2018年2月19日 (月)

薩摩義士の話

鹿児島に行ったのは2012年だったから、もう6年くらい前になる。20180219
どうも年を取ると「ついこの前」が、5~6年くらい前になり、若い世代と時間に関するギャップを感じる。
その鹿児島に行った時のことをブログに書いたが、その中の「鹿児島の旅 その3~1日目、城山近辺へ」 でほんの少しだけ、今回のテーマに触れている。

そこでは「木曽川三川の洪水土木工事を江戸幕府に命ぜられ、苦難の中見事にやりきった人を祀った『薩摩義士碑』。」と書いてあるが、この話は私の住む地方の江戸時代の頃の話だ。

偶然なのだが、私が(多分)小学校の頃にこの話を読み、しかもとても印象深く覚えていたが、残念ながら私の地方でも、この話を知っている人はとても少ない(というか、知っている人に会った事がない)。

「薩摩義士伝」で検索すると、「平田弘史」という人の漫画がヒットするから、もしかすると普通の人は「漫画作品」として認識しているかもしれない。

ウィキペディアによると・・・・
 1753年(宝暦3年)12月25日江戸幕府老中・西尾忠尚は薩摩藩に命じて濃尾地方の木曽川、長良川、揖斐川の3河川の治水事業にあたらせた。これは幕府の、雄藩をあまり富裕ならしめないための政策手段でもあったが、この3河川は、その流域が今日の長野、岐阜、愛知、三重、滋賀の五県にわたり、とりわけそのうち南北15里、東西2里では、多くの本支流が交錯し、容易ならざる難事業であった。そのうえ寛保年間以後、11年間にわたって洪水が頻発し、惨状を呈していた。

 そのために幕府の厳命、督促は猶予がなく、薩摩藩は死力をつくしてこれにあたった。藩主島津重年の命によって家老平田靱負正輔、大目付伊集院十蔵久東らが工事を担当し、留守居山沢小左衛門盛福、普請奉行川上彦九郎親英らとともに、美濃国大牧村を本陣として、1754年(宝暦4年)2月5日から工事に着手し、5月22日ひとまず工事を中止し、同年9月21日さらに勘定頭倉橋武右衛門が参加し、翌1755年(宝暦5年)3月28日ついに工事を完成し、幕府目付牧野織部、勘定吟味役細井九郎助らあらたに江戸からくだった検使は、地元の検使とともに、同年4月16日から5月22日まで、一ヶ月余にわたって本検分をすませた。

 薩摩藩はこの工事で、数十万両もの莫大な経費を負担した。幕府側の妨害工作などによる過労のため病となり生命を落としたり、あるいは横暴な幕府側への抗議のために切腹して果てる者を多数出した。総奉行平田靱負は工事完遂を見届け、この難事業の責任を取る形で切腹した。藩主重年も後を追う様に病没した。

 1938年(昭和13年)に、平田靱負ら85名の「薩摩義士」を、「祭神」に『治水神社』(岐阜県海津市海津町油島)が建立された。

この最後に書いてある「治水神社」にあるきっかけがあって昨年末に行った。
「あるきっかけ」とは、すぐそばにある「木曽三川公園」でイルミネーションをやっていて、さらに駐車も入場も無料と知ったので、どんなもんかと思ったからだ。

公園に入る前に「治水神社」とあったので「もしかすると薩摩義士の」と思って寄ったら、まさにそうで、今も少しだけ松林が残り、薩摩藩の人たちをちゃんと祀ってあって、感慨深かった。

たまたま私は小学校の読書感想文としてこの話を読んだから知っていたが、遠い薩摩の人たちの、本当に辛い出来事を、もう少し地元としては知っておいてほしいなぁと神前で手を合わせながら思った。

特に、子供ながらに記憶に残ったのは、総奉行平田靱負の切腹。
本当かどうか分からないが、幕府の仕打ちが許せず、切腹し自分の内臓を取り出し、江戸方面の襖に向かって投げつけたという話は、あまりに壮絶で忘れられない。
だからこそ「治水神社」で手を合わせることが出来たのは、嬉しかった。
こんな感じで、なんだか最近は、すぐ足元にある史跡や記念碑などにも気づき、きっかけがあれば訪ねようと思っている。

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2018年2月13日 (火)

英雄たちの選択〜新春スペシャル「幕末ヒーロー列伝 これが薩摩藩の底力だ!」

前回同様、今回も正月に見た番組の話。
この番組はここ2~3年何度か取り上げているが、磯田氏の思いや狙いがうまいのか「なるほど」と思うコメントを聞くことが多い。
昨年で再雇用になり、次世代の社員たちが新年度やこれからの活動を計画しているが、それを見て「こういうことも知ると良いのに」と思ったので、今回取り上げた。
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「英雄たちの選択~新春スペシャル『幕末ヒーロー列伝 これが薩摩藩の底力だ!』」は、今年の大河ドラマが西郷隆盛を取り上げているので、その関連と言う感じの特番だった。
内容はともかく、印象に残った言葉を紹介したい。

■時代を変える三要素=よそ者、若者、ばか者
ネットで調べると賛否両論あるようだが、個人的には「一理ある」と思った。
特に「よそ者」に対しては実体験もあるし、30代後半から感じていたことだ。

