ここも訪ねてみたい」と欲も出てくる。
と言う事で、ゴールデンウィークが明けた翌週に有休を取って、久しぶりに奈良へ行ってきた。

奈良は私の住む地域からは近い。
クルマで2時間少しだから、無理すれば日帰りでも良いのだが、せっかくなので、安いビジネスホテルに泊まる1泊2日で行ってきた。

初日は「薬師寺」「唐招提寺」「新薬師寺」の3ヶ所。
本当は「奈良国立博物館」も予定していたが、最近は「じっくり」見学して説明文も読んだりするので、1ヶ所ですごく時間が掛かる。だから3ヶ所巡るだけで時間がなくなってしまう。
これは結構悩みのタネで、団体ツアーなどのペースでは絶対に満足感のある見学ができない。

●薬師寺
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山である。南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は薬師如来、開基(創立者)は天武天皇。1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。
20世紀半ばまでの薬師寺には、江戸時代後期仮再建の金堂、講堂が建ち、創建当時の伽藍をしのばせるものは焼け残った東塔だけであった。1960年代以降、名物管長として知られた高田好胤(たかだこういん)が中心となって写経勧進による白鳳伽藍復興事業が進められてきた。1976年に金堂が再建されたのをはじめ、西塔(1981年)、中門、回廊の一部、大講堂(2003年)などが次々と再建された。2017年5月には修行・食事に使われる食堂(じきどう)がほぼ完成し、復興事業は最終段階を迎えている(Wikipediaより抜粋)。

20年くらい前に1度訪ねたことがある。
有名な「薬師三尊像」を見て、再建された西塔があったのを覚えていた。
到着して最初に気づいたのは「修学旅行のシーズン」ということ。学生の団体がいて「これは堪らない」と思ったが、仕方ない。とは言え「日光・月光菩薩」の前が混雑していたくらいで、他のところはそうでもなく、ゆっくりと見学できた。
「日光・月光菩薩」は、やっぱり魅力的な仏像で、本当だったらじっくり静かに味わいたいものだが、多くの修学旅行生がいても、その魅力はビンビン感じることができた。
以前来た時よりも「大講堂」「食堂」が増え、その代わりに昔からある「東塔」は大修理中で見られなくて残念だった。

行った時は「西塔」「釈迦八相のうち後半の四相(果相)にあたる諸像」が特別公開されていて、せっかくの機会なので、見学した。入り口には「撮影はご遠慮ください」と張り紙があったが、私よりちょっと年上のオジサンが一眼レフでバシャバシャ撮影していた。
「ここって撮影ダメなんじゃないですか?」というと「遠慮しろと言っているだけで、禁止とは書いていない」と言って平気な顔をしていた。ちょっと日本人として恥ずかしいなぁと思ったが、これ以上言うのもバカバカしくて、そのまま見学を続けた。
まだ、こんな厚顔無恥な日本人もいるんだな。

薬師寺は法相宗の大本山で、その始祖(宗教用語では「鼻祖」というらしい)である「玄奘三蔵(=西遊記の三蔵法師)」の伽藍として「玄奘三蔵院伽藍」が一番奥にあり、そこまで歩いた。
途中「写経道場」もあり、一時期「東塔」くらいしか残らない「荒れ寺」になってしまっていた薬師寺だったそうだが、ずいぶん整理されて、往時の広さも「ちょっとだけ」実感できる感じになってきていた。(つづく)

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2018年5月21日 (月)

近場の城巡り~清洲城と小牧山城

私の住んでいる地方は「信長」「秀吉」「家康」という戦国時代の三英傑を生んでいる。
今では「東京」が日本の中心になってしまったが、戦国時代から江戸幕府が開府されるまでは、日本の歴史上のさまざま出来事の中心の地区でもあった。
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その影響もあり、あちらこちらにお城や城跡が点在する。
「現存12天守」と呼ばれる昔から残っている天守閣も「犬山城」はクルマで1時間、「彦根城」「丸岡城」そしてちょっと遠いが「松本城」なども日帰りで出かけられる位置にある。
もちろん、このような「現存12天守」は今まで訪れているが、最近は復元された天守閣にも足を運ぶようになった。

昔は「コンクリートで出来た城なんて」と思っていたが、最近はさまざまな資料が展示してあることも楽しみになってきているので、往時の雰囲気を想像しながら訪れるようになった。やっぱりこれは年齢の影響だろうか?

