2017年11月20日 (月)

今までの延長では難しい時代に

今回のタイトルは、最近会社で話していて、よく感じる言葉だ。
4月に役職を、8月には社員を定年になり、再雇用というある意味経営的に無責任な立場になったから、余計にそう思うのだが、前回の「残業問題」も含め、大変な時代になってきていると感じている。
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私のいる会社の基幹業務は印刷だ。
ご存知のようにデジタル化とかWEB化などで、印刷需要は減り続けているし、印刷用紙の出荷も毎年減っている。
そこで、「印刷以外の分野へ拡販する」なんてことは、どこの企業でもやっているし、工夫している。
でも、「拡販する」時に、「今まで仕事の仕方の延長」でしか判断できていないってのは、これもどこの企業も同じような気がする。

日本の企業は「転職する人」をあまり「良し」としない風潮がある。
ネットで読んだことがあるが、海外赴任をしていた広告代理店の人が、現地の人に「なぜ5年以上も同じ企業いるのか?」と言われたそうだ。
海外では(特に欧米だろう)転職していない人は、「転職できるだけの能力が無い」と判断されるようだ。

ところが日本は「入社してずっと同じ会社」にいる人が多い。
だから、私のような転職を繰り返してきた人が意見を言うと「君は、うちの会社を分かっていない」と軽くいなされる。役職に付いてからは、そんな意見は慎んできたが、腹の中では「おかしいのは、この会社だよ」と思ってきた。

そんな人ばかりが集まって「これから拡販するにはどうするか?」と話しても、画期的な意見が出るはずがない。
トヨタグループの創立者の豊田佐吉氏は、言ったそうだ。
「窓を開けよ(正確には障子だったかも)、外は広い」

これを格言と崇めていることで日本企業の体質が良く分かる。
社会の変化が緩やかで、消費者の嗜好も緩やかに変化してきた今までなら、一生懸命「良いもの」を作っていて「明日も今日以上に頑張ろう」と言っていれば良かった。

でも今のようにすべての価値や機能が劇的に変化する場合は、抜本的に課題を見つめないといけないと思う。
「今までと同じで良いのか?」
これをいつも問い続けることが、30代の社員にはとても大事なのではないだろうか?
仕事の中で「本当に大事なことは何か?」
「自分はこれから、どんな立ち位置で仕事をしていくのか?」
毎日忙しいけれど、自分自身がきちんと考えていないと、本当に困る時代が来ている気がする。

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2017年11月13日 (月)

残業規制とお客様第一主義と責任感

今年の5月に「『便利な社会』の見直しが始まるか」 という記事を書いた。
例の大手広告代理店D社の自殺問題に端を発した「過重労働問題」だ。
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あれから数ヶ月、マスコミではこの裁判の様子や亡くなった女性の親御さんの意見などを取り上げていたが、それを見るたびに「どうして『企業が悪い』という一方向で報道するのだろう」と思っている。
5月の時にも「社会構造」が間違っていると結んだが、私のいる会社ではまさに「過重労働の本当の論点はここにある」という事態が起こっている。

【その1】
すでに数年継続受注させていただいているお客様。
しかし予定より1ヵ月半以上原稿入稿が遅れているのだが、それでもお客様側のトップは「予定通りの納期で納品を」と言ってきている。
本来、このような場合は(1ヵ月半も遅れる前に)フロントである営業側からお客様に「アラート」を出す。できれば頻繁に出す。そして「頑張ってきましたが、もう無理です」と交渉する。

しかし、このお客様の担当営業はそれをやってこなかったので、このような事態になっている。
で、結局そのしわ寄せは制作スタッフに来ていて、「深夜残業」「休日出勤」を連発し、果ては「会社で徹夜」なんてことになっている。
でも、このご時勢なので、人事部からは「長時間残業をやめてください」と再三通達が出る。

制作スタッフのトップは、営業にもその上司にも「もう対応できない」と連絡し、制作スタッフにも「もう留めていいから」と指示を出すが、お客様側の担当者も長時間残業で原稿を何とか作ってくるので、対応してしまう。

【その2】
荷物の入出荷を担当する部署で、本来システムを使用しての入出荷連絡されるだが、ある事情でFAX対応になっている。詳しく書くとどこの話なのか分かってしまうので省くが、この「ある事情」は、うちの会社の責任では、まったく無い。

でもお客様のお客様から依頼される入出荷には対応せざるを得ず、FAXを見てデータ入力しているが、そのために通常の倍以上の時間が掛かる。
そのためやっぱり「長時間残業」となり、他の業務との関連もあり「休日出勤」となる。

この2つの他にも、さまざまな事業でやむを得ず「長時間残業」は未だにある。
もっと言えば「長時間残業」の残業代はコストに跳ね返るために、例えば「みなし残業」とするとか「代休処理」にするとかで、法に触れない範囲で残業代が掛からない方法を取る。

会社の経営層からは「売り上げ」を求められ、人事部門からは「残業削減」を、そして実際のスタッフたちの「責任感」と、この3つの要素に挟まれて、この問題は簡単には解決しない。
こんな状況を見ていて、結局発注する側を何とかしないといけないのではないかと思うようになった。

●発注時に決めたスケジュールと見積もり項目に変更がある場合は、再度見直しする
●業務時間外に業者等に連絡しない
●業務時間外に対応しないと間に合わないような指示・依頼・修正を出さない

これに違反した場合は、発注側が罰せられるような法改正がいると思う。
知らない人が見たらびっくりするだろうが、先の3点は「これぐらい普通です」というのが現状だ。
特に最初のなんて、見積もりもスケジュールも途中から無視されるような依頼がどんどん来る。
これをビジネス的に断れない国って、本当の意味での先進国って言えるのだろうか?