今の会社の子会社にいる頃、ある案件の会議に出席し、ちょっと辛らつな意見を言った。
その時、私は「子会社のスタッフ」なので、ある意味「よそ者」だった。
だから、目上の人も私の意見に「耳を傾けて」くれた。

でも、子会社から転籍した後、同じような場面で同じようなことを発言したら「君は誰に対してモノを言っているんだ」と一蹴された。
日本人は、自分を謙遜して話す。
それが企業間にもあって、他の企業から言われると「本当にそのとおり。勉強になります。」と言うが、自分の会社の目下のものが言うと「君は分かっていないよ」と鼻で笑う。

だから企業の体質や考え方などに変革させるには、やっぱり「よそ者」でないと意見も述べられない。
あとの「若者」「ばか者」は、変革させるためのエネルギーや怖いもの知らずの部分であり、これも社内の人間がやると、「ちょっと面倒なやつ」というレッテルを貼られてしまう。
だから「よそ者」という武器は、変革には絶対に必要なのかもしれない。

■見晴らしが良い場所に立つのが必勝
これはある意味、当たり前。
特に戦国時代の戦(いくさ)を見れば分かるように、俯瞰で状況を確認しないと勝てない。
でもビジネスの世界ではなかなか難しい。
どうしても目先のことで判断してしまう。
「今期の売り上げはどうか?」
「利益はあるのか?」「無駄な投資じゃないのか?」
などなど、全然「見晴らしの良い場所」で検討していないことが多い。

ビジネスの世界での「見晴らしの良い場所」とはどこだろう?
そこに気づいたものが、経営的な勝者になるのだろう。

■スタッフと指揮官は違う能力
最後は、やっぱり自分も振り返って感じたこと。
このブログでも同じようなことを何度か書いた記憶がある。
技術力がすごい人が、すごい経営者ではない。
素晴らしい開発者が、素晴らしい経営センスがあるとは限らない。

一番すごいのは「自分の能力を分かって、足りないものを他人で補填する」人。
具体的は、「本田宗一郎」氏がそうだろう。
「俺はエンジンのことは分かるが、経営の事は分からない」といって生涯のビジネスパートナーとして「藤沢武夫」氏を選んだことは、とても有名だ。

会社員としては一線から外れて始めているが、こんな番組の中のこんな言葉には敏感でいたいものだ。

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2018年2月 5日 (月)

映画「ヤクザと憲法」

1ヶ月以上経ってしまったが、なかなか「考えさせられる」内容だったので、備忘録的に記録することにした。
本来は私の住む地方のローカルTV局ドキュメント番組で、その番組自体は2015年放送のものらしい。
それを再編集して、『ヤクザと憲法』として2016年に公開された。
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その映画版を正月休み中に地上波で放送していたので見た。
最初は「本当のヤクザの姿って、どうなんだ?」「よく事務所で撮影させてもらたなぁ」と興味半分で見始めたが、途中から「世の中の表裏の深い問題」を見せられた気がしてきた。

ドキュメンタリーなので、やはりある特定の組の事務所を定点的に記録している。
一般的には「ヤクザは人に迷惑をかける人たち」と思っている。
なのに、なぜか今も若い人たちがヤクザになりたがる。
なぜか?

高校生の頃から入門を希望し、親分に諭され卒業してから事務所に住むようになった若者が言った。
「ここは、自分を受け入れてくれる」
「学校では自分を受け入れてくれる場所はなかった」

キレイ事のように「みんな仲良く」「いじめはやめよう」と言っても毎年毎年「いじめ」が原因で自殺する子供がいる。
自殺しなくても「自分の居場所」を見つけられず、誰にも手を差し延べられない子供たちはたくさんいる。そんな子供たちの最後の受け皿に「ヤクザ」はなっている場合もあると、彼の言葉は言っているような気がする。
ちなみに、ヤクザ側から子供たちを誘ってはいない。逆に思い直すように、一度は帰している。

そして映画のキャッチフレーズにある「ヤクザには人権はないのか?」
ヤクザの家族ということで、普通の生活が出来ない。
「銀行口座が開けない」
「クルマや携帯電話が購入できない」
そして「保育園、幼稚園に入れられない」

この状況を親分が説明した後に画面は、「日本国憲法基本的人権」の条文が映される。
ヤクザ本人は、ある意味法律外のエリアで生きている人たちだから「人権はないのか?」と言われると「ないかも」と思わないではない。
でも家族はどうなのか?
家族と言うだけで「生活のあらゆる利便性や権利」を剥奪していいのか?

