2018年6月18日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その4)

2日目。
レンタサイクルは朝9時からだったので、その時間に間に合うようにチェックアウト。
レンタサイクルのお店は着いて電動自転車を借りた。20180618
明日香村では普通の自転車で、意外と登りがきつかったので、初体験だったが電動にしてみた。
「初めて電動に乗る」といったら、お店の人が使い方を教えてくれた。
そのお店、自転車屋さんでもあるので、整備もちゃんとしているし、お店のオジサンもすごく親切だった。
最初はちょっと戸惑ったけれど、すぐに慣れて興福寺に向かった。

●興福寺
南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った(Wikipediaより抜粋)。

昔、「阿修羅像」を見たくて来たが、多分20年ぶりくらいかな?
昨日にも増して、修学旅行の団体がいくつもあり、そして外国人観光客もどっさり。
修学旅行も小学生・中学生・高校生を幅広く、歩道は人に溢れている。こちらは自転車なので、人波を縫うように走らなくちゃいけなくて、楽だけれどちょっと気を使う。

興福寺に着いて自転車置き場を教えてもらい、ものすごい多くの修学旅行生の嬌声が響く境内に「う~~ん」と思ったが、まずは今年1月にリニューアルオープンした「国宝館」へ。
修学旅行生もそんなにおらず、いてもさすがに静かにしていたし、朝まだ早いこともあり館内もそんな混雑していなかった。

久しぶりに見る「阿修羅像」はやっぱり良く、同じ仲間の八部衆立像もそれぞれに感じるものがあって至福の空間だった。
他にも国宝館には多くの展示物があり、照明も明るすぎず暗すぎず、近くによって見られることもできて「お堂の中で見るのも良いけれど、これはこれでとても見やすくて良い」と思った。

興福寺で有名なのは五重塔だけれど、やっぱり敷地は広く、今回は全部を歩いてみた。
南大門跡、中門跡、そして今再建中で今年10月に落慶される予定で再建中の中金堂。そして南円堂、三重塔、北円堂などをぐるりと巡ってきた。
修学旅行生は多いけれど、ありがたいことにどこも「駆け足」で過ぎて行ってくれるので、私のようにゆっくりじっくり見ている人はどんどん追い抜かれていき、混雑で困ることも少なかった。

そこから東大寺へ電動自転車で移動。
朝よりさらに増えた修学旅行生団体と多国籍の外国人観光客の間を「すいませ~~ん」を連呼して、ゆっくりと走る。
奈良公園の鹿も久しぶりに見たが、私たちが修学旅行でそうだったように今の学生も「きゃあきゃあ」と叫びながら鹿せんべいを挙げていた。
私たちの時代と違うのは、外国人観光客がやっぱり同じように鹿せんべいを挙げて騒いでいることだった。

東大寺は何度か来ているが、どうしても「南大門」「大仏殿」で終わってしまうことが多い。
今回は「じっくり見る」とテーマとしているので、まずは一番奥の二月堂へ向けて歩き始めた。(つづく)

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2018年6月11日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その3)

やっと3ヶ所目の「新薬師寺」へ。20180611
この「新薬師寺」、今回一番迷った。ナビで近くまで行くのだが、見つからない。
道路には案内板があるが、路地のように細い道に入っていくと、その先がわからない。
「これが寺社かな?」と思うものがあったが、今度は駐車場が見つからない。
普通、寺社には駐車場の案内もあるが、それもない。
散々迷って、門らしいところに行き着き、3台くらいしか停まれない駐車場を見つけた。
でも、いっぱいだったので「どうしようか」と思っていたら、ちょうど出る人がいて運よく停められた。

●新薬師寺
華厳宗の寺院である。本尊は薬師如来、開基(創立者)は光明皇后または聖武天皇と伝える。山号は日輪山(ただし、古代の寺院には山号はなく、後世に付したものである)。奈良時代には南都十大寺の1つに数えられ、平安時代以降は規模縮小したが、国宝の本堂や奈良時代の十二神将像をはじめ、多くの文化財を伝えている(Wikipediaより抜粋)。

ここに行きたかったのは、ずいぶん前にテレビで見た十二神将の往時のカラー復元を見たからだ。
十二神将の姿も魅力的だが、カラー復元はその鮮やかさが記憶に残っていて、ぜひとも訪れたいところだった。

入って資料を見ると、建立当時はとても広い敷地だったようだが、何度も火災に遭い、今では本堂を残すのみとなってしまっていた。
そのため、施設としてはあまり整備されていなかったけれど、そんな寺社にも外国人観光客がいて驚きだった。

本堂には薬師如来像を囲むように十二神将が立っている。
今回の奈良の旅で、とても多くの仏像を見たが、如来→菩薩→明王と位が下がるつれ、どんどん感情やしぐさが人間的になっていくことが分かる。
如来や菩薩のように「悟りを開いたり、それに近い」仏様は、毅然として感情も動きもない姿となっているのを見ると、私のような人間が感情も動きも溢れてしまっているのは致し方ないことなのかなぁなどと思ってしまった。

小さな庭の庵のようなところでは十二神将の「カラー復元」DVDを放映していて見学。最後にもう1回十二神将をじっくり見てから帰ってきた。

その後、少し早いがホテルに向かった。
今回、実は2日目を「レンタサイクル」で巡る予定にした。
そのため事前にホテル近くの「レンタサイクル」に予約し、さらに2日続けて停めても一番安いコインパーキングを探しておいたので、まずはそこまでクルマで移動。

コインパーキングに着いたら、満車になっていて「どうしよう」と思ったが、ここでも「今から出るから」という人に声を掛けられ、ラッキーにも停めることが出来た。
そこから歩いて、レンタサイクルのお店も確認し、ホテルへチェックイン。

