2017年6月19日 (月)

社員の急死

5月の最後の週の月曜だった。
出社してきたら隣の席の本部長が「○○さんが亡くなったって知ってる?」と聞いてきた。
「えっ?」
前の週に食堂へ向かう廊下ですれ違って挨拶したんだけれど?20170619kyusi

職種が違うから、同じ部署になったことはないけれど、仕事柄ちょくちょく相談させてもらったり、打ち合わせさせてもらったりしたし、私が子会社にいた頃から知っているので、結構親しくしていた。
彼は、私の一回り下。
50歳の少し前で、縁も無かったのかずっと独身だったようだ。

あまりの急のことで、最初の社内回覧では「通夜・葬儀の近親者なので」ということで会社関係は遠慮したいようだった。
私の部署は本部長の判断で、数人がお通夜に行き、香典も遠慮したが、営業の人たちは「焼香したい」との声が大きく、結局100人近くがお通夜に、本葬には社長も出席することとなった。

亡くなった状況を聞くと本当に急だった。
土曜に職場の人たちとゴルフに行き、後半のハーフへ行く時、本人は「大丈夫」と言っていたが、ずいぶん調子が悪そうだったみたいで、職場仲間もゴルフ場のスタッフも「やめて、休んでいた方が良い」と無理やりに休ませたのこと。
休憩させて、ラウンドしていたら救急車の音がして、職場の仲間が「もしかすると」と戻ったら、もう亡くなっていたとか。

脳のスキャンには異常がなく、ご遺族の希望で司法解剖もしなかったので、しっかりした死因はわからずじまい。
ただ、残業が多かったこと、毎年の健康診断もいつも保健指導が入り、近しい職場の人には「そのままじゃ、良くないよ」とも言っていたとか。

弔問にいった社員に聞くと、「眠っているような顔だった」というから、そんなに苦しくなかったのかもしれないね?としばらくは、いろんな人たちと彼の急死について話題にし、さらに月初めの全体朝礼でも黙祷を捧げた。
50歳前で、そんなふうに突然亡くなってしまうのをすぐ近くで感じると「毎日心残りのないように生きておこう」としみじみ思ってしまった。

同窓会に行っても、友人の死を聞くことが増えてくる年齢。
60歳を迎えるということは、自分より若い人が亡くなることを聞く機会も増えるということなのだと気づかせてくれる出来事だった。

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2017年6月12日 (月)

蛍を見に行ってみた

前から「一度は行ってみようかな」と思っていた「ホタル鑑賞」に行ってきた。
20170612_hotaru
ネットで検索してみると、少し街から離れるところに鑑賞できるところがいくつかあった。
その地区のボランティアの人たちが育てたり、地域おこしのためにやっていたりと理由はいろいろのようだが、いずれも結構寂しい場所のようだった。

それは当たり前なのだろうが、駐車場とか道路とか、その地域のことを知っているわけじゃないので、何かと不安になる。
ということで、結局冬になるとイルミネーション、いつもは花などをメインイベントとして行っている植物パークが、何年か前から園内の小川や池を利用して、ホタルを生育し、時期になると「ホタル鑑賞」を行うようになり、先日そこへ行ってきた。

一度冬のイルミネーションイベントには出かけたが、そのときは、夕方前から駐車場はいっぱいだし、点灯時間には、ものすごい人数だった。
今回は、そこまでではないだろうとのんびりと出かけ、さらにアジサイや花ショウブも始まるとのことだったし、園内にある日帰り温泉にも寄ろうと、いろんな目的で行ってきた。

自然の観賞場所じゃないから、それなりにお金も取られたけれど、日帰り温泉もまぁまぁ良い感じで(ちょっと高いけれど)、日暮れ間近には園内にある食事処で夕飯。
少し早いかと思ったが、どうやら「ホタル」目当てのお客さんが多くて、6時くらいには、どの食事処も入店を並んで待っている状態で、結果的にはちょうど良い時間だった。

で、少し園内で暗くなるのを待って、鑑賞スポットへ。
水辺の草や樹木の影の辺りにチラホラとホタルが光りながら飛んでいるのが見えた。
いくつかの場所で見えたが、ある場所では「はぐれホタル」がいて、見学している人の上まで飛んできて、みんなが大騒ぎ。
面白かったのが、子供よりも親のほうが一生懸命で、子供たちに「ほらほら」とか「ちゃんと見たの?」とか言っている。
さらに、スマホやデジカメのモニタ画面の明かりや、間違ってフラッシュしてしまう人などの明かりで、「ホタルよりいろいろな光りの方が活発!」と思わず口走ってしまった。

子供としては、川の向こう側のホタルなので、ちょっと冷静。
先の「はぐれホタル」のように近づいてくると、急にテンションがあがる。
そんな姿を見て、小さいころに親父に連れられて、ホタル狩りをしていた私のような世代は幸せだったのだろうと改めて思ってしまった。
そして、水の中に光るものを見つけ「いた!」と掴んだら、とても気持ち悪い幼虫だったという経験をしたこと、幼虫も光るんだと言うこと、そんなことを知っていることも、ちょっとだけ嬉しかった。

あのころは、思わなかったけれど、そんな素敵な環境はあっという間になくなって、そして一度失ったものはなかなか元に戻せないのだと、決してエコ推進派ではないけれど、思ってしまった。
トランブ氏はそんなことは思わないだろうけれど・・・・・。

何十年かぶりにホタルを見たが、子供ころに見たホタルは、もっと点滅が息遣いのように感じて、色ももっと神秘的だったような気がしたなぁ。
ちょっとだけ贅沢な夏の風景鑑賞だった。

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2017年6月 5日 (月)

