2012年5月21日 (月)

鹿児島の旅 その6~最終日

どうも最近は、どこかに出かけた話を書くと「修学旅行記」のようになり、長くなってしまう。
まぁ、これも「備忘録」と思っているので、許してください。
Kagosima06
6時前に起きだして、展望露天風呂へ。
まだ薄暗い空に、少しずつ「桜島」が見え始めた。
3日目にして、やっと鹿児島の代名詞であるような「桜島」が見られたのだが、予報のように「スカッ」と晴れてこなかったのは残念。
でも噴火の様子が少し分かり「晴れてたら綺麗だろうな」と思いながら、長く露天風呂に入っていた。

2日目の朝と同じようにバイキングで美味しい朝食後、これもちょっと曇りがちだったけれど、ホテルの中庭に出て、街の風景や桜島を撮影。
「まぁ、なんとか写真は撮れたなぁ」
というのが正直な感想だった。

10時過ぎにはチェックアウト。
鹿児島中央駅で市電市バスの1日乗車券を購入し、市電で「坂本龍馬新婚の旅碑」を見学に。
そこからテクテク歩いて、鹿児島県警まで行き今度は「川路利良銅像」を見た。
この「川路利良」は若い頃司馬遼太郎の小説で読んだ記憶があり「日本の警察制度の基礎を作った人」ということで、ぜひとも訪れてみたかった。

この2つで、予定していた鹿児島の旅の訪問はすべて終了。
再度市電で、鹿児島中央駅に戻り、お土産を買った。
お土産と言っても「会社へのお菓子」「孫への九州新幹線ミニカー」、そして一緒ではなかったけれど、買っていかないといかんなぁという人へ「大島紬の小銭入れ」を買い、自分自身には何もない・・・・。
まぁ、たくさんの写真が土産かな?

来た時のように九州新幹線に乗り、博多で乗り換え一路名古屋へ。
初日に比べ疲れているせいもあり「さすがに時間かかるなぁ」と思い、寝たり、本を読んだりしていたが、大阪からは一気に人が増え、いつもの新幹線のようになった。

天気は悪かったけれど、行きたいところに行けたし、やっぱりiPhoneと言う新しいツールのおかげで、迷わず時間も節約して、いろいろ訪ねることが出来た。
これで、幕末薩長土を巡る旅は、一応一区切り。
あとは北海道か、長岡か、それとも江戸の旅、京都の旅。
まだまだ行ってみたいところは、あるようだ。

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2012年5月14日 (月)

鹿児島の旅 その5~2日目後半、仙巌園、尚古集成館、維新ふるさと館、西郷隆盛誕生地、大久保利通銅像

2日目の続き。
「まち巡り」バスに乗って(偶然座れて助かった)仙巌園まで。10分もかからない距離だけれど、初めての街をバスで移動するのは、ちょっと嬉しい。
雨は小雨になったけれど、この日は結局、降ったりやんだりの繰り返し。
Kagosima05
「仙巌園」に到着。
さすがに鹿児島市内の観光のメインという場所で雨にも関わらず多くの観光客がいた。
反射炉跡から磯御殿へ。
天気が良ければ、桜島を望む絶景なのだろうが、雲に隠れてかろうじて桜島のすそ野が見える程度。今回は、どうも桜島には縁がないようだ。

ただこの「仙巌園」は例の篤姫のロケ地でもあったらしく、あちらこちらにロケの模様が貼り出されていたが、見ていない私は「へぇ~~」という程度で、ちょっと申し訳ない感じだった。
でも、江戸末期の殿様たちの庭は、どこへいっても広く、豪華で、森閑として、そして日本美に溢れていることに間違いない。

その後は「尚古集成館」
斉彬の声掛かりで始めた近代工業化の記念館だが、ここは、ちょっぴり面白みに欠けるところだった。
結構、期待していたけれど、行ってみないと分からないのも、旅行と言えば旅行かな?

お昼過ぎになったが、この日2度目のバスに乗り、鹿児島中央駅に向かった。
思ったより見学が進み、明日の予定の「維新ふるさと館」「西郷隆盛誕生地」「大久保利通銅像」も行くことにして、明日はゆっくりしようと先の「まち巡り」ではなく「シティバス」に乗り込んだ。

この時も「天気が良ければ、桜島が・・・」とバスの運転手がガイドするのを残念に思いながら、観光スポットを巡るバスで市内を味わい、目的地へ。
「維新ふるさと館」「西郷隆盛誕生地」「大久保利通銅像」の3つは、近くにあり2時間少しで見て回り中央駅まで歩き、さすがにお腹が空いたので、鹿児島ラーメンを食べにお店に行った。