今、私たちはいろいろなところで「反社会的勢力に関する覚書」に署名・捺印している。
自分自身がヤクザとは無縁だから気にしていなかったが、あのおかげで「普通の暮らし」が出来なくなっている人がいるのだと、改めてその署名・捺印の重要性に気づいた。

「じゃ、ヤクザをやめればよい」
と簡単に片付けるには難しい。キレイな社会では「自分の居場所」がない人はどうやって生きればよいのか。そんな重い課題を見せられた気がした。

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2018年1月29日 (月)

たくさんの発信出口と少ない情報

昨年4月に役職定年になり、毎週出ていた早朝会議に出なくなった。
さらに定年再雇用になり、気楽になったせいもあり、それまで始業時刻の1時間以上前に出社していたのが、ギリギリ近くの出社になっている。
その変化で気づいたのが、朝のワイドショーのつまらなさだ。

20180129クルマ通勤で、その車内でTVを点けているが、8時以降はNHKとテレビ東京系以外はどの局もワイドショーばかりだ。
しかも各局流れる情報は、みんな一緒。
昨年後半は、ずっと「大相撲」のことばかり流していた。
何か事件があっても、どの局も同じような順番で話題を進行していく。
まるで各局で協定を結んでいるように、本当に同じ順番なのは、びっくりする。

「じゃ、ラジオでも」とFMにすると「道路情報」「CM」ばかり。
会社についてネットのニュースを見ても、同じようだし、下手をすると「ワイドショー」の内容をわざわざアップしている記事すらある。
さらに、スマホの複数のニュースアプリはどうかと言えば、これも結局同じような情報が流れている。

こうして自分の情報入手の手段を振り返ると、圧倒的に「プル型」の入手が多いのに気づく。
「ブル型」とはいろんな意味で使われるが、要は「自分が興味あるものをチョイスして受信している」と思ってもらっていい。
インターネットの情報は、この典型だ。

この対抗に「プッシュ型」があるが、これは「こちらに興味があるかないかに関係なく発信されている」もの。具体的には新聞とかマスメディアで、インターネット登場前は、「プッシュ型」が圧倒的に多かった。

どちらにもメリット・デメリットがあるが、「プル型」の最大のデメリットは「自分が興味あること以外の情報を入手していない」ということになる。
だから、私の周りには本当に一般のニュースを知らずに生活している人が多い。
そして年齢が下がれば下がるほど、世間一般例えば、ニュースや新聞で取り上げられている情報について全く知らないことが多い。

インターネットが登場して、ものすごくたくさんの情報が世界中を駆け巡るようになったけれど、あまりに多すぎて結局「自分好みの情報」しか受信しなくなった。
そして、TVのワイドショーは昔から「井戸端的話題」ばかりの話題だから、ワイドショーとネットからしか情報を得ていない人は、とっても限られた情報しか入手していないことになる。

古くは「かわら版」から始まり、新聞・ラジオ・雑誌・TVと拡大し、そしてインターネット・ニュースアプリと「発信される出口」は増え続けているけれど「受け取られる情報」は、少なくなっているような気がしてならない。

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2018年1月22日 (月)

バトンを渡す~TSUKIZIワンダーランド

先週に引き続き年末に見た放送の話。
題名は「TSUKIZIワンダーランド」

80年の歴史を有する築地市場。「築地は単に魚を売っているだけではない。仲卸をはじめとする食のプロフェッショナルが介在し、豊富な情報や商品知識を取り扱っているのだ」という視点から、セリの現場や料理人の仕事、食育の様子の取材や開場当時の秘蔵映像を交えて、さまざまな角度から築地を見つめる。撮影期間は2014年3月から2015年6月までの1年4ヶ月間(総撮影日数143日)、総撮影時間602時間。取材人数は仲卸人81人を含む153人に及んだ。(ウィキペディアより)

20180122_2この映画で初めて「仲卸」の役割を知った。
私たちは「仲卸は、新鮮でよい魚を選ぶ目がある人」と思っていたが、そうではない。
自分の顧客のニーズを知り尽くし、その「ニーズにあった魚かどうか」を見極めるのだそうだ。
だから「仲卸」「顧客」は絶対的な信頼で結ばれており、「顧客」は信頼する「仲卸」「良い」と言って仕入れた素材を信じて購入するのだそうだ。

今、日本のビジネスは「グローバル」的になり「どのような契約なのか」が大事になり、「築地」で繰り広げられている「信頼」をベースにしたようなビジネスは、滅びつつある。
ある意味では「築地市場」は、最も「日本らしい」ビジネスが展開されている場所でもあるようだ。

その映画の中で、確か寿司屋の人だったと思う。
「漁師から仕入れ、運送、卸、仲卸と人を繋いできて、最終的にお客様にバトンを渡す我々が、ヘマをして価値を下げるようなことのないように、細心の注意を払っている」と話していた。

この言葉、わが社の営業に聞かせたい・・・・。
まぁ、ウチの会社だけでないけれど、どんな企業でも分業化されていて、「自分たちの領域」だけの事ばかり気にするが、本当は「最終的な消費者がどう感じるか?」なのだと改めて胸に響いた。

今は、みんな忙しく、つい手元を見ることばかり夢中になるけれど、「信頼」が大きな幹となって成立している「築地市場」だからこそ、本当に大切なものは「何か?」を忘れていないのかもしれない。
IT化とかAI化とか、効率的なこともどんどん進めなくちゃいけないけれど、「大切なもの」を落としていかないか・・・・再雇用の身分だけれど、ちょっと心配な今日この頃だ。

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2018年1月15日 (月)