新入社員研修の雑感

6月になり、今年度が始まって丸2ヶ月過ぎた。
そのうちの1ヶ月は新入社員研修で拘束されてしまった。20170605_kensyu
一時期当社は、業績の関係であまり積極的に新人採用が出来なかったし、せっかく入れても会社側の受け入れ態勢が整っておらず、若い社員から退社していくなど、社員全体の高齢化が進んでいる。
そこで、昨年度あたりから「若手の育成」「次世代育成」が方針の1つに掲げられるようになった。

その具体策の1つとして、これまで10日間あまりの新人研修を、営業社員に限り1ヶ月に延長し、実務に近い形で研修することとなり、その講師役を受け持たされた。
講師役については、お客様である専門学校やこれまでの新人研修でやっているから良いが、1ヶ月(実質は3週間くらい)に及ぶ長期間はなかなかない。
さらに通常業務が免除されるわけでないので、研修に対応しながら隙間を見つけて、通常業務にも対応するという1ヶ月が続いた。

何しろ初めての長期研修なので、コーディネートする人事部も、対応するこちらもいろいろを準備不足だったり、不具合が起こったりしたが、何とか無事終了した。
この1ヶ月の特別研修を受けたのは、営業職とデザイナーの卵の11名。
最初は営業職だけの話だったが、「原稿整理とか校正ともやるんだったら、うちの新人も受けさせて」とデザイナーの所属する部門から依頼されて対応することになった。

営業職の新人は、毎日私の「印刷物制作のための研修」を半日、あと半日は「印刷物見積もりのための研修」と、とにかくみっちり研修漬けの毎日。
一般の人は知らないが、印刷物というのは実は「オーダーメイド」の製造物なので、1つ1つ全部価格が異なる。
そして出来上がるまでの工程も、オーダーによって異なるので、意外と見積もりが難しいものなのだ。

「見積もり研修」を対応するのは、私と同じ年齢の「定年組」の印刷営業スペシャリスト。
そういう意味では、我々の年代は現在本当に「次世代育成」に助力する立場なんだとはっきり分かった。

さて、肝心の研修の状況は・・・・。
例年そうだが、どうしても学校勉強の延長の考え方で「正解を出さないと」とか「どうやったら、良いのか」とか、そんな取り組み方や質問が多く、研修に進んでいくにつれ「学校で勉強しているんじゃないんだから」と何度か注意する必要があった。

他にも、「自分だけがどんどんやってしまう子」「やっている子を見ているだけの子」「自分が納得するまで話し合いたい子」などなど、いろいろなタイプの違いがあって、こちらとしては、なかなか面白いものがあった。
後半になるにつれ、かなり実際の業務に近づき、現在起きているさまざまなミス要因に近い出来事などに出会うようになると、こちらの対応も厳しくなっていく。

そして、研修の最後の方は、「だんだん現実的になってきました」と元気がなくなってきたのだが、私の視点から見れば、「段々社会人の顔になってきた」と少し微笑ましくみていた。
さて、そんな研修を受けた新人たち。各事業部の各営業部に配属されてどんな活躍をしてくれるのか?
半年後、1年後に彼らの意見を聞いてみたいものだ。

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2017年5月29日 (月)

「便利な社会」の見直しが始まるか

ちょっと時間が経ってしまったが、GWが始まった4月の最終に、「やっと本質に触れる記事」と思うことがあった。
それは昨年起きた代理店であるD社のことを特集として取り上げた連載記事だった。20170529_benri

最初はニュースやワイドショーや初期の新聞記事に書かれていたような「企業側に大きな原因・責任がある」という話だった。
実際に「自殺者を出した」という現実から「企業側に大きな責任がある」というのは間違いない。
でも、少しだけそのD社と同じような仕事をしており、日頃感じている疑問に対しては、「何の答えにもなっていない」と思っている。
これは、今までこのブログでも何度も書いたけれど「顧客のニーズ」に問題はないのか?ということに立ち戻る。

この「顧客のニーズ」にスポットを当てていたのが、冒頭で紹介した「本質に触れる記事」だった。
この記事の大見出しは「『お客様は神様』限界に」となっており、記事中のタイトルには「過剰サービス社会 見直しに」となっている。

この記事には「深夜残業原則禁止」と言われても、お客様側から「会社のメールや携帯が使えないなら私用を教えろ」と言われる現実と「残業を減らせと言われても、我が社だけでは無理」という企業の言い分が描かれていたが、とてもリアルな出来事と感じ、この問題の「本質に触れた」と書いた。

スキーバスの事故 で多数の学生が亡くなった時も、同様のことを書いた。
「その安さを求めたのは、誰だったのか?」それを無いことにして「責任は企業にある」というのはおかしくないか?

言うまでもなく、企業は利益が必要になる。
利益を上げるためには、運営のための経費以上の収入がないと成り立たない。
収入を得るには、当然受注しないといけない。
だから、顧客のニーズにできるだけ応えて受注に結びつけたい。
今の企業の経営ロジックは、概ねこんな感じだ。

「顧客のニーズ」は重要だけれど、時には過剰な「顧客のわがまま」になる時がある。
「人や設備が動く場合には、コストがかかる」の大原則で言えば、見積もり作成時になかった作業や項目があれば、追加見積もりになるのは当たり前だ。
ところが、それがウチの会社だけなら良い。
「いいですよ、追加料金なしでやりますよ」という会社が出てくるから、困る。

実際には利益を削っているにも関わらず「企業努力で、ちゃんと利益は出てます」と言っちゃうから、お客様からは、どんどん「ニーズ」が増えてくる。
で、結局「サービス残業」で夜中までやって対応して、お客様は満足するけれど、人を雇えるほど利益は出ない。出ないから、またサービス残業で凌ぐ。

そしてお客様は「やってもらうのが当たり前」になって、わがままの顧客に対応し続け「過剰サービス」「便利すぎる社会」が生まれてきたのではないだろうか?
今回だけに限らない「働きすぎ」とか「過重労働」とか「サービス残業」などの問題は、この社会構造が間違っていないか?という議論をしないと本当の解決につながらないのではないだろうか?