店先に行列がある店は、いつものように敬遠し、普通のラーメン屋に入ったが、それでも鹿児島ラーメン風で、美味しかった。
その後、昨日と同じようにホテルに向かうシャトルバスに乗って、帰路へ。

2日目のホテルでは、夕方からゆっくり休み、そして「明日は見えるのだろうか?」と桜島の眺望を想像しながら、露天風呂に入り、早々と眠りについた。

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2012年5月 7日 (月)

鹿児島の旅 その4~2日目前半、南洲墓地、南洲神社、南洲顕彰館

2日目。
若い時にあれだけ朝が弱かったのに、前日の早寝と年齢のおかげで、6時前に目覚め、これも温泉地での楽しみで、さっそく朝風呂に向かった。
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前日よりもさらに天気は悪く、完全に雨。
天気予報では「午後から晴れる」のを期待するしかないけれど、今日も見えない桜島と鹿児島の街の眺望を想像しつつ、露天風呂でゆっくりした。

7時過ぎには朝食バイキングへ。
これまた数名が入場を待っていて「うそ~~」と思ったが、このホテルはエライ!
会場と受付係りが無線で連絡を取り合い、スムーズに案内してくれた。

入ってビックリ、めちゃめちゃ広いフロアで、和食・洋食のバイキング。
しかも和食には、地元の食(薩摩あげを始めとする)もあるし、ごはんも白米・雑穀米・おかゆとバリエーションが凄い。
バイキングの悪い癖で「あれもこれも」と取りすぎ、結構朝から満腹になってしまった。

今日の予定は「南洲墓地・南洲神社・南洲顕彰館・仙巌園・尚古集成館」
最初の「南洲墓地」には、どうやって行こうと迷った末に、ホテルに待機していたタクシーで出かけた。
そういえば、このタクシーの運転手は前職が私の住む街だったり、2日目の夜に偶然話しかけられたサラリーマンは、生まれが私の住む街だったりと、妙な縁を感じたものだ。

ちょっと話に盛り上がりすぎて、タクシーが軽く信号無視したのには驚いたけれど、「南洲墓地」に到着。
本格的な雨の中だったけれど、西南戦争の戦没者「西郷隆盛」「桐野利秋」「篠原国幹」「村田新八」「別府晋介」などのお墓や、西南の役に賛同した「中津藩士の碑」との対面には、雰囲気も良く、たまに訪れる観光客も足早に去っていくだけで、じっくりと写真を撮りお参りをした。

その後「南洲神社」でお参りし、南洲顕彰館へ。
小さな「西郷隆盛記念館」という感じだったが、「ちょっと身贔屓かな?」と思われる案内をゆっくり読む気になったのも、外が雨のおかげ。
その後、次の予定地「仙巌園」に向かうためバス停まで歩いた。

いつもクルマで移動したり旅行したりすることが多いので、慣れない土地での公共交通機関は苦手なのだが、これも新しいツール「iPhone」のおかげで便利なった。
例の観光アプリ「KAGOSHIMA名所」で次の場所への案内を選べば、バス停も教えてくれるし、最近は「シティビュー」とか「まち巡り」など観光地を巡回するバスがあり、それに乗れば大体の目的地に連れて行ってくれる。

バス停までの歩き道も雨の中だったが、普通の住宅地を通るのもまた一興。この日の後半の予定に続くのであった。

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2012年5月 1日 (火)

鹿児島の旅 その3~1日目、城山近辺へ

鹿児島中央駅に着いて、まずびっくりしたのはその混雑ぶり。
その夜のホテルでのテレビで気づくのだが、「九州新幹線1周年」とかで盛り上がっていたらしく、観光客がすごく多い状態だった。
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トイレも行列だし、駅内の食事する店もどこも数名の待ち状態。
唯一立ち喰いの「薩摩黒豚丼」のお店だけが、すぐに入れて、さっそく昼ご飯。
「黒酢掛け」とかで、結構美味しかった。

それからホテルのシャトルバス乗り場でバスを待ち、時刻通りにやってきたバスに乗り込み、巡回しながらホテルまで・・・。
途中「西郷洞窟」なども見かけ、やっと「鹿児島に来たなぁ」と感じ始めた。

Webで確認していたが、思ったよりも立派なホテルで、しかも結婚式にも良く使われるようで、その出席者もいたり、フロントでチェックインも少し行列していたが、ちゃんとアテンダントしてくれたので、そんなにイラつかずに済んだ。

部屋にも案内され、一休みしながら天気を見ていたが、どうも小雨模様。
桜島どころか、錦江湾すら見えない。
ホテルは城山の上にあるので、眺望は良いはずだが、残念・・・・。