今上天皇の覚悟

前回にも書いたが、来年には平成天皇が退位され、新しい和暦年号となる。
昨年末にその日時が決まると、いくつかの番組で「平成天皇の歩み」的な放送がされた。
おそらく退位の時期が近づくと、もっと詳しく多くの放送が増えると思う。
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そんな中、昨年12月に「NHK BSプレミアム~アナザーストーリー」で2回に渡って放送された「天皇いのちの旅」を見た。

この番組を見ていて思ったのは、美智子皇后様の考え方や感じ方がとても大きく、現在の天皇像に影響を与えているのではないかということだ。
放送の中でやっていたが、戦後、当時皇太子であった平成天皇にアメリカのヴァイニング夫人が家庭教師につき、次のようなエピソードを紹介していた。

侍従の一人が病気療養中であったが、「どうしてお見舞いに行かないか」と尋ねると「まだ侍従から何も言ってこないので」と答えたとのこと。
そこでヴァイニング夫人は「まず自分がどうしたいのかを考えなさい」とお話したそうだ。

そんな子供だった姿から、今の天皇陛下の考え方や振る舞いは想像できない。
だから美智子皇后様とお二人で話し合い、二人で「もっとも良い」と思うことを少しずつ実施されてきたのだろう。
避難民のお見舞いに訪問され、今では当たり前に映る「天皇陛下がひざをついてお話をする」姿は、平成天皇が始められたことが有名だが、これもお二人の考え方がよく表れていると思う。

天皇になられてからの海外訪問の紹介では「先の大戦」で日本軍が攻撃し、捕虜に酷いことをした国で、激しい「ブーイング」を受けたシーンが映し出された。
具体的にはイギリス訪問でのことだがパレードに対し「赤い手袋をして背を向ける」という反日抗議を行った。
そんな中、天皇皇后両陛下が戦没慰霊碑に長い黙祷を捧げた。

その時の様子を元侍従が紹介していたが、天皇陛下のお気持ちは「言葉で謝るだけでなく、謝罪の気持ちを示し続けることが真の謝罪」というようなことだったらしい。
この気持ちは他の訪問国でも、そして沖縄や南方の激戦地だった場所に向かう時も、一貫しているようだ。

この「謝罪し続ける」という覚悟は生半可じゃない。
「昭和」という激動の時代を受けついた「平成天皇」の覚悟を、この番組で初めて知ったが、もっと皆が知っておくべきことじゃないだろうか?

平成は30年で終わるけれど、きっとこの覚悟は、これからも新しい天皇になっても引き継がれていくのはないだろうか?
子供の頃には「天皇のために戦死した人」と教わった影響もあり、決して「天皇制度」に諸手を挙げて賛成していなかったけれど、平成の天皇皇后陛下の姿を見て、その「覚悟」を見ると、日本人であることを少しだけ誇らしく思えるのは、不思議な感情だ。
「慈愛」という言葉はよく耳にするが、この「覚悟」があっての「慈愛」には、殺気に似た一念を感じるものがある。
本当に頭が下がる思いを感じながら、番組を見ていた。

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2018年1月 9日 (火)

2018年はどんなことが待っているか

今年はカレンダーの関係で、本格的な始動は今週からになる。
私の会社は、いつも仕事初めは5日から。
4日は社長・副社長とか偉い人たちが得意先に挨拶回りをしているようだが、一般は概ね5日からだ。
ところが今年は5日が金曜で、翌6日は土曜でしかも「有休取得促進日」
なので、5・6日と休めば、今日が仕事始めなのだが、そんなことしたら「もう2度と会社に行きたくなる」と思い、5日だけは出社した。
きっと数年後には、「出社したくでも出来なくなる」のだから、行けるうちに行っておこう(笑)

さて、今年はどんなことが待っているのだろう?
20180109
●平成30年
年末に発表があったが、平成は来年の4月まで。翌5月からは新しい元号になる。
だから、「1年ちゃんとある平成」としては、今年で最後だ。
昭和から平成に変わった時には、もう働いていた。
昭和天皇が崩御した日は、確か土曜。
広告代理店に勤めていて、いつものようの午前中は仕事して、半ドンで帰宅し、昼から家族と地元の祭りに行ったような記憶がある。
客先に向かう途中にビルには「半期」が掲げられており「天皇が亡くなっても、こうやって仕事してるんだなぁ」と思いながら歩いたことを覚えている。

●会社と組織と再雇用
再雇用となって初めて新年度を迎える。
ここ1~2年くらいは、ずいぶん組織とか予算から距離を置くようになったので慣れてきたが、今年は「再雇用」となりもっと距離を置いた状態での新年度になる。
昨年ブログで何度か話題にしたが、今はどんな業界も重要な変化ポイントの時代だ。
でも残念ながら当社の社長はなかなか「決断」できない。
よく言えば「配慮」する人で、悪く言えば「優柔不断」
老朽化した本社ビルの建て直しも2~3年話題にはなるが、なかなか決まらない。
再雇用の身としては「この社長で大丈夫か?」と年々不安になるが、それでもわが社の「神輿」だから、担がなきゃしようがない。
そういう意味では、管理職の人たちはいっそう大変だろう。

