2018年5月21日 (月)

近場の城巡り~清洲城と小牧山城

私の住んでいる地方は「信長」「秀吉」「家康」という戦国時代の三英傑を生んでいる。
今では「東京」が日本の中心になってしまったが、戦国時代から江戸幕府が開府されるまでは、日本の歴史上のさまざま出来事の中心の地区でもあった。
20180521
その影響もあり、あちらこちらにお城や城跡が点在する。
「現存12天守」と呼ばれる昔から残っている天守閣も「犬山城」はクルマで1時間、「彦根城」「丸岡城」そしてちょっと遠いが「松本城」なども日帰りで出かけられる位置にある。
もちろん、このような「現存12天守」は今まで訪れているが、最近は復元された天守閣にも足を運ぶようになった。

昔は「コンクリートで出来た城なんて」と思っていたが、最近はさまざまな資料が展示してあることも楽しみになってきているので、往時の雰囲気を想像しながら訪れるようになった。やっぱりこれは年齢の影響だろうか?

この「復元天守」もこの地方には多い。
最近話題になり、今年のゴールデンウィークで一旦登城終了となり、ものすごく多くの観光客が訪れた「名古屋城」をはじめ、家康ゆかりの「岡崎城」など、以前行ったことがあるところを、2年くらい前から再訪していた。
そして、最近は、「近いのに行っていない」ところが気になり始め、GWに行ってきた。

●清洲城
映画の「清須会議」で有名になったが、正確にはここは初めてではない。
復元されたばかりの頃に行った記憶があるは、前述のようにその頃は「コンクリートの復元なんて」と思っていたので、あまり覚えていない。
新幹線からは近いので、車窓から「チラチラ」とは見ていたが、今回はちゃんと見ようと思って行った。
驚いたのは橋も天守閣周りも整備されていたし、展示物やムービーを使った説明など充実していて楽しかった。
そして駐車場は無料だし、天守への入館は300円と財布に優しい。
ただし、本来は今の復元天守の位置にはなく、さらに当時は「天守」はなく「館」の形だったこと。それよりも江戸時代になりいわゆる「清洲越し」で、街ごと「名古屋」に移転してしまうまでは、とても賑わっていて、この地方ではトップクラスの都市だったとのこと。今は名古屋のベッドタウン的で見る影もないが・・・・・。

●小牧山城
ここは「高速道路」「県営名古屋空港」から望める山城。
もちろん天守は復元で、「天守閣」というよりも「資料館」といった感じだった。
ただし「小牧山」は面白い。まだまだ発掘調査中で、年々発見が続いているようで、今は「小牧市役所」となってしまっている小牧山の麓には「楽市楽座」の元となるような街づくりの跡もあるそうだ。
ここは何といっても「小牧・長久手の戦い」で名を知られるけれど、その時秀吉がいた「犬山城」や家康が先回りして待ち伏せした「長久手」あたりとの距離がわかっているだけに、想像を巡らせて楽しんできた。
ただ、山はそれなりに坂がきつく、今のうちに登っておかないと厳しくなりそうだ。

天気もよく写真映えもしたので、左のアルバムに掲載しておいた。
次は「岐阜城」を目指しているが、また訪れたら紹介します。

| | コメント (0)

2018年5月14日 (月)

伝わってる?最近のカタカナ用語

昔、このブログで書いたが私は、紆余曲折あって20代前半から「グラフィックデザイナー」という仕事に就いた。
この世界は、まぁそれなりに「カタカナ」の用語が多くある業界だ。
だから昔はそんなに気にならなかったが、15年くらい前からやたらと「カタカナ用語」が日常的に使われるのが気になるようになった。
20180514
例えば少し前の「公文」のCM。
「一人ひとりの力をきちんと見つめて伸ばしていくメソッドがあるから」。
なんか分かるような分からないようなナレーションが流れていた。

それに一時、エラく威勢の良かった「東京都知事」の女性の方。
この人もやたら「カタカナ用語」を連発する。「アウフヘーベン」「ワイズ・スペンディング」なんて、何のことだろう?と思ってしまう。

何でこんなふうに「カタカナ用語」を頻繁に使うようになったんだろう?
うちの会社でも「バッファ」「フィックス」「エビデンス」なんて言葉が飛び交う。
「余裕」とか「最終版」とか「証拠・記録」って言った方が正確に伝わるんじゃないんだろうか。

それとも「カタカナ用語」を使うとワンランク上な感じがするとでも思っているのだろうか?
そう思いながらも結局私も使うのだが、本来言葉は「相手に伝わること」のために使うものだ。
なのに「カタカナ用語」を使って、相手が分からないと「知らない方が知的レベルが低い」とニヒルな感じで見下ろすのっては、かなり本末転倒している気がするなぁ。

他にも、ふっと思いつくだけで「バイアス」「シークエンス」「アジェンダ」などなど本当にすぐに意味が伝わらない外来語が多い。
そんなことが気になり始めた頃(2000年くらい)に「カタカナ語の『常識』がわかる本」という本を買って、今でも会社に置いてあるが、もう役に立たないくらい多くの言葉が乱立している。

パソコン通信という古い時代に私が「カタカナ職業」と書いた事がある。
そうしたら全く見ず知らずの人から「カタカナ職業がそんなにエライのか!」とクレームを付けられて驚いたことがある。
そんなつもりで使用してなかったが、勝手に「エラそうに」見えたのかもしれない。
今ではSNSなどの「炎上」は良く見聞きするけれど、その時代には、そんなことはまだ稀だったので、とても驚いたことを覚えている。
きっとその人は、今の私と同じような気持ちを持ったのだろうか?