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2017年5月22日 (月)

龍馬までさかのぼる先祖

この話題の直接のきっかけは、今年の正月だった。20170529_senzo
さらに、間接的には、かなり昔から兄貴たちと話していたことだ。
私の父親の姓は、父親の両親(私から見れば祖父母)とは違っている。
父親は私が中学の時に他界しているので、すでに真実は分からないが、私たち兄弟が小さい時に聞いた話しでは「今の私の姓である家名を継がせるために祖母方の養子」になったということだ。

あんまり覚えていないが、私の父親は兄弟とも両親とも姓が違うため、自分が小さい時には「もらわれて来た子供」だと思っていたと聞いたこともある。
その真相を探るきっかけは、何年か前に父方の親戚が兄貴の家を訪ねて来たことに始まった。

ここからは、私が兄貴から聞いたことなので正確なことは分からない。
その訪ねて来た親戚も、もう私達とは面識もなく、東京方面に住んでみえ、お墓参りも兼ね訪ね訪ねて兄貴の家に辿り着いたようだ。
その親戚筋は、私たちの姓が違う理由も知らずに、兄貴からいろいろ聞いて驚いて帰られたとのことだ。

そのことがきっかけとなり、さらに兄貴の家に初孫が生まれたこともあってか、そもそも本当はどうだったのかを兄貴は調べ始めた。
調べた時の戸籍謄本を見せてもらったが、今と違って手書きの文字で、しかも達筆だったり旧字だったりで非常に読みにくい。
けれど、何とか分かったのは、父親は祖父母と養子縁組したのではなく、曾祖父母の両親、私から見ると4世代遡るのが、今の私の姓であったことだ。
なので、父親は自分の曾祖父母と養子縁組したということだ。

その曾祖母(私から見ると高祖母というんだそうだ)の家名を残したいというのが、今、私が名乗っている姓の元となっていることになる。
この高祖母の名前は「つ祢(ツネ)」と言う人なのだが、何と生まれたのは「天保11年(1840年)」。兄貴の調べによると「坂本龍馬の5歳年下」とのことだ。
この人が亡くなったのは大正5年。私の父親は明治44年生まれだから、5〜6歳までは生きていたようだ。

そして、その「つ祢(ツネ)」さんの娘に「いま」さんがいるのだが、この人が生まれたのが「元治元年(1864年)」!なんと「元治元年」、幕末大好きな私(兄貴も少しそうだが)としては思わず驚く「蛤御門の変」の年なのだ。

「蛤御門の変」と言えば、長州藩の暴発により幕末の騒乱がいよいよ始まったエポック的な出来事だ。
こうやって、自分から数世代遡るだけで、江戸末期の歴史に触れることができる、
私達世代にとって江戸は「ついこの前」だったのか?
それとも私達の世代が「昔の世代」になりつつあるのか?
きっとどっちもなんだろう。

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2017年5月15日 (月)

新年度になって

新しい年度になり、GWも過ぎ落ち着いて来た。20170515_sinnendo
「ど〜なるんだ?」と新しい年度になっても、ワサワサしていたし、生活のリズムが変わったりで落ち着かなかったが、どうやら新しい生活が定着してきた。

大きく変わったのは「管理職」じゃなくなったこと。
「組織に対する責任」と一言で言うとそうなるのだが具体的だと、もうちょっとリアルな感じになる。

まず会議に出なくて、良くなった。
私が出ていたのは、毎週2回の早朝会議と月1回の販売会議だが、とにかく私の会社は会議が好きだ。早朝会議などは、「必ず何か話せ」と言われるので、ネタが必要なのだが、週2回もあるとネタが尽きてくる。これが辛い。
だから、会議に出なくなり、朝も少しゆっくり出社出来るようになったことが一番生活のリズムが変わったことだ。少しだけれど朝寝坊できるのも嬉しい。

他に管理職じゃなくなったことで、いろいろな書類への捺印がなくなり、さらに部下からの相談や指示などに対応しなくて良くなった。
こうなると人によっては「さみしくない?」と言われるが、まったく無責任な立場になれていることが、こんなに楽なのかと思っているから、決して寂しくない。

と、これまでは「良かったこと」を書いたけれど、心配なのは収入面。
一応規定では「役職手当はない」となっているから、覚悟はしていたが、4月の給料日直前になり本部長から「人事部長と話して来た」と報告をくれた。

基準になったのは、私と同年齢で今年定年を迎えるのになぜか「参事部長」という規定にない役職となった人だが、本部長も人事部長も「あの人よりは、ちゃんとやっている」と認めてくれたらしく、昨年度よりは減ったけれど、その参事部長よりは、少し多めに手当を付けてくれた。
ただ、夏になり定年〜再雇用になるとどうなるかは、まだ未定。

とにかく収入面は減ったけれど、会議にも出なくて良いし、責任が軽減されたから、これはこれでOKだと思っている。
もう本当に次の世代が主役の時代なのだと実感している。次の世代よ、がんばれ。

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2017年5月 8日 (月)

殿、利息でござる!(無私の日本人)

またまた磯田道史氏のネタ。
タイトルにあるのは、彼の原作を元にした映画タイトル。
最近のブログにやたらと登場する「磯田道史氏」だが、実は彼の著書を読んだことがない。
この話も、最初は映画を見た。20170508_musinonihon