●まずは日光か?
昨年末からずっと「どこへ行こう」と迷っている。
いつもだと2月くらいにどこかへ出かけるが、ここ2~3年の経験でこの時期は春節で、中国の観光客が多い。
だから3月くらいに出かけようかと思っているが、まずは日光かなぁ。
他にも九州地方の温泉や草津温泉にも行きたい。
他にも熱海とか城崎とか温泉中心か、現存天守の松江城や丸亀城にも行ってみたい。
余裕があれば、函館五稜郭や以前行った高知城と、いろいろと思い浮かぶが、再雇用で収入も少ないし、あまり弾丸旅行もつらいし、財布と身体と相談しながら決められたら良いと思っている。

とにかく本格再雇用の1年目。
どんなことが起きるのだろう。

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2018年1月 1日 (月)

2018年 謹賀新年

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明けまして、おめでとうございます。

今年の原点回帰ではないけれど、また「北斎」

知れば知るほど、この人の「凄さ」を感じます。

とは言え、今回は「浮世絵」ではなく「天井絵」

しかも唯一の祭り屋台の作品です。

これを小布施で間近で見た時、「やっぱ北斎は面白い」と改めて感じました。

今年もこんなことを感じられる1年が過ごすことができると良いと思っています。

よろしくお願いします。

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2017年12月25日 (月)

2017年の振り返り

いつの頃からか「毎週月曜(祝祭日は除く)にアップ」するようになった。
そのアップルールに基づけば、2017年は一応今日で最後となる。
ということで、1年を振り返ってみる。
20171225
【還暦・定年・60歳】
今年は、これに限る。
正直「還暦」は、あまり実感がない。
それはおそらく私たちが子供だった頃の「60歳」と今の「60歳」は、実質的に15~20年くらい違う感じで、周りを見ても全然若いし、バリバリやっているし、「年寄り」ってイメージはない。
「年寄り」と見ているのは、唯一孫たちだろうな。「じいじ」と呼んでいるから。

ただ「定年」は、そんな自意識や時代性と関係なく、その環境に移動するので、これはめちゃくちゃ実感がある。
まず、収入が減った。他と比べるとずいぶん考慮されているようだが、やっぱり「再雇用」だから激減している。
そうなると、好きな旅行なんかも「超節約旅行」になるわけだが、逆に「時間」は段々余裕が持てるようになるから、これからは多分お金を使わず、ゆっくり時間を楽しむ旅行になっていきそうだ。

他にも、歴史・史跡などへの好奇心は益々高まる一方で、そのうちには「市民セミナー」のようなものに出かけて、学びなおしたいとも思っている。

あとは、子供と孫から「ご苦労様」とお祝いをしてもらったことは本当にありがたかった。
離婚してしまった父親としては、思いもかけない経験を子供や孫にさせてもらっていて、ありがたいなぁと「感謝」するばかりである。

【今年のトピックス】
●松山城と道後温泉
道後温泉は長年「行ってみたい」と思っていたところなので、嬉しかった。
今でも最初に湯船に浸かった時に「ついに来たなぁ~~~」としみじみ思った気持ちを思い出す。
それに松山城も、思った以上に良くって、「現存12天守」の中でもかなり上位に入る面白さだった。

●明日香村
歴史・史跡を巡ることはずっとやってきたが、ついに「飛鳥時代」まで見聞を広げるようになったという意味で、今年の象徴的な出来事だった。
ここを訪れたことをきっかけに、仏教の伝来や仏像の姿の変遷にも興味が沸き、益々「いろいろ学びたいこと」が増えてしまった。

●株の入門
これもブログには書いたが、数年前から「なんとなく」知っておいた方が良いと思っていたが、ついにその入り口に立った。
今でも毎日気にしてみているし、それによって今まで気に留めなかったニュースにも敏感になった。
ただ「株で儲ける」というのは、個人的にはあまり性に合わないということは改めて感じた。

●来年はどうなる?
途中でも書いたけれど、いよいよ定年後の生活が本格化する。
だから仕事以外のことの興味や考える時間をもっと増やそうと思うし、お金の心配をしながらではあるけれど、じっくり楽しめる時間が増やせるような年にしていきたい。

今年も1年、ありがとうございました。
来年も、よろしくお願いします。

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2017年12月18日 (月)

樹木は生えていた方向で使用しろ

今私が業務している社屋は昭和30年代の半ばに建てられた。
ここ数年「そろそろ耐久年数が」と言われているが、私の好きな趣味の世界で言えば、戦後に復元された城(天守閣)も同じような状況にある。
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最近話題になっている「名古屋城天守閣」も同じ耐久年数の関係で、「入場禁止」の動きもある。
鉄筋コンクリートの建物の耐久年数は5~60年らしい。
ところが「現存12天守」「法隆寺」「東大寺」など木造建築の方が今も建っている。
もちろん姫路城のように解体して修復して再組み立てすることができるのは木造建築の特徴でありメリットのようだが、それにしても木造建築のほうが鉄筋コンクリートよりも遥かに耐用年数が長いというのは面白い。

だから名古屋城の天守閣木造建築復元には基本的に賛成だ。
「そんな予算は高すぎる」とか「今、その必要があるのか?」など反対意見があるようだが、きちんと復元すれば、鉄筋コンクリートなんかよりも長く保てるのであれば、却って安いのではないかと思う。そして木造建築の技術も後世に残すこともできると思う。