先に書いたように「本来、言葉は伝えるためにあるもの」だと思っているが、私自身は日本語で言ってくれた方が伝わる気がする。
でも、今の世代はこんな「カタカナ語」の方が伝わっているのかな?

| | コメント (0)

2018年5月 7日 (月)

「昔」っていつから

4月から何年か振りに公共交通機関で通勤するようになった。
今まで役職で早朝会議に出ていた恩恵で、会社の駐車場に留めさせてもらっていた。再雇用後もそのまま使わせもらっていたが、いろいろな諸事情で、社内の駐車スペース見直しとなり、その関係で公共交通機関通勤となった。
20180507とは言え、元々40分ほどの通勤時間だし、乗り換え無しなので、今までが超贅沢な待遇だったのが・・・。

その影響で、通勤時間中に文庫本を読むのだが、最近「仏教の歴史」のようなものを読んだ。
こう書くと難しそうな感じだか、とてもあっさり整理して書かれていて、あまり各宗派の考えとか難しい内容でない。
神道から始まり大乗仏教、そしていろんな宗派が生まれ、神仏分離があり、新興宗教と大きな流れに沿って説明してあるものだ。

その中で、改めて知ったことがあった。
明治維新の時に「神仏分離」が行われたが、それまで神社とお寺はとても近い関係であったこと。
神社の中にお寺があるのは、良くある風景だったこと。
そして、天皇が「神道」とされたのも「神仏分離」以降だったこと。
確かに奈良時代などは、天皇が仏教を支援し、有名なところでは「奈良の大仏」などを建立している。

その他、いろいろあるのだが、とにかく「神仏」はとても近い関係だったので、今でも日本人は「除夜の鐘」を聞いて、神社に「初詣」に行っても何の違和感もないのだそうだ。
このことは、海外の人たちには絶対に理解出来ない出来事だが、大半の日本人は何の不思議に感じていない。
そもそも「神道」「宗教」ではないのではないかと、その本に書いてあった。

これを読んで思ったのは「昔から、こうだった」なんてのは、実は「思い込み」に過ぎないんだと言うことだ。
江戸時代の「鎖国」にしても、当時は「日本は神代の時代からずっと鎖国だ」と信じていたそうで、信長・秀吉の時代には貿易が盛んだったことを知らなかったそうだ。

最近の例では、「大相撲の女人禁制」だってそうだ。
江戸時代までは「女相撲」が盛んに興行されていたそうで、今のように「神の儀式だから」というようになったのは、やっぱり明治以降。
たった150年前のことなのだ。

そして会社も同じ。
「ウチの会社の伝統は」とか「昔から、こういうやり方だから」なんて言うけれど、企業の場合もっと短くて、20年とか30年とかだろう。
ウチの会社だってまだ創業100年は過ぎていないから、「昔から」って言っても本当に「最近」の話だ。
「昔から」「伝統的に」なんて言葉は、これからちょっと疑ってかかるぐらいがちょうど良いのかもしれない。

| | コメント (0)

2018年4月23日 (月)

今年の新人たち

昨年めでたく(?)再雇用となった私だが、それと入れ違いに世の中は「人材育成が最も重要」と言われるようになった。

20180423

その背景には、まず「働き方改革」がある。私たちの若い時のように「見て覚えろ」とか「仕事や技術は盗むものだ」的な対応では、今は通用しない。受け取る新人たちもそうだが、それより「そんな教え方はパワハラだ」と言われるからだ。

まぁ時代も違うし、人によって賛否あるから、一概に決め付けるわけには行かないが、私は昔のやり方で、徐々に周りが認めてくれる「充実感」が自己の成長と感じられたので良かったのではないかと思っている。

ただ「がむしゃらに上下関係が厳しく働く」時代ではなく「有意義な人生を送るために働く」という改革の真っ最中だから、私の感覚は「時代錯誤」なのだろう。

もう1つの背景はAI化の躍進」だ。
単純労働は、遅からず「コンピュータ」が対応し、さらにもうちょっと複雑な業務も「AI機能」が代理で行う時代がやってくる。
そうなると企業は「優秀な人材」が最も重要で必要となるわけで、今やどの企業も「人材育成」に投資するようになった。

そんな流れの中、わが社も昨年から「新人研修」にチカラを入れ始めた。
それまでは10日前後のビジネス研修のあと、配属先の任せるOJT教育」で長くやっていた。
私はひそかにOJTと言う名の、ほったらかしな教育」と思っていたが、やっと「これじゃダメだ」となり、営業職を中心に4月末までの約1ヶ月間、研修を行うことになった。 

その研修の「クリエイティブな部分」を人事部から「ぜひ」と頼まれ、昨年から面倒見ることになった。
まぁお世話になった恩返しだし、その業務を引き受けることで、会社としては「必要な人材」と思ってもらえるという損得勘定も少しある。

しかし、最近は就活生の「売り手市場」の影響で、内定を出しても断るし、入社しても「ワイワイガヤガヤ」と学生気分のままだ。
今までもそうだったが、ここ12年は特にそう感じる。

会社と学校の区別がつかず「言われたこと」は素直にやるが「言われない」と気づかない。
今年の新入社員は、さらにすごく研修期間中の朝や帰社時刻に社員とすれ違っても挨拶しない。
我々だけじゃなく常務など役員にもしない。
さすがに気になったので、注意すると「とても素直に」言うことを聞く。

さらに早朝会議をやっている横の食堂で待機している時も「ワイワイガヤガヤ」
一度注意すると静かになるが、23日するとまた元に戻る。

ミーティングしてプレゼンさせると、すごく上手い。
きっと学校で習ってきたからなのだろう。
すらすらと難しい言葉を使って「さもわかったように説明」する。

でも、ちょっと深い突っ込みの質問をすると、途端に下を向く。
良い例が「顧客の要望を聞いて提案する」と言ったので、「その要望はいったい何?コスト?納期?品質?対応?」と聞いたら、何も言わなくなってしまった。