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2017年11月 6日 (月)

期日前投票と選挙公報

自分自身のブログの過去を「選挙」というキーワードで検索したら、けっこうな数の記事がヒットした。
そんなに政治的なコメントを書いたつもりはなくても、年齢相応に政治とか行政とか議員に思うことがあるということだろう。
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もしかすると、以前書いたかもしれないが、選挙権を得てから投票に行かなかったことは数えるほどしかない。
すごく政治に興味あるわけでも詳しいわけでもないが「投票にも行かずに政治を批判するな」という若い時に聞いた言葉が残っており、行くようにしている。
今はなき「民主党政権」になってまた自民党に戻った時「政権を変える」ということは幻想だったのか?と思い、一時期投票に行かなくなったが、先の言葉が蘇って、また行っている。

思い返せば、あの時すごくいろいろ公約でアピールしていた「民主党」が、実は主導する能力がないことが露呈したわけだが、会社でも政治でも今そこにある中心勢力を批判することは簡単にできる。
「じゃ、お前会社の経営者になってみろ」と言われてもできないように、政権批判する野党には本当に政権運営する気があるのだろうか?と選挙になるたびに思うようになった。

先月あった衆議院議員総選挙も同じで、特に自民党や安部政権を支持していないけれど、他の選択肢の中に、信頼して政権を託せる集団がいないと感じる。
特に今回の場合、希望の党と民進党のドタバタは、吉本新喜劇のようで半分面白く、半分腹立たしい気分だった。
誰が言ったか知らないが、小池さんを「緑のたぬき」とは実に良いキャッチフレーズで、ぜひ今年の「流行語」に選ばれてほしいと思う。それより「排除」の方が有力かな?

さて、ここまでが前段で、これからが本題。
実はここ数年、選挙は「期日前選挙」で投票している。
夜8時まで受け付けるので、会社帰りに寄れるし、そんなに混まない。とは言え、最近は「期日前投票」に訪れる人は年々増えている気がするが・・・・・。
今回は、台風の影響で、期日前投票で「●時間待ち」なんて珍現象もおきたが、それも期日前が浸透してきているからこそなのだろう。

選挙の案内はがきは、公示日に大体届く。
だから、現実的には公示日から「期日前投票」に行くことはできる。
なのに、立候補者や政党の公約や最高裁判所裁判官国民審査の情報が掲載されている「選挙公報」などは、投票日の1週間前にしか配布されてこない。

どうしてこのような「空白期間」が生まれるのだろう?
今は、インターネットなどで見れば立候補者や政党の情報は分かるが、最高裁判所裁判官国民審査についてはわからない。

今回のように突然「解散、総選挙」で間に合わないというわけでもないようで、通常の選挙でも同じような「空白期間」がある。
「選挙公報」が間に合わなければ、「期日前投票」の時期を遅らせればよい気がするが・・・・
そう思って、検索したら自治体の選挙管理委員会のHPに掲載されていた。
そうか、今度からこれを見れば良いんだな。1つ賢くなったが、ネットで見られない人は、やっぱり「空白期間」が生じる。

そういえば期日前投票に行くと、出口調査に当たる確率が高いが、今回は3人いて、どうやら別々の報道機関のようだった。
私が答えたのはNHKだったが、タブレッドでタッチするだけの最新の調査だった。
「出口調査」もどんどんデジタル化して進化している。
選挙の方法や情報開示の仕方も、どんどん変化していくのだろう。

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2017年10月30日 (月)

歴史と海と台風と(その3)

(続き)
少し早めにホテルにチェックイン。
夕食なしのプランで宿泊だったので、少し休憩してから事前に調べておいた「日帰り温泉(スーパー銭湯?)」に出かけた。
金曜の夜だったので、混むかと思ったがそうでもなく夕飯も「紅葉定食」とリーズナブルのものがあったので、それで満喫した。
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明日香村は夜になると本当に真っ暗で、ホテルに入る前にコンビニに寄ろうと思ったら、10分くらい回り道しなくていけなかった。
寝る前に、ホテルの大浴場(といっても、数名くらいの規模だが)に入ったが、誰もおらず、翌朝のお風呂でも貸切だった。

翌朝の朝食では他のお客さんと顔を合わせたが、それまでは若いカップルの一組しか会わなかったので、天気の関係や翌週に大きなイベントがある(らしい)ことなどから、空いている施設だった。

天気予報どおり朝から雨。
チェックアウトしてナビで「海遊館」へ。
大阪は慣れていない上に、高速は複雑だし雨降りで、途中でもスリップ事故があったりで、かなり気を使った運転になったが、何とか無事に到着。
近くの駐車場はとても高いと聞いていたので、少し離れたところで、しかも土日も同じ金額の駐車場に停めた。

入場券購入で並びやっと入場。
今回は、会社の厚生サービスを利用したので、通常より安い金額で入場できた。
雨のせいか3連休のせいか、入り口からしばらくかなり混雑していたが、会場アナウンスで言われていた通り、下のほうに降りていくと割りと空いていた。

メインの水槽にはジンベイザメが2匹(頭?)、他にもたくさんの種類のエイやサカナが一緒に悠々と泳いでいた。
面白かったのが、餌をもらうことに慣れきってしまって、まったく覇気のないラッコと、いわしの群れがあんなに大きな口を開けて泳いでいる姿など、他ではなかなか見られないものがあり、本来の目的だった「ジンベイザメ」より妙に印象に残った。

11時前に入場して出たのが2時過ぎ。
どうも最近はどこに行っても、ゆっくり見るようになってしまって、きっと団体ツアー旅行のペースには付いていけないなぁと思っている。
ホテルで朝食を食べただけだったので、お腹が空いて隣接する商業施設で昼食。
時間がずれているから大丈夫かと思ったが、休みの日でもあるせいか、どこも並んでいる。
結局「せっかく大阪だから」とお好み焼きの店舗に少し並び「お好み焼き」+「焼きそば」+「とん平焼き」+「ゲソ焼き」のセットを食べた。