11月のある休日にNHKアーカイブ「あの日 あのとき あの番組」という番組で「よみがえる大伽藍~薬師寺 復興事業50年~」を放送していた。
放送は1976年だから今から40年以上前の番組だが、この時の棟梁「西岡常一」が唯一弟子に教えた言葉を聞いて「なるほど」と感心した。
「樹木は生えていた方向で使用しろ」

これは、自然の材料は建物になってからも生きているということを、十二分に知っているからこそ言った言葉だろうと思うが、この言葉の中に、自然から得た材料の素晴らしさを言い表しているのだと思う。
実際には、自然の材料それも状態の良いものを使用して建築するのは、本当に高額で一般には手に届かない。
日本の気候に合う建物は、床下の通気を良くして、湿気が滞らないようにして、そして障子やふすま(木や紙)で呼吸し、土壁で乾燥や湿度を調整できるものが一番良いのだそうだ。
実際、土壁で家を作るとしたら、塗って乾燥させてととんでもなく時間を掛けないといけないから、お金も期間もどっちも超贅沢な状態でないと実現不可能だ。

ただ、何でもデジタルでお気軽に、そして低コストで創作できるようになった分、大事な「すごさ」を失っている気がする。
これは建物だけでなく、職人という人たちが携わってきた仕事のすべてに言えるのではないだろうか?
私の出身である「デザイン」も、時間とお金の掛かるものは出来なくなってきて、そういう意味でちゃんと考えるデザイナーが少なくなっている状態だ。

「樹木は生えていた方向で使用しろ」
今こそ、この言葉の意味を、しっかりと考えて捉えておく必要があると思うのは、私だけなのだろうか?

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2017年12月11日 (月)

日本はいつから日本らしくなったのか

12月になった。
主だったところはブログで紹介してきたが、今年もいろいろなところに出かけた。
これまでわりと江戸時代もしくは戦国時代の歴史的史跡を中心だったが、9月には奈良・明日香村に出かけ、ついに古代の歴史にも触れるようになった。
この時の話は「歴史と海と台風と」 に掲載したが、史跡や博物館を訪れて思うのは「歴史的な背景を知っていることが大事」だと最近思うようになった。
20171211
例えば明日香村の遺跡の時代、飛鳥時代はおそらく今私たちが感じるような「国」のイメージではなかったのではないだろう。
当時の政権は今のようにしっかりした体制ではなかったようだし、石舞台古墳の蘇我氏などを初めとして多くの朝鮮系の民族が日本にいたようだった。

と同時に、今考えるよりは遥かに中国(当時は唐とか随か?)や朝鮮(新羅とか百済とか)は、日本(倭国かな?)にとって、かなり密接な関係でそして先進国として見ていたようであった。
こんな背景を知りながら史跡を見ると、日本の歴史というより「これから日本になっていく時代」を見ているような気がしてくる。

と知ったように書いているけれど、この時代のことはまだまだまったく知らない。
江戸時代は結構資料があるし、幕末は歴史の時間で言えば「ほんのちょっと前」だから、かなり詳しく分かりそうだが、信玄、謙信、信長、秀吉、家康などの戦国時代はちょっと怪しい。
なぜなら「歴史は勝者のもの」なので、残されている資料が真実を語っているとは限らないからだ。

そして、それ以上前になると「想像部分」が多いのではないかと思っている。
さっきも書いたが、空海や最澄などの遣唐使の時代や飛鳥時代になると、日本というよりも中国に近い感じの政治だし、そもそも仏教感などは、空海・最澄以前と以後ではまったく違うようである。
そう考えるとその頃の中国(唐)は、今のアメリカやロシアのように世界の中心だったように世界的に力のある国だったということを感じもする。

こうして史跡を巡ったり、本で読んだりすればするほど、どんどん「もっと歴史の流れが分からないといけないなぁ」と思う。
そして私たちが思っている「日本人」は、やっぱり江戸時代に醸成された「日本人」らしさで、飛鳥時代、室町・平安時代の「日本人」は、きっと今の日本人とは違うのではないかと思う。
最近「日本人のおもてなしの心」と言われるが、これだっていつ芽生えてきたものか分からない。
実はつい最近の日本人感なのではないかと思っている。
江戸時代以前の史跡や資料を見て、今の日本人の感覚で「すごい」とか「昔からそうなのだ」と勝手に勘違いしないように気をつけないといけないと思うようになった。

ただいつの時代でも驚くのは移動距離。
飛鳥時代や平安時代に命がけで中国に渡っていることは、本当に驚きだが、江戸の各藩の歴史、遣唐使など、今、私たちが思っている以上に頻繁に人が移動していたということは事実として確かなようだ。

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2017年12月 4日 (月)

意識してブレーキを掛けること

タイトルからすると、最近問題になっている「高齢者ドライバー」の話みたいだが、違う。20171204
12月になり、再雇用社員3ヶ月が経過した。
今年の4月で管理職を役員定年となり、いろんな会議や管理資料などの煩わしさから開放され、かなり気軽にはなっていた。
さらに再雇用社員となり、営業からの依頼も「案件受注のプランニング」というよりも、もっと前段階の事例紹介としての「営業同行」が多くなっている。
実際に案件になったら、私の元の部下たちで十分らしいのが、その前の「種まき」的な活動のフォローは、まだ頼りにしたいと営業スタッフは言ってくれる。