タイトルを見てわかるように、内容も結構コミカルで、どっちかというと「超高速!参勤交代」みたいな感じの映画だと思って見始めた。
ところが後半になるにつれ「日本人のDNAに触れるような」話だった。

「原作があの磯田さんだし、原作はどんななのかな?」
そう思って本屋に行き「無私の日本人」を購入して読んで見た。
「物語」として進んでいくのかと思い読み進めると、途中から時代背景などの解説があり、さらにそれが「今の日本とどう関係があるか」を説明する、ちょっと独特の流れで話が進む。
ある意味テレビなどで見る「磯田さん」らしい本の書き方だった。

映画でも出てくるが「お上に意見を述べるときにプロセスの複雑さ」は、原作にも出てくる。
磯田さん曰く、これは、江戸時代に確立された「決定プロセスの複雑化」なのだそうだ。
そして、なぜこうなったかと言えば、戦国時代が終わり平穏な江戸時代となり、武士が余るようになり、「いかに多くの人に働く場所を提供するか?」を考えた末に、決定プロセスが複雑になったと言われている。
さらに奉行所や老中の仕組みを見ると分かるように、「南町・北町」といった同じ機能を持つ組織を複数作り「どこが決定したか?」が分かりにくい形になった。

これは今の日本でも続いており、おかげで「責任の所在が、とても不明確な構造」を持つ国になった。
幕末に「開港」の交渉にやってきた外国人たちは「幕府と交渉するのか?」「帝の許しがなぜいるのか?」と振り回され、最後には圧力をかけて決定を促したと言われる。

磯田さんの「無私の日本人」には、他にも話が掲載されておりどれも面白かった。
なかでも、日本の宗教観「先祖教」は、とてもフィットする解説だった。

日本の宗教観は、「特定の絶対神」でなく、自然を含めた八百万とそして先祖を崇めるのは、「つながり」に対する感謝が根底にあると解説されていたが、だからこそお盆やお正月や、そして何か大切なことがあると墓参りに行き、先祖に報告と感謝をする日本の習慣が理解できる。

この「無私の日本人」を読むと今の日本人が日本人である姿にしたのは、江戸時代に構築された制度だったり習慣だったりが大きく影響していることが分かる。
そう言えば、幕末に日本に来た外国人たちは「この国の人々は、とても貧困だが、いつも笑顔である」と話したと言われている。
財布が戻ってくる国になったのは、きっと江戸時代に作られた日本人だからだろう。

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2017年5月 1日 (月)

英雄たちの選択~大村益次郎の回で感じたこと その2

前回の続き。
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の前に、この「大村益次郎」という人、20代に司馬遼太郎さんばかり読んでいた頃に知った。
「花神」という小説(昔々、大河ドラマになったようだ)で、この人が主人公で「一般の志士」とは違う面白さで、とても記憶に残っている人だ。
小説では「大村益次郎」という名より「村田蔵六」時代が長く語られたので、こちらの名前の方が「ピン!」と来る。
この小説を読むと、なぜこの人の像が「靖国神社」にあるか、とても良く分かる。

「一般の志士」と違う面白さ。
さっき、そう書いたが、この人には「幕府を倒そう」とか「政権を朝廷に」とか「攘夷」とか、志士にありがちな「思想」に基づいて活動したわけではない(少なくとも「花神」では、そんな感じで書かれている)。
元々は医者なので、西洋の進んだ学問や技術に強烈に「知りたい・学びたい」欲があり、その実践として幕末・戊辰の戦略に関わったに過ぎない。

この人は、「当たり前です。勝てるように考えてあるのです。」という熱い思いを胸に抱く志士には不愉快な言葉を、普通に言ってしまう。
多分、今、自分の周りにいたら「嫌な奴」だと思う。最終的にはそんな周囲の感情によって殺されてしまうのだが。

さて、本題。
この人が西洋から学んで実践したのが「散兵戦術」
当時の武士の「みんなでわ~~~って攻めていく」戦い方ではなく、現代の軍隊のように「小隊制」で、目的を1つに戦い方を小隊にある程度任せる。ざっくり言うと、こういうことらしい。

番組中、この「散兵戦術」の話の時に、中野信子さんが「その場合、小隊がかなり訓練されて、優秀なリーダーでないと勝てなくないですか?」と質問した。
答えは「その通り」であり、しっかり訓練され、優秀なリーダーが必要で、それぞれの小隊が「自立」出来るだけの力がないと「散兵戦術」は成立しない。

この答えを前回の「会社を生活の場と考えるか?会社を自己鍛錬の場と考えるか?」のように「会社」に当てはめるとどうなるか。
やっぱり「社員教育」「優秀な管理職(の育成)」がとても重要だと分かる。
そして、さらに重要なのが「自立」になる。

あまり言いたいことではないけれど、若い人を見ると「指示待ち」もしくは「確認待ち」が多く「自立」している感じは薄い。
でもそれは、半分は「会社という仕組み」がそうしていて、中途半端に「権限」を与え、ある時は「自分で考えろ」、ある時は「自分勝手な判断をするな」と言う。
この矛盾した命令の中で兵隊たちは困惑してしまう。
もちろん一番重要なのは、上司の矛盾が「実は適切な状況判断」が加味されていることに気づくことだが、それは、経験がないとなかなか難しい。

この問題は、日本中のどの会社にもある課題だが、この「散兵戦術」の構築の中に、解決の糸口があるのじゃないかと、番組を見ながら思った。
2回に渡って書いてきたが、今回の【英雄たちの選択~「大村益次郎『武士よさらば 大村益次郎 常識を破壊する組織革命』」】 には、学ぶべき話や共感できる話が多かった。