この「復元天守」もこの地方には多い。
最近話題になり、今年のゴールデンウィークで一旦登城終了となり、ものすごく多くの観光客が訪れた「名古屋城」をはじめ、家康ゆかりの「岡崎城」など、以前行ったことがあるところを、2年くらい前から再訪していた。
そして、最近は、「近いのに行っていない」ところが気になり始め、GWに行ってきた。

●清洲城
映画の「清須会議」で有名になったが、正確にはここは初めてではない。
復元されたばかりの頃に行った記憶があるは、前述のようにその頃は「コンクリートの復元なんて」と思っていたので、あまり覚えていない。
新幹線からは近いので、車窓から「チラチラ」とは見ていたが、今回はちゃんと見ようと思って行った。
驚いたのは橋も天守閣周りも整備されていたし、展示物やムービーを使った説明など充実していて楽しかった。
そして駐車場は無料だし、天守への入館は300円と財布に優しい。
ただし、本来は今の復元天守の位置にはなく、さらに当時は「天守」はなく「館」の形だったこと。それよりも江戸時代になりいわゆる「清洲越し」で、街ごと「名古屋」に移転してしまうまでは、とても賑わっていて、この地方ではトップクラスの都市だったとのこと。今は名古屋のベッドタウン的で見る影もないが・・・・・。

●小牧山城
ここは「高速道路」「県営名古屋空港」から望める山城。
もちろん天守は復元で、「天守閣」というよりも「資料館」といった感じだった。
ただし「小牧山」は面白い。まだまだ発掘調査中で、年々発見が続いているようで、今は「小牧市役所」となってしまっている小牧山の麓には「楽市楽座」の元となるような街づくりの跡もあるそうだ。
ここは何といっても「小牧・長久手の戦い」で名を知られるけれど、その時秀吉がいた「犬山城」や家康が先回りして待ち伏せした「長久手」あたりとの距離がわかっているだけに、想像を巡らせて楽しんできた。
ただ、山はそれなりに坂がきつく、今のうちに登っておかないと厳しくなりそうだ。

天気もよく写真映えもしたので、左のアルバムに掲載しておいた。
次は「岐阜城」を目指しているが、また訪れたら紹介します。

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2018年5月14日 (月)

伝わってる?最近のカタカナ用語

昔、このブログで書いたが私は、紆余曲折あって20代前半から「グラフィックデザイナー」という仕事に就いた。
この世界は、まぁそれなりに「カタカナ」の用語が多くある業界だ。
だから昔はそんなに気にならなかったが、15年くらい前からやたらと「カタカナ用語」が日常的に使われるのが気になるようになった。
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例えば少し前の「公文」のCM。
「一人ひとりの力をきちんと見つめて伸ばしていくメソッドがあるから」。
なんか分かるような分からないようなナレーションが流れていた。

それに一時、エラく威勢の良かった「東京都知事」の女性の方。
この人もやたら「カタカナ用語」を連発する。「アウフヘーベン」「ワイズ・スペンディング」なんて、何のことだろう?と思ってしまう。

何でこんなふうに「カタカナ用語」を頻繁に使うようになったんだろう?
うちの会社でも「バッファ」「フィックス」「エビデンス」なんて言葉が飛び交う。
「余裕」とか「最終版」とか「証拠・記録」って言った方が正確に伝わるんじゃないんだろうか。

それとも「カタカナ用語」を使うとワンランク上な感じがするとでも思っているのだろうか?
そう思いながらも結局私も使うのだが、本来言葉は「相手に伝わること」のために使うものだ。
なのに「カタカナ用語」を使って、相手が分からないと「知らない方が知的レベルが低い」とニヒルな感じで見下ろすのっては、かなり本末転倒している気がするなぁ。