駅の近くなので、ひと休みして駅周辺で夕食。日光では食べるところを探すのに苦労したが、今度はそんなこともなく、食事後にコンビニにも寄ってホテルに戻った。
一応大浴場のあるホテルを選んでおいたので、ゆったりとお湯に浸かり、部屋でTVを見ていたら、歩き回ったせいか眠くなってしまい、早々に寝てしまった。(つづく)

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2018年6月 4日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その2)

前回のつづき。
まだ1日目の2番目の訪問地である唐招提寺。20180604
薬師寺の最後に見学した「玄奘三蔵院伽藍」から外に出て、歩いて「唐招提寺」へ。
最初はクルマ移動も考えたけれど、天気も良いし10分少しくらいの距離なので歩いて向かった。

●唐招提寺
鑑真和上が建立した寺院。南都六宗の1つである律宗の総本山である。本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真である。井上靖の小説『天平の甍』で広く知られるようになった中国・唐出身の僧鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有する。
唐招提寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている(Wikipediaより抜粋)。

昔から名前は知っていたが、「ピン」とくる情報がなくて、一度も行ってなかった。
今回「行こう」と思ったのは、仏教伝来の初期の頃の事を知って「鑑真和上」の話を知ったからだ。
そうそう、昨年末からずいぶん時間が掛かったが司馬遼太郎の「空海の風景」を読み、初期の仏教の頃の本も読むうちに「南都六宗」という言葉や、その頃の「仏教」と今我々が感じている「仏教」とはずいぶん違うということも知った。

そんな影響から「律宗 総本山」である唐招提寺はぜひ訪問しておきたい寺社となった。
ここは修学旅行生もおらず、海外の観光客も他に比べれば少なく、とてもゆっくりと歩くことができた。
「天平の甍」の代表格のような「金堂」は美しく、安置されている盧舎那仏坐像、薬師如来立像、千手観音立像などを見た。

その後、鼓楼・講堂を経て、一番奥の「鑑真和上御廟」へ。
ここは苔生す新緑の林を通って御廟に向かうのだが、この林が静かで、新緑に囲まれて、今回の中で一番良い空間だった。
その後、「新宝物殿」で古い仏像を見学。ここもほとんど人がいなくて、静かにゆっくり見学できた。

ゆっくり周り過ぎて、すっかりお昼を回り、1時過ぎになってしまい、薬師寺から向かう途中で見つけた美味しそうなお蕎麦屋さんに入った。
入ると修学旅行生の1グループがいて「うわっ」と思ったが、とても行儀がよく、最後には学級委員の子(同級生からそう呼ばれていた)が器も揃えて出て行った。今時にはあまり見ない学生で、薬師寺で会った「禁止とは書いていない」と撮影していたオジサンと真逆の子たちだった。
若いからダメで、年寄りがちゃんとしているなんて言うのは、勝手な思い込みなんだな。

そのお蕎麦屋さん、蕎麦も美味しかったが季節柄、山菜の天ぷらがあり、それがとても美味しく大満足の昼食だった。

もうこの時点で、2時を過ぎてしまい、その日の予定にしていた「奈良国立博物館」を行くのを諦めた。
そして3ヶ所目の「新薬師寺」へ。(つづく)

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2018年5月28日 (月)

新緑の奈良へ~仏像と修学旅行生と多国籍軍(その1)

若い頃は「観光」的に、京都やお城を巡っていたが、最近はいろんな想いを持って出かけている。
今まで一番多いのは、もちろん「史跡」巡りだ。
一時期は「浮世絵名所」巡りもしたし、他にも「時代劇ロケ場所巡り」なんてこともした。
20180528
ただ、やっぱり「お城」とか「神社仏閣」が多いので、どうしても「由緒」を読んだり、「仏像」を見たりする機会が増える。
そうすると何となく「仏像」にも興味が出るようになってしまった。

「仏像」に関していえば、昨年秋に初めて明日香村を訪ねたこと が大きかった。
そこで見た仏像は、飛鳥時代のもので、見慣れた姿とは少し異なっていた。
それまでも「如来」「観音」「菩薩」「明王」などなど、その違いや位置づけにも興味を持ち、簡単なガイド本を買ってみたりもしていた。

そんな感じでちょっとだけ「仏像」のことが分かってくると、今まで訪ねた所でも「興味のポイント」が変わってきてしまい、さらには「ここも訪ねてみたい」と欲も出てくる。
と言う事で、ゴールデンウィークが明けた翌週に有休を取って、久しぶりに奈良へ行ってきた。

奈良は私の住む地域からは近い。
クルマで2時間少しだから、無理すれば日帰りでも良いのだが、せっかくなので、安いビジネスホテルに泊まる1泊2日で行ってきた。

初日は「薬師寺」「唐招提寺」「新薬師寺」の3ヶ所。
本当は「奈良国立博物館」も予定していたが、最近は「じっくり」見学して説明文も読んだりするので、1ヶ所ですごく時間が掛かる。だから3ヶ所巡るだけで時間がなくなってしまう。
これは結構悩みのタネで、団体ツアーなどのペースでは絶対に満足感のある見学ができない。

●薬師寺
薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山である。南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は薬師如来、開基(創立者)は天武天皇。1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。
20世紀半ばまでの薬師寺には、江戸時代後期仮再建の金堂、講堂が建ち、創建当時の伽藍をしのばせるものは焼け残った東塔だけであった。1960年代以降、名物管長として知られた高田好胤(たかだこういん)が中心となって写経勧進による白鳳伽藍復興事業が進められてきた。1976年に金堂が再建されたのをはじめ、西塔(1981年)、中門、回廊の一部、大講堂(2003年)などが次々と再建された。2017年5月には修行・食事に使われる食堂(じきどう)がほぼ完成し、復興事業は最終段階を迎えている(Wikipediaより抜粋)。