とにかく「城山周辺を観光しよう」と出かけることにした。
そうそう今回もiPhoneは大活躍。
事前にたまたま観光アプリ「KAGOSHIMA名所」 をダウンロードして準備したのだが、これが本当に役立った。
気に入った名所を記憶して、コース設定して訪ねる順番も作っておいたから(もちろんマップで場所を確認して)、その設定どおりに動いていくだけ。
もし時間が余れば、次の日の分まで回ったりした。

小雨の中を徒歩でホテルを出発。
西南戦争時に西郷隆盛たちが籠った「西郷洞窟」
足を撃たれ「晋どん、もうここらでよか」と最後の時を決めた「西郷終焉の地」
他にも、木曽川三川の洪水土木工事を江戸幕府に命ぜられ、苦難の中見事にやりきった人を祀った「薩摩義士碑」
そして「鶴丸城址」、西南戦争の弾痕が残る「私学校跡」
さらに「西郷隆盛銅像」「小松帯刀銅像」「照国神社」「島津斉彬銅像」「島津久光銅像」「戊辰役戦士顕彰碑」などを見て回った。

小雨模様だったけれど、そんなに迷うことなく、ちょっと足が痛くても「念願の薩摩」を訪れてる感を十分味わうことが出来た。
今回のように「幕末の薩摩を味わう」なんてのは、かなり私と同等の感覚を持っていないと、歩き疲れるだけの旅になってしまうので、同行者に気兼ねしなくても良いのは、一人旅の良さだ。

夕食は、結局コンビニでおにぎりを買って、ホテルへ。
次の楽しみである温泉に行ったが、せっかくの「桜島」が見られる露天展望風呂も雨模様で「残念!」。
でも、さすがに良い泉質で、気持ち良い温泉で暖まり、9時過ぎには眠くなってしまい1日目が終了した。

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2012年4月23日 (月)

鹿児島の旅 その2~1日目、新幹線で鹿児島へ

予約の決定と代金のカード引き落としの連絡は来たけれど、肝心の新幹線チケットが届かない。
予約完了時のメールを見ると「出発日の1週間前には」と書かれていたので、ギリギリまで我慢していたら、本当「1週間前」にチケットが届いた。
Kagosima02_2
出発は、朝8時少し前発の新幹線。
毎週、東京に出張する時も、ほぼ同じ時刻だから、服装と荷物が違うだけで、何だか「旅行に行く」感じでなく新幹線に乗り込んだ。
違っているのは乗客層。
いつもは「ビジネスマン」で満席なのに、やはり休日、しかも連休ということで家族連れが多く、慣れていない人がワンサカいて、席に着くのも一騒ぎと、やっぱりいつもと違う新幹線車内であった。

大阪より西に新幹線で行くのは何年振りだろう?
昨年の秋の「江戸の旅」 でも書いたが、クルマ以外で出かけることが珍しく、しかも新幹線で西に出かけるなんてのは、まず稀な事だ。

仕事だと「もう大阪か」と慌ただしく降りるのだが、今回は「まだまだ序の口」。
気になる天気は、予報通り悪く、どうも雨じゃないのは帰りの日しか期待できない。
そんなことを考えながら車窓から外を眺めていたが、新幹線は速い。

あっという間に広島を過ぎ、気が付いたら関門トンネルを越えて九州に入っていた。
そして博多へ・・・・。
いよいよ九州新幹線だ!と思っていたが、九州に入る前から車内アナウンスで「数分の遅れ」を案内していた。
どうやら、乗客が多く、その乗降に時間が掛かり、少しずつ遅れているとか。

私の鹿児島行の列車は乗り換え時間が10数分あったから、良かったけれど、それでも博多駅では、ホームからホームに移るのがせいいっぱい。
お土産売り場は、帰りの楽しみとなった。

そして楽しみにしていた「九州新幹線」。鹿児島中央行の「みずほ」に乗り込んだ。
N700系だから、いつもと外観は変わらないけれど、シートが左右2列とグリーン車並み。
ゆったりシートに腰かけて博多を出発した。

ところが結構トンネルが多く、途中熊本で「チラッ」と熊本城を見かけたのが「唯一、九州新幹線らしい」感じ。これまたあっという間に鹿児島中央駅に
到着したのだった。
時間は12時40分過ぎ。
ワクワク感も手伝ってか「早く着いたなぁ」と思えたのだった。

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2012年4月16日 (月)