下調べや出来るだけポジティブな会話など、少し気を使う必要はあるが、競合プレゼンや案件獲得などのプレッシャーはないから、これも気軽といえば気軽だ。

他にも昨年から統括本部の業務をサポートするようになって、社内の広報ツール作成をしている。
これはこれなりに気を使うが、やはりお客様相手でないので、プレッシャーは少ない。

このように、いろんな面で気軽になっているが、反面収入は激減している。
給料日に明細を見るとかなり「ガッカリ」する手取り額で、「節約しないといけないなぁ~~」と毎回思う。
と同時に定時になったら「さっ」と終わることを心掛けるようになった。

今までだったら「もうちょっとキリが付くまでやろうかな?」と思ってしまう。
もうこれは何十年もやってきた習慣なので、かなり意識的に「ハイ、やめ」と思う必要がある。
そしてスケジュールも、今までのように「ここで少し頑張れば」と思わないように、かなり余裕のある形にして、無理な場合はNGを出すようにしないといけない。

40年以上も「前掛かりに仕事を進める」姿勢が身に付いてしまっているので、適度にブレーキの掛け方を身に付けないなぁとこの3ヶ月思っている。
キーワードは「給料日を思い出せ」なのだが、あまりダラダラ仕事をするのは、性格的に無理だし、会社に必要な人材と思ってもらえなくなるのも困る。
正社員・管理職時代とはかなり次元は違うが、それなりに悩みではある……。

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2017年11月27日 (月)

メンテナンスが必要な年齢

今年60歳になった。
個人的にはとてもエポック的な出来事なので、何度も話題にしてきた。
これから60代が始まるわけだが、益々身体のメンテナンスが必要な年齢になってきた。
20171127
私の場合、この「身体のメンテナンス」を意識したのは厄年くらいだったから40代から始まった。
初めての「肩関節周囲炎=いわゆる四十肩・五十肩」になり、寝返りも打てないほど激痛で病院にいった。
その翌年ぐらいには「不整脈」が酷くなり、これも病院で診察してもらった(幸い大丈夫だったが)。

50代になるとコレステロール値改善で通院するようになった。これについては10年前に「コレステロール改善薬」 として記録している。
相変わらず会社で行われる健康診断では、いろいろ「要観察」チェックが入るが、まあ定期的に通院しているということで、一応安心はしている。

さらにこれも何度もこのブログで書いているが、小さい頃から「アトピー体質」で年齢とともに肌をちゃんとケアしないと、すぐに痒くなる。特にジーンズのように目の粗い生地のものを穿いて、たくさん歩くと腿の肌が摺れて痒くなるようになった。
昨年「突然のめまい」 で激しいめまいが起きたことを書いたが、実は今年も10月に酷いめまいが起きた。
さすがに気になったので病院にいき検査してもらった。これも取り合えず問題はなかったようだが。
そして先日、歯科医に行けば「ここちょっと歯茎が緩くなっているから」としっかりケアするように言われた。

と、このようにあれやこれやとケアしながら生活しているのだが、先日10歳下の部長が熱と喉の痛みで休んだ。風邪かと思っていたら「溶連菌感染症」とのこと。通常は幼児が罹るのだが、稀に大人も罹患するようだ。

その部長が私のところにやってきて「溶連菌感染症」の後、血液検査をしたらγ-GTPは通常の3倍の値になって病院から連絡があったと話してきた。いつも健康診断ではぎりぎり基準内だったのに、中性脂肪もコレステロールも3倍くらいの高い値になっていたとか。

彼には「もう50代でしょ?身体をメンテナンスしながら働く年代になったということだよ」と伝えておいた。
50歳といえば、クルマで言えばそろそろ10年以上のころに差し掛かっているのではないだろうか?まして60代は20年以上のオールドカーみたいなものだ。
こんなご時勢だから、80・90歳のような長寿は望まないけれど、メンテナンスしながらの生活が必要になってきたと実感するこの頃だ。

【追記】
上記の内容でアップしたら、会社で昔私の部下で、今はフリーランスでデザインをやっている知人が亡くなったと耳にした。
確か彼は私より10歳くらい年下。詳しいことは分からないけれど、路上で倒れて亡くなったとのこと。
今年は会社でもずっと年下の人が急死する話が多い。
そういう意味で、無事に還暦まで生きてきて、なお今でも元気で働けているということに年末が近くなって、改めて感謝しないといけない。
しみじみと思うニュースを、たった今、耳にした。

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2017年11月20日 (月)

今までの延長では難しい時代に

今回のタイトルは、最近会社で話していて、よく感じる言葉だ。
4月に役職を、8月には社員を定年になり、再雇用というある意味経営的に無責任な立場になったから、余計にそう思うのだが、前回の「残業問題」も含め、大変な時代になってきていると感じている。
20171120
私のいる会社の基幹業務は印刷だ。
ご存知のようにデジタル化とかWEB化などで、印刷需要は減り続けているし、印刷用紙の出荷も毎年減っている。
そこで、「印刷以外の分野へ拡販する」なんてことは、どこの企業でもやっているし、工夫している。
でも、「拡販する」時に、「今まで仕事の仕方の延長」でしか判断できていないってのは、これもどこの企業も同じような気がする。