20年くらい前に1度訪ねたことがある。
有名な「薬師三尊像」を見て、再建された西塔があったのを覚えていた。
到着して最初に気づいたのは「修学旅行のシーズン」ということ。学生の団体がいて「これは堪らない」と思ったが、仕方ない。とは言え「日光・月光菩薩」の前が混雑していたくらいで、他のところはそうでもなく、ゆっくりと見学できた。
「日光・月光菩薩」は、やっぱり魅力的な仏像で、本当だったらじっくり静かに味わいたいものだが、多くの修学旅行生がいても、その魅力はビンビン感じることができた。
以前来た時よりも「大講堂」「食堂」が増え、その代わりに昔からある「東塔」は大修理中で見られなくて残念だった。

行った時は「西塔」「釈迦八相のうち後半の四相(果相)にあたる諸像」が特別公開されていて、せっかくの機会なので、見学した。入り口には「撮影はご遠慮ください」と張り紙があったが、私よりちょっと年上のオジサンが一眼レフでバシャバシャ撮影していた。
「ここって撮影ダメなんじゃないですか?」というと「遠慮しろと言っているだけで、禁止とは書いていない」と言って平気な顔をしていた。ちょっと日本人として恥ずかしいなぁと思ったが、これ以上言うのもバカバカしくて、そのまま見学を続けた。
まだ、こんな厚顔無恥な日本人もいるんだな。

薬師寺は法相宗の大本山で、その始祖(宗教用語では「鼻祖」というらしい)である「玄奘三蔵(=西遊記の三蔵法師)」の伽藍として「玄奘三蔵院伽藍」が一番奥にあり、そこまで歩いた。
途中「写経道場」もあり、一時期「東塔」くらいしか残らない「荒れ寺」になってしまっていた薬師寺だったそうだが、ずいぶん整理されて、往時の広さも「ちょっとだけ」実感できる感じになってきていた。(つづく)

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2018年5月21日 (月)

近場の城巡り~清洲城と小牧山城

私の住んでいる地方は「信長」「秀吉」「家康」という戦国時代の三英傑を生んでいる。
今では「東京」が日本の中心になってしまったが、戦国時代から江戸幕府が開府されるまでは、日本の歴史上のさまざま出来事の中心の地区でもあった。
20180521
その影響もあり、あちらこちらにお城や城跡が点在する。
「現存12天守」と呼ばれる昔から残っている天守閣も「犬山城」はクルマで1時間、「彦根城」「丸岡城」そしてちょっと遠いが「松本城」なども日帰りで出かけられる位置にある。
もちろん、このような「現存12天守」は今まで訪れているが、最近は復元された天守閣にも足を運ぶようになった。

昔は「コンクリートで出来た城なんて」と思っていたが、最近はさまざまな資料が展示してあることも楽しみになってきているので、往時の雰囲気を想像しながら訪れるようになった。やっぱりこれは年齢の影響だろうか?

この「復元天守」もこの地方には多い。
最近話題になり、今年のゴールデンウィークで一旦登城終了となり、ものすごく多くの観光客が訪れた「名古屋城」をはじめ、家康ゆかりの「岡崎城」など、以前行ったことがあるところを、2年くらい前から再訪していた。
そして、最近は、「近いのに行っていない」ところが気になり始め、GWに行ってきた。

●清洲城
映画の「清須会議」で有名になったが、正確にはここは初めてではない。
復元されたばかりの頃に行った記憶があるは、前述のようにその頃は「コンクリートの復元なんて」と思っていたので、あまり覚えていない。
新幹線からは近いので、車窓から「チラチラ」とは見ていたが、今回はちゃんと見ようと思って行った。
驚いたのは橋も天守閣周りも整備されていたし、展示物やムービーを使った説明など充実していて楽しかった。
そして駐車場は無料だし、天守への入館は300円と財布に優しい。
ただし、本来は今の復元天守の位置にはなく、さらに当時は「天守」はなく「館」の形だったこと。それよりも江戸時代になりいわゆる「清洲越し」で、街ごと「名古屋」に移転してしまうまでは、とても賑わっていて、この地方ではトップクラスの都市だったとのこと。今は名古屋のベッドタウン的で見る影もないが・・・・・。

●小牧山城
ここは「高速道路」「県営名古屋空港」から望める山城。
もちろん天守は復元で、「天守閣」というよりも「資料館」といった感じだった。
ただし「小牧山」は面白い。まだまだ発掘調査中で、年々発見が続いているようで、今は「小牧市役所」となってしまっている小牧山の麓には「楽市楽座」の元となるような街づくりの跡もあるそうだ。
ここは何といっても「小牧・長久手の戦い」で名を知られるけれど、その時秀吉がいた「犬山城」や家康が先回りして待ち伏せした「長久手」あたりとの距離がわかっているだけに、想像を巡らせて楽しんできた。
ただ、山はそれなりに坂がきつく、今のうちに登っておかないと厳しくなりそうだ。

天気もよく写真映えもしたので、左のアルバムに掲載しておいた。
次は「岐阜城」を目指しているが、また訪れたら紹介します。

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2018年5月14日 (月)

伝わってる?最近のカタカナ用語

昔、このブログで書いたが私は、紆余曲折あって20代前半から「グラフィックデザイナー」という仕事に就いた。
この世界は、まぁそれなりに「カタカナ」の用語が多くある業界だ。
だから昔はそんなに気にならなかったが、15年くらい前からやたらと「カタカナ用語」が日常的に使われるのが気になるようになった。
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例えば少し前の「公文」のCM。
「一人ひとりの力をきちんと見つめて伸ばしていくメソッドがあるから」。
なんか分かるような分からないようなナレーションが流れていた。