鹿児島の旅 その1~序章

久しぶりに旅行に出かけてきた。
しかも今回は一人旅(理由はいろいろありますが、まぁその辺は察してください)。
なので、もう「自分だけ」のために考え、日程を組み、出かけてきた。
出かけたのは3月17日から2泊3日。月曜に有休をとることで計画した。
Kagosima01
最初は「北海道か九州」と漠然として考えていた。
考え始めたのは年明けくらいだったので、かなり早い時期だったが、先も書いたように「自分だけ」のためと思ったら「北海道で行きたいところってどこだ?」を思った。
名所や観光そのものにあまり興味がない方なので、そう考えたら「五稜郭」くらいしか浮かばない。

「じゃあ、九州は?」と思ったら「薩摩藩に行きたいなぁ」と思うようになった。
このブログを書くようになって、京都や萩、長崎に伊豆と出かけたことを紹介したが、全部「幕末~明治維新」繋がりになっている。
そして、幕末の「薩長土」の中で、唯一足を踏み入れていない「薩摩=鹿児島」に行くことを決めたのだった。

最初は得意の「楽天トラベル」で探したけれど、以前長崎に出かけた時のように「飛行機+ホテル宿泊」セットはある。
でも、せっかく九州に行くのなら「九州新幹線に乗りたいよね?」と思い「JRとホテルのセット」を探した。
残念ながら「楽天トラベル」には、そのセットはない。
探して探して「じゃらん」から「日本旅行」に繋がり、やっと見つけた。

時間を調べると、飛行機で行くよりもチェックインとか空港へのアクセスを考慮すると、早く着く。
「じゃ、価格は?」と見てみると、ほとんど変わりない。
これで、「鹿児島~新幹線の旅」と決まり、次は「宿」

一人旅なので食事は、朝食バイキングさえあれば良いと思っていたが、やっぱり「温泉」は譲れない。
最初に見つけたホテルは「桜島」を眺めることができる「展望風呂」が売りで、ほぼそこに決めていたが、どうも巡りたい名所からは離れている。

こんな時にWEBは便利だ。
いろいろ探しているうちに「学生以外でも申し込み可能な学生旅行」に行きつき、ちょっぴり高級な「城山観光ホテル」でも結構リーズナブルな価格のセットを見つけて、予約したのである。

私の住んでいる街から鹿児島まで新幹線往復とホテル朝食付き2泊で、57200円。
まぁまぁの価格なんじゃないかと決めたのである。

いつものように写真を左のアルバムに掲載しています。良かったら見てやってください。

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2012年4月 9日 (月)

【備忘録】成長させてくれた仕事たち_最終回

Seityoulast本当は、今回を入れて3回ほど続けるつもりだったが、ちょっと力が尽きてきた。
と言うよりも、最後の2つは、まだ「現在進行形」で携わっているために「成長させてくれた」などと過去形にするには違和感があるためだ(でも、ちょっと力尽きているのも事実です)。
なので、今回簡単に3つの「仕事たち」を紹介して、このシリーズを終わりにしたい。

NO.8「インターホン(ディレクター編)」
これは前回の「住設建材(ディレクター編)」とほぼ同時期に携わっていた仕事だ。
同じ「住設系」とは言え、まったく分野が異なるのだが、基本的なターゲットは似通っていたため、それぞれのクライアントに対し、有益な情報を話しながら対応できた思い出がある。

ただ、そんなことよりこの仕事は「なにもかも外部ブレーンにやらせる」という最近では珍しくないが、当時としてはかなり珍しい発注の仕方だった。
そのため、このクライアントを担当するのを嫌がったディレクターもいた。
私はなぜか、みんなから嫌われていた顧客側担当者のことも、そんなに気にならず、言いたいことを言わせてもらっていた。
たった1枚のA4リーフレットをデザインするだけで、3ヶ月以上も何度も何度もやり直しをさせられる仕事の仕方については、辟易したが、今のように、どの顧客も「丸投げ」で発注する時代になってくると、これもいい経験だったと思えている。

NO.9「社内報(企画編)」
実は、この辺りの話は、すでにこのブログでは書かれている。
初期の頃に、よく顧客の愚痴を書いていたが、その時に受け持っていたのが、この「社内報」だったのである。
あの当時は「社内報の企業的役目は終わったんじゃないか?」と思っていたが、今は、ちょっと違う時期に来ており、そういう意味では、経験しておいてよかったと思える仕事だ。

NO.10「CSR/社会環境報告書(ディレクター編)」
これも、ちょくちょくこのブログで出てくるキーワード「CSR」だ。
先の「社内報」やこの「CSR」など偶然とはいえ、今の多くの企業の課題に直結するツール制作に携われているのは、私の仕事歴は、実にラッキーなのではないかと最近は思えている。

こんな感じで、このシリーズは終わるけれど、また「おっ、この仕事は」と思うことがあったら、ブログで紹介したいと思う。

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2012年4月 2日 (月)