他にも、ふっと思いつくだけで「バイアス」「シークエンス」「アジェンダ」などなど本当にすぐに意味が伝わらない外来語が多い。
そんなことが気になり始めた頃(2000年くらい)に「カタカナ語の『常識』がわかる本」という本を買って、今でも会社に置いてあるが、もう役に立たないくらい多くの言葉が乱立している。

パソコン通信という古い時代に私が「カタカナ職業」と書いた事がある。
そうしたら全く見ず知らずの人から「カタカナ職業がそんなにエライのか!」とクレームを付けられて驚いたことがある。
そんなつもりで使用してなかったが、勝手に「エラそうに」見えたのかもしれない。
今ではSNSなどの「炎上」は良く見聞きするけれど、その時代には、そんなことはまだ稀だったので、とても驚いたことを覚えている。
きっとその人は、今の私と同じような気持ちを持ったのだろうか?

先に書いたように「本来、言葉は伝えるためにあるもの」だと思っているが、私自身は日本語で言ってくれた方が伝わる気がする。
でも、今の世代はこんな「カタカナ語」の方が伝わっているのかな?

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2018年5月 7日 (月)

「昔」っていつから

4月から何年か振りに公共交通機関で通勤するようになった。
今まで役職で早朝会議に出ていた恩恵で、会社の駐車場に留めさせてもらっていた。再雇用後もそのまま使わせもらっていたが、いろいろな諸事情で、社内の駐車スペース見直しとなり、その関係で公共交通機関通勤となった。
20180507とは言え、元々40分ほどの通勤時間だし、乗り換え無しなので、今までが超贅沢な待遇だったのが・・・。

その影響で、通勤時間中に文庫本を読むのだが、最近「仏教の歴史」のようなものを読んだ。
こう書くと難しそうな感じだか、とてもあっさり整理して書かれていて、あまり各宗派の考えとか難しい内容でない。
神道から始まり大乗仏教、そしていろんな宗派が生まれ、神仏分離があり、新興宗教と大きな流れに沿って説明してあるものだ。

その中で、改めて知ったことがあった。
明治維新の時に「神仏分離」が行われたが、それまで神社とお寺はとても近い関係であったこと。
神社の中にお寺があるのは、良くある風景だったこと。
そして、天皇が「神道」とされたのも「神仏分離」以降だったこと。
確かに奈良時代などは、天皇が仏教を支援し、有名なところでは「奈良の大仏」などを建立している。

その他、いろいろあるのだが、とにかく「神仏」はとても近い関係だったので、今でも日本人は「除夜の鐘」を聞いて、神社に「初詣」に行っても何の違和感もないのだそうだ。
このことは、海外の人たちには絶対に理解出来ない出来事だが、大半の日本人は何の不思議に感じていない。
そもそも「神道」「宗教」ではないのではないかと、その本に書いてあった。

これを読んで思ったのは「昔から、こうだった」なんてのは、実は「思い込み」に過ぎないんだと言うことだ。
江戸時代の「鎖国」にしても、当時は「日本は神代の時代からずっと鎖国だ」と信じていたそうで、信長・秀吉の時代には貿易が盛んだったことを知らなかったそうだ。

最近の例では、「大相撲の女人禁制」だってそうだ。
江戸時代までは「女相撲」が盛んに興行されていたそうで、今のように「神の儀式だから」というようになったのは、やっぱり明治以降。
たった150年前のことなのだ。

そして会社も同じ。
「ウチの会社の伝統は」とか「昔から、こういうやり方だから」なんて言うけれど、企業の場合もっと短くて、20年とか30年とかだろう。
ウチの会社だってまだ創業100年は過ぎていないから、「昔から」って言っても本当に「最近」の話だ。
「昔から」「伝統的に」なんて言葉は、これからちょっと疑ってかかるぐらいがちょうど良いのかもしれない。

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2018年4月23日 (月)