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2017年4月24日 (月)

英雄たちの選択~大村益次郎の回で感じたこと その1

またまた「英雄たちの選択」の話題から。
ここ2~3年の中で、一番楽しみにしている番組でもあるので仕方ないかもしれない。

この番組の3月の放送で「大村益次郎『武士よさらば 大村益次郎 常識を破壊する組織革命』」 があったが、なかなか面白かった。
そしていつも以上に磯田さんのコメントや中野さんの解説がとても面白く、「そうか、そうだよね?」と今の自分の周辺で起きるいろいろなことへの「答え」のようなものを感じ、2回に分けて書くことにした。
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ちなみに「大村益次郎」とはウィキペディアでは、こう説明している、
幕末期の長州藩の医師、西洋学者、兵学者である。維新の十傑の一人に数えられる。
長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった。太政官制において軍務を統括した兵部省における初代の大輔(次官)を務め、事実上の日本陸軍の創始者、あるいは陸軍建設の祖と見なされることも多い。靖国神社の参道中央に像がある理由もこのためであるとされる。元の名字は村田、幼名は宗太郎、通称は蔵六、良庵(または亮庵)、のちに益次郎。

今回の言葉はこれ。
「会社を生活の場と考えるか?会社を自己鍛錬の場と考えるか?」

これは、磯田さんが幕末の旗本を中心とする幕閣たちと大村益次郎のような種類の人間との差を言い表したコメント。
当時の幕府(大老・阿部正弘を代表として)の武士は、代々家禄の受け継いでおり職場を「家禄をもらうための生活の場」として考えていて、吉田松陰や大村益次郎など西洋の技術にいち早く着目した人たちは、社会を「自己鍛錬の場」としていたという解説だ。

このコメントは、とても私には刺さった。
最近、少しご無沙汰気味だが、古い友人の「揚巻」さんが40年以上前に私に話してくれたことがある(覚えているだろうか?)
「毎日8時間働くとしたら、1日の1/3は働くから、好きな仕事に就く方が良い」

まだ10代の終わり頃だった私は単純に「そうか!」と思う反面、「でも、お金も欲しいよね」とも思った。
なので、今の職業に落ち着くまで、いろいろな仕事に就いたが、どうやら私は「つまらない仕事をお金や遊びのために我慢して勤める」タイプではないことに気付いた。

それから40年、紆余曲折あって、時に温泉旅行に出かけるくらいの暮らしが出来るだけの収入を得られるようになったが、やっぱり私にとって「会社は自己鍛錬の場」の方に重心があると気づいている。
磯田さんのコメントのように「全面的に自己鍛錬と思っているか?」と問われれば、少しうつむいてしまうが、胸を張って「生活のためだけで働いているわけじゃない」と言うことは出来そうだ。

そう、磯田さんのコメントのように、社会には多くの種類の考え方で物事に取り組む人たちがいる。
そして、その人たち全ての胸の中に「正義」があって「損得」があって「思想」がある。
そんな複雑な中で、自分も見失わないように生きていくことは、とても大事で、大変なことだと、やっと最近わかるようになった。

そして、それは今始まったことでなく「歴史を見ていくと今の課題が紐解ける」という磯田さんがいつも話すことだが、今回は本当にその言葉が胸に落ちた。

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2017年4月17日 (月)

付いてくる世代に恥じないように、仰ぎ見る世代に恥じないように

4月になって、半分過ぎた。
新しい年度であり、いよいよ「定年」というものを迎える年度になった。
20170417_tuitekuru
免許証をはじめ、いろんな証明書を見ても8月に60歳を迎えることは間違いのない事実だし、ここ数年ずっと認識していることだが、まだまだイマイチ「ピン」と来ていない。
役職はなくなったし、おそらく給料もすごく減るだろうから、それを見ると実感するのだろう。

今から10年前、このブログを始めて1年少し経った頃に「Favoritesシリーズ」を開始し、その2回目に今回のタイトルとなった吉田拓郎の「ローリング30」 を取り上げた。
あの時は50歳。
それなりの実感を持って、ピックアップしたのだが、冒頭に挙げたように記念すべき「定年」の年に、改めてあの曲の内容をしみじみと思う。

ついて来る世代に恥じないように 届かない世代に恥じないように
Rolling30 動けない花になるな Rolling30 飛び立つ鳥になれ
Rolling30 Rolling30

私は「ついてくる世代に恥じない」ように生きてきただろうか?
それは「ついてくる世代」の感じ方だから、本当のところは分からない。
でも「届かない世代に恥じない」ようには、生きてきたつもりだ。

とても身近な同世代を見ていると胸中では「もやもや」したものが、この新年度を迎える時にあった。
会社の人事規程には、こう書いてある。
参事=部長の役職定年後の役職
参与=参事の定年退職後の役職

だから、私は誕生日が来るまでは「参事」だし、定年後は「参与」となる(はずだ)。
なのに、新しい年度の組織図を見て、びっくりした。
私と同じ年の人が「参事部長」のまま役職にいるし、執行役員で定年になった人は「参与部長」になっていた。

「参与」は定年退職後の役職名なのに、なぜ「部長」が出来るのだろう?
もう規程があるようなないような、抜け穴だらけのものになっていて、それを知って私自身は「もしかして、ちょっと損した?」などとも思ってしまった。

なかでも、前の上司だった人は執行役員定年となり「参与室長」になっていたが、同じ年の執行役員は「上席執行役員」になって、「なんで俺は降格なんだ」と怒っていたそうだ。
「参与室長」でも恵まれていると思うけれど、彼はそう思っていないようだ。
でも会社から打診のあった大きなプロジェクトは断って、いろんな部署にちょっかい出しているだけの1年を過ごしていれば、そうなるんだが、自分は「ちゃんとやっている」と思っているようだ。

などなど、いろいろ思うことがあるが、これから今まで以上に
「ついて来る世代に恥じないように 届かない世代に恥じないように」
胸に刻んで生きて行こう。

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2017年4月10日 (月)

マスクを付けているのが普通?