お腹が膨れて帰路へ。
雨は相変わらず降り続いていて、行きと同じ道で帰ったが、西名阪の山の方は雨で視界が悪く、さらに対向車からの水しぶきにも怯えながら運転になった。
今まで京都とか江戸時代のものを巡る旅行はしてきたけれど、奈良はもう少し時代が古いのでなかなか行けていない。
私の住む地域からも京都と同じくらい近いから、これからも行ってみようかなと思っている。

このブログでも何度か紹介するように、いろいろなところに出かければ出かけるほど、行ってみたいところが増える。
それはそれで、健康なうちに行けるように気をつけるから良いとしようか・・・・・

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2017年10月23日 (月)

歴史と海と台風と(その2)

(続き)
「道の駅 針テラス」 (ちなみに「針」は土地の名前らしい)で少し休憩して再出発。
最初のナビでは「天理」から南下して明日香村に向かう予定だったが、この「針テラス」は分岐点でもあったようで、「桜井市」「大和橿原」へ経て明日香村に到着するコースに変更になった。0402

明日香村は事前に調べて「レンタサイクル」で回る予定にしていた。
ネットで調べると複数の場所でやっているようで、駐車場が無料のところを選んで行って見た。
到着した営業所はちょうど無人で、電話したら「他のところではダメですか?」と言われてびっくりしたが、電話の向こうで「いいよ」と声がして、しばらくしたら係りのオジサンが来てくれた。

手続きして午後5時まで800円。さらにネットのクーポンを見せて200円引きにしてもらって自転車を借りた。
電動自転車もあったが「大丈夫じゃない?」と思ったので普通のものを借りたが、後から考えれば「電動」にすれば良かったと思う道もあった。

このレンタサイクルで巡ったのは「亀石」→「橘寺」→「岡寺」→「石舞台」→「飛鳥寺」→「酒船石」の順番。最後に借りたレンタサイクルの営業に戻ったのが3時過ぎになり、「余裕があったら長谷寺」なんて全然無理だった。
それと、当たり前かもしれないけれど、それぞれにお金が必要で、レンタサイクルとセットでパスポートチケットみたいのがあると便利なんじゃないかと巡ってみて思った。

●石造物類
巡れたのは「亀石」「酒船石」そして「橘寺」にあった「二面石」だけだったが、明日香村にはこのような石造物があちらこちらにある。
なんのためのものなのか分からないものもあるようだが、自転車でしか行けないようなところにあったりして、なかなか面白かった。

●寺社
巡ったのは「橘寺」「岡寺」「飛鳥寺」の3箇所。
事前に知っていたのは「飛鳥寺」くらいで、ここは日本最古の仏教寺であるとTVで知ってから来てみたかった。
「橘寺」は知らなかったけれど「聖徳太子(今は厩戸皇子)」の生誕の地と言われていた。お庭には昔の金堂や五重塔跡もあり、もしも現存していたら大きな寺社だったのだろうと楽しく想像できた。
「岡寺」もたまたまコースにあったので寄ったが、これが山の上にあるお寺で、息切れしてしまった。
ここは日本最大の塑像の観音像が有名らしく、そして楼門や三重塔などもあり、苦労して上がってよかったお寺だった。
そして苦労して登ったおかげで、三重塔から明日香村を見渡すことができた。
「飛鳥寺」も昔は大きな敷地だったようだが、今は本当に小さくしか残っていない。
けれど、ここは「飛鳥大仏」などの仏像を撮影して良いとのことで、せっかくなので撮らせてもらった。

●石舞台
明日香村といえばここが一番有名。
一説では蘇我馬子の墓とも言われているが、詳しくは分かっていないらしい。
外から見る姿はよく写真で見るので、そうでもなかったが、中に入って大きさを実感した。
石棺があったとしたら、どんなふうだったのだろうと妄想は膨らむ広さだった。

距離はそんなに動いていないが、1つ1つ「へぇ~~」などと思いながら見ていくので、思ったより時間が掛かる。
石舞台のそばの「旬菜館 ポカ フレール」 でランチにしたが、ここの「旬の野菜と古代米のワンプレートランチ」が美味しかった。
古代米も野菜もとても素材の甘さが良くって、1000円だったが、これが都会だと倍くらいの値段だろうけれど、ある意味とっても贅沢なランチなんだろう。

レンタサイクルを返して「高松塚古墳」へ。
これがまた思ったより狭い道を入っていって(あとからそれは裏道と分かったが)、復元された古墳と近くの壁画展示館に寄り、ホテル近くの「飛鳥資料館」 に入り、明日香村散策は終了。
全体を通して、飛鳥や古墳などの基礎知識がなくて、とっても表面的だけの散策になってしまったが、これをきっかけにこの時代のことも興味を持てそうだった。
ただ、江戸や幕末と違い資料が乏しいので、半分以上が「想像」になっていることがこの時代の特徴と言えるかも知れない。
(さらに続く)

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2017年10月16日 (月)

歴史と海と台風と(その1)

定年再雇用になって良かったのは、今までよりも「有休とって旅行に」が言いやすくなったこと。
役職の時には、なんだかんだと会議があったり、部下のメールも確認したりしていたが、役職が外れ、さらに再雇用になり、自分の業務の都合さえ付ければ良くなった。
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良くないのは当たり前だが収入が減ったこと。
だから「旅行には行きやすくなったけれど、リーズナブルな心がけ」が必要になった。
今までも決して贅沢な旅を楽しんだわけじゃないけれど、これからは一層緊縮財政で計画しないといけないと思っている。