さらに時間を決めてミーティングさせても、時間が足りなくなって「あと5分延長できませんか」と平気で言って来る。
もちろん「学校じゃないんだよ。時間通り出来ないのは、計画性がなくスキルがないからだ」と突っぱねてしまったが・・・・・・

いったいこの子達は「社会人となる覚悟」があるんだろうか?
と偉そうにいうが、私もそんなに立派な若者じゃなかった。
そして、今の子のように素直じゃなくって、世の中を斜めから見ていたので「へん、うるさいよ」という態度を取っていた。

そんな意地っ張りでもなく、注意するととても素直。
そして、昨年入社したうちで、すでに1名退社し、1名はちょっとメンタルを(軽く)痛めてしまった。
よく言えば、とっても純粋培養。だから耐性がないから、すぐに挫けてしまう。

手前味噌だけれど、私たちのように厳しく教えられ、さらにそれに反発するような若い奴の方が、しっかりした社会人になっていくのではないだろうか?

ただ彼らと私の年齢の差は
40年。
分かり合えるはずもないけれど、研修をやるたびに「こいつら小学生か?」と思う今日この頃だ。 

| | コメント (0)

2018年4月16日 (月)

日光東照宮の旅(その4)

2日目の朝は、やっぱり雨。
予定では「日光山法輪寺」「日光東照宮」「日光山輪王寺大猷院」「日光二荒山神社」
場所的には、全部固まっているけれど、どうも最近はじっくり見たり、宝物殿なんかも見るので、時間が掛かる。
今回も15時には東武日光駅に戻ってこないと帰れなくなるので、早めにホテルを出て駅へ。
20180416_2
そういえば、東武日光はICカードが共通で使えたので、バス利用でもスゴく便利だった。

バスに乗って、東照宮参道へ。
まずは「日光山法輪寺」
今回全く事前に調べずに出かけたので、行ってみて「あれ、そうだったの?」と思うことが多かった。
ここも「三仏堂」が約50年ぶりの大修理中。
「え~~」と思ったが、修理中の姿を屋根の高さまで登って見られたし、「日光三社権現本地仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)」はすぐ下を通って観覧できるという幸運に恵まれた。
もちろん、写真を撮ったりはできなかったけれど。

その後は「日光東照宮」
宝物殿を見てから、いよいよ社殿へ。
陽明門の大修理が終わってしばらく経っているのに、やっぱり人が多い。
雨降りなのに多い。
そしてめちゃくちゃ外国人が多い。
私が行ったときは、チケット売り場は並んでなかったが、見学後戻ったら、長蛇の列になっていた。
「三猿」「陽明門」「眠り猫」など有名なポイントは大混雑。
先に宝物殿を見たおかげで「陽明門」の龍の図に気づくことが出来たのは、良かったかな?

これも知らなかったけれど「薬師堂(本地堂)」では、「鳴き龍」を視聴(?)
一体どういう構造で、場所によって響きが変わるんだろうと不思議だった。
ここも外国人が居て、なんと説明の僧侶が英語で説明していた。スゴイ。
家康の霊廟も長い階段を登って行って来た。
「久能山東照宮」の断崖絶壁を登る葛篭折れの階段を経験して依頼、「久能山よりは、まだ良い」と頑張れるようになったが、ここもちょっと辛かった・・・。

そして「日光山法輪寺大猷院」へ。
密かに一番楽しみにしていた「家光の廟所」
ここは東照宮から少し離れ、一番奥なので観光客も少なく、個人的にはとても良い空気感だった。
「仁王門」「二天門」「夜叉門」とあり、残念ながら「二天門」は修理中だったが、これも変わった姿を見られたのは、良かった。
「夜叉門」については、あとで僧侶からの説明があり、門内に「4夜叉像」があり、その中の「烏摩勤伽(うまろきゃ)」の膝には象が飾られており、ここから「ひざこぞう」という言葉が生まれたのだそうだ。

「拝殿」で見学していたら案内の僧侶からのご説明があった。
「拝殿・相の間・本殿」のこと、そして訪れた日が20日で「家光公の月命日」だったこと、金閣寺・中尊寺金色堂と並んで「日本三大金堂」であること、そして「狩野探幽(かのうたんゆう)の描いた唐獅子」、天井には140枚の龍の絵などなど、スゴイ貴重なものを目の前で見られることに驚いた。

その後、「日光二荒山神社」に寄り「神橋」を写真に収め、帰路へ。
帰りは「のぞみ」だったので、早く帰ってこられた。
やっと日光東照宮に行ってこられたが、中国の春節時期を外したけれど、「インバウンド」と言われる外国人観光客の多さにびっくりした2日間だった。
これからは、そういうことも考えて旅行先を選ばないといけないなぁと思った旅だった。

追伸
またアルバムをアップしておきましたので、良かったら見てください。

| | コメント (2)

2018年4月 9日 (月)

日光東照宮の旅(その3)

滝を見た後、少しだけお土産売り場を回ったが、平日と言うこともあり閑散としていた。
そろそろ駅まで戻るかとバス停に行ったら、目の前で発車。
仕方なく30分ばかり待って、今度は「下りのいろは坂」で日光まで降りてきた。
20180409
日光駅の周りはお土産屋さんもあり「これなら夕飯は、駅の近くで良いなぁ」と思ってホテルに向かいチェックイン。
「列車+宿泊」のかなりリーズナブルな価格なのに、上々のホテルだった。
もっともシーズンオフということもあるし、普通の観光客なら「鬼怒川温泉」に泊まる人が多いようなので、お得な価格なのだろうか?