それに一時、エラく威勢の良かった「東京都知事」の女性の方。
この人もやたら「カタカナ用語」を連発する。「アウフヘーベン」「ワイズ・スペンディング」なんて、何のことだろう?と思ってしまう。

何でこんなふうに「カタカナ用語」を頻繁に使うようになったんだろう?
うちの会社でも「バッファ」「フィックス」「エビデンス」なんて言葉が飛び交う。
「余裕」とか「最終版」とか「証拠・記録」って言った方が正確に伝わるんじゃないんだろうか。

それとも「カタカナ用語」を使うとワンランク上な感じがするとでも思っているのだろうか?
そう思いながらも結局私も使うのだが、本来言葉は「相手に伝わること」のために使うものだ。
なのに「カタカナ用語」を使って、相手が分からないと「知らない方が知的レベルが低い」とニヒルな感じで見下ろすのっては、かなり本末転倒している気がするなぁ。

他にも、ふっと思いつくだけで「バイアス」「シークエンス」「アジェンダ」などなど本当にすぐに意味が伝わらない外来語が多い。
そんなことが気になり始めた頃(2000年くらい)に「カタカナ語の『常識』がわかる本」という本を買って、今でも会社に置いてあるが、もう役に立たないくらい多くの言葉が乱立している。

パソコン通信という古い時代に私が「カタカナ職業」と書いた事がある。
そうしたら全く見ず知らずの人から「カタカナ職業がそんなにエライのか!」とクレームを付けられて驚いたことがある。
そんなつもりで使用してなかったが、勝手に「エラそうに」見えたのかもしれない。
今ではSNSなどの「炎上」は良く見聞きするけれど、その時代には、そんなことはまだ稀だったので、とても驚いたことを覚えている。
きっとその人は、今の私と同じような気持ちを持ったのだろうか?

先に書いたように「本来、言葉は伝えるためにあるもの」だと思っているが、私自身は日本語で言ってくれた方が伝わる気がする。
でも、今の世代はこんな「カタカナ語」の方が伝わっているのかな?

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2018年5月 7日 (月)

「昔」っていつから

4月から何年か振りに公共交通機関で通勤するようになった。
今まで役職で早朝会議に出ていた恩恵で、会社の駐車場に留めさせてもらっていた。再雇用後もそのまま使わせもらっていたが、いろいろな諸事情で、社内の駐車スペース見直しとなり、その関係で公共交通機関通勤となった。
20180507とは言え、元々40分ほどの通勤時間だし、乗り換え無しなので、今までが超贅沢な待遇だったのが・・・。

その影響で、通勤時間中に文庫本を読むのだが、最近「仏教の歴史」のようなものを読んだ。
こう書くと難しそうな感じだか、とてもあっさり整理して書かれていて、あまり各宗派の考えとか難しい内容でない。
神道から始まり大乗仏教、そしていろんな宗派が生まれ、神仏分離があり、新興宗教と大きな流れに沿って説明してあるものだ。

その中で、改めて知ったことがあった。
明治維新の時に「神仏分離」が行われたが、それまで神社とお寺はとても近い関係であったこと。
神社の中にお寺があるのは、良くある風景だったこと。
そして、天皇が「神道」とされたのも「神仏分離」以降だったこと。
確かに奈良時代などは、天皇が仏教を支援し、有名なところでは「奈良の大仏」などを建立している。

その他、いろいろあるのだが、とにかく「神仏」はとても近い関係だったので、今でも日本人は「除夜の鐘」を聞いて、神社に「初詣」に行っても何の違和感もないのだそうだ。
このことは、海外の人たちには絶対に理解出来ない出来事だが、大半の日本人は何の不思議に感じていない。
そもそも「神道」「宗教」ではないのではないかと、その本に書いてあった。

これを読んで思ったのは「昔から、こうだった」なんてのは、実は「思い込み」に過ぎないんだと言うことだ。
江戸時代の「鎖国」にしても、当時は「日本は神代の時代からずっと鎖国だ」と信じていたそうで、信長・秀吉の時代には貿易が盛んだったことを知らなかったそうだ。

最近の例では、「大相撲の女人禁制」だってそうだ。
江戸時代までは「女相撲」が盛んに興行されていたそうで、今のように「神の儀式だから」というようになったのは、やっぱり明治以降。
たった150年前のことなのだ。

そして会社も同じ。
「ウチの会社の伝統は」とか「昔から、こういうやり方だから」なんて言うけれど、企業の場合もっと短くて、20年とか30年とかだろう。
ウチの会社だってまだ創業100年は過ぎていないから、「昔から」って言っても本当に「最近」の話だ。
「昔から」「伝統的に」なんて言葉は、これからちょっと疑ってかかるぐらいがちょうど良いのかもしれない。

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2018年4月23日 (月)

今年の新人たち

昨年めでたく(?)再雇用となった私だが、それと入れ違いに世の中は「人材育成が最も重要」と言われるようになった。

20180423

その背景には、まず「働き方改革」がある。私たちの若い時のように「見て覚えろ」とか「仕事や技術は盗むものだ」的な対応では、今は通用しない。受け取る新人たちもそうだが、それより「そんな教え方はパワハラだ」と言われるからだ。

まぁ時代も違うし、人によって賛否あるから、一概に決め付けるわけには行かないが、私は昔のやり方で、徐々に周りが認めてくれる「充実感」が自己の成長と感じられたので良かったのではないかと思っている。

ただ「がむしゃらに上下関係が厳しく働く」時代ではなく「有意義な人生を送るために働く」という改革の真っ最中だから、私の感覚は「時代錯誤」なのだろう。

もう1つの背景はAI化の躍進」だ。
単純労働は、遅からず「コンピュータ」が対応し、さらにもうちょっと複雑な業務も「AI機能」が代理で行う時代がやってくる。
そうなると企業は「優秀な人材」が最も重要で必要となるわけで、今やどの企業も「人材育成」に投資するようになった。