と言いつつ、やっぱり「出かけられるうちに」とも思うわけで、9月に1泊2日で奈良と大阪に行ってきた。
大阪は「海遊館」、奈良は「明日香村」とずいぶん目的が異なるが、前々から「行ってみたい」と思っていたことと、私の住む地域からは同じ方向にあることで、この組み合わせにした。

最初は初日に「海遊館」に行って、奈良に宿泊。2日目に「明日香村」を巡り、もしも余裕があれば新薬師寺か長谷寺に行くというざっくりした計画でいた。
なので、奈良と明日香村との中間ぐらいにリーズナブルなホテルがあったので、そこを予約していたが、意外に距離があり、「朝から明日香村を散策」するなら、もう少し近い方が良いと思い直し、明日香村近くの施設に予約をし直した。

1週間くらい前までには「2日とも晴れ」の天気予報だったが、だんだん台風が近づいてきて「大丈夫か?」と思えるようになった。
結果的にこの台風は九州・四国・本州・北海道と日本中を上陸し、各地は大きな被害にあったのだが、とにかく「台風の動き次第の旅程」になったのは間違いない。
3連休の1日前を有休にしていたが、当初の「海遊館」→「明日香村」を逆にして「明日香村」→「海遊館」に急遽予定を変えての出発になった。

予報によると遅くなればなるほど台風が近づくことになっている。
明日香村まで3時間くらいだからゆっくりの出発でも良いけれど、とにかく天気は不安なので、少し早めに出た。
東名阪までは高速道路で行き、亀山からは西名阪国道。この道は白浜に行った帰り に使ったから、少し慣れていた。
東名阪は、いつもは渋滞する道路だが早めの出発が良かったのか、とにかく順調にクルマを走らせた。

2時間過ぎた頃から「ちょっと一休み」したくなったが、走っているのは自動車専用国道で、サービスエリアはない。「道の駅くらいは」と探しながら走っていたら、ちょうど「道の駅 針テラス」 の看板を見つけた。
入ってみたら大きな「道の駅」で日帰り温泉施設があり、かなり広い駐車場もあり、どうやらトラックドライバーには有名なところのようだった。
(つづく)

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2017年10月10日 (火)

還暦になって学ぶこと(その3)

(さらに続き)

思わぬ長い最初は1回のつもりで書いていたが、長くなって3回シリーズになってしまった。
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【じいじとして】
最後に、ちょっと違う世界の話。
時期がちょうどこの1ヶ月の中だったからだが、これはこれで「学ぶべきこと」だと思ったので、入れた。
夏休み明けに娘夫婦と食事をした話を「60歳、そして定年へ(娘一家編)」 で書いた。
そこで書いたように、上の男の子の孫への「こら、我がままくそ坊主」という言葉に娘はずいぶん引っ掛かっていたようで、ある日長文のLINEが来た。

出だしからして「今までほとんど一緒に住んでなかったら、なかなか本音で言ったことがないけれど」で始まり「何だろう」と思って読むと、上の孫への事だった。

今、娘は二人の子持ち。
特に下はまだ1歳半で大変で、小学校3年になる上のお兄ちゃんにどうしても厳しくなり怒ってばかりいるらしい。
さらに、男の子としては優し過ぎる子だが、少しずつ「男の子」ということで、どうしたら良いか分からなくなってくることがあるとも・・・・・

そんな状況の時に、私が「お兄ちゃんだから、厳しくした方がいいのじゃないか?」と思って怒ったりしないでくれとのことだった。
冒頭に「本音で言ったことないけれど」と書いているから、娘はかなりイロイロ考えてのLINEだったと想像はつく。

そして「子供は子供なり一生懸命考えているのだから」と締めくくられていた。
私自身もブログには軽く書いていたけれど、ちょっと気にしていたことだったので、さっそく返事を書いた。
「こちらも気にしていたこと」
「孫との付き合い方を、これからまだまだ学ばないといけないと思っていること」
そんなことを書いたら、翌日
「真剣に考えてくれて、そして受け取ってくれてありがとう」
と返事が来た。

結婚生活に失敗した私は、娘にとってはよい父親ではなかった。
でもこれからは「じいじ」として学ぶべきことがあるなぁと娘のLINEで気づかせてもらった。
翌日のLINEには「せっかくおじいちゃんもおばあちゃんも健在なんだから」と、娘は一生懸命考えていることが分かる内容だった。

「子供たちは別の人格だから」と頭で分かっていながら、ついつい「自分のこども」という甘えがあったことにも気づかされたし、私にLINEを送ることも「母親としての意識」があるからこそ、勇気を振り絞ったのだろうと思う。

このように60歳過ぎても、公私共に学ぶべきことがたくさんある。
このことを忘れないためにも、今回ブログに認めてみた。

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2017年10月 2日 (月)

還暦になって学ぶこと(その2)

(前回の続き)20171002_kabu

【仕事上の話】
私は本部長の隣の席にいる。
部長時代や正社員時代には、本部長が不在の場合の承認印の許可や、他部署から依頼に代理で対応していた。
先日、本部長が休暇を取る時に、今までのように不在時の承認印の許可を私に取るように社員に話していた。
しかし「いや~~、それはまずいでしょ? 再雇用社員が決済承認許可はないって」と話した。

最初、本部長は「信用しているから」と言っていたが、そういう問題じゃないので断固拒否した。
長い付き合いだから、本部長の言っている事もわかるけれど、仮の承認にしてもその責務の給料はもらってないのだから、それは嫌だ。
「自分だったら、嫌でしょ?」と本部長に話したら納得してくれたが、この辺はズルズル今まで通りにしていると、お互いにまずい事になる。
自分もそうだけれど、周りも定年~再雇用という立場だということを単に業務的なことじゃない責務も含めて理解してもらうことが大切なのだと改めて学んだ。