部屋でひと休みして夕食を取ろうと外へ出たら、真っ暗。
そして食事できそうなお店も、もう閉まっている!
「だからホテルにチェックインしたときに、ホテル内でも夕食が取れると勧めたのか!」と思ったが、とにかくどこか近くにないかと歩いてみた。

「せっかく日光に来たなら、名物の湯葉を」と思ってなかなかお店がない。
「日光まで来てラーメンの夕食は・・・」と思って歩いていたら、お寿司屋さんだったが「湯葉」のあるお店を発見!
ここが大正解で、「湯葉」「お寿司」も美味しかった。
最近は「回る寿司屋」に慣れてしまったが、ちゃんとしたお寿司屋で握ってもらったお寿司って「こんなにシャリがホロホロと口の中でほぐれて、美味しかったっけ?」と変な驚きを持ってしまったくらいだった。

入った時には、外国人のグループが、そして出る時にもすれ違いで違う国の外国人グループが。
とにかく「さすがは日光」。外国人の観光客が多い。
そしていろんな国からの観光客が本当に多いと2日間、どこに行っても感じる日光だった。
ただ、そのお店の大将が話してくれたが外国人の「予約は受けない」そうだ。

最初は受け付けていたそうだが、「無断キャンセル」が頻繁で、せっかく仕入れた材料がムダになってしまったとのこと。
良くTVやネットで見聞きする話だが、「本当にそうなんだ」と思った。
日本人はそういうことも真面目だからなぁ。
こういうグローバルな常識は日本で根付かないで欲しい。
旅行に行くと、「ネットでお勧めの店」は混んでいることが多い。
でも、お店に飛び込みで入っても、結構おいしい店に出会う
そして、そこのご主人とこんな話ができるのも、旅行のちょっとした楽しみでもある。

帰りに「コンビにでも」と思ったら、駅前なのに「ない!」
仕方なくスマホで調べて、テクテク歩き、ちょっとお菓子や飲み物を仕入れてきた。
ホテルへの帰り道に雨が「ポツポツ」
何とか1日目は降らずに済んだが、どうも2日目は雨の覚悟をしなくちゃいけないなぁと思いながら、ホテル内の大浴場や露天風呂に入り、温まってから就寝した。

| | コメント (0)

2018年4月 2日 (月)

日光東照宮の旅(その2)

チケットが送られてきたのは2月下旬。
実際に行ってきたのは3月19~20日。日曜と春分の日に挟まれた平日2日間に有休を取って行って来た。
20180402_4
年度末のドタバタしている時期に、こんなワガママな休みを取れるのも「再雇用」という立場だから。
とは言え、少し業務で気にしなくちゃいけないことがあり、1日目は、移動中にメールを確認して進捗状況を気にしながらになってしまったが。

さて、いよいよ1日目。
新幹線で最寄りの駅から出発。
こういう「列車+宿泊」パックでは乗車する列車の時刻や種類によって、ずいぶん価格が変わる。
再雇用の身分としては贅沢できないので、「早朝のこだま」を選択。
乗る前にサンドイッチを買って、朝食しながらの始まりとなった。

気にしていた天気は、あいにくの曇り。
各駅停車のこだまなので、たっぷり時間を掛けて東京に到着。その後、山手線、地下鉄と乗り換えて浅草に向かい「東武日光 特急スペーシア」に乗車。ちょっとだけ鉄っちゃんなので、一応写真だけは撮ってみた。
乗車前にまたまた駅弁を買って、車内でモグモグタイム。
こうやって列車を乗り継いで、駅弁を食べていく旅も面白いのかも……などと思った。
今は本当にいろいろな駅弁があって、美味しいからね。

東武日光に到着したのは14時前。
宿泊ホテルは駅前だけれど、そのままバスに乗って「華厳の滝へ」。
そのバスの半分以上が外国人で、出発時には「降車ボタン」にキャリーケースか何かがあたり、ずっとブザーが鳴り、運転手も怒りだすというハプニングもあったが、少しだけ日本語の分かる外国人が間に入って説明し、何とか無事に動き出した。

因縁の「いろは坂」は、45年ぶりだけれど、やっぱり凄くて、まだ車酔いが激しかった中学時代に嘔吐したのは「仕方なかったなぁ」と思いながら、どんどん登っていく風景を見ていた。
「中禅寺温泉」に到着。
「寒い!」
寒くなると言う予報だったので、重ね着できるように用意したから良かったが、「もう3月下旬だから大丈夫だろう」と甘く考えていたら、エライ目に遭うところだった。

「こんなエレベータなんかあったかなぁ?」と思って下まで降りて、通路を通っていよいよ「華厳の滝」へ。
修学旅行で見た時より近くに見えたけれど、迫力はやっぱりある。
こういう「自然のもの」は、45年も前のことでも、そんなに印象は変わらないものなんだろうか?
45年前と違うのは、今回はまだ雪が残っていたところ。
こんな姿の「華厳の滝」もあるんだと、ちょっと興奮した。
(つづく)

| | コメント (0)

2018年3月26日 (月)

日光東照宮の旅(その1)

ここ数年行きたいと思っていた「日光東照宮」に行って来た。
有名な陽明門の大修理がきっかけだが、例によってその話題が盛り上がっている時は混んでいるだろうと様子を見ていた。20180326

「日光東照宮」は中学校の修学旅行以来。
だから46年くらい前の事か?
この時、「いろは坂」でバスに酔い東照宮到着の時に嘔吐したことが記憶にある。
小さい頃、とても乗り物酔いが激しかったのだが、嘔吐までしたのはあまりなく、悪い思い出の地でもある。

東照宮は、若い頃はあまり興味がなかったが、このブログで紹介した「久能山東照宮」 に行った頃から、気になるようになった。
これは、それだけ歴史的知識が増えてきたせいもあるだろう。
だから同じくブログにも「上野東照宮」 のことも掲載していたりする。