いつの頃からだろう?
通勤中はもちろん、仕事中でも時には商談中でもマスクをしている人が増えた。
花粉症対策、インフルエンザ対策など、人にはそれぞれ理由があるのだろう。
実際に私も寝る時にマスクをする。
昔は「そんなの寝苦しい」と思っていたが、最近すぐに喉から風邪をひくことが多くなり、マスクを付けて寝ると良い感じになり、いつも付けて寝ても平気になった。
20170410masuku
今から3~4年前にお付き合いが始まったお客さまがある。
その企業のある部署の室長が、商談中もずっとマスクをしていた。
「花粉症だ」とおっしゃっていたので、「仕方ないか」と思い、受注した制作物が完成し打ち上げの会で、初めて「マスクのない室長」を見て「初めて拝見しますよ」と笑いあった記憶がある。

その時は、そんなに気にしていなかったが、今年になって朝のテレビで「マスク依存症」で悩む女性を取り上げていた。
マスクをしていないと人前に出られないとか。
まるで「化粧をしてないと出られない」という感じだったが、当人として他人とのコミュニケーションに問題を感じ、セミナーやリハビリなどを積極的に行い始め、少しずつ気持ちが変わってきたと言っていた。

確かに「花粉症」が市民権を得た(変な言い方だけれど)頃から、風邪でもないのに日常的にマスク装着の人が圧倒的に増えた。
いろんなデザインやカラーや柄などのマスクも販売され、「おしゃれアイテム」的なものになってもいる。

しかし、商談中や会議などにもマスクをしたまま話すのは良いのだろうか?
いくら相手がお客さまで、こちらが業者だとしてもエチケット的に問題ないのだろうか?
風邪なら「相手に伝染してはいけない」という配慮なので、エチケットとしては成立する。
花粉症もかなり譲って仕方ないかなぁとも思う。
でも「予防のため」という理由で、マスク装着のままで商談するのは、やっぱりエチケットしてはどうなんだろう?

社内でも社長や経営層が出席する会議に、営業などマスクしたまま話す人もいる。
全体朝礼で司会進行する総務課長もマスクをしたままマイクを持って話す。
派遣社員で初めて出社してきて挨拶に来た時もマスクしたまま「よろしくお願いします」と頭を下げる。
ある時に、食堂でそんな話を再雇用のお二人の先輩と話したら、お二人とも「非常識だよ」とおっしゃっていた。
でも、今の世代はきっと気にしないんだろうな?

時代は常に変化するから、目くじら立てる必要もないと思うが、「依存症でマスクを外せない」までなってはいけないし、日本では許されても海外のビジネスシーンでは失礼に当たるかもしれない。
そこのところをキチンとわきまえておく必要があるなぁと、マスクを常に付けている人を見るたびに思うようになった。

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2017年4月 3日 (月)

それぞれの正義

新年度が始まった。
いよいよ定年となる年度となった。

年度(正確には「会計年度」というらしい)は国によって違うが、日本はお正月を大きな節目として迎える習慣があるので、1年に2回も「新しい1年」を迎える感じだ。
もっとも、私は商売をしている家で育ち、いくつもの会社を転職してきたが、それなりの規模の企業でないと「新年度」を大きな節目として感じることはなかった。
20170403seigi
昨年末の「変化の際(キワ)」 にも書いたが、「トランプ大統領」「イギリスのEU離脱」など、いよいよ大きなうねりが現実化しつつある。
それに関連して「ポピュリズム」という言葉がネットや報道で流れる。

ポピュリズム=一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを利用して、大衆の支持のもとに既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しようとする政治思想、または政治姿勢のことである(ウィキペディアより)

今までの常識的な目線から見れば「そんなことは受け入れられない」と思うが、現実には大統領になるし、実際に日本だって「ヘイトスピーチ」「教育勅語を唱和する幼稚園」などの問題があって、排他的な空気は身近にある。

そんなニュースを目にしたり聞いたりするたびに「第一次・第二次世界大戦前の世界は、こんな感じだったのかもしれない」と感じるようになった。
世界中の国や人々は「まずは自分の国を」と考え、それ以外を「仮想敵」とみなし軍備補強を行う。
当時日本は、軍備補強を大国に制限され、それがきっかけで輸入規制を掛けられ、戦争に入って行った。大胆に言えば、世界大戦はそんな感じで始まったと思っている。

その時日本には日本の「正義」があり、他国には他国の「正義」があり、みんな「自分たちが正しい」と思っていたのだと思う。
この「自分の思う正義」と言うものが厄介なものだと最近感じる。
国には国の、自治体には自治体の、企業には企業の、労働者には労働者の、そして個人には個人の「正義」がある。

沖縄の基地問題で、知事と国がぶつかるのも「正義のぶつかりあい」だし、春闘も「企業の正義と労働者の正義」のぶつかり合いだ。
そして夫婦げんかも「それぞれの正義」のぶつかり合いだ。
「自分の思っていること、考えることが正義」と思えば思うほど、ぶつかる衝撃は大きくなり、「譲れない衝突」になっていく。

これを避けるためには「他人の正義」を分かろうとしたり、認めようとしたりするしかないのだが、どうやら最近の世界中の動きを見ていると、まだまだ人類はそのレベルに上がる準備が出来ていなかったことが分かる気がする。
そんなことを感じながら定年の年度が始まる。
私の正義は「再雇用はしてほしいけれど、少し仕事はセーブしたい」だが、果たして周りの正義はそれを認めてくれるだろうか?