【株の世界】
もともとこの世界は苦手だし、怖いし、そもそもそのような資金もなかったので、今までまったく縁がなかった。
しかし会社の持株会に長く入っていて、かなりの株数になったので、今回個人株主にした。
そのための口座開設などNISAの申し込みなど、まったく知らない世界の言葉に四苦八苦しながら書類を書き、何とか口座開設され、自分の会社の株主になった。

せっかく口座開設したのだからと、いろいろ株のことを勉強し始めた。実は3年くらい前に「気軽にできるネット・トレード」という本をコンビニで買って、「そのうち読もう」とそのままになっていた。

【退職金】の時に書いたけれど、今は銀行に預けていてもお金はまったく増えない時代。
株主優待とか仕事でちょっと知っている企業の値動きを見たりとか、まだまだ分からないことだらけだけど、これまた学ぶべき世界であることは間違いない。
「株で儲けて」なんてことまでは思っていないけれど、こういうきっかけで、学べるのだったら少しやってみようかとも思っている。
(さらに続く)

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2017年9月25日 (月)

還暦になって学ぶこと(その1)

定年退職~再雇用社員となってまもなく1ヶ月経過する。20170925_taisyokukin_2
相変わらず毎日会社に行っているし、今年度が始まる4月に比べれば大きく変化していないように見える。
もちろん給料は大幅に下がったことは、大きな変化なのだが、実はそれ以外にもいくつか変化してきている。

【退職金の話】
今の会社には、子会社時代も含めて25年以上いる。
若い頃には転職を繰り返していたが、こんなに長く同じ会社にいて定年を迎えるなんて、あの頃には想像すらしていなかった。
それで、そんなに多くはないけれど、少しは老後の生活費に当てれそうなくらいの退職金がでた。

確定給付付企業年金もあったが、運の悪いことに、今年度から利率が5.5%から2.0%に下げられ、さらに元金も多くないので、10年分割して税金払っても、一時金でもらってもそんなに差が出ない。
「10年先まで、今の会社と繋がっているのもなぁ」
そう思って一時金で払ってもらった。

その両方のおかげで、ちょっとだけ銀行にお金が増えて、そのままだと欲望に駆られて使っちゃいそうなので、定期預金にすることにした。
ところが、今は「マイナス金利」時代。
定期預金で0.01%の金利って、もうお小遣いにもならない。
ならないけれど、使わないためにも定期にしようと思った。

これらは全部ネットでやるのだが、これがなかなかドキドキもので、それなりの金額を動かすのって、ちょっと怖い。画面上で数字だけが動くので、余計実感がなく、操作ミスでとんでもない事になりはしないかと心配しながら操作した。

「マイナス金利」が大きなニュースになった時は、そうでもなかったが、こうやって自分のことに関係してくると、「このまま銀行に入れたままで良いのだろうか?」と思えてくる。
元来、投機的なことは嫌いだから、変な投資勧誘には乗らないが、こう金利がないと「少しでも増えるなら」と他の道を考えがちになる。
これもまたお金に関することを学び直すきっかけになりそうだ。
(続く)

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2017年9月19日 (火)

近場の美術館巡り

ちょっと時間が過ぎてしまったが、夏休みに近場の美術館を巡ってきた。
20170911_mistukan_2ニュースによると今年は「山の日」の曜日の関係があり、各企業の夏季休暇期間が重なり、どこも大渋滞・大混雑だったようだ。
そんなこともあり、どこにも出かけない予定にしていたが、何となくiPhoneを見ていて「チラシミュージアム」 というアプリを見つけた。

そのアプリは「全国の美術館・博物館・ギャラリーで開催されるアートイベントのチラシ」が見られるという私のような人間にはありがたい道具で、さっそくダウンロードして使ってみた。
すると「安城市歴史博物館」 と言う施設で「生誕220年広重 ‐雨、雪、夜 風景版画の魅力をひもとく」をやっていることを見つけた。
「これは行かねば!」と出かけたが、入場料は500円と格安だし、施設内は涼しいし(一部寒いくらいだったが)、そして予想していた以上に広重の作品が多く、しかもゆったりと見られて最高だった。

「広重」といえば「東海道五十三次」が有名だ。
もちろん展示の筆頭にずらりあったが、状態の良いのとそうでもないのと入り混じり、それでも全宿場+異版もあり、さらに違う版元のものや、国芳との合作版などバラエティに富んだ展示で、偶然見つけて思い付きで出かけたものとしては、とても「儲けもの」なものだった。

ここは今では「安城市」と言い、私の住む街の近郊だが、「安城市歴史博物館」 のある場所は、元々「安祥城」の城址だったとのこと。
施設を出て、少し周りを巡り、今はお寺となっているところに「安祥城址跡」の石碑を見つけた。
2015年4月に「近くの穴場~西尾城」 を書いたが、本当に私の地方は、このような城址がそこら中にある。
これは、定年後の楽しみの1つとして史跡巡りを考えている私には、とてもありがたい。

そして、同じ日ではなかったが、もう1ヶ所「この時期だから」という情報を聞きつけて出かけてきた。
それはミツカン酢でお馴染みの「ミツカンミュージアム」
通常は「予約」が必要な施設なのだが、お盆期間中は「無料・見学自由」とのことで、これも「ぜひ、行かねば!」と行って来た。
当然、企業の施設なので「酢の作り方」「歴史」がメインなのだが、これがかなりちゃんとしていて、驚いたのは復元した長さ約20メートルの「弁才船」