【備忘録】成長させてくれた仕事たちNO.7「住設建材(ディレクター編)」

この仕事の経験は大きかった。
たまたまこの数年、私が担当した企業に対して、一時期はほとんど案件がなくなっていたのが、システムを切り口に盛り返し、また関東でもこの「建材業界」のスペシャリスト的ディレクターが入社したことで、社内でもよく「住設系(住宅設備の略)」の話が出るようになったからだ。

だから、私は「携わった経験」を話せる割と貴重な存在になっている。

Seityou07「不動産広告」の時も書いたが、私の兄は「建築設計士」である。
だから、この仕事に関わった時も、ちょくちょく相談に乗ってもらった。
大体、この「建材業界」の言葉も漢字も読めない。

「根太(ねだ)」「沓摺(くつずり)」「框(かまち)」
こんな漢字と読み方を一般の人はなかなか分からない。
それに、未だに「尺」で話す世界だ。
(余談だが、たぶん今でも額縁屋さんの世界でも角材などは、尺寸法を使うはずだ)

この仕事が良い経験になったのは、こんな些細な事ではない。
一番は「大がかりな撮影」の経験だ。

物凄くでかいスタジオに、リビングや玄関を作ってもらって、撮影する。
セットは、本物の大工さんたちに入ってもらって、1日がかりで作る。

今回掲載した写真は、実際に私のディレクションで撮影した玄関風景だが、普通こんな立派な玄関のある家で、ものすごい豪邸だなぁと当時話していた。

顧客から今回のメインで撮影したい商品を言われて、シーンをイメージし、簡単な図面を引き(これは、不動産広告の図面引きの経験が役立った)、撮影する角度を決め、施工業者に頼む。

他にも、撮影時に必要なグリーンから小物、アクセサリーなどなど、スタイリストに入ってもらって決めていく。
そして撮影当日はカメラマンと打合せし、シーンイメージを説明し、ライティングをやってもらう。

もうそれまでの「単に紙の上でデザインする」から、多くのプロが関わって撮影していき、そのすべてを自分がチェックし、ジャッジし、進行させなくてはならない。
大変だったけれど、すごく刺激的で面白かった。

とにかくイメージカットは、ライティングに2時間くらいかかる。
だから、連日夜中の3時過ぎまで撮影してて、ずっとスタジオなので、昼も夜も分からない生活が10日間くらい続く。

もちろんこの案件の制作は撮影なんて、始まりに過ぎず、その後のデザインや構成、コピーなどなど、数カ月にわたる制作期間を過ごすのである。

この仕事以来、私には
「一人でやれる仕事のレベルなんて大したことない。みんながプロで凌ぎ合って作る仕事は、やっぱり面白い」
と思うようになり、それまで「デザイン主体」で仕事を見ていた視点から、全体を見ていく視点に変わっていく、大きな成長をもたらしてくれた仕事だった。

実はこのシリーズの始まり「成長させてくれた仕事たちシリーズの始まり」で書いた10数年ぶりにあった顧客担当者とは、この時の担当者のことである。
私の仕事歴の中では忘れられない仕事である。

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2012年3月26日 (月)

【備忘録】成長させてくれた仕事たちNO. 6「学校案内(ディレクター編)」

数回、別の話題になっていたが、このシリーズの後半を始めることにした。
前半は「フィニッシャー(今はない職種です)」とか「デザイナー」の立場での経験だったが、後半は「ディレクター」とか「プランナー」としての経験で、本格的にクリエイティブな仕事に関わってる実感が持てるようになった仕事たちだ。

Seityou06「学校案内」
実は、今このツールは「旬」になっている。
それは2つの理由からだ。

1つ目は学校側の都合
少子化が進み、学生数確保が最重要課題になっており、現にそれなりの大学でも人気のない学科は「定員割れ」が頻繁に起きている。

2つ目は受注する側の都合。
景気が悪く一般企業の広告宣伝費は削減される一方。かといって経営的に不安がある中小企業から受注するのはリスクがある。
それなら学校関係の制作物の方が安心・・・というわけだ。

実際、以前ある公立大学の「大学案内」プレゼンに参加したのは1次予選で10社あった。
2次予選まで進んだが、受注出来なかった(この時のプレゼン失敗はブログの記事にした)が、その時のコストもとんでもなく安く、ちょっとびっくりした。

そんな「学校案内」だが、一般企業とは異なりやっぱり「教育業界」のことが分からないと、なかなか難しい。
私自身「どっぷり」浸かって担当してわけじゃないが、それでもある専門学校の仕事を4校分一気に受注させてもらった時は、大変だった。