さて、私の住む街から日光までは遠い。
だから「住む街から日光駅までの交通と宿泊のセット」を狙って、旅行代理店を探してみた。
すると結構な値段になる。
「鬼怒川温泉」なんかの宿泊になると、1泊なのに再雇用の身分では「ちょっと厳しいな」という値段になってしまう。
で、結局昨年松山に行った時に使った「JR系の旅行代理店」の格安なのを選んだ。

でも日光までの交通チケットを含めて予約できるコースはWEBには掲載しておらず、窓口受付しかない。仕方なく最寄の窓口に行ってきた。
例によって「旅行パンフ」は複雑で、宿泊施設と使用する列車の組み合わせで料金が変わる。
だから、パンフレットを見ながら、列車の時刻表と値段とを比較して、行く時間、帰る時間など全部決めてから申し込みに出かけてきた。
中学生のころSL撮影(今で言う撮り鉄)をやっていたおかげで、時刻表を見て計画立てるのは結構得意だ。
こんなところで、大昔の経験が役立つとは思わなかった・・・・・・。

いざ窓口に行くと、ちょっと頼りない感じの男性社員。
「こんな感じで予約したいけれど」と事前に決めてきた列車の名前と番号、そして宿泊施設名を告げて、改めて旅程を組んでもらった。
東京から日光までがJR系でなく東武鉄道になるので、ちょっと複雑そうで、事務所から先輩の女性社員が応援に来てくれて、電話したりしてくれた。

「大丈夫かなぁ」と思いつつ待っていると、一応こちらの希望通りの時刻と宿泊施設は押さえられたので予約してきた。
これが1月初めのことだった。

| | コメント (0)

2018年3月19日 (月)

荒井由美の時代

ある時、例によって何となくYouTubeを見ていたら、荒井由美時代のアルバムが何枚かアップされていた。
1976年11月20日_The 14th Moon(14番目の月)
1978年3月5日 _紅雀(べにすずめ)
1978年11月5日_流線形'80
1979年7月20日_OLIVE
1979年12月1日_悲しいほどお天気(The Gallery in My Heart)
1980年6月21日_時のないホテル
1980年12月1日_SURF&SNOW

19歳から23歳頃。
20180319ちょうど高校卒業後に働いた後、夜間のデザイン学校に行き、再就職したころのアルバムだ。
まだ自分の未来も見えず、女の子と別れたり、出会ったり、そしてまた別れたり・・・いろいろなことがごちゃ混ぜになっていたい時代だ。

この音源を聴くしばらく前に、同じYouTubeで『MASTER TAPE ~荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る~』 を見たのだが、ユーミンは最初自分で唄うのではなく裏方を目指していたとの事。

実は彼女のことはデビューの頃から知っていた。
1973年11月20日_ひこうき雲
1974年10月5日_MISSLIM (ミスリム)
1975年6月20日_COBALT HOUR

このあたりのLPレコードは持っていたような記憶もある。
クルマのカセットテープなんかで、よく聴いていたものだ。
(LPとかカセットテープとか、なかなか懐かしい単語だらけだ!)

確かこのころだったか、TVに出て唄ったユーミンを見てかなりがっかりした。
緊張もあったのか分からないけれど、えらく音程が外れていて、それ以来私は「ユーミンって唄が下手」というレッテルを貼ってしまっている。
そして当時は「コンサート(ライブなんて言わないんだ)は生歌を聴きにいくもの」と思っていたために、いち早く「エンタテイメント性の高い」ライブをやっていたユーミンのコンサートには一度も行かなかった。

70年から80年くらいのアルバムって、レコードだったこともあり45分間くらいの長さ。
そして1つのテーマに沿って作り上げられていた。
今もそうかもしれないけれど、もっとその傾向が強かった気がする。

だからデジタル時代になって「ベスト盤」的なものばかりでユーミンを聴いていたが、今回改めて「アルバム1枚全部」聴いてみると「懐かしい」曲に出会うことがあった。
「ベスト盤」では聴かなかった、忘れていた曲を耳にすると、なんだか胸がキュンとするのは何故だろう。
やっぱり10代から20代前半の多感な時期に見聞きしたことは、思い出すとキュンとするものなのだろう。
もう45年も前の音楽を、キュンとしながら聴ける時代と年齢になっている。

| | コメント (0)

2018年3月12日 (月)

今の延長じゃない時代にできるか?

3月の半ばになった。
もうこの頃になると4月から始まる新年度の予算や組織など、大半は決まってきている。
部長職だった頃は、年末から年始に掛けて通常業務に加え、予算や組織構築の業務が増えるから、気が付くと3月も終わりに近づいていたなんてことがあった。
でも昨年からは役職定年となり、そして今年は再雇用の身分なので「大変そうだな」と他人事のように見ている。
20180312
しかも去年くらいからは、時代の変化が急速に進んでいるのが肌で感じるようになった。
実際、会社でも基幹業務である「印刷」そのものよりも、イベントや企画など今までの本業以外の売上げがどんどん増えてきている。
それは私たちの業界に限ったことではない。

私たちの住む地方で一番身近なのは自動車だ。
「ガソリンで走る自動車はもう終わり」というのは、もう間違いのない事実で、自動車関連企業はどこも開発予算の割り振りや組織など大幅に見直している。
特に「エンジン系」の企業の場合は、本業そのものを「どこに据えていくか?」という根本的な課題にぶち当たっている。

さらに銀行だってそうだ。
「窓口業務をAI化して、行員を大幅削減」
こんなニュースが昨年の終わりごろ話題になった。
しかもそれが地方銀行ではなく「メガバンク」で計画されているというところが、「時代の急激な変化」を表している証拠だ。

さぁ、そんな時代になり、これからどうするか?
当社のように「印刷」という何年も前から「斜陽」と言われてきた業界は、ここ2~3年のうちに方向を決めないといけないくらい急務だ。