日本の企業は「転職する人」をあまり「良し」としない風潮がある。
ネットで読んだことがあるが、海外赴任をしていた広告代理店の人が、現地の人に「なぜ5年以上も同じ企業いるのか?」と言われたそうだ。
海外では(特に欧米だろう)転職していない人は、「転職できるだけの能力が無い」と判断されるようだ。

ところが日本は「入社してずっと同じ会社」にいる人が多い。
だから、私のような転職を繰り返してきた人が意見を言うと「君は、うちの会社を分かっていない」と軽くいなされる。役職に付いてからは、そんな意見は慎んできたが、腹の中では「おかしいのは、この会社だよ」と思ってきた。

そんな人ばかりが集まって「これから拡販するにはどうするか?」と話しても、画期的な意見が出るはずがない。
トヨタグループの創立者の豊田佐吉氏は、言ったそうだ。
「窓を開けよ(正確には障子だったかも)、外は広い」

これを格言と崇めていることで日本企業の体質が良く分かる。
社会の変化が緩やかで、消費者の嗜好も緩やかに変化してきた今までなら、一生懸命「良いもの」を作っていて「明日も今日以上に頑張ろう」と言っていれば良かった。

でも今のようにすべての価値や機能が劇的に変化する場合は、抜本的に課題を見つめないといけないと思う。
「今までと同じで良いのか?」
これをいつも問い続けることが、30代の社員にはとても大事なのではないだろうか?
仕事の中で「本当に大事なことは何か?」
「自分はこれから、どんな立ち位置で仕事をしていくのか?」
毎日忙しいけれど、自分自身がきちんと考えていないと、本当に困る時代が来ている気がする。

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2017年11月13日 (月)

残業規制とお客様第一主義と責任感

今年の5月に「『便利な社会』の見直しが始まるか」 という記事を書いた。
例の大手広告代理店D社の自殺問題に端を発した「過重労働問題」だ。
20171113
あれから数ヶ月、マスコミではこの裁判の様子や亡くなった女性の親御さんの意見などを取り上げていたが、それを見るたびに「どうして『企業が悪い』という一方向で報道するのだろう」と思っている。
5月の時にも「社会構造」が間違っていると結んだが、私のいる会社ではまさに「過重労働の本当の論点はここにある」という事態が起こっている。

【その1】
すでに数年継続受注させていただいているお客様。
しかし予定より1ヵ月半以上原稿入稿が遅れているのだが、それでもお客様側のトップは「予定通りの納期で納品を」と言ってきている。
本来、このような場合は(1ヵ月半も遅れる前に)フロントである営業側からお客様に「アラート」を出す。できれば頻繁に出す。そして「頑張ってきましたが、もう無理です」と交渉する。

しかし、このお客様の担当営業はそれをやってこなかったので、このような事態になっている。
で、結局そのしわ寄せは制作スタッフに来ていて、「深夜残業」「休日出勤」を連発し、果ては「会社で徹夜」なんてことになっている。
でも、このご時勢なので、人事部からは「長時間残業をやめてください」と再三通達が出る。

制作スタッフのトップは、営業にもその上司にも「もう対応できない」と連絡し、制作スタッフにも「もう留めていいから」と指示を出すが、お客様側の担当者も長時間残業で原稿を何とか作ってくるので、対応してしまう。

【その2】
荷物の入出荷を担当する部署で、本来システムを使用しての入出荷連絡されるだが、ある事情でFAX対応になっている。詳しく書くとどこの話なのか分かってしまうので省くが、この「ある事情」は、うちの会社の責任では、まったく無い。

でもお客様のお客様から依頼される入出荷には対応せざるを得ず、FAXを見てデータ入力しているが、そのために通常の倍以上の時間が掛かる。
そのためやっぱり「長時間残業」となり、他の業務との関連もあり「休日出勤」となる。

この2つの他にも、さまざまな事業でやむを得ず「長時間残業」は未だにある。
もっと言えば「長時間残業」の残業代はコストに跳ね返るために、例えば「みなし残業」とするとか「代休処理」にするとかで、法に触れない範囲で残業代が掛からない方法を取る。

会社の経営層からは「売り上げ」を求められ、人事部門からは「残業削減」を、そして実際のスタッフたちの「責任感」と、この3つの要素に挟まれて、この問題は簡単には解決しない。
こんな状況を見ていて、結局発注する側を何とかしないといけないのではないかと思うようになった。

●発注時に決めたスケジュールと見積もり項目に変更がある場合は、再度見直しする
●業務時間外に業者等に連絡しない
●業務時間外に対応しないと間に合わないような指示・依頼・修正を出さない

これに違反した場合は、発注側が罰せられるような法改正がいると思う。
知らない人が見たらびっくりするだろうが、先の3点は「これぐらい普通です」というのが現状だ。
特に最初のなんて、見積もりもスケジュールも途中から無視されるような依頼がどんどん来る。
これをビジネス的に断れない国って、本当の意味での先進国って言えるのだろうか?

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