もちろん、一人で出来るわけもなく制作担当役員と交渉し、当時の制作プロダクションのメンバー全員近くに協力してもらって対応した。
生徒や先生へのインタビュー、撮影、構成、デザインなどなど一人何役もやって対応し、一時期は会社のほとんどのメンバーが夜中3時くらいまで残業しているという「ハイキー」な感じになった。
それでも、無事出来た時には、その専門学校の理事長が全ディレクターを呼び、お礼を言ってくれたことは嬉しかったし、思い出深かった。

実は、この仕事を受ける前には1年くらい小さなツールを受注していたが、当時の学生部長が私のことを気に入ってくれて、とても強力にプッシュして受注した仕事だった。

そして最初の頃の「遅々として進まない」時には、先の理事長も不安になり「あの業者で大丈夫か?」と取り立たされてもいた。
そんな経緯があったから、その理事長にお礼を言われたのは、本当に嬉しかったし感慨深かった。

と同時に「学校案内」というジャンルは、見た目だけのデザインではなかなか要求に応えられない、これまた難しいものだと思い知った仕事でもある。

頑張って、結果が出て、自信がついたと同時に、難しさを味わった仕事でもある。

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2012年3月19日 (月)

なんか違う。「感動」や「元気」を与えたいって・・・・

以前にも書いたが、私はデザインと言う「視覚的」表現の出身者でありながら、言葉という「聴覚的表現」にとても興味と疑問を持つ傾向があるようだ。
そして、このようなことをどうも年に1回くらいの割合で感じるようだ。

Kandotogenki今までで
「応援よろしくお願いします」「え〜〜、あの〜〜」 「がんばろうじゃない言い方」 などを取り上げてきた。
これらの多くはTVを始めとするマスメディアで、よく耳にする言葉たちなのだが、今回もそうだ。

「皆さんに感動を与えられるような選手になりたいと思います。」
「皆さんが元気になってもらえるようなパフォーマンスを見せたいと思います。」

多くのアスリートやアーティストがインタビューを受けて、そんなふうに言う。

それを聞きながら、私は「なんか違う?」って思い続けている。
「感動を与える」って・・・・・
「元気になってもらえる」って・・・・・・

「感動」したり「元気」になったりするのは、人の個人の気持ちの問題で、それを「与えられるような人間になりたい」って思うのって、どうなのだろう?

例えば私は、どんな気持ちで仕事をしてきたのだろう?
やっぱり人が「嬉しがったり」「喜んでもらったり」することが一番の褒め言葉だと思って、長くこの業界にいるけれど、それは、「自分を認めてくれた」ことへの代償だと思っている。

「嬉しがってもらう」「喜んでもらう」ことだけが目的じゃなく、私自身が「楽しく」「面白く」そして「喜ぶこと」が出来ていることが最初の条件だと思っている。

その上で、対象の人(私の場合はお客様だが)が、「喜んでくれたり」「嬉しがったり」してくれたら、最高だと思えてくる。

「まずは、自分がハッピーと思えるように頑張ること」

ここが抜けていて「感動」「元気」なんて、与えられるとは思えないのである。

だいたい「感動」なんてのは、滅多に体験できないから「感動」するわけで、そんなに年がら年中「感動」することってないんじゃないかなぁ?捻くれた年寄りの戯言でした。

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2012年3月12日 (月)

企業の役割(儲けた会社とトントンの会社)

ちょっと時間が経ったので、この話の出元がどこだったか忘れた。
たぶん、メルマガ配信で見た日経系のWebだったと思う。

Yoikaisya「本当に良い会社とは、どんな会社なのか?」と言ったような題だったと思う。
通常はたくさん利益が出た会社が、市場的には「良い会社」と言われるが、本当だろうか?という始まりだった。

一般には「ちゃんと利益が出ている会社」、「良い会社」であり、ニュースや新聞なんかにも「赤字」の会社は、まるでダメみたいな感じで情報が流される。
もちろん、「赤字」の企業は「良い会社」とは言えないが、私が読んだメルマガには、こんなことが書いてあった。

「年間売上1億円、利益1,000万円」と「年間売上10億円、利益0円」のどちらが良いか?