「夏休みの自由研究に」と子供や孫を連れてきている人も多かったが、それでもゆっくり説明文を読めるゆったりさで、「これで無料」と言うことなしだった。
さらに、このミュージアムの周りは、ほんの少しだけだが「歴史の散歩道」になっており、これもゆ~~ったりと見て周り堪能した。

こうやって近場でも十分楽しめることが最近感じることで、小牧城や岐阜城など、「鉄筋コンクリートの復元だから」と行っていない施設にも出かけなくちゃと、またまた「行きたいところ」が増えている60歳なのであった。

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2017年9月11日 (月)

60歳、そして定年へ(会社編)

前回は、プライベート中心の60歳報告。
今回は組織の中で生きてきた人間としての60歳の話。
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おそらくこの「60歳」「一区切り」と感じるのは、私のように会社勤めをしている人間の方が大きいのじゃないだろうか?兄貴のように自営業の場合は、また違う気がする。
当然、会社勤めだと一応「定年」となり、今までのような「正社員」ではなくなる。
でも「どうなるんかなぁ~~」と思っていたが、7月末になっても人事部から何も言ってこない。

私の会社は誕生月が「定年」になるので、新年度が始まる時には「再雇用希望」を出しておいた。
だから「7月には、なんか言ってくるんじゃない?」と思っていたが、何も言ってこない。
仕方なく人事部長に「どうなるの?」と聞いたら、慌てて本部長を通して条件提示がされた。

3月で正式に役職定年になり、部長職を退き、当然その時に収入は減った。
そして今回は定年・再雇用でまたもや条件変更。
1年に2回も収入が減っていくのは、痛い。でも、本来ならば2年前に役職定年だったから、ありがたいのだが、続けてくると、やっぱり痛い。

で、再雇用の条件。
通常だと60%程度の収入条件らしいが、人事部長も本部長もそれなりに評価をしてくれて70%程度で社長に稟議を出してくれるのだそうだ。
それでも、それなりの金額は減る。今月末に、定年後の初の給料なのだが、きっと「減ったなぁ~~」と一段と感じるだろう。

さらに8月も残り10日となって、盛り沢山の書類が人事から来た。
「再雇用契約書」「退職金の明細」「企業年金の明細と受け取り方法」「税務署用書類」「ハローワーク用書類」などなど、人事課長はサラサラッと説明してくれたが、分かりにくいこともあり、ネットで調べながら確認して署名した。

さらに「持株会」にあった保有株を個人に移設する手続きも7月ぐらいからやっていたので、今年の夏は「書類記入」ばかりしていた気がする。
そして、こうして具体的に年金や退職金が分かってくると、若い時には「収入なんかよりも、やりがいがあって面白い仕事」と思ってきたが、やっぱりある程度の収入を得て、厚生年金を納めていないと「年金収入が全然少ないなぁ」というのも本音だ。

とこのように、今から年金生活を考えると、心配になることもあるが、その前に「再雇用」の身分になり、ますます「必要とされる努力」をしないといけない。
最長65歳までは、双方合意なら雇ってもらえると規程には書いてあるから、当面の目標は「65歳」まで「必要だからいてくれ」と言ってもらえるようにすることだ。

とは言えなんでも自分でやってしまっては、次世代にノウハウは渡せない。
今までずっと部下だった社員は、もう安心して任せていける(わけじゃないけれど、あまり口を挟まずに見ていられる)。でも、昨年から手伝うようになった総務・広報系は、いろいろ教えなくちゃいけないことや、時には怒れることもある。
「でも、あんまり怒っても65歳まで雇ってもらえなくなるしなぁ」
と、正社員や部長だった時とは違う感覚で勤めなくっちゃいけないなぁ~~と感じながら再雇用社員となっている。

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2017年9月 4日 (月)

60歳、そして定年へ(娘一家編)

前回の最後に少し書いたが、夏季休暇が終わったある土曜の昼に、娘から「一緒に昼ごはんを食べよう」と招待された。
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娘一家が中古住宅を購入し、初めて訪れた時だったかにすぐ近所にある「すし屋」さんが、とても印象が良かったので、「そこが良い」とリクエストしておいた。
「多分、食事代は娘一家が持つだろうから、そんな高いところは可哀想だしなぁ」との思いもあったし、そこは「すし屋」とは言え「手鞠寿司」を中心に、いろいろなお惣菜が少しずつ盛られているセットがあって、それがとても美味しかったこともリクエストの理由でもある。
「12時に予約したから」とLINEで連絡してきたので、20分くらい前に着くように行った。
インタホンを鳴らすと、上の男の子が無愛想に出て、玄関を開けてくれた。
最初は照れもあるのか、もじもじしながらタブレットをいじっていたので、ゲームでもしているのかと思ったら、塾のテキストだということで、びっくりした。
見せてもらったら、算数をやっていて婿によると今年からグンと難しくなったとか。
上の孫は今年でもう3年生。まだ英語は始まっていないが、これから勉強が大変になる時期みたいだった。
下の女の子は、着いた時にちょうどお昼寝に入ってしまい、先に予約先に向かい、あとから婿が下の子を連れてやってきた。
一緒にご飯を食べているうちに上の孫は慣れてきて、いつものようにちょっかいを出してきた。
自分のキッズ携帯から私の電話を鳴らしたり、家に帰ってからは、私のスマホを触ろうとしたり、ゲームを見ろと言ったり、我がままモードに突入した。
「こら、我がままくそ坊主」と笑いながら怒ったら娘が「どうも、くそ坊主とか言われると傷つくみたい」「じいじは、そうやって怒るから嫌だ」と言っていたと話してくれた。
「くそ坊主」くらいで傷つくんだぁ。どれだけ怒られずに来てるんだろう?と思ったが、それでも私がいるといつも以上に聞かん気になるようで、娘に「なんで、じいじがいるとそうなるの!」と怒られていた。
ま、下が出来てから「お兄ちゃん」でいなくちゃいけないから、その反動なのかもしれない。
その下の子は、ご飯の途中にやってきて、最初は不思議そうに私を見ていた。
そりゃそうだろう、お正月以来で、本人はまったく覚えていないだろう。
娘たちの家に戻って、少しすると段々慣れてきて、トコトコ歩きながら、「これ」と片言でしゃべる。
一番かわいい時期なんだろうな。
でもさすがに下の子。自分が遊びたいものは、大好きなお兄ちゃんと言えども譲らず、そして女の子なので、すぐに「うぇ~~~ん」と泣く。
途中からは上の子が左に座り「ねぇ見てて!」とゲームを見せられ、たまにやらされ、下の子は右から「ニコニコ」しながらやってくるし、左右の相手をするのにかなり疲れてしまった。
今回は「還暦」の誕生日祝いということで、特別にプレゼントをくれた。
婿のお姉さんの旦那さんが、器を作る仕事をしているとかで、そこに頼んで家族みんなで器を作ってくれた。
娘と上の子は、お皿やコップや絵付けをしてくれたようで、下の子は手形を押したり、指で押してへこんだ形で箸起きを作ってくれたりしたようだ。
作っている時の写真も添えて、木箱に入れて渡してくれた。
ありがたくて、とても使えないけれど、心のこもった、そして家族が楽しみながらプレゼントを用意してくれたことが一番うれしかった。
「これからも元気でいてね~~」とみんなが書いてくれたバースデーカードも一緒に箱に入っていて、大きな宝物をもらった還暦のお祝いだった。