さきに挙げた自動車産業の大手企業のように優秀な経営者がいれば良い。
でも平社員から「頑張っただけ」で経営者になってしまった社長や役員がいる会社は困る。
うちもそうだが、そんな企業って結構多いだろう。
問題は、この経営陣。

残念ながら人は「過去の経験」に縛られる。
特に「印刷」なんて業務は、今の役員が現役でやっていた頃とは雲泥の差があるが、実際に業務していないので良く分からない。
分からないけれど会議では「私たちが現役の頃は」と何の役にも立たない話をしてくる。

そして私も含め、50代後半以上の人たちは「自分たちはこのままで」と思っているから、本音で「改革が必要」と思っていない。
ただ「改革しないと、これから大変なことになる」とは思っている。
だから、30~40代が真剣に考えて上に進言し、その上の人たちがその進言を参考に考えることができるか?
これが絶対必要な時代になってきている。

「今までの延長の発想では、絶対にダメだろう」
これだけははっきり言える年度末。
さて、新年度はどれだけの変革を始めるのだろう。

| | コメント (0)

2018年3月 5日 (月)

男性が育児休暇を取れる時代

例の広告代理店の若い社員の自殺がきっかけとなって活発になった「働き方改革」。20180226
この話題はこのブログで、少し話題にしたことがある。
「残業を減らせ」
「有休消化率を上げろ」
などなど、法律的縛りや社内規定の命令など外堀からの締め付けはきつい。
でも、コスト削減は今まで以上に言ってくるし、顧客からの時間とコストに対するかなり無茶な要望は全く変わっていない。
だから課長のような「中間管理職」に全部しわ寄せが行っていると、ネットに記事が載っていた。
この問題の「根本的解決」には程遠い状態だなと思っている。

じゃこの「働き方改革」は何も改革していないかと言うとそうでもない。
「男性の育児休暇取得」が年々一般的になりつつある。
私の勤める会社の中でも、今年度すでに3人くらいが取得している。
その中でも「1ヶ月」も取得している人がいる。

ウチの婿は2人目が生まれた時に「1週間」くらい「有休取得」で休み、上の子の世話をしたと聞いた。
こういうのを聞いていると、自分に子供が生まれた時の時代と大きく変わってきたと実感する。

わずか5年の結婚生活だったが、私たち元夫婦はお互いに両親がいなかった。
だから子供ができたときに、「出産後の1ヶ月」をどうするかという課題があった。
たまたま私の兄夫婦が同じ町内にいたので、頼ることにしたが、タイミングの悪い(良い?)ことに義姉さんも3人目を身籠ってしまい「全面的にお願い」するわけも行かず、ちょっと大変だった。

あれがもしも今のような時代だったら、迷うことなく「育児休暇」を取らせてもらっただろう。
それに赤ちゃん用品もとても便利なものが揃っているし、30年前と比べてはいけないだろうが、今はとても「赤ちゃんが生まれてくる」環境が良くなっている気がする。
もちろん、いろいろ便利な用品が増えるということは、それだけお金が掛かるのだろうが・・・

きっとこれから10年後には男性も「なぜ育児休暇と取らない」と周りから言われる時代がくるだろう。
日本もやっと欧米並みに「男性が育児や家事を一緒にやる」のが珍しくなくなる時代が来た気がする。
その面では冒頭に書いた「働き方改革」は、徐々に効果が出始めている。
でも、コスト・効率・顧客要求の3つが複雑に絡み合った「長時間労働」の改革はまだまだだ。
やっぱり以前このブログで書いたように「要望した顧客も罰せられる」ような法規制の整備がないと、なかなか変革されないのではないだろうか?

他人のために一生懸命頑張るし責任を持つ国民性は、良いところだけれど、「長時間労働」の問題では悪いところになってしまっているような気がする。

| | コメント (0)

2018年2月26日 (月)

平昌オリンピック

平昌オリンピックが終わった。
始まる前は「北朝鮮の政治利用」という話題でなんだか興味がなかったが、連日のTV放送や日本人メダルの話題で盛り上がり、自分自身もついつい「結果はどうなった?」と気にする2週間だった。
20180305
ちなみにこのブログのオリンピック関連の過去記事を見たら「2006 トリノ」が一番古かった。
もう12年も前だけれど、夏と冬のオリンピックがあるたびに、記事を書いているから、やっぱりそれなりにその年の話題になっているのだろう。

今回はやっぱり「羽生結弦の2連覇」「小平奈緒の金メダル」、そして「高木美帆たちパシュートの金」「高木菜那のマススタートの初代金」の4つの金と最後に決まった「カーリング女子の初メダル」が大きな話題だった。
「パシュートの金」は、陸上の「100m×4」リレーと同じで「個人の力ではかなわないけれど、みんなの力を結集すると勝てる」と、とても日本人の大好きな考え方の元での金メダルだった気がする。

そんな中、個人的には「小平奈緒と李相花」のレース後の抱擁シーンが一番だった。
しかもお互いに自国の国旗を持ちながらのシーンが、ギクシャクしている今の国と国の状態と対照的に見えてよかった。

最初は「チラッ」とTVで映っただけだったが、その後いろいろなところで取り上げられ、さらに二人は実は「個人的には親友だった」と分かると、これまた日本でも韓国でも「ステキだ」と盛り上がった。
今はいろんな競技も「ワールドカップ」と称して世界大会が毎年のように開催されるが、やっぱりオリンピックは世界中が注目するし、そしてこんなシーンを目の当たりにすると特別なんだと思わざるを得ない。

タケシがTVで言っていた。
「ドキドキして、放送を生で見ていられない。終わってメダルを取ったのを知ってから、ゆっくり見ている」
これを聞いて「あぁ、誰も一緒なんだなぁ」と思った。
これってやっぱり年齢のせいなのかな?