そんな流れの中、わが社も昨年から「新人研修」にチカラを入れ始めた。
それまでは10日前後のビジネス研修のあと、配属先の任せるOJT教育」で長くやっていた。
私はひそかにOJTと言う名の、ほったらかしな教育」と思っていたが、やっと「これじゃダメだ」となり、営業職を中心に4月末までの約1ヶ月間、研修を行うことになった。 

その研修の「クリエイティブな部分」を人事部から「ぜひ」と頼まれ、昨年から面倒見ることになった。
まぁお世話になった恩返しだし、その業務を引き受けることで、会社としては「必要な人材」と思ってもらえるという損得勘定も少しある。

しかし、最近は就活生の「売り手市場」の影響で、内定を出しても断るし、入社しても「ワイワイガヤガヤ」と学生気分のままだ。
今までもそうだったが、ここ12年は特にそう感じる。

会社と学校の区別がつかず「言われたこと」は素直にやるが「言われない」と気づかない。
今年の新入社員は、さらにすごく研修期間中の朝や帰社時刻に社員とすれ違っても挨拶しない。
我々だけじゃなく常務など役員にもしない。
さすがに気になったので、注意すると「とても素直に」言うことを聞く。

さらに早朝会議をやっている横の食堂で待機している時も「ワイワイガヤガヤ」
一度注意すると静かになるが、23日するとまた元に戻る。

ミーティングしてプレゼンさせると、すごく上手い。
きっと学校で習ってきたからなのだろう。
すらすらと難しい言葉を使って「さもわかったように説明」する。

でも、ちょっと深い突っ込みの質問をすると、途端に下を向く。
良い例が「顧客の要望を聞いて提案する」と言ったので、「その要望はいったい何?コスト?納期?品質?対応?」と聞いたら、何も言わなくなってしまった。

さらに時間を決めてミーティングさせても、時間が足りなくなって「あと5分延長できませんか」と平気で言って来る。
もちろん「学校じゃないんだよ。時間通り出来ないのは、計画性がなくスキルがないからだ」と突っぱねてしまったが・・・・・・

いったいこの子達は「社会人となる覚悟」があるんだろうか?
と偉そうにいうが、私もそんなに立派な若者じゃなかった。
そして、今の子のように素直じゃなくって、世の中を斜めから見ていたので「へん、うるさいよ」という態度を取っていた。

そんな意地っ張りでもなく、注意するととても素直。
そして、昨年入社したうちで、すでに1名退社し、1名はちょっとメンタルを(軽く)痛めてしまった。
よく言えば、とっても純粋培養。だから耐性がないから、すぐに挫けてしまう。

手前味噌だけれど、私たちのように厳しく教えられ、さらにそれに反発するような若い奴の方が、しっかりした社会人になっていくのではないだろうか?

ただ彼らと私の年齢の差は
40年。
分かり合えるはずもないけれど、研修をやるたびに「こいつら小学生か?」と思う今日この頃だ。 

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2018年4月16日 (月)

日光東照宮の旅(その4)

2日目の朝は、やっぱり雨。
予定では「日光山法輪寺」「日光東照宮」「日光山輪王寺大猷院」「日光二荒山神社」
場所的には、全部固まっているけれど、どうも最近はじっくり見たり、宝物殿なんかも見るので、時間が掛かる。
今回も15時には東武日光駅に戻ってこないと帰れなくなるので、早めにホテルを出て駅へ。
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そういえば、東武日光はICカードが共通で使えたので、バス利用でもスゴく便利だった。

バスに乗って、東照宮参道へ。
まずは「日光山法輪寺」
今回全く事前に調べずに出かけたので、行ってみて「あれ、そうだったの?」と思うことが多かった。
ここも「三仏堂」が約50年ぶりの大修理中。
「え~~」と思ったが、修理中の姿を屋根の高さまで登って見られたし、「日光三社権現本地仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)」はすぐ下を通って観覧できるという幸運に恵まれた。
もちろん、写真を撮ったりはできなかったけれど。

その後は「日光東照宮」
宝物殿を見てから、いよいよ社殿へ。
陽明門の大修理が終わってしばらく経っているのに、やっぱり人が多い。
雨降りなのに多い。
そしてめちゃくちゃ外国人が多い。
私が行ったときは、チケット売り場は並んでなかったが、見学後戻ったら、長蛇の列になっていた。
「三猿」「陽明門」「眠り猫」など有名なポイントは大混雑。
先に宝物殿を見たおかげで「陽明門」の龍の図に気づくことが出来たのは、良かったかな?

これも知らなかったけれど「薬師堂(本地堂)」では、「鳴き龍」を視聴(?)
一体どういう構造で、場所によって響きが変わるんだろうと不思議だった。
ここも外国人が居て、なんと説明の僧侶が英語で説明していた。スゴイ。
家康の霊廟も長い階段を登って行って来た。
「久能山東照宮」の断崖絶壁を登る葛篭折れの階段を経験して依頼、「久能山よりは、まだ良い」と頑張れるようになったが、ここもちょっと辛かった・・・。

そして「日光山法輪寺大猷院」へ。
密かに一番楽しみにしていた「家光の廟所」
ここは東照宮から少し離れ、一番奥なので観光客も少なく、個人的にはとても良い空気感だった。
「仁王門」「二天門」「夜叉門」とあり、残念ながら「二天門」は修理中だったが、これも変わった姿を見られたのは、良かった。
「夜叉門」については、あとで僧侶からの説明があり、門内に「4夜叉像」があり、その中の「烏摩勤伽(うまろきゃ)」の膝には象が飾られており、ここから「ひざこぞう」という言葉が生まれたのだそうだ。