基準を「利益」にすると、当然利益が出た会社が「良い会社」になる。
でも、「働く場所の提供」という基準でみると年間売上が多く企業規模の大きい会社の方は「良い会社」になる。

特に今のような経済的に不安定な状態の場合、「働く場所の提供」は、とても大きな「社会的に良い影響力」と言えるのではないだろうか?
そして、前に世間を騒がした「株ころがし」で巨額を個人で儲けた人は「良い人」でも「良い会社の経営者」でもないと言える。

今までの「民主主義」「資本主義」が通じなくなっていると、最近耳にする。
企業の「価値」も、単に「利益」だけで判断する時代から変わろうとしているのだろう。

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2012年3月 5日 (月)

安全な場所からの「がんばろう」

今回の文章は、もしかするとものすごく反感を買うかもしれない。
特に小さいお子さんを持っている女性からは「無責任な」と怒られるかもしれない。
けれど、記録として記しておきたいと思ったので、書くことにした。

Garekisyori「東日本大震災」のがれき問題だ。
昨年の夏にも「花火」「松明材」などでも話題になったが、あの時は対象物が一過性のものだったから、その時期が過ぎれば話題が消え去った。
今回は違う。

未曾有の大災害と言われた。
日本中が
「頑張ろう」って言っていた。
みんなが何らかの形で募金活動に協力した。
GWにはボランティアツアーなどで、多くの人が援助に出かけた。
日本人の誰もが「何か手助けを」と思った。
世界中から援助があった。

やっと1次的な時期の目処が付き、再興に向けてのステップが見え始めている(と思う)。
その最初の壁が、今もそのままになっている「がれき」だ。
「あれはがれきじゃなく、1つ1つの家族の思い出だ」
と言われたこともあったが、とにかく撤去し、処理しないと街は再興できない。

ところが、この処理が進まない。
「がれき受け入れ反対」と多くの地域が反対しているからだ。
確かに「放射線量」が不明とか、基準値がないとか、いろいろ受け入れる側としては不安もあるし、ひと言言いたいだろう。
でも、今もがれきと一緒に生活してる人が東北には沢山いるんじゃないだろうか?

ものすごく痛烈なものの言い方をしてしまうと
「結局、自分たちは安全場所にいて『頑張ろう』と言っているだけなんだね?」と思ってしまった。
放射線を測って、問題のないレベルなら受け入れるように検討してほしいよ。
それでこそ、世界に褒めてもらった「日本人の良さ」なんじゃないだろうか?

最初に書いたように批判を受けるだろうと思う今回の記事だが、これも「東日本大震災」の記録として残そうと思ったのである。

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2012年2月27日 (月)

習慣性の罠

「成長させてくれた仕事たち」シリーズの途中だが、ちょっと違う話題を(なんか、いつもこうなるなぁ)。
ちなみに、このシリーズは全10話の予定なので、まだ折り返ししたばかり。「ふぅ~~~」


Interpod今回の話題は、この「ふぅ~~~」にも関係している。
というかこの「ブログ」そのものも、この「罠」なのだと最近は感じている。
もう2年以上前から「このブログ、続ける???」というようなことを書いているが、結果として「なんとなく」続けている。

突然、話が変わるが私のこのブログはニフティの「ココログ」というサービスを利用している。
ニフティはご存じのように、パソコン通信の頃からいろんなサービスを提供しているが、SNS(ソーシャル・ネットワーク)系ではちょっと出遅れたイメージがある。

それでも老舗のこの会社は、ちゃんと追いついてサービスを開始する。
その中で、私がこの1年以上続けてきたものに「インターポッド」というものがある。
簡単に言えば「バーチャルでの庭育成ゲーム」だ。
そこにアバターで、自分のキャラを作ったり、町に出かけたりと様々な展開が用意されているのだが、これが「習慣性の罠」になるのである。

とにかく毎日、庭の手入れをしないと木の実が収穫できない。収穫できないとアイテムが入手できない。他にも街に出かけないとポイントが貯まらないとか、他の人にもサインを送っておかないとポイントが上がらないとか・・・・

こうなると毎日仕事以外の日でもPCを起動し、アクセスし、手入れする。
途中までは面白くやっていたが、そのうち「義務化」してきて、何だか仕事以上に「やらなければ」感に追われるようになった。

本来は「気分転換に」と思っていたのに、習慣化し義務化し、ストレスとなるなんて・・・・・と思って周りを見渡すと、そんなことがそこら中にある。
若い頃にテレビゲームに夢中になった時も思った。これは、お金が掛かるから、いち早く気付いてやめてしまったが、現代はもしかすると自分で「やらなくっちゃ」的に義務化して、ストレスを生んでいるような気がする。

禁煙は、ニコチンを抜くよりも習慣性を取り去る方が大変だと言われる。今のデジタル的ツール(携帯電話を含めて)って、ほとんど「習慣性の罠」に嵌まり易いものばかりなんじゃないだろうか?
おそらくツールを制作し、配信している側は、その人間の習性を折込済みだと思うが、使う側も意識しておかないと、仕事以外のストレスで潰されそうになるんじゃないか?