今年の新人たち

昨年めでたく(?)再雇用となった私だが、それと入れ違いに世の中は「人材育成が最も重要」と言われるようになった。

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その背景には、まず「働き方改革」がある。私たちの若い時のように「見て覚えろ」とか「仕事や技術は盗むものだ」的な対応では、今は通用しない。受け取る新人たちもそうだが、それより「そんな教え方はパワハラだ」と言われるからだ。

まぁ時代も違うし、人によって賛否あるから、一概に決め付けるわけには行かないが、私は昔のやり方で、徐々に周りが認めてくれる「充実感」が自己の成長と感じられたので良かったのではないかと思っている。

ただ「がむしゃらに上下関係が厳しく働く」時代ではなく「有意義な人生を送るために働く」という改革の真っ最中だから、私の感覚は「時代錯誤」なのだろう。

もう1つの背景はAI化の躍進」だ。
単純労働は、遅からず「コンピュータ」が対応し、さらにもうちょっと複雑な業務も「AI機能」が代理で行う時代がやってくる。
そうなると企業は「優秀な人材」が最も重要で必要となるわけで、今やどの企業も「人材育成」に投資するようになった。

そんな流れの中、わが社も昨年から「新人研修」にチカラを入れ始めた。
それまでは10日前後のビジネス研修のあと、配属先の任せるOJT教育」で長くやっていた。
私はひそかにOJTと言う名の、ほったらかしな教育」と思っていたが、やっと「これじゃダメだ」となり、営業職を中心に4月末までの約1ヶ月間、研修を行うことになった。 

その研修の「クリエイティブな部分」を人事部から「ぜひ」と頼まれ、昨年から面倒見ることになった。
まぁお世話になった恩返しだし、その業務を引き受けることで、会社としては「必要な人材」と思ってもらえるという損得勘定も少しある。

しかし、最近は就活生の「売り手市場」の影響で、内定を出しても断るし、入社しても「ワイワイガヤガヤ」と学生気分のままだ。
今までもそうだったが、ここ12年は特にそう感じる。

会社と学校の区別がつかず「言われたこと」は素直にやるが「言われない」と気づかない。
今年の新入社員は、さらにすごく研修期間中の朝や帰社時刻に社員とすれ違っても挨拶しない。
我々だけじゃなく常務など役員にもしない。
さすがに気になったので、注意すると「とても素直に」言うことを聞く。

さらに早朝会議をやっている横の食堂で待機している時も「ワイワイガヤガヤ」
一度注意すると静かになるが、23日するとまた元に戻る。

ミーティングしてプレゼンさせると、すごく上手い。
きっと学校で習ってきたからなのだろう。
すらすらと難しい言葉を使って「さもわかったように説明」する。

でも、ちょっと深い突っ込みの質問をすると、途端に下を向く。
良い例が「顧客の要望を聞いて提案する」と言ったので、「その要望はいったい何?コスト?納期?品質?対応?」と聞いたら、何も言わなくなってしまった。

さらに時間を決めてミーティングさせても、時間が足りなくなって「あと5分延長できませんか」と平気で言って来る。
もちろん「学校じゃないんだよ。時間通り出来ないのは、計画性がなくスキルがないからだ」と突っぱねてしまったが・・・・・・

いったいこの子達は「社会人となる覚悟」があるんだろうか?
と偉そうにいうが、私もそんなに立派な若者じゃなかった。
そして、今の子のように素直じゃなくって、世の中を斜めから見ていたので「へん、うるさいよ」という態度を取っていた。

そんな意地っ張りでもなく、注意するととても素直。
そして、昨年入社したうちで、すでに1名退社し、1名はちょっとメンタルを(軽く)痛めてしまった。
よく言えば、とっても純粋培養。だから耐性がないから、すぐに挫けてしまう。

手前味噌だけれど、私たちのように厳しく教えられ、さらにそれに反発するような若い奴の方が、しっかりした社会人になっていくのではないだろうか?

ただ彼らと私の年齢の差は
40年。
分かり合えるはずもないけれど、研修をやるたびに「こいつら小学生か?」と思う今日この頃だ。 

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