「拝殿」で見学していたら案内の僧侶からのご説明があった。
「拝殿・相の間・本殿」のこと、そして訪れた日が20日で「家光公の月命日」だったこと、金閣寺・中尊寺金色堂と並んで「日本三大金堂」であること、そして「狩野探幽(かのうたんゆう)の描いた唐獅子」、天井には140枚の龍の絵などなど、スゴイ貴重なものを目の前で見られることに驚いた。

その後、「日光二荒山神社」に寄り「神橋」を写真に収め、帰路へ。
帰りは「のぞみ」だったので、早く帰ってこられた。
やっと日光東照宮に行ってこられたが、中国の春節時期を外したけれど、「インバウンド」と言われる外国人観光客の多さにびっくりした2日間だった。
これからは、そういうことも考えて旅行先を選ばないといけないなぁと思った旅だった。

追伸
またアルバムをアップしておきましたので、良かったら見てください。

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2018年4月 9日 (月)

日光東照宮の旅(その3)

滝を見た後、少しだけお土産売り場を回ったが、平日と言うこともあり閑散としていた。
そろそろ駅まで戻るかとバス停に行ったら、目の前で発車。
仕方なく30分ばかり待って、今度は「下りのいろは坂」で日光まで降りてきた。
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日光駅の周りはお土産屋さんもあり「これなら夕飯は、駅の近くで良いなぁ」と思ってホテルに向かいチェックイン。
「列車+宿泊」のかなりリーズナブルな価格なのに、上々のホテルだった。
もっともシーズンオフということもあるし、普通の観光客なら「鬼怒川温泉」に泊まる人が多いようなので、お得な価格なのだろうか?

部屋でひと休みして夕食を取ろうと外へ出たら、真っ暗。
そして食事できそうなお店も、もう閉まっている!
「だからホテルにチェックインしたときに、ホテル内でも夕食が取れると勧めたのか!」と思ったが、とにかくどこか近くにないかと歩いてみた。

「せっかく日光に来たなら、名物の湯葉を」と思ってなかなかお店がない。
「日光まで来てラーメンの夕食は・・・」と思って歩いていたら、お寿司屋さんだったが「湯葉」のあるお店を発見!
ここが大正解で、「湯葉」「お寿司」も美味しかった。
最近は「回る寿司屋」に慣れてしまったが、ちゃんとしたお寿司屋で握ってもらったお寿司って「こんなにシャリがホロホロと口の中でほぐれて、美味しかったっけ?」と変な驚きを持ってしまったくらいだった。

入った時には、外国人のグループが、そして出る時にもすれ違いで違う国の外国人グループが。
とにかく「さすがは日光」。外国人の観光客が多い。
そしていろんな国からの観光客が本当に多いと2日間、どこに行っても感じる日光だった。
ただ、そのお店の大将が話してくれたが外国人の「予約は受けない」そうだ。

最初は受け付けていたそうだが、「無断キャンセル」が頻繁で、せっかく仕入れた材料がムダになってしまったとのこと。
良くTVやネットで見聞きする話だが、「本当にそうなんだ」と思った。
日本人はそういうことも真面目だからなぁ。
こういうグローバルな常識は日本で根付かないで欲しい。
旅行に行くと、「ネットでお勧めの店」は混んでいることが多い。
でも、お店に飛び込みで入っても、結構おいしい店に出会う
そして、そこのご主人とこんな話ができるのも、旅行のちょっとした楽しみでもある。

帰りに「コンビにでも」と思ったら、駅前なのに「ない!」
仕方なくスマホで調べて、テクテク歩き、ちょっとお菓子や飲み物を仕入れてきた。
ホテルへの帰り道に雨が「ポツポツ」
何とか1日目は降らずに済んだが、どうも2日目は雨の覚悟をしなくちゃいけないなぁと思いながら、ホテル内の大浴場や露天風呂に入り、温まってから就寝した。

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2018年4月 2日 (月)

日光東照宮の旅(その2)

チケットが送られてきたのは2月下旬。
実際に行ってきたのは3月19~20日。日曜と春分の日に挟まれた平日2日間に有休を取って行って来た。
20180402_4
年度末のドタバタしている時期に、こんなワガママな休みを取れるのも「再雇用」という立場だから。
とは言え、少し業務で気にしなくちゃいけないことがあり、1日目は、移動中にメールを確認して進捗状況を気にしながらになってしまったが。

さて、いよいよ1日目。
新幹線で最寄りの駅から出発。
こういう「列車+宿泊」パックでは乗車する列車の時刻や種類によって、ずいぶん価格が変わる。
再雇用の身分としては贅沢できないので、「早朝のこだま」を選択。
乗る前にサンドイッチを買って、朝食しながらの始まりとなった。

気にしていた天気は、あいにくの曇り。
各駅停車のこだまなので、たっぷり時間を掛けて東京に到着。その後、山手線、地下鉄と乗り換えて浅草に向かい「東武日光 特急スペーシア」に乗車。ちょっとだけ鉄っちゃんなので、一応写真だけは撮ってみた。
乗車前にまたまた駅弁を買って、車内でモグモグタイム。
こうやって列車を乗り継いで、駅弁を食べていく旅も面白いのかも……などと思った。
今は本当にいろいろな駅弁があって、美味しいからね。

東武日光に到着したのは14時前。
宿泊ホテルは駅前だけれど、そのままバスに乗って「華厳の滝へ」。
そのバスの半分以上が外国人で、出発時には「降車ボタン」にキャリーケースか何かがあたり、ずっとブザーが鳴り、運転手も怒りだすというハプニングもあったが、少しだけ日本語の分かる外国人が間に入って説明し、何とか無事に動き出した。