そう思ったら、急に嫌になって「インターポッド」を削除した。
まだこの「ブログ」がある・・・・・「ふぅ~~~」。

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2012年2月20日 (月)

【備忘録】成長させてくれた仕事たちNO.5「不動産広告(デザイン編)」

前回は、「版下編」として、ほんのちょっと不動産広告に携わった仕事を紹介したが、今回は前のもっと川上の位置での関わり方で、いろいろと学んだ経験を紹介したい。

Seityou05この仕事は「備忘録〜仕事編その6 広告代理店」で経験した。
「分譲マンション」の広告と言うことで、当時はいわゆる「バブル時期」だったので、「投資型マンション」「億ション」が出始めており、結構物件数が多かった。

私の勤めた代理店が受けていたマンション不動産企業の仕事は、ほぼ専属状態でディレクターがいて、デザインは外注で対応していた。
でも、案件が重なって外注デザイナーで対応できない時に「手伝え」と言われて、携わった。

とにかく最初はびっくりした。
初回の打ち合わせは、例の「青図面」があるだけ。
で、地図に「ここに建設予定」とあるだけで、何もない。
顧客側から「周辺環境」を説明されて、あとは「価格帯」「発売日」を言われるだけ。

「これで、どうするんだろう?」と思っていたら、そのディレクターが「現地調査」から「周辺施設」から必要なものは全部調べ、しかもマンションの特徴なんかも整理して、原稿の元となるものを作っていった。「最多価格帯」なんで言葉もこの時覚えた。他にも「駅から○分」とかあるけれど、これも80mを1分として単純計算している・・・なんてことも、この仕事で知った。
とにかく初めての経験に「すごいなぁ~~」と思いつつ、デザイン作業をしていた記憶があるが、とにかく不動産広告はとても大変だということを感じさせてもらった。
おかげで、その後、「不動産の経験があります」と人前では言わないようにしている。
ただ、今でも「不動産」の仕事の相談があった時には「これとこれと、これだけ大変で、ノウハウがいるけれど、営業は対応できるの?」と聞けるのは、この経験が大きかったと思っている。

なぜなら、このように特殊な広告は「経験がある人にやってもらいたい」と誰もが思うため、そればかりの仕事になってしまうからだ。
同じような仕事で「旅行パンフ」がある。
これもすごい・・・・・。

特殊な業界の仕事には、特殊なノウハウと知識が要る事を教えてもらい、なおかつ人前で「経験がある」と言っていい仕事と、そうでない仕事があるんだと学ばせてもらった貴重な仕事だった。

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2012年2月13日 (月)

【備忘録】成長させてくれた仕事たちNO.4「不動産広告(版下編)」

世間では「広告業界」と全部一括りで言われるが、「扱う広告」によって専門性を求められる場合がある。
そうなると「デザインが出来る」とか「コピーが書ける」だけでは、仕事が出来ない。

Seityou04私の知っている限りそのような「経験値」が強く求められる筆頭にあるのがこの「不動産関係」だ。
薬は健康に関係するし、不動産は高額な取引が発生する。
このように「消費者にとって大きなリスク」が予想される広告は法律で規制されていたりするために、「経験値」「法的知識」が必要となる。

私がこの「不動産広告」を初めて取り扱ったのは、やはり「小さな印刷会社」でのことだった。
「広告を取り扱った」とは言え「版下作業」なので、先に挙げたような「法的知識」が必要だったわけじゃない。

この仕事の一番大変なのは「図面作成」だ。
当時は今のようなデジタル時代じゃない。今だったらCADデータから印刷用のデータに変換することは簡単だが、当時は全部手作業だった。

顧客から貸してもらった机の大きさ位の青図面を「どん!」と渡され、来る日も来る日もトレスをしていた記憶がある。
そんな大きなものが広告で使う時には、10cmくらいのサイズになるので、縮小した時の線の太さなどを計算してトレスしていた。

そして、この仕事で一番大きな成長は「間取り図面」の見方だ。
顧客からもらう「青図面」には建設に必要なことが沢山書いてあるが、広告では、そんなことは要らない。
それを顧客やデザイナーが教えてくれるわけじゃないので、前回の印刷物と比較しながら覚えていった。

そしてもう1つラッキーだったのは、兄貴が建築設計士だったことだ。
だから、実家に帰った時に「あれはどういう意味なんだ?」と教えてもらったりもした。
おかげで、図面トレスについては、かなりの自信が付いた覚えがある。
今じゃ、使わない技術だけれど・・・・・

だが、この仕事は先にも書いたように、デザイナーとして仕事をしていく上で「お客様の業界紙を知る」と学ばせてもらった貴重な仕事だ(もっとも、そう気付くのはもっと後のことなんだが・・・)。

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