今回に限らず最近の冬季オリンピックは新しい種目がどんどん出る。
おそらくスノーボードの出現と道具の進歩が大きく影響しているのだが、私が子供の頃に見ていた冬季オリンピックとは別物になりつつある気がする。
スノーボードで数人のレース形式で滑走する「スノーボードクロス」は、最後の最後に転倒したりして、結果が分からない競技だから楽しみにしていたが、日本人選手が出ていないからか、あまりTVではやらなかった。

「日本人が出場する競技を中心」は分かる気がするけれど、競技自体の面白さや魅力ももっと広めて欲しいなぁ。
でも放送権料がバカ高いと聞いたことがあるので、仕方ないのかな。

「感動、感動」と浮かれて喜んでいるけれど、ちょっと一枚めくってみると「北朝鮮の思惑」とか「商業と利権と儲け主義」とか生々しいものが潜んでいたオリンピックだったかも。
そんなものが取り巻いているからこそ余計に「小平奈緒と李相花」のレース後の抱擁は、より美しく映えたのかもしれない。

| | コメント (0)

2018年2月19日 (月)

薩摩義士の話

鹿児島に行ったのは2012年だったから、もう6年くらい前になる。20180219
どうも年を取ると「ついこの前」が、5~6年くらい前になり、若い世代と時間に関するギャップを感じる。
その鹿児島に行った時のことをブログに書いたが、その中の「鹿児島の旅 その3~1日目、城山近辺へ」 でほんの少しだけ、今回のテーマに触れている。

そこでは「木曽川三川の洪水土木工事を江戸幕府に命ぜられ、苦難の中見事にやりきった人を祀った『薩摩義士碑』。」と書いてあるが、この話は私の住む地方の江戸時代の頃の話だ。

偶然なのだが、私が(多分)小学校の頃にこの話を読み、しかもとても印象深く覚えていたが、残念ながら私の地方でも、この話を知っている人はとても少ない(というか、知っている人に会った事がない)。

「薩摩義士伝」で検索すると、「平田弘史」という人の漫画がヒットするから、もしかすると普通の人は「漫画作品」として認識しているかもしれない。

ウィキペディアによると・・・・
 1753年(宝暦3年)12月25日江戸幕府老中・西尾忠尚は薩摩藩に命じて濃尾地方の木曽川、長良川、揖斐川の3河川の治水事業にあたらせた。これは幕府の、雄藩をあまり富裕ならしめないための政策手段でもあったが、この3河川は、その流域が今日の長野、岐阜、愛知、三重、滋賀の五県にわたり、とりわけそのうち南北15里、東西2里では、多くの本支流が交錯し、容易ならざる難事業であった。そのうえ寛保年間以後、11年間にわたって洪水が頻発し、惨状を呈していた。

 そのために幕府の厳命、督促は猶予がなく、薩摩藩は死力をつくしてこれにあたった。藩主島津重年の命によって家老平田靱負正輔、大目付伊集院十蔵久東らが工事を担当し、留守居山沢小左衛門盛福、普請奉行川上彦九郎親英らとともに、美濃国大牧村を本陣として、1754年(宝暦4年)2月5日から工事に着手し、5月22日ひとまず工事を中止し、同年9月21日さらに勘定頭倉橋武右衛門が参加し、翌1755年(宝暦5年)3月28日ついに工事を完成し、幕府目付牧野織部、勘定吟味役細井九郎助らあらたに江戸からくだった検使は、地元の検使とともに、同年4月16日から5月22日まで、一ヶ月余にわたって本検分をすませた。

 薩摩藩はこの工事で、数十万両もの莫大な経費を負担した。幕府側の妨害工作などによる過労のため病となり生命を落としたり、あるいは横暴な幕府側への抗議のために切腹して果てる者を多数出した。総奉行平田靱負は工事完遂を見届け、この難事業の責任を取る形で切腹した。藩主重年も後を追う様に病没した。

 1938年(昭和13年)に、平田靱負ら85名の「薩摩義士」を、「祭神」に『治水神社』(岐阜県海津市海津町油島)が建立された。

この最後に書いてある「治水神社」にあるきっかけがあって昨年末に行った。
「あるきっかけ」とは、すぐそばにある「木曽三川公園」でイルミネーションをやっていて、さらに駐車も入場も無料と知ったので、どんなもんかと思ったからだ。

公園に入る前に「治水神社」とあったので「もしかすると薩摩義士の」と思って寄ったら、まさにそうで、今も少しだけ松林が残り、薩摩藩の人たちをちゃんと祀ってあって、感慨深かった。

たまたま私は小学校の読書感想文としてこの話を読んだから知っていたが、遠い薩摩の人たちの、本当に辛い出来事を、もう少し地元としては知っておいてほしいなぁと神前で手を合わせながら思った。

特に、子供ながらに記憶に残ったのは、総奉行平田靱負の切腹。
本当かどうか分からないが、幕府の仕打ちが許せず、切腹し自分の内臓を取り出し、江戸方面の襖に向かって投げつけたという話は、あまりに壮絶で忘れられない。
だからこそ「治水神社」で手を合わせることが出来たのは、嬉しかった。
こんな感じで、なんだか最近は、すぐ足元にある史跡や記念碑などにも気づき、きっかけがあれば訪ねようと思っている。

| | コメント (0)

2018年2月13日 (火)