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2017年3月27日 (月)

Favorites=世界!ニッポン行きたい人応援団

「和風総本家」(テレビ大阪) のことをこのブログで紹介したのは、今から9年前の4月だった。
ブログで書いた頃はまだ始まったばかりで、「どうなるのか?」的に書いたが、その後、世界的に「日本ブーム」になった。
この時には「和風ブーム」と書いたが、その意味ではこの番組は「日本ブーム」の先駆け的だった。
20170327_nippon
その後、「日本に観光に来る外国人」が増えに増え、「インバウンド戦略」なる言葉も、我々レベルでも良く耳にする時代になった。
そのおかげなのか、ここ数年「海外から見た日本」を紹介する番組が増えた。
「世界が驚いたニッポン! スゴ~イデスネ!!視察団(テレビ朝日)」
「YOUは何しに日本へ?(テレビ東京)」
「所さんのニッポンの出番(TBSテレビ)」

また最初に挙げた「和風総本家」 でも「世界で見つけた Made in Japan」などの回には、海外のユーザー目線で日本の道具などを紹介する。

そして、1年くらい前から、私がとても気に入っている番組がある。
これもやはり「テレビ東京」系で、最近このチャンネルは本当に面白い。
他のチャンネルが大事件の時に、一斉に同じような報道番組になるのに、このチャンネルだけは通常番組を流すように徹底した独自路線で有名だ。
その「独自性」が、今はとても良い方向に向かっているのだろう。
その番組は「世界!ニッポン行きたい人応援団」

これらの番組で共通するのは、私たち日本人自体が「へぇ~~そうだったのか!」の日本文化の再発見に気づく点だが、この番組は、そこが徹底している。
まず、海外の人の「日本のモノLOVE」をプレゼンテーションしてもらう。
毎回、そのシーンを見るだけでも面白い。
インターネットだけの情報から、味噌を作ったり、藍染めしたり、鎧兜を作ったり、もう「日本の伝統」に対して「LOVELOVE」を一生懸命熱弁を振るい、そして「ぜひ日本へ招待して!」と呼びかける。

先に挙げたような「日本の伝統」とか「独自の道具」などは、その職人さんが(しかも業界トップクラスの)外人さんをもてなす。
2月初めに放送された盆石が大好き!なアメリカ人男性をご招待! の回では、開場前の「竜安寺」の枯山水の見学を「サプライズプレゼント」として招待する。するとそこに粉雪が舞い、招待された外人さんは、静かに感涙を流す。
「日本人じゃなくても、この静寂と枯山水の世界は感動するんだなぁ」と思わず一緒に涙が浮かんでしまった。

そして、こんな回もある。
「ニッポンに行きたい」のは、ポーランドの12歳の女の子。
この子のLOVEなものは「錦鯉」「フグ」
そして「“錦鯉”愛すポーランド小学生ご招待!!納涼2HSP」 としてニッポンにやってきた。
もう鯉を見るたびに「Oh~~Koi」と叫び、普通の人が知らないような模様によって種類として「紅白」「大正三色」「昭和三色」などなど、もの凄い「錦鯉知識」見せてくれる。

またまた「たい焼きLOVE」なロシアの女性を招待した「“たい焼き”愛してやまないロシア美女ご招待!!」 も面白かった。
数枚一緒に焼ける鉄板で作ると「養殖」と呼び、昔ながらの1枚ずつ焼く場合は「天然」と呼ぶとか、見るたびに日本のことなのに、「へぇ~~~」と思うことがたくさんある。

どの回も共通するのは、向い入れる日本人側がとても良い人が多く、そして親切なことだ。
最後にはとびっきりの「お土産」をプレゼントする。先の「たい焼き」など、彼女が訪れた鋳物工場で、「天然もの」の焼型をプレゼントされたり、「錦鯉」では、錦鯉そのものをプレゼント。

日本の文化や道具や職人や、いろんなことを感じさせてくれる番組だが、一番日本が海外に誇れるものは、やっぱり「もてなし」なのじゃないかと、いつも最後には思う。
それと、「和風総本家」でも「世界で見つけた Made in Japan」の回では、こういった職人さんを、日本は大事にしているだろうかとも思う。

最初に挙げたいくつかの番組の中で、ある外国の人が言っていた。
「こんなに素晴らしい文化を受け継ぐ職人たちの賃金が、異常に安いことが一番の驚きだ」
この一言こそ、日本という国が一番学ばないといけない気がする。

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2017年3月21日 (火)

気になる人、脳科学者「中野信子」さん

「気になる人」の最後は「中野信子」さん。
今までの2回は、歴史とかお城とか私の好きな物の延長にいる人だったが、この人は違う。
最初にTVで見たのは、さんまの「ホンマでっか」だったろうか?
昨年、彼女が「さんま御殿」に出演した時に、そう言っていたから多分間違いないと思う。
20170327_nakano
(ウィキペディアより)
日本の脳科学者(医学博士)、作家。
東京都出身。東日本国際大学特任教授。株式会社ビッグベン所属。元MENSAの会員。既婚。
1998年東京大学工学部応用化学科卒業後、東京大学大学院工学系研究科修士課程、2004年東京大学大学院医学系研究科医科学専攻修士課程修了、2008年東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。博士論文「高次聴覚認知における知覚的範疇化の神経機構 fMRI・TMSによる複合的検討」で医学博士号取得。