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2017年8月28日 (月)

60歳、そして定年へ(プライベート編)

今月でついに60歳になった。
母親は52歳、そして父親は60歳で亡くなっている。
今回改めて墓石を確認したら、数え年になっているので、それぞれ53歳、61歳と記してあった。
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そういうこともあり「これで、両親より長生きになるのだなぁ」との思いと「今月で無事に定年を迎える」と2つの思いから、今月初めに墓参りに行ってきた。
昔はやぶ蚊がすごくて、必ず蚊に刺されたものだが、何年か前に敷地にあった大きな木を取り除いたために、燦々と陽が入り、蚊はいなかった。ただし直射日光に汗が流れたが・・・・。

小さい頃に今で言えば、アトピーなのだが、当時はそんなことも分からず、赤ん坊の頃は頭におできがすごく(と兄たちが言っていた)、小学校になってからはアレルギー性気管支炎になり、一日置きに掛かりつけの小児科に、そして毎週県病院へ、月に1回は名大病院に行っていた。
親は自宅で商売をしていたが、毎回お袋が連れて行ってくれたが、今思えば、どれだけ大変だったのだろう・・・
特に名大病院は、まだ蒸気機関車で行く時代で、とても朝早く行っていた記憶がある。
やっと人並みの体力になったのは、中学校の後半くらいで、本当に親には心配をかけた子供だったと思う。

なので、「無事に60歳を迎えるよ」と報告がてら墓に手を合わせてきた。
故郷を出てしまい、クルマでわずか1時間半くらい離れている大都市に住むようになってから、ほとんど墓に行くことはなかったが、自分の子供が結婚して孫が生まれてから、何だか「ちゃんと報告しようかな」と思うことが増え、ここのところは毎年なんだかんだと墓参りに行っている。

話は変わるが、昨年「姪っ子の結婚式」 で結婚した兄貴の2番目の娘に、7月に子供が生まれたと連絡があった。
生まれたのは女の子で、兄貴たちには、初めての「女の子の孫」となった。
墓参りの帰りに兄貴の家に寄ると、生まれたばかりの赤ちゃんと、長女の2人の男の子に囲まれ、兄貴と義姉さんは、すっかり「ジイジとバアバ」となり孫の世話に追われていた。

長女の2人目は、今年の正月に生まれており、こちらも初めて会った。
その子は「最近人見知りが始まった」と言っていたが、なぜか私は小さい頃から子供には好かれる方で、抱っこしても泣かずに、ずっと不思議そうに見つめていた。たまに髭やメガネに触ろうとしてきたが・・・・

義姉さんも私と同じ年で、兄貴たちが結婚した当初3人で生活していた頃をふっと思い出したが、ありがたいことに、私にもそして兄貴にも、男女の孫が健康で、そして五体満足でいてくれていることに、本当は大きな感謝を感じなければいけないなぁと、ちびっ子ギャングに囲まれながら思った。

60歳。「還暦」とは
干支が一巡し再び生まれた年の干支に戻ること。干支は、十二支の〝支〟と、十千の〝千〟からなる言葉で、十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥、十千は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10種類があり、干支は十二支と十千の組み合わせによって決められる。
この十二支と十千の組み合わせには60種類あることから、干支が一巡するには60年掛かり、生まれてから干支を一巡し再び生まれ年に還る、という意味がある。

いろいろあったけれど、一応二人の孫に恵まれている。
夏季休暇明けには、娘夫婦からも一区切りの昼食会に招待してくれたが、これは次回に譲るとして、まずまずの人生を送れたのではないだろうか?
これからは「おまけ」の時間。どうやって生きていこうかな・・・・。

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2017年8月21日 (月)

松山城と道後温泉への旅 その3

先週、めでたく(?)60歳になった。還暦だって!
この話題は次回にするとして、今日は前回からの続き。

「道後温泉」
からまた市電に乗って、ホテルへ。
ちょっと休憩して夕飯へ。
今回の宿泊先はビジネスホテルなので、朝食だけにして夕食は外。20170807_03
だから市内中心の「大街道」近くにホテルを取った。
ホテルにあるガイドやネットでお店を見て1件目に行ったら、「合い席なら」と言われて諦めた。
やっぱりネットで良い評価されていると混んでいる。けれど経験的に飛び込みで入っても美味しい店もある。
希望としては「鯛茶漬け」が食べられるところだったが、なかなか良さそうな所がなく、あまり高くなくリーズナブルそうなお店に入った。