因縁の「いろは坂」は、45年ぶりだけれど、やっぱり凄くて、まだ車酔いが激しかった中学時代に嘔吐したのは「仕方なかったなぁ」と思いながら、どんどん登っていく風景を見ていた。
「中禅寺温泉」に到着。
「寒い!」
寒くなると言う予報だったので、重ね着できるように用意したから良かったが、「もう3月下旬だから大丈夫だろう」と甘く考えていたら、エライ目に遭うところだった。

「こんなエレベータなんかあったかなぁ?」と思って下まで降りて、通路を通っていよいよ「華厳の滝」へ。
修学旅行で見た時より近くに見えたけれど、迫力はやっぱりある。
こういう「自然のもの」は、45年も前のことでも、そんなに印象は変わらないものなんだろうか?
45年前と違うのは、今回はまだ雪が残っていたところ。
こんな姿の「華厳の滝」もあるんだと、ちょっと興奮した。
(つづく)

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2018年3月26日 (月)

日光東照宮の旅(その1)

ここ数年行きたいと思っていた「日光東照宮」に行って来た。
有名な陽明門の大修理がきっかけだが、例によってその話題が盛り上がっている時は混んでいるだろうと様子を見ていた。20180326

「日光東照宮」は中学校の修学旅行以来。
だから46年くらい前の事か?
この時、「いろは坂」でバスに酔い東照宮到着の時に嘔吐したことが記憶にある。
小さい頃、とても乗り物酔いが激しかったのだが、嘔吐までしたのはあまりなく、悪い思い出の地でもある。

東照宮は、若い頃はあまり興味がなかったが、このブログで紹介した「久能山東照宮」 に行った頃から、気になるようになった。
これは、それだけ歴史的知識が増えてきたせいもあるだろう。
だから同じくブログにも「上野東照宮」 のことも掲載していたりする。

さて、私の住む街から日光までは遠い。
だから「住む街から日光駅までの交通と宿泊のセット」を狙って、旅行代理店を探してみた。
すると結構な値段になる。
「鬼怒川温泉」なんかの宿泊になると、1泊なのに再雇用の身分では「ちょっと厳しいな」という値段になってしまう。
で、結局昨年松山に行った時に使った「JR系の旅行代理店」の格安なのを選んだ。

でも日光までの交通チケットを含めて予約できるコースはWEBには掲載しておらず、窓口受付しかない。仕方なく最寄の窓口に行ってきた。
例によって「旅行パンフ」は複雑で、宿泊施設と使用する列車の組み合わせで料金が変わる。
だから、パンフレットを見ながら、列車の時刻表と値段とを比較して、行く時間、帰る時間など全部決めてから申し込みに出かけてきた。
中学生のころSL撮影(今で言う撮り鉄)をやっていたおかげで、時刻表を見て計画立てるのは結構得意だ。
こんなところで、大昔の経験が役立つとは思わなかった・・・・・・。

いざ窓口に行くと、ちょっと頼りない感じの男性社員。
「こんな感じで予約したいけれど」と事前に決めてきた列車の名前と番号、そして宿泊施設名を告げて、改めて旅程を組んでもらった。
東京から日光までがJR系でなく東武鉄道になるので、ちょっと複雑そうで、事務所から先輩の女性社員が応援に来てくれて、電話したりしてくれた。

「大丈夫かなぁ」と思いつつ待っていると、一応こちらの希望通りの時刻と宿泊施設は押さえられたので予約してきた。
これが1月初めのことだった。

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2018年3月19日 (月)

荒井由美の時代

ある時、例によって何となくYouTubeを見ていたら、荒井由美時代のアルバムが何枚かアップされていた。
1976年11月20日_The 14th Moon(14番目の月)
1978年3月5日 _紅雀(べにすずめ)
1978年11月5日_流線形'80
1979年7月20日_OLIVE
1979年12月1日_悲しいほどお天気(The Gallery in My Heart)
1980年6月21日_時のないホテル
1980年12月1日_SURF&SNOW

19歳から23歳頃。
20180319ちょうど高校卒業後に働いた後、夜間のデザイン学校に行き、再就職したころのアルバムだ。
まだ自分の未来も見えず、女の子と別れたり、出会ったり、そしてまた別れたり・・・いろいろなことがごちゃ混ぜになっていたい時代だ。

この音源を聴くしばらく前に、同じYouTubeで『MASTER TAPE ~荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る~』 を見たのだが、ユーミンは最初自分で唄うのではなく裏方を目指していたとの事。

実は彼女のことはデビューの頃から知っていた。
1973年11月20日_ひこうき雲
1974年10月5日_MISSLIM (ミスリム)
1975年6月20日_COBALT HOUR

このあたりのLPレコードは持っていたような記憶もある。
クルマのカセットテープなんかで、よく聴いていたものだ。
(LPとかカセットテープとか、なかなか懐かしい単語だらけだ!)

確かこのころだったか、TVに出て唄ったユーミンを見てかなりがっかりした。
緊張もあったのか分からないけれど、えらく音程が外れていて、それ以来私は「ユーミンって唄が下手」というレッテルを貼ってしまっている。
そして当時は「コンサート(ライブなんて言わないんだ)は生歌を聴きにいくもの」と思っていたために、いち早く「エンタテイメント性の高い」ライブをやっていたユーミンのコンサートには一度も行かなかった。

70年から80年くらいのアルバムって、レコードだったこともあり45分間くらいの長さ。
そして1つのテーマに沿って作り上げられていた。
今もそうかもしれないけれど、もっとその傾向が強かった気がする。

だからデジタル時代になって「ベスト盤」的なものばかりでユーミンを聴いていたが、今回改めて「アルバム1枚全部」聴いてみると「懐かしい」曲に出会うことがあった。
「ベスト盤」では聴かなかった、忘れていた曲を耳にすると、なんだか胸がキュンとするのは何故だろう。
やっぱり10代から20代前半の多感な時期に見聞きしたことは、思い出すとキュンとするものなのだろう。
もう45年も前の音楽を、キュンとしながら聴ける時代と年齢になっている。

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2018年3月12日 (月)

今の延長じゃない時代にできるか?