彼女の場合、こういう経歴やTVでの話ではその「面白み」は分からないと思っている。
以前「情熱大陸」では、ラストになって「かつら?ウィッグ?」を取ったら金髪で、カラオケでロックを熱唱するところが映し出された。
「脳科学者である中野信子を演じている」と言っていたけれど、金髪の女性が中野信子のすべてとは言っていない。こういうパターンは、古くは「桃井かおり」にもあって、もうすでに彼女の場合「俳優の桃井かおり」が、元々の人格を覆っているようになっている(と私は思っている)。

そして先日NHKでやっていた「脳科学者 中野信子ができるまで」 で話していたが、とにかく幼少時代から天才的に記憶力が良く、周りに溶け込めなかったとも話している。
この点、1回目に紹介した「磯田氏」と共通している。
そういえば「情熱大陸」の磯田氏の放送の時、「磯田会」の中に中野信子さんがいた。
このような学者になる人たちは、子ども時代が割と不遇で、中野信子さんは周りと違うのは「脳がおかしいのでは?」と思ったことが脳に興味を持つきっかけだったと、この番組では話している。

そんな彼女だが、この人が面白いと思うようになったのも、やっぱり「英雄たちの選択」 がきっかけだった。
磯田さんともおそらく相性が良いのか、良くこの番組にも出演する。
歴史的人物を「脳科学的に分析」して話してくれる。

例えば「織田信長は、かなりの確率でサイコパスであっただろう」と話す。
そして「織田信長」とその妹「お市の方」の関係は、「サイコパス」「常識人だがサイコパスを嫌悪しながらも惹かれる、もしくは寄り添うタイプ」として話していた。

私の好きな歴史的な話は、磯田さんが得意な古文書の他に、言い伝えや史跡があって、そこから想像も手伝いながら「真実らしきもの」に近づいていくことが多いが、中野信子さんのように「脳科学的」な視点でアプローチすると時に「へぇ~~」と思うような解説されることがある。
それによってまた史実の見方や意味が少し違う風景に見えることが、この人の面白さだと私は感じている。

磯田さんと中野さんがディスカッションするような講演会やセミナーがあったら、是が非でも行ってみたいものだ。

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2017年3月13日 (月)

気になる人、城郭考古学者「千田嘉博」さん

「気になる人」の2回目は「千田嘉博」さん。
この人は(おそらくは)前回の「磯田」さんほど一般的には有名ではない。
ただ(多分)お城好きの人たちには有名な人だと思う。
この人を知ったのは、前回にも紹介した「英雄たちの選択」 という番組(だったと思う)。

20170321_senda(ウィキペディアより)
日本の城郭考古学者。奈良大学 文学部 文化財学科 教授、前学長。愛知県生まれ。中学1年生のときに遠望した姫路城に感銘を受けて、中・近世の城跡探険をはじめる。日本各地の中世・近世城郭の発掘調査・整備に関わるほか、ヨーロッパ・モンゴル・ニュージーランドなど世界の城と日本の城の比較研究を行っている。2015年に濱田青陵賞を受賞。2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の真田丸城郭考証者。 

最初は誰の話の時だったか?
「天草四郎」の時だったか?
島原の乱での最後の「原城」籠城戦についての時に、「原城」を解説する人として登場した。
最初に目についたのが、肩書。
「城郭考古学者」
そんな分類分けの学者がいるんだ!というのが、その時の正直な気持ちで、「千田」さんそのものに興味を持ったのは、その後からだった。

普通、お城を解説する時は、「ここにこういう守りがあり、ここに仕掛けが施されている」といったものが多い。
近年の「お城ブーム」のきっかけとなった「ロンブーの淳」なんかもバラエティ番組で、このような解説をする。
「狭間とは」とか「野面積みがどうだとか」みたいな「城が好きなら、こういうこと知っていて当たり前だよね」的な解説は多い。
いろいろなお城を見るようになって、確かにそういう名称的な知識はあった方が見学する時に楽しい。
でも、その知識を聞く側が、同じように楽しいか?と言えば、どうだろう?
お城に興味のある私ですら、BS放送でやっている「お城」の特集など、だんだん眠くなってしまう。

そんな経験からして、この「城郭考古学者」である「千田嘉博」さんは、おそらくと~~~っても学問的な解説をするのかと思った。
ところが、この人は違った。
のちのちこの人をTVで見るようになって確信を持ったが、千田さんは、もう「お城LOVE」の人なのだ。

もちろん「城郭考古学者」なので、建築物としてのお城の仕組みや構造の解説をする。
でも、この人は語り口が非常に優しくて、その時代の城主や領民の心情まで、城跡の痕跡から想像して話す。
そこが、他の「お城解説」と違うところだ。
もちろん「心情」は、千田さんの想像と思い込みがほとんどだろうから、史実として間違っているかもしれない。
でも、「心情」という視点から「城郭」を語ると、ずいぶん歴史的建物が身近に感じるようになる。

昨年、NHK大河ドラマで放送された「真田丸」
このドラマの終盤の見どころになった「真田丸」の再現セットは、千田さんがプロデュースした。
知っている人もいるだろうが、実は真田丸はどこにあったか、正確には分かっていない。
徳川幕府は、敵であった豊臣の大阪城や真田丸は、全く痕跡が残らないように破壊し埋め尽くされたとされている。

その幻の真田丸の痕跡を探す番組にも千田さんは出演していたが、これはもう「LOVELOVE光線」が出まくりで、「この人、本当に大学教授なのか?」と微笑ましくなってしまう場面が何度かあった。
前回の磯田さんと同様、この「千田嘉博」さんの講演も一度出かけてみたいものの1つだ。

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«気になる人、歴史学者「磯田道史」さん