これが結果として良くて、濃いしょうゆベースで食べる「鯛茶漬け」も付いていて、天ぷらもじゃこ天も、どれも美味しい定食で満腹になってしまった。
その後、「松山城」へ。
本当なら翌日の予定だったが、ちょうどその日から「光のおもてなしin松山城 2017」が始まり夜9時半まで天守閣以外は入場可能とのことで、行ってみた。

松山城は市内の小高い山の上にある城郭で、最初から歩くことは諦めてロープウエイに頼った。
近づくにつれライトアップされた天守閣が見えてきた。
お城好きとしては、さまざまな形をしたイルミネーションはちょっと邪魔だったけれど、暗闇に浮かぶ高い石垣や天守閣が幻想的で、さらに想像よりも城郭も大きく、夜のお城見物を堪能した。

そして翌日。
バイキングの朝食にも「じゃこ天」があり、前回にも書いたけれど「3食続けて」じゃこ天尽くしの松山滞在になってしまった。
13時半に松山を出発する列車なので、早めにチェックアウトして再度松山城へ。
やっぱり石垣が高い。
そして天守閣も良い。
さらに城郭としてコンパクトだけれど「升形」があちこちにあるし、「狭間」も多く、守りの堅そうな城なんだなぁと感じられた。
現存天守閣は、もう見学するだけで楽しい。歴史を読んだり、展示物を見たり、他の観光客がさっさと通り過ぎていくが、時間もあることなので、ゆっくり楽しんだ。
天守閣の窓に中国人らしい夫婦がどっかり座って動かないのには閉口したが、大きさも歴史もたっぷり楽しませてもらった。

これであとは「時間があれば」と思っていたところもあったが、あまりの暑さに高島屋に避難。
お土産もホテルで買ったし、時間まで涼んだ後に、市電でJR松山駅へ。
これ以上の場所はレンタカーが必要だと思ったが、これで松山・道後温泉としては十分に楽しんだ。
現存天守閣のうち、これで犬山城、彦根城、松本城、丸岡城、姫路城、高知城と合わせて7つ出かけた。
高知城は20代の時だったから、もう一度行きたいが、次の目標は松江城かな?

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2017年8月 7日 (月)

松山城と道後温泉への旅 その2

新幹線での岡山までは本当に「あっ」と言う間だったが、「岡山」から「松山」までは、2時間40分と少し掛かる。20170731_02

「本州四国連絡橋」を渡る時は、ちょっと盛り上がったが、島影や瀬戸内海を見ているうちに終わってしまい、四国上陸後は延々と沿線風景を眺めるだけとなった。

松山に近づくと、遠くに「松山城」を発見!そして1時過ぎに松山に到着。
到着して驚いたのが、未だに「自動改札」でない!
久しぶりに駅員に切符を手渡したが、どうやら伊予鉄道の「松山市駅」の方が中心なのだろうか?
お腹も空いていたので、駅にあるうどん屋さんで「ぶっかけ」+「じゃこ天」を食べた。
これを始めに、夕食~次の日の朝食と続けざまに「じゃこ天」を食べたが、みんな少しずつ味が違って面白かった。

予定では3~4回くらい乗るので、1日券が良いかと市電の1dayチケットを購入して市電に乗り込んだ。
ホテルは市内の中心の「大街道」なので、そこに行く市電に乗ったつもりが、その手前の「松山市駅」で電車は終着で、また乗り換えて「大街道」へ。1dayチケットにしておいて良かった!
駅からすぐにホテルがあり、チェックイン時刻より1時間も早かったが、部屋の準備が出来ており、チェックインさせてもらえた。

さっそく荷物を置いて最初の目的地の「道後温泉」へ。
しかし、今年はどこに行っても暑い。この暑いのに「温泉」と思いながらも、市電に乗って行って来た。
「道後温泉駅」に到着して、お土産通りを通って到着。
「個室は空いてますか?」と聞くと15時と中途半端な時間のせいか「今なら、すぐ良いですよ」と言われ即決。

各階に案内の人がいて、個室へ。
浴衣に着替え、最初は「霊の湯(たまのゆ)」。ほんのり温泉の匂いだけれど、肌にやさしく少し熱めで、深めの浴槽に入浴。気持ちよい~~~。
「ついに道後温泉に来たなぁ~~」と一人ニヤニヤしてしまった。
その後、「神の湯」。男性は2つあるのだが、もう暑くて片方に入っただけで、出てしまった。

この「個室コース」「坊ちゃんの間」を見られたり、「又新殿」の見学が可能で、特に「又新殿」が面白かった。ここは、昭和天皇の時代まで皇室専用のお部屋だということで、部屋の作りや武者隠しなど、興味深かった。
たまたま外人の人に通訳が案内していたが、私が道後温泉の案内にいろいろ聞くと、その答えを通訳すると言う不思議な関係で見学していたが、一番外人が食いついていたのはトイレだった。
やはり外国の人には「エンペラー」というのは、とっても厳かな感じがするものなのだろう。

最後に「道後温泉本館」を1周回って写真を撮り、お土産通りでカキ氷を食べて汗を引かせ、道後温泉公園に寄ったが、そこで出会った猫は呼んだら寄って来て、さらに私の座っているベンチに来て、ぴったりくっついて座ってきた。妙に慣れていたが、いったい野良なのか?観光客に慣れているのか?
あまりの不思議経験で、写真を撮ることも忘れてしまったが、こんな出来事も旅の面白さだ(つづく)

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