3月の半ばになった。
もうこの頃になると4月から始まる新年度の予算や組織など、大半は決まってきている。
部長職だった頃は、年末から年始に掛けて通常業務に加え、予算や組織構築の業務が増えるから、気が付くと3月も終わりに近づいていたなんてことがあった。
でも昨年からは役職定年となり、そして今年は再雇用の身分なので「大変そうだな」と他人事のように見ている。
20180312
しかも去年くらいからは、時代の変化が急速に進んでいるのが肌で感じるようになった。
実際、会社でも基幹業務である「印刷」そのものよりも、イベントや企画など今までの本業以外の売上げがどんどん増えてきている。
それは私たちの業界に限ったことではない。

私たちの住む地方で一番身近なのは自動車だ。
「ガソリンで走る自動車はもう終わり」というのは、もう間違いのない事実で、自動車関連企業はどこも開発予算の割り振りや組織など大幅に見直している。
特に「エンジン系」の企業の場合は、本業そのものを「どこに据えていくか?」という根本的な課題にぶち当たっている。

さらに銀行だってそうだ。
「窓口業務をAI化して、行員を大幅削減」
こんなニュースが昨年の終わりごろ話題になった。
しかもそれが地方銀行ではなく「メガバンク」で計画されているというところが、「時代の急激な変化」を表している証拠だ。

さぁ、そんな時代になり、これからどうするか?
当社のように「印刷」という何年も前から「斜陽」と言われてきた業界は、ここ2~3年のうちに方向を決めないといけないくらい急務だ。

さきに挙げた自動車産業の大手企業のように優秀な経営者がいれば良い。
でも平社員から「頑張っただけ」で経営者になってしまった社長や役員がいる会社は困る。
うちもそうだが、そんな企業って結構多いだろう。
問題は、この経営陣。

残念ながら人は「過去の経験」に縛られる。
特に「印刷」なんて業務は、今の役員が現役でやっていた頃とは雲泥の差があるが、実際に業務していないので良く分からない。
分からないけれど会議では「私たちが現役の頃は」と何の役にも立たない話をしてくる。

そして私も含め、50代後半以上の人たちは「自分たちはこのままで」と思っているから、本音で「改革が必要」と思っていない。
ただ「改革しないと、これから大変なことになる」とは思っている。
だから、30~40代が真剣に考えて上に進言し、その上の人たちがその進言を参考に考えることができるか?
これが絶対必要な時代になってきている。

「今までの延長の発想では、絶対にダメだろう」
これだけははっきり言える年度末。
さて、新年度はどれだけの変革を始めるのだろう。

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2018年3月 5日 (月)

男性が育児休暇を取れる時代

例の広告代理店の若い社員の自殺がきっかけとなって活発になった「働き方改革」。20180226
この話題はこのブログで、少し話題にしたことがある。
「残業を減らせ」
「有休消化率を上げろ」
などなど、法律的縛りや社内規定の命令など外堀からの締め付けはきつい。
でも、コスト削減は今まで以上に言ってくるし、顧客からの時間とコストに対するかなり無茶な要望は全く変わっていない。
だから課長のような「中間管理職」に全部しわ寄せが行っていると、ネットに記事が載っていた。
この問題の「根本的解決」には程遠い状態だなと思っている。

じゃこの「働き方改革」は何も改革していないかと言うとそうでもない。
「男性の育児休暇取得」が年々一般的になりつつある。
私の勤める会社の中でも、今年度すでに3人くらいが取得している。
その中でも「1ヶ月」も取得している人がいる。

ウチの婿は2人目が生まれた時に「1週間」くらい「有休取得」で休み、上の子の世話をしたと聞いた。
こういうのを聞いていると、自分に子供が生まれた時の時代と大きく変わってきたと実感する。

わずか5年の結婚生活だったが、私たち元夫婦はお互いに両親がいなかった。
だから子供ができたときに、「出産後の1ヶ月」をどうするかという課題があった。
たまたま私の兄夫婦が同じ町内にいたので、頼ることにしたが、タイミングの悪い(良い?)ことに義姉さんも3人目を身籠ってしまい「全面的にお願い」するわけも行かず、ちょっと大変だった。

あれがもしも今のような時代だったら、迷うことなく「育児休暇」を取らせてもらっただろう。
それに赤ちゃん用品もとても便利なものが揃っているし、30年前と比べてはいけないだろうが、今はとても「赤ちゃんが生まれてくる」環境が良くなっている気がする。
もちろん、いろいろ便利な用品が増えるということは、それだけお金が掛かるのだろうが・・・

きっとこれから10年後には男性も「なぜ育児休暇と取らない」と周りから言われる時代がくるだろう。
日本もやっと欧米並みに「男性が育児や家事を一緒にやる」のが珍しくなくなる時代が来た気がする。
その面では冒頭に書いた「働き方改革」は、徐々に効果が出始めている。
でも、コスト・効率・顧客要求の3つが複雑に絡み合った「長時間労働」の改革はまだまだだ。
やっぱり以前このブログで書いたように「要望した顧客も罰せられる」ような法規制の整備がないと、なかなか変革されないのではないだろうか?

他人のために一生懸命頑張るし責任を持つ国民性は、良いところだけれど、「長時間労働」の問題では悪いところになってしまっているような気がする。

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