英雄たちの選択〜新春スペシャル「幕末ヒーロー列伝 これが薩摩藩の底力だ!」

前回同様、今回も正月に見た番組の話。
この番組はここ2~3年何度か取り上げているが、磯田氏の思いや狙いがうまいのか「なるほど」と思うコメントを聞くことが多い。
昨年で再雇用になり、次世代の社員たちが新年度やこれからの活動を計画しているが、それを見て「こういうことも知ると良いのに」と思ったので、今回取り上げた。
20180213_2
「英雄たちの選択~新春スペシャル『幕末ヒーロー列伝 これが薩摩藩の底力だ!』」は、今年の大河ドラマが西郷隆盛を取り上げているので、その関連と言う感じの特番だった。
内容はともかく、印象に残った言葉を紹介したい。

■時代を変える三要素=よそ者、若者、ばか者
ネットで調べると賛否両論あるようだが、個人的には「一理ある」と思った。
特に「よそ者」に対しては実体験もあるし、30代後半から感じていたことだ。

今の会社の子会社にいる頃、ある案件の会議に出席し、ちょっと辛らつな意見を言った。
その時、私は「子会社のスタッフ」なので、ある意味「よそ者」だった。
だから、目上の人も私の意見に「耳を傾けて」くれた。

でも、子会社から転籍した後、同じような場面で同じようなことを発言したら「君は誰に対してモノを言っているんだ」と一蹴された。
日本人は、自分を謙遜して話す。
それが企業間にもあって、他の企業から言われると「本当にそのとおり。勉強になります。」と言うが、自分の会社の目下のものが言うと「君は分かっていないよ」と鼻で笑う。

だから企業の体質や考え方などに変革させるには、やっぱり「よそ者」でないと意見も述べられない。
あとの「若者」「ばか者」は、変革させるためのエネルギーや怖いもの知らずの部分であり、これも社内の人間がやると、「ちょっと面倒なやつ」というレッテルを貼られてしまう。
だから「よそ者」という武器は、変革には絶対に必要なのかもしれない。

■見晴らしが良い場所に立つのが必勝
これはある意味、当たり前。
特に戦国時代の戦(いくさ)を見れば分かるように、俯瞰で状況を確認しないと勝てない。
でもビジネスの世界ではなかなか難しい。
どうしても目先のことで判断してしまう。
「今期の売り上げはどうか?」
「利益はあるのか?」「無駄な投資じゃないのか?」
などなど、全然「見晴らしの良い場所」で検討していないことが多い。

ビジネスの世界での「見晴らしの良い場所」とはどこだろう?
そこに気づいたものが、経営的な勝者になるのだろう。

■スタッフと指揮官は違う能力
最後は、やっぱり自分も振り返って感じたこと。
このブログでも同じようなことを何度か書いた記憶がある。
技術力がすごい人が、すごい経営者ではない。
素晴らしい開発者が、素晴らしい経営センスがあるとは限らない。

一番すごいのは「自分の能力を分かって、足りないものを他人で補填する」人。
具体的は、「本田宗一郎」氏がそうだろう。
「俺はエンジンのことは分かるが、経営の事は分からない」といって生涯のビジネスパートナーとして「藤沢武夫」氏を選んだことは、とても有名だ。

会社員としては一線から外れて始めているが、こんな番組の中のこんな言葉には敏感でいたいものだ。

| | コメント (0)

2018年2月 5日 (月)

映画「ヤクザと憲法」

1ヶ月以上経ってしまったが、なかなか「考えさせられる」内容だったので、備忘録的に記録することにした。
本来は私の住む地方のローカルTV局ドキュメント番組で、その番組自体は2015年放送のものらしい。
それを再編集して、『ヤクザと憲法』として2016年に公開された。
20180205
その映画版を正月休み中に地上波で放送していたので見た。
最初は「本当のヤクザの姿って、どうなんだ?」「よく事務所で撮影させてもらたなぁ」と興味半分で見始めたが、途中から「世の中の表裏の深い問題」を見せられた気がしてきた。

ドキュメンタリーなので、やはりある特定の組の事務所を定点的に記録している。
一般的には「ヤクザは人に迷惑をかける人たち」と思っている。
なのに、なぜか今も若い人たちがヤクザになりたがる。
なぜか?

高校生の頃から入門を希望し、親分に諭され卒業してから事務所に住むようになった若者が言った。
「ここは、自分を受け入れてくれる」
「学校では自分を受け入れてくれる場所はなかった」

キレイ事のように「みんな仲良く」「いじめはやめよう」と言っても毎年毎年「いじめ」が原因で自殺する子供がいる。
自殺しなくても「自分の居場所」を見つけられず、誰にも手を差し延べられない子供たちはたくさんいる。そんな子供たちの最後の受け皿に「ヤクザ」はなっている場合もあると、彼の言葉は言っているような気がする。
ちなみに、ヤクザ側から子供たちを誘ってはいない。逆に思い直すように、一度は帰している。

そして映画のキャッチフレーズにある「ヤクザには人権はないのか?」
ヤクザの家族ということで、普通の生活が出来ない。
「銀行口座が開けない」
「クルマや携帯電話が購入できない」
そして「保育園、幼稚園に入れられない」

この状況を親分が説明した後に画面は、「日本国憲法基本的人権」の条文が映される。
ヤクザ本人は、ある意味法律外のエリアで生きている人たちだから「人権はないのか?」と言われると「ないかも」と思わないではない。
でも家族はどうなのか?
家族と言うだけで「生活のあらゆる利便性や権利」を剥奪していいのか?

今、私たちはいろいろなところで「反社会的勢力に関する覚書」に署名・捺印している。
自分自身がヤクザとは無縁だから気にしていなかったが、あのおかげで「普通の暮らし」が出来なくなっている人がいるのだと、改めてその署名・捺印の重要性に気づいた。

「じゃ、ヤクザをやめればよい」
と簡単に片付けるには難しい。キレイな社会では「自分の居場所」がない人はどうやって生きればよいのか。そんな重い課題を見せられた気がした。

| | コメント (0)

«たくさんの発信出口と少ない情報